従軍慰安婦問題の本質(5)
「本稿(5)」の初出は2014年10月23日,更新 2021年9月22日を経て,本日2023年8月17日にさらに改訂することになった。全体の記述が長文であり,余計に追記的な議論をしたくなかったが,最新の話題としてぜひさきに関連させて述べておきたい点があった。
※-1 前論-2023年8月17日の再掲・再述のため-
a) 既存(古手)の大手マスコミ・メディアが完全にといってほど報道にとりあげていない,岸田文雄政権の官房副長官・木原誠二「妻の前夫,殺人事件」にまつわる疑惑は,日本の政治ととくにその大手報道機関の腐敗・凋落ぶりを,腸捻転的に象徴させていた。
ユーチューブ動画サイトの『一月万冊』は,昨日(2023年8月16日)の報道でも木原誠二官房副長官の疑惑問題を追及する議論を粘り強く重ねているが,この放送は『週刊文春』によるここ3ヵ月にも跨がっての,問題に対する「事実そのもの」を徹底解明を志している。
いまや,大手紙や各テレビキー局は,NHK(国営放送)はもとより論外だが,世間の出来事,それも政界の問題になると,すでに「忖度まみれ」のへっぴり腰が常態となっていて,真実に迫るどころか事実そのものさえろくに報道できない骨抜き状態に落ちこんでいる。
そうした時代の状況のなかで,木原誠二官房副長の問題は,それこそ花盛りに,ユーチューブ動画サイトを運営する人びとが,あれやこれやと言及するかたちで,多種多様な分析・解明を展開してくれている。
b) 以上の様子を踏まえていうことにすれば,木原誠二官房副長の問題は『一月万冊』の主要担当者の元・朝日新聞社記者佐藤 章は,この問題を解決する気もなく,ただ野ざらしにしておき,人びとの記憶から遠ざかることだけを期待する政府は,そのような体たらくの内政を首相みずからいつまでもつづけている。佐藤はそうなのであれば,現行の売春防止法を撤廃したらどうかとまで発言していた。
木原誠二は『文春オンライン』がさんざん追跡・報告しているように,政府の官房副長官の立場(それも筆頭)にあって,最近までは堂々と「本番行為をさせる違法デリバリーヘルス(派遣型風俗店)の常連」であった。この事実に鑑みれば,この政府要人を解任できない岸田文雄政権は,当然に売春防止法を撤廃するのが筋だと,佐藤 章は論駁していた。
『週刊文春』の報道を介してあるが,思えば実にヘンテコな議論・批判がゆきかうかっこうとなって,日本の政治中枢をめぐって湧いている醜聞の話題が,いつまでもグズグズとくすぶるだけの推移が続いてきた。
c) だから,ネットの世界からの説明を借りていうと,木原誠二官房副長がかかわっているある殺人事件(現在,日本の法律には時効はない)とともに沈んでいくむばかりの岸田政権は,「木原官房副長官の疑惑を国民に説明しないままでは」この「内閣はドン底に沈むと,元朝日新聞・記者佐藤 章は『一月万冊』2023年8月16日,https://www.youtube.com/watch?v=fwnAN6-gfIM で批難し,警告していた。
たとえ,岸田文雄が木原誠二官房副長を解任しえないにしても,この国政府の中枢部はすでに,実質的には溶融同然の内部事情を抱えている事実だけは否定できない。
イ) 日本は,世界遺産になっている『軍艦島』に関して,戦時体制期には強制連行され,強制労働を強制されていた朝鮮人や中国人が実在した「歴史の真相」を全面的に拒否し,あとはただ一方的に専断したあげく,ただ吠えるようにして「遺産」としての意義を,別口の論点として主張したいと確信できる日本人たちが大勢いる。だが,この大ウソもまた,現在の自民党政府の基本的な問題性を端的に物語っている。
安倍晋三政権以来,例のブルーリボンバッジの着用をとくに国会議員次元では半強制するがごとき雰囲気を蔓延させられてきたが,その北朝鮮による日本人拉致被害者の「実数」は本当のところ2桁の人数に留まると観るほかない事実に比較して,
前段にもちだした『軍艦島』の戦時体制期は,朝鮮人のみならず中国戦線から捕虜にした中国人兵士たちもこの孤島(端島)のなかで,非常に危険をともなう重労働である採炭作業を強制され,ほかの原因も各種含めてだが,多くの死者(犠牲者)を出した。
しかし,世界遺産に登録された《軍艦島》にはそうした「歴史の事実」はないことにしておかないと,なにかまずい事情でもあるらしく,その強制連行・労働の記録をいっさい認めたくない主張は,ユーチューブ動画サイトにもたくさん登場していた。
まさに,嘘も100回いえば本当になると信じられる人びとが「歴史の事実」を抹消するための「舌足らずどころか完全に虚偽の発言」を放ってきた事実は,ユーチューブ動画サイトにも数多く登場している関連の放送で,いくらでも視聴できる。
しかし,「自国内でしか通用しないその種のウソ」をつくための言説は,この国じたいの評判をひどく落としてきたし,国際政治のなかでも名誉ある自国の立場を保持できなくしせた。従軍慰安婦問題についてもいえる事実は,国内ではこの問題を問答無用に否定したがる手前勝手なヤカラが大勢いることである。
愛国心をどのようにとらえているかはしらぬが,そうして虚偽の立場を押しとおしていれば,「自国の品位・矜持が維持・昂揚できる」と考えているならば,これほど稚拙で勘違いの発想はない。
ロ) 「軍艦島」の戦時体制期における実相は,朝鮮人・中国人の強制労働の実態に求められるが,この島のなかではまた,彼らのために「従軍〔ならぬ戦時採炭体制維持のための〕慰安婦」が,一部で存在していた事実も残されていた。
補注)ナチスのユダヤ人・民族を絶滅させるための収容所のなかにも,やはし一部であるが,「売春部門」があった。
その事実は当然「世界遺産」に指定された『軍艦島』には,とてもふさわしくない史実であったゆえ,関係者はそうした「歴史の事実」を徹頭徹尾否定しつづけなければならなかった。しかし,「歴史の事実」は事実そのものであり,かき消すことはできない。
林えいだいは,父親が神主で強制労働の現場から逃亡してきた朝鮮人をかなりの人数助けて逃がしたかどにより,官憲側に捕まり拷問を受けて命を失っていた。
ハ) そのあたりの事情はこう解説されている。
林えいだいさんの生家は採銅所駅に近く,その隣に父親が神主を務めた古宮八幡宮がある。戦争が激しくなると炭鉱の重労働と民族差別に耐えられずに脱走してくる朝鮮人が神社の床下に隠れ住んだ。
父親の寅治さんと母親の香さんは朝鮮人を自宅に匿い,身体を回復させてから送り出した。「脱走した朝鮮人を助ければ国賊や非国民と呼ばれた時代に,彼らを匿った父と母は僕の誇りですよ」(林えいだい)。
涙を流しながら祖国の民謡「アリラン」を口ずさむ朝鮮人をみたとき,えいだいさんは加害者としての日本人の罪を感じたという。
いつの時代も権力者は歴史を自分の都合の良いように書きかえようとする。歴史書は権力者の意向を忖度する官僚や,権力におもねる学者たちによって編纂される。えいだいさんは,それを「歪められた歴史」と呼んだ。
2015年の「慰安婦」問題に関する日韓合意をめぐって日本と韓国のぎくしゃくした関係が続いている。こうした歴史問題は,日本による植民地支配に起因する。大切なのは合意を履行するいかんではなく,日本人として不幸な歴史を,これからも記憶しておくかどうかではないかと思う。
えいだいさんが遺した膨大な記録には,歴史の真実が忘れ去られようとしているいまの日本社会への厳しい問いかけが込められている。
註記)「〈寄稿〉『歴史の教訓』 訴えた反骨の作家…映画『抗い~記録作家林えいだい』 追悼 林えいだいさん」『民団新聞』2017年12月20日,https://www.mindan.org/old/front/newsDetail28b3.html
ニ) 『軍艦島』について林えいだいが語る事実は,こうであった。林の著書『『筑豊・軍艦島-朝鮮人強制連行,その後-』弦書房,2010年がその揺らがぬ証拠を提示していた。
つぎに,この本の表紙カバーを画像にして紹介する。「北朝鮮による日本人拉致被害者・数」など足もとにもおよばない朝鮮人(および中国人)が,戦時中の軍艦島における採炭労働のなかで埋もれるように殺されていったが,その事実がまともに解明されないまま,いまもなおそうした歴史がなかったかのように嘘を語る者たちならば,大勢いる。
しかも,戦時体制期に日本国内に強制連行されていた朝鮮人の場合,この軍艦島の分だけでなく全国・津々浦々で,いったいどのくらいの人数がモノを使い捨てにするかのように殺されていったか,あまりにも不明な点が多かった。
敗戦時にその証拠となる書類を大量に焼却していたのは政府だけではなく,民間企業も同様であった。ただし,そのすべてが消せた・隠せたというわけではない。いずれにせよ,軍艦島では朝鮮人・中国人がどのくらい死んでいったのか,いまでもまだ,その事実じたい全部を掬いとってする推計は困難である。
ホ) 要するに,その犠牲者数は数万には収まらず,10万の単位になるとしか推理(推計の数字として予定しておくべきそれ)のしようがない。歴史修正主義の立場にこだわる人びとは,その証拠がないという理由をもって強制連行・労働によって,山奥の工事現場で死亡した朝鮮人たちがその遺体を川に流して捨てることなど,平気でおこなっていた事実さえ,実際にはよくしりもしないで否定する。だが,そうした事件を起こしていた現地では,住民側においてそうした事実を指摘してきた人びとがいないのではない。
ごく一部であるが,地元の住民が戦後もだいぶ経ってからそうした「強制連行・労働によって野原や河川や海にうち捨てられた朝鮮人犠牲者」の発掘に努力した事例がないわけではないが,基本的には闇から闇の葬られてきたとしか表現のしようがない。
【参考記事】-有料記事である点を断って紹介する-
※-2 従軍慰安婦問題に関する歴史的理解のイロハすらよくしらずに語りまくる多くの人びとがいる,「従軍」というコトバを取りのぞき慰安婦だけにしたところで,従軍慰安婦「問題の歴史」が抹消できることはない
要点・1 旧大日本帝国陸海軍における従軍慰安婦問題は,世界の軍隊のなかでも特別に,この問題に具体的にとりくんできた記録を残した
要点・2 旧日本軍兵士にとっては常識,戦時中における朝鮮人慰安婦などの存在は,兵舎や戦場においては日常的な風景の一部であった
要点・3 「本稿・その4」(2023年8月15日の記述)で言及した点であるが,宮台真司が2014年10月に,旧大日本帝国に固有であった軍事問題:「従軍慰安婦問題」に関して提示した「本質的な認識なしの議論」ならば,当然のこと,現実に生起していた事象を把握できず,そのために関連する議論じたいが,どうしても空理・空論になるほかなかった
日本政府の「1993年談話」以降に発見された公文書529点が示した,従軍慰安婦に関する論点は,以下4点に分類・整理できた。
☆-1 慰安所は軍の要請で設置。
☆-2 軍の直接・間接の関与で管理・移送。
☆-3 軍の強制連行は例外(別に補足を要する)。
☆-4 業者が騙し・拉致・人身売買(親による売り飛ばし)に関与。
マグヌス・ヒルシュフェルト,高山洋吉訳,宮台真司解説『戦争と性』明月堂書店,2014年に従えば,c) および d) は,日本政府を免罪していないし,むしろ「軍の関与不十分」が問題として注目すべき事情になると指摘されていた。
1) ここではまず,永井 和「日本軍の慰安所政策について」『京都大学大学院文学研究科現代史学専修 永井 和のホームページ』2012年1月12日,http://nagaikazu.la.coocan.jp/works/guniansyo.html#SEC2 の結論に定言されていた「従軍慰安婦問題の歴史的な本質」を,その基本から理解するために必要な「軍事社会史の関連事情」を紹介しておく。
補注)永井 和「陸軍慰安所の創設と慰安婦募集に関する一考察」『二十世紀研究』第1号,2000年,79-112頁を改訂した論稿が,永井のホームページに掲載されているこの文章である。その旨を断わる註記も添えられていた。
永井 和の同稿「おわり」には,つぎのようにまとめる段落が設けられていた。この「まとめとしての〈指摘〉」は,従軍慰安婦問題をどうしても認めたくない人たちからすれば,必らず真っ向から反論しなければいけない中身であった。ところが,彼らの議論はどうなっていたかとみるに,そのための方法論を構築することも実質ある中身の議論も,まったくできておらず,それこそ話にもなりえない粗雑な思考しか抱けていない。
★ 永井 和「日本軍の慰安所政策について」 2012年1月「おわりに」から ★
a) 軍需品(軍需物資)として従軍慰安婦-兵站として女性・人的資源-
1937年末〔この昭和12年7月7日に日中戦争が始まっていた〕から翌年2月までにとられた一連の軍・警察の措置により,国家と性の関係にひとつの転換が生じた。軍が軍隊における性欲処理施設を制度化したことにより,政府みずからが「醜業」とよんで憚らなかった,公序良俗に反し,人道にもとる行為に直接手を染めることになったからである。
公娼制度のもと,国家は売春を公認してはいたが,それは建てまえとしては,あくまでも陋習になずむ無知なる人民を哀れんでのことであり,売春は道徳的に恥ずべき行為=「醜業」であり,娼婦は「醜業婦」に過ぎなかった。国家にとってはその営業を容認するかわりに,風紀を乱さぬよう厳重な規制をほどこし,そこから税金を取り立てるべき生業だったのである。
しかし,中国との戦争が本格化するや,その関係は一変する。いまや出征将兵の性欲処理労働に従事する女性が軍紀と衛生の維持のため必須の存在と目され,性的労働力は広義の軍要員(あるいは当時の軍の意識に即していえば「軍需品」といった方がよいかもしれない)となり,それを軍に供給する売春業者はいまや軍の御用商人となったのである。
国家が民間でおこなわれている性産業・風俗営業を公認し,これを警察的に規制することと,国家みずからが,政府構成員のために性欲処理施設を設置し,それを業者に委託経営させることとは,国家と性産業との関係においてまったく別の事柄なのである。
そう考えるならば,同じように軍の兵站で働き,軍の必要とするサービスを供給する女性労働力であった点において,従軍看護婦と従軍慰安婦との間には,その従事する職務の内容に差はあれ,本質的な差異を見いだすことはできない。慰安婦もまたその性的労働によって国家に「奉仕」した / させられたのであった。
b) 従軍慰安婦は戦時日本の必然的な産物
一連の措置により,慰安婦の募集と渡航が合法化されたことは,性的労働力が軍需動員の対象となり,戦時動員がはじまったことを意味している。それはまた性的サービスを目的とする風俗産業の軍需産業化にほかならず,内地・植民地から戦地・占領地へ向けて風俗産業の移出とそれに伴う多数の性的労働力=女性の流出と移動を生みだした。
慰安婦は戦時体制が必然的に生みだした国家と性の関係変容を象徴する存在であり,戦時における女性の総動員の先駆けともいうべき存在となった。
彼女たちにつづき,人間の再生産にかかわる家庭婦人が「生めよ殖やせ」の戦時総動員政策のもとで,銃後の母・出征兵士の妻として,兵力・労働力の再生産と消費抑制の大任を負わされ,未婚女性は,あるいは軍需工場での労働力として,あるいは看護婦から慰安婦にいたるさまざまな形態の軍要員として動員されたのであった。
しかし,ひとしく戦時総動員といっても,そこには「民族とジェンダーに応じた「役割分担」」が厳然と存在し,内地日本人男性のみを対象とした徴兵(あるいは軍需工場の熟練工)を頂点に,各労働力の間には截然たる階層区分が存在していた。
労務動員により炭坑や鉱山で肉体労働に従事した朝鮮人・中国人労働者のために事業場慰安所が設立されたことを思うと,この戦時総動員のヒエラルヒーの最低下層におかれていたのが,慰安所で性的労働に従事した女性,なかんずく植民地・占領地出身の女性であったのは間違いない。彼女たちは戦時総動員体制下の大日本帝国を文字どおりその最底辺において支えたのである。
補注)最近,動画サイトでとりあげていたのがたとえば,「軍艦島展示を改めよ!~約束守らぬ日本にユネスコ決議~ 植松青児さん【The Burning Issues vol.17】」2021/09/14,https://www.youtube.com/watch?v=KyZPIQpKPqM である。
この動画には従軍慰安婦は登場しないが,「戦時総動員のヒエラルヒーの最低下層におかれていた」「植民地・占領地出身の女性で」はなくて,軍艦島で奴隷的な炭鉱労働に使役されていた朝鮮人や中国人男性たちの姿が,それもこの軍艦島を世界遺産に登録させていながら,その人びとを完全に排除し抹消する,つまり,関係者たちの「歴史の隠蔽・改竄」の精神病理をとりあげ,批判している。
c) 戦時中における日本政府のダブルスタンダード
このような戦時総動員のヒエラルキーが形づくられた要因はさまざまであるが,慰安婦に関していえば,軍・警察の一連措置が内包していたダブル・スタンダードのもつ役割に触れないわけにはいかない。
すでに述べたように,軍・警察は慰安所を軍隊の軍紀と衛生の保持のため必須の装置とみなし,慰安婦の募集と渡航を公認したが,同時に軍・国家がこの道徳的に「恥ずべき行為」にみずから手を染めている事実については,これをできるかぎり隠蔽する方針をとった。
軍の威信を維持し,出征兵士の家族の動揺を防止するために,すなわち戦時総動員体制を維持するために,慰安所と軍・国家の関係や,慰安婦が戦争遂行上においてはたしている重要な役割は,公的には触れてはいけないこと,あってはならないこととされたのである。
補注)敗戦直後,連合国が占領軍として日本に来る前にただちに日本側が用意し,実現させ,運営することになった「特殊慰安施設協会」(Recreation and Amusement Association,RAA)は,日本政府じたいによって正式に作られた「占領軍兵士」向けの慰安所である。その目的は,連合国軍兵士による「良家の子女」に対する強姦や性暴力の発生を防ぐためとされた。
日本政府はこのRAAを最大で5万5000人の売春婦を募集し,短期間設置した。ここで短期間であったという事実は,この占領軍用の買収宿が本国(アメリカ)にしれるとともに,強い批判が起きてしまい,閉鎖せざるをえなくなっていた。
英語でいうRAAの直訳は「余暇・娯楽協会」となり,日本語の名称との間で意味が大きく異なる点に注意したい。
国家と性の関係は現実に大きく転換したが,売春=性的労働を「公序良俗」に反する行為,道徳的に「恥ずべき行為」であるとする意識,さらに慰安婦を「醜業婦」とみなす意識はそのまま保持されつづけ,そこに生じた乖離が上記のような隠蔽政策を生み出すにいたった。
d) 性奴隷制度としての「陸軍慰安所は酒保の附属施設」
慰安婦は軍・国家から性的「奉仕」を要求されると同時に,その関係を軍・国家によってたえず否認されつづける女性たちであった。このことじたいが,すでに象徴的な意味においてレイプといってよいだろう。
従軍慰安婦が,同様に軍の兵站で将兵にサービスをおこなう職務に従事しながら,従軍看護婦とは異なる位置づけを与えられ,みえてはならない存在として戦時総動員ヒエラルキーの最底辺に置かれたのは,このような論理と政策の結果ともいえよう。
慰安所の現実がそこで働かされた多くの女性,なかんずく植民地・占領地の女性にとって性奴隷制度にほかならなかったのは,このような位置づけと,それをもたらした軍・警察の方針によるところが大きいのである。
さてここ〔次段の 2)〕からが,本日(2021年9月22日)に再掲・復活させる記述となる。
その表題は「従軍慰安婦=軍事的性奴隷の基本問題-安倍晋三など極右政治家の倒錯・盲目的な全面否定論-」をかかげていた。 すなわち「歴史を直視したくない安倍晋三・極右など一族郎党」の「日本の片隅にせまく閉ざされた世界観」を議論する。
2)「戦場を知る責任 犠牲の記憶が隠す事実」
藤原帰一(国際政治学者)が『朝日新聞』2014年10月21日夕刊に「〈時事小言〉戦場を知る責任 犠牲の記憶が隠す事実」を書いていた。まっとうな議論である。
なお,この文章の引用・参照は,記事の原文に依ってはいるものの,本ブログなりにだいぶ料理してあり,ここでの文章の最終文責は,すでに藤原帰一から離れて完全に筆者にあることを断わっておく。
藤原帰一は,吉田清治『朝鮮人慰安婦と日本人-元下関労報動員部長の手記-』新人物往来社,1976年,吉田清治『私の戦争犯罪-朝鮮人強制連行-』三一書房,1983年という2作の〈創作性〉を「ただひとつの好材料」に使い,
従軍慰安婦問題そのものを全面的に否定したかった安倍晋三〔およびこの政権を構成する極右政治家集団〕による「針小棒大の極端に誇張された全面否定の主張」が,いかに〈歴史の事実〉から視線をそらせたどころか,完全に〈盲目の見地〉であったかを,指摘しつつ警告していた。
★ 吉田清治の著作で慰安婦問題を否定する過ち ★
2014年の夏以降,朝日新聞が吉田清治証言で従軍慰安婦問題を認定した報道を誤りと認めたことに端を発して,第2次世界大戦中の従軍慰安婦をめぐる議論が盛んにおこなわれてきた。吉田清治による「証言」は偽物であり,朝日新聞はその誤りをみぬけなかった。
とはいえ,日本の新聞社他紙も同じように間違えて,従軍慰安婦問題が吉田清治証言によっても認定できると報道してきた。だが,他社の各紙は,朝日新聞が報道した記事の内容を,自社もそのまま同じように報道した事実には頬かむりしただけでなく,この向きを変えては朝日新聞を非難・批判する新聞社もあったのだから,まさしく顧みて他をいうたぐいでしかなかった。
誤報の問題を理由として朝日新聞に批判がくわえられるのは当然といえる。だが,吉田証言の報道によって韓国で慰安婦の議論が始まり,韓国社会の反発が生まれたのではない。
まず,韓国における慰安婦に関する言論は,吉田証言によって始まったのではない。朝日新聞の報道が韓国の報道に伝えられることは多いが,『中央公論』2014年11月号で木村 幹が指摘するとおり,韓国の言説が日本のそれと独立して展開した面が強いのである。また,朝日新聞の誤報のために,韓国で慰安婦が議論されてきたわけでもない。
慰安婦に関して韓国からおこなわれている言説のなかには,事実に反し,あるいは事実を混同したものがある。木村 幹の指摘する戦時下における女子挺身隊と慰安婦の混同はそのひとつである。慰安婦の人数を20万とする議論の根拠にも疑問がもたれる。
それでも,従軍慰安婦が極度に悲惨な経験を強いられたことは否定できない。仮に強制がなかったという強い〔無理に非歴史的な〕前提を置いたとしても,甘言に騙され,あるいは親に売られ,戦場のなかでつぎつぎに兵士に身を任せる女性の立場に身を置いて考えてみれば,平時における一般の売春と慰安婦を並べることの誤りは明らかだろう。
その慰安婦を求める日本軍の兵士も極限状況に置かれていた。第2次世界大戦はどこにでもある戦争のひとつなど,という形容を許さない戦乱だった。
戦争という「非日常のなかにおける日常的な問題」として,従軍慰安婦を戦史的観点から観察する見地が要請されるのである。兵士何十名(たとえば40名)に対して慰安婦1名といったような,きわめて事務的に慰安所の設置の必要性が語られていた。
それは,軍隊式にいえば「輜重の任務:仕事」であるかのように「慰安所の設営」「慰安婦の調達」が実際になされていた。このように考えたほうが「歴史の現実」により近くに接近できる立場に立つことができる。
3) 日本軍の玉砕的戦法が生んだ過酷
中国・東南アジアから太平洋まで戦線を拡大した日本軍は,戦争中期からは数多くの兵士を飢餓(餓死)に追いこむ状況をつくっていった。これは,日本軍において兵器・武器が足りないといった問題以前の基本戦略にかかわっていた,まさしく死活の問題であった。
沖縄などに駐留する米軍はもちろんのこと,ベトナム戦争における米軍,それでいえば第2次世界大戦における米軍,さらに第1次世界大戦におけるドイツ軍も,これほど苛酷な戦場を経験することは稀であった。すべての戦場で飢餓寸前の状況が生まれたわけではないが,日本軍の兵士が,そして慰安婦が,数多くの戦争のなかでも例外的な極限状況に置かれたことは間違いない。
戦争には加害者と犠牲者があるとしても,それだけで戦争を捉えることには間違いがある。自分の意に反して戦場に送られた者が戦争で暴力を行使するとき,加害者は犠牲者でもあるからだ。
旧日本軍の将兵は形勢不利の戦場では玉砕を迫られ,捕虜になることを恥と教えられていた。さらには,特攻隊にまで駆り出されては「ムダに命を国家に捧げていた」。このような戦法を編みださせる背後には,「天皇陛下の命令だ」といった「個人=帝国臣民が絶対に反抗できない国家観」が,将兵の精神構造のなかに洗脳的に教化・定着させられていたからである。
だが,そういった戦争の記憶はいまでは棚挙げされたかのようになっており,その「国民の強いられた犠牲」に焦点を当てることが多い。この犠牲を強いた張本人がいったい誰であり,どこにいたのかまで徹底的に・執拗に追及しないのが,この国の人びとの有する「一見したところでの長所」でもあり,他方では「みのがしがたい完全な短所」でもあった。
日本で広く共有される戦争の記憶が,広島・長崎の被爆を中心とした兵士ではない日本国民の悲劇を中心として作られたとすれば,中国では日本軍の行動による犠牲が,また韓国では慰安婦が犠牲のシンボルとして語られた。広く語られる犠牲の背後には語ることのむずかしい微妙な経験が潜んでいた。
日本の場合,意に反して戦場に送られた場合でも,日本軍の兵士を非戦闘員の日本国民と同じように犠牲者として語ることはむずかしかった。朝鮮半島についていえば,時には意に反し,時には自発的に,日本軍に協力する人びとがいたことは否定できない。広島・長崎を中心とする日本の戦争の記憶では日本軍による侵略が背後に隠され,韓国における戦争の記憶では挺身隊と慰安婦を同視するような視点を通じて,対日協力というもうひとつの現実が押し隠されていた。
こういうことである。
ただし,以上のように藤原帰一の論法を批判してはいても,藤原の採った論旨構成が便宜的には使用可能であることまで拒否しない。けれども「なにか:ほかのもの」を論じているがために,前段に指摘したように要請されているはずの「植民地体制関係のなかで」生じていた「区分・識別に対する用心・注意」までが,どこかへ飛んでいってしまう恐れがあった。そこで,ここでのように細かい指摘までおこない,いちいち議論してみたしだいである。
こうした指摘にかかわる論及は,藤原帰一もつぎのようにおこなってはいる。
4) 被害者意識に埋没しない戦争の認識
このように,国民の視点だけから戦争をみるかぎり,語られる犠牲と語られない犠牲が生まれてしまう。ここで必要なのは,自分たちの犠牲ばかりを語って相手の犠牲を無視するのではなく,自国の国民ではない人びとの経験に開かれた戦争の認識である。
慰安婦を犠牲者として捉えつつ,戦争の加害者である日本兵士も犠牲者としての側面をもつことをみることができれば,戦争の記憶をナショナリズムの束縛から解き放つことも可能となるだろう。
慰安婦に関する現在〔2014年秋・当時〕の議論は,謝罪と補償の必要をめぐって展開している。だが,学者の議論という批判を恐れずにいえば,謝罪や補償の前に必要なのは,事実をみることである。それも相手の誤りを暴くことで自分を正当化するのではなく,双方の国民を横断して戦争を捉えなければならない。
そして,日中戦争と第2次世界大戦における戦場の実態に少しでも目を向けるなら,けっして引き起こしてはならない破滅的な暴力の姿が目に入るはずだ。慰安婦をめぐって展開される議論には,日本の名誉回復を求める熱情があっても,戦場の現実をしろうとする姿勢はみることはできない。それを私〔藤原帰一〕は恐れる。
補注)ここで批判されている相手,その代表格はもちろん安倍晋三であった。相手の立場の誤りといえば,安倍にとってのそれとは「朝日新聞の慰安婦問題」に関する誤報そのものでしかなかったから,ここで議論の対象に想定されている関係者たちは,自分たちの置かれている地点をまっとうに把持できていなかった。
安倍晋三自身の側でいえば,問題を観るための視野狭窄を起こしていたり,あるいは完全に盲目になったりするたぐいの「歴史の観方に関する自覚症状」は,初めから皆目もちあわせていなかった。その点がなによりも,安倍の立場における一大特性であった。
5) さらなる吟味
以上のごとき,藤原帰一の議論,およびそれに対する本ブログ筆者の注釈的な論述は,安倍晋三の基本姿勢を真っ向から批判している。筆者流にいいかえて表現しているが,本ブログ内では既出の議論でもあった。
安倍晋三は,吉田清治「証言」に反論し,否定するための唯一の手がかりに利用していた。より正確にとらえれば,単なる「悪用」でしかありえなかった。
大日本帝国がとりわけ日中戦争以後には大々的に,それも日本軍が兵站にとっての不可欠の戦争物資であると位置づけ,調達・運用〔直接と間接とを問わず〕してきた,「生きた人間=将兵の性的欲望を処理させるための施設」である「慰安所」の存在じたいに関してすら,安倍晋三は問答無用で全面的に否定できるかのように観念していた。
現在〔ここでは2014年当時〕,首相を勤めていた安倍晋三の有する〈過去の経歴〉に照らして吟味すれば,従軍慰安婦問題「完全否定の立場」を懸命・必死・ムキになって押しとおそうとしていた。この人物が記録してきた言動は,あまりにもムチャクチャであって,政治家なりの歴史認識においては確たる信念などない,あってもハチャメチャなデタラメな感覚的理解しかもちあわせていなかった。
今世紀の初めの時期,従軍慰安婦問題についてNHKが特番を組んで,『戦争をどう裁くか(2)問われる戦時性暴力』(2001年1月30日)として放送しようとした。そのとき「政権の座にいた自民党議員」の2人,当時の自民党幹事長代理(内閣官房副長官)の安倍晋三と経済産業相の中川昭一が,NHKのこの番組に,放送前に介入し改変させた事件を起こしていた。
それは当時,大きな政治問題となって浮上し,事件になっていた。NHKのその番組『戦争をどう裁くか(2)問われる戦時性暴力』の内容は,安倍晋三と中川昭一にとってみれば,事前に介入し,番組を大きく変更させねばならないほど強い拒絶感を抱かせるものであった。
安倍晋三流の国家価値観に依拠していえば,「美しい・ふつうの国」をめざさねばならないこの日本国にとって,過去の日帝が歴史に刻んできた《負の記録》である従軍慰安婦などは,言及することはむろん,日本国の準(より正確には純)国営放送局であるNHKが番組にとりあげるべきものではないのである。
現在(この記述の当時)再び首相の座に就いていたる安倍晋三であった。すでに,自分の息のかかった人物をNHKの会長に送りこんだ事実は,そうした過去の実績につづく新しい展開になっていた。
補注)以上の記述に関しては,『しんぶん赤旗』の記事が指摘していた,つぎの安倍晋三・中川昭一側の矛盾点を紹介しておく。
※-3『慰安婦めぐる国連クマラスワミ報告』国連人権委員会・1996年
1)「クマラスワミ報告」1996年
安倍晋三政権は,吉田清治の著作に関連して発生していた朝日新聞社の「従軍慰安婦問題に関する誤報」を根拠に使い,国連側の旧日本軍「従軍慰安婦」問題について,国連人権委員会がまとめていた「クマラスワミ報告」の一部修正を求めた。だが,当のクマラスワミ女史をそれを拒否した。そこに記述されている描写は事実に関するものである。
『朝日新聞』2014年10月17日朝刊の記事「政府,一部修正を要請 元特別報告官は応ぜず 慰安婦めぐる国連クマラスワミ報告」は,こう報じていた。
クマラスワミ氏はスリランカの法律家。A4判37頁の報告のうち著書からの引用は英文字で283字。
「国家総動員法の一部として労務報国会のもとでみずから奴隷狩りにくわわり,その他の朝鮮人とともに千人もの女性たちを『慰安婦』任務のために獲得したと告白している」と記されている。現代史家・秦 郁彦氏が吉田氏の著書に異議を唱えたことも記載している。
この点について,外務省の佐藤 地(くに)・人権人道担当大使が米国で〔10月〕14日,クマラスワミ氏に修正を求めたが,「証拠のひとつに過ぎない」として拒まれたという。
菅 義偉官房長官は16日の会見で「国際社会にわが国の考えを粘り強く説明し,理解を求めたい」と述べた。これについて韓国の外交省報道官は会見で「吉田氏の証言の検証を口実に,慰安婦問題の本質を曇らせようとすることはけっして容認できない」と反発した。
朝日新聞は〔2014年〕8月,吉田氏の証言を報じた過去の記事をとり消した。報告は吉田氏の証言を含めて朝日新聞の報道を引用していない。
本ブログの筆者も従軍慰安婦のことを「軍性的奴隷」と表現したりしてもいる。このクマラスワミ報告での「軍事的性奴隷」には妥当性を感じる。またこれもすでに論じたことがらであるけれども,吉田清治が著書をもって論及したのは,従軍慰安婦に関するフィクション的でありながらも,ノン・フィクションであった「歴史の事実」に関するものであった。
2)「クマラスワミ報告」と安倍晋三
吉田氏の著書を引用したことを「事実誤認」とする指摘は,1996年2月に報告内容が発表された当時から,日本の研究者によって出されていた。
吉見義明・中央大学教授(日本近現代史)も,報告の勧告部分は高く評価しながらも,クマラスワミ氏に「吉田氏の著書には多くの疑問が出ている」と指摘し,記述の削除を勧める書簡を送ったことを明かしている。だが,報告は修正されないまま,1996年4月の人権委の討議にもちこまれた。
日本政府も,クマラスワミ報告が人権委に提出された1996年当時から反論していた。吉田氏の著書を引用したことについて「依拠すべきではない資料を無批判に採用した」と報告の否定を求める文書も出していた。
しかし,当時の外務省の担当者によると,クマラスワミ氏に直接会って訂正を求めたが応じてもらえなかった。人権委で「直接反論しないほうが得策だ」との意見が出て,外務省は「細部で反論すると,慰安婦問題で日本は反省していないと誤解される」と判断したという。
従軍慰安婦問題を詳細に研究してきた吉見義明は,こう述べていた。
慰安婦というのは戦地に日本軍によって立案・開設された軍の慰安所で日本軍の管理下に置かれ,日本軍将兵に性的交渉を強いられた女性たちです。慰安婦にされた女性は,騙しや甘言による誘拐,あるいは暴行・脅迫による略取,人身売買など,徴募方法は当時の刑法や国際条約に反する形態が多く,慰安所での強制・拘束は明らかに本人の意思に反した性奴隷状態でした。
これらは過去20数年の調査研究はもとより,アジア各国での被害者の証言から明らかであり,すでに国際社会での共通認識になっています。軍・官憲による直接連行を示す資料は発見されていない,とする2007年第1次安倍内閣時の閣議決定が強制否定の根拠になることはありえません。2014年に入っても慰安婦強制を示す新資料が発掘されています
戦時下だけではなくて,戦後の被害女性たちのPTSDは想像を絶するものがあり,心身に残る後遺症は高齢になる被害者をいまも苦しめていています。私たちは,このような女性に対する重大な人権侵害が二度と起こってはならないと考えます。
そのためにも,90歳前後と高齢になった被害女性が生存されているうちに一刻も早く,日本政府は被害者が納得する明確なかたちで謝罪,補償をおこなわれなければならないと考えています。
しかしながら,安倍首相が再び政権をとると,河野談話の見直しや,慰安婦に対する強制を否定する議論が国会で繰り返され,〔2014年〕3月14日には河野談話の見直しはないと安倍首相が言明されましたが,いまも撤回を求める声が止むことはありません。
安倍内閣は,河野談話を見直さないという一方で文言調整に絞った極秘検証をおこなおうとしていますけれども,なぜそのような検証をおこなう必要があるのでしょうか。安倍内閣は河野談話の閣議決定を執拗に拒んでいますけれども,談話を事実上否定するか,再び撤回する動きを作る伏線ではないかという疑念を払拭することはできません。
註記)「従軍慰安婦問題,強制性はあった-吉見義明教授・林 博史教授が海外メディアに訴え 」『BLOGOS』2014年4月11日 16:09,https://blogos.com/article/84245/
安倍晋三内閣時のそうした企図は事後,ある程度,実現させることができていたが,海外から日本をみつめる当該の視線は非常に冷たい事実に,いっさい気づきたくないかのような態度を採っていたかぎり,国際政治社会のなかでは逆効果をもたらすだけであった。
ともかく,なんでもかんでも「オレの気にいらない慰安婦問題」は認めたくない。この一念だけが安倍晋三の心中ではとぐろを巻いていた。この問題が歴史的に存在したか否かの次元ではなく,その種の過去における記録は日本軍にはいっさいなかったと,アベは決めつけたがった。
2023年8月では安倍晋三はすでに故人であったが,「歴史の事実」⇔「過去の出来事」に対して自分がみとめたくないからといって,それを闇雲に否定だけする感性的な発想は,国際政治の舞台では「日本国側の幼稚さ」を海外に向けて発信する結果しかもたらさなかった。
いまとなってつくづく感じる〔まさに痛感する〕のは,安倍晋三という「世襲3代目の政治屋」の暗愚・固陋・頑迷・無痴さかげんがいかにひどかったかという事実である。
〔ここで『BLOGOS』2014年4月11日 クマラスワミの話題に戻る( ↓ )〕
報告そこで反論文書を撤回し,元慰安婦に償い金を支給する「アジア女性基金」のとり組みの説明に重きをおく文書に差し替えた。結果的に報告は人権委では「留意」という扱いにとどまったが,1998年には「歓迎する」とした。当時の人権委関係者は「国連の慣行では,『留意』も具体的な文言を引用していない『歓迎』も必らずしも,報告の内容に賛同したという意味ではない」と語る。
当時の人権委は旧ユーゴスラビア内戦での残虐行為や中国の天安門事件にからむ弾圧などを議論していた。同じ関係者は「日本はアジア女性基金で対応しており,旧ユーゴや中国と違い一歩進んでいるとの評価だった」という。
一方,慰安婦問題で日本政府に歴史的責任と謝罪を求めた2007年の米下院決議採択は,安倍晋三首相が「強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実」と発言したことが発端だったが,クマラスワミ報告による影響を指摘する声もある。安倍政権は,朝日新聞が吉田氏の証言を報じた過去の記事をとり消したことをきっかけに,今回あらためて一部修正を要請した。
しかしここでは再度,本ブログ筆者なりに繰り返す論議になるほかないが,吉田清治の問題→『朝日新聞』誤報問題は,旧日本軍が歴史に記録してきた従軍慰安婦制度そのものを,否定するための材料にはなりえない。ただ,この制度にかかわる歴史の問題に関連させて発生した「人物と文献の誤用」であったに過ぎない。
にもかかわらず,それを「鬼の首でもとった」かのように,ただ批判のための批判(非難のための非難,攻撃のための攻撃)をするかのように強弁する「安倍晋三の歴史への観点」は,終始一貫,視野狭窄であるだけでなく,みずからの歴史への盲目ぶりを露呈させてきた。前段で触れたクマラスワミ女史の立場については,つぎのように語る日本側の人物がいた。
僕はてっきり従軍慰安婦問題で日本の国際的評価を悪くしている,国連のクマラスワミ報告書なるものが,例の朝日新聞の吉田証言をめぐる誤報をもとに作成されたと,いままで思いこんでいた。読売新聞や産経新聞,おまけに管官房長官や安倍総理までそれっぽいことをいっているので,そう感じてしまうのも無理はない。
結論からいってしまおう。僕は〔クマラスワミ報告の〕48ページをくまなく読みながら,吉田清治の証言が影響を与えている部分を探した。ところが全体のなかでほんの数行,たったの2カ所しかそれはなかった。それも本題とは関係のない歴史的背景の章にだ。
朝日新聞め,吉田清治なる嘘つきやろうの虚偽の証言をもとに誤報を書き,それが原因で国連に特別報告書まで提出されてしまい,日本の国際社会における地位を貶めやがった。国賊ものの大誤報ではないか,と怒り心頭であった。しかしアメリカなどから入ってくる情報と照らし合わせてみると,なんとなくニュアンスが違う。なんでだろ?
〔結局は〕巷で一部の人が最近さわいでいる「朝日新聞の誤報=日本の名誉を国際社会で傷つけた原因」〔これは安倍晋三の発言であったが〕というまことしやかな説だけは,大きな勘違いであることを今日ハッキリと確認したのであった。
註記)杉江義浩「クマラスワミ報告書の全文を読んでみたら、大きな勘違いに気づいた」『Ysugie.com』2014年9月18日,http://ysugie.com/archives/3315 この引用は途中で省略した箇所がある。〔 〕内補足も筆者。
安倍晋三の精神構造にあっては,旧大日本帝国,あの過去に存在した「美しい(?)」この国の軍隊内には,けっして「軍事的性的奴隷」などありえなかったのだという想念が,ともかく無条件に充満していた。
安倍の場合,「歴史の勉強」はたいそう不得意であったとみなすほかなかった。大学まで成蹊学園で教育を受けた彼であるが,そこで受けた教育効果が首相職に活かされた様子は皆無であった。
ここで,もう一度『朝日新聞』2014年10月17日朝刊の記事に戻ってみる。
朝日新聞は,これまでの慰安婦報道をめぐる記事作成の背景や一部記事のとり消しにいたる経緯,国際社会への報道の影響などについて,弁護士ら有識者7人で構成する第三者委員会で検証。同委は〔10月〕9日に初会合を開き,2カ月程度をめどに報告をまとめる〔という経過をその後にたどっていた〕。
さて以下は,本ブログ筆者が2014年10月下旬の時点に発し,記録した記述であって,それなりにまとめとなる議論をしていた。当時の朝日新聞社が従軍慰安婦問題について誤報を犯していた点はさておき,これ以外についていうとなれば,従軍慰安婦問題に関する基本的な歴史認識を変更する余地は,まったくない。その第三者委員会の結論をあらからじめ予測しておく議論を試みてみたい。
3) 経営学者の残した関連する発言
篠原三郎『歌集キャンパスの四季』みずち書房,1991年のなかに,こういう短歌の一句がある。
“南京もアウシュビッツも 戦後まで知らざりき いまなにを知らざる"
註記)「内部者の受容の仕方 重本直利・龍谷大学教授:大学破壊の構図と大学人の抵抗」『市民の科学』第2号,2010年6月より(2010.10.23),http://www.kit.hi-ho.ne.jp/msatou/10-10/101023shigemoto.htm
2014年9月12日段階で安倍晋三が申したてていたのは,朝日新聞の慰安婦問題に関する誤報記事によって,「日本の名誉が傷つけられた」という点であった。ともかく,安倍晋三の観念にとっては,旧日本軍における従軍慰安婦問題そのものが,絶対にその存在が許されない「歴史の事実」であった。
安倍晋三の強説するその「日本の名誉」とは,もっぱら「戦前・戦中の日本帝国」に妥当するだけでそれある。それゆえか,どうしても従軍慰安婦問題だけは,最低限,除外しておかねばならない「歴史の事実」とみなされていた。
「戦後レジーム」の否定→「戦前・戦中への憧憬」に裏づけられた「彼の発想」は,21世紀のいまどきにありながらもなお,旧大日本帝国を郷愁している。どうみても,グロテスクでありかつアナクロであった。
戦前・戦中に仮に戻れたら,その従軍慰安婦問題も亡霊のごとくに再び,露わに登場するかもしれず,もしかすると,安倍晋三の墓所あたりにすでに出没しているかもしれない。しかし,誰もそのような亡霊には会いたくない?
安倍晋三流の抱くそうした時代の流れから「大きく後れた」感覚が,はたして「時代に関して錯誤しているかいないか」などと問われたら,これはいうまでもなく議論の余地すらないほど明々白々であった。いわば,その種の狂信の発揮にもとづく時代認識に必死にすがりながら,21世紀になってからも生きようとしていた「化石的な首相」が,そのとおりに存在していた。
別の観方をすれば〈笑止千万〉でしかなかった「安倍晋三の〈観念像〉のそれ」であったものが,「21世紀的に現前する観念の亡霊」となって,この国に思う存分に徘徊してきた。笑うに笑えない世襲政治屋の誤念が跋扈跳梁していたのが「日本の政界」であった。
「この国がよくなる希望がもてない」のは,この種の「世襲3代目の政治屋が「苦労も心配も煩雑もなにもろくに真剣に体験したことのない」「お坊ちゃま連中」が,この国の中枢を占め権力を牛耳っている。岸田文雄はその典型事例の1人であった。前首相の菅 義偉はそのまた対極にいた人生を過ごした人物であるせいか,また逆方向にひねくれた国家運営しかできない御仁であった。
給付型奨学金の拡大に反対である立場を語ったこの前首相は,自分自身が学生時代に苦労した思い出だけを奨学金問題に当てはめ考えることしかできず,政治家として必要不可欠な「政治的な配慮,柔軟性のある将来への社会展望」をもって,育英の観点を活性させるための思考回路がまったく欠損していた。彼もまた「別種の政治屋」そのものであった。
話を本論に戻す。
ともかく,安倍晋三首相は2014年10月11日のラジオ番組でも,朝日新聞による従軍慰安婦をめぐる一連の報道について「慰安婦問題の誤報によって多くの人が苦しみ,国際社会で日本の名誉が傷つけられたことは事実だ」と語った。そのうえで「報道は国内外に大きな影響を与える。正確で信用性の高い報道がつねに求められている」との認識を示した。
しかし,この安倍晋三の発言は,さきに引用した発言によれば,表面的には「まことしやかな説」に聞こえるけれども,実際は「大きな勘違いであることを」「ハッキリと確認した」と,完璧にまで批判されていた。それでもなお安倍晋三の発言は,まるで従軍慰安婦という「歴史の事実」などどこかへ吹っ飛ばしうるかのような口つきであった。
安倍晋三がいうところの国際社会は,従軍慰安婦問題に対するアベ的な対応・改竄の行為によって,かえって日本の立場を悪くした事実の経過を招来してきた事実を,まさか無視していられるらしい。
もっと分かりやすいたとえていえば,安倍晋三のそうした「戦争時代史への理解」は,大日本帝国陸海軍が実質的に「国営機関:軍付属施設」「兵站の必要欠くべからざる一部分」として「要員を調達させ,運営させていた慰安所の実在」を無視するだけでなく,「従軍慰安婦の過去そのもの」についてさえも平然と『セカンドレイプまでしていた態度』を意味したのである。
4) 余談的ニュース
民主党の大畠章宏幹事長(当時)は東京で〔2014年〕9月26日,安倍晋三首相が25日午後(日本時間26日未明)に米ニューヨークでおこなった講演で「私を右翼の軍国主義者と呼びたいのであれば,呼んでいただきたい」などと発言したことについて,「国のリーダーとして非常に不適切だ」と批判した。中国・新華社が26日伝えた。
中国外交部の洪 磊報道官も26日,「日本のリーダーは国際社会の関心と正義の声に真剣に向きあい,歴史を反省する態度を示すことで国際社会の信頼をうるべきだ」と批判した。安倍首相はこれまで,「国防軍」創設や憲法修正,集団的自衛権の容認,「村山談話」の見直しなどを主張してきており,一連の言動で国内外の批判を浴びている。
註記)http://www.xinhua.jp/socioeconomy/economic_exchange/360695/
安倍晋三が首相の時代になってからよくいわれた文句が「バカな大将,敵より怖い」という文句であった。内政は完全に沈滞させるアベノミクスであった。政治を萎縮させるアベノポリティックスであった。
安倍晋三は第2次政権のあいだ,ロシアのプーチンにはさんざん舐められっぱなしであったし,またアメリカのトランプには「カードでいえババばかりを引かさせられる役柄」に徹していた。
安倍晋三より少しはマシだろうと期待されていた岸田文雄は,現首相としてある意味アベよりもさらに低品質の日本国首相になっている。「世襲3代目の政治屋」たちの「幼稚と傲慢・暗愚と無知・欺瞞と粗暴」の為政は,いまなお途絶えず,この国をどんどん劣化・衰退させ滅亡までさせるつもりに映る。
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