「在日」なる概念が虚霊のように彷徨する日本社会の摩訶不思議,矢沢永吉にも若干触れる記述
※-1 吉見義明『敗者としての東京-巨大都市の隠れた地層を読む-』2023年が訴えた論点
a) 2023年2月に吉見義明『敗者としての東京-巨大都市の隠れた地層を読む-』筑摩書房が出版されていた。本書は「江戸=東京は1590年の家康,1869年の薩長軍,1945年の米軍にそれぞれ占領された。『敗者』としての視点から,巨大都市・東京を捉え直した渾身作!」だと謳われるかたちで,宣伝と広告が出されていた。
この本の「内容説明」を,途中から引用するが,こう書いてあった。
という本だという説明であったが,本文の最後頁(326頁)ではこう述べてもいた。
「私の意図はまるで逆で,〈敗者から眺める〉ことこそが,東京の〈未来〉につながるのだと考えています。ですから,本書のタイトルである『敗者としての東京』は,東京の未来を可能にする視点の在処です」。
そのさい,吉見義明は「鶴見俊輔や山口昌男,加藤典洋と同じように,そして長谷正人が論じた山田太一に共感しつつ,私は本書を通じ,〈敗者〉から眺めること」にしていたとも,自著を説明するのであった。
b) 本ブログは,「在日韓国人に出自をもつ矢沢永吉『論』を書くと,なにか問題でもあるのか,『そこんとこ,ヨロシク』」という題目を立てて,在日2世出身の永吉「論」を記述してみた。
⇒ https://editor.note.com/notes/nf8196feae0ab/edit/
ネット界隈では,このたいそう有名人であるロックンローラーの矢沢については,どうやら在日出身である事実を認めたくない気持ちをしっかりこめたかのような「永吉論」が目立っている。
法務省の公報に記載されている矢沢永吉の日本国取得の事実(通常,帰化と呼んでいるそれ)を,じかに探して確認してみもしないで,そのような事実はないと断定する(「したがる」ということではなく)傾向があった。
補注)前段の法務省「公報」から提供された情報をガセネタだと否定し,なおかつ矢沢が高校生時代に取得したたバイクの免許が日本名(姓名)であるから,永吉は生まれからして日本〔国籍〕人だと反論する意見があるが,これは関連する「在日事情」にまったく無知な人のいいぶんであった。
だが,それは,以下のごとき事実をしらない者の発言であった。
c) キャロルから始まった日本の有名ロックンローラー矢沢永吉が,韓国人である出自であったら,なにかまずいことがあるわけでもない。そうした「出自・身元」の「隠匿あるいは隠蔽」は,20年ほど以前に日本と韓国の共催大会として『2002 FIFAワールドカップ』が実施されたさい,日本の天皇明仁が以下のように「打ち明けた〈歴史の事実〉」は,あまり受けなかったというかひそかな反撥を招いた嫌いすらあった。
2001年12月18日のことであった。天皇誕生日前に恒例となっている記者会見において,当時天皇であった明仁は,その翌年に予定されていたサッカーワールドカップ日韓共催に関する「おことば」として,つぎのように述べていた。
ここではまず,韓国側のメディア・マスコミにその事実を語らせよう。
平成天皇のこの発言は,「韓国の主な新聞は24日この発言を1面でとりとあげ」ていたものの,日本ではなぜか,きわめて冷ややかな反応であって,日本の国民・市民・庶民たちのあいだには,それほど広く伝わることがなかった。
つまり,天皇明仁がそのさい,「サッカーワールドカップの共同開催を契機に」「期待すると述べ」た「両国民の理解と信頼感が深まること」は,日本側ではこの天皇が期待した水準よりは,正直いってほとんど無視されたに等しい経過になっていた。
d) つぎに,平成天皇が以上にように述べた点は,『ニューズウィーク日本語版』2003年月日号がとりあげていた。
さてここで,吉見義明『敗者としての東京-巨大都市の隠れた地層を読む-』の話に戻る。前段で触れた同書の基本的な問題意識,その「視点の在処は,かつて江戸一円に技術をもたらした朝鮮半島からの渡来人の視点かもしれませんし,……」と,吉見が付言していた点に注目していい。
文献名の紹介しかできないが,たとえば李 鐘恒,兼川 晋『新装 韓半島からきた倭国』新泉社,2010年のごとき書物があり,この系統というか類似の主旨・中身になる文献は,いままで相当の数が公刊されている。
在日韓国人系の識者が編者となった,それも60年も前に発行されていた,金 正柱編『韓来文化の後栄 上・中・下』韓国資料研究所,上・中 1962年,下 1963年もある。
以上,わずか2著の作品を挙げただけでも理解してもらえるが,明仁天皇が触れた「皇室と韓国とのゆかり」にかぎらない『日本と韓国(朝鮮)との永く深い歴史のつながり』は,両国の地理的(地政学的)な位置関係から観てもあまりに当たりまえ過ぎて,
なにゆえ,その程度の発言がわざわざ天皇家の人物自身の口から指摘されたのか,そして,日本の人びとがその天皇明仁を発言をどちらかというと「無視したいかのような態度」でしか受けとめられなかったのかという事実は,きわめて不自然かつ奇妙に感じられる。
日本古代史の日本人研究者は,前段で挙げた「韓国と日本との古代交流史」を克明・詳細に追究している。その分野の専門家であれば「桓武天皇と韓国との親戚関係」は,周知のかつ初歩的な事実であった。
天皇明仁がその「歴史の事実」,いうなれば,皇室・天皇家が韓国(朝鮮)の歴史に直接してきた話題を,皇族でもほかならぬ直系の天皇みずからが語ったところが,それこそある意味では《ミソ》であった。
しかし,この天皇発言をあえて黙殺したかがごとき日本側の「ほぼ全般的な無応答ぶり」は,これが不自然な作為ではなく本心から示した正直な反応だったとなれば,いったいにこの反応のもつ含意は,大日本帝国時代における「日本魂」と寸分も違いがなかったことになる。
※-2 隣国人への「差別と偏見」を除去しきれていない日本社会の「在日・観」
以上,※-1の記述は2023年7月23日になされていた。それに対して,以下につづく記述は,2018年4月16日に一度公表されていたものである。ただし,ここに再度もちだすに当たっては,※-1を前段までに書き下ろしている。
ここから論じていく中身は,「在日」なる概念が虚霊のように,しかも潜伏的に彷徨する日本社会のなかで「優越感的な劣等感」を通奏低音として鳴り響かせるネトウヨ的魔性は,その背景に隠されているヤマト民族の古代史的な負い目感情をどのように表現したらよいのか,いままで深く懊悩してきた
だがいまでは,すでに何十人かに1人は欧米人系などの外国人とも混血してきた日本人たちが,いまでは「この国家・社会のなか」に,実は昔からたくさん居た同じ東洋人系である「韓国・朝鮮人の出自」が,なにゆえそれほどまで気になるのか。
1)「矢沢永吉の在日韓国人について」(『在日芸能人と在日韓国人が流出! 在日芸能人は誰だ』という記述であったが,現在の日付では検索しても不在の頁であるが,住所(アドレス)は記しておきたい。
⇒ http://zainichi.toshidensetu.net/entry24.html)
この記述(文章も題目も奇妙な表記⇒「矢沢永吉の在日韓国人について」である)を読んでみたが,その印象はなんといっても突っこみが足りない,という点につきた。
矢沢永吉が出身地の広島県からヨコハマあたり出てきたのち,ロック・ミュージシャンとして大活躍していく人物:芸能人になっていった。彼が「在日2世の韓国人」であった事実,その後「帰化をして」「日本国籍人」になった事実じたいなどは,どうもすなおに認めたくないかのような口調が感じとれた。
事実を事実として認めて書くのではなく,そうした気分(矢沢永吉が “純ジャパ” でなかった点が「なにか,嫌だな」という気持)をにじませた文章になっている。
もっとも,ネット上において個人が書く内容であるから,どのような調子で書こうが書くまいが,当人の自由である。だが,不特定多数の読者がいるネットへの書きこみである。誰がどのように読むか分からないという現実もある。
だがまた,読む(偶然でも読んだ他者の立場)側に対して,いったいどのような印象を与えるかも,これまた同じに「勝手に属することがら」である。書き手側では,そのあたりもしっかりと覚悟しておく余地がある。
つぎに挙げておく画像資料は,『日本経済新聞』2019年5月1日朝刊に出されていた矢沢永吉公演の広告紙面である。
以下にこの全面広告に一定の因果がありそうな文章を,つぎに紹介しておきたい。この途中では,関連させておきたい必要な議論もくわえていく。
--日本のロック界のなかでの重鎮ともいえる存在になっているのが矢沢永吉さんではないかと思います。その矢沢永吉さんの独特ないいまわしだったり,熱い歌のフアンだっていう人も多いのではないかと思います。
本当かどうか分かりませんが,矢沢永吉さんのフアンつていうのはちょっとヤンチヤな人たちが多いっていう噂もありますが,たしかにそういった人たちを引きつける魅力っていうのが矢沢永吉さんにはあるのかもしれません。
補注)矢沢永吉がいまよりだいぶ年齢が若かったころの公演では,観客席のなかでいつの間にか「ケンカがおっぱじまっていた」こともあった。その場面を録画したユーチューブを観ると,舞台に立っている矢沢からは,それらのケンカをする観客に向かい苦言を述べている様子も映っていた。
--そんな矢沢永吉さんですが,ネットで調べてみるといろんなことがあるようで,在日ではないかなんていうような噂もあるようです。有名人となれば誰かれかまわず存在する在日の噂ではありますが,矢沢永吉さんも在日だっていう話があるようです。
註記)として画像資料を挿入する。
補注)「矢沢永吉さんも在日だっ」たという指摘は,広義の理解でいえば「彼はいまも韓国から移住してきた〈在日の子孫〉である事実」になんら変わりはないものの,ただしいまでは,すっかり日本社会のなかでの「日本国籍に変更していた人」に変貌しているのだから「日本人とほとんど・なにも変わりないよ」とでも表現したいらしい,なんらかの含意が読みとれる。
しかも,在日の2世としてもともとは「氏も(?)育ちも(!)」日本人そのものであるといっても,なにら不自然な表現にはなりえないほど,もともと「自然に日本産の人間」であったのが矢沢永吉……。
2) 問題は,日本社会のなかには「有名人となれば誰かれ構わず〈存日認定〉にしそうになる『在日の噂』」が,なぜなのかいつも飛びかっていることである。
この俳優・タレントは実は在日ではなかったのかとか,あの歌手も本当は在日であったのかといったふうに,いったいなんために詮索されているのかすら不詳でありながらも,その種の「在日暴露のための詮索とその認定」の作業が,飽きることもなく一生懸命になされつづけている。
「もともと出自において在日である矢沢永吉」自身に関して思うに,この「在日」である事実に関して,なにかまずいことでもあるのか(「あったのか」)という疑問が,そもそも出てくる。こだわったらどうなる,逆に,こだわらなかったらどうなる?。
というのは,永吉のロックンローラーとしての実力や才能に関して「そのあたりの事実の発掘(暴露?)」に,いったいどれほどの実際的な意味がありうるのかという疑問が湧いてきて,しごく当然であったからである。
この種の疑問は,日本人・民族内であれば「部落出身者」であることになにか問題があるのか,アイヌ民族(ウタリ)出身者であることにおいてとくに欠落があるのか,さらには沖縄県・琉球人であることに日本人としてなにか支障があるのかなどといったごとき「差別と偏見」の社会意識に突きつけるべき,いいかえれば,それらに返すべき当然のリクツに即した反論・批判となる。
最近もネット上ではなお,「在日」という『ことば:表現』そのものが,どういうわけか “他者を悪しきざまに形容する含意をもたせた常套句” として,それも相当に幅広い意味で使いまわされている。
以前であれば,ふつうの日本人が「朝鮮人」を表現するとき,不自然にも「朝鮮の人」といわねばならなかったが,こういったもののいいかたがなぜ登場したかは説明の必要もあるまい。
しかし,こんどは朝鮮・朝鮮人ということばの代わりに「在日」という用語を,しかもより包括的な意味あいをもたせながら,なんらの差別・偏見意識をこじつけたかっこうでもって,社会における差別と偏見にもとづく憎悪・排外までも醸成させるための観念として,そのときだけは都合よく使われている。
3) 在日といったところで,韓国籍(「朝鮮」籍〔これは北朝鮮のことではない〕はわずかな数に減っているが)の在日だけでなく,これ以外の外国人も間違いなく包括して指せる「ことば」であるはずのものが,実際にはそうではなくて,ただ「韓国・朝鮮系」の人びとだけを,それも主に,大昔(戦前・戦中)から日本に住みつづけてきた人びと〔など〕を意味させるための用語として,新たに制作・調合され,使用(悪用?)されてきた。
いつも指摘する点,在日米軍基地という軍事施設があるが,この在日の意味と在日韓国(朝鮮)人を指す場合の「在日」の意味とは大違いである。本来であれば,その意味が広義にまで広がっているべきことばが奇妙にも,特定の狭義のなかに押しこまれている。
さらには,そのなかに含まれていた「本来の広義」から,その「狭義」の部分を差っ引いていた「残った部分の意味」は,意図してなのか関心外に放逐している。
在日が,いったいどのくらい日本社会のなかで顕在的にあるいは潜在的にも,芸能界やスポーツ界のみならず産業界全般にまで,それも日常生活面までもわたり大勢が活躍しているかをしらない者にかぎって,在日ウンヌンが大好きな「無知のヤカラ」というか「無教養な人たち」を自称している「おのれの立ち位置」が正視できていない。
いまどき,純ジャパ至上主義の恣意的な次元に留まっていられる人びとの「悲しい性(さが)」が露呈している。たまたま,同じアジア人で黄色の肌をもつ人間同士であるせいで,顔つき(容貌全体)では,なかなか識別のつきにくい在日「韓国・朝鮮人」の2世・3世・4世が大多数である。
日本相撲協会の番付表をみると,幕内には「モンゴル勢を中心とする力士」が多すぎて,この協会のなかには迷惑顔をしている幹部たちもいないわけではない。けれども,実力主義で(多分)いかざるをえない相撲の競技をおもしろくしていくためには,純ジャパ力士も外国人力士もない。ところが,そのモンゴル勢が大活躍する21世紀に入る前には,在日出身の力士も大勢いた。しらなかっただけの話であった。
日本において職業プロレス業界の創始者になった力道山は,関脇の地位まで上ってから辞めてしまった。けれども,日本相撲協会理事長まで務めた横綱・三重ノ海は,たとえばこう説明されている。
日本相撲協会の説明になると,在日韓国人であったこの第57代横綱が日本の国籍をえていた事実は,「三重県出身」(在日2世であればたしかにそのとおり)と公称されてきた事情があるためか,いっさい触れられてこなかった。
なお,在日出身の横綱はもう1人いた。その人は,愛知県出身の第51代横綱玉の海。
三重ノ海剛司は,三重県松阪市出身の元大相撲力士,第57代横綱。本名は石山五郎(ただし日本の通名である)で,現役引退後は年寄として後進の指導に尽くし,日本相撲協会の理事長職も務めた。また,相撲博物館の館長職にも就いている。
通常,在日韓国(朝鮮)人はほぼ全員が通名としての日本の「苗字と名前」をもっていた。しかも2世・3世・4世以降になると,日本生まれ・育ちである事情からして,日本人とみわけのつかない人たちがほとんどだともいっていい特徴:事情も生まれていた。
のちほど話題になるかもしれないが,その「ところ」あたりが非常に気にする日本人たちがいるらしく,『彼は在日だ・彼女こそ在日だ』といったふうな,実にくだらない,それも特定の意味がみいだしにくい《暴露ごっこ》が盛んである。
敗戦時(1945年8月)においては,2百万人近くもの朝鮮人が日本国内(本土)には居住していた。当時の日本人人口が7千万数百人の時期であって,しかもこの十分の1に相当する日本人が海外に移住していて,そのうち軍人としては,アジア諸国や太平洋の諸島(支配・占領地域)に動員・派遣されていた。当時,国内の大阪市においては人口比率で1割を超える朝鮮人が暮らしていたほどである。
とくに,戦争というものは地球の上で人口の移動をはげしく起こさせるひとつの重要な要因である。このことは,歴史学に教えられるまでもなく見逃せない事実である。
4) 16世紀後半における秀吉の朝鮮侵略では,多くの朝鮮人が捕虜として日本に連れてこられた。古代朝鮮の子孫である出自をいまも明確に保持して生きている子孫たちもいる。埼玉県には高麗(こま)神社があって,つぎのように解説されてもいる。
日本の古代史と韓国・朝鮮史は深い関係をもちつづけてきた。しかし,幕末から明治時代に入って明確に出現してきた日本側の国粋主義・帝国主義の国家意識が,それまでの両国間における「歴史の事実」を隠蔽したり,捏造したりして,大きく改変させる方向性を強く打ち出させた。
日本のほうが大昔から韓国・朝鮮よりもとてもりっぱな国家体制にあったのだから,植民地にしていても当然だという思想・イデオロギーがまかり通っていた。それが庶民(帝国臣民)の気持のなかでもごく通常で自然な〈国家意識〉として芽生えてもきた。
〔ここでようやく この※-2 の本文の引用に戻る→〕 在日かどうかを確認するために矢沢永吉さんのルーツを追っているサイトもあるようですが,どうやら矢沢永吉さんつていうのはかなり複雑な劫少(幼少)時代っていうのを過ごしてきているようです。
補注)どんな人でも事情によっては「複雑な幼少時代」を記録している場合もあるが,矢沢永吉の場合では在日であった事情が,そこに絡んでいたいう推理も可能である。ところが,ここの記述では「複雑な幼少時代」とのみ把握されているかのように聞こえもする。
続きます……。 簡単にいえば親戚のなかをたらいまわしされていたようで,たくさんの親戚がいたようですが,そのことを考えれば,矢沢永吉さんは在日ではないんじゃないかと考えられます。まさかみんなで日本にやってきたっていうのも考えにくいことだとは思いますので・・・。
補注)このあたりは書き手が在日の歴史をほとんどしらない立場を暴露している。「たくさん親戚がいた」のは,「在日の場合」でもありえた事情だっただから(この点は在日史を勉強してみればしだいに判ることがらである),単なる無知を根拠にしたかのように発言するのはまずい。
あとは両親のどちらかが在日だったっていう可能性ですが,お父さんは早くに亡くなってしまったようです。残っだのは母だけだったようですが,そこからたらいまわしっていうのが始まったようです。そうなると矢沢永吉さんが在日かどうかっていうのが確認できないということになりますが,実は矢沢永吉さんがみずから在日かどうかつていうことについては言及しているようです。
結果からいえば,矢沢永吉さんつていうのは在日だったようです。しかし,あくまで矢沢永吉さんが在日だったっていうのは過去の話であったようで,いまでは帰化して日本人となっているので在日という表現っていうのは合っていないっていうことになります。
補注)ここの論理は支離滅裂である。「結果」「過去」「在日」という単語がもつれあいながらも,それぞれが酔っぱらったような意味を,つまりそれこそゲロッたかのようにして相互にもたれかかった姿を呈していた。
ただ,矢沢永吉さんクラスの人間つていうことになれば,在日だろうとなかろうと関係ないんじゃないかと思いますね。いまや多くの影響を与える矢沢永吉さんですが,これからもYAZAWAであってくれればいいんじゃないかと思います。(引用終わり)
補注)ここの段落の意見は,「でもネ,永ちゃんが純ジャパだったら,やっぱし,もっといいんじゃないか」という意味にも解釈できる文脈であった。
5) 矢沢永吉に関するこの種の意見を最後まで聞いていくと,そこには,日本人側からたびたび表出される「対・在日(韓国・朝鮮人)観」が概観できる。こういうことである。
ボク(わたし)は実は,在日がなんとはなくも,もとから好きではないのだが,たまたま隣家に在日の家族が住んでいて,その家の同い年の▲▲君(▽▽チャン)とは,小学校か高校まで同級生であって,彼とはとても仲良く,そしていっしょに大きくもなった。そのせいで,ボク(わたし)は個人的にいえば,在日に対する差別・偏見の感情があるとかないとかいった世界とは無縁でいる人間だとも感じているよ。
だが,以上の話題(話法)にはまだ問題が残る。すなわち一般・原則論としては,在日に対するよからぬ感情を抱いているにもかかわらず,特殊・個別論としては「ボク・わたしの場合は,隣家の▲▲君(▽▽チャン)と仲良く生きてきた経歴」があって,在日に差別・偏見の気持はないよといいたいのであるが,この二元論的な理屈の構成方法にそもそもの難点,一種の「意識に関する落とし穴」があった。
換言すれば「特殊・個別論の話題」が「一般・原則論の認識」から遮断されている。双方の「論」の交流がなされないままであるかぎり,彼・彼女の抱く「在日に対するなんらかの感情」に,その次元以上には化学変化が生じる余地がない。この点は引用している人物の口調を借りると,こうなる。
前段では,こういわれていたはずである。
★-1「過去へ在日性を封印しておきたい観念」 ⇒「矢沢永吉さんつていうのは在日だったようです。しかし,あくまで矢沢永吉さんが在日だったっていうのは過去の話であった」。
★-2「現在・未来に在日の日本人性をとりこんで覆っておきたい観念」 ⇒「いまでは帰化して日本人となっているので在日という表現っていうのは合っていない」。
前段の★-1のような,つまり,みたくない・聞きたくない矢沢永吉の「過去の情報」はお蔵入りさせておき,その代わりに★-2のように,いまはともかく「日本人となっている」のだから「在日と表現」するのは「合っていない」といったふうに,工夫された「措置(料理・解釈)が提案されている。
以上の対応は嫌なモノは遠ざけておき,いいモノだけは受けいれておくといった,都合だけはよい「矢沢永吉」の受容を試みている。三猿主義の「見ざる・聞かざる・言わざる」までは走ってはいないものの,個人的な感情を基準に「YAZAWA」のいいとこどりだけは,ファンとして,しておきたい。その程度のなりゆきというか単なる始末であった。
※-3「矢沢永吉さんの昔の名前はチョウ・ヨンギルって本当ですか?」
なお,この記事は『YAHOO!JAPAN 知恵袋』2012/9/1511:25:01 から。
1)kok********さん 2012/9/15 11:25:01
矢沢永吉さんの昔の名前はチョウ・ヨンギルって本当ですか? カミングアウトしたのですか? 単なる悪意のある噂ですか? 補足官報の copy らしきものをネットで発見しちまった。
本文内の註記)http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/60/4c4b6cd8a7bdb3c1247fbbc1d... (この住所は現在参照不可)
永ちゃんが帰化人だったなんて信じたくない!! 100%日本人であって欲しい!! 大ショックだ!! 同姓同名で生年月日も同じ他人であって欲しい。だれか根拠のある証拠を示して否定してくれ。
2)mit********さん 2012/9/18 15:04:34
世の中に帰化された方なんていくらでもいます。永ちゃんが帰化した方だったら,何かダメなんでしょうか・・・。もし,帰化が事実だとしても,それを『悪意』ととるのはいかがなものかと思います。
お父さんだかおじいさんが在日だったらしいという話は,コアなファンからも聞いたことがありますが,だからどうという話題にはなっていませんでした。矢沢永吉は矢沢永吉であることそのものがブランドでいいと思います。
註記)https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1094083240
永ちゃんはいまではビックもビックである。
以上のうちで 1)の投稿は,帰化人(それも韓国・朝鮮系)の人間が,この「帰化の方法」=日本国籍取得」でもって「日本人である・になっている事実」については,「それはまずいことだ,受けいれられないよ」という感情・気持を,真正直に告白している。
永ちゃんが在日(元韓国・朝鮮人系)の「いまは日本〔国籍〕人」であることが,非常にまずいことだといいたいらしく,そうだとは認めたくない・信じたくない事実だと訴えてもいる。
2)の投稿は「在日だったら」「だからどうという話題にはなっていません」「矢沢永吉は矢沢永吉であることそのものがブランドでいい」といいきっている。しかし,ここでも在日である永ちゃんが「問題なのかどうか」といった以前のところで,だいたいが「思考停止」状態になっていた。
矢沢永吉が在日であるから “どうだ・こうだといいたがる” のであれば,この根拠を明確にきちんと挙げつくしたうえで,その中身を徹底的に議論すればよい。
だが,このあたりの問題は結局,「差別や偏見」の領域にかかわらざるをえない問題にも脚を踏みいれることにもなる。それゆえ,ただ「YAZAWAのロック音楽」を聴き・楽しむ次元の話であったのだから,やはり「そんなこと気にするなよ」という応答になっている。
たかが永吉,されど矢沢?
いずれにせよ,以上の話題の “出てきて,そのとりあげられた話のしかた” じたいからして,なにやら異様に緊張したり,構えたりする発言が多かった。それほどまでに「在日出身者がビックになる」という事態は,同時に「〈なにかの問題〉も引きずり出されてくる」出来事にでもなっていたのか,という理解にもなりうる。
※-4 「矢沢永吉さん ★ episode2 ★ まさしく BIG な人だった。」『元広告代理店マンの,芸能界の素敵な裏話』2015年06月03日 01:40
長い間皆に愛されている,永ちゃんこと矢沢永吉さん。若いころに『成り上がり』を読んでから僕も大好きになりました。実は広告業界やそのスタッフにも,とてもファンが多いんですよ。自分で勝負していく世界だから,彼の生き様に惚れこんでしまうんでしょうね。
けど,仕事を一緒にする場合は別かな。嬉しいって気持は,生まれないものですね。正直にいうと,怖いんです。矢沢さん本人が怖いのではなくて,自分は対等に仕事ができるのだろうかという,己に対しての恐怖感なのでしょう。誰よりもストイックな彼だから,そんなイメージが高まってしまいますよね。
あれは10年以上前の話です。ほとんどのスタッフが初対面のCM撮影。スタジオに矢沢さんが現われると,ばっきばきの緊張感が走りました。彼はそんな雰囲気を察してか,「よろしくーっ」て声をかけてくれるのだけど。
控え室で段取りを説明すると,うんなるほど! OK! と真っすぐな眼差しで頷いてくれます。自分が分からないところは,納得のいくまで聞いてくれるんです。一緒に作っている感じがして,なんか安心してきました。
打ち合わせが終わって,まずはヘアメイクです。当時売れっ子だったヘアメイクアーティストのナカイも永ちゃんの大ファンでした。だからなのか,初めての対面に顔が真っ青。「ど ど どうしましょうか?」 身体まで震えちゃってる。気持はもちろん,分かります(笑)。
そんなナカイに永ちゃんが一言。「あのさ,君がこれだよって風にしてくれよ」,「プロがこれだってやつで,俺はいいからさ」。ふっと笑いながら,「あまりに酷かったらタダじゃおかないけどね」。控え室が笑い声に包まれて,一気に場が和みました。ナカイも実力を発揮できて,イカした永ちゃんができあがったのです。
自分がプロだからこそ,プロを信頼している。けどハンパは許さない。だから納得のいくまで,対等に話す。芸能界の大御所という人たちは,大きさを誇示する人が多いんです。けど矢沢永吉さんは,人の大きさが素晴らしかった。それはいつの時代も勝負してきた男の,器のでかさなのかな。本当にBIGな男だったんですよ。
註記)http://admans.blog.jp/archives/1029537365.html
もしかすると,在日出身の芸能人にこのような人物がいたら,まずいのか? ビックな矢沢永吉が元韓国籍人であって,帰化する前の「本当の氏名が趙 永吉」だったとしたら,なにかまずいことでもあったのか?
そう思わせてしかたがないような,つまり「在日・秘話」発掘(小心?)探偵団が大勢控えている。しかも,これに所属している「小心者の存在」ばかりがめだってもいる。そういった純ジャパがたくさん存在するというわけか?
そもそも,YAZAWAの芸能「人〔として〕の大きさ(ビックさ)が素晴らし」いとしたら,この個性や経歴はいったいどこから生まれていたのか。
在日だったからだとも,いやそういう関連はなにもなく,あくまで彼の本来の人間的な個性だとも,そのどちらともいえる。結局,どうとでもいえる。
ところが,そのところを,「在日」のほうの要因・性格についてのみ目をつけては,だから「本来 × × なのだ,そうに決まっている」と,一方的・断定的に評価したがる。
いいかえれば,旧来の植民地史観:差別の立場が,21世紀の現段階においてもいまなお,ヤマト人の「大きなその尻尾」となって引きずられている。思うに,ずいぶん,ヤバくもしんどいことである。
※-5 広告業界と矢沢永吉
1)「CMには矢沢永吉を起用 超巨大マルチバトル RPG『リネージュ 2 レボリューション』 正式サービス開始前に App Store 人気無料アプリランキング第1位を獲得」『SPICE エンタメ特化型情報メディア』https://spice.eplus.jp/articles/142599,2017.8.23
本日 2017年8月23日(水)に正式サービス開始を予定している,スマートフォン向け超巨大マルチバトル RPG 『リネージュ2 レボリューション (Lineage2 Revolution)』。
ネージュ2レボリューション矢沢永吉CM出演
……以下は省略……
2)「矢沢永吉のCM出演情報」
この住所(『ORICON NEWS』)は,矢沢永吉のCM出演情報 250件をとりまとめて紹介している。本日〔2018年4月16日正午時点でのぞいてみたところでは,
「2018-03-26 日産自動車『セレナ・e-POWER』家族史上,最高出かけたくなる。・誕生」から,「2000-07-01 ファミリーマート『キャンペーン』「第一弾は,とびっきりごはんだ。」7月4日登場」までの250件にもなるCM出演が一覧・紹介されている。
その全体についてはさらに,つぎの註記の住所を閲覧してほしいが,いずれも一流企業の広告への出演である。
註記)https://www.oricon.co.jp/prof/252637/cm/
3)「矢沢永吉に関連するCMリスト CM Fun」
このCMリストは〔同上の時点で〕,「日産 【セレナ】TVCM「セレナ e-POWER No. 1の進化」篇 30秒 15,11503/2800:31」から「ガルル・レコード 矢沢永吉 NEW LIVE DVD2枚同時 2011.4.13 OUT!! 15秒 CM 14,3532011/0400:17」までの34点,矢沢が出演したものを一覧しており,動画で視聴できる体裁になっている。
矢沢永吉に関するCM一覧(ここでは,2018年04月15日閲覧のもの)
註記)https://cmfun.net/tags/6899/videos
※-6 矢沢永吉がここまでビックになると「在日」である事実には触れてほしくないのが「広告業界における暗黙の不文律」なのか?
「元パリコレモデルのアンミカ,矢沢永吉の〇〇だった! その経緯が衝撃的だった・・・」(『Akogare』2017.04.14)と題した記述があった。こう書いてあった。
なんとアンミカさんは20台後半のころ,矢沢永吉さんの「秘書」だったのです。矢沢さんの「THE TRUTH」という曲のMV〔ミュージック・ビデオ〕では,矢沢さんと共演するなどしていたようです。
さらにそれだけでなく,同番組に出演しているダウンタウンさんがMCを務めていた音楽番組『 HEY ! HEY ! HEY ! 』にも矢沢さんと一緒に出演していたのです。もう〔当時から〕16年前のことで,アンミカさんにいわれるまでダウンタウンのお2人は覚えていなかったそうです。
註記)http://akogare.me/trend/14899
ここで,アンミカの話題 。
「アンミカの旦那さんはユダヤ系超セレブのアメリカ」『人気になること見つけた!』2017年02月07日。なぜか「文金高島田」と「紋付き袴」のこの2人。人間とモノとの「米・韓・日のごちゃ混ぜ:フュージョン」。
註記)http://kininaru-kininaru111.seesaa.net/article/446762437.htmlhttp://kininaru-kininaru111.seesaa.net/article/446762437.html
しる人ぞ,しる。この文章のなかにアン・ミカなど在日が何人出ているか? 最低でも3人はいた。はて,「在日」というのは,いかほどに,マズい存在なのか?
本ブログ筆者の推測になるが,実はダウンタウンも在日。これは確率論的には95%くらい,正規分布でプラスマイナス2 σ の信頼度はあり。この最後の段落はいくらか調子を落としての筆致となった。
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