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異能β-3   テキサスの白い怪鳥-1  Chaparral以前

 今は昔、ビルの広い会場は勿論、デパートの催事場、ボーリング場の片隅、果ては町の小さな模型屋の離れ等々、色々な所にできたのがモデルカーレーシングのサーキット、今でいうスロットカーのサーキットだ。
 そこで見かける車は、フェラーリ、ポルシェ、ロータス、ジャガー等々、ちょっと珍しくはマクラーレンエルバなどの車が有名であった。

 暫くして非常に早くて、珍しい形の車がわが物顔で走り始めた。Cox製のChaparralだ。軽いマグネシウムのシャーシにサイドワインダーという形式のモーター配列(重心の位置と回転の繋がりが理想的)でコーナーを楽々抜けて行く。ベンツやジャガーといった所謂流線型とは異なる形、空力を意識した形の車がChaparralだった(当時、シャパラルとチャパラルと二通りの呼び名があり、後にシャパラルがメインとなった、その問題を正すため、この文章は全て英語のChaparralで表す)。

Chaparralはロードランナーとも言い米国の漫画でも有名

 1961年Chaparralという名の車を走らせたのがJim Hall(J-H)と盟友のHap Sharp(H-S) であった(その頃はライバルであったRoger Penske〈R-P〉もその後ドライバーとマネージャーとして活動していた)。

Chaparral以前 
 1935年生まれのJ-Hは油田探索会社を父が経営しており、生まれながら裕福だった。1953年両親と女兄弟を乗せた自家用機が墜落し、残された3人の息子が仕事と同時に莫大な遺産を受け継ぎ、彼は19歳で富豪となった(彼は17歳で結婚、19歳の時は2児の父だった)。

 J-H の最初のレースは1959年3月にPomonaで行われた、San Francisco Examiner Grand Prix(以下GP)。スーパーチャージャーを装着したNo.273のLister-Chevrolet、フロントカウルに2個のインテークが見られる。ラジエーターグリルにはJHの文字。このモデルはMarsh Models(MM)製、MMは1/43がメイン、ホワイトメタルやレジンで型取りし100台程をキットで発売、フィニッシャーが仕上げeBayや個人商店からの購入が主になる。

自身の最初のレースカー、Marsh Models:MM製
ラジエーターグリルにはJHの文字

 1960年前半にはMaserati 450Sを後半にはMaserati Tipo 61を購入し、いくつかのレースで優勝している。

 数年前、何の気無しに入った店で購入したモデルカーは、Maserati Tipo 61、ひろくバードケージとして知られている歴史的な車。白い車体に66のナンバー、瞬間Chaparralを連想、箱の横を見るとJim Hallの文字、これぞ1960年のNassau Speed Weekに出場した車。なおその1年程後、他の店で長い間店番をしていた赤いモデルを見かけ購入、なんとR-PのNo.6(J-Hは66、H-Sは65、R-Pは6又は67の場合が多い)であった。

MINICHAMPS:MC製のMaserati Tipo61、奥J-H用、手前R-P用

 60年代初め、J-Hはスポーツカーばかりでなく、フォーミュラカーでも色々なレースに出場している。60年11月にはWatkins Glenで開催されたF-1のUS GPではNo.24のLotus 18 Climax(直列4気筒、2.5ℓ)で出場し7位となった(今と異なり6位までが入賞、彼は惜しくも入賞を逃した)。
 63年にはBritish Racing Partnership(BRP)に所属しLotus 24 BRM(V8、1.5ℓ)でF-1の全10戦のうちの9戦に出場し、No.20で出走したGerman GPでは5位入賞を果たしている。No.12はMonaco GPに出場した車、ショートコースでのオーバーヒート防止のためノーズが短く切られている。No.25は62年ノンタイトルのMexico GPで4位となったモデル、この成績が考慮されてかBRPから話があった様だ。

1960年初頭のF-1 Spark:SP製

Chaparral-1
 鋼管スペースフレームにシボレーの5.2ℓV8をフロントミッドシップに配置、これも幾つかのレースで勝利した。全部で5台が作られたが、62年頃はミッドシップマシーンが主流になり、自前のChaparral-2が作られる事になった。
 このChaparral-1はChaparralの名が付いているが、設計者はJ-Hではなく、Scarabを設計したTroutmanとBarnesであり、Chaparralの伝説というとChaparral-2以降が真のChaparralとしている文献が多数である。このNo.66は62年Los Angeles Riversideで行われたTimes GP、R-PのZerex Specialに次いで2位となった車のモデル。

Chaparral-1、Midlantic Models製

 Chaparral-1の最終型は平べったい烏賊に似た車、No.9は63年3月Sebring 12hを走った車。No.11は同年6月のPlayer’s 200を走った車、両車に共通なのはフロントを高くした烏賊様車、車体下に空気を流し、上下逆の翼をイメージ(日産R380の初期型も同様な理由)し、フロントのリフト防止を諮ったが空と道路の違いを考慮せず失敗。

Chaparral-1の最終型、MM製

 No.9はレギュレーションでフロントウインドウの大きさやドア高が規制され、それを満たすためこの様な姿になった。

レギュレーションによりフロントウインドウやドア高が決められていて、急遽この形になったが、こんな格好だから大手のメーカーは手を出さず、少量生産のMMの製品、当然普通に探しても入手できない、
オークションでは結構な金額、世界にはChaparralフリークが沢山いて落札は困難


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