北朝鮮拉致問題(2)-蓮池 透の問題認識が変化した事情など
※-1 いつまでも埒が明かないで来た「北朝鮮による日本人拉致問題」
「日本人の物語(不幸・悲劇)」に終始する「拉致の被害」論は,その後「拉致『異論』との真摯な対話」を試みるほかない問題にもなっていた。しかし,こちらの問題意識は,『拉致被害家族会』(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)や『救う会』(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)の極端に偏倚した「立場」(その後に習得したイデオロギー的な思いこみ)からだと,頭から完全に拒絶されるほかなく,いわば「政治的に未熟な歴史意識」でしか迎えられないで,大反発を受けるだけであった。
結局,日本という国における「北朝鮮による日本人の拉致問題」は,いってみれば,「金 日成バッチとブルーリボンバッジの呉越同舟」的とでも形容したらよい経緯を,いつまでもたどってきた。そして,21世紀の現時点になってもなお,この拉致問題が根本的に解決するという見通しがつかないでいる。
付記1)冒頭の画像は,蓮池 透(薫の兄)の著作2点の表紙カバーから借りた。
付記2)この記述の初掲は,2014年12月1日であった。それからすでに8年半の時間が経過したが,拉致問題が解決の方途に向かうという予測可能性は皆無である。というのは,安倍晋三の第2次政権時は,その解決への見通しを完全につぶすための外交しかなしえず,それと同時に自政権を維持させるための具材として,拉致問題を悪用してきたに過ぎない。
付記3)「本稿(2)」の前編(1)のリンク先住所は以下である。
※-2 旧・民主党政権の時期における取り組み姿勢-関連する報道から-
民主党が2009年8月に政権党となっていた。内政・外交すべてに責任をもって国家運営をしていかねばならなくなった,当時,その民主党の代表でった鳩山由紀夫は,2002年9月17日に自民党元首相の小泉純一郎が北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に出むいて交わしたその「日朝平壌宣言(先方にいわせれば朝日平壌宣言)」の有効性を認める姿勢を,あらためて政治的な発言をもって「明確に示した」。
まず,2009年9月29日『読売新聞』の報道から引用する。
「鳩山首相,29日に拉致被害者家族と面会」
「平野官房長官は28日の記者会見で,鳩山首相が29日に拉致被害者家族と面会することを明らかにした」
「平野長官は(拉致問題に)鳩山政権としてもしっかり全力で取り組むということをお伝えしたいと語った」。
註記)http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090928-OYT1T00830.htm,2009年9月28日18時22分
つぎに,同日の「共同通信」配信になる『東京新聞』の報道は,「首相『拉致解決へ積極努力』家族も政府に期待表明」という内容の記事を報道してた。
鳩山由紀夫首相は〔2009年9月〕29日,就任後初めて北朝鮮による拉致被害者家族と首相官邸で面会し,解決へ向け政府が積極的に努力すると約束した。家族会の飯塚繁雄代表は「解決への意気ごみを感じた。非常に心強い」と政府への期待感を表明した。
面会には家族16人が参加。飯塚代表によると,首相は面会中,1987年の大韓航空機爆破事件の実行犯で,飯塚代表の妹の田口八重子さんの教育係だった金 賢姫元死刑囚の日本への招致に努力する考えも表明した。
鳩山首相は冒頭で,さきの訪米中に米韓など各国首脳との会談などで拉致問題解決への支援を要請したと報告したうえで「日本政府自身がもっと積極的に努力しなければ,他国に依存しては解決できない」と政府の努力を進めることを強調した。
註記)以上,http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2009092901000807.html,2009年9月29日 18時28分,(共同通信)『東京新聞』。
さらに,9月30日0時22分配信の産経新聞の記事は,「鳩山首相,自民党人事『緊張感高まり良い』という題名を付した,鳩山由紀夫首相との諸問答を掲載し,そのなかで【日朝平壌宣言】についての首相の考えも紹介している。
〔質 問〕--拉致問題だが,民主党の野党時代,日朝平壌宣言について「白紙に戻すべきだ」という否定的な考えかただったと思われるが,先日の国連演説ではその宣言を踏まえながら,「国交正常化に向けて進んでいくべきだと」という意志を示した。方針転換ととらえてよいか。
〔答 え〕--「私は日朝平壌宣言が,必ずしも北朝鮮側が果たしていないと。ご案内のとおり,核開発をしたり,ミサイル実験をしているわけです。ミサイルの発射をしているわけですから,『平壌宣言の履行じゃないじゃないか』という思いを当時からもっていましたし,いまも,守ってもらわないと困るぞという思いがあります。
それだけに,だからこそ,日朝平壌宣言の精神に戻って,彼らもしっかり行動してもらいたいと。それをきちっと履行してもらえるのであるならば,そのときにはわれわれとしても,その心構えでいきますよと,いうことを国連で申しあげたということです」
※-3 蓮池 透における北朝鮮論の激変
1) 増元照明と蓮池 透の好対照
2002年9月17日に北朝鮮を訪問した日本国首相小泉純一郎(当時)に対して,北朝鮮のオラガ大将:金 正日が拉致問題の存在をすなおに認めるかたちで,日本に謝った。この出来事を契機に,日本の世論は一気に「それみろ!」「北朝鮮悪し・憎し一色」の,世の中になっていった。
関係団体として,『家族会』(北朝鮮による拉致被害者家族連絡会,1997年3月より活動を開始),『救う会』(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会,1998年4月より活動を開始)があり,その後,一般庶民による地域的な活動組織である「ブルーリボンの会」が組織されている。
『家族会』や『救う会』『ブルーリボンの会』による拉致被害者救出運動の特徴(シンボル)のひとつに,たとえば「ブルーリボンバッジ」装着を要請する姿勢があった。北朝鮮の〈金日成バッジ〉と,なにやら同じに映る「ブルーリボンのバッジ」の装着が,とくに国会議員のあいだで,ついこのあいだまで〈流行っていた〉かのようであり,現在においても根強くつづく〈慣習〉と化している。
つまり,拉致問題について『家族会』や『救う会』に反対しないはずの日本人・日本民族であるなら,強制はしないまでも,バッジとして「ブルーリボンバッジ」を付けることによって,その意思を「オマエたちも示せるはずだ!」といわんばかりの,みかたによってはずいぶん驕慢な迫りかたさえ存在し,誇示されている。
以下の引用は「ブルーリボンバッジ」の性格の一端を物語っている。
日本ブルーリボンの会は,こういっている。「北朝鮮拉致被害者の救出を支援し,国旗付きの青い(有本さん,田母神・平沼両先生,東国原知事も付けられています)ブルーリボンバッジの販売で普及活動を推進。また日の丸付きのブルーリボンバッジの他,ハートタイプ,バッジも販売しております」。
註記) http://www.nippon-blueribbon.org/pin-shop(現在は削除)
これまで一日も外さずブルーリボンバッジを着けていた自民党の麻生〔太郎〕さんが,具体的には何もしてくれなかった。
註記)http://osaka-blueribbon.org/newpage3.htm(同上)
小泉純一郎訪朝によって起きた北朝鮮拉致問題の表面化を契機に,それまで北朝鮮との友好関係を維持してきた政治家たちは,その代表格は社会党の,個人的に指摘すれば衆議院議長まで務めた土井たか子元国会議員のように,徹底的に日本社会のバッシングを受けてしまい,政界から影を薄くしていった人物もいる。
その間『家族会』や『救う会』は,当時,ようやく自分たちの存在が日本社会に認知され,あるいは政治家それも,首相クラスでもじかに会って要望を伝えたり,あるいは要求を出したりできる関係が構築されたこともあって,なかには選挙に出馬したが,落選する関係者も登場するまでになってもいた。
前段に指摘した「選挙出馬→落選」の人物は,拉致被害者の実弟である増元照明(ますもと・てるあき,1955年10月5日-,67歳)である。
Wikipedia の解説によれば〔ここでは2014年12月時点での参照・記録〕,増元照明は「日本の政治活動家」と紹介されている。それも,国粋保守右翼路線を明確に打ちだす態度で行動している。
現在,北朝鮮による拉致被害者家族連絡会『家族会』の2代目事務局長,特定失踪者問題調査会 “常務理事” (この会は法人格ではない)を,彼は務めてきた。
参考にまでいうと,2009年9月29日夜のテレビ・ニュースで放映されていた場面であったが,鳩山首相と会見している『家族会』のメンバーでも,その真ん中あたりに座っていたのが,この増元照明であった。
このときのテレビ画面でみるかぎり,『家族会』の1代目事務局長をやっていた蓮池 透はその姿が映っていなかったが,拉致被害者で2002年10月に日本に帰国できた〈蓮池 薫〉の実兄である。
【補遺】 2014年12月1日の『朝日新聞』夕刊は特集記事「〈2014衆院選〉拉致,置き去りに-被害者家族,心配の声」を組み,そのなかでこう報じていた。
拉致問題の再調査について,北朝鮮が報告を先送りする中,〔2014年12月〕2日,衆院選が公示される。拉致被害者家族は「拉致問題が隅に追いやられる」と心配し,家族会事務局長だった増元照明氏(59歳)の立候補表明を複雑な思いでみつめる。
家族会の飯塚繁雄代表(76歳,当時)は〔2014年〕11月29日,埼玉県加須市の集会で「選挙も始まるが,いまが拉致問題解決の正念場」と訴えた。13日には支援団体「救う会」の西岡 力会長と「年内に北朝鮮から情報提供がなければ制裁の再発動を」と山谷えり子拉致問題担当相に申し入れていた。拉致被害者の市川修一さんの兄健一さん(69歳)は「世論を高めねばならない時期に,選挙で置き去りになる」と心配する。
家族は高齢化し,今〔2014〕年は松木 薫さんの母スナヨさん(享年92歳),田口八重子さんの兄飯塚 進さん(同72歳),市川修一さんの父平さん(同99歳)が亡くなった。
家族会は「今年こそ結果を」と安倍政権に求めてきた。北朝鮮が特別調査委員会を設け,安倍政権が制裁を一部解除した7月には期待が高まった。だが「秋にも」とされた再調査の初回報告が先送りされ,落胆が広がった。そんななかでの衆院選。次世代の党公認で宮城2区から立候補を表明したのも「日朝交渉で成果がえられず無力感を感じ,なにかしないではいられなくなった」からだ,と増元氏は語る。
これに対し,飯塚代表は11月21日,増元氏の事務局長辞任を明らかにし「家族会は増元さんの選挙運動にはタッチしない」と表明。ただ「政府がだめならわれわれが直接できることはないのか,と活動する人が出てくるのは仕方ない」とも語る。
西岡会長も「家族会ではなく一個人として立候補したのだから,がんばってもらいたい」と理解を示す。一方,蓮池 透・元家族会事務局長(59歳)は「拉致問題は超党派でとり組んできた。無力感は理解できるが,被害者家族自身が特定政党から立候補するのは疑問を感じる」と話した。(引用終わり)(編集委員・北野隆一)
◇ 増元氏出馬表明で記録映画上映中止 ◇
増元照明氏が衆院選への立候補を表明したことで,拉致問題啓発の記録映画上映会に影響が出ている。映画は横田めぐみさんの両親ら被害者家族を追った「めぐみ-引き裂かれた家族の30年」(2006年公開)。
増元氏も出演し,2004年参院選に立候補(落選)し選挙運動をする場面も収められているため,DVDを自治体に貸し出してきた政府拉致問題対策本部が「中立性の観点からふさわしくない」と映画の差し替えを要請した。
三重県は〔2014年〕11月24日に津市で,神奈川県は12月5日に座間市で予定していた上映会を中止した。
2) 蓮池 透の北朝鮮認識の変質
増元照明は,一言でいって「北朝鮮に対する憎悪感」を剥きだしにしながら,北朝鮮という独裁国家を口をきわめて非難・攻撃する姿勢を構えている。ついでに中国までボロクソにいってやまない。増元は実姉夫妻を北朝鮮に奪われーー増元るみ子(当時24歳)が交際相手の市川修一(当時23歳)とともに失踪したのは1978年8月12日ーー,しかもいまだに,その生死さえ確認できていない状況のなかで,精神的な我慢を限界をはるかに超えたためか,この感情表示を率直かつ過激に反映させた言動・活動を記録してきている。
増元照明は現在(2014年12月時点で)『家族会』の2代目事務局長であった(代表は飯塚繁雄)。この『家族会』の1代目事務局長を担当していた蓮池 透は,いまでは『家族会』とは距離を置く関係になっていた。
蓮池 透は著書,『奪還-引き裂かれた二十四年-』(新潮社,2003年4月。新潮文庫」2006年5月)を公表したのち,『拉致-左右の垣根を超えた闘いへ-』(かもがわ出版,2009年5月)も公表している。
蓮池はさらに,北朝鮮問題に対する『家族会』や『救う会』の政治的な姿勢や世界観までを批判的にとりあげ議論した著作『「拉致」異論-あふれ出る「日本人の物語」から離れて-』(太田出版,2003年7月)をもつ,太田昌国との共著『拉致対論』(太田出版2009年8月31日)も公表している。
なかでもこの『拉致対論』を一読すると,蓮池 透がなぜ「家族会」の事務局長を辞め,家族会の活動とは一線を引くようになったが理解できる。
日本社会のなかで大きな話題となった2002年9月の「小泉訪朝」であったが,事後,北朝鮮の拉致問題を,実はいまだに,冷静に考えることができない「日本国民側の精神状態」を醸成してきた。安倍晋三は第2次政権時において,この問題の解決に向かうための具体的な対策は,実際にはなにひとつしようとしなかった。
日本社会の側は,この問題が話題になると途端に「興奮状態」になってしまい,冷静になって考えるとかいった期待ができない事情を変えられないでいる。あげくのはて,なんら関係もない在日朝鮮人〔韓国人?〕たち,それも学童・生徒が日本人から暴力行為をしばしば受けるなど,それこそ人権問題を惹起させるくらい日本社会側がおかしくなっていた事象も,以前は生じていた。
そのなかで太田昌国『「拉致」異論』2003年7月は,「ふたつのことがらが,互換あるいは相殺が可能かもしれないという主張に聞こえるような論理的な隙を,私たちはみせるべきではない」,「あえて踏みこんでいえば,現在の北朝鮮の指導者に『(朝鮮)民族全体』が体現されているかのような言動を,少なくとも私たち日本社会に位置する者は避けなければならない」と警告した(160頁)。
太田昌国は,ましてや,産経・文春・小学館メディアとそれを主要な表現の場として活用してきた人びとのように対して,「近代日本の植民地支配と侵略戦争の責任を否定し,被害者の戦後補償要求」をいっさい否定でき,北朝鮮に「勝利」したかのように意気軒昂になることを間違いとし(161頁),制止する意見である。しかし,前段に登場させて増元照明はまさに,このメディアたちと完全に合体し,同一感情の持ち主になっていた。
3) 蓮池 透の現在の立場
増元照明はもはや,「『敵』といわれる人びとと同じ立場に立とうと」する以外「戦いを終わらせる方法はない」という相互関係の認識から,遠くに離れてしまい,無縁となった人物である。だが,この増元とは対極の地平に向かったのが,同じ拉致被害者の家族・肉親でも蓮池 透であった。
蓮池が共著『拉致対論』2009年8月でとなえるのは,『拉致-左右の垣根を超えた闘いへ-』2009年5月の名称に表記されているとおりである。蓮池は,増元のように激昂する気持を抑制することができないまま,北朝鮮「悪!」ゆえに「憎し!」だけの対応姿勢であっては,問題を解決するための展望はなにももてないという核心の理解を示している。
※-4 『家族会』や『救う会』を扇動してきた佐藤勝巳
さて『救う会』の1代目会長を長く務めた佐藤勝巳(現代コリア研究所,元日本共産党員)という人物がいた。佐藤はその政党所属の出自のせいもあってか,北朝鮮や韓国の問題を独自に研究しつつも,これに付随させて,政治的に言論・活動を盛んにおこなってきた人物である。この佐藤は途中から,朝鮮人・韓国人「嫌い・憎し」の感情をまるだしにする姿勢に転回してきた。
本ブログの筆者は以前,佐藤勝巳『在日韓国・朝鮮人に問う-緊張から和解への構想-』(亜紀書房,1991年)を読み,その対・朝鮮人感情の全面的な変質,つまり「好きから嫌いへ」の極端な〈豹変:転向〉ぶりに,ひどく驚かされたことがある。
佐藤勝巳はまた,お調子ものの評論家で名を馳せている長谷川慶太郎との共著『北朝鮮崩壊と日本-アジア激変を読む-』(光文社,1996 年)などの書物を公表して,北朝鮮は「崩壊する! する!! する!!!」と,狼少年のようにいいつづけてきた。
この狼少年たちによる「発言」の賞味期限は,だいぶ以前に切れてはいた。だが,その言論上の責任を佐藤がとったという話は,筆者は寡聞にしていまだに聞かない。
それにしても,北朝鮮は多くの飢餓死者などを出すほどに,まったく下手くそな政治経済の運営しかできない国家でありながら,いまだにこの地球上から消滅する気配がない。最近は3代目〔正雲だとか正哲だとかいわれている息子の1人(「正恩」であったが)〕に跡目をつがせるらしいという観測情報は,世界中に流れている(以後,そのとおりになった)。
佐藤勝巳はその後,自身の生きざま:軌跡を回顧する著作『「秘話」で綴る私と朝鮮』(晩聲社,2014年4月)を公表した。政治活動家としての佐藤勝巳の自己弁護が書かれているこの本は,『家族会』や『救う会』に対して「政治的な色づけ」をするために,戦略的な洗脳行為をおこなってきた彼の人生,その一端を物語っている。
佐藤勝巳は,蓮池 透によってこう切り捨てられている。「佐藤さんは・・・大命題があって・・・北朝鮮打倒です。そのために〔拉致被害者〕家族を利用して,家族会を下部組織にしなければいけないというか,そういう意図のもとに作られた論理だった・・・背景には怖いものがあった・・・誠実な論理ではない」(『拉致対論』213頁。ほかにも関連する記述は,29頁,35頁,182頁)。
つまり,佐藤勝巳という人間は,自分の抱く政治的な人生目標を実現させるために「北朝鮮拉致問題」を利用(悪用)してきたのである。佐藤は自分用の「救う会」という組織を作っておき,「家族会」という組織をその手下として手なずけておき,そしてさらに利用しようとしたに過ぎない。
なお,佐藤勝巳(1929年3月5日-2013年12月2日)は,すでに故人であるが,佐藤が前段に説明されるごとき人物であったことが,いまとなってはより明白になっている。また,佐藤勝巳『在日韓国・朝鮮人に問う-緊張から和解への構想-』(亜紀書房,1991年)に対しては,在日韓国人側から「答えが提示」されていたにもかかわらず,佐藤勝巳はこれをいっさい無視してきた。
※-5 蓮池 透の悟り
蓮池 透が拉致被害者「実弟の薫」の意識そのものを変質・発展させていく途上を経て,確実に悟ったあることがあった。それは,北朝鮮に対する「制裁よりも交渉を」であり,「いかなる民族であれ,コミュニケーション,ネゴシエーションなくして,和解はありません」(『拉致対論』218頁)という基本認識であった。
太田昌国『「拉致」異論』に巻かれた帯には,こう謳われていていた。「拉致家族だけが “国家の虜囚” なのか? 『救う会』の煽動政治的発言と嵐のような排外主義に抗して」。だが,ここに謳われている文句など,一顧だにする価値もないとするのが,佐藤勝巳やこの佐藤の教導にすっかり染まっていた増元照明の主張・立場であった。
はたして,北朝鮮拉致問題の解決をめざすための方途として,いったいどちらがまっとうでありうるのか? 小泉純一郎が訪朝したとき同行した自民党幹部の1人に安倍晋三がいる。このアジア嫌いの黄嘴政治家は,家族会に対する表面的な応援の姿勢はあっても,実際に北朝鮮と交渉する政治家としての気概も実力もなかったし,もともとその本気度はみせかけであった。
その後〔2012年12月から〕,安倍晋三は日本国の総理大臣なった。彼の自民党政府が北朝鮮と交渉する原則論を表現する標語が「圧力と対話」であった。だが,本ブログのこの記述が最初に書かれた2009年9月以降からだと満5年以上になっていたが,さらに,今日 2023年5月末尾までの日付となれば13年と8カ月もの年月が経っていながら,拉致問題はいまだに「ラチが明かない」でいる。
安倍の母方の祖父:岸 信介はかつて,帝国日本から派遣された高級官僚として,とくに中国〔旧「満洲国」〕対する勝手・気ままな支配統治を指導してきた。祖父と孫は人格的には別ものであっても,ただし,この祖父の悪しき伝統のみは継承しているかのような孫であった。
要は,蓮池 透が拉致被害者の実兄として,みえない生活を余儀なくされた「弟:薫との24年間」を経て,そして「帰国後のいままで」をとおして,ようやく確実に認知できたことがある。鶴見俊輔『戦時期日本の精神史-1931~1945年-』(岩波書店,1982年)が,そのことを的確に表現している。
蓮池 透のほうでは,四半世紀も北朝鮮に「拉致された弟・薫」,そして自分はその「兄であるという立場」と突きあわせていく方途において,「在日コリアンの方をはじめとして,日本という国のやったことの犠牲になったり被害にあわれた様々な方たちと,これから私たちが本格的な対話を始めることはとても大事なことのように思えます」(『拉致対論』209頁)と,「寛容の心」をもって相手に対していえるようになった。
補注)つぎの画像は,蓮池 薫が新潮社から2009年6月に公刊した『半島へ,ふたたび』の表紙。本書は,第8回新潮ドキュメント賞(新潮文芸振興会主催)を受賞した。
蓮池 透は,日朝(日韓)間における歴史的な課題に現実にとりくむ姿勢がどのようにあればよいのか,ようやく気づくことができていた。ところが,そのほか拉致被害者の家族たちは,ひたすら「血縁者としての被害意識」を絶対化する〈価値観〉しかもてないでいる。そして,いまなお「そのままの状態」で居続けている。
蓮池 透のその態度は,「家族会は他者に対してしだいに非寛容になり,『絶対的な被害者』として自分たちへの疑問や批判を許さないという意味での『強者』としてふまうようになった」(24頁)といった「これまでの体験」の経過を,反省し,払拭するものである。
旧大日本帝国による朝鮮に対する植民地支配に関していえば,日本はいまだに北朝鮮についてはなにも補償していない。「日朝平壌宣言」はきわめてあいまいなかたちでしか,日帝時代の政治責任を認めていないにせよ,もしも鳩山首相率いる日本政府が「拉致問題」も含めて,あらためて本格的に日朝国交樹立めざして北朝鮮との交渉に入るとすれば,「家族会」の成員のなかでもとくに,増元照明の価値観・方向性では破綻あるのみであり,蓮池 透の悟った世界観・目標性であれば,努力しだいでいくらでも実現の可能性は開けている。
【参考画像】ー蓮池 透・講演会 ポスター -
日本の敗戦後すでに64年〔78年近く〕も経過しているにもかかわらず,北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)との国交がないのは,きわめて異常事態である。この歴史はたとえば,千年後に記録にされるとしたら,「両国間にはこんなにも長いあいだ国交がなかった」と書かれてしまう時代となるに違いない。
※-6 蓮池 透「被害者意識が増殖している」『朝日新聞』2013年7月13日朝刊「オピニオン」
1) ブルーリボンバッチのまじない
この段落が最初に記述されていたときの「今日は2014年11月30日」であった」。蓮池の著作をとりだしてみなおしたとき,このオピニオン欄に掲載された蓮池 透の「記事(談話)のスクラップ」(2013年7月13日)をみつけた。蓮池は元「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」事務局長であった。次段に全文を紹介する。
註記)以下は,http://digital.asahi.com/articles/TKY201307120542.html?ref=pcviewer
安倍晋三のブルーリボンバッジに対する蓮池 透の指摘。つぎの『ツイート』は参考であるが,左側の人物もバッジを着けている。
--首相や閣僚の胸元を見て,いつもおかしいな,と思うんです。ブルーリボンのバッジ,つけていますよね。だけど日本には,さまざまな問題の解決を求める多くの団体がある。首相や閣僚であればすべててのバッジをつけるべきではないでしょうか。なぜ,拉致問題の解決をめざすブルーリボンだけなのでしょう。
補注)日本国内ではいまのところ,このバッジを着けなければ罰せられるという法律はない。かの国みたく強制的に着けなければいけない国柄でもない。だが,とくに国会議員をはじめ地方自治体議員のなかには,あたかも義務であるかのようにこのバッジを常用している人たちが大勢いる。
〔記事に戻る→〕 2002年9月17日,小泉首相が訪朝し,北朝鮮が拉致を認めました。その時,私たち家族だけではなく,日本社会全体が「俺たちは被害者だ」という感情を持ったと思います。昔は社会的には小さな問題だったんです。拉致なんて言葉もなく,私たちの訴えに耳を貸してくれる人はほとんどいなかった。
それがあの日を境に一変し,「被害者がかわいそう」から「北朝鮮を制裁しろ」まで一気でしたね。ずっと加害者だといわれつづけてきた,その鬱屈から解き放たれ,あえていうと,偏狭なナショナリズムができあがってしまったと思います。
被害者意識というのはやっかいなものです。私も,被害者なのだからなにをいっても許されるというある種の全能感と権力性を有してしまった時期があります。時のヒーローでしたからね。
国会議員に写真撮影を求められたり,後援会に呼ばれたりして,接触してくるのは右寄りの方たちばかりでしたから,改憲派の集会に引っぱり出され,わけもわからず「憲法9条が拉致問題解決の足かせになっている」という趣旨の発言をしたこともあります。調子に乗っちゃったんです。
被害者意識は自己増殖します。本来,政治家はそれを抑えるべきなのに,むしろあおっています。北朝鮮を「敵」だと名指しして国民の結束を高める。為政者にとっては,北朝鮮が「敵」でいてくれると都合がいいのかもしれません。しかし対話や交渉はますます困難となり,拉致問題の解決は遠のくばかりです。
拉致問題を解決するには,日本はまず過去の戦争責任に向き合わなければならないはずです。しかし棚上げ,先送り,その場しのぎが日本政治の習い性となっている。拉致も原発も経済政策も,みんなそうじゃないですか。
私がこうして政権に批判的なコメントをすると「弟が帰ってこられたのは誰のおかげだ。感謝しろ」という批判がわっと寄せられます。いったいどんな顔をして生きていけばいいのか,わからなくなる時があるんですよね。弟はよりそうだと思います。自分たちだけが帰国できたことへの,申しわけない気持ちもつねにある。現実の被害者の思いは複層的です。
しかし,日本社会は被害者ファンタジーのようなものを共有していて,そこからはみ出すと排除の論理にさらされる。被害者意識の高進が,狭量な社会を生んでいるのではないでしょうか。調子に乗っていた当時の自分を振り返ると,恥ずかしい。だけど日本社会は今も,あの時の自分と同じように謙虚さを失い,調子に乗ったままなのではないかと思います。
註記)以上,『朝日新聞』2013年7月13日朝刊「オピニオン」。
--この蓮池の意見(陳述)は,いまもなお日本社会に根強い「嫌韓・嫌中」と同根の「反朝鮮」論が,なにやかな理由をみつけ出してきては,政治次元の位相において悪乗りしつつ,好き勝手をしてきたかを教えている。北朝鮮に対してはもちろんのこと,韓国や中国に罵詈雑言を浴びせ,感情意思を発露する機会をもてることで,日本・日本人側においては,なにか「絶頂感・恍惚感にも似た自慰的な優越感まで露出できる」風景が生まれていた。
だが,相手をともかく見下し,盛んに軽蔑しえたからといって,「自分の立場が相対的にかつ一方的に高まること」はない。そのように精神的な行為に浸れる人間の側においてこそ,本当は,大いに批判されるべき立場にあった点を忘れてはいけない。それゆえ,その種の「彼我がもつれあった相互関係」にこだわっているかぎり,かえって「双方間における憎悪感情の悪循環」は,どこまでも果てしなくつづく。
蓮池 透は,そうした悪循環以外のなにものでもなく,「単に非常に危険である感情構造の醸成や展開」を阻止すべき必要性を訴えていた。拉致被害者という存在に関係してきた運動組織は,この「悪感情の温床」になる〈歴史的な路線〉を,わざわざ「強調,創造し,邁進してきた」のである。
※-7 旧大日本帝国の負的遺跡はいまもなお残存している
この※-7では以下の引用をしておく。冒頭部分だけであるが,こうした史実を紹介しておく。
上記「註記」の住所(リンク先)を開けてみる。この事実は戦時体制期におけるほんの小さな1件にしか過ぎない。戦争中は,全国津々浦々にこの種の出来事が発生していた事実が記録されている。
こうした日本国内における過去の軍事的な帝国史の遺跡に関した動向に対しては,なにやかやイチャモンを付けては,安倍晋三流に否定しつくそうとする,それも歴史への無知を大前提にした,ネトウヨ暴論的な全面的排斥論も跋扈跳梁していた。
以上は,北海道の北端地域に死体(遺骨)のまま眠っていた「旧日帝時代に殺された朝鮮人」の死霊の場合であった。しかしまだ,日本全国津々浦々に残されている,同じような朝鮮人の死霊が,発見・発掘されることもなく忘却されてきている。その数は分からないが,おそらく数万から5~6万以上には上るはずである。
その事実が推測でしかいえない事情は,敗戦時にその証拠が徹底的に隠滅されたからである。関係書類は焼却されたのである。しかしながら,証拠を隠しておき忘却できれば「歴史の事実」が消滅するのか? そうだといえる人は「北朝鮮による日本人拉致問題」も,もはや忘れられてもよいはずである。
前段で触れてみたが,「北海道の北端:猿払村」にあった旧日本陸軍浅茅野飛行場建設での「強制連行犠牲者の第3次遺骨発掘事業」という一例に対しても,北朝鮮の拉致問題を対面・対置させうる基本姿勢で「日朝関係史」を展望したうえで,今後に向けてなるべく早く両国間の外交成立を期さねばならない点は,どの政党の立場・主義・イデオロギーであれ,必要を迫られている。この事実を否定できる者はいないはずである。
北朝鮮による拉致問題を最上位に置いたままでは,「日朝国交樹立」は妨害されつづける。その問題を最上位に置いてはいけないというのではなく,最優先させろという意見であれば理解できる。とはいえ,政治的な外交のイロハをわきまえないで,相手が北朝鮮のことになると突如,理性も判断力も喪失した精神状態にはまりこむようでは,これからも両国関係の正常化は無理難題。
ともかく小泉純一郎が日本の首相として訪朝したさい,金 正日は,自分が関与した〔本当はオヤジがもともと命令し実行していた〕拉致問題であったけれども,この小泉純一郎に謝っておけば自国の犯罪行為をチャラにできるだけでなく,日朝国交を回復・正常化したさいにはお祝い金をたっぷりせしめる魂胆でもあった。
北朝鮮側はいまでも,拉致問題に関係するその証拠などまともに示そうとはしていない。彼らも「また,忘れたい」のである。ブルーリボンバッチが忘却を防止する象徴でありうるならば,「金親子のバッチ」はなにに関する忘却防止のための小道具なのか?
いずれにせよ,どっちもどっちだ(目くそや鼻くそよ!)と笑われないための手立てはないのか?
この国の,安倍晋三の元政権だけでなく,いまの岸田文雄の現政権も同じであるが,日本の代表者としてもちうる「理屈の感情」と「その発露の仕方」とともに,あまりにも幼稚でありかつ拙劣であった。要は,ひどく感情的に没論理であり,無謀な要求ばかり前面にかかげてきた。
現実問題に向けられるだけの,すなわち「議論というに値する」まともな議論や主張がない。ひたすら,一方的に「盲目的な倒錯論」が披露されつづけてきた。
要は,北朝鮮による日本人拉致問題が解決する見通しは,相当にきびしい。岸田文雄政権になってからも,いまごろこの首相が拉致問題に取り組むなどと,初めて気づいたかのように反応していたが,この現首相になにか期待しうるなどと,幻想は抱かないほうが正解である。
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