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女工哀史から女子アナ・セクハラ史へと連綿とつながる明治維新以来の女性抑圧史ならば誇れるスゴイ日本
※-1 前世紀における大学での某体験話から始めよう
今日のこの話題は,昔,地方のある大学に就職口がえらえた本ブログ筆者の若かりし時代の思い出話から始める。
まだ仕事に就いてから1年も経っていなかったある日,急に会議が招集されたので出席することになった。そこでの話題は体育学(実技担当)の男性教員がセクハラ(当時はこの表現はまだ存在しなかったが)を起こした,ある女子学生にその種の行為をしたということで,教授会の面々がその対策を鳩首会談するという事態に至っていた。
その「被害者になった女子学生」に事情を聴取した録音を聞かされりたりもして,いまから思うに当時は聞きたくもないそれぞれ当事者のいいぶんを耳に入れるというのは,けっして気分のいいものではなかった。そのように記憶しているが,事件が事件であっただけに,そのとき受けた特定の印象はいまもよく残っている。
さて話題はもっと昔になる。大正14〔1925〕年7月,戦前に有名であった出版社改造社から公刊された細井和喜藏『女工哀史』という本があった。この本は,たいそう紙価を高めた,むずかしい表現を借りると「洛陽(らくよう)を高からしめた」と形容されていい,戦前日本の労働経済史に関する代表作1著となった。
そこで,この細井『女工哀史』は筆者の書棚にもあったので,早速これを取り出してみたところ,つぎの『日本経済新聞』2016年10月3日朝刊「コラム〈春秋〉」がとりあげ話題にしていた,ということが分かった。というのは,そのスクラップがこの岩波文庫版の本のなかにはさみこんで保存してあったのである。
この日経「春秋のコラム」にも言及されていたとおりだと受けとめられるが,「このように書かれていた『女工哀史』の話題があったぞ,これも忘れずによくみておけ」ということだったのか,今回のフジテレビ内で発覚した「女子アナに対する重篤なセクハラ問題」が,まさにこのコラムの指摘に通底する “なにかを示唆するかのような因果をもつ” かのようにして,このたび生じていたことになる。
「前段の記述の意味」が分かりにくいと感じた人には,さきに,この記事を読んでもらうと,参考になる内実がえられるかもしれない。
日経コラム「春秋」を引用する。
♠ 春 秋 ♠
=『日本経済新聞』2016年10月3日朝刊 =
明け方の5時すぎに作業が始まり,終業は夜9時。その間,朝昼晩の食事時間があるが15分ずつと短く,休憩はない。明治期の,ある製糸場の女子従業員の1日だ。労働時間は15時間を超えた。徹夜の仕事も珍しくなかった。過労で倒れる人がいたのも当然だろう。
▼ 過酷な工場労働を改善しようと大正5年(1916年),女性と15歳未満を対象に,労働時間に制限をかけ深夜労働も禁じる工場法が施行された。といっても1日12時間を超える就業の禁止という緩い法律で,深夜勤務についても交代制を採るなら向こう15年間認められた。企業が労働時間規制に強く反対したためという。
▼ 長時間労働を抑えようとした最初の法律の施行から今年〔2016年〕で100年。だが残念ながら,十分に効果のある制度はいまもできていない。労働基準法は働く人の1日の労働時間を8時間までと定めるが,企業の労使が協定を結び,残業を青天井で延ばせる仕組みがある。過重労働によるうつ病や過労死は大きな問題になっている。
▼ 働き方改革を「最大のチャレンジ」と位置づけ,なかでも長時間労働の是正を重点課題にかかげる政府には,ぜひとも実効性のある対策を期待したいものだ。100年前の工場法は甘い内容だったため,その後も大正14年刊の「女工哀史」に描かれたような,過酷な労働実態が残った。歴史を振り返り的確な手を打つときだ。
岩波文庫版のこの本『女工哀史』の「まえがき」には,
「この無名の一労働者の体験記録兼調査書は,出版者にとって一つの冒険だった。ところが,ほとんどすべての関係者の予想に反して,それは異常な売れ行きを示し,何回となく版をかさねた」
そして,「終戦後復刻されて重版されたばかりか,昨年来いつくもの出版社から復刻の交渉を(著者に代わるぼくが)受けていることによって証明される」。「しかし,初版が出てからわずか1ヵ月で,すでに著者はこの世にいなかった」(同書,〔まえがき〕3頁)
と関連する出版事情なども付記されていた。
2025年1月28日の補注)
フジサンケイグループの頂点に鎮座まします人物が写っている画像資料があった。これを観れば問題の背景,その焦点がどこにあったかは,一目瞭然である。
1月27日午後4時から28日午前2時過ぎまで長時間おこなわれた「フジテレビの記者会見」の上方空間に,「ガラスの天井みたいななにか」があったかのように感じさせた「ある種のもどかしさ」をめぐっては,この画像で氷解させうるものがあるかもしれない。
救えなくさせているわけか?
しかし「いまの首相は石破茂」になっているはずだが
![](https://assets.st-note.com/img/1738032180-eDyuAJroncM1TspZtOblgP4m.jpg?width=1200)
10年前後は以前の画像と推察する
※-2 フジテレビにおける女子アナの場合,女工哀史とは裏腹的にだが,まるで封建的感覚で彼女らは「大奥部屋・管理」の対象だったのか?
ここで話題は,女工哀史(当時における労働社会の底辺)の問題から,21世紀の現在,女子アナ(とくにフジテレビ)たちの「セクハラ哀史」の現象に移る。
昨年(2024年)12月から週刊文春の暴露記事が報道されてきた。最近,日本社会のなかで大騒ぎになっているのが,フジテレビ内において,いままで隠然かつ公然と大々的におこなわれてきた「女子アナに対する日常的な性的嫌がらせ行為(セクハラ)」の問題である。
その問題を惹起させ社会に向けて暴露させる「テコのような存在」になったのは,中居正広という,その世界では大物芸能人(タレント)に位置づけられた人物であった。中居はスマップの1人であった。
さて,この中居正広の問題発生からだと,ちょうど1年前の2023年12月,やはり,週刊文春にその醜聞を暴露された松本人志(これも大物芸能人だとされていたが)と,たいそう近く,仲もよかったのが中居であった。同じ番組にいっしょに出演してもいた。それゆえ,松本がなにをやっていたかは,中居も十二分に承知していた。
中居正広は,自分の行跡を世間に向けてはいっさい明らかにしたくないらしく,芸能界を自主的に引退することを,2025年1月23日に発表していた。中居は,フジテレビの女子アナ「渡辺 渚」という人に対してなんらかのトラブルを起こしており,和解金(解決金)として9千万円という,前例のないような高額の支払いしていた。しかもその付帯条件に「両者がその和解の内容」については「口外禁止条項」を課しておいた。
それがために,渡辺 渚がいったいどのような性的被害を中居から受けていたのか,いまだに世間の側にはいっさい情報が伝わってこない。さらには「クスリ」の使用があったとかなんとか,性的な「なにかの加害」があってそれがどのようになされていたのかなど,それらのいっさいがっさいが,他者には不詳のままである。
つまり,中居正広の立場にとってみれば,それほどに相当に深刻かつ決定的な「犯罪もどきの行為」があったのではないかなどと,第3者の立場からすると勘ぐりたくなるような「事件」が発生したと推測する。
とりわけ,フジテレビ内では女子アナを,大物だとされる芸能人に対してホステス役を果たさせるかっこうで接待に使い,いってみれば営業活動(この表現はよくいえばのものだが)に駆り出していた。ところが,その真相は女子アナの彼女らを,まるで性的な意味あいで「上納する」かのような立場に追いこみかたちで利用していたとみなせる実態が,すでに基本的に認定されうる事実として暴露されてきた。
ここで,※-1の最初で触れた「大学におけるセクハラ問題」にもどって話をしておく。その問題を起こした男性教員はその後すぐに大学を辞めざるをえなくなっていた。このセクハラ問題とともに思いだすのが,つぎは同僚教員が論文の盗作をした事件が発覚した一件。こちらはそのセクハラ問題が起きた次年度だったと記憶する。
こちらの論文を剽窃した先生の場合はまたべつの意味ですごかった。なにがすごかったかというと,近所の大学に勤務している,それも「大学院時代に先輩・後輩の関係にあった教員」(しかも研究室が同じだったらしい)のある論文を,そっくりそのまま,つまり注記の中身まで「クローン状態」でもって,自分の業績として転載する要領で,公表していた。
ところが,当人の先輩に当たるその先生,その後しばらく経ってから,自学の図書館に贈呈のあった「当該大学の『研究紀要』」に掲載されていた「その盗作された自分のクーロン論文」を観て,それはもうびっくり仰天。その論文を観た瞬間に,これは「オレが書いたモノだぞ,しかも注記まですべて同一だ」ということが即刻判明したことは,しごく当然のなりゆきであった。
事後,ただちに本ブログ筆者の勤務していた大学のほうに,その先輩からこういう内容の連絡,「私の論文と瓜二つの論文がオタクの研究紀要に剽窃されて掲載されています,これ全部私の論文のパクリというか,つまり丸写しです」という連絡(問い合わせというか苦情というか抗議)が来た。
結論。その,なんというか,実に下手くそな盗作を実行(敢行?)した当人は,事後「母親の面倒をみなければならない家庭の状況が急にできてしまい,どうしても辞職せざるをえなくかった」という仕儀をもって,さっさと職場を去っていかざるをえなくなった。大学側は温情をもって彼を実質,職場から追放したわけだが,この彼がその後,大学業界に復帰することはできなくなった。これは当然の理であった。
つぎの話題は数日前のものに移る。数多くあるユーチューブの諸サイトのなかで,なにか女性の顔が中心に出ているサムネイルがあって,しかも妙に変な感じを受けていたものがあったのだが,本日の朝食を摂りながらそれをあえて観てみるかということで,視聴してみた。
そうしたらこの彼女,フジテレビの女子アナを務めていた人であったが,すでに退職していた経歴をもっていた。しかも以前においてすでに,自分がフジテレビの女子アナ「哀史」の被害者の1人になっていた立場,いうなれば,幹部たちにおもちゃあつかい(性的にキスを強要されたり,そのさい体をでまわすとごとき玩具状態)にされてきた事実を告白していた。
もちろん,彼女自身がいうには,相当にPSTD(Post-Traumatic Stress Disorder;心的外傷後ストレス障害症状)に陥っていたと語ってもいて,ある時,駅のプラットホームで「・・・フラフラするような気分になった」という趣旨の発言もしていた。
その関連するユーチューブ動画は「ユーチューブ・ショート」にその要点を簡約にまとめた動画もあるが,ここでは「本編」のそれをつぎに紹介しておく。
フジテレビのバラエティ系(番組制作系)担当の幹部たちが,どれほどヒドイ「セクハラ行為」の常習者であったか,渡辺 渚の場合に発生した「中居正広がらみの事件」の本質をも,この動画は間接的にだが一部に過ぎないにせよ,具体的に赤裸々に告白(告発)している。
【参考記事】
※-3 大学でもとくに女性に対するセクハラ行為は長年の弊害史を形成してきた
ここに,甲野乙子『悔やむことも恥じることもなく-京大・矢野教授事件の告発』解放出版社,2001年という本がある。この本は,壮絶なセクハラを矢野 暢(やの・とおる)という,京都大学教授から当時受けてきた女性が書いていた。甲野乙子とはもちろん筆名(ペンネーム)である。
最近だと伊藤詩織が元合同通信の記者だった山口敬之(やまぐち・のりゆき,1966年生まれ)に,不同意の性的暴行を受ける事件を告発(告発)する自著を制作・出版した件は,すでに既知の出来事・経緯であるが,甲野乙子の場合は,21世紀なったばかりの時期に自著として公表するにさいし,仮名で名乗るほかなかったものと推察する。
【参考記事】-伊藤詩織は自分のその実体験を素材に使い,映画を制作していおり,これが現在,アカデミー賞の候補にあがっているとの由。関連の報道はたとえばつぎの参照されたい。このリンク先住所はコピペで検索してもらうものとなっているので,読みたい人はその分,手間をかけてほしい。
⇒ https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_67918614e4b09ddfcf92b845
さて,2001年からだと14年後,いまの2025年からだと10年前,つぎのような『性暴力を許さない女の会』が開催されていた。このあいだにおける年月の流れ:四半世紀分ものそれがあっても,この種の性暴力がなかなかなくなることがない現実は,それこそ女性たちの立場にとってみれば,
いままでは『花形の職業』のひとつであった,テレビ局,それもキー局の女子アナの立場が,前世紀(前々世紀?)的な性的虐待(精神的に深刻な意味をともないつつも)を受けつづけるような「このニッポン国内の文明遅滞の状態」は,大昔における女工哀史が底辺層の問題であったのに比較して,
現在における「富士山の頂上に位置するがごとき」問題であって,たいそう華やかなに映るテレビ業界のなかで,それもとくに「フジ〔!〕サンケイグループ」で働いてきた女性アナたちにとってみれば,自分たちの職場が地獄のごとき忌まわしい場所になっていた事実は,単にフジテレビにだけ固有であるとは思えないが,「日本型企業社会」に特有だった問題のひとつだといったらいいのか。
甲野乙子の話題に戻る。10年前にこういう公開講座が開催されていた。
★〈2015年2月公開講座〉被害者が語る『回復』
京大矢野事件・甲野乙子さんに聞く ★
『性暴力を許さない女の会』
=https://no-seiboryoku.jimdofree.com/過去の公開講座/2015年2月公開講座/ =
1993年,当時,東南アジア研究の世界的な権威だった矢野 暢教授が,複数の女子学生や女性秘書に長年にわたって繰り返していたセクハラを告発されました。
1994年~97年に闘われた裁判において,京都地裁は,矢野教授が被害を告発した甲野乙子さん(仮名)に対して継続的にくわえていた性暴力をセクシュアルハラスメントだったと認定する画期的な判決を下しました。
この京大・矢野事件は,全国でキャンパス・セクシュアルハラスメントを告発するきっかけとなった大きな意味のあるものでした。
しかし,裁判で被害が認められたからといって,被害の後遺症からすぐに回復できるわけではありません。甲野乙子さんの「回復」のための闘いは続いていたのです。
甲野乙子さんは,ある機関紙に定期的にエッセイを寄せているのですが,そのなかで,ここ数年,「回復」について語るようになってきました。私たちは25周年で「回復」について考えるシリーズを企画するにあたり,是非,甲野さんに「回復」について,語っていただきたいと思いました。
そして,今回の公開講座では,甲野乙子さんの参加が実現しました。
長期にわたるセクハラ被害の後遺症とはどのようなものか。「回復」はどのように進んできたのか。そして,性暴力被害のトラウマからの「回復」とはどういうことなのか。
是非,直接お話を聞けるこの貴重な機会に,一緒に「回復」について考えましょう!
ウィキペディアの「矢野事件」という解説 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E9%87%8E%E4%BA%8B%E4%BB%B6 には,関連する事情がかなり詳細に記述されている。その内容は,セクハラの問題が日本社会においてまだ十分に認識されていない時期における事件発生であったがために,被害者となった女性たちは,それぞれなりに相当の苦労をさせられた。
甲野乙子という仮名を筆名に使い,その事件を社会に向けて公表せざるをえなかった「被害者女性」の心情は思いはかねるほどの苦しい内実が,長期間にわたり背負わされてきたものと推察する。
![](https://assets.st-note.com/img/1737934162-nRY5kes6Gr3B0IZMJoXwS1DK.jpg?width=1200)
上のポスター資料は,2023年7月から変更された性犯罪関連の法規を公報するためのものであった。フジテレビのアナウンサーで,中居正広との関係で被害に遭った渡辺 渚は,この時期の少し前に起きた事件に巻きこまれていたために,この法律によって相手を告訴することはできなくなっていた。
本日,2025年1月27日としては,つぎの予定が社会の関心を集めているところだが,はたして事後の展開はどうなっていくか?
![](https://assets.st-note.com/img/1737934125-idDB9qYSg5PHmRtIp6joyO41.jpg?width=1200)
この記者会見がどの社のそしてフリーの記者
誰にでも「オープンだ」ということであって
同時に一般に同時中継されるかたちで
公開・放映されるのであれば観るもよし
この『NHK』の報道は,本日のこの予定に関して,専門家にこう解説させていた。
★ 専門家 “会見の勝負は最初の30分 相談役も出席を”★
メディア論が専門の同志社女子大学の影山貴彦教授は〔2025年1月〕27日に開かれるフジテレビの記者会見について,「もしも前回の会見と同じようなてつを踏むことがあれば致命的な打撃を受けることになるだろう。覚悟のある会見をしていただきたい」と話しています。
a) 勝負は最初の30分
そのうえで会見のポイントとして「会見の勝負は最初の30分で,もし『第三者委員会に託しました』という説明で終始するなら0点だ。フジテレビが独自にトップ以下でこのような改革をしますと最初の30分でメッセージしてほしい。さらに視聴者に対してのおわびやメッセージがいかに伝わるかが,会見が成功するかどうかの決め手になるだろう」と指摘しました。
b) 主体的なアクションを
また,第三者委員会がことし3月末をめどに調査報告書を提出することになっていることを踏まえ「結果を消極的に待つということなら,これまでの沈黙や抽象的な説明とあまり変わることはなく,これまでの動きをみているとどうしても厳しいことをいわざるをえない状況だが,こうした状況を変えるために主体的なアクションが1日でも1時間でも早く望まれるところだ」と述べました。
c) 視聴者を軽んじてきたのではないか
さらに影山教授は「視聴者を軽んじてきたのではないかと問いかけたい。ちょっと飛躍したいい方だが,視聴者も大事なスポンサーの1人で,視聴者に向けてのフジテレビの姿勢がほとんどいまに至るまでみられていない。
一番大事にすべきは視聴者であり,それに向けて経営陣の刷新なのか,組織改革なのか,抽象的な言葉ではなく,より具体的に気持ちのこもった真摯な発言をしてほしい」と話しています。
d) 相談役にはぜひ出席を
また,フジテレビで社長や会長を務めた日枝 久相談役が会見に出席しない予定になっていることについて「フジテレビの実権を握っているのが日枝相談役だと多くの方が認識している以上,まだ間に合うので日枝相談役にはぜひ出席していただきたい」と求めました。(引用終わり)
日枝 久相談役が,当初のこの予定どおり,お出ましにならないということであれば,この人,相談役で取締役という「ちょっと代わった肩書きの役職の持主」であり,絶対的な「院政を敷いている」立場にあるにもかかわらず,「出てこない」というところからして,すでに完全にアウト。
日枝 久は,フジサンケイグループ内では強力に院政を敷いてきた,まさに鼎の地位に君臨してきた人物である。そうであると誰もが認める人物が,いまどき・いまさら「逃げ隠れるような様子」を「みせる」とは,見苦しいかぎりだ。
というよりは,この人の肝心な時になって,自分の「本当の肝っ玉」が実は,どこにも備わっていなかったような人物だったことになる。ヒトはみかけによらないともよくいうが,ともかくその「相談役で取締役という立場」を辞めるのか辞めないのか?
本日午後4時開始の記者会見に欠席することにしたこのヒト,自分の人生が「有終の美とは無縁になる」ことの覚悟だけはできているらしい。
![](https://assets.st-note.com/img/1737941258-uKAUlkg8ZyTRpHjN6JvsBIah.jpg?width=1200)
【参考記事】
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甲野乙子のこの本はアマゾン通販には在庫がないらしいが,情報として掲載しておく。参考にまでしらべてみた「日本の古書屋」にも本日(2025年1月27日)では在庫なし,ということであった。