学術研究の方法,とくに注記の書きかた-社会科学の場合-
※-1 社会科学の勉強をしてきた人間の1人としてこれまでなにかと気になっていた「学術研究の方法」,それもとくに注記の書きかたについて小考したことがらを記してみたい
まず,論著の本文には通常,当然,註記がどのような形式であれ,着いてまわるものであるが,その記載の仕方について最近(今日からだと,だいぶ以前になるが)書いてみたくなった〈感想的な詮議〉を述べることにした。
※-2 議論の対象は「注記中の文章の書き方,その中身」の問題
明治大学経営学部に昔,高橋俊夫という姓名の教授がいて,この先生が21世紀最初の10年内にであったが,矢継ぎ早につぎのように単著を公表した。
『組織とマネジメントの成立-経営学の奔流-』中央経済社,2006年3月。
『株式会社とは何か-社会的存在としての企業-』中央経済社,2006年3月。
『企業論の史的展開』中央経済社,2007年9月。
以上のうちでとくに,『企業論の史的展開』の中身に関して気づいた2点があり,ここでいささか詮議してみようと思いたった。
第1点 --同書第5章「経営者革命」の注記 1) のなかに,こういう記述があった。
インターネットのサイト〈日本の古本屋〉で,本日(2025年1月17日)検索してみたところ,つぎのようなネットの画面が出てきた。関連する上部のほうだけを切り取って紹介する。
これは本日,2025年1月17日午前6時ごろの検索結果であった。バーナムの『経営者革命』は2点しか出てこなかった。それもここに現れている2冊は,実は翻訳者が異なっている「ひとまず別著」であった。この点も併せての以下における記述となる。
さて話はだいぶ昔になるが,こういう思い出話となる。ここに書かれている「2点がそのガリ版刷り」という古本市場の様子は,現時点となってみれば,そのガリ版刷りの『経営者革命』は,市場に出まわる期待ができなくなったと観察してよい。
この話題,要は,James Burnham,The Managerial Revolution,1941 については,3種の訳本があったというしだいで,前段『日本の古本屋』を検索して出てきた結果は,以下のうちで,◆-3「武山泰雄訳」と◆-2「長崎惣之助訳」(こちらの著者長崎の姓名は画面には明記されていなかったが)であった。古書の値段はそれぞれ 2万4768円と7210円とでけっこう高い。
したがって,もともと長崎惣之助が◆-1を飜訳していた事実を踏まえれば,◆-2がこの◆-1「を底本にして長崎訳が出たのではなかったのか」というような,推測するにしても前後関係の理解としては,学術書の注記内容にふさわしくない表現ではないかと感じる。この疑問はそれぞれの訳本を比較対照すれば,ただちに判明することであって,そのように推理するまでもない事項であった。
ちなみに,◆-1の運輸省鉄道總局總務局統計調査課訳(長崎惣之助),ジエイムス・バアナム著『経営者革命』経済調査資料第8號,1948年11月は,本ブログ筆者が昔入手していた現物は,いまも書棚に差してあるが,このガリ版刷りで,ごく簡易な装訂であっても,本としての体裁をととのえている点は確かであった。
ここでは,その1948年のガリ版刷り翻訳本と1965年の東洋経済新報社から刊行された翻訳本の,前者は表紙カバーの画像,後者は函の画像を紹介してみる。
ここで,高橋俊夫教授の発言に戻ると,つぎのようにも書いていた。
それは,『企業論の史的展開』第6章「専門経営者論」の注記 13) 14) には,バーナムの『経営者革命』は,1948年のガリ版刷り翻訳本をあらためて東洋経済新報社からの出版となっていた経緯に関する発言であるが,
「昭和26(1951)年,長崎惣之助訳も刊行されている。書棚のどこかに入っているはず。だが,もう1冊,おそらく戦時中か,ガリ版刷で出ているのも神田の古書店で見出して,研究室のこれもどこかに。しばらく見ていないが,もっている」とも記述していた
けれども,学術書のなかで,こうした「アイマイ」かつ「根拠の薄まった」ような論及を残すことは,ぜひとも避けてほしいものである。バーナム『経営者革命』1941年を,ガリ版刷りであっても「おそらく戦時中か」に翻訳し,公表する者がいたとは,かなり想像しにくい。そう受けとめたほうが歴史の現実に即した観察ではないか。
そのような翻訳本のガリ版刷りの形態であっても,大東亜(太平洋)戦争中に実現させる〔ための個人的な努力〕というものは,当時の日本国内の情勢に鑑みていえば,いささか危険をともなう試みであったはずだと観察するほかない。
◆-1の運輸省鉄道總局總務局統計調査課訳(長崎惣之助),ジエイムス・バアナム著『経営者革命』経済調査資料第8號,1948年11月の翻訳者となった当の長崎惣之助は,この本の存在を以前に(戦争中)しっていたか(この点は基本から「?」が付くが),あるいは,敗戦直後になってともかくこの「原書」を入手・実見しえ,懸命に努力して日本語訳に取り組んだのではないか,という具合に受けとめておくのが,より順当な理解である。
戦時体制期において日本国内の学問・研究を囲繞していた環境は,たとえば経営学の場合だと,山本安次郎(「満洲国」の「建国大学教官」だった)が,こう追憶していた。
すなわち,当時の日本は「準戦体制から次第に戦時体制に移行し,経済統制が強化され,激化する戦争の影響もあって,自由な研究や発表もとかく妨げられ,外国文献も途絶えて研究は停滞しがちとなり,さらには中止のやむなきに至り」と,回顧されるものになっていた。
註記)山本安次郎『日本経営学五十年-回顧と展望-』東洋経済新報社,昭和52年,48-49頁。
戦前・戦中期に関して以下の説明はいうまでもない点だが,あえて付記しておく。
◎ 準戦体制の開始時期は,1931〔昭和6〕年9月「満州事変」からであった。
◎ 戦時体制の開始時期は,1937〔昭和12〕年7月「日中戦争」からであった。
ここでは,日本が本格的に戦争体制になったとする時期をわざと,大東亜=太平洋戦争に限定しておく。そのように考えた場合,この戦争が始まった 1941〔昭和16〕年においてだが,アメリカのニューヨーク市で発行された James Burnham,The Managerial Revolution,1941 の英語版原書を,日本にいる研究者が入手できるような状況には〔ほぼというか,あるいはほとんど〕ありえなかった,と推測しても不自然ではない。
そのあたりの事情は,洋書輸入販売の老舗である丸善の社史にも関連する事情が,けっこうくわしく説明されている。興味ある人はその丸善関係のホームページをのぞいてみるのもいい。
要は,敗戦直後のいつごろかだったかは,いまだになかなか分かりえない事情であるが,閲覧ないしは入手しえた本書(The Managerial Revolution,1941 )に接しえ,これを一読した長崎惣之助が,早速翻訳に値する本だと確信し,その作業にとりかかったと判断したほうが無難である。
ところで,東京商科大学産業能率研究所編『アメリカ経営学研究』経営評論社,昭和23年2月は,冒頭論文に古川栄一「アメリカ経営学の特質」を編成していたが,これには脱稿期日として昭和21年9月6日が記されていた。
その論文のなかで古川が挙げていたアメリカ経営学の主要文献は,1910年代2冊,1920年代4冊,それに1931年の2冊であった(同書,3-4頁)。戦争の時代が,当時まだ脱亜入欧の方途を辿るほかなかった日本の学問に対して,長期間の歴史的空白をもたらしたことは,文献史の面で古川栄一のこの本1冊をのぞいただけでも,おおよそ,その事情の一端は伝わってくる。
第2点 --ロバート・A・ゴードン著,平井泰太郎・森 昭夫訳『ビジネス・リーダーシップ-アメリカ大会社の生態-』東洋経済新報社,昭和29年という表記(高橋俊夫『企業論の史的展開』第6章「専門経営者論」本文166頁,注記205頁)は,元のそれに忠実ではなく,その意味において正確ではない。
それは『ビズネス・リーダーシップ』が正しいものである。昔の話になるが,東京都心のビジネス街を歩いていると,「何とかビルディング」という名前には,「○ ○ ビルディング」ではなく「 ○ ○ ビルヂィング」と書かれたものがいくつもあった。この事実もなにかの参考になるだろう。
それにしても,著作・論文の校正作業においてはとくに,引照した文献との照合作業を綿密におこなう必要がある。これをしっかりこなしておかないと,どうしても残ってしまうミスをあとでみつけた他者としては,なんともスッキリしない気分になる。あらためて気をつけたい留意点であるが,このことはけっして人ごとではなかった。
以上の記述においてひとつ重要な点があった。学術書を公刊する学究が,その本の中身に書いた文章に関してなのだが,論述に即して挙げた文献の「書誌」のあつかいを,一部おろそかにしたかのように聞こえる文章を公表したのは,まずかった。学究の採るべき基本的な作法として要注意になっていた。
----------【アマゾン通販:参考文献】-----------