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高等教育機関における奨学金制度の「21世紀日本の不徹底」,「教育は百年の大計」であるこの理念が分からない自民党と公明党の野合政権

 ※-0「〈大学受験NOW〉国・大学,学費支援拡充」『毎日新聞』2023年9月25日朝刊,https://mainichi.jp/articles/20230925/ddm/010/100/049000c(1716文字)の紹介

 この解説記事を引用する前にしばらく以下のごとき論及をおこなっておきたい。
 付記)冒頭の画像は,以下の本文中に紹介した『毎日新聞』の記事から借りた。

 実は,この記事に目を通してもらってからつぎにとなるが,本ブログ筆者がちょうど2年前に書いてみた文章を ※-1以下に復活・再掲する構成になっていることを,この冒頭で断わっておきたい。

 a) さて,「日本における奨学金制度」ならぬ「学費支援:修学援助」という文教政策は,もちろん,ないよりはあることじたいは,大いにマシな育英制度であり,歓迎されていよい高等教育に関したひとつの動向を形作りながら登場していた。

 ただし,アメリカのようにバカ高い学費:授業料(納付金)は,ここで比較する対象として議論するのは,大学事情の違いがありすぎて好ましくはない材料になるゆえ,あくまで日本の教育制度のなかでそれなりに固有の問題と捕捉する議論をしてみる必要があった。

 その点を断わったうえで,『毎日新聞』2023年9月25日朝刊に掲載されていたこの「学費支援:修学援助」の制度が「拡充」されたという記事(見出しそのものは「国・大学 学費支援拡充」)を引用することにしたい。

 その前につぎの画像資料による関連の文面を紹介しておこう。

この記事は奨学金とは「お金を借りること」だ
という書き出しになっていた

 そのことば「学費支援:修学援助」という用語は,ある意味で非常に中途半端な日本の奨学金制度まがいの,学生自身のためというよりは,その保護者世帯・家庭に対して年収ごとにその支援・援助する「教育費の応援体制」のあり方は,

 あくまで支援とか援助ということばが使われてもいるように,「奨学金本来の方途」として,学生たちの勉学とその生活環境を直接に助成するといった方向性とは,一定の線引きがなされているとみるほかなく,つまり,質的に観て相違があるかのような印象を強く受ける。

 少し長い解説であるが,関連する基本的な論点の理解には有益な説明がなされている。先取り的に批評しておくと,このようなどこまでいっても,「いつも」このような「小手先でするの文教対策」としての『奨学金制度の確立・設営』ではなくて,日本の大学も授業料などの入学時に納付する金額が非常に高い水準のままとなれば,一方での,学生たちの保護者たちの年収水準はとみれば,総体的にはすでにたいそうな重荷となっていた。

 b) 大学に進学する子どもたちをかかえる世帯・家庭の平均年収を全体的にみわたしたとき,日本学生支援機構(昔の日本育英会)がサラ金もどきの貸与型奨学金の運営までしているとなれば,結局「若者の人生をその出立点から台なし」にしかねない制度であるほかなく,現在もその運営をしつづけている同機構のその「育英機関である基本精神」は,いまでは完全に消失したも同然になっていた。

 日本の経済・社会が全般的に低迷するなかで,この状態を改革するための人材を,必要に応じて幅広く育成するための奨学金制度とは,完全に縁遠い「支援」のあり方であるどころか,若者の人生を摺りつぶすかのごとき実態すら,実際にはいくらでも報告されてきた。

 日本における「教育は百年の大計」という歴史的な通観にもとづく教育理念とは,実際的にはまったく無縁になりはてたのが,日本学生支援機構であった。同機構は,奨学機関として本来もってほしい理念・目的に照らしてみるに,およそその真逆の働きしか発揮しえない「日本の奨学金」関係では,最大の機関である。しかし,その制度の設計や実践的な運営面では大欠陥がしこまれていた。

 c) ここではまえもって,※-1で紹介してみる「〈大学受験NOW〉国・大学,学費支援拡充」『毎日新聞』2023年9月25日朝刊という解説記事が添えていた図表を紹介しておく。

 問題の焦点として指摘したいのは,こうした年収階層別の「修学支援」に関しては,あらかじめ,いわゆる奨学金そのものではないという判断が下しうる点であった。

 いわば,より低所得層向けの若者たちを主に意識したその学資支援や修学支援であるから,奨学金の基本的な性格を単純にかつ純粋に考えた場合と比較した場合,特定の位相の違いが潜在していると観察する。

奨学金ではないような修学支援制度

 だからか,『日本経済新聞』2023年9月24日朝刊26面「科学の扉」欄で「〈サイエンス Next Views〉を書いていた日経編集委員滝 純一は,前掲の図表をもって説明される「高等教育の修学支援新制度」であっても,

 このなかの右側に記入されている「理工農系・多子」の世帯・家庭向けのその「支援」策に関しては,「理系学部拡充で即戦力調達」であり,「展望なき弥縫策に懸念」があると指摘していた。

 しかし,この指摘,もっぱら「即戦力調達」を意識したごとき対策であって,それも「展望なき弥縫策」なのだとしたら,上の図表(図解)の左側までにわたる全体,「全額支援・3分の2支援・3分の1支援」にまでも妥当するにちがいない,それも場当たり的に取ってとってつけたがごとき制度設計(およびその変更や追加)では,

 日本の高等教育機関における奨学金制度として,これが,本来めざす理念や目的にいかほど寄与できるのか疑問を残していた。

 だから,前段の日経「科学の扉」を執筆した編集委員は,後半の段落でこう批評していた。

 新設学部候補には文理融合を意識した名称もある。しかし大学に限らず,予算と定員は「縄張り」だ。学部新設は学問の横の結びつきを強めず,むしろ学部の縦割り構造を新たに生み強化することになりはしないか。

 黒川 清・東京大学名誉教授は講座の教授を再生産しつづける「世襲制」に似た慣行を問題視する。

 20世紀後半からのイノベーションの波は異なる学問の領域を超えた結びつきや,学問と産業や社会との相互作用のなかから生じたといわれる。縦ではなく横が重要だと指摘する声をよく聞く。別のいい方をすれば,若い研究者の独立性重視だ。大学の研究力向上には慣行の見直しこそがカギではないか。

 18歳人口が減るなか,時代にマッチし魅力的にみえる学部の創設を大学が競い合う。生き残りをかけ背に腹は変えられない事情は理解できる。しかし目先の弥縫(びほう)策が望んだ結果を産まない例は「大学院重点化」や「ポスドク1万人」など過去にもあった。

 大学の役割とはなにか。ビジョンなき即戦力育成は,学問を学ぶ大切さを実感する機会を失わせ,ひいては学問やアカデミアに対する敬意の喪失にもなりうるのではないかと懸念する。

『日本経済新聞』2023年9月24日朝刊「科学の扉」

 この指摘を受けて,本ブログのこの記述全体の論旨で,その趣旨を汲みとるとしたら,この記述中であつかっている「高等教育の修学支援新制度」も実際には,上の引用中で太字に変えてみた懸念から,全然自由ではないことが,さらに懸念すべき材料になると理解するほかない。

 そこで言及されていた,1990年代の「大学院重点化」(⇒法科大学院の半数はまもなく消滅したし,会計大学院でも廃校になった,それも一流大学のそれも多かったが)や「ポスドク1万人」(高学歴の貧困層を大量に「排出」させつづけ社会問題化させたし,日本産業社会全体にも特定の悪影響を与えた)などは,

 いまだに「誰も責任をとらない状態」がつづいているなかで,なかでも法科大学院については,それこそ〈A級戦犯〉ほどに責任を追及されるべき人物たちが,いまだにしらんぷりときている。

【参考図表】-日本の労働生産性を各国のそれと時系列で比較すると,こうなっていた。教育制度の実際とも大いに関連のある「統計の足跡」-

 

 ※-1「国・大学 学費支援拡充」『毎日新聞』2023年9月25日朝刊14面「企画特集」に掲載,「学費支援:修学援助」の制度が「拡充」されたという記事・

 a) 大学進学のさいに学費をどう工面するかは,どの家庭にとっても関心事だろう。国は2020年度から始めた,授業料などの減免と給付型奨学金からなる修学支援制度を2024年度から拡充する見通しだ。また,各大学では,事前予約型奨学金など独自の奨学金制度に力を入れる動きも目立っている。

 国は200年度から,低所得世帯向けに「高等教育の修学支援新制度」をスタートさせた。対象となる年収の目安は年収約380万円未満の世帯。たとえば,年収約270万円未満の住民税非課税世帯のうち,私立大学生1人を含む子ども2人の計4人の家庭の場合,最大で入学金約26万円,授業料約70万円が減免され,最大で年額約91万円の奨学金が支給される。年収約300万円未満では支援額がその3分の2,年収約380万円未満では3分の1となる。

 補注)途中になるが,前段の説明については,『朝日新聞』が図解に表現したものを参照しておきたい。

$『朝日新聞』の図解 $
世帯・家族の年収が270万円と380万円とで
いまどきどのくらいに有意な差になりうるのか疑問
つまり低所得層内の違いに過ぎないはず
夫婦と子ども2人の世帯:4人家族を想定すれば
その程度のことは直観的に理解できるのでは?

 2024年度からは,現行の三つの区分に,新たに四つ目の区分を設ける。対象になるのは,年収約600万円までの世帯のうち,多子世帯と,私立の理工農系の大学生がいる世帯だ。

 学生本人を含め扶養される子どもが3人以上いる多子世帯は授業料減免と給付型奨学金を上限額の4分の1,最大で合計約40万円の支援を受けられる。また,私立大で人文・社会科学などの文系よりも授業料が高い理工農系で学ぶ学生は,文系との授業料の差額が支援されるみこみ。

 2024年度から拡充される修学支援制度について,奨学金アドバイザーの久米忠史さんは「対象を年収約600万円の中間所得層に広げるのが大きな目玉」と分析する一方,「奨学金の支給が認められた場合でも,大学によっては入学金や授業料を納付する必要があるケースもある。支援制度は大学によって異なるので,ホームページなどで確認してほしい」と話している。

 補注)前掲の「大学生への修学支援制度」の図表(図解)に関しては,もう一歩踏みこんで,つぎの統計図表2点も参照しておきたい。むしろ問題は21世紀になってからというもの,日本の労働者階層の年収分布がこのように貧しい水準に留め置かれてきた事実にあった。

 安倍晋三の第2次政権期の10年間,日本の労働者にとって実質賃金は低下してきた。

これは平均年収
こちらが中央値ないしは最多値が分布する範囲
この年収がここ一昔分において
実質増えていない事実が問題となるはず
「修学支援」という名にある種の
はかなさを感じる

 b) 国の修学支援とは別に,各大学でもさまざまな奨学金制度を導入している。

 明治大学は,入学希望者のうち,学業優秀でありながらも経済的に困窮している受験生を経済支援する入学前予約型給付奨学金「おゝ明治奨学金」を2020年度から開始した。入試の出願前に採否結果が分かるのが特徴。

 4年間継続して授業料年額2分の1相当額の奨学金を受給することができる(継続審査あり)ほか,採用者限定で提携学生寮を割安価格で紹介している。

 さらに,支援する学生を増やすために出願資格を緩和している。2023年度入学生の募集では世帯収入などの所得要件を緩和したのに続き,2024年度入学生の募集からは高校での学習成績の評定平均値の学力要件も緩和した。

 明治大学では奨学金制度について,「貸与型を廃止し,すべて返還不要の給付型のみになるよう制度変更を検討している。また,自然災害などの被害を受けた方を対象とした家計急変タイプの奨学金を手厚くしたい」としている。

 神奈川大学は,1933年から独自の奨学金制度「給費生制度」を実施している。単に経済支援をするだけでなく,広く全国から優秀な人材を募り,才能を育成することを目的にかかげている。

 全国22会場で実施する給費生試験に合格して給費生に採用されると,入学金相当額(20万円)や給費生奨学金(年額100万~145万円)にくわえ,自宅外通学者には生活援助金(年間70万円)が給付され,4年間で最大880万円の支援が受けられる(継続審査あり)。

 給費生に採用されなかった場合でも,一般入試合格者と同等もしくはそれ以上の学力を有すると認められた受験生は,一般入試を免除して入学が許可される。神奈川大は給費生制度以外にも,地方出身者や学業成績優秀者などを対象とした多様な奨学金制度を設けている。

 金沢工業大学は,リーダーとなる人材育成をめざす特別奨学生制度(リーダーシップアワード)を導入している。同制度の対象入試の合格者のなかから高得点者の「スカラーシップメンバー」を選抜。さらに,その中から面談などを経て「スカラーシップフェロー」を選抜する。

 スカラーシップフェローは入学金・授業料の国立大学標準額との差額として1年次に年額89万7200円,2年次以降には授業料の同差額として年額97万9200円(差額により金額は変動あり)が給付される。また,スカラーシップメンバーは年額25万円の給付を受けられる。(引用終り)

 以上のごく最近における関連の記事を紹介したうえで,つぎの※-2以下の記述に移りたい。ここからは2021年10月25日に初出された文章となるが,その中身については,残念なことに陳腐化していない事実を確認している。もちろん,その間の事情推移に合わせて,補筆・修正の作業もくわえた。

 

 ※-2 日本における大学生向け奨学金制度が貧困な水準にある実情,なぜ給付型奨学金が日本では普及していないのか?

 日本における大学生用の奨学金制度は「給付型奨学金」を基本として規定(=観念)されていない。まるで,生活保護政策の一環であるような位置づけしか与えようとしていない。すなわち,この国における「文教政策のいちじるしい思想の貧困」が目立つ。

 そして,既存の国立大学学生向けの授業料減免制度を覆い隠すごとき「修学支援制度」が新たに設置されていた。この制度変更のせいで,その選択に迷う国立大学生もいたことは,みのがせない

 高等教育体制における奨学金制度は,それも給付型を最初から重視しておらず,社会保障としては生活保護的な思想さえ感じさせる「就学支援制度」となれば,文字どおりに純粋な奨学金ではありえず,

 平均年収に達していない低所得の貧困層にかぎって「大学への進学をいくらかは支援するための制度」に留まっているのであって,高等教育段階において設置し運用するのによりふさわしい制度とはいえない。

 

 ※-3「知ってる?」『Money Motto!』2021年3月3日,https://news.hoken-mammoth.jp/menjo/ から

 この記述の前提になる「予備知識」になる,既存であった「国公立大学の授業料免除制度」について,さきに説明しておきたい。

 a) 近年,教育格差や奨学金の返済などが社会問題化している。経済的な理由で大学進学を断念したり,卒業後の奨学金の返済が重荷となったりするケースが少なくないのである。

 政府はこのような現状から,2020年4月に「高等教育の修学支援新制度」(通称「大学無償化」)をスタートさせた。しかし,この制度は国公立,私立すべての大学に適用されるものの,条件がきびしく対象者が限定されている。

 一方で各国立大学では独自に授業料免除制度を設けており,国公立大学に進学した学生は,こちらを活用する選択もある。

 経済的な理由があっても大学に通える制度として,国公立大学独自の授業料免除制度は,どういった中身なのか。その選考基準を満たせば,授業料の全額または半額(大学によっては1 / 3,1 / 4もあり)が免除になる。

 b) 国公立大学と学費  国立大学は,国立大学法人が設置・運営している大学であり,国の一般会計から運営費交付金が支給されるため,私立大学に比べて学費が安くなっている。公立大学は,公立大学法人や地方自治体が設置・運営をおこなっている。

 補注)国立大学の授業料など “入学に要する納付金” が,私立大学よりも本当に安いかといえば,このように簡単にはいえない。世界各国の大学ともよく比較検討して表現すべきものである。

 また,授業料などが高くても,奨学金のそれも給付型が整備・充実している国であれば,その「高い」か「安い」という点の比較は,かなり相対的に幅をもたせて解釈する余地も大きく生じる。したがって,ただちにそう簡単には並べて比較できる中身になるわけではない。

 日本の場合,先進国〔のつもり〕であった「この国」の問題として観るとき,授業料は高いし,給付型の奨学金制度は,もちろんないわけではないが,その大部分は貸与型である。

 しかも,日本を代表する奨学・育英機関である日本学生支援機構は,エグイ金貸し事業まで展開しており,学生の未来への進路を支援し助力するだけではなく,どちらかというと,もしかしたら大いに妨害している始末を招来させてもきた。

 この機構は,利子付きの貸与型奨学金まで設置し,実際に運営している。しかも,その原資は金融筋から調達し,返還もしつつの「貸与型の奨学金制度の運用」だとなれば,どういう方針をとらざるをえないかは,おおよそ高がしれている。

 貸与型の奨学金というものは,純粋の意味でいえば “奨学金として本来の性格” を格段に薄めた教育効果的な意義しか発揮しえない。

 たとえば,岩重佳治『「奨学金」地獄』小学館,2017年と題した本が公刊されていた。本書の宣伝文書は,こう解説している。著者は弁護士である。
 
 ★-1 出版社内容情報  しらずにはすまされない奨学金の実態。いまや大学生の2人に1人は奨学金利用者です。その背景には,格差や貧困の拡大で親の経済的援助を受けられない学生の急増と,学費の高騰があります。

 国立大学の年間授業料は,1971年が1万2000円だったのに対し,昨年度は約54万円,初年度納付金は80万円を超えます。多くの学生は奨学金を借り,生活のためにバイトに明け暮れ,そして数百万円の借金(奨学金)を抱えて卒業するのです。

 しかし,いまは3人に1人は非正規雇用という時代です。生活するのさえ苦しく,奨学金を返したくても返せない人が増えています。一方,2004年に日本育英会から変わった日本学生支援機構の奨学金制度は,金融事業になってしまいました。

 返済が3ヶ月滞ると金融機関の「ブラックリスト」に入ります。4ヶ月滞納で「サービサー」と呼ばれる債権回収会社の回収が始まり,9ヶ月で裁判所を通じた支払督促がきます。中高年の人の記憶にある,育英会時代ののどかな奨学金とは別物なのです。

 本書は,返済苦にもがいている人の実例をもとに,いまの奨学金制度が抱えている問題点,返済に困った時の救済手段などを,長年この問題に取り組んできた弁護士である著者が詳細に解説します。

 ★-2 編集担当からのおすすめ情報  この企画にあたり,実際に奨学金の返済に困っている方々や関係者に取材をさせていただきました。共通しているのは,返済しなくてはいけないという強い責任感です。そのために,就職した会社の給料ではまかなえず風俗で働く人がいます。

 「自分が返さないとつぎの若者が借りられなくなる」と過酷な労働の会社で働きつづけ,過労のため事故死してしまった人がいます。

 借りたものを返すのは当たりまえです。しかし,3人に1人が非正規雇用といういまの社会のなかで,就職に失敗する,リストラされる,あるいは病気になって収入がえられなくなるなどは,誰にでも起こりうることだと思います。

 格差社会のなかで苦悩する人びとの現実と,昔と違う,奨学金を取り巻く現在の状況をしっていただければと思います。

 ★-3 内容説明 -繰り返しになるが,あえてこの項目も紹介しておく「★-1と★-2」の要約的な説明である-

 貧困や格差の拡大と高騰した学費の影響で奨学金を借りる人は増えつづけ,大学生の5割以上が利用者だ。彼らは卒業時点で数百万円の借金を背負うが,非正規雇用などの低賃金・不安定労働に就かざるをえず,返せない人が増えている。

 一方,日本育英会から引き継がれた日本学生支援機構の奨学金制度は金融事業になり,返済困難な人にも苛酷な取り立てがおこなわれる。生活苦と返済苦にあえぐ人びとの実態,制度の問題点と救済策を明らかにする。

 ★-4 目 次
  第1章 貧困社会と奨学金の落とし穴
  第2章 多発する返済トラブル
  第3章 高校と大学の現場から
  第4章 「奨学金」という名の学生ローン
  第5章 奨学金ローン返済の手引きと,救済の手立て
  第6章 制度の改善と今後の課題

岩重佳治『「奨学金」地獄』2017年

 1) 2020年度の国立大学(一部を除く)の受験料・学費は以下のとおりである。以前とは異なり,一部の大学でこれとは異なる金額のところもあるので注意したい。

  受験料    17,000円
  入学金    282,000円
  授業料    535,800円
  初年度納入金 817,800円

 また,国立大学によっては,設備/実習/諸会費等,後援会費などがかかる。 公立大学の受験料・学費は国立大学に準じるが,入学者の住所によって入学金の額が変わる

 国立大学に通う場合,4年間にかかる学費は240万円を超える。これはけっして少ない金額ではない。

 補注)前段に言及されていた事実であるが,昔,国立大学は授業料が1月分=1000円の時代が長くつづいた。今風に簡単にいいかえると,1月分が1万円(もっと低く5千円?でもいいか)くらいに換算したらよいかもしれず,負担感としては非常に軽かった。

 その程度の金額であれば,そもそも無償(タダ)にしてもいい水準であった。いわば,多少は払ってもらうよ,授業料というものがあるんだよ,という程度の負担でしかなかった。

 国立大学の場合の,文系・理系によって授業料の差がない点(この点は現在も同じ)も比較の材料となるせいもあってなのだが,私立大学に入学した学生のほうの世帯・家庭の負担感は,とても大きく重たく感じられる。この点はいまでも変わらぬ事実である。医学部の学費水準などは,その点を拡大鏡を通してみたような実情にある。

 ところで,国立大学の授業料が1月分:1000円を払う「月謝だった」時代すでに,国立大学においては授業料の減免制度があった。また教員になった国立大学の卒業生は,日本育英会(日本学生支援機構の前身)から借りた奨学金の返済を免除された。ただし,この教員向けの特免制度は,以前に廃止されていた。

 以上の点に触れただけでも,日本の大学史のその後において,入学する学生に対して「授業料など納付金の〈値上げ〉」を,国立大学がわざわざ私立大学の水準をにらみながら,これに後追い的に相対的にだが合わせるかのようにして,絶対額においてもじわじわと値上げしてきた。文部科学省はそうした「まことに愚かな文教政策」を敢行してきた。

 すなわち,私立大学の水準をにらみこれに合わせるかのようにして,国立大学のほうの授業料が,前段の意味でのように相対的にも絶対的にも値上げをしていくといった方針や手順は,ただちに「愚策」だと形容してよい。

 それとは逆に,つまり「学生側,この世帯・家庭の側」にとってもつ大学進学という出来事が,もっとも好ましいかたちで,つまりなるべく負担の少ない条件で実現できるようにするためには,

 文教政策の一貫として公的な扶助としての教育制度が,どのように整備されるべきかという点が,当然のことだが,私立大学のあり方も含めたかたちで「総合的に再検討」され,その「根幹から再設計」されておく必要があった。

 2) ところが,そうした問題意識じたいがいまの文部科学省の立場にはあっては,「一国の〈百年の大計〉」であるはずの,とくに高等教育段階における奨学金制度に関して,不在であった。

 日本においては,その程度での貧相な文教思想(とくに教育費「観」)しか準備されておらず,奨学金のあり方についての「特定で確かな思想」の欠落が,大昔から問題でありつづけてきた。

 民間の育英・奨学財団では貸与型奨学金ではなく,給付型奨学金で事業を運営しているところが多くある。だが,それらの全体的な規模は日本学生支援機構の比ではない。

 そのなかにあっては,高等教育体制段階における奨学金制度がいつまでも貸与型を主軸に続行され,この貸与型である奨学金制度のために,「日本の労働社会」とか「日本の産業社会」とかいう次元にまでつらなる問題点を解消できないでいる。

 そんなこんな奨学・育英事業の貧困史が持続されてきた結果,「〈日本の社会〉全体そのもの国力」の問題にかかわって結果させられていた特定の問題,すなわち「国力の基礎」のひとつなるはずの「個々人としての労働力」の社会経済的な育成が,この国のなかでは大幅にそがれてきた。

 

 ※-4 国公立大学の授業料免除制度

 国公立大学には授業料免除制度があり,経済的な理由によって授業料の納付が困難で,かつ,学業優秀と認められる学生は,授業料の納付が免除される。

 各大学とも,家計と学力による基準が設けられているが,それほどきびしいものではない。たとえば,金沢大学(学部・学類 平成26〔2014〕年度前期実績)を例にとってみると,申請者の85.8%が授業料の全額または半額の免除を受けていた。

 そのほか,他の国立大学でもつぎのような減免制度が置かれている。

  東京大学  授業料の全額または半額免除

  京都大学  授業料の全額または半額免除

  東北大学  授業料の全額,半額または3分の1の額の免除

  北海道大学 授業料の全額,半額または4分の1の額の免除

  金沢大学  授業料の全額,半額または一部の免除

 2020年からの新型コロナウイルスの影響で授業料の支払いが困難な学生の方向けに,授業料減免や納付期限延長などの特別措置を設けている国公立大学もあった。

 このように,どの国公立大学であっても以前から,授業料減免制度が存在している。経済的な理由で進学や受験をあきらめずに,積極的に制度を利用するとよい。

 国立大学ではこのように,低所得である世帯や家庭にある学生に対しては,以前からそれなりに授業料をきちんと減免する制度を置いていた。ところが,そこへ新しくくわわっていた関連の制度があった。こちらの制度のその後について,本日〔ここでは⇒〕2021年10月25日の『朝日新聞』朝刊があらためて,つぎのように報じていた。

 

 ※-5「〈2021 衆院選 課題の現場から)380万円,教育支援の崖 年収基準超すと一気にゼロ」『朝日新聞』2021年10月25日朝刊31面「社会」

 衆院選のたびに,各党が競って打ち出す教育支援策。そもそも,いまの制度は本当に支援を必要とする層に届いているのか。支援の網からこぼれ落ちる中間層が政治に望むことは。

 「つぎは非課税から外れると思う」。大学2年,高校3年,中学3年の3人の娘がいる新潟市の女性(51歳)は今〔2021年〕夏,派遣社員の夫(54歳)からそう告げられた。

 夫の年収は300万円ほど。いままでは住民税を納めなくてよい住民税非課税世帯で,さまざまな公的支援を受けられたが,給料が少し上がり,来〔2022〕年度からは支援の対象から外れる。そんな説明だった。

 夫は10年ほど前に大病を患い,正社員として働けなくなった。以来,一家で夫の実家に住む。次女と三女は学用品費の補助,長女は修学支援制度など,国や自治体による住民税非課税世帯が主な対象の支援を受けながら通学。女性もフランチャイズの学習塾を経営して年に50万円ほど稼ぎ,なんとかやりくりしてきた。

 いま,不安なのは教育費だ。浪人して地元の国立大に進学した長女は,来〔2022〕年度から国の給付型奨学金や授業料減免を受けられないか,支援額が減るかもしれない。国公立大進学をめざす受験生の次女も同じ状況になるかも。制度を調べた結果,そう覚悟した。

 補注)ここまでの記事が示唆するのは,前段でも指摘したきたとおり,奨学金の問題〔とこれに関連する諸制度〕がとくに,低所得の水準にある世帯・家庭に関連づけられていた事実である。

 学生の世帯・家庭がある程度,たとえば,ここでの話となれば500万円で子どもが3人いる場合であっても,以上に出ている公的支援の支給がはずされるというごとき現実は,日本社会の非常に貧しい「教育に関する思想・理念」を,直截に教えている。

 基本としてこういう仮定話を設定して考えてみたい。その3人の子どもたちが皆成績が優秀で(たとえば上位10%以内)である時,とくに大学生の話の場合,授業料や修学経費も支給されるかたちで,大学に通学できる条件が与えられて当然だという考え方もあって,なんらおかしくはない。

 ここで,その10%以内に入る成績とは,1年生に対してならば,たとえば「大学入学共通テスト(大学入試センターのセンター試験)」でもいいし,2年生以降ならば1年時の学業成績に拠っていい。

 大学に進学しようとする生徒がそれだけの好成績を上げられるのであれば,これを判断基準に使い,奨学金制度の網をかけて,的確に支援する制度があっていいはずである。ただし,ここでは学生の世帯・家庭の年収水準はいっさい問わないでいいとする判断も,合わせて適用する制度の運用を考えている。

〔記事に戻る→〕 「ちょっと実入りが増えただけで,負担がすごく大きくなる。対象から外れたら急になにもなくなるのではなく,収入に見合ったきめ細かい支援をしてほしい」。

 大学などの授業料減免と,返済しなくていい給付型奨学金の2つを柱とする修学支援制度は,10%への消費増税による増収分の一部を財源に,昨〔2021〕年度から始まった。

 2017年の衆院選で安倍晋三首相(当時)が「高等教育の無償化」として打ち出し,創設された。私立大の下宿生で,年間で最大約160万円の支援を受けられる(入学金の減免分を除く)。

 補注)消費税はその2割しか社会保障費に充てられていないという「正式なる堂々の国家的ウソ」がまかり通る税制における「実際面」に注目しないまま,以上のごとき説明を聞くとなれば,特定の違和感を抱くほかない。

 ともかくも,国家じたいが用意し,提供すべき高等教育向けの奨学金制度(むろん給付型とするもの)の不備・不足が,この日本では目立つ。

 この問題に関連しては,大学に在籍する学生比率が,およそ「私立大学の比率が7割5分」「公立大学の比率が5分」「国立大学の比率が2割」である内訳が看過できない。

 私大の授業料はとても高いのだが,これに追随(!)するかのようにして国大も,一定の金額の差(間隔)は保ちながらも,同期させるかのようにして授業料を逐次的に上げてきた。

〔記事に戻る→〕 ただ,全額の支援を受けられるのは「両親,本人,中学生の4人世帯」の場合,年収約270万円未満の住民税非課税世帯に限られる。年収が380万円を超えると支援はない。

 (⇒だいぶ前段になっていたが,『朝日新聞』のこの文章に段落に相当する図表をもう一度ここに挙げておく)(また『毎日新聞』20239月25日朝刊がかかげていた関連の図表も再度ここにあげておく)

『朝日新聞』から
『毎日新聞』から
ここでは小さめに挿入しておいた

 また,もともと各大学には授業料の減免制度があり,国公立大の多くは,全額免除とする年収基準が修学支援制度より高かった。そのため,修学支援制度の導入前なら支援を受けられた学生が,新制度導入後の入学では支援の対象にならない事態が起きている。

 ▲-1 コロナ禍により,公的支援の対象でなかった学生が困窮するケースも相次ぐ

 高等教育無償化を求める学生団体「FREE」が今〔2021〕年4~7月に実施し,約400人の学生が回答したアンケートでは,コロナでバイト収入が減った人が約4割,保護者の収入が減った人は約3割に上った。また,約2割が,修学支援制度の利用を希望したが,対象外になるなどして利用できなかったと回答した。

 「授業料などの負担軽減策を衆院選の主要論点にすべきだ」。FREEの学生たちは今〔10〕月21日に文部科学省で会見し,訴えた。その1人で慶応大2年の女子学生は,世帯年収が800万円ほどあるが,大学受験生の妹がいて家計に余裕はない

 授業よりバイトを優先させる日々だ。「高等教育は無償化された,とかかげる政党もあるが,要件がきびしく,対象から外れる人もいる。必要な人に支援が届く制度にしてほしい」と話す。

 補注)年収が800万円ある世帯・家庭であっても,それほど極端ではない実例としてたとえば,2人の子どもが1学年あいだを空けて家族構成の場合,私立大学にこの2人とも進学させるとしたら,現実,これはたいそうな負担になる。

 もっとも,国立大学でもこのごろはそれと大きくは変わりないといえるが……。ただし,医学部に進学する場合においてとなれば,関連する話題はひとまずはずしておくほかない。この点は説明なしでもただちに理解してもらえると思う。

 足かけで最低4年間はその年収のうちの可処分所得から,この子ども2人が大学に通うために充てねばならない金額は,2人とも家から通うにしてもその半分近くにはなる。そもそも年収1000万円あっても「貧乏な生活だ」という記事は,ネット上には記述されるいまの時代である。

 なかでも,問題である教育費関係「負担の点」は,年収が日本における「単純の平均年収」(男女間での差が大きいのだが,この点はあえて触れない)である世帯・家庭を想定してみるに,その平均の金額である4百数十万円という賃金水準では,子どもを大学にいかせるための経済的な負担は,相当に重いものとなっている。

 学資保険で大学進学に備えるだとか日本学生支援機構からの貸与型奨学金を支給されて大学に通うというのは,本来であれば国家・為政側が最大限に国民たちに援助の手を差し伸べておこなうべき筋合いに照らして,

 しかも,「住宅・医療・教育」という人生における3大費目に対した国家側による社会保障体制のあり方として,医療(はコロナ過でさんざんフラついてきているが)はともかく,住宅と並んで教育関連の手当・施策が非常に貧弱である。

 税金の使途を介して,そのあたりの社会保障をめぐる課題は,いくらでも改善できる方途がありうる。ところが,現政権はこの実態を改善する意向がほとんどない。消費税を本当に社会保障の領域に向けて,本来どおりまわして活かせば,ただちにあれこれが改善する展望が期待できる。

 だが,自民党と公明党の野合政権にはその気がない。公明党ときたら「平和と福祉の党」を自称しているが,もともと偽称であった。

〔記事に戻る ↓ 〕

 ▲-2 少ない公的支出,対象も狭い日本

 衆院選では,主要各党が修学支援制度の拡充や大学授業料の値下げなどを公約にかかげる。岸田文雄首相も「中間層の拡大」を強調する〔した〕。しかし,はたしてその恩恵を受けられるのか〔受けられたのか〕。ギリギリの生活を送りながら,支援対象からこぼれ落ちる人は少なくない。

 補注)上の段落で〔 〕内を補足したのは,この記述全体はもとは2年前になされていたゆえ,いまとなってはその結果を考慮した表現も追加しておくべきだと考え,そのように挿入してみた。

 岸田文雄は発足した当初,「成長と分配の好循環」実現向けて・・・などと調子よく説いていたつもりだったが,国民生活などそっちのけの為政しかおこなう気がない「世襲3代目の政治屋」であった事実は,時の経過とともにマスマス鮮明になった。

 そもそも,日本は以前から高等教育にかかる費用の家計負担割合が高いと指摘されてきた。

 OECD(経済協力開発機構)の2021年版「図表でみる教育」によると,日本の教育機関向け公的支出の対GDP(国内総生産)比は4%で,加盟38カ国の中では下位25%に位置する。また,国公立大学の学士課程の授業料は,データが入手できる国々のなかで5番目に高いと指摘されている。

【参考記事】-『読売新聞』2022年10月4日の記事はつぎの住所であるが,また別様にこう指摘していた。前段の指摘と若干,ズレがある内容であるが気にせず,紹介しておく。ともかく日本は低位に着けたまま…… -

 経済協力開発機構(OECD)は〔2022年10月〕3日,国内総生産(GDP)に占める教育機関への公的支出の割合(2019年時点)を発表し,日本は2.8%と,データのある加盟37か国中36位だった。前年の同率最下位からは改善したが,依然として低い状況が続く。


 補注)前段の記述のなかで,日本の「国公立大学の学士課程の授業料は,データが入手できる国々のなかで5番目に高い」と指摘された点は,前段の記述で述べたとおりであり,相当に問題となるほかない事実である。

〔記事に戻る→〕 桜美林大学の小林雅之教授(教育社会学)は,こうしたなかで,修学支援制度で支援対象が広がったことは「所得の低い家庭の子どもの進学率を上げる一定の効果があった」とするが,「多くの中間層は対象外。複数の党が制度の拡充を主張するのは良いが,財源まで示すべきだ」という

 また,支援額が変わる年収の区分が3段階しかない点を問題視。「がんばって働いて年収が増えたら,対象から外れて負担が増すという事態も起きる。せめて8段階くらいにすべきだ」と,より幅広い層を支援の対象にするよう求める。(ここまでで『朝日新聞』からの引用・終わり)

 以上のように論じてみた「日本における奨学金制度」に固有の不合理性,いいかえれば本来の「育英思想の不在」,つまり「国家百年の大計」と直結させうるための「教育理念の〈明確な欠落〉」が,とりわけ顕著であった。

 ここまで記述してきた「日本の奨学金制度」に不可避にまとわりついている諸問題については,さらに詰めた議論が必要である。その論点は機会をあらためておこなうことにしたい。

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