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事実は小説よりも奇なり-27 Indy 500最大の事故1973年

 林信次著、Indy 500の記述によれば「この年は祟られた大会となった。プラクティス中にアート・ポラードが事故死し、雨模様で開始が遅れた決勝はそのスタート直後に11台が巻き込まれる多重事故が発生、観客12名が負傷し、裏返しで滑走したソルト・ウォルサーは重傷を負う。当初月曜予定のレースは観客席がガラガラの水曜にようやく再開された。しかしトップ争いを演じていた新鋭スウィード・サヴェージは59周目ターン4出口でイン側ウォールに激突、燃料補給直後とあって爆発炎上し、1ヵ月後に死亡する事態となる。その事故の際、ひとりのピット・クルーが事故現場に駆け付けようとピットロードに出たところ、逆走してきた消防車に撥ねられて即死、続行されたレースは133周でまたも雨のため中断・終了となった。優勝はサヴェージの僚友ゴードン・ジョンコックのイーグル・オッフィー。33台中19台がイーグル製シャーシ。」

 Indy 500での重大故で検索すると、以下が選ばれる。
1. 1964年:Dave McDonaldとEddie Sachsこの年のIndy 500では、オープニングラップでD. McDonaldが事故を起こし、その後続車が巻き込まれ燃料が引火し、D. McDonaldE. Sachsが死亡した。

2. 1973年が今回記載の事故。Salt Waltherは手に大怪我を負ったが、命に別状はなかった。Swede Savageの事故は4ターンでタイヤがパンクしスピン、内側の壁に激突したのが原因とされている。S. Savageはマシンの残骸に巻かれたままコース上へ投げ出され、漏れたガソリンに引火し下敷きのまま焼かれてしまう。飛び出した人間はSTPクルーのA. Terran。この年のインディは開幕からの大事故、大雨による悪天候、多くの赤旗中断によりレース自体が中止になる可能性があった。

(参考写真)事故直後

3. 1982年:Gordon Smiley、1980年と81年のIndy 500参戦し、82年は3度目の参戦。予選中にコースを横切る方向に進み、320km/hでノーズから外壁に激突し、乗っていたMarch 82Cは原型を留め無い程バラバラになり、燃料タンクが爆発、車はターン3から4の間を横転した車両の破片と露出した彼の身体の一部がばら撒かれた。当然彼は激しい打撲で即死、身体は頭部が無く、身体は原型を留めておらず、監察医はまるで大きな鮫にでも襲われた様だと語っていた。結局レーシングスーツで身元が判明できたというショッキングな出来事で、インディ500の歴史においても最も悲惨な事故の一つとされている。

 Swede Savageは当時26歳。1967年にFord Motorのtestを受けてその後All American Racers (AAR)所属となったらしい。最初はHolman-MoodyからNASCARに参戦、1969年にDaytona 500にも参戦している。Can Amには1968年にLola T70で参戦し始め、以後AARでの参戦1/43モデルもある。 AARのボスであるDan Gurneyは1970年に40歳でDriverを引退し、S. Savageに後任を任せていたとされる。

(参考写真)
(参考写真)筆者が購入を考えていた1/43 Marsh Models製 Swede Savageが駆ったLola  T160
No.36は元々Dan Gurneyが好んで付けていた番号

 さて、この73年、優勝は前述のGordon JohncockEagle 73(この年は19/33台)での参戦、予選11位で決勝は73周からトップとなり133周目まで首位を保って優勝した。
 なお、色々な資料では同じ車で参戦したS. Savageの車と乗り比べ、最終的にはフロントウイングが白の車で優勝した。

(参考写真)表題の写真(1/43 MM製 No.20  Gordon Johncockが駆ったEagle 73)はフロントウイングが白色となっているが、この写真はウイングは赤色で、スペアカーか
(参考写真)S.Savageの駆ったNo.40 のEagle 73、上の写真と比べるとNo.以外は同じ塗装
(参考写真)フロントウイングが白いEagle 73 こちらが本戦に参戦したGordon Johncockの車

主役の一人であったMark Donohue(72年、McLaren M16Bで自身と共にRoger PenskeにIndy 500初優勝をプレゼントしている)は予選3位で最前列スタートであったが、92周目にピストン破損で15位に終わっている。

1/43 M.Donohueが駆った車、左Spark(SP)製の72年の優勝車  McLaren M16B、
右はFormula Models(FM)のSunoco Eagle 73

 予選1位のJohnny Rutherford(Gulf McLaren M16C)は124周完走で9位であった。しかし74年には優勝している。

1/43製 72年・74年はSP製、73年・75年(Jorgensen Eagle)はFM製

 73年、予選2位のBobby UnserはOlsonite Eagleを駆り、72年予選1位であったが、決勝はローター故障で30位に終わっている。しかし、75年にはJorgensen Eagleで優勝を果たしている。

  1965年Lotus 38でJim Clarkが優勝を果たした後、66年からDan Gurneyは自身でEagleを立ち上げ、Indyに参戦し始め、68年にはBobby Unserが初優勝。
 McLarenは70年にIndy参戦を始めて72年には初優勝と、元々両チーム共F1での実績があるとは言うものの、大したものだと思われる。
 現在の同じシャーシでのレースは佐藤琢磨の2勝でそれなりに面白いが、一寸なーと思うのは筆者が爺さんだからか。

                                   2024.10.01


引用文献
・林 信次 INDY 500 1911-2017 三樹書房 東京、2018

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