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矢部宏治『日本はなぜ,「戦争ができる国」になったのか』2016年を吟味する


 いまから7年前,矢部宏治『日本はなぜ,「戦争ができる国」になったのか』集英社インターナショナル,2016年5月が公刊されていた。

 この本は,本来,研究者・専門家ではない矢部宏治が独自の学習・調査によって,たいそう興味深く「米日服属・上下関係」を,誰にでも分かりやすい内容にしたてて,この日本「国」が敗戦以降置かれてきた,つまり「20世紀後半から21世紀の現在まで」の「国家としての基本性格」を分析・解説していた。

 しかし,あるいは,ただしといったらいいのか,この矢部宏治『日本はなぜ,「戦争ができる国」になったのか』の読後感をして,どうしても払拭できない基本的な疑念が残っていた。それは,敗戦後史における「象徴天皇裕仁の外交干渉:責任問題」が,実のところ《菊のタブー》あつかいであるかのように,手つかずであったという肝心な論点にまつわっていた。


 ※-1 この記述の要点はつぎの3項目

  要点:1 矢部宏治『日本はなぜ,「戦争ができる国」になったのか』集英社インターナショナル,2016年5月は力作・好著であった。が,惜しいことに『画竜点睛の論点「天皇・天皇制」問題』を抜かしていた

  要点:2 「天皇・天皇制」問題をとりあげる次元に入ると,とたんに萎縮しがちな日本の知識人の通弊が,矢部宏治にも色濃く表出していたのかという疑問は,その後において矢部宏治が公刊してきた著作を通して,同じに抱かれた

  要点:3 要するに『菊のタブー』が矢部宏治の執筆活動のなかに浸透していた,と解釈せざるをえない経緯になっていた
 

 ※-2 矢部宏治『日本はなぜ,「戦争ができる国」になったのか』集英社インターナショナル,2016年5月

 『WEBRONZA』2016年6月1日に編集された《テーマ「すべての人が負けたのだ」-安保法制』》の1編として,矢部宏治「政治・国際 戦後日本・最大のタブー『指揮権密約』とは何か- [1] 戦争になれば,自衛隊は米軍の指揮下に入る-』が寄稿されていた。早速,その本文を引用しつつ,本日の論題を考える議論をしていきたい。 

 註記)http://webronza.asahi.com/politics/articles/2016053100007.html

 --あの懐かしい『朝日ジャーナル』が,この夏,特別号を出すことになったらしい。その誌面で,旧知の白井 聡さん(政治学者)と対談してほしいといわれたので,喜んで出かけていくことにした。ちょうど同じ日,店頭に並ぶ予定の自分の本(『日本はなぜ,「戦争ができる国」になったのか』集英社インターナショナル〔2016年5月31日〕)についても話をしていいですよという,願ってもない企画だったのである。

 対談の内容については,〔2016年〕6月下旬に出るその特別号を読んでいただきたいのだが,依頼のメールをもらったときに,少し運命を感じた。というのも,私が今回の本でとりあげた「戦後日本・最大のタブー」について,35年前に大スクープを放ったのが,まさに『朝日ジャーナル』だったからだ。

日米安全保障条約の調印,1951年9月8日

 ここで,上の写真の解説。1951年9月8日,「日米安全保障条約の調印」を終え,ダレス全権と握手する吉田 茂首相の立場は,その名を「指揮権密約」という「内緒ごと」(タブー:禁句事項)を含めていた。

 この写真では,右側から2人目がジョン・フォスター・ダレス国務長官顧問(当時)である。この人物は,敗戦後日本政治史を決定づける役目を果たしてきた「アメリカ側の豪腕外交官」であった。

ジョン・フォスター・ダレス

〔矢部宏治,記事本文に戻る→〕 そういっても,おそらくピンとこない方がほとんどだろう。つまり「指揮権密約」とは「戦争になったら,自衛隊は米軍の指揮下に入る」という密約のことなのである。「バカなことをいうな。そんなものが,あるはずないだろう」。そうした読者の怒りの声が,聞こえてくるような気もする。

 しかし,それはアメリカの公文書によって,完全に証明された事実なのだ。占領終結直後の1952年7月23日と1954年2月8日の2度,当時の吉田 茂首相が極東米軍の司令官と口頭でその密約を結んでいる。 

 その事実を本国へ報告したアメリカの公文書を,現在,獨協大学名誉教授の古関彰一さんが発掘し,1981年5月22日号と29日号の『朝日ジャーナル』で記事にしたのである。
 補注)のちに,古関彰一『「平和国家」日本の再検討』岩波書店,2013年12月が,関連する論及をくわしくおこなっている。

 ◆-1 実は米軍が自分で書いていた安保条約! その原案に予言された自衛隊の悪夢とは

 今回,この「指揮権密約」がむすばれた経緯や背景,それが戦後の「日米密約」の法体系全体のなかで,いったいどのような位置づけにあったのかについて調べていくうちに,とんでもないことが判ってきた。

 a) まずひとつめの事実。それは日米安保条約というのは,実は朝鮮戦争(1950年6月開戦)で苦境に立たされた米軍が,日本に戦争協力をさせるため,自分で条文を書いたとり決めだったということだ。 

 私はいままで書いた本(『日本はなぜ,「基地」と「原発」を止められないのか』〔2014年10月〕など)のなかで,「なぜ首都圏の上空がいまでも米軍に支配されているのか」「なぜ米兵の犯罪がまともに裁かれないのか」とくりかえしのべてきたが,米軍自身が書いたとり決めならそれも当然だ。自分たちに徹底的に有利なとり決めを書いているのである。
 補注)この「首都圏の上空」という問題,在日米軍が自国(日本)の空域を支配しつづけているその内情については,別途,本ブログ内で詳説する用意ができているので,近いうちに公表したい。

 要は在日米軍が,アメリカ軍事戦略上の都合のいいようにだけ一方的に,この日本という国家の上空(空域:領空としては高度100㎞までと定義される)を占有,支配し,管理する現実が,敗戦後史において継続されてきた。
 補注)ここではさきに,その空域問題についてはつぎの関連する図解だけを示しておき,本論に戻ることにしたい。

 これら図解を一目みてもらっただけで,問題のありか(本質)がどこに,どのようにあるか,一目瞭然である。

 関東地方に住む,とくにこの羽田空港への進入経路下に位置する地域に暮らす人たちにとって,現実に騒音問題の発生になっていた。

 関西地方の人たちであれば伊丹空港(大阪空港)の場合が,すぐに頭に浮かぶはずであるが,騒音や危険の問題で共通する話題はあっても,羽田空港への着陸角度の問題は「横田空域にかかわる制約」があって発生していた。

在日米軍専用の横田空域,ほかにも同様な空域がまだある
羽田空港へ急角度で着陸する危険
羽田空港への着陸経路・上空地域
急角度着陸コース図解

  以上,横田空域の問題については,矢部宏治稿になるつぎの記述を参照されたい。


 
以下,本ブログ筆者の以上の「補注」から,本論:「矢部宏治の話」に戻す。

 b)
 そしてふたつめが,みなさんに急いでお伝えしなければならない驚愕の事実。それはいまから66年前に米軍が最初に書いた日米安保条約の原案(1950年10月27日案),つまり彼らの要求が 100パーセント盛りこまれた戦争協力協定が,さまざまな条約や協定,密約の組み合わせによって,いま,すべて現実のものになろうとしているという事実なのである。

 あれこれ説明する前に,まずは「第14条 日本軍」と題されたその原案をみてほしい。

 (1) 「この協定〔=旧安保条約〕が有効なあいだは,日本政府は陸軍・海軍・空軍は創設しない。ただし(略) アメリカ政府の決定に,完全に従属する軍隊を創設する場合は例外とする」

  (2) 「 (略) 戦争の脅威が生じたと米軍司令部が判断したときは,すべての日本の軍隊は(略) アメリカ政府によって任命された最高司令官の指揮のもとに置かれる」

 (3) 「日本軍が創設された場合,(略) 日本国外で戦闘行動をおこなうことはできない。ただし前記の〔アメリカ政府が任命した〕最高司令官の指揮による場合はその例外とする」
 補注)以上は,同14条第3節から5節。〔 〕内は引用者:本ブログ筆者の補足。

 この米軍が書いた安保条約の原案を読んだとき,まさに目からウロコがボロボロと何枚も落ちていく思いがした。

 2010年の鳩山内閣の崩壊以来,6年間にわたって調べつづけてきた対米従属の問題,戦後日本という国がもつ大きな歪みの正体が,すべてこの条文に凝縮されていることが判ったからだ。軍隊の指揮権を他国にもたれていれば,もちろんその国は独立国ではない。非常に単純な話だったのだ。

 c) そしてもうひとつ。ここには2015年以来,急速に整備されつつある安保関連法の先にある「完全にアメリカに従属し,戦争が必要と米軍司令部が判断したら,世界なかでその指揮下に入って戦う自衛隊」という悪夢が,はっきりと予言されているのである。

 ◆-2 2つの憲法破壊

 具体的な話については,また次回以降書くことにするが,この軍部が書いた安保条約の原案には,2015年の安保関連法の成立で完結した,65年間におよぶ憲法破壊のストーリーもまた,すべて予言されている。
 補注)「米日安保関連法」は2015年9月19日成立,9月30日公布,2016年3月29日に施行。

 もう一度,(1) の条文をみてほしい。まずこの軍事協定(旧安保条約)が有効なあいだは「日本政府は陸軍・海軍・空軍は創設しない」と書かれている。

 いうまでもなく,これは日本国憲法9条2項の内容そのものなのだが,つづけて「ただしアメリカ政府の決定に完全に従属する軍隊はその例外とする」という条文が書かれている。なぜこうした例外規定を米軍が書きくわえたかというと,すでに述べたとおり,朝鮮戦争の勃発によって,日本の軍事力を利用する必要が生まれたからだった。

 こうしてここで,1度目の決定的な憲法破壊にむけての,レールが敷かれることになった。それはいうまでもなく,日本国民にその実態を完全に隠したままおこなわれた再軍備である。1952年の吉田の指揮権密約を前提に保安隊が発足し,同じく1954年の指揮権密約を前提に自衛隊が発足することになった。

 そのとき2度,吉田が口頭で米軍司令官と合意した内容は,前記の (2) の条文とほとんど同じものである。つまり,戦争をする必要があると米軍司令部が判断したときは,自衛隊はその指揮下に入って戦うということだ。

 さらに (3) の条文をみてほしい。この条文こそが65年後(つまり2015年) ,安倍政権によっておこなわれた2度目の決定的な憲法破壊にむけてのレールを敷くことになったのである。つまり,米軍の指揮権さえ認めれば,日本は軍隊をもつだけでなく,その軍隊が国外で戦争をすることも許されるということだ。

 条文 (1) は憲法9条2項の破壊だったが,この条文 (3) は憲法9条1項の破壊である。こうして日本政府は自国民の同意をまったくえないまま,60年以上の時をかけて,憲法9条全体を完全に破壊することになったのである。

 いま,安倍政権による憲法破壊を本当に止めようと思うなら,こうした歴史を真摯にさかのぼる必要がある。そして1952年〔4月28日〕の独立直後に起きたもうひとつの憲法破壊とセットで,あくまで日米間の隠された軍事的構造の全体像を把握したうえで,その問題に対処する必要があるのである。
 

 ※-3 新著『日本はなぜ,「戦争ができる国」になったのか』2016年5月に対する基本的な疑問

 以上,矢部宏治が自著『日本はなぜ,「戦争ができる国」になったのか』集英社インターナショナル,2016年5月に対して与えた「解説のための文章」のその一部であった。著者自身による解説であるから,その主旨に間違いはない。

 さて,前段の記述に関しては,同じく矢部宏治のこの本に対する「書評」,小木田順子稿「矢部宏治著『日本はなぜ,「基地」と「原発」を止められないのか』」(『WEBRONZA』2014年11月6日)へのリンクが張られていた。

 この小木田の「書評」は,最後の段落附近でこう論評していた。なお,小木田順子は当時,幻冬舎に勤務する編集者である。

 思考停止していたゴニョゴニョ問題に,自分が拠って立ちたい中道リベラルの立場から,こんな明快な「出口戦略」が示されたのは,私にとっては初めての体験だった(たんにお前が不勉強なだけだという批判があるだろうことは承知していますが)。

 それでも,話題のシリーズを手がけた編集者の著作だと思って目に留まり,沖縄県知事選も近いからと思って読み始めたら,ただの反基地・反原発の本ではない。

 天皇の戦争責任にも言及し,「護憲派」「改憲派」が触れられたくない点にも遠慮なく踏みこんでいる。我ながら鉄壁だと思っていた憲法をめぐる「バカの壁」に不意打ちでひびが入ってしまったのだから,あー驚きました。   

註記)http://webronza.asahi.com/culture/articles/2014102800005.html

 ところが,である。矢部宏治の前著『日本はなぜ,「基地」と「原発」を止められないのか』2014年10月においては,真正面からとりあげていた天皇の問題,これはいうまでもなく,敗戦後の昭和史における「昭和天皇裕仁の存在=介在の論点」を意味するものが,

 本日のこの記述でもっぱらとりあげ,吟味している『日本はなぜ,「戦争ができる国」になったのか』2016年5月は,その天皇の問題を,いっさいとりあげない,触れない内容展開になっていた。

 矢部宏治の熱心な勉強ぶりに照らして観察する。この昭和20年代史において記録された米日軍事問題史への「裕仁天皇の関与」,つまり,その外交問題にみずから介入していた〈政治史の事実〉が,前著 2014年から新著 2016年に移ってからは,いっさい言及するところがなくなった。

 この内容の変化に関して指摘すれば,基本的な疑問が湧いてきて当然である。前著 2014年の議論においても実は,天皇の関連問題に関する論及は結論部に至る叙述段階になると,徐々にその影を薄めるかのようにあつかわれていく体裁をとって,記述がなされていた。

 矢部宏治 文・須田慎太郎 写真『戦争をしない国-明仁天皇メッセージ-』(小学館,2015年7月)は,ある意味でいえば現在日本の天皇・天皇制に対する赤誠を,真摯に表現させるかのごとき本であった。

 それゆえか,次段で指摘する「〈動画〉の内容」も,もちろんそうなっていたが,昭和天皇が戦後日本の敗戦史のなかで,いったいどのように米日軍事同盟関係史に関与・介入してきたか,この歴史の事実に触れるところはなかった。

 その『動画』,「『日本はなぜ,「戦争ができる国」になったのか』刊行記念対談,矢部宏治・天木直人」は,「2016/05/25 に公開」されていた。

 この動画は「『日本はなぜ,「戦争ができる国」になったのか』(集英社インターナショナル,1200円+税)の刊行を記念して,2016年5月23日,著者の矢部宏治氏と元駐レ­バノン大使の天木直人氏が対談を行いました。本は5月26日〔奥付は5月31日と記載〕に全国書店にて発売されます」と解説・付記されている。

 ところが,である。前述のようにこの矢部宏治は,前著『日本はなぜ,「基地」と「原発」を止められないのか』2014年10月においては,真正面からとりあげていた天皇・天皇制の歴史問題が,新著「『日本はなぜ,「戦争ができる国」になったのか』2016年5月では,まったく論及の対象から消えていた。つまり,天皇関連の記述が問題の対象ではなくなり,つまりすっかり消えていた。

 基本的な疑問をいえば,そうした論点の推移は,矢部宏治が本来解明し,論及しようとした対象であったはずの「不可欠の有機的な部分」を,あえてとりはずしていく操作であった。
 

 ※-4 敗戦後史においてとくに2度,大きく蠢いて策動した天皇裕仁-憲法の破壊は昭和天皇みずからの行為でもあった-

 
 1)青木冨貴子の昭和史解明
 まさか矢部宏治は,青木冨貴子『昭和天皇とワシントンを結んだ男-「パケナム日記」が語る日本占領-』(新潮社,2011年。⇒ 新潮文庫となって,青木冨貴子『占領史-ニューズウィーク東京支局長パケナム記者の諜報日記-』2013年)を読んでいないとは思いたくない。

 この青木冨貴子が調査・解明した「敗戦後史における昭和天皇の行動軌跡」をめぐる事実把握の問題は,矢部が『日本はなぜ,「戦争ができる国」になったのか』のなかでは,いっさい触れられなくなっていた。 

 矢部宏治は「中道リベラルの立場」にあると位置づけた指摘があった。リベラルでも中道の立場だとこのように,「天皇・天皇制の問題」からどうしても腰が引けた姿勢を示す作法,いいかえれば,そうした方途での〈書物の制作方法〉になってしまうのか?

 天皇制に関するある著作に対するある批評のなかに,こういう趣旨の文句が出ていた。

 「天皇制に深く疑問を抱く人であっても,日本人として科学的に徹して天皇制を分析しようと試みたところで,隠然かつ暗然とした社会的圧力を感じるほかない社会状況のなかでは,意図せずとも筆が鈍るほかない」

 矢部宏治の場合も,新著『日本はなぜ,「戦争ができる国」になったのか』2016年に関するかぎり,この指摘が完全に当てはまる実例になっていた。本書にあっては,きっと「なにかを恐れている暗黙の領域が厳在する」と推理しておく余地がある。ひとまず,そのように明確に指摘しておく必要がある。

 矢部宏治は,昭和天皇が歴史に介在した事実があったこと,そしてしかも,この事実史が米日軍事同盟関係史に対して実際的な政治効果を「少なからずもたらしていた点」をしらないわけではなく,関連する議論を的確におこなっていたはずである。

 豊下楢彦『昭和天皇の戦後日本-〈憲法・安保体制〉にいたる道-』(岩波書店,2015年7月)が明確に指摘したのは,敗戦後史における象徴天皇「裕仁の政治的介入」,すなわち,日本国憲法内においては象徴天皇の地位に就いていた彼が,職権濫用などという程度をはるかに超越した憲法違反になる行為を平然とおこなっていた事実の記録であった。

 すなわち,それは,まさしく裏舞台においてであったゆえ,完全に逸脱した彼独自の政治努力(秘密裏の直接外交)の記録であった。豊下楢彦はその事実・記録を,学術的に解明する次元からきびしく批判した。

 つぎにかかげる画像資料にした豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』岩波書店,2008年からの引用個所は,以上のごとき矢部宏治に対する疑念を裏づける理由・根拠を明示している。 なお,この画像資料は,https://twitter.com/mayumi3141/status/962353266720780291 から借りている。

『昭和天皇・マッカーサー会見』52-53頁(確認済み)
『昭和天皇・マッカーサー会見』53-55頁

 2)明仁天皇の評価
 豊下楢彦にできて,矢部宏治にできない理由はない。矢部が豊下の本を読んでいるか否かには関係なく,そういいきってよい問題があった。もっともそうであっても,矢部がそうできていなかった理由は,なんであったのか?

 前段に言及していた,矢部宏治 文・須田慎太郎 写真『戦争をしない国-明仁天皇メッセージ-』(小学館,2015年7月)をひもとけば,その理由が奈辺にあるかについて,おおよそ察知できる。 

 しかし,中道リベラル派の特性と限界がその程度・範囲に留まるほかないとしたら,矢部宏治が一連の好著をもって解明してきた「戦後日本における敗戦史の真相」,それも「昭和天皇史が関与した局面」は,暗箱(black box)状態のまま,あえて放置させておくあつかいになる。

 しかし,それでは,中道であれなんであれ,〈リベラル〉である立場の矜持が保持できるか疑問なしとしえない。

 リベラルという用語に関したある説明は,そのなかに「多様性を支持するリベラル層は,異なる価値観や民族にも寛容な姿勢を示す。基本的にリベラリストは反戦主義であり,日本国憲法の第9条にも肯定的である。結果的に,護憲派と呼ばれる人びとのなかにはリベラル層が多い」と書かれている部分があった。

 そうなると,第1条から第8条までが「天皇条項」であるその憲法に関しては,第9条には問題意識を抱いて接すると同時に,この天皇条項じたいに関しても多かれ少なかれ,なんらか問題意識を抱いていなければおかしいことになる。

 矢部宏治が昭和天皇のなかでも敗戦後史になると,いつのまにか徐々に自身の保持する視野からしりぞけていくかのような筆致に変質した。この点は,「矢部宏治の立場・思想が中道リベラル」であるとしたら,その論著における筆致の推移について生じるほかない「疑問点:不可解」を意味する。

 本日のこの記述は冒頭で,矢部宏治『日本はなぜ,「戦争ができる国」になったのか』2016年を吟味する,と題していた。矢部宏治の同著の議論は「政治・国際 戦後日本・最大のタブー『指揮権密約』とは何か」を問うていたし,もしも「戦争になれば,自衛隊は米軍の指揮下に入る」という現実敵な舞台を想定しなければならない「現状日本における軍事問題」に言及していた。

 とはいえ前段のごとき議論は,「戦後日本の軍事面のタブー」が天皇・天皇制の問題と絡みついた事情のなかからこそ発信されていた。それも,敗戦後史が進行するなかで「在日米軍⇒米国本国(国務省)」との「外交関係交渉」そのもの対してであったが,直接的に介在(いってみれば暗躍的にそう)していた昭和天皇自身の行跡にかかわる問題であった。

 換言すれば,まさしく「敗戦後史における重要な米日間の軍事関係問題に関して重大な関与をみずから主体的にかかわっていた天皇裕仁」の行状は,「新」憲法に基本からかかわって看過しえない「政治次元の違法問題」を発生させていた。

 3)天皇・天皇制問題の除去
 だが,その種の問題を想到させたはずの矢部宏治は,静かに撤退(fade out)していった。そういう姿勢の変化をみせたと解釈するほかない「公表された著書」における内容の変転が観取できた。

 つまり,前著『日本はなぜ,「基地」と「原発」を止められないのか』2014年10月の「対・天皇観」が,新著『日本はなぜ,「戦争ができる国」になったのか』2016年5月に進むと,あえて意識して問われる論点ではなくなった。

 その「2014年10月」から「2016年5月」への転回をうながす著作として,矢部宏治 文・須田慎太郎 写真『戦争をしない国-明仁天皇メッセージ-』(小学館,2015年7月)が公刊されていた,と位置づけることができる。結局,矢部宏治もまた《菊のタブー》にしたがう日本の知識人でしかありえなかったのか?

 矢部宏治が議論していたのは,昭和20年代史における「戦争と平和の問題」であった。この時期において,天皇裕仁の歴史的な関与・介入がなされていたという重大問題をめぐっては,矢部自身の「天皇・天皇制問題」にかかわる基本的な立脚点が,静かに移動されてくかたちをもって変更されていた。この事実は,日本知識人のリベラル的な真価があらためて問われるべき論点を公示する。

 つまり,日本の中間リベラルだと位置づけられた矢部宏治が,本当にそう呼称されるだけの資格があるのか否か,いまもなお,試金石にかけられる余地が残されたままである。

 そうした話題が登場させられて,少しも不思議ではない。おそらく矢部は,本ブログ筆者によるこの種の指摘を,本当は(本心としては)よく理解・承知しているものと推理する。しかし,それでも……という類いの問題になっていたわけである。

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