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事実は小説よりも奇なり-25:David Piperが駆った車の不思議

 David Piperは1930年生まれの94歳。

 英国出身のスポーツカー・レーシング・ドライバー。1959.07.18にデビューしたF1 世界選手権グランプリは3戦に参戦したが、全てリタイアの結果しか残せていない。

 しかし、スポーツカーではBP Greenと呼ばれる車を駆り、数々の印象のあるレースを走った。

 D. Piperは1960年代初頭、中古のランチアの売買で資金を蓄え、1962年に開催されたイースター・マンデー・ミーティングでFerrari 250 GTOを見て、シャーシ・ナンバー(S/N)3767を購入し種々のレースに参戦した(ファクトリードライバーではないが、所謂準ファクトリーの扱い)。

 1963年、Luigi Chinettiが率いるNorth American Racing Team (N.A.R.T.)に属してMasten Gregory(65年のLe Mans優勝者)と共に250 GTO LMBを駆ってLe Mans 24hで6位入賞。64年には250LMでLe Mansに参戦、その後はFerrari 365 P2や330 P3/P4を駆って数々のレースに参戦した。

 D. Piperといえば緑色のFerrariが有名である。スエズ危機の影響でEssoがレースから手を引き、64〜65年にBP(旧 British Petroleum)をスポンサーに切替えたのを切掛にBP GreenPiper Green)に変更した。

 1970年にはSteve McQueen主演の「栄光のル・マン」撮影中の事故にあい、右下腿切断となったが、左足でブレーキを踏む方法に変更し6ヶ月後にはレースに復帰したと各種資料には書かれている。

 2024.07.20に購入したモデルは1/43 Look Smart製(LS)のFerrari 250 LMの2台。

 1台はBP GreenのNo.31、D. Piper / Tony Maggsが駆って65年Sebring 12h    3位となったS/N 5897のモデル。

 もう一台はFerrari RedのNo.26 、D. Piper / Mike Parkesが駆って66.10.16のParis 1,000km 優勝車 S/N 8165のモデル。

 1966年は前述BP Greenとなっているはずだが、このNo.26はRosso CorsaというFerrari Redの車。

 この謎、最初はCo. DriverのMike Parkesの伝手でFerrari関係者から借りて参戦したのだと思っていた。しかしD. Piperが所有した250LMは実に6台もあり、その中にはS/N 8165の番号もある。

 この所有の250LMには64年Le MansにJochen Rindt(65年のLe Mans優勝者)と共に参戦したS/N 5909 のNo.58はRosso Corsa(LS)である。

1/43   S/N 5909

 翌65年、BP Greenに塗られた250LMは2モデルがある。64年7月引渡しのS/N 5897で、DriverはD. Piper / Tony Maggs。No.31は65年Sebring 12h 3位No.8は、同年の Nürburgring 1,000kmに参戦し16位完走となったモデル、私の中ではかなり貴重なBBR製。

1/43   左BBR製 右LS製    同じBP Greenだが、メーカーによって色の解釈は異なる

 前述、BP Greenは64〜65年から変更されたとの事であり、この66年Redは話が合わない。

そこで、Marcel Massini の著書 「Ferrari 250LM」歴史を紐解いた

 Ferrariの準ファクトリーであるScuderia Filipinettiは65年のLe MansにはNo.27とNo.28の2台がエントリーしている。No.28はLe Mans のtest dayで故障しNo.27だけが参戦となった様だ。No.28はフロントが大改造されたと書かれていて、ボンネットなし、エアインテークとホイールアーチの形状が他車と異なると書かれている。No.28は翌年(の何月かは不明)D. Piperに売却され、65年モデルの様にBP Greenに塗り替えられ、後輪が大きくなり、ホイールアーチが拡大されている。
 このモデルは66年にD. Piperが購入直後に参戦したレースがParis 1,000kmで 未だRosso Corsaでの参戦で優勝したと考えたが、どうだろう。

1/43 BEST Models 製 65年のLe Mans test dayで故障しDNAとなった
Scuderia FilipinettiからD.Piperに売却されたS/N 8165
1/43 LS製 66年のS/N 8165
1/43   LS製 68年のS/N 8165  タイヤが幅広となり、結果後部ホイールハウスが拡大された
ホイールはマグネシウム

D. Piperが駆った(買った)Ferrari 250 LMのS/Nは、5893:NARTの65年Le Mans 優勝車、5897:前述の65年のBP Greenの車、5907、5909:文中のNo.58、6167、8165:今回の主役

 さて、D. Piperの名前が日本で知られる様になったのは何時からか。
1969.10.10、富士スピードウェイで行われた'69日本GP、滝RacingはドイツからPorsche 917(4.5ℓ 水平対抗12気筒)を呼び寄せ参戦した。ワークスドライバーのJoseph "Jo" Siffertに加え、チーム監督とメカニックも帯同した。レースはSiffertが奮戦したが、オーナードライバーのD. Piperのペースが遅く、6位に終わったとされている。

 ここに面白いモデルがある。1971.10.10のFuji Masters 250 kmにD. Piperが持ち込んだBP Greenの917(ボディは変更されているがS/Nは同じ)、Driverは懇意にしている生澤徹、よく良く見るとフロント最先端の三菱石油とSTPのステッカーが逆さなのだ。

1/43 EBBRO製 Porsche 917

 入手したのはヤフオクのオークション、落札して届いたモデルを見ると、案内では分からなかったステッカーの貼り間違いに気付いたが、返品できないので手元にある。まぁSecondhand品、当たり外れは良くある、壊れてなかっただけ良としているが、この文章中に揚げられたのは幸いである。

フロント最先端を参照、どこの段階でこんなになったのか
これが原因では無いが、モデルメーカーのEBBROは今年倒産した

 なおこのレース、生澤は予選が2台のMcLaren M12に次いで3位、雨の決勝はグランチャン初優勝の風戸裕に次いで2位であった。
「note」「事実は小説よりも奇なり-7  サーキットの狼」をご一読願いたい。
                               2024.08.01

参考文献
Marcel Massini  Ferrari 250LM  Osorey Publishing Limited Great Britain 1983

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