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従軍慰安婦の制度的存在を知悉していた産経新聞社の経営者(1)

 ※-1 本稿の表題は「従軍慰安婦の制度的存在を知悉していた産経新聞社の経営者」としたが,全体の論旨:概要をさきに分かってもらうために,以下のごとき要点をさきに挙げておく

 ▼-1 産経新聞が朝日新聞を攻撃したのは,実は「天にツバする行為」であった

 ▼-2「軍・性的奴隷」が戦争中において制度的に存在した事実をみずから解説していた産経社長の発言があった

 ▼-3 従軍慰安婦問題を絶対に認めたくなかった安倍晋三は国際政治のなかでも鼻つまみ者であった

 ▼-4 2014年12月26日(自民党政権復活の「月日」)にまた靖国神社にいきたかった総理大臣だったときの安倍晋三

 ▼-5 小学校4年生で習う漢字が書けなかった安倍晋三君の思い出

要点

 以上の要点列挙については,現在から10年ほど「以前」に撮された画像と思われる,「つぎの写真」に写っていた「安倍晋三(故人)と日枝 広(相談役取締役)」のうち,安倍はさておき,日枝については,つぎに参照する記事が,その関連する「特異で奇妙なあった事情」をさらに説明している。

なんというか「▼▼でもない連中」が
なにやら某所の芝生の上でくつろいだ風情で参集

「いちおう総理大臣経験者」だった森喜朗のとなりに
フジサンケイグループ会長でフジテレビの取締役相談役の
日枝久(そのグループの天皇とか称される人物)が座っている

小渕恵三が総理大臣であったとき急性の脳疾患で倒れたさい
その後継者を自民党のごく少数の幹部だけで密談・談合的に決めた結果

のちに内閣支持率で驚異的な最低記録9%を達成したのが森喜朗であった

ともかくこの森のおそばに鎮座ましますのが
「フジサンケイグループ」の領袖で天皇とまでいわれる日枝久

ちなみに日枝は1937年12月31日生まれ
森喜朗は1937年7月14日生まれ

この2人はそろって日本の政治経済界における老害現象
その先達的立場を無条件に象徴してきた

   ★ フジ日枝久氏の肩書は「例が少ない」 専門家が指摘 
      相談役に「基本的には取締役はつかない ★

  =『日刊スポーツ』2025年1月31日18時36分,
   https://smart.asahi.com/v/article/CMBfettp02501310107.php =

フジサンケイグループの天皇だといわれてきた日枝久

社会的責務・企業統治の問題基盤など▼ソ食らえでしかない
「前世紀的な旧式の精神構造の持主」

【前掲表題・記事の本文引用 ↓ 】

 企業の法務やガバナンスに精通する永沢 徹弁護士は〔2025年1月〕31日,テレビ朝日系「羽鳥慎一モーニングショー」(月~金曜午前8時)のパネルコーナーに解説役で出演し,一連のフジテレビの問題を受けて進退を求める声が出ている日枝 久氏(87歳)の「取締役相談役」という立場の珍しさについて指摘した。

 番組では,中居正広氏(52歳)の女性トラブル報道に端を発した一連の問題を受け,フジテレビの広告収入が,従来より233億円減となる見通しであることに言及。また,〔1月〕30日におこなわれた同局と親会社フジ・メディア・ホールディングスの定例取締役会後に取材に応じた清水賢治新社長が,日枝氏の進退についての議論はなかったと述べたことにも触れた。日枝氏から発言があったことを明かしつつ,内容については触れなかった。

 日枝氏の進退について,金曜コメンテーターを務める元プロ野球選手のタレント長嶋一茂(59歳)は「原因究明をちゃんとしていくというかじを切っていく方がもし日枝さんなんだとしたら,日枝さん,いま辞めてもらっちゃ,僕は困ると思います」と主張。

 「言葉は失礼かも分からないが,尻ぬぐいみたいなものをしてからでも遅くはない。そこまでやらないでうやむやにして,全員首だけ総取っ替えするのは,危険な気がします」と持論を述べた。

 これに,元テレビ朝日社員の玉川 徹氏は「でも会社法的には,ただの取締役なんですよ。日枝さんは」と指摘し「相談役というのはあまり取締役は付かないことが多いと聞きますけど,なぜか取締役をつけて相談役」「日枝さんというのは,会社法的にはただの取締役なんですよ。本来,会社法上で代表権をもっている2人は,すでに辞めている。日枝さんが残ることですべてのことが明らかになって,というふうな存在ではない」と反論した。

 この議論について,永沢氏は「取締役会の議論なので,オープンにする正式なものない」と,取締役会での日枝氏の発言内容が明かされなかったことには理解を示しつつ「(フジテレビが)刷新委員会をつくる以上は,影響力のある方を残したまま刷新するのは,なかなかむずかしい。待ったなしの対応を迫られているというところで,あまり悠長に時間をかけるというところではない」と語った。

 ここでMCのフリーアナウンサー羽鳥慎一に「相談役は,あまり『取締役』はつかないんですか?」と問われた永沢氏は「はい。基本的には(相談役は)大所高所から助言を求められた時に,対応するということになる。役員会で取締役として議論をするよりは,『大御所』という方が多い。『取締役相談役』というのは少ない例ですね」と,日枝氏の肩書の珍しさを指摘した。

 羽鳥が「やっぱり,まれな例なんですね」と述べると,玉川氏も「取締役の中にいないといけない理由があるから,取締役がついているんですね」と皮肉交じりに応じた。

日本の社会にはときどき「天皇」にたとえて登場する人物がいるが
だいたいにおいて好ましいたとえではありえなかった

 この※-1では,つぎの記事が指摘する大事な点があった。つまり,フジサンケイグループ会長である「特定の個人:日枝 久」であってもなくとも,とくに大企業(集団)の頂点に実質君臨する人物は,以下が説明するような「今日的によく自覚しておくべき〈最高経営者層の立場〉にまつわる責務」とは,ほぼ完全に無縁な場所に居た事実である。

 こういう指摘がなされていた。

 --フジ日枝 久氏の肩書は「例が少ない」専門家が指摘,相談役に「基本的には取締役はつかない」

 日本を中心としたアジアの株式市場への長期投資に特化したファンドとして,つまり,企業の株をもち,株主提案をおこなうことでその企業価値を高め,利益を生むアクティビストとして投資運用をおこなう会社として,ダルトンがあった。

 同社の「ホームページによると,ダルトンインベストメンツの創業者は日本の証券会社に勤めていた経歴もあり,日本の市場を長くみていた人物だ」と説明されている。

 創業者の1人であったジェームズ・B・ローゼンワルド3世は,14歳から投資を始め,祖父が当時の日興証券の社員として働いていたこともあり,自身もそこでインターンを経験したという。

 そんな日本をよくしるローゼンワルド氏が創業したダルトンは,1月14日にフジ・メディア・ホールディングス側に書簡を送付。「われわれは激怒している」という強い言葉で第三者委員会の調査を要求した。

 注記)「ダルトンってどんな会社? CM差し止めで泡を食うのは “フジ本体”ではなく “系列局” ? 専門家が解説」『ABEMAヒルズ』2025年1月25日 06:50,https://times.abema.tv/articles/-/10161079 参照。

 1月17日にフジ・メディア・ホールディングス側が非公開で密室的に実施いた「記者会見とはいえなかった」その会見は,悪評紛々でさんざんの結果となってしまい,10日後の27日に再度の開催をすることになった。

 こんどは,全面的に公開する形式で,どこ社の記者であれフリーのジャーナリストであれ希望者は全員が参加自由として,記者会見を開いた。こちらの会見は午後4時から翌日の午前2時24分まで,なんと,ギネスブックものにもなりうるほどで,10時間以上もの時間をかけて,それも真夜中に終了する長丁場になっていた。

 しかし,その1月27日の記者会見の場でも,日枝 久という「相談役でありながら取締役も兼ねる」がゆえに,換言するとフジ・メディア・ホールディングスでは「天皇の地位」を誇る立場であっても,ひたすら「逃げの姿勢」を貫いた。つまり,雲隠れに徹し,いっさい姿をみせなかった。

 一方の1月27日の記者会見で,ひな壇に並んだ同ホールディングスやフジテレビの最高経営者陣は,日枝のことを質問されても,まとも答えたとみなせるような回答は,まったくおこなうことができなかった。

 「過去からのしがらみがあって,まさしく院政を敷いてきたこの〈取締役・相談役〉」日枝 久は,フジサンケイグループ内において隠然たる院政を敷いている。それがゆえに日枝は,このグループが積年の垢を「溜めの溜めこんできた実情」を浄化させ,改革しうる立場とは,完全に縁遠い人間になっていた。それどころか,その垢を蓄積させる下地そのものであった。

【参考記事】


 ※-2 高橋哲哉の指摘-当時,従軍慰安婦問題のなにが問題になっていたか-

 まず,いまから10年前の話から始める。当時,雑誌『世界』2015年1月を読んでいたら,高橋哲哉「インタビュー極右化する政治-戦後70年という岐路を前に-」と題した寄稿が,こういう事実に言及していた。

 今〔2014〕年の秋,従軍慰安婦問題に関する朝日新聞の誤報をめぐって,「もっとも激しい朝日バッシングをおこなっている産経新聞の社長をかつて務めた故・鹿内信隆氏は,『慰安婦』問題についてなにを語っていたのか」というと,「日経連会長を務めた櫻田 武氏との対談本『いま明かす戦後秘史(上・下)』〔サンケイ出版,1983年〕という本で戦時中を回想し,つぎのように述べてい」たというのである(前掲『世界』158頁参照)。

 インターネット上には,櫻田 武・鹿内信隆『いま明かす戦後秘史(上・下)』の該当頁が画像で提供されている。ここでは,この画像によって「櫻田と鹿内の発言」を読んでもらうことにする。

櫻田 武・鹿内信隆『いま明かす戦後秘史 上』40-41頁

 櫻田と鹿内が語ったところの,戦時中における旧日本軍「従軍慰安婦」の実在は,この問題が制度的に存在した事実を指摘していた。

 この発言の事実に即して考えれば,「朝日新聞社を叩く行為」を盛んにおこなってきた産経新聞や読売新聞は,吉田清治「証言」の虚偽だった部分を唯一の材料に使いながら,従軍慰安婦問題の全体を「歴史の事実」として否定する言論を展開してきた。

 ところがそうした「否定論」の根拠が,産経新聞の(以前)の社長みずから,その過誤をだいぶ以前から指摘していた事情が判明する。

 以上の論点を,2014年9月初旬の時点で的確に指摘しつつ,産経新聞や読売新聞,そして保守・反動・国粋・極右路線をひた走る総合雑誌各誌の誤謬を,逆に真っ向から批判した記述がある。

 つぎの画像資料にしてみたのが,その記述の一例であった。この記述は,前段で触れた産経新聞社・社長〔だった人物〕の発言に注目し,語っていた。

 鹿内信隆は,軍慰安婦問題を全的に否定したがった「保守的でも極右の立場」から放たれた発言としてならば,実にみっともない経緯(歴史の事実)を隠さずに,真正直に披露していた。

 ともかくここでは,それを画像資料の体裁で読んでもらおう。前段においてはやはり,画像で紹介した当該書物の見開き頁:画をもちだし,同じ個所を問題にしていた。

この記述の最後に指示されていた『LETERA-本と雑誌の知を再発見-』
の記事を次段で参照する

 

 ※-3「『女の耐久度』チェックも! 産経新聞の総帥が語っていた軍の慰安所作り」『LITERA 本と雑誌の知を再発見』2014.年9月7日 09.07,https://lite-ra.com/2014/09/post-440.html から

 1)産経新聞という会社

 朝日新聞の慰安婦報道の失態で勢いづいている右派・保守陣営だが,なかでも,一番大はしゃぎしているのが産経新聞だろう。産経は慰安婦が政治問題化した1990年初頭から,慰安婦の強制連行はなかったと否定し,河野談話や村山談話を批判,慰安婦を記述した教科書を糾弾するキャンペーンを展開してきた。

 さらに同紙の社説にあたる「主張」や月刊オピニオン誌『正論』では,強制連行の否定だけでなく,慰安婦は「民間業者がおこなっていた商行為」で,「みずから志願した娼婦」。日本軍は従軍慰安婦に「性病予防対策などで関与していた」だけ,「公衆衛生面で関与していた」に過ぎないという主張を繰りひろげてきた。

 そして今回,朝日が「吉田証言」註記)の間違いを認めた事で,こうした自分たちの主張がすべて正しかったと勝ちどきをあげているのだ。

 註記)当該の文献は,吉田清治『朝鮮人慰安婦と日本人-元下関労報動員部長の手記-』新人物往来社,1976年,および,吉田清治『私の戦争犯罪-朝鮮人強制連行-』三一書房,1983年。

 1997年に結論が出ていた「吉田証言」の虚偽を朝日がいまになって認めたというだけで,どうしてそういう結論になるのかさっぱりわからないが,とにかく産経は自信満々で,日本軍に慰安婦の責任はまったくないかのような論調を繰りひろげている。

 だが,彼らは自分たちの会社で中興の祖とあおがれている人物が,その「軍は公衆衛生面で関与していただけ」という主張をくつがえすような衝撃的発言をしていたことをしっているのだろうか。

 その人物とは元産経新聞社長で,フジサンケイグループ会議議長だった故・鹿内信隆。鹿内は日経連専務理事からニッポン放送,フジテレビを開局して社長を歴任したのち,産経新聞の経営権を握り社長に就任。現在,フジサンケイグループの原形を築き上げた人物だ。

 その権力と政治力は絶大なものがあり,1990年になくなるまで,事実上のオーナーとして同グループを独裁支配。経営方針だけでなく,現在の同グループのタカ派的な姿勢もすべて鹿内がつくりあげたものだ。

 「鹿内さんは産経新聞社長に就任時するや,同紙を反共タカ派の拠点にする方針をかかげ,自分にさからうリベラルなスタンスの社員のクビを片っ端から切っていった。

 800人に及ぶそのリストラの凄まじさは当時,マスコミ界でも “産経残酷物語” といわれたほどです。こういうことがあって,産経はいまのゴリゴリの右派一色に染まったわけです。この鹿内さんのDNAはもちろん,現在の経営陣,編集幹部にも引き継がれています」(産経新聞OB)。

 その鹿内は戦中,陸軍経理部に招集〔←より正しくは召集〕されていたのだが,産経新聞社長就任後に櫻田 武・元日経連会長との対談集『いま明かす戦後秘史(上・下)』(サンケイ出版,絶版)を出版。陸軍時代の思い出話をこんなふうに語っている。(このあたりの記述は前段の内容と同じ文章となるが,業論上,容赦を乞う)

 鹿内信隆  (前略)軍隊でなけりゃありえないことだろうけど,戦地に行きますとピー屋が……。  

 櫻田 武  そう,慰安所の開設。
 
 鹿内  そうなんです。そのときに調弁する女の耐久度とか消耗度,それにどこの女がいいとか悪いとか,それからム シロをくぐってから出て来るまでの “持ち時間” が将校は何分,下士官は何分,兵は何分……といったことまで決めなければならない(笑)。料金にも等級をつける。こんなことを規定しているのが「ピー屋設置要綱」というんで,これも経理学校で教わった」。
 
 註記)http://lite-ra.com/2014/09/post-440.html  

 補注)「(笑)」という語は現在,メールでよく使う「用語:表現」でもあるが,ある意味,「いい気なものであるナ」という感想を抱かせる口調になっていた。

笑える話としては従軍慰安婦問題?

 鹿内信隆の発言に出た用語「ピー屋設置要綱」という表現は正確なものではなかったので,ここでは,つぎの永井 和による関連する詳細な資料集(のひとつ)を紹介しておく。直接の引用・紹介はせず,このリンク先住所のみ指示する。

 関連しては,吉見義明編『従軍慰安婦資料集』大月書店,1992年を忘れずに挙げておきたい。


 2) 従軍慰安婦に関する強制性の問題

 鹿内は召集後,1939年4月から9月にかけて陸軍経理学校で軍の後方支援のノウハウを学んでいたのだが,そのときに,慰安所の作り方も叩きこまれたというのだ。しかも,その内容はいま,右派メディアがしきりに喧伝している「公衆衛生の管理だけ」というようなレベルではない。

 鹿内の発言に「調弁する女」という表現が出てくるが,「調弁」というのは軍隊用語で兵馬の糧食などを現地で調達するという意味。つまり,これは陸軍が慰安婦の調達に関与していたということではないのか。

 さらに衝撃的なのが「女の耐久度とか消耗度,それにどこの女がいいとか悪いとか(中略) といったことまで決めなければならない」という発言だ。当時の日本軍が現地の女性を完全にモノ扱いし,どんな女がいいのかを品定めする作業までをも士官に命じていたことを証明するものだ。

 断わっておくが,この鹿内発言は老人の妄想でも記憶違いでもない。靖国神社の一角に靖国偕行文庫という図書館があるのだが,そこにこの鹿内発言を裏付ける1冊の本が所蔵されている。

 300ページ以上はあろうかという分厚いその本のタイトルは『初級作戦給養百題』。昭和16年に陸軍主計団記事発行部が発行した,いわば経理将校のための教科書だ。
 
 表紙はハードカバーで,「日本将校ノ外閲覧ヲ禁ス」という文字。その9ページ目,第一章総説に,師団規模の部隊が作戦する際に経理将校が担当する15項目の「作戦給養業務」が解説されているのだが,その最後の項目「其他」の解説に以下の任務が列挙されていたのだ。

  1 酒保ノ開設
  2 慰安所ノ設置,慰問団ノ招致,演藝會ノ開催
  3 恤兵品ノ補給及分配
  4 商人ノ監視

 要するに,陸軍の経理将校向け教科書に任務として「慰安所ノ設置」が掲載されていたのである。軍が関与したのは衛生面の管理だけという保守派の主張が,明らかな嘘だということがよくわかるだろう。

 補注)この程度の「従軍慰安婦(慰安所)」の問題は,吉見義明や林 博史が以前より,歴史学の観点から実証的に解明してきた。

 産経新聞や読売新聞,右翼系雑誌などはまるで,ともかく「みたくないものはみたくない,聞きたくないものを聞きたくない」といった幼児のごとき姿勢が露骨であって,吉見や林が挙げてきた関連する学術的な研究業績を頭から無視してきた。  

  吉見義明『従軍慰安婦』岩波書店,1995年。  
  吉見義明・林 博史『共同研究 日本軍慰安婦』大月書店, 1995年。  
  吉見義明編『従軍慰安婦資料集』大月書店, 1992年。  

 早くは千田夏光『従軍慰安婦』双葉社,1973年が公刊されており,実録風に慰安婦問題をとりあげ描写していた。そして,とくに1990年代になると,従軍慰安婦に関する学術的な解明が進捗しだし,その歴史的に実在した様相は確実に進展した。

 ところが,この歴史の事実を朝日新聞「誤報問題」にひっかけては,全面的に否定するという盲論が,今年(2014年)秋,保守・反動・国粋・極右の勢力側からわかに沸き立ってきた。しかも,その先頭に立って扇動してきた人間の1人が「日本国首相」の安倍晋三だったとなれば,この国はもしかすると「戦争の記憶」そのものすら「忘れていたい」人たちが,現に大勢いることになる。

〔『LETERA』記事に戻る→〕 もちろん,従軍慰安婦の事実問題を産経新聞をはじめとする右派,保守派がしらなかったわけはない。少し前に中曽根康弘元首相が「土人女を集め慰安所開設」していたという戦時記録を紹介したが,今回は自分たちが中興の祖とあおいでいる人物が自社の単行本で軍の組織的な関与を認めていたのだ。

 しかも,中曽根元首相の証言でも明らかになったように,軍は現地で娼婦でない女性たちも徴集している。これでほんとうに,従軍慰安婦のことを「みずから志願した高級娼婦」などと信じているとしたら,どこかおかしいとしか思えない。

 註記)http://lite-ra.com/2014/09/post-440_2.html に若干補筆。途中,補注の追加は本ブログ筆者。

 3) 歴史の事実

 要するに,保守系メディアはこうした事実をしっていながらそれをネグり,あらかじめ強制連行の定義を「軍が銃剣を慰安婦に直接突きつけて連行した」という非常に狭いものに限定し,それを否定することで,巧妙に情報を誘導してきたのである。朝日が歴史を捏造したというなら,産経をはじめとする保守メディアもまったく同罪なのだ。

 しかも,中曽根首相,今回の鹿内信隆フジサンケイグループ元議長の発言でもうひとつはっきりしたことがある。それは,彼らが従軍慰安婦に対していささかも自責の念を抱いていないことだ。それどころか,まるで笑い話のように,「慰安所をつくってやった」「女の耐久度とか消耗度,それにどこの女がいいとか悪いとかまで決めなきゃならない」と語っている。

 補注)以前に触れたことがあるが,荒船清十郎という埼玉県選出の自民党議員がいわく,戦争中,日本は朝鮮人女性☆万人を〔軍・性的奴隷として〕「性的に6万人をやり殺した」と発言していた。

 補注)なお,本ブログ内ではこの荒船のいった「6万人」という数字は「14万2千人」にも増えている場合があった。いまでは,その真実は確認できないゆえ,その発言としてのみ指摘しておく。   

 この種の発言は根柢において,鹿内・櫻田や中曽根の発言に通じるものがあって,敗戦後何十年間は実際に戦地で従軍慰安婦に世話になっていた旧日本軍の兵士たちは,公然の秘密として,そうした歴史の事実を口にすることもあった。

 もちろん,自伝などの記録に正式に残されなくとも,そういった記憶が,ちまたにおいてはいくらでも隠然と語られてきた。これが,敗戦後の日本社会にまで自然に連続して保持されてきた「戦時中の歴史に関する記憶」であった。

〔記事に戻る→〕 狂気のるつぼだった戦中ならともかく,戦後20年以上たってもこんな発言を嬉々としてできるというのは,そのベースに「女性はセックスのための使い捨ての道具」という差別意識が横たわっているということにほかならない。

 そして,このメンタリティは,従軍慰安婦像に紙袋をかぶせるような性差別ギャグを嬉々としてほめたたえるいまの右派メディアや嫌韓本,百田尚樹などの右派言論人にもしっかりと引きつがれている。
 
 彼らの姿がいまの日本人を代表するものだと思われているとしたら,それこそが「日本の恥」ではないか。(エンジョウ・トオル)

 註記)以上,http://lite-ra.com/2014/09/post-440_3.html

 さてここで『LETERA-本と雑誌の知を再発見-』からの引照は終えるが,この書き手のエンジョウ・トオル氏,とりあげて批判した相手たちを「日本の恥」だ,「日本人を代表するものだと思われて」ほしくないとまで,安倍晋三のお友達である百田尚樹の氏名も出して批難していた。

 敗戦後70年も経過してきたのに,「大東亜戦争に遠くになりにけり」ではないが,靖国神社,つまり「〈勝利専用の戦争神社〉の完敗」という結末は「棚に上げたまま」,

 実は敗戦後史のなかで自分たちの記憶のなかでは,けっこう大事(?)に待遇させておきながらも,旧大日本帝国軍の付属施設・兵站の一環であった慰安所と従軍慰安婦(軍性的奴隷)の記憶のほうは,すっかり忘れてもいいとでも思っていた。

 靖国神社に合祀されている〈英霊のみなさん〉とて,そのほとんどが従軍慰安婦の世話になっていたではないか? 

 その従軍慰安婦が存在しなかったし,彼女らに対する強制もなかったなどと奇想天外の,それも意図された,悪質な記憶歪曲:すり替えがなされていなければならないほど,戦争の時代における従軍慰安婦の思い出はかえって,けっして消し去ることなどできない「自分たちの人生行路における大事な出来事」であったのである。

 1日に何十人も違う相手(男)の性的交渉の相手をさせられる女性をつかまえて,これに強制「性」がなかったなどと断定するのは,臭いもしない「屁」のような,屁理屈さえにも値しないような,その限度さえしらないような,ウソのための強弁であった。

 恋人同士が一度の逢瀬のさい,好きで何回もセックスしあうのとはわけが違う。それとこれとは大違い……。

 21世紀のいまでは不同意性交等罪という法律まで用意され,性の次元で異性(ここではとくに女性)に対する暴力の問題は,親告罪でなく,通常の暴力・傷害事件と同じあつかいになった。しかし,性暴力の問題は,単なる傷害を与える加害行為以上の,精神次元にまで「有形・無形の危害」を,相手に与える結果を生む。

 敗戦前の時代,しかも,朝鮮人慰安婦であっても「大和撫子」となったつもりでして,兵隊さんたちに対するご奉仕(サービス)をして〔させられて〕いた女性たちは,日本人である場合と朝鮮人である場合とを問わず,性的な次元から自分たちの精神世界を破壊される人生を余儀なくされた。

 最後に触れた問題のなかでも,女性側における性的暴力の受傷は,今回,中居正広がフジテレビの元女性アナ(たち?)に対する,性的不同意にもとづく危害を与えた疑義の濃い事件が,フジテレビじたいが構造的に内包させていた経営問題の一環として浸出したかたちで,このたびその問題性が浮上,露出され,事件化した。

 その様相に対する分析・批判は,前段で『LETERA-本と雑誌の知を再発見-』も論及していたように,フジテレビからフジサンケイグループ全体の問題として捕捉することになれば,そこにも「天皇に模された取締役・相談役の日枝 久」が存在していた事実史をもって,より深刻かつ重大な問題点を析出させるほかなくなったことになる。

 いままで長期間,フジテレビとフジサンケイグループは,日枝が強占する企業体制のもと,経営管理体制として整備し,徹底させるべき「人権問題としてのセクハラ・パワハラ」を軽くみすぎていた。

 その結果,自社じたいの存続を危殆に瀕させるがごとき事態を呼びこんでいる。しかも,このフジテレビ(広くはフジサンケイグループ全体)で起きていた問題は,今後において収束を期待できる時期がいつになるのか,いまのところ見通しがつかない。

 前段で触れたように,フジテレビの創設者が戦争の時代における従軍慰安婦の問題を,ごく軽いノリで語りえたその精神のあり方は,回りまわってだったが,女子アナを芸者もどきに「人間として生来有する男女間の性差」ばかりをきわだたせ,これを単なる人的資産として利用したがごとき「人事・労務管理の悪体制」の常態化は,経営者としての運営感覚に重大な欠落があったと判断せざるをえない。

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【断わり】 「本稿(1)」の続編(2)は出来しだいここにリンク先住所を指示する。

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