石原なんでも通信 No.17 一か月振りの投稿です。
東京国立博物館で開催されていた特別展 「法然と極楽浄土」展、展示物の中で一番注目を浴びたのが我が高松 法然寺の 「仏涅槃群像」だったとのことです。
法然寺の「仏涅槃群像」、お釈迦様の「涅槃像」の珍しさもあると思いますが、涅槃釈迦にお仕えする26躯の仏像も ユニークで人気を集めたようです。
ということで、当の高松の法然寺では、涅槃のお釈迦様は不在の状況となっています。東京での開催は終了しましたが、この後、京都(今年10月8日~12月1日)、そして九州(来年10月7日~11月30日)開催があるので寂しい 期間が続きそうです。
東京の友人が遊びに来ました。東京で話題になった「涅槃のお釈迦様」。
「不在」でもよいというので、法然寺行ってきました。
確かに皆さんちょっと寂しそう。(真ん中の赤い御座が涅槃の御座所、写真は筆者撮影)
1.法然上人(1133-1212)
相次ぐ戦乱、頻発する天災や疫病、逃れられない貧困など、平安時代末期の人々は苦悩に満ちた「末法(まっぽう)」の世に生きていました。
この時代に生を享けた法然上人は叡山で天台僧としての修行を積みますが、43歳の時(1175年)の著作によって専修念仏の道を選びました。
「南無阿弥陀仏」と称えれば救われるという教えは幅広い階層の信者を得ます。
しかし、既存の仏教界からは念仏を止めることが強く求められ、ついに法然は75歳(1207年)のとき讃岐国(香川県)へ配流されるに至りました。
法然上人の讃岐国滞在はわずか10か月、まずは塩飽諸島 本島に入り、その後、善通寺での参拝後、小松荘(現在のまんのう町、琴電羽床駅近く)にあった生福寺(現在その場所には西念寺があります。)を拠点に「専修念仏」を広められたと言われています。
時は移り、高松松平家初代 頼重公は法然上人の徳を慕って上人ゆかりの
生福寺を高松に移し、高松藩菩提寺、法然寺を開きます。1671年のこと です。
2.極楽浄土を体感できる寺 仏生山 「法然寺」
頼重候は法然寺を通して、浄土世界を具現化しようとしました。
藩主家墓所である般若台以外であれば、身分を問わず希望する者は墓を つくることができ、仏生山は頂上が藩主家、その下に領民の墓が一山を覆うよう配置されています。
伽藍配置も寺の総門をくぐれば、領民の誰もが極楽浄土への道を体現
できます。総門から右手に十王堂をみながら前池と(旧)蓮池(今は小学校運動場)の間に延びる参道を歩き、黒門に向かいます。さらに仁王門をくぐると、来迎堂に達する石段が見えてきます。
3.涅槃像が横たわる 「三仏堂」 (涅槃堂)
本尊の三仏(阿弥陀、釈迦、弥勒)を見守る 世にもまれな、涅槃図を実物大に立体化した涅槃世界が広がります。
「涅槃」とは? 仏教的にいえば、「煩悩の火が吹き消された状態」、すべての束縛から解脱すること、不生不滅の境地にはいった事を意味し、そこから 「お釈迦様の死」の状態を意味することになった模様。どうも 「横になってくつろいでいるお釈迦様」 ではないようです。
涅槃釈迦像はもちろんのこと、涅槃世界を立体化した 法然寺の「三仏堂」は日本では非常に珍しいものと言えます。
4.世界の涅槃像
涅槃世界とまでいきませんが、世界最大規模(ブロンズ像では世界最大)の涅槃釈迦像が福岡県篠栗町の「南蔵院」にあります。 全長41m、高さ11mの巨大像です。
世界一有名なのが、タイの「ワット・ポー」(涅槃寺)にある涅槃仏です。
下写真は仏様の足の裏を強調しているので全体像がみえませんが、
全長46m、高さ15mの大きさです。仏様の頭部は写真奥にあります。
日本ではあまりフォーカスされていなかった涅槃像、法然寺の涅槃像の全国行脚をきっかけに注目されて欲しいですね。 高松 法然寺は JR高松, 高松港近くの琴電高松築港駅から17分。但し、 そこから少し遠いので(徒歩20分)なので、季節を選んで訪れた方が
よいですね。春の桜、秋の紅葉も有名です。門前にあるうどん屋も
お薦めです。
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