日本の天皇制の宿命的な展望,皇統の連綿性を万邦無比(神話性)に求めても,遺伝的・血統的にかぼそい生命力,女性も天皇にしないかぎりあぶない将来
※-0 前文としての断わりの序論
a) 本記述は2019年5月3日に一度公表されていた文章であったが,その後,長いあいだ未公開状態になっていたものを,本日2024年1月20日に復活・再掲することにした。話題は,日本国における「天皇・天皇制」の問題をめぐる真価そのものに関してである。
標題にかかげた文句のとおり,いま時点における「日本の天皇制の宿命的な展望,皇統の連綿性を万邦無比(神話性)に求めても,遺伝的・血統的にはかぼそい生命力,女性も天皇にしないかぎりあぶない将来」である現実は,単に現在的に考察する以前に,
この明治謹製として新しく「創造された天皇家」が存続する21世紀的な意味は,日本人自身があらためてなどというまでもなく,覚醒した歴史精神のもとに根幹から吟味しておく必要があった自国の課題といえる。
昨日,2024年1月19日の記述でも話題にした京都市にある寺院に泉涌寺があるが,この寺の敷地内には何十人もの歴代天皇やその一族たちの,いってみれば小さな墓が何基も建てられている。
明治維新前後から急遽復活させた,それもまるで古代史の再生であったがごとき大規模な「古墳風の天皇陵」の築造が,この場合は孝明天皇(1831年7月22日〈天保2年6月14日〉~1867年1月30日〈慶応2年12月25日〉)の陵基として,敢行されていた。
この孝明天皇の在位した期間は, 1846年3月10日〈弘化3年2月13日〉~ 1867年1月30日〈慶応2年12月25日〉であるが,35歳で死んだ原因については暗殺説が有力な観方として議論されてきている。
b) ということで,この孝明天皇の陵墓が築造された場所をめぐり,本日もいくつか画像資料を挙げて,関連する歴史の事情を考えるための素材としておきたい。
まず,孝明天皇の陵墓は京都市にある泉涌寺のそばにある,その地理上の位置関係から示しておく。GoogleMap から借りた。
c) 徳川幕府がとくに天皇家・一族をどのように処遇していたかについては,つぎのように説明されている。
江戸時代が天皇家・一族をどのように管理・統制してきたかというと,こういう仕儀にあいなっていた。
江戸幕府は1615(元和元)年,豊臣家を滅ぼし天下を統一したのち「禁中並公家諸法度(きんちゅうならびにくげしょはっと)」という規則を置いた。これは,天皇・上皇,公家朝廷に仕える貴族),門跡(皇族や公家が住職を務める寺社)に対して定めた規則であった。
この「禁中並公家諸法度」は,江戸幕府初代将軍「徳川家康」およびその第2代将軍「徳川秀忠」,前関白「二条昭実」(あきざね)の名前で発布されており,起草者は,江戸幕府の政策担当であった「金地院崇伝」(こんちいんすうでん)と伝えられている。
この規則は,江戸幕府が天皇や公家を管理下に置くことを公言し,さらに力関係も明確にしておき,江戸幕府の権力と権威の安定を図ることを目的にした。
d) 要するに,江戸時代からの長い時代はとくに,天皇家・皇族は落ちぼれていた。つまり,自分たちにとって矜持ある日常生活を維持することは,たいそう不如意を余儀なくされた。
徳川幕府からはもちろん,一定の手当は支給されていたものの,しょせん「日陰者」である立場は隠しようがなく,あれこれ鬱積する一物をかかえながら暮らしていた。
いってみれば,天皇・一族や公家たちは「生かさず殺さず」に近い生活の境遇を強いられていた事実が,彼らの墓の造営にもじかに反映されていた。それゆえ,自分たちのお墓も現代風にいえば,ちょっとした大金持ちよりも,実につつましい造りになっていった。
現代にいきなり話をひっぱってくると,つぎのごとき営利会社関係などが造営・管理している墓の住所をリンクに挙げておくので参照されたい。ここに写真で挙げられている大部分の墓々は,泉涌寺に埋葬されている天皇やその一族の墓々よりも立派,豪華である。
e) もっとも幕末期になると,徳川家に勢いがなくなり,外圧からの風速もより強くなった時代のなかでは,尊皇思想がそれなりに頭をもたげるようになった。そのなかで前段に触れたごとき孝明天皇の死に対して突如,古墳まがいの陵墓を築造するという時代錯誤が突沸的に実現した。
ところがその時代錯誤の古墳まがいの陵墓が,20~21世紀になってもまだ築造されている。孝明天皇の「古墳」につづいて,明治天皇⇒大正天皇⇒昭和天皇のその「古墳」のごとき陵墓は,すでに存在しているし,さらには,平成天皇用のその墓地もきわめて豪華な造りで,その構想:設計図が準備済みである。
もっとも平成天皇の妻美智子は,「『私などが、めっそうもない。陛下のおそばに小さな祠(ほこら)でも建てていただければ』というお気持ちを示されていたようだ」と伝えられているように,自分もつぎのような墓所に死んだら入ることには,一定の違和感がある気持ちを正直に吐露していた。
※-1「完全なる女性差別」(「女性への差別」は「人間全体への差別」に直結する)を,明治以来の「150年以上にわたる古来的な伝統(?)」だと妄想できる「エセ国粋・保守・反動の政治家・人びと」の観念世界には「青い鳥」以外にも無数のいろいろな鳥が飛んでいるのか
彼ら:「エセ国粋・保守・反動の政治家・人びと」が妄想し,虚構する「神国日本」の,天皇・天皇制に関した時代錯誤の政治理念は,民主主義の根本理想を破壊する「現代における狂気の沙汰」的な思いこみ・独善でありつづけてきた
さて,安倍晋三「忖度・国営放送局」であったNHKが,たまには意義のある特番を制作していた。5年前に,つぎの特番が放送されていた。
1)「NHKスペシャル 日本人と天皇」 初回放送 2019年4月30日午後8時00分~8時54分,解説は https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/46/2586150/index.html などから
「NHKスペシャル 日本人と天皇」の解説も説明しておくのが,この記述全体にとっても便利であると考え,以下に紹介する。
「解説:1」
私たち日本人にとって天皇とはなにか。歴史をひもときながら考える。皇位継承に伴う一世に一度の儀式「大嘗祭」。その内容は長くベールに包まれてきた。私たちは徹底取材をもとに「大嘗祭」を再現。天皇と神々との関係に迫る。
さらに,皇位継承を男系に限るという伝統についてもとりあげる。これまでの議論を発掘資料やスクープ証言を交えて検証。新時代,主権者の私たちはこの問題にどう向きあえばよいか。そのヒントを探っていく。
「解説:2」
まもなく元号が変わろうとする〔2019年4月〕30日夜8時からは,私たち日本人にとって “天皇” とはなにかを,歴史をひもときながら考えます。今〔2019〕年11月におこなわれる予定の「大嘗祭」。
古来より伝わる皇室の伝統で,皇位継承にともなう一世に一度の重要な儀式ですが,その詳しい内容は長くベールに包まれてきました。今回,私たちは「大嘗祭」など皇室関連の儀式を徹底取材。受けつがれてきた皇室の伝統とはなにか(?)に迫ります。
補注)なお,ここでは「古来より伝わる皇室の伝統」として大嘗祭が挙げられているが,実は戦国時代から江戸時代にかけての2百年ほど,この天皇家の儀式は途絶していた。すなわち,当時における天皇家はとても貧しく,大嘗祭をとりおこなうための経済的な余裕などなかった。
ということで,ここでは,前段で画像資料をあれこれ挿入しつつかなり触れてみた話題を思いだしてみたい。
京都にある「御寺」の泉涌寺には「合計で25の陵と5つの灰塚,9つの墓がある」。だが,江戸時代末期に造営された「後月輪東山陵が孝明天皇陵」が巨大な墳墓であるほかは,ほとんどがきわめて質素な墓地の様子である。
前段に紹介してみた諸画像(泉涌寺とその周辺区域の衛星写真)は,泉涌寺境内にあるその「合計で25の陵と5つの灰塚,9つの墓」のほとんどの部分を写している。
その画像は,孝明天皇の陵(墓)が立派な墳基として造営される以前,いいかえると当時までのかなり長い期間,天皇家がいかに質素な実生活を強いられていたかを,間接的ながらも確実に教えている。
要は,明治時代に入る寸前(文久の時期からとなるが)に,孝明天皇の陵からは再び,古代史におけるのと同じく,天皇のために巨大な墳墓を建造しだすといった,ある意味では奇想天外:時代錯誤の埋葬様式をとりはじめた。
つぎの画像は,明治天皇夫婦の墓所(墳墓)である。孝明天皇の陵につづき巨大な規模になっていた。
〔補注がつづく→〕 したがって,伝統だと形容されていてもその中身について本当のところ,実は分からない点だらけであった。そのため,明治維新以降に皇室の制度や行事,儀式などを「再現(再興)させる」に当たっては,古い文献を必死に探し出したりして勉強しなおしたうえで,相当に苦労して「古式らしいその儀式」を「新しく創造してきた事実」があった。
この新しく付加されてきた事実を無視したまま「現在の皇室の儀式」全般」を「いにしえ(古)」からなどと表現するのは,その「古い時期」をまともに特定すらできないだけでなく,それこそただちに「神話創造的な明治謹製」の儀式そのものの,空想的な展開だったと受けとるほかない。
〔ここから記事のNHKの「解説:本文」に戻る→〕 番組では,「皇位の安定的継承」についても取り上げます。平成の次の時代になると,皇位継承者は秋篠宮さま,悠仁さま,常陸宮さまの男性皇族3名となります。男系男子に限られている皇位の継承をどう考えていけばよいか。
戦後,現憲法の下で2度にわたっておこなわれた政府の議論を,発掘資料やスクープ証言を交えて詳細に検証。「皇位継承」をめぐってなにが話しあわれたのか? 新しい時代,主権者である私たちはこの問題とどう向きあえばよいのか? そのヒントを探っていきます。
②「NHKスペシャル『日本人と天皇』を見るべし」(小林よしのり『BLOG あのな教えたろか。』2019年05月01日 14:06,https://yoshinori-kobayashi.com/17999/ ⇒ https://blogos.com/article/374506/ にも転載されている)
実はわしは,令和の世になったからといって,素直に喜ぶ気分になれない。昨日のNHKスペシャル『日本人と天皇』をみたか? この番組は再放送を必らずみたほうがいい。長い天皇の歴史で,側室で生まれた男子が半分もいたのだ。男系の嫡出子は,ここ400年では,3人しかいないといっていた。
〔しかし大正天皇が産んだ〕昭和天皇から,奇跡が続いていたのだ。奇跡はそろそろ終わるのではないか? 男系男子に限った皇位継承法では,天皇制の自然消滅はもう避けられない。手遅れなのかもしれない。女系にも拡大すれば単純に2倍になるが,狂信的な男系固執派が,それを阻む。
そのうえ,皇室には基本的人権が認められていないのに,あまりにマスコミが皇室の人びとをデマで誹謗中傷しすぎるから,男系だろうが,女系だろうが,もう結婚相手がみつからない恐れもある。
〔とくに〕番組中の,男系に固執する平沼赳夫の言葉が衝撃だった。「悠仁親王に将来男の子が沢山お生まれになることが望ましい」「信じながら待つしかない」。思考停止の男系固執主義者,いずれ天皇制を自然消滅させた逆賊の1人として,歴史に名を残すことになるのか?
天皇制が自然消滅すれば,国民の分断がいちじるしく進み,独裁制がたちまち出現するだろう。(引用終わり)
この最後の結論,「天皇制なしの日本」には「国民の分断」が発生してしまい「独裁制の出現」になるという理屈は,短絡そのものである。小林よしのり先生は,ときどき,いうことが極端になり過ぎる。
外国にはもちろん,「天皇・天皇制」に相当する王族階級(家族)がいない国々がたくさん存在するけれども,だからといって,それらの国々で必らず(たちまち?)「独裁国の出現」するのだという「必然性の予測」を聞かされると,こちらの頭のなかがクラクラしてくる。
論理を逆走させて考えてみたい。天皇・天皇制みたいな特別な制度:存在が,特定の某国にもあるとしたら,「独裁制の出現」はありえないという推理になるのか?
いやはや,ここまで類推が進展させうる小林よしのり先生の「発想」は,だから奇想天外ではないと指摘しておく。尊皇主義者である小林よしのり先生のことであって,この立場からなにをいおうと自由だが,聞く者をして説得力ガタ落ちになる理屈には一驚させられた。
その理屈には,普遍性や妥当性に相当する部分や,ましてや真理性や法則性に読みとれそうな断片すら感じられない。ともかく「日本はこうなのだ!!」といったたぐいの確信的ないいぶんが独走気味であって,ともかく本当にびっくりさせられた。
※-2 水島宏明・上智大学教授・元日本テレビ〈NNNドキュメント〉ディレクター稿,「改元特番でNHKだけが伝えた “不都合な真実” 」
この※-2の記事は,『YAHOO! JAPAN ニュース』2019年5月1日 17:22,https://news.yahoo.co.jp/byline/mizushimahiroaki/20190501-00124418/ に掲載されていたが,現在(2024年1月20日)は観ることができない。『YAHOO!JAPAN ニュース』の記事にはよくある,事後におけるとりあつかいであった。
〔という経過になっていったが,ともかく〕以下にかなり長く引用することにする,この水島宏明の指摘(議論)は,いまのところ「NHKスペシャル『日本人と天皇』」に関して,もっとも適切に,しかも包括的に解説していた。これをくわしく紹介することで,「日本の天皇問題」を考えるための勉強の材料にしてみたい。なお,文章そのものは文意を崩さない配慮をしつつ,補正した。
◆ 基本命題 ◆ 2019年4月30日夜8時に放送された「NHKスペシャル『日本人と象徴』」での識者の提言〔は〕「日本の象徴天皇制は自然消滅する」であった。
a) ショッキングな表現でそう語っているのは,改元の前夜に放送された「NHKスペシャル」に登場した古川貞二郎・元官房副長官だ。いまのままでは象徴天皇制は存続していくかどうか分からないと警告する。
番組を観ると,象徴天皇制で初めてとなる「生前退位・即位」という大きな出来事を前にして,政権の中枢にいた人物でさえ強い危機感を露わにしていることが分かる。その危機感が国民の間であまりしられていない。
この「NHKスペシャル」が問いかけた内容はあとでくわしく述べるが,他の番組は「お祝いムード」一色で,肝心な “不都合な真実” がまったくといっていいほど報道されていない。
b)「5,4,3,2,1・・・令和,おめでとう!」 2019年4月30日から翌日となる2019年5月1日にかけて,テレビ番組は “改元” の話題一色である。連休中の人びとがあちこちに集まって,再び正月がやってきたようなお祝い騒ぎを繰り返している。テレビはこうしたお祭りが本当に好きで便乗して盛り上げているような感じさえある。
〔その4月〕30日は「平成」の時代を,節目となる事件や災害,トピックスの映像とともに振り返り,そこに前天皇・皇后(現上皇・上皇后)がいかに被災地の人びとらに寄り添い,「象徴としての天皇」のあり方を模索して来たのかなどについて時間をさいて伝えていた。
筆者(引用されている原文のその人)は,〔4月〕30日夕方,テレビ各社が中継した前天皇の退位のセレモニー「退位礼正殿の儀」の様子を観ていた。最後まで「象徴としての私」という言葉で,「象徴」としての天皇のあり方に最後まで向きあってきた思いをにじませていたのが,強く印象に残った。立場は違っても同じ時代を生きてきた「人間の思い」が通じたように感じられて,心を揺さぶられた。
c) 翌〔2019年〕5月〕1日昼,皇太子から天皇に即位したばかりの新しい天皇が「即位後朝見の儀」でおことばで「象徴としての責務を果たす」と決意を述べた。一連の儀式や改元にあたっては「象徴」こそ〔が〕鍵となる言葉である。
この両日,「ニュース番組」でも通常よりも番組時間を拡大して特別編成の態勢になっていた。当然,「象徴」としての天皇のあり方についても視聴者に示唆を与えたり,現状の問題を提起したりするような報道がおこなわれるだろうと想像していた。天皇を中心とする皇室の行儀がこれほど連続して,生中継というかたちで長時間報道されることは,かつてないからだ。
冷静に考えれば,前天皇がこれほど強調され,それを引きついだいまの天皇も口にされた「象徴」としての天皇の役割について,突っこんで議論することがニュースなどの報道番組には求められているはずだ。ところがこの点で「象徴」に正面から切りこむ番組は民放にはなかった。
各局のテレビ番組を観ていると,役割・機能としての「天皇」や「皇后」と,現存する前「天皇」や前「皇后」があまり明確に区別されず,丁寧な言葉づかいばかり意識して不必要な敬語が乱用されている印象を受けた。一方で,ほとんどの民放局の報道番組が触れていなかったのが,皇位継承での「女性天皇」や「女系天皇」の可能性をめぐる議論である。
d) 「象徴」とはなにをする仕事なのかを真正面から追求して取材力を発揮したのが,NHKスペシャル「日本人と天皇」だ。「天皇」も役割としての天皇としての意味で大半をつかっていた。冒頭のナレーションはこう始まる。
「東京の光の海に囲まれた夜の皇居。いまから4時間後に新たな天皇が即位します。これからおこなわわれる一連の儀式。天皇のしられざる伝統の姿が現われます。それは神と向きあい祈る姿です」
鎌倉時代から江戸時代までの即位の時におこなわれてきた神道と仏教の儀式も明らかにされる。そこには天皇と神と仏を一体にするサンスクリット語の呪文「ボロン」も明らかにされる。
e) 4月30日放送のNHKスペシャル「日本人と天皇」というこの番組は,天皇がおこなう宗教的な儀式などを撮影した映像をふんだんに使って,天皇の宗教行事の歴史的や経緯や変化などを伝えていた。そのうえで,番組の圧巻な部分は「皇位継承」についての取材である。
戦前の皇室典範も戦後の皇室典範も「男系男子」(男親の系譜で生まれる男子)を天皇継承の条件と定めている。これまでの歴史では女性の天皇がいた時も,「男系」(父親か祖父などが男性)の天皇であって女系はいなかった。この問題をめぐる取材が非常に深い。
戦後に新しい憲法が発布されて,天皇は「象徴」という立場になり,宮家も11が廃止されて51人が皇族から民間人に身分が変わった。この取材班は,新憲法が発布された日に三笠宮崇仁親王(昭和天皇の末弟)が皇室典範の草案を審議していた枢密院に提出した皇室典範改正をめぐる意見書を掘り起こしたが,そこで三笠宮は以下のように書いている。
「いまや婦人代議士も出るし,将来,女の大臣が出るのは必定であって,その時代になればいま一度,女帝の問題も再検討」するのは当然だと。
補注)最近のテレビ番組が,東京都の杉並区は区議会において占める女性区議が半数を超えている日本でも珍しい東京都区の自治体だと解説していた。なぜ,このニュースに触れたかというと,こういう日本に関した事実が不名誉にもいまだに持続されているからである。
進歩的な思考の持ち主だった三笠宮は,天皇にも基本的人権を認めて,場合によって「譲位」という選択肢を与えるべきとも書き残していた。結局,三笠宮の意見書は枢密院で検討された形跡がなかったが,その後,小泉政権で「女性天皇」「女系天皇」の問題が検討の対象になる。
f) 2001年,当時の皇太子夫妻(現天皇皇后)に女子(愛子)が生まれたことで2005年,小泉政権で皇室典範に関する有識者会議が発足して10ヶ月間,委員はいろいろな資料をもとにして議論を進めたという。そのなかで委員がしった意外な事実があったという。
これまでの125代におよぶ天皇のうち,約半分が「側室」(第2夫人,第3夫人など)の子と判断されているという。戦後は「側室」という制度はない。
過去400年間では側室の子どもではない天皇は109代の明正天皇,124代の昭和天皇,125代の前天皇(今の上皇陛下)の3人のみで,側室の制度がない現在においては「男系」の伝統の維持はむずかしいという声が多くの委員が認識したという。
補注)なぜこれほどまで,過去400年間の天皇たちは「生命じたいの生産力(生産性?)」において不利=能力不足が目立っていたのか。明治からの表現でいえば,皇族と華族という限られた社会集団のなかで主に,婚姻関係をむすびつづけた遺伝的・血統的な不都合が,その因果となってめぐっていたのかなどと解釈すればよいのか。
昭和天皇の妻(良子:ながこ)は,息子明仁が迎えた妻(正田美智子)のことを「平民から東宮妃〔自分の息子の嫁〕をとるはけしからぬ」と反発していた。ともかく,大正天皇・昭和天皇の代はさておき,平成天皇の代からは配偶者は民間人になっている。
すでにその子息たちも自分の配偶者を同じに選んでいた。もちろん側室など置いていないし,いまどき置けるわけもない。浮気すらままならぬ立場に居る。もっとも,秋篠宮はどこか外国へ出向いたときは自由奔放になにかをしている,という噂話はよくあった。
平成天皇の孫の世代になると,この孫たちが配偶者をもち,子どもを儲けるようになったら,明治から敗戦ころまでならば非常にこだわってきた点,すなわち,天皇家の成員たちが配偶者を求める場合,
イ) 「五摂家」(摂政関白の家柄のことで,藤原氏北家道長の流れを組むとされる近衛家,九条家,鷹司家,一条家,二条家の5家)関係者と,これにくわえて
ロ) 江戸時代の有力藩大名一族関係者から選ぶという方法は,遺伝的・血統的な諸要因が影響しているせいか,男子の誕生「期待」に苦労する歴史を記録してきた。
ハ) そしてその対策が,当然のようにして側室を置く方法であった。
しかし,戦前までならばともかく,いまの時代に第2夫人,第3夫人もあるまい。彼女ら「側室」の存在は,男系の天皇系譜を維持するために必要不可欠の貯水池(日常的に活躍する予備軍)であるかのように用意されてきた。もっとも,それでもなお,正室(第1夫人)からの嫡子として男子をうることが,ずいぶん劣化せざるをえなくなった様子が現象していた。
つまり,「過去400年間」「側室の子どもではない天皇は109代の明正天皇,124代の昭和天皇,125代の前天皇(今の上皇陛下)の3人のみ」だったという事実は,とても重い関連の事情たりうるはずである。
なぜ,そうなっていたのか? 本ブログは他日の記述でも触れておいたが,昭和戦後の時代になると,皇族たちにおける現実的な繁殖力(人間としてのその能力)に関しては,なんらか問題があるのではないかと疑わせるほど,「生命の生産性」に関して「天皇一族」は低空飛行を記録してきた。
ところが,明仁が民間人美智子を嫁に迎えてからは “子どもじたいができない” という事態は,その息子2人(徳仁と秋篠宮)に関しては生じていなかった。ただし,娘の黒田清子は子どもを儲けていない。年齢的にも,もう儲けないとみる。
なお,この清子(さやこ)は2017年6月19日付で,伊勢神宮の伊勢神宮の祭主に就任していた。この伊勢の祭主(実は伊勢神宮にのみ置かれている神職の役職だが)は,天皇家のそれも天皇ごく近い血筋の女性が占めるにようになっていて,明治以前には実在しなかったその役職である。
この神宮祭主は天皇陛下に代わって神嘗祭などの祭典を奉仕するといい, 明治以降の歴代祭主は,近衛忠房,三条西季知,久邇宮朝彦,有栖川宮熾仁,賀陽宮邦憲,久邇宮多嘉,梨本宮守正,北白川房子,鷹司和子,池田厚子など,天皇の直接の血族か摂家(近衛家・一条家・九条家・鷹司家・二条家,これは序列順に並べてあるものだが)の5つの一族からのみ,出してきた。
もっとも,明治維新以前の伊勢神宮は,天皇家・一族とは格別に近しかったとみなせる間柄にはなかった。「明治以降に意図的に構築されてきた」「天皇家・皇族たち」のための「大日本帝国スゴい」的な威厳・神聖性というものの実体は,あくまで「明治謹製」になる中身が詰められていた。つまり,近代になってから意識的に制作されてきたその結果が,現在のわれわれが体面させられている伊勢神宮の姿容であった。
さきほど登場させた黒田清子が2017年9月14日,外宮(げくう),内宮(ないくう)をそれぞれ参拝し,神様に就任の奉告をおこなったというけれども,天皇家の人間たちは自分たちが本気で神武天皇の子孫だと思いこんでいる。とはいえ,その実際の証拠はなにもない。
ただ,自家:天皇一家用のタテマエとしてならば,そのように信心することによってのみ,いってみれば,例の「『いわしの頭もなんとかから』に似た素朴な」宗教意識のアレに依拠するものに過ぎなかった。
〔ここでNHKスペシャルの記事に戻る→〕 結局,この有識者会議では男女の区別なく「直系の長子(天皇の最初の子ども)を優先する」という最終報告を出し,翌年(2006年),政府は「女性天皇」「女系天皇」の容認に舵を切った。ところがこの動きに猛反発したのが男系の伝統を重視する人たちだった。
g) 2006年3月に日本会議がおこなった「皇室の伝統を守る1万人大会」 この大会の映像が登場するが,日本会議の関係者の映像がNHKスペシャルのような正統派ドキュメンタリー枠で登場するのはかなり珍しい。NHKのスタッフは今回,番組制作に当たってこうした団体も正面から取材して放送している。
当時の平岩赳夫衆議院議員(日本会議国会議員懇談会会長=当時)は,演説で以下のように語っている。
「連帯と125代万世一系で,男系を守ってこられたご家系というのは日本のご皇室をおいてほかにはありません。守らなければならない伝統や文化は断固守っていかねばならない」
補注)既述のように皇室の「生命力の弱さ」は,「第1夫人」以外に「第2夫人」以下の協力を不可欠にしていた。〈皇統の連綿性〉を男子の誕生に期する皇室の方法は,民間においてであれば「息子がいなければ婿ととる」という方法を採れない。それゆえ,つまり「男系天皇の考え方」は,男子の誕生が実現しないとただちに,その困難に遭遇させられる。
そもそも「男系ウンヌン」というセリフはある意味,かぎりなく非常にコッケイであったし,つまりナンセンス。この人間の世界に男と女がいるかぎりというか,このことを逆にもいってみると,人間そのものがいるかぎり「女と男」はいるのだから,その範囲内でまともに考えられる者は,男系とか女系とかにこだわってなにかを語る発想じたいが,絶妙に焦点ボケのままの発言である点に気づいていいのである。
実際,欧州の王室では王:夫婦から生まれた第1子を,男女の性を問わずその継承者と決めている国もある。男は女を介して生まれるし,女も男の関与を通じて生まれる。女いての男であり,逆も同じ理屈となる。そうではないと屁理屈をこくほうが,よほど偏屈者の唐変木。
天皇家の血筋にかかわる問題だからといっても,以上の「批判的な指摘」は大いに妥当している。そもそもY遺伝子に異様にこだわる人間観そのものからして「常軌を逸した人間観」だと理解したほうが賢明である。
〔記事に戻る→〕 さらに,國學院大學名誉教授の大原康男さんもインタビューで「女系はいまだかつてない,まったく別の王朝が生まれること」などと説明するが,けっきょく2006年秋に秋篠宮夫妻に長男の悠仁が誕生すると議論は棚上げとなり,みおくられた。
補注)「別の王朝」ウンヌンの話題は,大いに「笑える」。古代史における天皇問題を少しでもしっている者であれば,このような単純国粋・右翼ゴリゴリの識者がオダを挙げるごときに放った発言は,笑止千万であるどころか,
いまどき「王朝」がどうだこうだなどとは,そもそも『日本昔話』という子ども向けのテレビ漫画を視聴しながらでも,自分の孫に向かってだけ,夢物語風に語っていればよい話題であった。その実に〈実のないリクツ〉をこねくりまわしただけの下手な便法的話術は,たいがいにしておいたほうがよろしい。
h) 有識者会議の委員の1人だった元官房副長官の古川貞二郎は,以下のような言葉を述べていた。
「私はね,不本意ながら,本当に日本の象徴天皇制は自然消滅するのね,そういう言葉は使いたくないけれど,そういう可能性が高いんじゃないかというふうに心配しますですね。これは。というのはお1人。いずれ悠仁親王殿下おひとりになられる」
「本当に国民が理解し支持するという案で,この象徴天皇制を継承する議論をし,取り組みをしないと,私は後生に非常に悔いを残すことになりはしないだろうか,というふうに思いますね」
確かに,これまで125代の天皇のうち(ここでは平成天皇までのこと),側室から生まれていない天皇が3人しかないのであれば,側室という制度がなくなった以上,「女性天皇」を認めて「女系天皇」を認めないかぎりは,古川氏のいうとおりで「自然消滅」してしまう可能性が高い。
補注)ヨーロッパの王室事情はさておいても,なぜ日本がここまで男系の天皇に執心するのか,まことに不可解である。世界に冠たる万邦無比のこのニッポンだからこそ,そうしたY染色体に依拠する皇統の連綿性を堅持する必要性があるといったところで,民主主義の基本精神ならびに遺伝学的な基礎知識をまともに理解したいと思っている者にいわせれば,とうてい諒解不能な主張であった。
「男系」を維持すべきと訴えてきた(日本会議系の)人たちは「ある案」に期待を寄せていると,NHKの番組は紹介していた。それは旧宮家の子孫を皇族に復帰させることで,男系が続く家の男子が女性皇族と結婚するか,皇族の養子になってもらう,という案だというのであった。
いずれにせよ,本人にその意思がなければ実現できないため,NHKの番組取材班は旧宮家の人たちに「質問状」を送って,皇族に復帰する気持があるかどうかを尋ねたところ,全員が「この件はコメントをさし控えたい」という反応だった。
補注)JOC会長であった竹田恒和のように,明治時代に創設された皇族の末裔として(敗戦後に生まれた彼自身が皇族であった時期そのものはなかったが)の立場を最大限に活かす人生を過ごした人物であればともかく,ふつうの元「華族の歴史は遠くになりにけり」であって,前段の記述内容は,いまさら「今世紀にも残る遺物:日本の天皇・天皇制」のなかに戻りたいと,それも明確に意思表示する元皇族たちの子孫がいなかったという報告であった。
i) 番組では「仮に復帰する意思があったとしても皇室典範の改正は必要」とナレーションで説明。「女系」に反対する急先鋒だった平沼赳夫元衆議院議員にもインタビューしている。
〔このように〕右派の大物議員で現政権にも少なからぬ影響力を与える人物でさえ「じっと待つ」「信じる」という他にこれという妙案がないという。そうであればこそ,100年先,200年先でも継続するような仕組を国民全体でどうやってつくるのか議論することが必要なテーマであるはずだ。
補注)以上においては,天皇によって “象徴されているという国民全体” の立場があると想定されているけれども,天皇・天皇制というものは,本当にどうしても「欠くべからざる人・存在・制度」でありうるのか。
こうした問題意識を突きつめて考えぬくための論理的な操作が,「日本における民主主義の状態・水準」を再考し,判断するさい,不可欠の条件になるはずである。
その「天皇によって “象徴されているという国民全体” の立場」なるものは,まともな民主主義国家運営体制のなかでは,とても成立させうるものではない。この点は,日本国憲法じたいが「コロンブスの卵」的に,大本から抱えていた難問であった。
戦前体制の政治環境のなかでは,そうした発想はできたかもしれないが,敗戦後体制における日本の政治のなかで,「天皇の立場が国民全体を象徴できている」などと完全にいい切れる人がいたら,これは狂人のたわごととしか受けとられない。
戦前・戦中であればもちろん,そういった世界観・価値観が虚構であった事実を充分に承知のうえで,そこまで宣告できる者がいたと思われるが,21世紀のいまとなって,その発言はありえない。
以上のごとき議論のなかに含まれている諸点が,いい加減にあつかわれてはいけない。ところが,そこに伏在する基本的な問題点に注目したり,これに決着をつけようとする努力は,回避されてきた。それゆえか,女性・女系天皇の話題が浮かんではまた沈むという経過をたどってきた。
そんな・こんな議論をしているあいだは,ジェンダーギャップ指数が大幅に浮上するはずない。
j) 今回,このNHK番組の最後には,戦後すぐに皇室典範に「女性天皇」「女系天皇」の余地を検討すべきだと提言していた三笠宮崇仁親王の晩年の声が登場する。2004年にNHKのラジオ番組に出演した時の肉声だ。
「女帝じたいも大変だし,けれどもこんどは一般の人が配偶者になるということはこれは大変で,戦後,華族制度がなくなりまして,華族制度をなくすということは,いわば,天皇制の外堀を埋められたようなこと……。いまになって考えますとね,だから女帝になっても,配偶者になる方がいないんじゃないかと思うんですね」
補注)「天皇制の外堀を埋められたようなこと」? この三笠宮は敗戦後において,天皇・天皇制に関して自分が昭和天皇の末弟である立場からだったが,積極的に発言してきたが,一部の保守・右翼の論客から批判を受けてからは沈黙せざるをえなくなった。
以上において言及されている三笠宮の発言は,それから40数年も以前におけるものであった。こちらの記録も踏まえて聴いておく余地もありそうな彼の弁であった。
〔記事に戻る→〕 「いまの日本人では……。いまはマスコミが騒ぎすぎますねえ。あれだと本当に将来もそういう立場になるという人もおじけづくだろうし……。理屈では当然,女帝であってもしかるべきだけれども,現実問題としては,はたしてそれがどうなるのか。女帝おひとりで終わっちゃうのも困りますしね,これはともかく大きな問題だと思いますね」
補注)ところで,こういう話をするのも一興である
まず「明仁と美智子の組みあわせ」でもって,いわゆる皇族系統の血筋は2分の1になった。
次代の「徳仁と雅子の組みあわせ」と「秋篠宮と紀子の組みあわせ」とで,その血筋は4分の1になった。
これがさらに,もしも悠仁がまた民間人と結婚することになったら,8分の1になる。
「皇統の連綿性」という表現に充填させられていた「日本の,もしかすると高貴な純血性」は,そうした分割の進展によって,相当に薄められてきた(そうなっていく?)と理解できなくもない。
その比率が「8分の1」になったら,天皇家の血筋はなにかに関して決定的に希薄になったとでもいえるのか?
アメリカにおける黒人差別の歴史のなかで通用させられてきたのは,黒人の世代が白人と3代つづけて結婚し,子どもを儲けていても,この子どもをまだ黒人だ,8分の1になってもそうだとみなしてきた。そういった「ある種の特殊な差別観」が流通していた。
これを参考にして逆用するとしたら,前段のごとき皇統の血統性の薄まりを,こちら側に都合よくだけ解釈できないことはない。日本の場合,明仁の段階で民間人の血筋が2分の1,徳仁の段階でのそれが4分の1に,すでになっている。ここまで話を進めてくると,どうも内容がヘンテコになってくる。
どっちにせよ,アメリカにおける白人と黒人の血統的な比率関係にもとづく判断は,黒人側からの「何分の1」としてだけでなく,白人側からの「何分の1」という計算でも,双方同じに妥当する観方として使える。
それゆえ,「こちらがこちら」であるから「あちらはあちら」であるとかいいつのって,一方的にしかも排除的に決めつけて優位な側に立ちたがる論法「同士」は,どうせ初めから噛みあわない〈倒錯した論理〉にならざるをえなかった。
しかし,ここではそれにしても,ずいぶん奇怪な議論になってしまった。ともかく三笠宮は皇室のゆくすえを案じながら,3年前に2016年10月27日であったが,長寿 100歳でこの世を去っていた。
なお,NHKスペシャル番組は,三笠宮が発言していた画面では,前天皇となった明仁一家の家族写真を,映像として挿入していた。それは,現天皇・徳仁の長女・愛子のほかに,秋篠宮夫妻(現皇嗣・皇嗣妃夫妻)の長女眞子や次女の佳子も写っている写真であった。
〔記事に戻る→〕 眞子とかつて婚約を発表した小室 圭さんをめぐる報道を思い出してみても,確かに将来,女帝が誕生するにしても,その配偶者になる人が現われるものだろうかと想像してみる。あらためて三笠宮の慧眼には恐れ入るほかない。
三笠宮が考えていた「持続可能性がある象徴天皇制」ということを考えると,現状については “あまりに課題が多い” ということをこの番組で突きつけられた気がする。
k) 「お祝いムード」一色に染まったテレビ番組が圧倒的に多いなかで,このNHKスペシャルは長い目で観た「象徴天皇」のあり方を国民に訴える非常にすぐれたドキュメンタリー番組だったと思う。番組の最後のナレーションはこう終わっている。筆者〔この筆者は被引用者水島宏明のこと〕自身の経験でも番組の最後のナレーションは,制作者がそれこそ全身全霊をかけて書き上げるものだ。
「長い歴史のなかで,伝統を受けつぐそれぞれの時代の日本人の姿を反映した天皇をめぐる課題に,主権者である私たちはどう向きあっていくのか。新たな天皇になにを期待し,どのような時代をともに作っていくのか。その問いとともに,令和がまもなく始まります」
生前退位の儀式のあとにNHKが放送したドキュメンタリーが突きつける課題は,とても重い。お祝いムードに浮かれてばかりいるのではいけない。象徴天皇制をどうつくっていくかは,私たち1人ひとりの国民の意識なのだと訴えている言葉だ。日本人が「象徴天皇」について考えるこの数日,どうあるのが望ましいのかじっくり考えるべきだろう。(ここでようやく引用終わり)
以上による問題提起の仕方は「どうあるのが望ましいのかじっくり考えるべきだ」といいきっていた。だが,それ以外の問題意識のもち方:構え方もあっていいはずである。たとえば,現状のごとき皇室や皇族の「存在そのものが望ましいのかじっくり考えるべきだ」といえなくもない。この指摘を基本的な考慮事項に入れるか入れないかとでは,天地ほどの差が議論に生まれるはずである。
現在にまで至っている「天皇・天皇制」の問題は,右翼と左翼(保守か革新)だといった “思想・立場の色分け” によって考えるのではなく,日本における民主主義に対して「その歴史が残してきた足跡」を的確に踏まえたうえで,現在において必要な本質的な議論に入り,さらには政策的な思考をめぐらす必要がある。
もっとも,女性天皇・女系天皇を置けばひとまず,以上のごとき議論が指示した困難の大部分は消滅する。この点は,ヨーロッパの王室事情を対置させて考えてみるまでもなく,自明に過ぎる「論理の到着駅」であった。
それでも,男系にこだわる国粋・右翼・保守・反動の政治思想は,男女差別を公然と是認する社会思想でもあるゆえ,すなわち,どたい時代遅れで倒錯した観念を保持しているゆえからには,現状の段階における関連の議論は「バベルの塔」化したまま,これからも漂流していかざるをえない。
なんといっても,この21世紀になってもまだ,皇室のなかに「女性差別に関する橋頭堡」を維持しておきたい頑迷固陋の人間たちが大勢いる。しかも現政権は,そうした化石化した脳細胞の持主が中枢を占めている。
※-3「〈1条 憲法を考える:3〉家父長制の影,縛られる女性」『朝日新聞』2019年5月3日朝刊3面「総合」
この記事は前半の段落から5分の2ほどを引用する。
いまどき少子高齢化した日本社会のなかで,この記事に指摘されているごときこの国の「女性観」がいかに時代遅れであって,それだからこそ,人口減少の大波に押し流されているごとき現状に対して,歯止めさえかけられないでいる〔当時の〕「安倍晋三政権の無力的な体たらくさ加減」も対照的に鮮明となっていた。
「戦後レジームからの脱却」を唱えた安倍晋三であった。だが,そこに描かれている「戦前像」(美しい国?)が本当に恋しいのだとしたら,この首相は「自国の歴史」をしらない,極端にトンデモなかった日本の最高指導者であった。
しかも,天皇代替わりにさいは,必要もないのに前面に踊り出ては,この皇室行事までも「私物化」した安倍晋三の醜態は,非常にみぐるしかった。
さて,この※-4に紹介する記事からは,つぎの段落を引用する。
--天皇は戦前,「国民の父」と位置づけられた。日本国憲法の制定をめぐる73〔78〕年前の議会では,この関係を1条に残そうという議論もあった。天皇家が注目されるのは,日本の家族の象徴という背景もある。
天皇が国民(臣民)の父と明確に位置づけられたのは明治期だ。1898年,明治政府は主に男性を戸主(家長)として他の家族を支配する「家制度」を民法に導入。その頂点が天皇家で,天皇を臣民の父とし,日本全体を「家族国家」とする物語が創られた。
横浜国立大学の加藤千香子教授(日本近現代史)によると,20世紀初頭,西欧の個人主義に対抗して,家父長制による家を中心とする家族は「日本の強み」とされたという。
1920年代から都市化の波が押し寄せ,家制度が崩れはじめる。そこで旧内務省は新しい女性像として,家を守って子育てをすることで社会的な役割を果たす「良妻賢母」を推奨。
欧米で増えていた高等教育を受けた独身女性は良妻賢母のアンチモデルとされ,日本の女性像は「母」に特化されていく。「母」は「家族」を通して,戦時下の国家総動員体制を支えた。
補注)しかし,この戦争中の国家総動員法は「女性を家庭から解放する」背景を,むしろ意図せずに提供してきた。男性が戦争の現場に大勢動員された職場などには,女性たちが代替要員として駆り出されたのである。
以前であれば考えられなかった,男性の仕事・職場だとみなされていた現場に女性たちが進出していった。その意味で戦争は「良妻賢母」という女性向けの理想像を,二律背反であった国家的要請のもとで,いわば板挟み状態にさせた。
敗戦を経て新憲法の制定を議論した議会では,象徴天皇制と国民主権を共存させた1条について双方の関係をめぐる論争が起きた。1946年9月の貴族院では「天皇と国民との関係は個人的な象徴関係のみにとどまらず家長と家族との間の象徴的関係にも相当する」との考えが示された。
これに対し,憲法担当の金森徳次郎・国務相は「そういう貴重なる天皇の御特質は,憲法以外の国民の広い精神生活のなかに残して」と応じた。1条で天皇と国民との家族関係を明確にするよう求める意見まで飛び出した。
新憲法では男女平等がうたわれ,家制度は廃止されたが,加藤教授は「家制度がなくなっても天皇制は残り,国民のなかに内面化され,いまも女性を縛りつづけている」という一面を指摘する。とりわけ「良妻賢母」の考えは戦後,専業主婦世帯がモデルとされるなかで生き残り,現在も女性へのプレッシャーとなっている。(引用終わり)
いまの時代は,「良妻賢母」をやりたくても,また専業主婦になりたくても,とてもではないが「産業社会・企業社会」の側がそうはさせてくれない。そのように高邁であり,また優雅が実際の生活を享受できている女性は,もはや完全に少数派になっている。
ところが,この国の極度に頑迷なる「エセ国粋・保守・右翼の者たち」は,もとよりできもしないし,そのための現実的な条件も与えられていない日本の女性たちに向けて,ヤマト国家理想風の『家族の絆』となる主婦の役目を指示し,この枠の中に押しこめようとしてきた。
実際問題として,2016年2月15日のことであったが,匿名ダイアリーに投稿された「保育園落ちた日本死ね!!! 」という子持ち女性の投じた発言は,『家族の絆』を結ばせ守る役割を女性の側に対してだけ私的次元で要求する,しかも旧態依然の時代感覚が,いかほど「21世紀的にも浮世離れ」しているかに,まったく無知な「それらの者たち」の本質を暴露していた。
※-4「『象徴』,依存する日本人 法哲学者・井上達夫さんに聞く」『朝日新聞』2019年5月3日19面「文化・文芸」から
改元後初めての憲法記念日を迎えた。日本国憲法が明記した天皇の地位「象徴」の具体像は,平成を通じて大きく変わった。
独自のリベラリズム論を展開してきた法哲学者の井上達夫・東大教授は,天皇に依存しつづける日本のいまのあり方にリベラルな理念の欠如が読みとれるという。どういうことなのか。(なお,以下では◆は記者,◇が井上である)
さて,白井新平『奴隷制としての天皇制』三一書房,1977年という本があった。この本は,つぎのようなことを述べていた。
まず,敗戦後における日本の政治体制について,これは「三度目」に外国軍に占領された「マッカーサーの象徴天皇制だ」といいきり(163頁),
「天皇制の問題に関していえば」「民主主義と天皇制とは絶対に両立しない」のは,「天皇制とは支配政治機能のもっとも原始的なるものそして典型的なる制度であるから」だ(262頁)とも断定していた。
白井新平は併せて,こうもいっていた。「奈良の大仏と同じに,千五百年の歴史的な化石である(160頁)」のが,天皇制だと指摘していた。
となれば,女性天皇・女系天皇を絶対に認めないエセ国粋・保守・右翼の者たちは,安倍晋三の呪文であった「戦後レジームからの脱却」などからもはるかに越えて,一気に「古代史の世界」にまで飛翔しているどころか,その勢いついでに墜落までし,泥沼にすっかりはまりこんでいた。
これすなわち,漫画物語の一場面にもなりえなかったとしたら,ただ,「風刺絵の対象」でありえただけの単なるイデオロギーの粗相でしかなかったのである。
以上のごとき議論をしていくうちに,女性たちが子どもを産まない,産めなくなったこの日本社会である。皇室のお世継ぎ問題もそれなりに深刻なのかもしれないが,民草(天皇のための赤子)が絶えたら,もともといったいなんのための天皇とその一族が存在するのか?
天皇裕仁があの戦争を止めにした理由のひとつに,民草が消滅したら自分が依って立つための足場が崩壊すると心配したからであった。つまり,自分の存続・延命が第1の関心事であって,そのつぎに民草がそのさい居なければ「絶対に困る」ので,こちらもそれなり大事にしておかねばという順序:配慮で,この「美しい国」のさきゆきを考えていたのである。
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