アベノミクスの思い出,悲劇にも喜劇にもなりえなかった「暗愚三昧のアホノミクス」が日本をダメノミクス状態にさせた経緯(4)
※-1 本日の前文
「本稿(4)」2014年3月24日に公表されていたが,「戦争と国家」との問題が歴史に記録してきた20世紀から21世紀にかけての,最近でいえば2022年2月24日に「ロシアのプーチン」が始めたウクライナ侵略戦争,2024年10月7日にイスラエルのとなりガザ地区に居を構えるハマスが,このイスラエルに数千発のロケット弾攻撃で開始した紛争(実質戦争状態)は,人類史のなかでけっしてなくなることがない「戦争と平和」の問題を,いまさらのようにあらためて深刻に考えさせる有事をもたらした。
「本稿(4)」は,2008年ころの全世界史的見地から観た「戦争と経済が交叉する問題領域」の実相・展開に関してとなるが,「2014年時点までにおいては」,アベノポリミクス(アベノミクスとアベノポリティックスが交叉して)が,在日米軍基地を単に提供させ思う存分に使わせてきた米日軍事同盟関係の枠組を,
いまとなっては,防衛省自衛隊3軍がアメリカの傭兵的な手助けを直接おこないうる,しかも自前の軍事費をわざわざ提供する「米日上下・服属関係」に変質させた実情のなかで,例の2015年「米日安保関連法」の公布・施行を,日本国憲法下にありながら平然と強行したこの国の「矛盾以前の支離滅裂な国際政治体制」を再考することになる。
はたして,アベノポリミクスといえるだけの日本の政治史の実体が,本当に実在していたのか,ずいぶんあやしいのだけれども,安倍晋三の第2次政権以降,7年と8カ月もつづいたこの日本国の政治・経済が,この「世襲3代目の政治屋」の頭脳構造とその思考水準に合わせる(制約される,条件づけられるという)かたちで,実質的に損壊させられ崩落してきた事実をめぐり,いまごろ(2023年11月上旬)にはなっているものの,軽視することなく問題として的確に意識しつづけている必要があった。
また,あの民主主義というのは名ばかりである強権専制のロシア準帝国によるウクライナ侵略戦争,そしてハマスによるイスラエルへの戦闘開始というこのところに来ての現実の事件は,これまでの地球史における「戦争と平和」の問題枠組史の流れのなかで観れば,やはりなんどでも「そうした歴史が繰り返されてしまうのか?」という問題意識から疎遠ではいられない事実を,再度われわれに教える。
ということで,この「本稿(4)」がとりあげ議論の素材に据えるのは,「イラク戦争と資本主義の倫理的問題」「現代(その当時)における日米間における政治・経済の角逐」「アベノポリミクスの顛末」という3点となる。以下の記述はあくまで,2014年3月時点の議論であったが,なぜかその10年近い現在のところにもすべりこむかたちで,深く関係する話題を提供していた。
※-2 軍事の産業化:「死の商人」を制度化する学者の観念
北海道大学経済学部の橋本 努准教授(肩書きは当時)が,『日本経済新聞』2008年2月20日「やさしい経済学-21世紀と文明」欄に「資本主義の倫理的課題 2誤算の背景」を寄稿していた。まずこれを問題(材料)にして議論する。
1) 橋本 努は,こう論じていた
イラク戦争におけるアメリカ軍兵士の死者は,現在約4千人,イラクの軍人の死者は約4万人。戦死者の数からすれば,イラク攻撃は大きな誤算であった。もちろん,アメリカがイラクにしかけた戦争の倫理的な問題は「大量破壊兵器」が存在しなかった点である。
それがみつかっていれば,少なくともイラク攻撃の正当性はあった。こんな単純な手続をアメリカ政府が無視するというのは,事実にもとづく理性的判断を政治的に否定する「ある種の暴挙」ではなかったか。
さて橋本の議論は,イラクが「大量破壊兵器」をもっていたとしたら,アメリカの先制攻撃が正当化されたかのようにも聞こえる。筆者としては少し用心して,話を聞きたいのである。
つまり,倫理的課題を表題にかかげているわりには,不用意な議論にも聞こえる要素の介在を感じさせた。「倫理の倫理たる字義」をあらためて考えてみる余地があることも感じた。イラク戦争における民間人側の死者・犠牲者の「桁違いである」「その死者数」も想像しなければなるまい。
2) 橋本はさらにこう論じる
経済倫理に絞ると,戦争最大の問題は民間軍事会社を積極的に活用した点にある。そのPMC:Private Military Company が,兵器にくわえ,軍事活動まで市場取引の対象となる事態に,人びとは市場経済社会の醜悪な姿をみたのである。その背後には,情報技術産業主導型から軍事産業主導型へとアメリカ政府が資本主義の駆動力を転換したことがあった。
橋本の議論は,民間軍事会社が戦闘場面の前面に出たかどうかに注目している。だが,戦争の歴史を回顧すると,戦争が日常生活化してしまい「何十年戦争」という継続的な事態が発生することも,しばしば起きている。このとき,とくにその被害者・犠牲者の面では,民間と政府の区別は不可能である。ここでは,「戦争の倫理」を,官民の両域において識別的に観察するむずかしさを理解する必要が出てくる。
3) 橋本はそして,こう論じる
歴史的に考えると経済的自由主義は,植民地支配や戦争に反対し,軍事的敵対を避けて市場取引を促す政策の採用を訴えてきた。兵器産業が利潤を追求するのは当然だが,軍事まで産業化され,そうした産業が貪欲に儲けようとする資本主義は,もはや倫理的とはいえない。
橋本の議論は,資本主義の論理にいかほど倫理の問題が食いこみうるのかに関して,錯綜した思考がみられる。資本主義は金儲けに関していえば,歴史的にも論理的にも「倫理の基本」は不在である。この事実は,この1~2年における日本の会社が頻発させてきた不祥事,法令順守精神の欠如をみても,明々白々であった。
商売人がお客に頭を下げ,愛想笑いをするのは,懐のなかのお金が目当てであって,お客の人格そのものを相手に,そうしているのではない。ここに当てはめられるべき「倫理」と,哲学や倫理学で問題にする「倫理」そのものとは,根本的に性格を異ならせるというほかない。
そもそも,アメリカがイラクに戦争をしかけたのは,イラクの石油獲得をとおして世界政治経済を思いどおりに支配するためであるから,この次元の問題に「倫理ということば」で表現できる内実を絡めて論じるならば,あれこれ制限事項を付してのものにすべきではないのか。
4) それでも橋本は,こう論じる
アメリカ政府がイラク攻撃に出た背景には,明らかに「近代社会科学」と「自由経済の倫理」に対する軽視があった。アメリカが大量破壊兵器の事実確認という科学的手続を軽視し,軍事闘争を市場交換へ代替する処方を軽視した結果,今日の混迷が生れたというべきである。
橋本の議論は,アメリカが過去に失敗を重ねてきた「侵略戦争の経歴・実績」を棚上げした,もしくはあえて触れない主張をしていた。社会主義国のベトナムにしかけた戦争が,アメリカ式の「近代社会科学」適用の錯誤を証明し,「自由経済の倫理」の押しつけにおける倫理性の欠如を鮮明にしたのである。
大量破壊兵器の事実確認という問題が「科学的手続」を必要とするとまでいうのは,不可思議な議論である。そこまで科学「性」を要した「戦争の問題」だったのかという点を,思い起こしてみればよいのである。軍事大国アメリカによるイラク戦争に関していえば「科学的手続」などいっさいなく,ごまかしによる独断的な国際政治手法が横暴に駆使されただけであった。
要するに,倫理を語るさい,この倫理をとりあげている概念の次元が未確定,その内容も未定義のままであって,この倫理の依拠する哲学的な基盤も不詳なのである。それでは,議論の焦点が定まるわけもない。要は,衒学的ないいたい放題だがが先行(専行)する論旨になっていなかったか。
「戦死者が多かったから,アメリカのイラク攻撃が誤算であった」という議論じたいが,反倫理的ではないかと思われる。そうだとすると,戦死者が「少なかったら倫理に適うイラク戦争」だったとかいえるのか。
筆者は,そういった反問が即座に投じられて当然だと即座に反応せざるをえなかった。そこでは,大学教員が学問的な論及をするさい注意しておきたい「倫理的立場の真価」が問われていた。このように論じて当然であった。
イラクの軍人の戦死者4万人は,けっして少ない数ではない。さらにいえば,イラク民間人の犠牲者・被害者も,数しれななかったのだから……。
付記)以上は,筆者のある旧ブログ「2008.22.24」の再録である。既述したとおり,橋本 努「准教授」の肩書は当時であった。この再録の部分は以下にもさらに続く記述の内容となっている。
※-3 日米関係の基本性格-日本政治経済の対米従属性-
1) 第2次世界大戦前後の歴史
1939年9月1日,ヒトラー・ナチスの軍隊がポーランドに侵攻し,第2次世界大戦が開始する。1年後の,1940年9月「日独伊三国軍事同盟」が締結される。
戦前の日本帝国は,1931年9月に「満州事変」を起こしていた。1932年3月,中国東北地域に「満洲国」を建国させ,1937年7月には日中戦争をはじめた。その必然的な経路において結果,1941年12月日米戦争(アメリカでは太平洋戦争,日本では大東亜戦争とそれぞれ呼んだ)がはじまり,第2次世界大戦の様相はさらに広域的なもの,北半球は戦争の舞台となりはてた。
敗戦した日本国においては,原爆や空襲の被害が甚大だったことはもちろん,人的資源としての一般大衆の戦死者・犠牲者・被害者の数も多く,軍人も含めて310万名もの死者を出した。戦争の進展にともない,軍人の死者には病死者,さらには餓死者が少なくない比率で含まれるようになっていった。1説では約6割はその飢餓で兵士たちは落命した。また,アジア全体での戦死者・犠牲者の数は2千万名を超えている。
第2次世界大戦後,東西冷戦構造の枠組のなかで起こされたのが,隣国の『内戦』である「朝鮮戦争」(1950年6月25日,韓国では「韓国動乱」という)であった。この勃発までの日本は,気息奄々と表現するにふさわしいような政治の混迷,経済の低迷,社会の混乱,文化の不安を抱えたままであった。けれども,この朝鮮戦争がもたらした経済面の「特需」によって起死回生を遂げることができた。
その間,東京裁判(極東国際軍事裁判)の判決が,東條英機らA級戦犯7名を1948年12月23日〔平成天皇の誕生日〕に絞首刑にした。しかし,その翌日には,A級戦犯に指定,巣鴨プリズンに拘置されていた,のちに日本国総理大臣にもなる岸 信介や日本の裏社会で暗躍していく児玉誉士夫・笹川良一ら,14名が釈放されている。
つぎの画像資料をみての説明となる。
その後,昭和30〔1955〕年の時点をとらえて,昭和31年版『経済白書』は「もはや戦後ではない」という表現を使った。この昭和31〔1956〕年,日本は国際連合に加盟し,国際社会への復帰も遂げた。
2) 戦後における日米軍事同盟の意味
それよりさきの昭和26〔1951〕年9月8日,この時期はまだ朝鮮戦争が継続中であったが,日米間で締結された
「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」
(→ 旧「安保条約」「日米安全保障条約」)
は,昭和35年1月19日に改定され,
「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」
(→ 通称「新安保条約」「(新)日米安全保障条約」 「日米相互協力及び安全保障条約」)
と呼ばれる日米〔軍事〕同盟へと進展した。国会においてこの改定〔批准〕作業を完遂した直後に辞任した首相が,岸 信介であった。
補註1)シリーズ日本近現代史第7巻,雨宮昭一『占領と改革』(岩波書店,2008年)は,岸 信介をこう記述している(159頁。〔 〕内補足は筆者)。
岸 信介ら第2次A級戦犯容疑者たちは,〔東條英機ら7名の〕絞首刑が執行された〔1948年12月23日の〕翌24日に釈放される。この釈放は冷戦体制の進行に直接かかわっていた。
〔彼らは〕戦争責任よりも冷戦に役立つ反共主義を評価するアメリカ政府の意向である。その意味で岸たちは冷戦体制の受益者である。
敗戦後の「日本国」は,アメリカ合衆国に対して,家来の地位に甘んじる東アジアの1国でありつづけてきた。沖縄(県)を最前線攻撃用の米軍基地として提供 してきた事実=軍事同盟関係は,その証左である。
戦後日本における経済復興への契機を与えた朝鮮戦争,ベトナム戦争,最近ではイラク戦争において沖縄の果たしてきた軍事的な有用性 は,アメリカにとっての役割としてこのうえもなく有益なものであった。
以下に日本の上空がアメリカ様に占有・支配されている事実を,いくつの画像資料によって説明に代えておく。
結局,軍事関係で観察すれば,同盟といえないような「米日間の従属関係」が実在する。沖縄(県)におけるアメリカ軍の存在と機能が,どのような軍事的特権を有しているかをしれば,以上の表現はごく自然で当然な理解である。日本の空域でさえアメリカ軍の専有となっている部分が多い。
それでも日本政府は,ある日本の政治家(金丸 信,写真)が「日本の番犬」といった「アメリカ軍」に対する「税金の使いかた」を「思いやり予算」(最近は2千5百億円前後)と美辞麗句=遁辞し,これを日本国内に居すわる「外国の軍隊:アメリカ軍」のために好意的に使わせている。
補註2)「思いやり予算」とはなにか。--1978年,金丸 信防衛庁長官が「在日米軍に思いやりの気持をもとう」と支出しはじめ,在日米軍駐留経費を日本がわが負担するものである。
日米地位協定で義務づけられる「土地の借地料」などとはべつに,1978年度から「従業員労務費の一部」や「米軍家族住宅建設費の負担」を開始し,さらに1987年度からは特別協定をむすんで「光熱費や訓練移転費」も負担している。
補注3)2021年10月4日から日本国首相になった岸田文雄は,その後,トンデモない方針,「原発再稼働・新増設,大増税,防衛費倍増」という3大悪策を決めていた。
「アメリカの飼う猛犬」である在日米軍が「日本国の番犬」になるなどとは,とうてい思えなかった。アメリカ軍は,日本を守るためにこの国に駐留しているのではなく,アメリカ合衆国という「現代的な帝国」を,軍事体制的=世界戦略的に支えるためにこそ,存在している。日本はそのために従属している国家体制であり,それゆえこの国の自衛隊3軍もいまでは,すっかりその手下である位置づけである関係性が定着している。
この国=日本は,「飼い犬」でもないこの「番犬」を,自家の庭に放し飼いにした気分でおり,親切にも「餌」を与えつづけている。ただし,いざというときには,この猛犬に突如「噛みつかれない」といったたぐいの「絶対的な保証」はない。
3) 日米経済競争
「アジア・太平洋戦争」(「15年戦争」ともいうが)で日本を打ち破ったアメリカは,第2次世界大戦後においては「東アジアの1国」として「この日本を昭和初期における経済水準の国に封じこめる統治方針」を採ったつもりであった。しかし,東西冷戦構造の構築,資本主義と社会主義の緊張関係という国際政治情勢のなかで,アジアで唯一まともな工業生産力のある日本を利用するよう一挙に変更し,当初の占領政策を転換させた。
ところが,戦争でアメリカに敗けた日本が,こんどは経済でアメリカを圧倒する時代がきた。1970年代この趨勢が現実のものとなった。そして,1980年代の日本経済は絶好調に到達する。アメリカはすでにそれまで,この日本経済の勢いをどのように食いとめ,さらには逆に利用して食いあさるかを考えぬいてきた。
もとより ,“Japan as №1” という称賛は,アメリカにとっては「アメリカ抜きでの形容のそれであった」に過ぎなかった。だから,その後におけるアメリカ産業は,MOT(マネジメント オブ テクノロジー)を基礎にした経営戦略・戦術を徹底的に推しすすめる努力をとおして,また,そこに1990年前後の日本経済破綻も重なることによって,日本経済をトップの座から引きずり下ろすことに成功した。
それ以来,日本の経済は,BRICsなどの各国経済の発展もなされるなかで,世界経済において占める役割を絶対的にも相対的にも低下させてきた事実は,21世紀の現段階となっては「火を見るより明らか」というよりは,「お尻に火の点いた状態」であるこの日本の姿そのものをもって表現されている。
4) 謀略の昭和裏面史
1) の記述には,敗戦の結果,A級戦犯に指定されていたが無罪放免となった岸 信介,児玉誉士夫,笹川良一らの氏名が出ていた。黒井文雄編著『謀略の昭和裏面史』(宝島社,2007年2月)は,戦後日本における大事件であった「ロッキード事件」を,こう記述している。
この記述には児玉誉士夫の氏名が登場するが,A級戦犯の身から解放された岸 信介らがアメリカの意を受けて,日米安保体制の維持・発展に努力してきた事実は,日本の戦後史の記録に深く刻みこまれていた。児玉誉士夫や笹川良一が,戦後日本の経済社会のなかで暗躍してきた事実は,ここではあえて触れるまでもない。
※-4 森田 実・副島隆彦著『アメリカに食い尽くされる日本-小泉政治の粉飾決算を暴く-』日本文芸社,2006年7月
この本の目次をまず紹介しておこう。
第1章 小泉政治最大の粉飾決算―郵政民営化の欺瞞
第2章 日本を支配するアメリカ権力構造の実像
第3章 日本は本当に財政危機国家なのか?
第4章 9・11総選挙を画策した日・米の巨大広告産業
第5章 日本を解体する世界権力のシナリオ
第6章 小沢一郎の民主党政権取りで日本は再生する
第7章 2008年,日本はアメリカの呪縛を解かれる
この本の宣伝文句は,こうである。「郵政民営化,市場原理主義,格差社会……。国民を欺き,日本の富をアメリカに貢ぎ続けた小泉「構造改革」の大罪を徹底的に糾弾。日米関係最大のタブーを明かす! 言論界の重鎮と鬼才が放つ最深対論」。
副島隆彦は『属国・日本論』五月書房,2005年という題名の著作も公表していた。
この本の,広告のための謳い文句は,こうである。
この意見にすなおにしたがうとしたら,戦後日本経済の「大国」意識を捨てよ(!)というのが「要諦」になりうる。明治維新以来,近代化・産業化を推進させ,経済発展をなしとげ,植民地ももっていた日本帝国であった。だが,あの戦争に破れてから方向転換をし〔させられ?〕,経済大国に道を進みそれなりの成功を収めたところ,またもやアメリカの嫉妬心を買い,結局「米帝国の属国」である関係を強要されてきた。
副島隆彦は『テロ世界戦争と日本の行方-アメリカよ,驕るなかれ!』弓立社,2001年11月という本も出版していた。本書は,2001年の9・11同時多発テロ事件直後に発行された著作である。
第39代アメリカ大統領カーター政権の大統領補佐官,ズビクニュー・ブレジンスキーが,『フォーリン・アフェアーズ』(1997年9・10月号)において「日本は,事実上,アメリカの保護国・従属国(protectorate)である」と書いた点を,とくに指摘している(333頁)。
同上の指摘を踏まえて副島は,「日本人は今こそ」「日本の置かれた現実を,冷酷に考察し」,「私たちが着実に国家戦略研究を進めてゆく上で,これから先,参考にすべき」ものとなる「思考のものさしをもつべきだ」と提言している(334-335頁)。
冷戦体制のなかで,米国との同盟を結びつつ,軍事力を増強しながら遅々とした歩みで民主化をはかる韓国や他の東南アジア諸国に比べて,米国は「温床」に日本を置いた。日本はそのなかで,外交感覚をもちあわせていない「甘やかされた」経済大国となっていった。この国では,経済的繁栄が保障されるかぎり保守政権は長期化し,外交は対米追随を続ければ問題ないとされたのである。
現在の対米追随外交から脱却しなければ,諸外国の信頼をうることはできないということだ。アジアとの「歴史問題」を忘却したために孤立した日本がやるべき なのは,この問題に正面から向きあい,そして周辺に友人を作る努力を最大限に払うことだ。そもそも「甘えている」日本であるかぎり,現実主義外交に転じよう とする同盟国の米国の信頼すらえられない。みずからの主張がみずからら納得できる論理に支えられようにすることだ。
註記)我部政明『日米安保条約を考え直す』講談社,2002年,124頁,139頁。
副島隆彦のさらに,『最高支配層だけが知っている日本の真実』成甲書房,2007年2月は,現状の日本をこう描く書物である(帯から引用)。
副島隆彦『ドル覇権の抱懐-静かに恐慌化する世界-』徳間書店,2007年7月になると,日米経済関係にまたがる議論を展開していた(以下は帯と本文から)。
2007年5月からの「三角合併方式」での日本企業への買収の真実は “ドルの逃避” である。日本企業をただ単に乗っ取る(テイク・オーヴァー)よりも,真の動機は,ドル資産の保全,ドル暴落からの避難,外貨建て資産でのリスクヘッジという考えに変わりつつある。
日本の大企業を買収する利益は,チョップ・ショップ方式による,荒っぽい自動車泥棒・解体屋の手法ではなくて,これからは,アメリカ本国からの資産逃避(キャピタル・フライト,capital flight)である。
「やがて必ず,円安は止まって,そして反転して,大きな円高つまりドルの大下落,大暴落の時代がやってくる」(253頁)。「そろそろ住宅バブルが全米各地ではじけはじめている。私はもう狼少年とは言われない」(53頁)。
ここで副島が指摘したのは,最近〔当時〕とみに騒がれていた「サブプライム・ローン」の問題であった。
なお,副島隆彦の関連著書として『属国日本論を超えて(新版)』PHP研究所,2014年2月も公刊していた。
※-5 原田武夫『仕掛け,壊し,奪い去るアメリカの論理-マネーの時代を生きる君たちへ-原田武夫の東大講義録』ブックマン社,2007年1月
最後に,原田武夫の本書が「エシュロン (Echelon) 」に関して記述する箇所を紹介しておこう。
エシュロン(アングロ・サクソン系諸国のみが利用できる秘密の通信情報傍受システム)に関しては,たとえば,「フランスの電気会社とブラジルとの商談」や,「日本企業とインドネシアとの商談」,「フランスの航空機メーカーとサウジアラビアとの商談」などが,明らかに『不自然・不可解』な形で,アメリカ企業に契約を取られたとの話がある。
いずれも,商談内容がエシュロンによって傍受され,アメリカ企業に流れたのでは………と。もちろん確証が得られるはずもないが,憶測としても,アメリカの国家機関である情報工作機関が得た情報が,民間企業に流れる仕組ができていると考えたほうがよい(83頁)。
付記)以上※-2からここまでの記述,筆者の旧ブログが「2008.2.28」に記述したもののほぼ再録である(その後,若干加筆があり,本日も2023年11月9日もいくらか補述してある)。
つまり,アベノミクス以前に関する内容であったが,副島が「円安は止まって,そして反転して,大きな円高つまりドルの大下落,大暴落の時代がやってくる」というのは,2008年9月に突発したリーマン・ショックの直前にいわれていた主張であった。ただし,そのいいぶんがその後においても,妥当していたとはいえなかった。
しかし,その後,2012年12月下旬の政権を奪回し,安倍晋三を首班にした自民党〔プラス某カルト宗教政党〕の政府は,アベノミクスの展開によって,その後における日本経済の不調・不振が回復できるつもりで,経済政策(主に金融政策と財政出動)を振るっていた。だが,経済は生き物,それも政府の思いどおりいは動かない,なにが起きるが分からない〈怪獣みたいなもの〉であった事実は,事後の経過によって鮮明になっていった。
※-6 日銀総裁のおめでたい「おことば」
1)「物価が上がり,賃金も上る」?
最近(ここでは,安倍晋三の第2次政権が発足したのちにアベノミクスが提唱された時期のことだが),日銀総裁の黒田東彦(当時)はこういった。
「日銀がめざす2%の物価上昇率が安定的に持続する経済・社会では,賃金も物価も緩やかに上がる世界が実現する」と。黒田総裁の就任時にマイナスだった消費者物価(除く生鮮食品)の上昇率は前年同月比1.3%となった。黒田総裁は「2%の物価安定目標の実現に向けた道筋は順調」と脱デフレに自信をみせた。
だが,物価上昇に所得増が追いつかず,国民生活が圧迫される悪い物価上昇への懸念も指摘された。これに対し,黒田総裁は「賃金が上昇せずに物価だけが上昇することは普通には起こらない」と過去のデータを示し反論した。
2%の物価上昇が続けば,緩やかな価格上昇は企業収益の増加をもたらし,賃金上昇に反映され,消費が活性化するという「経済の好循環」が実現し定着すると説明した。
春闘で賃金水準を底上げするベースアップが主要企業で相次いだことについて,「2%の物価上昇率が社会の仕組としてとりこまれた新たな社会経済システムに移行するステップとして非常に注目すべきことだ」と指摘し,賃金上昇定着への期待を表明した。
註記)http://www.jiji.com/jc/zc?k=201403/2014032000775&g=eco 『時事ドット・コム』2014年3月20日 20:32)。
この日銀総裁をブレーンにした安倍晋三の経済政策,いわゆるアベノミクスは,こういう理屈を立てていた。「円安時には輸出企業が伸びる,⇒ 日本の大企業の多くは輸出企業ゆえ,⇒ よって,国内の多くの企業が業績アップする,⇒ つまりそれぞれの企業の株価もアップするし,⇒ 日経平均株価もアップ」するはずだ,と。
いま〔2023年11月の段階〕になってみれば「そう〔だった〕か?」などというまでもなく,日銀だった黒田東彦が安倍晋三と組んで展開したつもりのアベノミクスは,大失敗・大失策であった。
2023年11月中,黒田東彦は『日本経済新聞』朝刊に「私の履歴書」を嬉々として執筆中である。だが,本ブログのこの記述の見地に立っていえば,「アベノミクスの思い出」は「悲劇にも喜劇にもなりえなかった」と同時に,「『暗愚三昧のアホノミクス』が日本をダメノミクス状態にさせた経緯」に関してこそ書いており,つまり,その黒田の非現実的なオメデタさを批判している。
2)「物価が上がっても,賃金は上らず,株価も上らない」
しかし,『日本経済新聞』2014年3月18日朝刊「投資・財務」面の「〈一目均衡〉日本株『年間ゼロ%高』の衝撃」(同紙編集委員・梶原 誠執筆)は,がこう説明していた。
a) 日経平均株価を1年前と比べた「年間上昇率」が,急速に低下している。昨〔2013〕年12月30日の大納会の時点では57%だった。ところが3月17日時点では17%。さらにいまの水準が続けば5月初旬にはゼロ%,つまり1年間で横ばいとなる。
仮にそうなれば,2012年末に「アベノミクス相場」が始まって以来の大きな節目だ。これまでは,相場が短期的に下落しても「去年からは上がっているのだから,おびえることはない」と楽観していられた。そんな余裕めいたこともいえなくなる。
安倍晋三首相は,逆風を受ける1人だろう。「日本の雰囲気は大きく変わった」。昨〔2013〕年,参院選をはじめ政治的に重要な局面で首相が口にした決めぜりふだ。株高が続いているあいだは説得力があったが,1年を経て上がっていなかった,となればそうもいかない。
1990年代のビル・クリントン米大統領を財務長官などとして支えたロバート・ルービン氏が,興味深い事実を回顧録に書き残している。株高をクリントン大統領の功績として売り出そうとする側近たちを「下落したときに責めを負うことになる」と押しとどめたというのだ。
b) 実体経済から離れて上下することもあるのが株式相場。かつて米大手証券ゴールドマン・サックスを率い,市場を熟知するルービン氏ならではの警戒だった。株高を誇った安倍首相はルービン氏の指摘どおり,株高が止まったことの説明を迫られる可能性がある。
昨〔2013〕年15兆円の日本株を買い越した外国人投資家は,そのような逆風を避けるために,安倍首相が株高を呼ぶ政策を再び進めてくれることを願っている。
たとえば,世界屈指の政府系ファンド,シンガポール政府投資公社(GIC)の重鎮でグローバル投資を統括するウン・コクソン氏。「アベノミクスの心理的効果は薄れつつある」と冷ややかだったが,「再び火をつけるべきだ」と強調してもいた。「企業や投資家に,アベノミクスという実験が失敗したと思わせてはならない」と。
同氏が切実なのは「日本経済の復活は世界,とくにアジアの経済にとって欠かせない」と考えるからだ。安倍政権の一手は日本株だけでなく,グローバル投資の成否にも影響する。
株高が止まって困るのは,投資家のいらだちにさらされる経営者も同じだ。
米資産運用会社,アトランティック・インベストメント・マネジメントが今週から2週間かけて,日本企業20社近くを訪問する。質問の焦点は「手元資金がなぜ,空前の規模に膨らんだままなのか」。円安や株高などの環境好転を,経営にどう活用するのかにマネーの関心は集まっている。
5月初旬といえば,消費増税の影響が表面化する重要な時期でもある。そんなタイミングでの「年間ゼロ%高」は,市場心理をなおさら萎縮させるだろう。悲観シナリオを避けるために政府や経営者に残された時間は,約2カ月しかない。
3)「中高年に恩恵なし 春闘『ベアラッシュ』騒ぎのカラクリ
辛口論調の紙面つくりでしられる店頭販売のタブロイド紙『日刊ゲンダイ』2014年3月13日は,アベノポリミクスの空騒ぎについて,その「恩恵は一部若手だけ」だと批判していた。こう書いていた。
2014年春闘の集中回答日だった3月12日は, “ベアラッシュ” だった。ドーカツしてまで企業に賃上げを求めていた安倍政権は “戦果” に大喜びだ。しかし,今回のベアにはカラクリが隠されている。恩恵にあずかることができるサラリーマンは一握りしかいない。
◆「実施はたった16%」 --日産は組合要求の月3500円に対して満額回答。トヨタ,ホンダはそれぞれ2700円,2200円で妥結した。日立,パナソニック,東芝,富士通など電機メーカーは2000円,新日鉄住金,三菱重工,IHIなども賃上げに踏み切った。
この一斉回答を受けて,甘利経財相は「期待以上に経営側が応えてくれた」と大ハシャギ。菅官房長官も「近年にない賃上げが実現しつつある」と胸を張った。
しかし,今年の春闘,華々しいのは,この12日かぎりになりそうだ。これから中小企業の回答が始まるが,とても期待できそうにない。東証1部,2部の労働組合と人事・労務の責任者にアンケートした財団法人「労務行政研究所」の調査にはビックリだ。
担当者がいう。
「新聞には〈賃上げラッシュ〉という見出しが躍っていましたが,ものすごく違和感をもちました。われわれの調査では,回答があった161社の内〈ベアを実施する〉と答えた企業は26社。たったの16.1%です。恐らく,きのうの自動車,電機,鉄鋼で打ち止めになるでしょう。しかも,久々のベアなのに,ほとんどの企業が2000円,3000円と金額自体は小さい。平均すると800円台にとどまると試算しています」
ベアの中身も,野村ホールディングスや大和証券のように全従業員が対象ではなく,20代の若手社員に限定する企業が大半だ。12日ダイハツ工業とスズキも若手の賃金是正分として月800円の賃金改善を実施すると発表した。中高年サラリーマンには恩恵のないケースが多いのだ。
◆「来年は『ゼロ回答』」 --東海東京証券チーフエコノミストの斎藤満氏がいう。
「今回の春闘で賃金が上がるのは限られた人だけです。40~50代だとベアがないケースがある。しかも,円安で利益をあげた一部の大企業が中心だから,トータルの賃上げ率は 0.2%程度にしかならないでしょう。消費増税で3~4%の物価上昇が予想されているのに,これでは実質マイナスです。おまけに,ベアは今年だけの可能性が高い。今回のベアは安倍政権の要請に協力した “特例” です。来年以降はまったくの白紙で,〈ゼロ回答〉に逆戻りでしょう」。
そもそも,労働者の4割に達している非正規にはベアは無関係の話だ。「ベアラッシュ」と騒いでいる大新聞・テレビは,きちんと実態を報じるべきだ。
註記)http://gendai.net/articles/view/news/148678
http://gendai.net/articles/view/news/148678/2
ちなみの経済学者の森永卓郎は,2014年は賃上げ率0.5%に対して,諸物価の値上がり効果は,消費税の影響ももろに受けて4%になると予測している。差し引き「-3.5%」である。
これが《アベノミクスの確たる戦果》であるとしたら,この首相はアベノポリミクスの「敗軍の将」。
この首相のせいで日本の経済社会そのものは,今後においてもますます経済的な二極化が進み,格差社会を拡大させ,そのなかで困窮層を放置していく。
補注)この段落の記述はもちろん,2014年3月段階におけるものであったから,アベノミクスはその総決算に対する評定を下される以前において,すでにこのように「経済戦争における負け戦」を宣告されていた。2023年11月上旬になってみれば,そうした当時の判定は「完全に正鵠を射ていた」ことになる。
◆ 本日〔2014年3月24日〕『日本経済新聞』朝刊の1面にこういう記事も出ていた。その見出しは「支出,増税後も維持51% 所得増『期待できず』83%」である。冒頭のみ引用する。
この程度のこと(その進行の結果のありよう)は,アベノミクスのことをボロクソにけなして「アホノミクス」と非難した浜 矩子(同志社大学教授)が,1年以上も前から指摘していたものであった。みえる専門家には早くから予測できていたのが,アベノミクスの〈この始末〉であった。
新年度からも一般庶民の日常生活,それも経済面はますますきびしいものになる。これもそれも「安倍晋三自民党」を選んだこの庶民の責任であるから,つぎの選挙はなんとするか?
北朝鮮に対する「対話と圧力」(?)もいいが,自国経済の「まともな把握と確実な改善」もままならぬこの首相,これで「美しい国」がどこにあるというのか。
「青い鳥」それとも「赤い鳥」か,この国のどこかにでも飛んでいるといいたいのか。すでに賞味期限切れの……。
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【参考記事】 -山本太郎のりっぱでまともな,国会における岸田文雄を相手にしての質疑応答ぶり。長い記事だが,われわれが,目をかっと見開いて読む価値,十二分にあり-
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