老朽原発を再稼働させる日本のエネルギー政策(3)
※-1 前 論
a)「本稿(3)」は初出2021年6月30日であったが,2023年9月初旬に改訂作業をくわえた一連の連続ものの最終編として,本日9月5日に再掲・公表することになった。
付記)冒頭の画像資料は,後段の本文中で参照された記事から借りた。
本稿全体が論述している要点はまず,老朽原発を再稼働させる日本のエネルギー政策は,後進国的体制風の電源確保をいとわない愚かな方途,再生エネを全面的に導入・利用する体制の構築を妨げる電力政策は愚の骨頂であったと批判しなければならない見地にあった。
つぎに,中国やロシアのように強権独裁政治の国家ならばさておき,いまどき原発,それも40年ものの老朽原発を再稼働させ,再生エネの本格的な普及を妨害するエネルギー確保法は,時代錯誤であるどころか,21世紀の日本においては完全に無用かつ有害な選択でしかなかった。
しかも,実際に稼働していなかった期間を「稼働した年月に算入しない」といった,理工学的な観点からすれば “非常識中の非常識” を原発の再稼働のためであるとはいっても,完全に没非論理をもちだし強行するという,まさしく狂気の沙汰でしかありえない耐用年数「観」を,本当にもちだす始末にあいなっていた。
b) ちなみに,新幹線の車両の耐用年限は,東海道新幹線の場合だと当初15年~20年,現在は13年と決められている,日本における原発のように地震国の立地にありながら,40年を越えて稼働させるという利用の仕方は恐怖そのものを意味する。
原発の生産する電力との関係でとりざたされてもいるリニア-新幹線は,地球上のプレートが集中する表面に浮かぶこの日本国の地理的な特徴を無視したまま,その計画をなんとか実現させようとする支配体制側の特定集団が押しとおされようとしているが,
次段で言及する南海トラフ巨大地震が襲来してきたら,そのリニア-新幹線の乗客はおそらく全員が地下に埋もれて死亡する可能性が懸念されている。しかもその後において彼らの遺体の収容すらままならない状況になるとも予想されている。
というのは,リニア-新幹線はその87%がトンネルとなる地下を走行する構造になっており,巨大地震にみまわれたぶんには,乗客たちのの救出はほぼ不可能,絶望的だとみなすほかないほど地下深くに建設される部分が多くなるからである。
いずれにせよ,原発の再稼働や新増設ばかり主張し,21世紀におけるエネルギー問題の基本的な趨勢がどこへ向かっているかは,すでに分かりきった方途を明示しているにもかかわらず,これを正視したくない新聞紙,たとえば『日本経済新聞』は,ひたすら「原発」に偏重した姿勢,つまり視野狭窄の観点から時代錯誤の,ズレまくった関連記事しか書いていない。
c) この「本稿(3)」が再掲するかたちで復活・公表された2023年9月に関連させていうと,1923年9月1日に発生した関東大震災からちょうど1世紀:百年が経っていた。いま現在の日本に関しては近いうちに必らず,南海トラフ巨大地震が,それこそ関東大震災どころか東日本大震災の規模すら上回る「超・巨大地震」となって襲来することが心配されている。
そのなかでもしも,日本の原発の1基でも大事故を起こしたら,もはや日本は完全に〈沈没〉すると憂慮されている。そうなったら21世紀のこの国はズタボロの3流国以下に落ちぼれるかもしれない。
そもそも,東日本大震災によって誘発した東電福島第1原発事故とて,偶然にも稼働停止中であった4号機の場合,核燃料を保管していた屋上近くのプールからは冷却水が抜けていた。それゆえ,事故が発生した当初,それこそ非常なる恐怖感が,関係者の心臓を止めるほどの衝撃を与えかねない現実的な可能性として漂っていた。
ところが,不幸中の幸いであったというほかないが,たまたま大地震の余波というか運よくも,そばに設置されていて別の用途で水を溜めてあった容器が一部破損したために,ここから大量の水が燃料棒保管プールのほうに流れこむといった「予想外の結果」が生じ,大事故の発生にはならなかった。
その結果,4号機のプールに保管中の燃料棒は水をうしなって溶融してしまうことなく,ともかく落ち着き収拾していた。もしも,この件が最悪の方向を結果させていたら,その後の日本は,東日本の全体が壊滅させられる状態になると恐怖したのは,東電福島第1原発所長吉田昌郎だけでなく,当時の首相菅 直人も同じに震撼させられた予想上の事態であった。
d) 2011年「3・11」の事実は『第2の敗戦』ととらえる識者の認識は,すでによくしられているが,1945年8月の敗戦が明治維新の第1の敗戦だという歴史理解すらまだ認めたくない「連中」がいるこの国であるせいか,東電福島第1原発事故からもなんら教訓をうる気持ちがないらしく,
「神国日本」の観念が「原発安全神話」にもそのまま平行移動していた弊害が実在していたにもかかわらず,いまだに東電福島第1原発事故現場からダダ漏れ状態で溢れつづけている「汚染水」のことを,恥ずかしげもなく「処理水」と呼ばせている国情(国柄)は,国際社会に向けてみずから赤恥・青恥を臆面もなくさらすことになっていた。
昨日の記述中でも触れたが,日本政府や東電側が「処理水」と偽称(偽装)する「核・汚染水」については,たとえば海外ではつぎのようにありのままに正直に呼ばれている。
米国のCNNは, radioactive water(汚染水)
フランスのル・モンド紙は, Eau contaminée(汚染水)
イタリアのラ・レプッブリカ紙も, acqua contaminata(汚染水)
スペインのエル・パイス紙も, agua contaminada(汚染水)
「神州日本」の内部事情がからむとなれば,これら汚染水はすべて処理水に浄化されうるとでも宣託できるというわけか? 冗談にもならない神がかりのいいぶん……。
【参考記事】をつぎに紹介するが,素朴な疑問を提示しておく。
笠井 潔『8・15と3・11-戦後史の死角』NHK出版,2012年9月は,「この国の宿命的病理を暴く……」と宣伝されている本であったが,「破局はなぜ繰り返されるのか?」と嘆いていた。12年前のこの嘆きが指摘する日本問題は,いまもなお是正されることもなく「持続」されている。
この※-1としては最後につぎのユーチューブ動画サイトの放送を紹介しておくことにしたい。汚染水を処理水と呼ばせるこの国は,かつての大日本帝国陸海軍「大本営発表」並みの「嘘つき体質」だと指弾している。
最初の5分まで視聴してくれれば,この放送の主旨はすぐに理解できるはずである。
【参考記事】-『日刊ゲンダイ』から-
広瀬 隆の原発関係の本からつぎを紹介しておく。
※-2「エネ基本計画,『原発建て替え』盛らず 脱炭素の道筋,不透明に」『日本経済新聞』2021年6月30日朝刊1面
経済産業省は今夏をメドに策定するエネルギー基本計画に,将来的な原子力発電所の建て替えを盛りこまない方向で調整に入った。東京電力柏崎刈羽原発で不祥事が相次ぐなど原発への信頼回復ができていないと判断した。原発建て替えの明記を見送ることで,2050年の脱炭素社会の実現に向けた道筋が描きにくくなる。
国の中長期のエネルギー政策の方向性を示すエネルギー基本計画はおおむね3年に1度見直しており,作業が大詰めを迎えている。二酸化炭素(CO2 )の排出抑制につながる原発の建て替えを明記するかどうかは,エネ基本計画見直しの最大の焦点となっていた。
補注)いつも指摘する論点になるが,「二酸化炭素(CO2 )の排出抑制につながる原発の建て替え」という表現そのものが,現在では間違えた観点である。原発は,その「建設段階から廃炉段階まで」の「たいそう長期にわたる全・利用工程」を概観して判断するに,稼働時の火力発電のほぼ半分くらいの二酸化炭素は,その期間を費やしつつまた別の意味で,たっぷり排出していく。
そして発電時にかぎっては「二炭酸を排出しない」といってわざわざ強調される常套的な〈断わり〉は,原発「観」にまつわって,わざわざたいそうあやしげな「婉曲の表現」を示唆するだけに,かえってその「二酸化炭素(CO2 )の排出抑制」効果に対してきわめて怪しげな申しわけをもちだしている。
以前,「3・11」の事故現場となった東電福島第1原発(6基)だけでなく,すぐ近くに立地する東電福島第2原発(4基)も廃炉の措置になったというニュースがあった。
日本では当時まで最大基数の原発を所有していた東電が,新潟県に立地する柏崎刈羽原発の全7基も,いまだに再稼働できない実情のなかで(そのうちの2基を稼働したがっているが),原発を電力生産に大いに利用してきた電力会社の立場からの「原発の再稼働」は,非常に困難になっている。
東電の場合,当面は,原発の稼働に関しては実質ゼロの状態をつづけるほかなかった。
註記)以上,参照した記事は「福島第2原発の廃炉計画を認可 原子力規制委」『日本経済新聞』2021年4月28日 12:12,https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA27EIC0X20C21A4000000/
補注)ここでは,2023年8月31日の『日本経済新聞』記事から,つぎを引用しておきたい。
ちなみに,上述,2021年4月28日『日本経済新聞』記事によると,「福島第2原発の全4基の廃炉を決め,2020年5月に廃止措置計画を規制委に提出していた」東電は,「今後,福島県や富岡町,楢葉町から計画実施の了解をえ」てから,
「提出時の計画によると,施設の解体には約2800億円かかると見積もっていた」廃炉「作業は4段階に分けて進め」ることなり,「第1段階では10年かけて汚染状況の調査や放射線管理区域外の設備の解体などをする」ということであった。
つまり,40年をかけて福島第2原発の廃炉工程を完了させるもくろみである。しかし,原発の廃炉工程が40年でその工事全部を終えられるという保証はない。欧米諸国の実例でも「40年」で完了させられるといった実例はみいだしにくい。
「原発の廃炉」といういわば「原発利用」の後始末,その静脈産業的な廃炉という問題側面についてだが,本ブログ筆者がときどき検索するたびに関連して登場するのが,
鈴木 耕『時々お散歩日記』148,2013-08-21,http://www.magazine9.jp/osanpo/130821/ の記述,題目は「廃炉作業の費用と期間に隠されている原発の真っ黒な現実。廃炉だけに特化した『廃炉庁』を早急に作れ!」であった。
どだい「原発の廃炉工程」が40年で済むかのように説明するのは,完全にまやかしのヘリクツ,ないしは虚偽に近い言説であった。鈴木 耕はいまから10年前にすでに,つぎごとき実例を挙げて指摘していた。
ここは補注の記述のなかでとなっているが,さらに少し長い引用になる。
以上,鈴木 耕の指摘・批判は,格別に卓越した原発「廃炉工程」観ではない。欧米で実際に先行してきたその体験実例,いわば,廃炉作業の「基本的に困難である道程」に触れていた。
そもそも,40年前後の耐用年数になる「原発のその後につづく廃炉工程」(後始末作業)に要する年数が,なんとその何倍にもなるなどといった話は,それこそ極度にトンデモで,ベラボウなそれであった。
補注)日本ではまた最近になると,原発の耐用年数は,保守・点検のために休止していた年月分(未稼働の期間)は除外して計算するという奇妙きてれつな,その耐用年数の認定方法を編み出していた。
つまり,60年の耐用年数を認めるさい,休止した(未稼働の)期間は除外する計算をしてよいといいだしたのである。これは会計学・経営学・経済学の基本概念を溶融させるデタラメであった。
結局,なにやかや超困難な技術特性を有する「原発という発電装置・機械」は本来,発電のために利用すべき装置・機械ではなかったのである。要するに,単に原爆の応用技術(流用使用)であったゆえ,「原子力の平和利用(Atoms for peace)」などといった標語は,《悪魔の火》の本性から逃れえない原発の本質を,粉飾させるための虚言であった。それにしても,原子力の「平時利用」などと,滅相もないかたちで電力発電が考案され,実現したものである。
〔ここからは『日本経済新聞』2021年6月30日朝刊1面に戻る→〕 法律上の稼働期間の上限である60年に達する原発が今後出てくることから,政府として建て替えを進めていく方針を明記し,将来にわたって原発を活用する姿勢を示せるかに注目が集まっていた。東電福島第1原発の事故後の2014年に策定したエネ基本計画で,原発建て替えの表現を削除して以来,建て替えの記載は消えたままだった。
〔2021年〕7月にも原案を示す新たな計画では建て替えを明記しない方向だ。判断を先送りし,3年後に計画を見直すさいにあらためて判断する。
国内の原発は建設中の3基を含め36基ある。東電福島第1原発の事故後,再稼働できたのはこのうち10基にとどまる。直近では東電柏崎刈羽原発でテロ対策の不備など不祥事が相次ぎ,信頼回復が遠のいている。
原発はCO2 を排出しない脱炭素電源だ。政府は2030年度までに温暖化ガスの排出量を2013年度比で46%以上削減し,2050年には実質ゼロをめざすと決めた。エネ計画について議論する経産省の有識者会合でも「最大限活用すべきだ」との指摘が出ていた。
補注)この段落では,「原発はCO2 を排出しない脱炭素電源だ」といったごとき,そもそもの基本からして,おおよそ事実に反する立言が堂々と反復されている。だが,原子力が「脱炭素電源になる」という原発に関する理解は,どうみても虚説であった。
原発事故には電源喪失ということばが,とくに重要な用語として関係してくる。みずから電力を生産する原発が,いざという時,発電所内で故障が起こり,発電じたいに不具合が起きてしまった状況においては,外部からの電力を供給してもらわねば,ただちに「事故(原子炉の溶融という危険な事態)」につながるという技術特性は,原発に関して指摘されるべき最大の弱点であった。
東電福島第1原発事故の原因もそこにあって,「原発はCO2 を排出しない脱炭素電源だ」という強調点は,実はこの種の裏腹である「原発の技術的な特性」,事実としてみればその最大の弱点を物語っている。
〔記事に戻る→〕 地球環境産業技術研究機構(京都府木津川市)が5月にまとめた脱炭素のシナリオ分析によると,原発の活用は電力コストの上昇を和らげる効果もある。
2050年に再生エネで電力すべてを賄うと電力コストはいまの4倍程度に増える。送電網の整備などに大きな費用がかかるとみこまれるためだ。一方,再生エネで5割,原発で1割を賄うケースでは2倍程度に上昇を抑えられると試算する。(ここで引用すべて終わり)
この日経記事で最後の記述は,ほとんど詐術的話法であった。
第1に「2050年に再生エネで電力すべてを賄うと電力コストはいまの4倍程度に増える」という,いいかえれば,ほとんどデマのごときいいぶんは,これまで再生エネの原価がどれほど急激に下降してきたかについて,まともに考慮に入れた主張ではない。
第2に「送電線の整備」という問題に関するこの記事は,原発を100%稼働(現有の原発が全基稼働状態)を想定しており,現在における送電線利用状態を完全に無視している。
つまり,実際にはかなり多くの空きがあるのだが,その遊んでいる送電線を意図的に利用させまいと,再生エネを電源とする電力の送電を妨害する理由として,けっして現実の状態ではない「原発全基稼働状態での送電線利用(率)」を騙り,これをあたかも常態であるかのように主張していた。
日経の記者がその程度の事実をしらないわけがない。本当にしらないで「送電線の整備」を語っているとしたら,記者失格である。しっていてそれでも,以上のように記事をまとめているとしたら,原子力村の召使いである日経記者の立場に対して〈哀れ〉を感じる。
※-3 日本の原子力関連行政は「3・11」後,暗礁に乗り上げたまま今日まで来た
『日本経済新聞』2021年6月30日朝刊の記事は,前項の議論に関連する記事として5面「経済・政策」に,以下の報道をしていた。
補注)「原発をベースロード電源と位置づけ」るという原発観,換言するに,エネルギー問題をともかく,なんでもかんでも原発にこだわって発想しようとする立場は,時代錯誤というか,完全にピンボケの理解であった。
最近における経済産業省・エネルギー資源庁側の変化は,電源として観る原発(原子力)のことを「重要なベースロード電源」と形容するようになっていた。
以前は無条件に原発を「ベースロード電源」だと定義づけていたが,なにのどこを譲歩したのか,そしてなにを変更しなかったこの「原発電源・観」なのか,不思議なくらい中途半端な意味でもって,あえて「重要なベースロード電源」だと語っていた。
しかし,原子力(原発)をどのように位置づけようが,いまとなってはそれをベースロード電源として議論することじたい,間違いになっている。再生エネの方途と原発のそれとは,基本的に「水と油の関係」にある。
それでも,原発(原子力)の備える「電源としての特性」(出力をつねに100%稼働状態にしておきたい特徴)をもって,これをベースロード電源に分類したうえで,なおかつ再生エネの仲間にも無理やりに入れておこうとする苦しい立場は,ただの厄介ものである電源「原子力(原発)」の,「現状において置かれている苦境(ムリ・ムダ・ムラとしての基本性格)」を端的に物語っている。
再生エネの導入・利用の成長・進展に対して,これをもっとも阻害する電源として存在したのが原発(原子力)である。日経記事のように原発を重視する立場・イデオロギーに固執したいのであれば,この原発全体の負的特性である「トイレのないマンション」性を,終局的に克服できるなにものかを用意し,実証しなければならない。しかし,その点を説得的に展開しえた原発再稼働論側の識者はいない。
この『東京新聞』の記事に関連する最新の記事を,画像資料で紹介しておく。「トイレのないマンション」にはドンドンと糞尿が増大しているけれども,これを核燃料サイクル事業に活用できていない「日本原発史」の実情は,なんとも救いようがない局面に停頓しつづけてきている。
〔記事に戻る→〕 この10年間で,経済産業省から原子力安全・保安院が分離され原子力規制委員会が誕生した。避難計画も強化され住民同意のハードルも高くなった。エネルギー基本計画の原子力政策への影響力は限定的になった現実を直視しなければならない。
原子力の推進には課題が山積している。廃棄物の最終処分場は原発導入から半世紀以上経つのに決まっていない。福島の事故処理費用は20兆円を超す試算で廃炉作業を終えられるかも不透明だ。大量導入が進む再生エネを前にコスト競争力も落ちている。
補注)この段落のこの記述「大量導入が進む再生エネを前に〔原発の〕コスト競争力も落ちている」と触れたくだりは,前段のほうでも触れていた点,すなわち「2050年に再生エネで電力すべてを賄うと電力コストはいまの4倍程度に増える」という説明に対して,噛みあうところがみいだしにくい。
各種電源に関する単位コストの比較はすでに,原発コストの非有利性を明白にしてきた。この事実を棚上げできたかのような日経記事には驚く。まるで与太記事に近い不躾な記述内容が目立つ点には,本当に驚かされる。
いまから4年半前に,こういう記事が公表されていた。どう感じるか?
〔記事に戻る→〕 それでも現状の技術では炭素排出の実質ゼロは原子力抜きで達成は困難だ。英国やフランス,米国などの欧米諸国も原発を脱炭素の重要な手段と位置づけ技術開発を進めている。
国は原発活用のメリットとデメリットを逃げずに議論し,是非を明確に示すべきだろう。その覚悟がなければ2050年の脱炭素はおろか,2030年度に2013年度比46%減とする直近の脱炭素戦略も画餅に終わるだけだ。(気候変動エディター 塙 和也)(ここで引用すべて終わり)
以上に紹介してきた記事は,このように最後で「国は原発活用のメリットとデメリットを逃げずに議論し,是非を明確に示すべきだ」とまとめているが,そのままそっくり,この記事の執筆者に返してあげてよい〈実質的な中身〉になっていた。
しかもその筆者は,「英国やフランス,米国などの欧米諸国も原発を脱炭素の重要な手段と位置づけ技術開発を進めている」という。そうなのであれば,これと同時に中国やロシアにおける原発関連の事情・動向,そして,すでに原発を止めたイタリアや,2023年には原発を全廃するための日程をこなしつつあるドイツの電源事情に言及していないのは,公平性・客観性・中立性を欠く。
補注)その後,ドイツは2023年4月15日をもって原発を全廃した。日本流に表現すると「重要なベースロード」電源である原発を廃棄した。
もとより,この種の執筆者はきわめて教条的に(信仰的に?),「原発を脱炭素の重要な手段と位置づけ」た議論しか展示しえていなかった。しかし,原発がCO2 を出さない(発電のための稼働中している時間に限ってだが)という説明は「説明にならない説明」であった。
くわえて,原発を再生エネの同居人あつかいするわけにはいかない事情までも,完璧に無視したコジツケの議論を,恥じらいもなく披露していた。
「英国やフランス,米国など欧米諸国」が原発の利用においてかかえてきた特定の諸困難は軽視しながらも,再生エネの圧倒的な有利性には目をつむりたい論調が,この日経記事においては顕著であった。
ドイツやイタリアの電力事情はけっして満点ではない。けれども,英国やフランス,米国の電力事情と比較検討する余地はある。このあたりの論点はすっ飛ばして,原発があたかもCO2 削減のために強力な助っ人になりうるかのように論理を構成するのは,根本的に作為の過誤であった。
原発が電源中に占める割合の一番高いフランスであっても,原発の比率を下げる努力はしている。「3・11」直後に発生した東電福島第1原発事故は,世界中の原発事情に与えた衝撃は大々的なものであった。この事実は,いうまでもない。
再生エネが生産する電力を中軸あるいは基盤に据え,しかもスマートグリッド方式による電力の発・送・配電網を整備・確立することは,原発による電力の生産・配給とは根幹において対立するほかない電力観を,実践的にも要請する。
だから,原子力村の一員である日本経済新聞の記事はいつも,原発を無条件にタップリ擁護しただけの,いいかえれば,そのために実質では「没論理に富んだ」内容にならざるをえないでいる。
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