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安倍政権のもと「正体の定まらない無識的大臣たち」が国会内をウロつく怪奇現象-「環境の日」の日付をしらなかった環境大臣丸川珠代-

 ※-0「衆議院選挙 自民 丸川珠代元五輪相 落選 東京7区」『NHK NEWS WEB』2024年10月28日 5時25分,https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241027/k10014620611000.html

 2024年10月27日に実施された衆議院解散総選挙の結果のひとつに,東京7区で,「自民党新人の丸川珠代・元オリンピック・パラリンピック担当大臣が落選した」というニュースがあった。

 この丸川君,以前は参議院議員比例区から国会議員に選出されていたが,自民党・内規にしたがい衆議院小選挙区に鞍替えした今度は,衆議院の選挙に挑んだけれども,もののみごとに落選した。

 世間の側からの評判は,つぎの記事に代表的に表現されていた。

丸川珠代で一番目立った国会活動は
「愚か者!」というヤジの発言くらい

 以上のごとき世評があったのとは対照的に,丸川珠代の関連ホームページにおいては,つぎのように自分が語られていた。こちらの論旨は,前段の『デイリー新潮』記事の中身とはイメージ的にも〈雲泥の差〉があった。なお,事後においてこのサイトが削除ないしは変更されることも予想しておき,関心のある段落だけとなるが,つづけて引用しておく。

 私は,ひとり親家庭で育ちました。
 母が懸命に働いて教育を惜しまず与えてくれた。
 だから,私は自立できました。

 認知症の祖母と母が年金で助け合う日々。
 将来への不安が募りました。「障がいや困難に直面する方も,
 誰もが希望を持てる社会をつくりたい」その思いが,私の原点です。

 大臣になったその日,母が倒れ,母も祖母も介護が必要になりました。
 よく知っているはずの介護制度を選ぶ余裕すらない。これが現実でした。
 でも,懸命の介護で母はもう一度,働けるようになりました。

 社会保障は「希望の源」です。
 そして,私も母になり,港区・渋谷区で,こどもを育ててきました。
 こどもは希望です。この子たちに素晴らしい未来を残していきたい。

 見通せない未来に立ちすくむ人が,不安を乗り越えられる社会を
 つくりたい。「挑戦を支える政治」で,私たちの国は必ず
 繁栄を取り戻せる。私は,そう確信しています。

 未来に,安心と豊かさを手渡したい。絡み合った課題に
 答えを出したい。真摯な反省から政治をつくり直す覚悟です。
 我が子が育つこの街で,新しい挑戦を始めます。

丸川珠代が選挙用に訴えていた文言

 前段の記事のなかで丸川珠代は「上級市民(国民)だ」と解釈・言及されていたが,この当人の説明ではまるでその逆であった,というような思い出が語られていた。

 ということは,下級市民から上級市民にまで成り上がれたのが,この人であったという具合に受けとめておけばいいのかも……。しかし,この文章を読むかぎり,そうした受けとめ方じたいには,いささかならず無理が生じそうな印象が,どうしても残った。

 ※-1 丸川珠代って,どういう人物であったのか

 ここからの記述は,2016年2月ごろにまでさかのぼって観た「丸川珠代の関連ホームページ」に関する議論となるが,現在の2024年12月の時点にまで通底する事実にもなりうる点を確認したうえで,議論を再起動させることにした。また,その間における時間の経過にともなって必要となった更新・補正に関しては,そのつど訂正や加筆をおこない,さらに充実をこころがけたつもりである。

 本記述は当初,2012年12月26日に発足した「安倍政権のもと『正体の定まらない無識的大臣たち』が国会内をウロつく怪奇現象-『環境の日』の日付をしらなかった環境大臣丸川珠代-」という題名をかかげ執筆されていた。その要点としては,つぎの5項目を挙げていた。

 ▲-1 そこのけ,そこのけ,お馬が通る。……安倍晋三内閣風に,であっても,おバカで愚かな発言は「もういい加減にしてほしい」と,お願いだけはしておきたい相手が,その配下の閣僚たち

 ▲-2 もともと素養とか教養とかが備わっていなかったのか,それとも「大臣就任時からのにわか勉強」さえサボってきたのか

 ▲-3 大将が大将(「幼稚と傲慢」の首相)だからといって,それ以下につづく陣笠大臣たちの「その程度のひどさ」が許されていいわけがない,まさに看過しがたい「暗愚と無知」

 ▲-4 閣僚としての基礎的な学習不足(基本知識の欠落)がめだつオトモダチ内閣の各面々

 ▲-5 これでは,小学生・中学生たちによる模擬内閣のほうがよほどマシ?

本稿・要点


 ※-2「丸川環境相,『環境の日』誤る 6月1日と答弁…実は5日」『朝日新聞』2016年2月23日朝刊4面

 丸川珠代環境相は2016年2月22日の衆院予算委員会で,「環境の日」(6月5日)が何月何日か問われ,「6月1日」と誤って答弁した。

うろ覚えだったのか?

 民主党の後藤祐一氏が「環境の日というのがある。何日かしっているか」と質問したのに対し,丸川氏は「6月1日でございます」と答弁した。後藤氏から「6月5日ではないか」と指摘され,丸川氏は「申しわけございません。6月5日でございました」と答弁し直した。

 後藤氏は「(丸川氏が)しらなかったことが明らかになった。(環境の日は)大変貴重な日だ」と指摘した。6月5日の環境の日は環境基本法で定められ,1972年にストックホルムで開催された「国連人間環境会議」を記念している。国連も「世界環境デー」と定めている。

 さてそこで,丸川珠代が2015年10月7日(第3次安倍改造内閣発足)から環境大臣を務めていた当時の検索であったが,早速,「環境の日」でなにが出てくるか探してみたところ,環境省のホームページのなかに以下の解説が掲出されていた。

この画像資料はつぎの枠内の段落の間には
挿入できない仕組(のブログ)になっているので
さきに掲示しておくことにした

          ◇ 環境の日及び環境月間 ◇  

 6月5日は環境の日です。これは,1972年6月5日からストックホルムで開催された「国連人間環境会議」を記念して定められたものです。国連では,日本の提案を受けて6月5日を「世界環境デー」と定めており,日本では「環境基本法」(平成5〔1993〕年)が「環境の日」を定めています。
 
 「環境基本法」は,事業者及び国民の間に広く環境の保全についての関心と理解を深めるとともに,積極的に環境の保全に関する活動をおこなう意欲を高めるという「環境の日」の趣旨を明らかにし,国,地方公共団体等において,この趣旨にふさわしい各種の行事等を実施することとしています。

 わが国では,環境庁の主唱により,平成3〔1991〕年度から6月の1ヶ月間を「環境月間」(昭和48〔1973〕年度~平成2〔1990〕年度までは,6月5日を初日とする「環境週間」)とし, 全国で さまざまな行事がおこなわれています。世界各国でも,この日に環境保全の重要性を認識し,行動の契機とするため様々な行事がおこなわれています。
 
 註記)http://www.env.go.jp/guide/envdm/ このリンク先住所は現在は
Forbidden で参照不可。

環境の日:説明

 

 ※-3 丸川珠代の学歴・経歴など

 念のため「首相官邸」のHPものぞいて,丸川珠代の経歴紹介を訊いてみたところ,こう記述されていた(こちらも2016年2月当時)。

丸川珠代・画像


 丸川珠代(まるかわ・たまよ):環境大臣・内閣府特命担当大臣(原子力防災)(第3次安倍改造内閣時)の経歴は,以下のとおりであった。

 生年月日  昭和46〔1971〕年1月19日
 出身地   兵庫県
 参議院議員 東京都選挙区(当選2回)
 学 歴   平成5〔1993〕年 東京大学経済学部卒業
 職 歴   平成5〔1993〕年  株式会社テレビ朝日入社
       平成19〔2007〕年 株式会社テレビ朝日依願退職
                 参議院議員初当選(第21回)
                 自民党女性局長
       平成21〔2009〕年 自民党厚生労働部会長代理
                 自民党影の内閣:厚生労働副大臣
       平成22〔2010〕年 自民党参議院政審会長代理
       平成24〔2012〕年 厚生労働大臣政務官
       平成25〔2013〕年 参議院議員当選(第23回)
                  厚生労働部会長
       平成26〔2014〕年 参議院厚生労働委員会委員長
       平成27〔2015〕年 環境大臣,内閣府特命担当大臣(原子力
                 防災)
                 (第3次安倍改造内閣)

 趣 味 :  自然に触れること

  註記)『過去の官邸ホームページ』-過去の官邸ホームページ上で公開していたコンテンツをご紹介します-,http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/meibo/daijin/marukawa_tamayo.html 参照。

丸川珠代・経歴 

 なお,丸川珠代の配偶者,大塚 拓は衆議院議員。珠代は丸川姓〔のまま〕で,国会議員職を勤めている。同じ自民党議員である高市早苗も同じ流儀であったが,夫婦が別姓をふだんから通称として当たりまえに使用していた。

 補注)高市早苗の配偶者(夫)は,山本 拓である。両名は,2004年に結婚,2017年に離婚,2021年に再婚。

 しかしながら,この人たち,丸川珠代や高市早苗の思考様式にしたがって判断するに,彼女らが属している自民党がそれこそ声を大にして主張にしていたはずの,すなわち,とても大事な「家族の絆」は,それぞれの夫婦間できちんと堅められているのか,大丈夫かなどと,よけいな心配をしてあげたくなる(これはいくらか皮肉をこめた指摘)。

 日本会議国会議員懇談会の成員である高市早苗が,別姓で通している事実はとくに奇妙である。自分の夫とは一度離婚し,再度結婚している。その間ずっと高市姓を使用してきたとすれば,主義・主張にかかわる点で,それもとくに政治家の立場として問題がないとはいえない。

 丸川珠代は,製靴メーカーの御曹司である大塚 拓(こちらも10月27日の衆議院選挙で落選)を夫とするが,高市,丸川ともに別姓を使い旧姓を名乗っている。前段の懇談会風の価値観で断言するとしたら,それで夫婦の仲は,そして,家・家族の〈絆〉は本当に大丈夫かい,などと混ぜっかえしたくもなる。

 丸川珠代は一見したところでも,いかにも優秀そうで美しい女性であり,つまり,才色兼備のすばらしい女性議員のように「みえる」。ところが,先般における東電福島第1原発事故による放射能物質の被害問題にかかわる「内閣府特命担当大臣(原子力防災)」の閣僚としての発言(認識内容)は,お粗末をきわめる無知の発言を放っていた。

 たしか東大経済学部卒だったはずだが……。

 

 ※-4 原子力防災担当大臣の「原発問題の理解」が無知であった事情など

 このブログの記述に関連しては,より早い時期に公表していた別の記述があった。しかし,現在は未公表の状態になっており,その内容についてここでは,部分的にしか関説できないが,つぎの題目をつけて公表していた。

 本題:『チャイルド(childish)な安倍ワールド国で,幸せに暮らすチルドレン的な自民党議員,そして大臣たち』

  副題:「21世紀のこの国には,空虚知識の首相や無教養の大臣・閣僚が飛びはねまわっている,その軽佻浮薄さ」

ある記述の主題と副題「紹介」

 この記述の文章のなかで筆者は,丸川珠代が環境大臣として発言していたそれも完全なる無知にもとづくその内容を,さらに次段のように批評していた。

 以下に紹介しておく文章は,「丸川環境相が発言撤回 1ミリシーベルト目標 『科学的根拠ない』」『朝日新聞』2016年2月13日朝刊1面をとりあげて,この大臣の無識ぶりを批判した文言の一部である。  

 この女性大臣,まことに程度の悪い無知を披露した。それとも故意にこのように発言していたのか。例の原子力村全体の意向が,環境担当大臣の発言をもって代弁されたことを意味していたのかもしれない。

 それにしても丸川珠代においては,原発事故の問題や原子力・放射能の問題に関して,本当になにもしらないのではないかと思わせるような発言がめだっていた。  

 ただしもう一度いっておくが,ある程度は「関連する知識を聞きかじっての〈この種の発言〉だった」のかもしれないという〈疑い〉もあった。ともかく,この記事に聞こう。 

 まず前文として,こう断わっていた内容から紹介するが,上記の指摘のように批判するほかなかった,それも報道された【記事の本文】のなかで紹介された丸川珠代の見解は,こういうふうに語られていた。

 「丸川珠代環境相は〔2月〕12日夜,記者会見し,東京電力福島第1原発事故への対応で国が追加被曝線量の長期目標として示している年間1ミリシーベルトについて,『なんの科学的根拠もない』などと自身が講演で発言したことを認め,発言を撤回し,『福島の皆様にはまことに申しわけない』と陳謝した。衆院予算委員会では発言を認めていなかっただけに,週明けの国会審議で野党の追及は必至だ」

 補注)以上のなかでも問題となった発言は,こうなっていた。「『反放射能派』というと変ですが,どれだけ下げても心配だという人は世の中にいる。そういう人たちが騒いだなかで,なんの科学的根拠もなく時の環境大臣が決めた」。

 結局,こうした発言が「なんの科学的根拠もなく時〔いま〕の環境大臣」である丸川珠代の口が飛び出たところに,そもそもからして「かなり重症であった問題」が潜んでいた。

 ここで『反放射能派』とは脱原発・反原発派を意味していた。だが,この話法を敷衍するとなれば,丸川珠代のような国会議員は,しかも環境大臣の立場でありながらも逆に,「追加被曝線量の長期目標」に関しては,適当にいくらにでも高く設定してかまわない,ということになりかねない。

〔記事に戻る→〕 〔もともと〕1ミリシーベルトは,国が除染などによって達成する目標として決めた。国際放射線防護委員会が原発事故から復旧するさいの参考値としている被曝線量「年1~20ミリ」のなかで一番低い数値。除染事業を担当する環境相が発言したとして,丸川氏の認識を問題視する声があがっていた。

 前段では原発関連の記述,議論になっていたので,つづけて『朝日新聞』2016年2月23日朝刊16面「朝日川柳を紹介しておくが,あまりにもぴったりの皮肉川柳であった。原発関係の川柳も1句選ばれている。昨日〔同年2月22日〕に本ブログの記述が触れた文部科学省大臣の元プロレスラー馳 浩も,このなかに登場していた。

 なおこの馳は,2024年1月1日に能登半島地震が発生したとき石川県知事の地位にあったが,その災害対応ぶりのまずさに対しては非難が集中していた。要は無能知事であった。

『朝日新聞』2016年2月23日朝刊16面

 いくらオトモダチ内閣の閣僚面々であったとはいえ,また,もともとそれほど期待などしないほうがよかった,当時の〈陣笠大臣連中〉「だった」とはいえ,なにゆえ,ここまで閣僚・大臣として担当する部署の,そのもっとも基本的な職務に関する知識すらわきまえないまま,2015年10月7日からであったが,各自がそれぞれの大臣職に就いていられたのか?

 「環境の日」ということばをネットで検索したら,環境省の「環境の日」に関する解説がすぐに飛び出てきた。そうであるくらいなのに,そこの大臣が『環境の日が6月5日』である事実をしらなかったとか,あるいは,最初から間違えて記憶していたとかでは,お話にならない。

 冗談にもならないほどの体たらくだったというべきか,それとも,無教養という前にそもそも不勉強を恥じないでいられる,その厚かましくも破廉恥な国会議員たちの職務遂行・生活姿勢だったと形容すべきか。いまどきの大臣職なんぞ,誰にでもしごく簡単に務まりそうに感じた。

 丸川珠代の場合,「環境の日」に関してはただし,「6月」の部分は正解であったから,好意的に受けとめておこうとすれば,まだ救いようが全然ないわけではなかった。

 だが,東京大学経済学部卒業の才女的なオネエサンが,この程度の知的水準(環境大臣として必須の予備知識⇒必要最低限の情報取得)をもてないまま,当時,環境省の大臣職を遂行していたとは,本当に驚くほかない。

 「何何の日」という記念日が世の中には散乱しているといっていいくらい,たくさんある。このことは事実だとしても,自分が大臣やっている省の「環境の日」ぐらい,大臣に就任したせめて1週間以内には憶えておくべき「日」ではなかったか?

 まさか「月」は憶えておいたが「日」のほうまではそうはいかなかったなどと「おバカ」なことは,東大経済学部を卒業し,株式会社テレビ朝日に入社して働き,社会にも大いに顔が売れ,そして自民党の参議院議員になったオネエサンの立場であれば,口が裂けてもいえまい。まったく,冗談にもならない話題をよくも提供してくれたものである。

 ※-5「権力の私物化と『生業としての政治』」水島朝穂『メールマガジン』2016年2月22日,http://www.asaho.com/jpn/bkno/2016/0222.html から一部分を引照しつつ議論

 a) マックス・ヴェーバー『職業としての政治』(脇 圭平訳,岩波文庫,1980年。原文:Max Weber, Politik als Beruf, 1919)によれば,政治家にとっては,情熱(Leidenschaft),責任感(Verantwortungsgefühl),判断力〔見通す力〕(Augenmaß〔眼力〕)の3つの資質がとくに重要となる。

 註記)〔 〕内補足は本ブログ筆者。

 「政治とは,情熱と判断力の2つを駆使しながら,堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である」と熱く語りつつ,「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて,現実の世のなかが-自分の立場からみて-どんなに愚かであり卑俗であっても,断じて挫けない人間。

 どんな事態に直面しても「それにもかかわらず! ( „dennoch!” )」といい切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職( „Beruf” )」をもつ」で結ばれる。

 政治家,あるいは政治家をめざすという人びとが一度は手にとって読んでおくべき古典中の古典だが,それにしても,どんな困難や圧力に対しても,自己の信念にもとづき,堂々と「にもかかわらず」といえる政治家が少なくなって久しい。

2023年度で早稲田大学法学部定年退職

 b) 私益を追求する「生業としての政治家」が多すぎる。とくに自民党内の状況は,北朝鮮か旧ソ連のような中央集権的色彩が濃厚で,総裁選でも対立候補が出られない窒息状況にある。安倍・党中央の絶大なる権力のおごりと昂(たかぶ)りのもと,所属議員や閣僚たちの不祥事や失言が量産されている。

『朝日新聞』2016年2月18日朝刊
「丸山和也黒人差別発言関連」

 安倍第1次政権(2006年9月26日-2007年9月26日)のときの「なんとか還元水・大臣」や「絆創膏大臣」などはまだご愛敬だった。いまは言葉の滑り方が尋常でない。これも安倍・党中央の「傲慢無知」と「厚顔無知」が投影しているのだろうか。

 c) とりわけ,高市早苗総務大臣が,放送法4条の「政治的公平」に関連して,放送局の電波停止(電波法76条)に言及したことはきわめて重大である。

 放送法が1条で「放送による表現の自由の確保」をうたうことを前提に,4条2号の「政治的に公平であること」は放送事業者が自主的,自律的に遵守する倫理規定と解されてきた。

 これは戦前の新聞紙法,映画法,出版法などの言論弾圧立法への反省から,国家による直接介入を避けて,業界内部での自主的チェックに委ねたことが重要である。

 〔ところが〕高市総務大臣は,憲法研究者や法律専門家の反対意見に耳を傾けることなく,集団的自衛権行使を「合憲」とする閣議決定をおこない,安保関連法を実現した安倍首相の「お友だち」らしく,多数のメディア研究者が指摘する,放送法4条の倫理規定的理解(解釈)を完全に無視して,放送事業の統制に燃えているようである。

 d) そうしたなか,安倍政権の「国家先導主義」はゆきづまりがはっきりしてきた。それでも安倍首相は,自民党総裁の任期を延長して,憲法改正と東京オリンピックの開催時の首相になろうとしている。自分のために総裁任期を延長する。

 「総理・総裁」という言葉が復活した日本では,総裁任期延長は首相在任期間の延長に連動する。これは国家運営の私物化にほかならない。任期に手をつける権力者は危ない。地方にもそういう人物がいる。
(ここまでで,水島朝穂からの引用・終わり)

 水島朝穂の指摘・批判するとおりであった。「任期に手をつける権力者は危ない。地方にもそういう人物がいる」点では,埼玉県知事(上田清司)が問題だと,水島は同時に議論していた。

 補注)上田清司は,1948年5月15日福岡市に生まれ,衆議院議員を1993年から2003年まで,つづいて埼玉県知事を2003年から2019年まで務めた。

〔記事に戻る→〕 この上田知事の件はさておき,「任期に手をつける権力者は危ない」という,政治統治に関する基本的な認識は,これを『独裁者に固有である行動様式』として警戒しなければならない「政治学のイロハ」を教えている。

 北朝鮮のキム・ジョンウンはこのままでは,この国のなかで特別になにかが起こらなければ,終身の最高指導者になる可能性がある,つまり世襲3代目の独裁者でありつづけることを,死ぬまで止めないと,当然のこととして予想される。

 だが,もう “少しだけでも” ましな独裁国家にあっては,独裁者が途中で倒される〔あるいはしばしば殺される〕事例は,とりわけ20世紀における世界各国の政治史のなかでは,いくらでも発生してきた。

 本日,2024年12月10日時点で最新の関連するニュースとしては,アサド政権が独裁的に半世紀もの長期間支配してきたシリア情勢の急変に関しては,こういう報道があった。


 しかし,あまりよその国のことばかりいえないのが,われわれが生きているこの国。いまは故人となったあの “アベ・ジョンウン” の記憶はさておき,いまの日本,けっして独裁国そのものではないものの,憲法の規定のもと終身の特別待遇を与えられ,つぎに記述するごとき地位に就いている人間集団がいた。

 現に大勢いる世襲政治家も問題であるが,こちらの問題はここでは触れないで,次項の記述に進む。

 

 ※-6「皇太子徳仁の誕生日:2016年2月23日歳という話題」を『朝日新聞』2016年2月23日朝刊38面「社会」を参照しつつ,いくらか考えてみたい

 1) 記事本文 「皇太子さま,56歳に『被災地の復興に心寄せていく』」

 皇太子さまは〔当時,2016年2月〕23日に56歳の誕生日を迎え,これに先立ち,東京・元赤坂の東宮御所で記者会見した。間もなく発生5年を迎える東日本大震災について「多くの方々が依然として厳しい環境のなかで暮らしておられることに心が痛みます」と述べ,雅子さまとともに「被災地の復興に永(なが)く心を寄せていきたい」と語った。

 補注)当時において皇太子一家が,どのくらいの人数の宮内庁職員にかしずかれて日常の生活をしているか,国民たちはよくしらない。宮内庁で皇太子一家の面倒をみる職員は,60数名いる。活字が拾えないので,つぎの紙面を画像で紹介しておく。

 この皇太子夫婦はいまでは天皇夫婦だから,その人数は多分,3桁にはなっているというか,宮内庁職員全体の定員 1,079人がそれに相当する,と解釈してもよい。

皇太子用宮内庁職員人数

〔記事に戻る→〕 昨年(2015年)の戦後70年の節目に関連し,戦争に関する展示や話を見聞きするなか,「歴史の教訓に学び,このような痛ましい戦争が二度と起こらないようにしなければならない」との思いを強くしたと言及。国内外で慰霊を続ける天皇,皇后両陛下の姿に「平和を思うお気持をしっかりと受けついでまいりたい」と述べた。

 また,ご一家そろって両陛下から疎開した話など戦時中のことを聞く機会があり,「とてもありがたいこと」だったと振り返った。

 補注)戦争体験に即していえば,庶民と皇族のそれではまったく異なった様相があった。前者には死者がたくさん出ていたが(日本人関係だけで310万人),後者からはそうではなかった(第2次大戦に限っていえばゼロといっていい)。同じに比較しつつ,似たような話題にとりあげられるような内容であったとは,とうてい思えない。

〔記事に戻る→〕 雅子さまの療養については,依然として体調に波はあるが,活動にみあうかたちで回復してきているように感じている,と紹介。「焦らず慎重に,少しずつ活動の幅を広げていってほしい」と述べた。

 補注)綾小路きみまろではないが「あれから40年」とまではいかないものの,雅子の場合「あれから十何年」とはいえる。このままの状況がさらに十何年が重ねて続きそうな《勢い》である。

2015年11月12日天皇家主催の園遊会にて

http://www.huffingtonpost.jp/2015/11/12/
princess-masako-appears_n_8550490.html 

この写真でみるかぎり,兄弟の顔つきには
いくらか相違があるように感じられる(が)……。


〔記事に戻る→〕 学習院女子中等科2年の愛子さまの学校生活については「交友関係もさらに広がり,日々充実した学校生活を楽しんでおります」と明かした。愛子さまの今後には「さまざまな経験を積み,自分の望む道をしっかり歩んでいってほしいと思います」と述べ,その過程で「皇族の務めについても理解を深めてくれれば」と願った。

 補注)正式には「皇族の務め」は天皇以外,そして例外的にその補佐をすることもある皇太子以外には「ない」,皆無である。この点を「あるもの」のように語るのは,本当は筋違いであり,完全に間違いである。

 しかし,現実(実際)にはこのような発言が許されているし,宮内庁側が創造し蓄積してきた関連する諸事情も多々あった。この論点をくわしく議論することになれば,1冊の本が必要なくらい本格的に考察する必要があるので,以上の言及で済ませておく。

 2) 記者会見「全文」(ここではこの全文を引用しえない。ネット上から拾えるので,読みたい人はそちらを参照されたい)

 「皇太子さまは〔2016年2月〕23日,56歳の誕生日を迎え,これに先立ち記者会見に臨んだ。全文は,つぎのとおり」ということで,つづいて【宮内記者会代表質問】が,ここまで記述した分量に近い字数で紹介されている。はじめは引用してみきたいと思ったが,やめることにした。

 皇族たちはとくに,自分の誕生日にさいして「国民たち」に向かい,各種各様の意見・感想など述べてきている。天皇はけっして日本国の独裁者などではなく,国家・国民の統合のための「象徴」として存在させられている人間である。

 もっとも,彼らはそのように〈摩訶不思議な存在者たち〉だとも形容できる。皇太子の親族たちもまた,誕生日などを迎えたときはそのつど,前段のごとき「なにかが分かったようで,どうもよく分かりえない」のだが,特定の意味をこめているつもりである「おことば」を,つぎつぎと披瀝することが慣習のようになっている。

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