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明治期帝国主義時代からの家制度・家族主義観にもとづく同姓使用強制の問題(その2)

 ※-0「本稿その2」(およびこの「前稿(その1)」)は,初出が2015年11月5日の記述に関連していた

 上記,※-0の見出しの件は「本稿(その1)」においては,もちろん事前に指摘・説明してあったが,本日のこの「本稿(その2)」からは,その2015年11月5日の記述そのものに戻って,これを復活・再掲することになった。

 しかしその間,一昔に近い期間が経過してきたという事情もあり,その2015年の文章じたいを再生させる前に,主題となっている夫婦同姓問題についての「過去における経過・出来事」から,ごく任意的な選択になるが,新聞報道から保存されていたいつかの「スクラップ:切り抜き」を紹介しておくことにしたい。

 付記)冒頭の画像資料は『朝日新聞』2017年12月5日朝刊から借りたが,本論のなかでは利用していない記事の図解(図表形式)であるので,記入されている中身にはいったん注視してほしいものがある。

 なお「本稿(その1)」はつぎのリンク先住所である。

 まず『朝日新聞』1994年9月27日朝刊に報道されていた記事であったが,当時実施した世論調査が「選択的夫婦別姓制度」の導入に関しても訊ねていた結果が報告されていた。

『朝日新聞』1994年9月27日朝刊1面

 この「選択的夫婦別姓」の問題が、『朝日新聞』の世論調査に取り上げられていた時期は,なんと30年前のことであった。

 昨日,2024年9月2日の記述中に言及してあったが,同じ『朝日新聞』に依拠した「選択的夫婦別姓」に関する記事は,こちらは電子版の記事を借りて紹介すると,こうなっていた。

 その30年のあいだにいろいろ関連する議論がゆきかってはいたものの,この国では依然,夫婦は同姓であるべきだ「論」をまかり通らせる勢力のいいぶんだけが声高に響くわたる「いまでは完全に民法後進国」の姿だけが,異様に浮き上がっている

『朝日新聞』2024年7月22日朝刊

 ここでは,肝心な問題の焦点を説明していた『毎日新聞』2024年2月3日朝刊7面「経済」に掲載された記事,見出しが「選択的夫婦別姓 『夫婦別姓』経済界動く 世界に通じぬ旧姓通称 外資系『誰これ?』」となっていたこの記事は,長文の記事であったが,そのなかでこういう解説をおこなていた。

 以下は,中段あたりからの引用となる。

 選択的夫婦別姓制度は,「旧姓の通称使用」で対応できない問題を改善できそうだ。ただ,その実現には,夫婦同姓を義務付ける民法の改正が必要だ。

 しかし,民法改正は長年,政治の壁に阻まれてきた。法務省の法制審議会(法相の諮問機関)は1996年,選択的夫婦別姓制度の導入を盛りこんだ民法改正案要綱をまとめたが,それから四半世紀を経ても改正法案が国会に提出されるめどは立っていない。自民党の保守系議員が「伝統的な家族制度の崩壊につながりかねない」「子どもへの悪影響が懸念される」などと反対しているためだ。

 補注)この「自民党の保守系議員の独自な家・家族観」は,問題の核心に迫りうる,なんら合理的根拠を明示しえないまま,今日までダラダラと固執してきた依怙地の見解であった。

 そもそも,「伝統的な家族制度の崩壊につながりかねない」「子どもへの悪影響が懸念される」と懸念する問題と,同姓か別姓かの問題とは99%以上完全になんも関連性がなかった。たとえば夫婦が離婚した場合,子どもが何人かいてこの子たちに悪影響があるとかないとかの議論は,この夫婦が同姓か別姓かの問題とひとまず,ほぼ完全に別問題であった。

 彼らはそれでも「そのように批判し主張したがっているらいい」が,その理由を歴史的かつ論理的に説明できていなかった。ただ,そのような「先験的な観念論」で押しまくる立場を,かたくなに維持してきたに過ぎない。

 つぎに引用する記事をつづけて紹介するが,関連させていえば彼ら・彼女らのいいぶんは,ほぼ完全に独り相撲,あるいは,独りよがりの唯我独尊的な発想にしかなっていなかった。

 そもそも,いうところの「伝統的な家族制度」というものの実体が,歴史的に「✕」であった過去史を,いまいちどよく観察しなければなるまい。また「子どもへの悪影響が懸念される」という指摘も,ただ「きっとそうにちがいない」という程度の決めつけの域を出ていなかった。

 是でないから非だと論理を運用するがごとき,つまり「没論理の話法」が家の観念や家族制度のあり方の問題になると,いきなり前面にしゃしゃりでてきて大きな顔をしだすが,その論理じたいが感情論一辺倒の「こうあるべき論」であったから,これに不同の考えを抱かざるをえない立場の人たちにとってみれば,まるでまともな会話交流さえ不可能な相手がそこに控えているかのようにしか思えない。

〔ここで『毎日新聞』記事に戻る→〕 実は,夫婦同姓の “伝統” はそれほど古くない。1898(明治31)年に「家」を基本単位とする戸籍制度とともに,旧民法で「妻ハ婚姻ニ因リテ夫ノ家ニ入ル」と定められたのが始まりだ。1947年に「家制度」は廃止されたが,夫婦同姓制度は存続した。

 補注)つまり旧民法の当該規定は,正確にいえば「半世紀の期間しか存在してきたもの」でしかなかった。これが当該の論点に関していえば,敗戦後の民法にそのまま継承されたところに,どだい問題が残されたことになる。

〔記事に戻る→〕 かつてはアジアの新興国などでも「夫婦同姓」制度が存在したが,ジェンダー平等の観点からつぎつぎに夫婦別姓を認めるようになり,いまや日本だけが取り残されている状態だ。

 日本でも潮目は変わりつつある。経団連が20年に会員企業にアンケート調査を実施したところ,「女性活躍推進に向けて見直しや導入が必要だと思う社会制度」を問う質問(複数回答)に対し,273社のうち46社が「夫婦同氏制の見直し」を挙げた。家事支援税制の導入,配偶者控除制度の見直し,労働時間規制に次いで4番目に多かった。

 その背景には,人材や価値観の多様化を進める経営理念「DEI」の広がりがある。経団連ソーシャル・コミュニケーション本部の大山みこ統括主幹は「LGBTQなど性的少数者の支援を含め,これまで『個人の問題』と片付けられてきた課題に取り組まなければならないという意識が広がった。本当は困っていた当事者が声を上げやすくなり,企業側も課題に気づくようになった」と分析する。(引用終わり)

 補注)とは Diversity Equity & Inclusion の頭文字で,その意味は「多様性とアイデンティティを尊重し,かつ,公平な活躍機会を与えられている状態を意味する言葉」とのこと。

 ところで,当該記事は,以上の本文の内容からつぎの段落に入るさいの小見出しとして,「経団連が昨〔2023〕年末,本格議論を開始」という表現にしていた。そしてその1週間あとの『毎日新聞』2024年2月11日と,翌月3月の7日のそれぞれ朝刊「社説」が別姓問題に関して,つぎの画像資料でのように論説を展開していた。

『毎日新聞』2024年2月11日朝刊「社説」
『毎日新聞』2024年3月7日朝刊「社説」

 以上のうち『毎日新聞』2024年2月11日朝刊「社説」は,経済界側の「夫婦別姓」に対する要望に言及していたけれども,今日現在でまだ首相の座に居る岸田文雄は,この種の問題になると完全に,なんら見識も哲学もない「世襲3代目の政治屋」であって,「これダメ首相」でありうる資質を,こればかりは遺憾なく発揮してきた。

 というような大雑把の説明でしかないけれども,『日本経済新聞』2024年7月19日朝刊4面「経済・外交」には,「選択的夫婦別姓,議論迫る経済界 自民,3年ぶり検討再開 総裁選控え集約難航」と題した記事も登場するに至っていた。

 この日経の記事からは前文と表のみ紹介しておくが,ともかく, その後におけるこの選択的夫婦別姓問題にかかわる政治的とりあつかいに関していうと,進捗は皆目なかった。岸田文雄は,首相の立場からはこの問題にかかわりをもつ機会は,すでになくなった。

 前掲,『日本経済新聞』2024年7月9日朝刊のその記事については,まず本文からは「前文」のみを引用し,つづいて付表を紹介しておく。

 自民党は〔2024年7月〕18日,結婚のさいに夫婦が同姓か別姓かを選べるようにする「選択的夫婦別姓」をめぐる党内議論を再開した。経済界から早期実現に向けて国会の議論を求める声が上がる。推進派と慎重派が割れる党内で意見集約は容易ではない。9月の総裁選の争点になるとの見方がある。

『日本経済新聞』2024年7月9日朝刊記事の「前文」
 
いってみればまことに遅々たる歩み
その原因が奈辺にあったかについては
つぎにかかげるいくつかの表を参照しておけば分かる

 つぎに,選択的であっても夫婦別姓に必死になって(?)猛烈に反対(!)してきた「自民党系国会議員たち」(諸種)の一覧を,別途用意し,以下に追加しておきたい。

これは岸田文雄政権が発足した直後の資料
これは安倍晋三の第2次政権時時
これは安倍晋三政権下に各「国粋・保守・右翼」団体に所属していた
議員たちの一覧であるが
本気で絶対に夫婦別姓がいけないと説明できる議員がいたかどうかは
かなりあやしかった

 

 ※-1「我が国における氏の制度の変遷」に関する法務省のホームページ http://www.moj.go.jp/MINJI/minji36-02.html の説明

 この説明は,以下のように整理している。夫婦同姓の “伝統” だという歴史じたいよりも,もっと当該問題に対する視野を長く,広く据えたうえで吟味する必要は,この説明からも分かるはずである。  

 ◆ー1 徳川時代。一般に,農民・町民には苗字=氏の使用は許されなかった。

 ◆-2 明治3〔1870〕年9月19日,太政官布告。平民に氏の使用が許された。

 ◆-3 明治8〔1875〕年2月13日,太政官布告。氏の使用が義務化された。
  → 兵籍取調べの必要上,軍から要求されたものといわれる。

 ◆-4 明治9〔1876〕年3月17日太政官指令。妻の氏は「所生ノ氏」(=実家の氏)を用いることとされる(夫婦別氏制)。

  → 明治政府は,妻の氏に関して,実家の氏を名乗らせることとし,「夫婦別氏」を国民すべてに適用することとした。なお,上記指令にもかかわらず,妻が夫の氏を称することが慣習化していったといわれる。

 ◆-5 明治31〔1898〕年,民法(旧法)成立。夫婦は,家を同じくすることにより,同じ氏を称することとされる(夫婦同氏制)。

  → 旧民法は「家」の制度を導入し,夫婦の氏について直接規定を置くのではなく,夫婦ともに「家」の氏を称することを通じて同氏になるという考え方を採用した。

 ◆-6 昭和22〔1947〕年,改正民法成立。夫婦は,婚姻のさいに定めるところに従い,夫または妻の氏を称することとされる(夫婦同氏制)。

  → 改正民法は,旧民法以来の夫婦同氏制の原則を維持しつつ,男女平等の理念に沿って,夫婦は,その合意により,夫または妻のいずれかの氏を称することができるとした。

 以上のうち,◆-2の「明治3〔1870〕年9月19日,太政官布告。平民に氏の使用が許される」という記述に関しては,それまで平民についての,こういう指摘を聴いておく余地がある。 

 「江戸時代には庶民には『苗字』」がなかったなどという〈妄言〉がまかり通っている。大きな誤りである」。「江戸時代の農民は何も上流階級にかぎらず総ての者に『苗字』があったと考えられる」。

 註記)http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/koseki_dosei.htm なお,このリンク先住所は今日現在にあらためて確認したところ「削除」されている。

 もちろん,この指摘(批判)は「農民・町民には苗字=氏の使用は許されず」という時代の事情があったからといって,農民・町民のあいだにおいて「苗字=氏がなかった」とまではいえないと,はっきり主張しているわけである。そのあたりのより正確な事情は,ここでは不詳であるから,歴史研究家の解説がさらに必要と思われる。

 ◆-3は,兵役制度の必要から「氏の使用」を平民に要求したという事情を指摘している。明治帝政における時代的な必要性に触れている。

 ◆-4は,「夫婦別姓」の伝統的な思考があったのだという,それまでの時代的背景とともに,「夫婦同姓」の慣習があった点にも言及している。

 ◆-5は,「夫婦同姓」が民法における「家制度」の導入に伴い採用された考え方であると指摘している。

 ◆-6 敗戦した大日本帝国であった。旧民法じたいを民主化させるために「男女平等の理念」をとり入れていた。しかしその割りには,婚姻した夫婦のうち夫の性を名乗るのが,現在でもなお96%ある(最新の数値)。

 その事実は,明治期の旧民法が「家制度」を創った伝統が,いまもなお日本社会全体の根底に根強く残っている実情を,正直に物語っている。

 もっとも,旧江戸時代を否定し(討幕し)て登場した明治政府であったから,その〈昔の時代〉に関する「もろもろの出来事」は,平面的・断片的な歴史の記憶のなかに押しこめ,歪曲しつつ,適当にたたみこんでおき,みえにくくしておいた。

 そのように「過去の歴史」に対してほどこしてきた操作・工作は,どの国においても起きていた「過去という歴史」への〈反動的にしか評価しない姿勢〉の現われであり,その一事例であったに過ぎない。

 いままで一般的に,江戸時代においては,士農工商のうち「士」以外は「苗字」をもっていなかったと説明されてきた。けれども,前段の◆-2におけるその記述:「『士』以外は『苗字』をもっていなかった」という歴史理解に対しては,疑問が提起されていた。このことは「江戸→明治」を連続させてさらに観察すれば諒解がいく点となるが,ここでは議論できないので保留にしておっく。

 敗戦後における民法関係の事情推移についても,同じような要領で考えてみる側面がある。

 敗戦後,GHQの占領統治下における強制的な指導によって,ようやく実現しはじめた男女平等の理念が,明治民法の「夫婦同姓」を支持するような要素を含まなかったとはいえない。また逆に,「夫婦別姓」をあらためてまともに支持する理由を提供した,という解釈もできないわけではない。

 最後に抽象論になるが,以上の記述に対する〈小結〉を述べておきたい。個々の歴史(=一時的なその空間での記憶問題)にかかわる論点と,現在的にまで歴史的に蓄積された知識(断層的に連続する歴史の記憶問題)にかかわる論点との識別,そして,それらの関連づけが意識的にとりあげられ,真正面から議論されねばならない。


 ※-2 21世紀にまでもちこした「同姓・別姓」の問題

 1)「旧姓使用,広がった一方で『夫婦同姓』規定,最高裁憲法判断へ」)(『朝日新聞』2015年11月2日朝刊35面「社会」)

 結婚後も働きつづける女性が増えるなか,旧姓使用を認める職場が増えている。一方で,国家資格や公文書によっては戸籍名の使用が求められ,「2つの姓」による混乱も少なくない。

 夫婦別姓を認めていない民法の規定は,憲法に違反しないのか。最高裁大法廷が近く,初めての憲法判断を示す。

 a) 教師は学校ごとに可否

 東京都内の私立高校に勤める30代の女性教諭は,数年前に結婚。戸籍では夫の名字に改姓したが,学校では旧姓の通称使用を希望した。だが,同校の慣例では,旧姓使用は「改姓した年度内まで」。その後も使いつづけるのは「前例がない」と認められなかった。

 補注)この「前例がない」というリクツが面白いといえばそのとおりであった。前例といつまでをいえば妥当する期間を区切れるかというリクツのほうはさておき,前例尊重主義の基本精神のいやらしさだけが伝わってくる記事であった。

〔記事に戻る→〕 職員室の名札が変わり,時間割も戸籍名。だが,生徒や保護者は,女性を旧姓で呼ぶ。女性は今春,旧姓使用を認めるよう同校に求め,東京地裁に提訴し,争っている。

 文部科学省によると,教員免許は原則として戸籍名。ただ,日常の業務で戸籍名と旧姓のどちらを使うかは,学校の裁量に任せられているという。「旧姓は,親から授かった姓で教員としての信用や実績もこの名前で積んできた。今後も,本来の姓を大切にキャリアを築いていきたい」と女性は話す。

【参考資料】-旧姓使用問題について『朝日新聞』2015年11月2日朝刊35面「社会」から-

奇妙で面倒な事後の問題が残っている


〔記事に戻る→〕 都内のNPO法人「mネット・民法改正情報ネットワーク」は全省庁に対し,所管している国家資格の登録で旧姓使用を認めているかを照会した。

 11省庁の計 101の資格について回答があり,今〔2015〕年4月1日現在で,医師など約半数で旧姓使用が認められていなかったという。

 医師の場合,戸籍名で登録し,登録内容に変更があった場合は申請が義務づけられている。厚生労働省の担当者によると,罰則がないため,実際には免許を旧姓のままもちつづけることも可能という。

 弁護士の場合は結婚後,身分証明書に「職務上の氏名」として旧姓を登録できる。日本弁護士連合会によると,成年後見人として法務局で不動産登記をする場合などは,戸籍名が必要になるという。

 b) 企業65%,使用認める

 国は2001年から,国家公務員の職員録や人事異動などで旧姓を使えるようにした。民間企業でも,旧姓使用は浸透しつつある。

 民間の調査機関「労務行政研究所」が,上場企業など約3700社におこなった2013年の調査では,約65%の企業が旧姓使用を認めていると回答した。1995年の調査では約18%。20年足らずのあいだに大きく伸びた。

 「富士ゼロックス」(東京都)は男女雇用機会均等法施行から2年後の1988年に旧姓使用制度を導入した。当時は先駆的なとり組みで,「顧客との関係が継続しやすい」との社員の声を踏まえた。現在,配偶者のいる女性社員のうち6割が旧姓を使用。旧姓を使う既婚の男性社員もいる。

 一方,海外業務が多い会社では,パスポートが原則として戸籍名しか認められないため,旧姓使用はさまざまな不都合が生じる。

 ある旅行会社は,給与明細も人事異動の発表も旧姓使用が可能だが,海外旅行の添乗では,航空券や宿泊先の登録は戸籍名,顧客対応は旧姓と使い分ける。海外駐在での旧姓使用も認めているが,国によっては業務上の書類などもパスポートやビザの登録名と同じであることを求められるケースがあるという。

 c) 容認求め署名2万件

 二宮周平・立命館大学教授(家族法)は「2つの名前を管理するのは,企業にとってコストもかかり,得策ではない。民法を改正して,法律婚でも別姓を選べるようにすればいい」と話す。

 mネット・民法改正情報ネットワークの坂本洋子理事長は「旧姓使用が広がるほど逆に,戸籍名の意味がなくなっていく。仕事や社会生活で使ってきた名前が公的に認められない不合理さについて,考えなおす時期に来ている」。

 最高裁では,婚姻時に夫か妻の姓のどちらかを選ぶ「同姓」と,女性が離婚したのちに6カ月間は再婚できないとする民法の規定が,ともに憲法に違反していないかが争われている。〔2015年11月〕4日に原告と国の双方の意見を聴く弁論を開き,年内にも憲法判断を示す見通しだ。

 補注)なお,最高裁は2015年12月16日,女性の再婚禁止期間を定めた民法733条1項の規定が違憲かどうかが争われた裁判で,最高裁大法廷は,再婚禁止期間6か月のうち100日を超える部分を違憲とする判決を下した。

〔記事に戻る→〕 〔2015〕10月29日には,別姓を認めるよう求める約2万人の署名をインターネットで集めた20~40代の女性5人が,最高裁に署名を提出した。メンバーの1人で会社員の佐藤仁美さん(37歳)は「幅広い世代から賛同が集まった。女性が活躍する時代というなら,国が取り組むべき課題だ」と話した。

 2)「どうして夫婦同姓なの 民法の規定,最高裁が初の憲法判断へ」(『朝日新聞』2015年11月2日朝刊22面「特集」)

 結婚すると夫婦は同じ姓を名乗らなくてはならないとする民法の規定は,憲法が定める男女の平等や,「人格権」を侵すものか。結婚や家族のあり方にかかわる大きな問題について,最高裁が近く初めて判断する。

 「女性の活躍推進」を謳う政府は,国際社会から改善を求められても夫婦別姓を認めない。歴史を振りかえり,世論の動向や各国の仕組を紹介する。

女性と地位向上と活躍
別姓を認めるごく最近の支持率は73%であった


 a) 明治,当初は別姓だった〔この点は前段でごく簡単に言及があった〕

 明治維新により,武士や公家などだけでなく,広く国民が姓をもつことを許されたのは1870〔明治3〕年。当時は政府が結婚後も実家の姓を名乗るよう指示するなど,夫婦別姓が認められていた

 1898〔明治31〕年に施行された明治民法では,「家族は同じ家の姓を名乗る」と規定し,「家」を単位とする戸籍制度が作られた。夫婦を同姓とする規定や,今回同じく最高裁が憲法に照らして判断する「離婚後6カ月間は再婚禁止」とする規定も,このときに設けられた。

 戦後の日本国憲法が「男女の平等」を定めたことで,改正された民法が1948〔昭和23〕年に施行された。「家の姓を名乗る」という規定はなくなったが,夫婦同姓の規定は変わらなかった。

 b) 1996年,改正議論進んだが

 それから半世紀近くを経た1996年。法相の諮問機関である「法制審議会」が民法改正案をまとめた。「夫または妻の姓」にくわえて「各自の結婚前の姓」も選べる「選択的夫婦別姓」のほか,再婚禁止期間は 100日に短縮することが盛りこまれた。

 議論が進んだ背景には,「女性差別をなくそう」という国内外の動きがあった。日本は1985年に国連の女性差別撤廃条約を批准。政府は,1995年までに進める具体的な施策のひとつに,民法改正を盛りこんでいた。

 実現すれば「明治民法以来の大転換」になるはずだったが,法制審の答申を受けても政府は改正法案を国会に提出しなかった。当時の与党・自民党内から「国民の意見が大きく分かれており時期尚早」などの異論が噴出したためである。その後,2009年に民主党政権が誕生。千葉景子法相(当時)が法案提出に意欲をみせたが,やはり党内外で反対意見が出て断念した。

 補注)この「当時の与党・自民党内から『国民の意見が大きく分かれており時期尚早』などの異論が噴出した」点は,我田引水そのものであった。ここで「国民と意見」だといわれたもののうち「最大の反動形成的なその〈異論〉」を,いつも強行にもちだしてきたのは,

 彼ら=「与党・自民党内」のしかも旧態依然たる精神構造の持主たち,つまり,19世紀後半ないし20世紀前半の時代感覚以外なにももちあわせない「その頑迷な国粋・保守・右翼の議員連」であった。

〔記事に戻る→〕 厚生労働省の調べでは,結婚して夫の姓を選ぶ人の割合は昨年,96.1%。この数字は約40年前の1975年と比べても2.7ポイント下がっただけである。夫婦別姓の反対派は「別姓を導入すれば家族の一体感が損なわれる」「家を受けつぐのは日本の伝統文化だ」などと主張している。

 補注)ここで議論しておく。「家を受けつぐのは日本の伝統文化だ」という根拠を示すだけで,「別姓を導入すれば家族の一体感が損なわれる」と批判する意見が,いままでしばしば披露されてきた。だがこの主張は,日本の「歴史も伝統も文化も」実は,まったくしらない者たちの意見である。

 婚姻関係にある夫婦であっても別姓である国々が,実際にはいくらでも存在する。また,事実婚の比率が半数にも達している国があるのに,それでもまだ「家族の一体感が損なわれる」という考えに執着するようでは,これが単なる観念的なイデオロギーのいいぶんにしかなりえないと,その根本から批判される段には,うまく反論することができない。

 単純思考で考えてみればよいのである。別姓の国々である中国や韓国では,もともと「家族の一体感が損なわれる」ことになっているなどといったら,その無知さかげんが大笑いされる。かの国々でも,そして日本でもむろん,夫婦仲険悪で離婚とかいった事例は,おたがいに「ゴマン × ゴマン」とある。それとこれとはひとまず別個の問題であったことに気づかないというか,気づこうとする気持ちすらない日本の国会議員先生たちが実在する。

 「家を受けつぐのは日本の伝統文化だ」という独特の意見に至っては,支離滅裂の至りである。「家を受けつぐ」という歴史的・時間的な「家に関する観念:理解」は,とくに日本でなくとも世界中の国々においても,それぞれがそれなりに存在させてきた立場・思想であり,伝統文化であった。

 絶対最上級でものごとにすべてに関して最高水準の自信を抱いて発言できる人,それも国家の価値観だとか会社の世界観だとかを語れる人は幸いであるが,他者・他国にまでそれを押し売りするのはまずいのではないか,という以前に幼稚さが目立つほかない態度であた。

 それをわざわざ,自分の国についてだけは,「特別な日本の伝統文化がある」などといったところで,この意見は《これじたい:ドイツ哲学の用語でいえば an sich (それじたい)》としてのいいぶんでしかない。要は「手前味噌」。このミソの味に対する評価は通常,その手前味噌の判断規準で品評できるときこそ,最高の評点が与えられることになる。

 世界中に存在する関連の「家・事情」すべてを十全に認識したうえで,なおかつ「日本に独自のものがある」と定義したいらしいが,もともと,その「家の日本的な伝統文化性」がきちんと説明されていなかった。ただ,自分たちはそうなのだといった「単なる先験的な決めつけ」が,そもそもの出発点に置かれていたに過ぎない。すなわち,この出発点に関しては,まともな説明じたいがおよそ不在であった。

〔記事本文に戻る→〕 一方,女性差別撤廃条約は,姓を選択する権利を確保するよう求めており,日本は国連からなに度も改善するよう勧告を受けてきた。国連の女性差別撤廃委員会委員長を務める林 陽子弁護士は「どちらかの姓を選ぶといっても,96%が夫の姓というのは事実上の女性差別。『失われた20年』に対する最高裁の判断は,国際的にも注目されている」と話す。

 補注)「家を受けつぐのは日本の伝統文化だ」という意見は,1898〔明治31〕年に施行された明治民法が「『家族は同じ家の姓を名乗る』と規定し,『家』」を単位とする戸籍制度が作られた」という歴史の事情を,唯一最大の根拠にしていた。

〔記事に戻る→〕 だが,それときからすでに1世紀以上が経過している。はたして,その当時のままの規定をもってする「家に関する考え方」が,現在にも適切なものたりうるのか。この種の疑問が提示されても,これを問答無用に放逐しようとする「家・家制度に関する旧態依然の観念イデオロギー」が,日本社会のなかにはまだ残存している。

 c) 世論,揺れ動く賛否

 法改正して選択的夫婦別姓を認めるべきか。世論調査では賛否が揺れ動いてきた。関連して引用する記事からはさきに添えられていた図表から紹介しておき,つづく説明も引用する。

日本はこの領域でもいまではすっかり「後進国」?

 法制審が改正案を答申した1996年に政府がおこなった世論調査で,「法改正は不要」と答えた人は40%。「改正してもかまわない」は33%だった。

 だが,国家公務員による職場での旧姓使用が認められた2001年には,「かまわない」(42%)が「不要」(30%)を逆転。

 朝日新聞の世論調査でも,1994年に「賛成」が58%を占め,2009年の調査でも賛成が多数だった。

 しかしその後,2012年の政府の世論調査では,「不要」と「かまわない」がともに36%に。2013年の朝日新聞の世論調査でも,賛成(46%)と反対(47%)は拮抗している。

 d) 義務づけは「日本だけ」

 「現在把握しているかぎりでは,わが国のほかには承知していない」。結婚すると夫婦が同姓を名乗るよう法律で,義務づけている国があるかどうかについて,政府は今〔2015〕年9月に閣議決定した答弁書でそう明らかにした。糸数慶子参院議員(無所属)の質問主意書に答えた。

 法務省によると,2010年に主要各国に問い合わせたという。同年に衆院調査局がまとめた資料によると,「夫または妻の姓にそろえる〈別姓〉」,「『鈴木田中』のように夫婦の姓を並べた『結合』姓」の選択肢から選べる国が多い。

 中米のジャマイカは夫の姓にする「同姓」だが,法律の定めではなく慣習的なものだという。中国や韓国は別姓で,結婚しても姓は変わらない。フランスも別姓だが,妻は夫の姓を名乗ることも認めている。

 トルコやタイはかつて,妻が夫の姓に変わると定めていた。トルコは2002年に法改正し,妻は「結合」姓も選べるようになった。タイも2005年に法改正で別姓が認められた。

 e) 民主党政権の法相として2010年に民法改正案を国会に提出しようとした千葉景子氏(67歳)。そのとき連立与党にくわわっていた国民新党の代表で,金融相として閣内で唯一,これに反対を明言した亀井静香氏(79歳)。それぞれにいまの考えを聞いた。

  e) -1「少数者の人権問題」千葉景子氏(67歳)

 私が法相になり,なにがやれるかと考えたとき,民法改正案の提出だと思った。法制審議会を通って,法務省がまとめた政府案だ。実現できると思ったが,反対の声が根強かった。反対する人たちのなかには,「家族にひとつの決まったかたちがある」という考え方が残っている。性別による役割分担の意識や家族観とも関係している。

 ただ,強硬な反対派は一部だ。名前が同じなら家族がバラバラにならない,というわけでもない。家族のかたちは多様であっていい。この問題は,別姓を名乗りたい少数者の人権問題だととらえる必要がある。

 国会議員にとっては票につながらず,優先順位が低くなるという面もある。いまの政府では,改正案を出す雰囲気にはならない。最終的に,人権を救済できる機関は裁判所だけだ。最高裁は,違憲判決を出してほしい。期待している。

  e) -2「家族の一体感作る」亀井静香氏(79歳)

 夫婦別姓に反対する立場は,いまも変わらない。仕事などで立場上使っていた名前まで,結婚で変える必要はないと思う。だが夫婦や親子の関係にまで別姓を入れるのは間違いだ。

 日本では昔から姓を使っていたわけではないが,すでに,家族が同じ姓になるという文化が定着している。姓は,家族共通の標識。一体感をつくっていることは間違いない。

 補注)既述に指摘した問題点がそのまま,亀井には表出していた。「日本では昔から姓を使っていたわけではない」という点は,ここでいう昔とはいつかからを指すのかという理解からして,その確定(特定)が不詳(不可能)であった。不詳でしかない点を根拠に挙げてモノを主張することじたいに,そもそも問題ありであった。

 亀井は「姓は,家族共通の標識。一体感をつくっていること」に関して「間違いない」と確言していた。これはむげに否定はできない意見ではあるものの,同時にまたその根拠が完全に不確かであった。

 たとえばここでは,〈家族〉の代わりに「〈チーム〉とその名称」だとか「〈会社〉とその社名」だとか「〈大学〉とその同窓年次」だとか入れ替えて考えてみればよい。

 つぎは離婚の話題をとりあげ議論する。まずつぎの図表を提示しておく。

これら年次に関しては「婚姻件数」÷「離婚件数」は3倍「未満」である
同姓婚か別姓婚かという問題とは別問題のその比率・数字

 2007年の離婚件数は25万4822組で,前年の25万7475組より2653組減少した。この離婚件数は1964年以降毎年増加し,1971年には10万組を超えた。その後も増加を続け,1983年をピークに減少に転じ,1991年から再び増加していたが,2003年から5年連続で減少している。

 離婚率(人口千対)は 2.02で,前年の 2.04を下回った。離婚件数を同居期間別にみると,1~2年を除く15年未満では減少しているが,15年以上では増加している。(参照終わり)

 別姓に反対する人たちの意見には「『家族にひとつの決まったかたちがある』という考え方が残っている」し,さらには「性別による役割分担の意識や家族観とも関係している」価値観も色濃く残っている。そうだとすれば「離婚の原因じたい」が,そうした固定観念的な枠組のなかでみなおすとき,いったい「因・果」のどちら側にあるかが判りにくい。

 上述をもっと噛みくだいていおう。いまの時代,「家族にひとつの決まったかたちがある」ということを押しつけられた場合,夫婦の片方が離婚を決意する原因になりうる(それもしごく簡単に)。

 さらには,「旧来型の家庭内における役割分担の意識や家族観」から受けとる負担も,夫婦が離婚する原因になりうる(最近は両親〔舅・姑〕の世代ほうが気を使う時代)。

 とりわけ,現代の若い夫婦関係が新しくとりつつある男女の間柄においては,そのような傾向が基本的な特性にすらなっている。時代は変わりゆくものなのに,いつまでも「旧きよきナントカ」が未来永劫的にあるかのように夢想できる人たちは,それじたい幸せといえば幸せであるが,それなりの価値観・世界観を他者に押し売りするのは厳禁であった。

 

 ※-3 参考資料-『毎日新聞』2024年8月27日朝刊6面「経済」から

 こういった案件でいつまでもモタモタしているようでは,換言するに,現状におけるこの民法上の「同姓・別姓」問題のことが,いまさらのようにこの国の「衰退途上国」性を自証するほかなくなっている事態を,ただダラしなく,これからも持続可能(!)状態に留めおくほかない。

 G7のメンバー諸国は,日本・米国・イギリス・ドイツ・フランス・イタリア・カナダの7か国の財務大臣および中央銀行総裁と決められているが,以前,この日本を韓国に入れかえてみたらといった話題も出ていたとか。

 それにしても,選択的夫婦別姓の導入すら,いつまでもグズグズいっていて,最高裁の判断に期待を賭けるとかなんとか悠長に構えていてもいるこの国は,まさしく本当に「世界に冠たる神州の日本国」の「偏屈なりの卓越的な特殊性」は誇れるにしても,ともかく先進国のなかににまだ止まっていたいのであれば,同姓・別姓の問題などさっさと解決しないといけない。

 最後に,1週間前の日付けとなるが,『毎日新聞』朝刊からつぎの関連する解説記事を紹介しておきたい。

このような解説記事じたいにひどく「隔靴掻痒」さを覚える

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【付記】「本稿(2)」の続編(3)はこちらになる。

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