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池田大作の死亡を契機に,長期腐敗政権自民党を支える政教一致の公明党,この小判鮫与党の本性を再考する

 ※-1 本記述は最初は2009年7月22日に記述,公開されていたものであったが

 それから5年ほど時間が経ってからは,利用していた当該ブログサイトが閉鎖となったために,そのまま未公表の状態になっていた。最初につぎの報道を引用する。
 付記)冒頭画像は講談社発行,2009年の表紙カバー画像で,上部分のほぼ3分の2を拡大。

2023年11月15日 池田大作訃報記事

 a) ところで,今日は2023年11月20日である。すでにいうまでもなく十二分に過ぎるくらい,日本の社会においては〈周知の事実〉となっていることがらではあるが,あの「公明党」の本性について,あらためて一言申しそえておきたい。

 「政教を一致させた政党」であり,その別名を自民党がひっかける「下駄の▼ソ」の政党だとまで蔑称されている,つまり,その程度に実にみっともなくも「20世紀以降の日本政治を堕落・腐敗させる役割」ならば,その意義を大いに発揮してきたのが,まさしくこの公明党であった。

 しかも,戦後政治のなかでは,1955年11月15日に結成されていたが,前身政党を「自由党」と「日本民主党」とした自由民主党が政権を掌握する期間が,その後において長かった経緯があった関係では,とくにこの自民党の下品な悪政を下支えするかかたちで,しかも相当にこちらもまたお下劣な政党として登場していたのが,根っから「政教一致を政治の行動理念」とする公明党であった。

 この公明党は1964年に結成されて以来,その後,勢力を徐々に伸ばしていき,1983年12月18日の衆院選で,結党以来最高の59議席(国民会議含む)を獲得すると,本日のこの記述で話題となる池田大作は,それはもう大喜びして,創価学会の「公明党からデージンを出すことになった」という趣旨の発言をしたそうである。

 そのあたりの事情・経過については,ネット上にはいくらでも関連する記述がみつかるが,ここではつぎの文章(批判をくわえた一例)を引用しておこう。以下は若干,横道にそれた話題になるかもしれない。

 b) 以下に紹介する文章は,『池田大作 日本経済乗っ取りの野望(4)-創価学会の財政のすべて-』「会員からしぼりとった金の力で,日本の全面支配へと乗り出す池田大作」,第6章1「社長会中止後の外郭団体,会社の展開(昭和52〔1977〕年~平成10〔1998〕年),
https://torideorg.web.fc2.com/takeov/4_6_1.htm からの引用となる。

  ◆ 公明党も “外郭” として完全管理 “政教一致” の動かぬ証拠 ◆

  “政教分離” を宣言したはずの公明党は,なんと創価学会の “外郭” の一つとして,活動方針から人事,経理に至るまで,逐一,創価学会に報告し,決裁と指し図を受けていたという “動かぬ証拠” である。

 報告を受け決裁をするのは,ほかならぬ池田大作と北条 浩氏であることも,明示されているのである。

 “政教一致” などといった生やさしいものでなく,公明党は,創価学会の“一部局,一外郭” として完全に組みこまれているのである。このような関係は,今日に至るまで変わっていない。

 公明党が細川内閣で閣僚を出したとき,池田大作が「デージンデージン」 と喜び「皆の家来だから存分に “使おう” 」といったのも,直接支配下の “外郭の幹部” が大臣になったのだから,当然といえば当然のことである。

  「デージン発言」

 事前に報告を受け,自分で「うむ,それでいいだろう」と〔池田大作が〕決裁をしているのだから,組閣が発表される何日も前に,「いよいよデージンが出る。法務,郵政,環境,運輸」とポストをあげて自慢できるのも,じつにたやすいことであった。

 補注)1993年成立の細川護煕内閣発足時,神崎武法が郵政大臣,坂口 力が労働大臣に,それも公明党からは初めて閣僚としてくわわっていた。そのほか公明党からは2名が長官職に任命された。

〔記事に戻る→〕 こんな公明党と手を組もうという政党は,創価学会そのものと手を組むのと同じである。いずれ亡びぬわけがない。また,創価大学,創価学園は,公益法人の一つ学校法人として設立され,国や東京都から多額の助成金を受けている。運営についても,学校教育法の趣旨から,独立性がきびしく確保されなくてはならない。

 それが,創価学会によって完全に支配されている現実は,明らかに違法性をおびる。国や東京都からの助成金は,特定宗教団体に対する “資金援助” と同じであり,憲法違反である。

 この会議では,創価学会の支配を前提に,指示や連絡が徹底しやすいよう, “連絡網” の整備が検討されている。昭和56〔1981〕年にはじまった私の刑事裁判で創価学会側が提出した,外郭または関連会社の一覧は,つぎのとおりである。

 補注)ここで「外郭または関連会社の一覧は,つぎのとおりである」と指定してかかげられているリンク先の住所2箇所は,いずれもクリックしても該当する画面に切り替わらず,残骸のような画面になっているだけなので,念のため付記しておく。

 また「私の・・・」のくだりに登場する人物は,ここではとくに興味を示さないでおく。しる人ぞとしる1件である。

〔記事に戻る→〕 もっとも,この一覧には,後に “1億7千万円金庫事件”で,中西治雄氏が金をくすねたとされる外郭会社の「㈱ 千居」「㈱ 八葉」が,故意に除かれている。同様に,私が東洋物産の処理から引き受け,管理していた「シーホース」の名も除かれている。

 民音との関係や聖教新聞との関連が深いプロダクションや広告代理店も,一覧から抹消されているし,千件近い “聖教新聞取り次ぎ店” も載っていない。

 作為的な “自己申告書” であり,前提の,外郭管理の実態とはちょっと性質の違うものだが,参考までに紹介しておく。これら外郭の主なものについて,その後の動向をたどってみよう。

池田大作は「デージン」が創価学会の公明党から生まれた
といって大喜びした

 この記述のなかでつづいて登場する見出し(小項目)は,しばらく,つぎのごとき文句になっていた。

 「池田大作,創価大学を私物化している実態」
 「教職員の労働組合に手を焼き,自ら組合つぶしに乗り出した池田大作」 「御用学生自治会をあやつり支配」
 「前代未聞の “授業料値上げ運動” 」

などであったが,このごく一部を出しておくだけにしておきたい。

 c) だいぶ昔,その当時における話になる。創価大学の初代学長となった高松和男(前歴は東北大学経済学部教授)は,東大時代に指導教授であった中村常次郎(東京大学経済学部教授を経て当時は中央大学商学部教授)を,創価大学が創立されてから5年が経った1976年,経営学部を新設して発足させるにあたり,経営学部長に招聘していた。

 高松和男は創価学会の関係者だったが,中村常次郎はそうではなく,高松が自分の弟子の1人であった縁があって,創価大学が経営学部を増設するにさいして協力したものとみられる。

 前段に紹介・引用した『池田大作 日本経済乗っ取りの野望(4)-創価学会の財政のすべて-』の文章は,そうした創価大学の内部事情についても,あれこれ内情暴露の話題を提供していた。

 本ブログ筆者はその経営学部に就職した教員を複数名しっているが,そのなかには,創価大学の創価学会的な体質そのものになじめず,去っていった人もいた。ある人の場合,学会員ではなかったために,かなりの軋轢が発生してしまい,この大学に留まるわけにはいかなくなったという,そういう経緯も直接聞くことができた。

 d) ここで話題を創価大学から本論に戻そう。この日本という国家を21世紀の現段階となれば,完全に「衰退途上国」たらしめるのに多大なる貢献を果たしてきたところの,またのその別名を「小判鮫与党」とも呼ばれた

 この創価学会の私有物ごとき『公明党』である。公明党にはもちろん「表の顔」はある。だが,周知も周知の事実として,あの創価学会がこの公明党を牛耳っている(アベ流にいうとアンダーコントロール状態にある)といった「相互の上下関係」は,日本の政治に関していえば基礎知識のひとつである点は,誰も否定しえない。

 問題は,この政教一致の政党「公明党」と,そして最近になってだがあらためていまさらにように,バレバレになってしまった,それも主に自民党ならびにこの議員たちと「統一教会(現・世界平和統一家庭連合)」とのあいだに形成・維持されてきた蜜月関係とも突きあわせて考えるに,

 自民党が従来,国家神道系の宗教団体との密接な政治的な関係もさらに,そこには重層的に堆積していた関係性も踏まえていえば,「政教分離」の問題などまったくに,それこそ「屁のかっぱ」同然の政権党であった事実は,ここで的確に再確認しておく必要ある。

 とりわけ,その政教一致そのものである政党「公明党」に対しては,絶対的な高所から実質的に「政治指導を振るってきた指導者」であり,創価学会においては名目ともに最高指導者でありつづけた池田大作が,2023年11月15日に死亡したという報道が18日になされていた。

 ちなみに,11月18日という日付は創価学会創立記念日であった。1930〔昭和5〕年のこの日,初代会長牧口常三郎先生の著書『創価教育学体系』の第1巻が発刊されていたと,創価学会側は宣伝している。

池田大作画像1
池田大作画像2

 

 ※-2 元公明党委員長矢野絢也に対する迫害-創価学会と公明党の一心同体性は分かりきった現実

 1) 当時,2009年夏ごろ,日本の政治社会情勢

 以下の記述はもちろん,当時の話題である。

 いよいよ史上最低の自民党〔プラス公明党〕だったオタヨタ連立政権が,昨〔2009年7月〕21〕日の衆議院解散によって終焉した。息も絶え絶えに政権を維持してきた麻生太郎は,オジイチャンの吉田 茂に比較するとしたら(あくまでも仮定の話),とてもじゃないが,ただただ失礼な水準の総理大臣であった。

 麻生太郎という「世襲3代目の政治屋」,その頭(ず)が高いことだけ超一流のほかは,マンガの吹き流しに書いてある漢字すら,もしかしたら〈黙読?〉でごまかして読んだふりをしていたかどうか,ともかく,かなり読めなかった文字があったらしいことは確かな御仁。このように勝手に憶測〔観測〕しても,誰にも咎められないはずの話題まで,この太郎は供給していた。

 当時,宗教団体を支持母体とする「幸福実現党」という政治団体が,衆議院総選挙に向けて新しく発足していた。同党は,全国の各小選挙区および比例代表区すべてに候補者を用意している。この幸福実現党の湛える〈うさん臭さ〉といったら,なかなかのものがあるように感じられた。

 幸福実現党が小選挙区で当選者を出すみこみは小さいが,もしかすると,比例代表区で何名か当選させる可能性もなきにしもあらずである。そして,今度の衆議院総選挙に関する予測として,民主党(当時の)が第1党になれたとしても,この党が目標とする過半数を制することができなければ,自民党のように公明党と連立内閣を樹立するという方途もないとはいえない。

 それよりも4~5名の当選者がこの幸福実現党から生まれたら,民主党が過半数を獲得できなかった場合,幸福実現党がキャスティング・ボードを握るという場面が生まれないとも限らない。

 幸福実現党は,最近日本が経済・社会・政治・文化・歴史・伝統の緩みや不調のせいで,いろいろと恵まれない人びとが増大しているなか,彼らの不満・不安にあえて煽動的に訴求し,機嫌とりをしようとしている。

 たとえば,日本の自衛隊には単独ではその戦力など備えていないのにもかかわらず,生意気な「北朝鮮など先制攻撃でミサイル基地を攻撃し叩いてしまえ!」と息巻くような政治スローガンを大声で叫んでいる。いまの日本社会においては,最近急に登場したこうした泡沫政党のアジ演説を,真に受けいれてしまう〈心理的なすき間〉をもっている人びとがいないわけではない。

 本ブログの筆者は,既述のように幸福実現党は,そのような昨今における日本の困難な情勢を承知したうえで,意図的にほらを吹くかのように,非常に非現実的な煽動文句をわめきちらしている,と記述した。日本共産党路線に近づくような,小林多喜二『蟹工船』にまつわるブーム(これも当時のこと)のほうが,まだ理性的な判断をともなった世の中の動きといえる。

 補注)以上の段落で論及した対象は,幸福実現党じたいのその狙いについては,ほとんどが未達となっている。しかし,国家に関する防衛観については部分的にではあっても,自民党+公明党「政権」によって実現させられてきた経緯が気になる。

 どだい,公明党が「福祉と平和の党」だと自称している看板そのものに,もともと偽りがあった点は,いまでは贅言を要さない事実であった。だから公明党は自民党の下駄にこびりついて「日本社会にとっては糞害」のごとき「偽の福祉と平和の党」だと批判を受けて当然であった。

 この批判は,過去から現在まで全然変わることすらない「創価学会のための公明党」にまつわる「汚泥の溜まり具合」に向けられたものである。

 

 ※-3 矢野絢也が公表していた著作

 さて,矢野絢也は『闇の流れ-矢野絢也メモ-』講談社,2008年10月を公刊したが,公明党書記長を約20年にわたって務めた矢野は,2009年になってさらに講談社から,『黒い手帖-創価学会「日本占領計画」の全記録-』2009年2月,『「黒い手帖」裁判全記録』2009年7月も公刊していた。

 日本占領計画とは穏やかではない。だが,公明党だけで政権を奪取できる国家議員数を衆議院選挙で当選させえれば,この党の性格からいえばけっして無縁な発想ではなく,かなりの可能性を予測しておく必要がある。

 1933年,ナチス政権が合法的に政権を握ったあと,ドイツにおいては,民主主義を完全に無視,否定し,転覆させた,第三帝国ができた。親分はいわずとしれたアドルフ・ヒトラー。このあたりの歴史に関連する話題は,のちにあの麻生太郎が例のしたり顔で,日本もそのナチス時代の真似をしたらよいなどと,のたもうたことがあって,世間からの批判が飛びかった。

 民主主義の理念は,この民主主義自身を破壊する政治思想も許容するから,民主主義を健全に維持し発展させるためには,われわれ一般庶民の,日常的なたゆまぬ努力をもってする「民主主義を守るための政治的な緊張感」が要求される。

 さて,矢野絢也『「黒い手帖」裁判全記録』(2009年7月1日出版)をひもといてみよう。

 本書〔など矢野の本〕の理解にさいしては,創価「学会の “恥部” や “汚点” を」「知りすぎている私〔矢野絢也〕は,学会にとって要らざる存在になっていた」。つまり「池田〔大作〕史観によって都合よく学会の歴史を書き換えるためにも,自分の過去の暗部を知りすぎている危険人物として排除する必要があったのではないかと推測する」(200頁)という要点を,手がかりにすすめればよいのである。

 かつては「『ただで動くのは地震と創価学会だけ』といわれた学会はどこへ行ってしまったのだろうか」。戸田城聖第2代創価学会会長は,「お金がないのが創価学会の自慢だ。我が宗は賽銭箱など置いていない。他の教団はお金にまつわるトラブルが絶えない」(158頁)と自慢していた。

 ところが,創価学会はいまでは,集金マシーンのような宗教団体となったというのである。それも,創価学会という宗教法人にその金が収納され,この組織の乗っかる最高位の人物だけが独裁的にその利益を享受するという図式が,だいぶ以前より完成していた。

 矢野絢也は過去に公明党の幹部を長期間努めてきた人物として,創価学会の暗闇すべてを知悉している人物:当事者であった。1932年生まれだから,今年(2009年)で77歳になる高齢である。2023年現在,矢野は91歳になているが,いまも存命である。

 創価学会を実質的に牛耳る池田大作(1928年生まれ)は2007年10月時点で,世界各国大学の名誉博士107,名誉教授101,名誉学長3も受けているというから(2009年当時の記録!),この数だけみたら並の人物ではないことが感じられる。

 とはいっても,つまりは「名誉欲の塊」人間。

 もっtも,どうやったらこのようにたくさんの学位などを入手できるのか,池田には確実な方法もあったらしい。それゆえ,われわれがそれほど感心するほどのものではなかった。

 北朝鮮〔朝鮮民主主義人民共和国〕を,先代の金 日成が封建君主のように支配していたとき,ある地方を治める幹部が豪邸を建てて住んでいる事実に気づいたこの金主席,ただちにこの人物からその家をとりあげ,降格もしたという話がある。

 どの国でも独裁者はそうであるが,いい生活・いい立場・いい名誉・いい食べ物・いい住宅・いい異性を配偶者〔や愛人〕をえること,などにおいて,自分を上まわるような条件をもったり達成させたりする人間は,絶対にその存在を許してはならない,という排除の信念だけはもっている。


 ※-4 宗教的独裁者の誕生

 創価学会の名誉会長〔など〕の地位を占めてきた池田大作は,創価学会会長3代目を務めていた2002年,創価学会の会則を変更させ,初代牧口牧口常三郎会長・第2代戸田城聖会長・第3代池田大作会長の「三代会長」を「永遠の指導者」とする規定を入れさせていた。

 すでに故人の初代・第2代会長とは無縁の規定修正であったから,これは池田独裁体制確立のための規定変更であった。

 矢野絢也が諸著作をもって語ろうとする核心は,公明党と創価学会はもともと政教一致的に深い関係にあることであった。この程度の認識は以前より常識に属するものであった。

 そしてさらに,池田大作が指示してきた諸行為を暴露することになる記述(記録メモ)が満載された《矢野の「黒い手帖」》が,その家来たちによって強奪された事実が発生した。矢野は裁判でその手帖を返すように争い,地裁では敗訴したものの,高裁では逆転勝訴していた。池田はきっと,裁判の経過はもちろんのこと,矢野が公刊してきた著作3冊を非常に不安な気持でみていたと推察しておく。

 過去にこういう出来事があった。藤原弘達『創価学会を斬る-この日本をどうする-』日新報道,1970年の発行を食いとめようとした事件,北海道の大沼研修道場における池田大作レイプ事件裁判(1996年東京地裁提訴)など,池田が起こした事件にも矢野は言及している。創価学会の会員たちは,池田の指示があればこれに無条件にしたがい,なんでもやる集団を形成してきた。

 小多仁伯『池田大作の品格』日新報道,2007年は,敵対した日蓮正宗の信徒組織に対して学会広宣部がおこなった主な活動を「郵便物の抜き取り,構成員の盗撮,交友関係の調査,構成員の尾行,怪文書による攻撃,構成員のゴミから情報収集など」と列挙している(矢野『「黒い手帖」裁判全記録』136頁)。

 相当以前の話になるが,本ブログ筆者の体験である。創価学会員のある女性(学生)とあれこれ議論する機会があった。ところが,学会関係で異見を語られるとたちまち彼女は拒絶反応を起こし,それ以上議論が進められない事態に至った。

 創価学会の信者は,宗教的な信心の話題に関していえば,他宗教の立場と衝突する以前の問題として,自分たちの学会について率直な意見をいわれると,それじたいが絶対的に気に食わない,即刻その相手とは激越な対立関係に突入するほかないらしいのである。

 鰯の頭も信心からというが,創価学会の信者たちは池田大作を「生き仏」にでもしているつもりなのか,この独裁的な最高指導者を絶対的な存在として「拝むかのように尊崇」してきている。

 前段に言及した小多仁『池田大作の品格』は,「独裁者の赤裸々な素顔と『フォーブス』に載らない世界の金持ち・池田亡きあとの創価学会はどうなるのか」と問う本である。

 御年,今年(2009年)で満81歳にもなる池田大作がこれからどれほど長生きするのか,神のみぞしることであるが,「絶対神」のような存在に成りあがった彼のあと,創価学会,そして公明党は,いったいどうなるか。部外者であっても注目しないわけにいかない関心事である。

 『池田大作の品格』の著者:小多仁は「創価学会本部の最重要セクションの組織センターに所属し,創価学会の芸術部を担当,学会芸能人の掌握と,全国の文化祭の運営責任者などを務める。また,創価学会のプロパガンダ,映画,テレビ,ラジオ,パンフ等の製作に従事する。1985年本部職員を辞職」した人物である。

 矢野絢也は,「いまの創価学会は,外部の批判者や脱会者などに対しては非合法なことも厭わない集団であり,内部の会員に対しても恐喝まがいのことを煽りたてる集団になってしまったようだ。創価学会は,もはや私の知る創価学会ではなくなってしまった」とも語っていた(矢野『「黒い手帖」裁判全記録』158頁)。

  ◆ 創価学会の体質 ◆

 また,だいぶ昔の話となる。わが家は東京の下町にあった。これは本ブログ筆者が生まれた実家のことであるが,現在のその地に血縁者がつづけて住んでいる。場所柄か,その周囲には創価学会信者の家庭が何軒もあった。

 あるとき,そのうち1軒の夫婦がきて「学会に入会しろ!」という。その説法は強引そのもの,入会しないと地獄に落ちるとかなんとか,ひたすら脅迫するような口つきであった。

 当時,応対したのは私の母であったが,「私とは宗教が違うと猛烈に反論した」と逆襲に及んだので,議論は噛み合わないどころか,険悪な雰囲気ばかりがかもし出された。

 当時としての正直な感想をいえば,この人たちは果たして,まともな宗教人あるいは宗教を信じている者たちなのか,という疑問を抱かざるをえなかった。そのころは,矢野絢也が公明党の幹部になるより相当以前の時期でもあった。

 宗教団体にせよひとつの国家にせよ,指導者を神格化してしまいその独裁制が確立したあとには,その組織の目的が宗教的なものであっても,民主的に運営するための体制は無に等しくなる。

 最大の問題は,いままでこの創価学会を支持母体とし,自民党政権と与党を組んできた,それも池田大作の意を全面的に反映した方向でしか政党活動ができないのが,公明党の真価である。

 前著,小多仁伯『池田大作の品格』2007年の目次は,以下の編成になっていた。これをみただけでも,創価学会と公明党の根本問題が,どのへんにあるかすぐ理解できる。創価学会は宗教組織ではなく政治組織になり下がった。フランスでは昔のことだったがすでに,創価学会はカルトだと認定されていた。

  第1章 私の「池田大作体験」の真実
  第2章 「池田大作の正体」と創価学会
  第3章 池田神格化への軌跡とその虚像
  第4章 創価学会は世界最大のカルト集団
  第5章 宗教団体から政治団体へ変質
  第6章 学会芸能人は「広告塔」から集票マシーンへ!
  第7章 創価テロリズムの萌芽を監視せよ

 創価学会が各地に点在させて所有する文化会館は,選挙になると公明党のために使用されている。誰がいわずともこの事実はしれている。宗教団体であるがためか,どこに建っている文化会館も,いかにも予算を潤沢に費やした建築物の雰囲気を誇るかのように存在している。

 この『政教一致である「創価学会と公明党」の存在』を許してきたのが,政権与党:自民党である。来る衆議院選挙の結果は,創価学会と公明党の将来に大きな影響を与える可能性がある(このあたりの記述内容むろん,2007年時点に関する記述であったが,いまの2023年になっても基本変化がないまま……)。創価学会員でない公明党支持者は,それでも自分の清き1票を池田大作のために,創価学会用語でいうZ票やF票を捧げているのか。

 次回選挙の結果(同上の記述なので念のため……),民主党(当時)が衆議院選挙で過半数に及ばず,公明党の議員数を足して政権を樹立することになったりしたら,またもや創価学会と公明党協賛の「池田大作を首領さま」とする宗教団体が,21世紀のこの世に大手を振って闊歩しつづける。民主党がそのような選挙結果になったときの対応が見物である。

 あるいは,民主党が衆議院選挙で過半数に及ばないで,幸福実現党が議席を少数当選・確保し,その過半数を満たせる小勢力となったばあいにも,問題ありである。さあ,1票の持ち主である日本国民は,いかに〔本来の字義どおりに〕「〈公明〉なる選挙」をとおして,日本の政治を進展・改革させうるか,まさしく決断の秋(とき)を迎えている。(以上2007年に記述した文章は終わり)

 --ともかく今回,その池田大作「大僧正(?!)」が正式に創価学会から広告されたのが,2023年11月18日であった。15日に亡くなったという。なにかとお騒がせどころか,日本の政治社会を劣化・分裂・破壊しつつ「この国の民主主義の状態」に多大なる悪作用をもたらしてきた「公明党の実質的な永久党首」だった池田大作は,その存在をどのように裁断されたらよいのか?

 日本人・日本に住む人びとにとってけっして無関心ではいれらない「政治にまつわる重要な問題」が,池田大作の死が公表されたこのさいにも,よりいっそう自覚的に討議される必要がある。自民党がろくでもない首相たちを世に送りこんできたとすれば,公明党(創価学会の手下・舎弟)はこの自民党を支えるつっかい棒の役割と果たしてきたのだから,その政治的な罪悪はとても重い。

 自民党も公明党もろくでもない時代錯誤の政党である。両党ともにできるだけ早めに解党の必要がある。だが,いまだにこの国の末路すらみずからみきわめられないまま,いつまでも政権のうまみをナメつづけるだけの存在意味しかもちえない日本の政党「2党」であった。

 このままいったら日本は21世紀を半分ほどいった地点に至るまでには,本当に日本沈没と表現すべき事態に遭遇させられるのではないか? あと四半世紀さきの予想をしているつもりである。

 この公明党,あの自民党,そのほかにもどうしようもない日本維新の会や立憲民主党も存在しているが,まともな政党がいったいいつになったら前面に出てきて,この国家体制を直接運営する立場になりうるのか? 

 絶望あるのみか? 希望を抱かないでいいのか?

 残念なことに,そのような感想を抱くほかない「体たらく三昧」の日本政治の実相であるならば,確かにしっかりとした輪郭がみえている。

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 この本の目次を一部抜粋すると,こうなっている。

  1章 社会インフラは途上国並み
  2章 病院は多すぎ医者は少なすぎ… いびつな医療界
  3章 なぜ日本経済は中国に喰われたのか?
  4章 先進国で最悪の貧富の格差
  5章 世界最大の債権国
  6章 少子化問題は起こるべくして起こった

日本の絶望ランキング

 この本の広告からはつぎの文章を紹介しておく。

 時代に取り残される新宗教
「日蓮の教え」という原点に立ち返るとき

  ● 池田大作氏は生きているのか
  ● 高齢化する団塊世代の信者
  ● 公明党の得票数の減少

 若い世代と地域社会に役立つ,大逆転の秘策を提案!  長井秀和氏のかなり鮮明な創価学会批判/創価大学の駅伝活躍は衰退の表れ

 冠婚葬祭を自前でできる強み/ゼロから思い立って入る人は,ほとんどいない  お祭り感覚を重視した政界進出/池田氏は政治的野心を失った

 創価学会員の自民党支持者化が進む/聖教新聞で葛飾北斎や本阿弥光悦を紹介!  SGIを在日外国人のクッションにする/日本文化の発信役としての宗教

創価学会は復活するのか?


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