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従軍慰安婦問題の本質(7)

 ※-1 安倍晋三と秦 郁彦はともに従軍慰安婦問題はなるべくなかったことにしたい「長州人の本性」を共有しているらしい「同志の関係」に映っていた

 秦 郁彦は従軍慰安婦に対しては右寄りの立場からであっても,なるべく学究的に解明を志している人士(識者)に感じられる一面があった。だが,その他面における議論の特徴は,この「美しくも醜いジャパンという国」の恥部に対して,

 できるかぎり「大きいイチジクの葉っぱ」を製作するための勉強をしてきたらしく,りっぱな著作を多数公刊してきた国家官僚出身の歴史学としては,基本となる歴史観のタガが緩んでいて,終始,ガタついてもいた。

 付記1)冒頭の画像は,岩波書店,1990年発行の表紙カバーより借りた。
 付記2)「本稿(7)」は,2014年8月10日に初出,2021年9月24日の更新を経て,本日 2023年8月21日に改訂した。

  要点・1 従軍慰安婦問題における秦 郁彦(1932年生まれ)の役回りは奈辺にあったのか

  要点・2 この従軍慰安婦問題を闇雲に否定するといったお話にもならない無作法はけっしてみせないけれども,なまじ研究能力水準が高く優秀であったせいか,その研究成果の公表の仕方に,カラクリ的な便法をたくさん仕こもうとしてきた点では,純粋の学究とはみなしがたい人物であった

 以下にまず,長々と紹介・引用し,議論するのは,Hatena:Diary に出ていた記事で,それも『Transnational History』という題目(細目の分類)のなかに出ていた,つぎの「討論・対談」(2013-07-03)である。

 以下の記述は,この「討論・対談」をとりあげることから始めるが,その前に,本日(とは,この段落ではひとまず,引用する材料のその日付であった)のこの改訂となる記述では,つぎの「前論」を断わり的な論及として添えておきたい。

 【参考意見】『朝日新聞』2021年9月24日朝刊「声」欄に寄せられた投書

     ◆〈声〉虚偽答弁たださぬ会見に違和感 ◆
    =『朝日新聞』2021年9月24日朝刊「オピニオン」=
         〔無職 蓮沼 勝,埼玉県 72歳〕

 自民党総裁選が熱を帯びてきました。候補者4人による立会演説会が開かれ,それぞれの抱負が語られましたが,私は続いておこなわれた共同記者会見に強い違和感を抱きました。

 総裁選の争点や新型コロナの出口戦略の質問は当然ですが,国会での虚偽答弁についてなぜかどの社もどの記者も触れません。安倍晋三前首相は森友学園問題と桜をめぐる問題でそれぞれ100回以上虚偽答弁を重ねたことが衆院調査局から報告されています。政治への不信感が払拭(ふっしょく)できない原因がここにあることを候補者も,マスコミも忘れています。

 コロナに感染したが入院できない状態を「自宅療養」といっていますが,自宅療養は病院を退院後,社会復帰するまでのことではないでしょうか。言葉の本来の意味がないがしろにされ,上っ面のイメージばかりが独り歩きしているのが現状です。

 このうえ,為政者の虚偽答弁までが許容されたのではわが国の将来は真っ暗です。共同記者会見は国の新しいリーダーの考えを聞く重要な機会です。政治と国民との間によどんでいる澱(おり)がなにによって生じているのか,強く意識した質問をしてもらいたいものです。

『朝日新聞』2021年9月24日朝刊「オピニオン」

 いうまでもない事実であったが,この〈声〉欄の意見にも指摘されていたとおり,その虚偽答弁を重ねに重ねてきた当時政府の最高指導者が,ほかの誰でもなく,いまは故人となっているが「安倍晋三」であった。

 この元首相であった安倍晋三がもっとも忌み嫌っていた「日本の戦争責任問題」のひとつが「従軍慰安婦という歴史問題」であった。 彼の立場・イデオロギーにとって一番に最優先され,つまり「最高に大事にされねばならなかった《最大のウソ》」が,ほかならぬこの従軍慰安婦を全面否定する意図であった。 

 ※-2  事前に指摘しておきたい2013年7月に「秦 郁彦と吉見義明」が対面しておこなった議論

 2014年夏以降,安倍晋三が権柄尽くでもって仕立てあげた工作活動によって,日本社会は大騒ぎさせられた。それは,「吉田清治」が従軍慰安婦問題を描いた書物2冊を報道した経過に関連して,朝日新聞社が「誤報を犯したとされる問題」をめぐる,半ばでっち上げの騒動であった。

 吉田清治のつぎの2冊の存在に触れておく必要がある。

 △-1『朝鮮人慰安婦と日本人-元下関労報動員部長の手記』新人物往来社,1977年。

 △-2 『私の戦争犯罪-朝鮮人強制連行』三一書房,1983年。

 2014年夏から安倍晋三が,朝日新聞社による「誤報問題」に対する非難・攻撃を猛烈におこなうに当たっては,この吉田清治の2著が,いってみれば偽本(内容が基本的に虚偽)だという非難を強烈に世間に訴える手段が採られていた。

 ところが,実際にそうした安倍晋三側が一方的・専断的に決めつけていく経過が展開されていったところで,つぎの年(2015年)になると,なぜか,つぎの著作が公刊され,安倍の従軍慰安婦問題に対する理解そのものが,もともと生かじりであって,いいかげんなうえ,そのいいぶんが不全になっていた経緯が指摘されていた。

 その本は,今田真人『緊急出版 吉田証言は生きている 慰安婦狩りを命がけで告発! 初公開の赤旗インタビュー』2015年4月であった。安倍晋三による朝日新聞社「吉田清治関連記事の誤報問題」を,真っ向から反批判した著作である。

 吉田清治のその2著を読むさい重要となる問題意識は,そこに書かれていた内容が「歴史の事実」として,はたしていかほどに「信憑性」=「現実性」がありえたのか,という核心に向けられるべきであった。

 だが,安倍晋三はこの吉田清治が偽本を書いたのだという一事を絶対的な理由とみなしたうえで,あたかも,従軍慰安婦問題が歴史的に存在しえなかったとまで極端にもいいたかった。安倍自身は,その幻想としての願望が仮にでも可視化できたかと錯覚できていた。すなわち,当時における彼は,従軍慰安婦問題「全体」が歴史の記録(舞台)から消せるはずだ,と過信してしまった。

 そして,そのなりゆき(筋書き?)にしたがえば,日本国民たちの心情のありようにおいても,安倍の訴求した「従軍慰安婦否定のイデオロギー」がそれなりに支持されるはずだと信じていた。

 だが,安倍晋三は「歴史の事実」の問題を認識するための基礎的な素養に関しては,欠損・欠落が目立つ政治屋であったゆえ,議論をまともにする以前に,政治力の強権的な影響力の行使によって「問題の解決(始末?)」を狙うばかりであった。

 ※-3  ここでは,つぎの話題を出して参考にしておくのが好都合である,ワイツゼッカー元ドイツ大統領の演説

 いまからだいぶ昔になるが,ドイツの政治家で1984年から1994年,同国の大統領の地位に就いていた「ワイツゼッカー,Richard von Weizsäcker」(1920~2015年)が,1985年5月の終戦40周年記念演説で,「過去に目を閉ざす者は現在に対しても盲目となる」と述べ,ドイツ国民に過去の戦争責任を正視し,その責任を引き受けるよう説いた話は,有名である。

 ワイツゼッカーは,第2次世界大戦中,ドイツ軍の将校として,アドルフ・ヒトラー暗殺未遂事件にくわわり,秘密警察に追われた体験ももつ。このワイツゼッカーが1990年10月初代統一ドイツ大統領に就任し,1994年任期満了により退任までの時期において,歴史をふまえたナチス・ドイツの戦争責任問題に関した政治倫理的発言を発して有名になった。また 1992年11月,人種差別に反対する集会では極右による外国人攻撃を非難する演説もおこなっていた。

 ワイツゼッカー大統領に比較することすら本当にはばかれるほかないのが,残念ながら,この国で2012年12月26日以降,7年と8カ月もの長い期間,首相を務めた安倍晋三君であった。この2名には,「政治家と政治屋」としてしか比較することができないけれども,それ以上に両者間には「政治家としての格に大きな違い」があった。

 さらにいえば,両者を比較することじたいからして躊躇せざるをえないような,人間としての度量の「決定的な,それも資質の相違」も明確に伝わってくるゆえ,現在まで体験させられてきた「アベ的な日本の政治」に対する「われわれの絶望感」は,安倍晋三という「世襲3代目の政治屋」の存在を介して,ただただ深まるばかりであった。

 安倍晋三は2022年7月8日,国政選挙に立候補した候補者の応援演説のために出向いた奈良市の駅前で,アベ自身が統一教会とは近しい間柄にあるかのように告白したビデオメッセージをインターネット(SNS)上で視聴した「山上徹也:「統一教会・2世」に狙撃され死亡していた。

 安倍晋三が暗殺されたこの事件は,真相解明という点ではいまだに甲論乙駁という経過が尾を引いており,単純に山上徹也の犯行だとは完全には断定を許さない要因もからみついていた。
 

 ※-4  安倍晋三は,朝日新聞社の「従軍慰安婦問題」に関する特定の部分に関した誤報問題を,権力を全面的に動員し,悪用するかっこうをもって,その問題を格別にとりたて針小棒大に攻撃する材料に使った

 安倍晋三において “最大に錯覚された誤謬” は,朝日新聞社をやっつけることができて快哉を挙げることになれば,実際のところ,従軍慰安婦問題そのものがこの世(=日本の政治社会)から “抹消できる” などと勘違い をしていたところにみいだせる。

 前段,吉田清治の著作2点,『朝鮮人慰安婦と日本人-元下関労報動員部長の手記』新人物往来社,1977年と『私の戦争犯罪-朝鮮人強制連行』三一書房,1983年とが,従軍慰安婦問題を否定するための材料として有効に活かしうるのかと問われたところで,これはむしろ否であった。それよりも,従軍慰安婦問題を考えるための材料にはなると位置づけたらよいのが,その吉田の2著であった。

 本ブログ内では既述の点であったが,つぎの関連する出来事を,ここでも指摘しておく。

 安倍晋三は2007年4月,当時のアメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュ(George W. Bush)と会った時,『従軍慰安婦問題に対する再度の「謝罪の気持ち」を表明し,ブッシュもこの安倍の発言を受け入れていた』という事実があった。

 補注)2005年1月13日の『しんぶん赤旗』https://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-01-13/01_01.html は,『朝日新聞』の報道に言及するかたちで,「NHK番組改ざんの裏に “検閲” 従軍慰安婦放送『やめてしまえ』 安倍官房副長官(当時),中川議員が圧力」との見出しをつけた記事を出していた。

 しかし,その2年と3カ月後に安倍晋三は,ブッシュの前に出ると前段のように懺悔していた。だが,こちらの言動は,けっして絶対にアベの本心などではなかった。

 ところが,安倍晋三自身は同年3月,旧日本軍がアジア各地での女性の強制連行に直接関与したという証拠はないとみずから発言し,波紋を呼んでいた点を受けての発言であったが,安倍はアメリカの大統領ブッシュに向かい,そのように「慰安婦たちに対する」「謝罪の気持ち」を表明していた。安倍はブッシュに対して,口先だけの「本心ではない虚偽」を語っていた。

 いわば,吉田清治の2著に対する非難・攻撃が,そしてこの吉田の著作関係で誤報を犯したと責められた朝日新聞社の側に向けてであったが,はたして,仮に「誤報の非」があったとこの新聞社の記事を非難・攻撃できたとしても,従軍慰安婦問題そのものを「歴史の舞台」から引きずり降ろすることは,それこそ問屋が卸すわけもない「歴史の事実」に関する問題であった。

 ところが,安倍の当初の意向というかその主観的な狙いは,その朝日新聞社叩きを介して,従軍慰安婦問題の全域までも叩きつぶしたのだという効果を獲得したかったはずである。しかし,そのような企図が実現させうる「歴史の事実」問題ではけっしてなかったのが,日本軍事史における「従軍慰安婦問題」という制度的な存在であった。

 「世襲3代目の政治屋」的な特性として「幼稚と傲慢・暗愚と無知・欺瞞と粗暴」を総身に反映させていた安倍晋三は,歴史問題としての従軍慰安婦問題にまともにとりくめる予備知識をもともと備えていなかった。それゆえ,朝日新聞社をやっつければやっつけるほど,自身の拠って立つ「常識(以前?)の歴史修正主義の立場」は,きわめてつたない性質のものであったという事実を,みずから実証していくハメになっていた。

 以上の記述が本日(2021年9月24日⇒2023年8月21日)の記述に対する「前論」部分となる。

 いまから7年(9年)も前に安倍晋三が惹起させた朝日新聞社の従軍慰安婦問題をめぐる「誤報問題」の核心は,実は,安倍自身がそれほどにまで,必死になってこだわざるをえなかった「日本の歴史・外交問題」としてであったが,この従軍慰安婦をめぐり『歴史的に実在した記録』のなにもかもをも,どうしても認めたくなかった「彼の主観的な願望」にあった。

 ※-5「慰安婦問題の討論・秦 郁彦 vs 吉見義明-秦 郁彦は歴史家の名を利用するのやめたらどうだろう」

 この記述の出所はつぎのものであった。『Transnational History』2013年7月3日,http://d.hatena.ne.jp/dj19/20130703/p1

秦 郁彦と吉見義明の対論

 2013年6月13日,TBSラジオ番組で秦 郁彦と吉見義明が,「従軍慰安婦」問題について15~16年ぶりの討論をしていた。そのなかで,秦 郁彦の誤魔化しや詭弁があまりに酷いので,批判しておこうと思った。

 補注)本ブログ筆者も秦 郁彦について強く感じていることがらがあった。この人,ときどき筆を必要以上に滑らしたり曲げたり書く癖(本性?)があった。秦の本すべてではないが,かなりの冊数を読んできたが,なにかの拍子がつくたびに,歴史を実証的に研究する態度を脱線させたがる「奇妙な筆致」を,しばしば披露していた。

 この秦 郁彦に関するその種の印象は,ここで以下に紹介する対談の中身が,確かに裏づけている。なお,以下の参照では,氏名についている「氏」は外しておいたほか,よみやすくするために最低限の工夫をくわえた。

 また,以下の記述は「会話・対話を文字に起こした文章」なので,いちいちこまかい語感や文意が読みとりにくい段落もある。だが,全体を通して読んでもらえれば,そのあたりの箇所であっても,前後との文脈関係でおおよその理解はできるはずである。

   ◆ 2013年6月13日(木)「秦 郁彦さん,吉見義明さん,
       第1人者と考える『慰安婦問題』の論点」
           (対局モード)-荻上チキ・Session-22 ◆

    註記)http://www.tbsradio.jp/ss954/2013/06/20130613-1.html
       http://podcast.tbsradio.jp/ss954/files/20130613main.mp3
    補記)Youtubeで視聴する。
    ⇒ https://www.youtube.com/watch?v=3ANBEo8Ju14(現在は削除)

 1) 全体の感想

 まず視聴した感想を書くと,「慰安婦」として動員された女性たちは貧しいのが通例であり,経済的にも社会的にも弱い立場にあったわけだが,こうした女性たちに対する秦 郁彦の蔑視と冷淡さは相変わらずひどいものだった。

 彼女たちが被った慰安所での性暴力,強制売春といった犯罪被害は少しも顧みられることはないし,史料の都合のいいつまみ食いと,それを全体の問題にすり替えた粗雑な否定論も目立つ。

 公娼については「家族のため」にやったこと,慰安婦については「売った親が悪い」と,家父長制や昔の家制度の論理で個人の自発性や自己責任に落としこみ消化されるだけである。

 そのような秦 郁彦でも,吉見義明に従軍慰安婦の被害の実態をツッコまれると,言葉のいいかえや詭弁で誤魔化そうとしてだいぶボロが出ていた。

 2) ラジオ番組から人身売買や性的奴隷に関する発言の一部を,以下のように文字起こしをおこなった(★時間は経過時間,Youtube 参照で)。

 ★19:05~
 秦 郁彦--内地の公娼制をね,これ,奴隷だということになってくると,そうすると,現在のオランダの飾り窓だとか,ドイツも公認してますしね,それからアメリカでも連邦はだめだけれどネバダ州は公認してるんですよ。これは皆,性奴隷ということになりますね。

  吉見義明--それは,人身売買によって女性たちがそこに入れられているわけですか?

 秦 郁彦--人身売買がなければ奴隷じゃないわけですか? 志願した人もいるわけでしょ。高い給料にひかれてね。

 吉見義明--セックスワークをどういうふうに認めるかということについてはいろいろ議論があってむずかしいわけですけれど,少なくとも人身売買を基にしてですね,そういうシステムがなりたっている場合は,それは性奴隷制というほかはないじゃないですか。

 秦 郁彦--自由志願制の場合はどうなんですか?

 吉見義明--それは性奴隷制とは必らずしもいえないんじゃないでしょうか。

 秦 郁彦--公娼であっても?

 吉見義明--それは本人が自由意志でですね,仮に性労働をしているのであれば,それは強制とはいえないし,性奴隷制ともいえないでしょうね。 

 ★ 20:15~
 秦 郁彦--日本の身売りというのがありましたね。それで身売りというのは人身売買だから,これはいかんということになってるんですね,日本の法律でね。

 吉見義明--いつ,いかんていうことになってるんですか?

 秦 郁彦--人身売買,じたいはマリア・ルス(マリアルーズ)号事件のころからあるでしょ,だから。

 吉見義明--それはあの……,たしかにあるけれど,それは建前なわけですよね。

 秦 郁彦--建前にしろですね,人身売買ってのは,だいたい親が娘を売るわけですけれどね。売ったというかたちにしないわけですよね。要するに金を借り入れたと,それを返済するまでね,娘が,これを年季奉公とかいったりするんですけどね,その間,その……,性サービスをやらされるっていうことなんでね。

 それで,娘には必らずしも実情が伝えられてないわけですね。だからね,しかし,いわゆる身売りなんですね。

 ☆ 荻上チキ〔この人は司会〕--(着いてみたら)こんなはずじゃなかった,という手記が残っているわけですね。

 秦 郁彦 --う~ん,騙(だま)しと思う場合もあるでしょう。ね。(中略) だからね。これは,う~ん,なんていうかな,自由意志か,自由意志でないかは非常にむずかしいんですね。家族のためにということで,誰が判定するんですか。

 吉見義明--いや,そこに明らかに金を払ってですね,女性の人身を拘束しているわけですから,それは人身売買というほかないじゃないですか。

 ☆ 荻上チキ--ちょっと時期は違いますけれどもね,『吉原花魁日記』とか『春駒日記』とかっていう,昔の大正期などの史料などでは,親に「働いてこい」といわれたけど,実際に働いてみるまでそのことだとは思わなかったケースもあったりすると。

 秦 郁彦--うん,そうそう。

 ☆ 荻上チキ--それは,親もあえて黙っていたかもしれないし,まわりの人も「いいね,お金が稼げて」と誉のようにいうのだけども,内実を周りはしらなかったっていうような話はいろいろあったみたいですね。

 吉見義明--実際にはあれでしょ,売春によって借金を返すというシステムになってるわけでしょ?

 秦 郁彦--いまだって,それはあるわけでしょ。

 吉見義明--それは,それこそ人身売買であって,それは問題になるんじゃないですか?

 秦 郁彦--じゃぁ,ネバダ州にいって,あなた,大きな声でそれは弾劾するだけの勇気がありますか?

 吉見義明--もしそれが人身売買であれば,それは弾劾されるべき。

 秦 郁彦--志願してる場合ですよ,自発的に。自発かね,その……,どこで区別するんですか?

 吉見義明--なにをいってるんですか,あなたは?

 秦 郁彦--え?

 3) 途中での感想:その1(本ブログ筆者の意見)

 これは当時(昔,往事)の公娼制度に関連したやりとりだが,秦 郁彦が当時の日本での人身売買を基礎にした公娼制度と,現在のさまざまな法令によって女性の人権がある程度,保護されたうえで公認されている売春を,同列に語っていることにまず驚く。

 このやりとりを聴いただけでも,秦が「自由売春」と,犯罪である「強制売春」の区別がついていないことは明らかだろう。いや,判っていてわざとそこに触れないよう回避する「リクツを展開させている」とみるべきか。

 そもそも秦は,1999年の著書『慰安婦と戦場の性』のなかで,公娼制度とはまさに「前借金の名の下に人身売買,奴隷制度,外出の自由,廃業の自由すらない20世紀最大の人道問題」(廓清会の内相あて陳情書)にちがいなかった」(同書,36頁)と書いており,公娼制度が奴隷制度であることを認めていた。

 さらに秦は,「『慰安婦』または『従軍慰安婦』のシステムは,戦前期の日本に定着していた公娼制の戦地版として位置づけるのが適切かと思われる」(同書,27頁)と述べていた。

 その論理でつらぬく説明にするのであれば,「公娼制度の戦地版」である慰安婦制度も同様に,奴隷制度という認識になるはずである。ところが今回の吉見義明との討論では,最後まで公娼制度や慰安婦制度が奴隷制度であることを認めることはなかった。

 とはいっても,秦はこの後(引用している放送の,後段の文字起こし部分)で,朝鮮半島から慰安婦として動員された女性たちの「大部分」が「誘拐や人身売買」の被害者であることまで認めた。

 そして,身売り=人身売買の被害者は「借金を返す」までの期間,身体を拘束され性行為を継続的に強要される状況にあったことも認めている。これは暗にでも奴隷状態であったことを認めているに等しい。

 国際的な定義では,こうした他者の支配下に置かれ,自分のことを自由に決定する権利が奪われ所有物として扱われる地位や状態は奴隷状態であり,こうした状況で継続的に性行為を強要される状態を性的奴隷状態と定義している。

 『性奴隷の定義を無視し「慰安婦は性奴隷ではない」と叫んでも反論になってない』

〔放送内容に戻る ↓ 〕

 ★ 36:26~
 荻上チキ--前提としてそういったふうに(連れていかれた女性が慰安所での性行為を拒否し)イヤだイヤだといった場合は,帰る自由といったものはあったんですか?

 秦 郁彦--借金を返せばね。借金を返せばなにも問題ないわけですよ。

 吉見義明--え~,つまり,借金を返すまで何年間かそこ(慰安所)に拘束されるわけです。それが性奴隷制度だっていうこと。

 秦 郁彦--そうすると親がね,返さなきゃいけんのですよ。親が売ったのが悪いでしょ。

 吉見義明--秦さんがわかってないの〔が〕,そこですよ。

 秦 郁彦--どうして?

 吉見義明--借金を返せば解放されるというのであれば,それは人身売買を認めてることになるじゃないですか。

 ★ 53:35~
 吉見義明--さきほどいいましたように略取とか誘拐とか人身売買で連れていくのがほとんどだったわけですよね。そうして朝鮮半島で誘拐や人身売買があったということは,え~,秦さんも認めておられるわけですね。

 秦 郁彦--当然ですよ。それが大部分ですよ。

 吉見義明--それで,たとえ業者がそういうことをやったとしても,その業者は軍に選定された業者である。で,実際に被害が生じるのは慰安所ですけど,その慰安所というのは軍の施設である。

 軍がつくった軍の施設であるわけですね。そこで女性たちが誘拐とか人身売買で拘束をされているわけですね。当然,軍に責任があるということになると思う。

 4) 途中の感想:その2

 このやりとりで吉見は,人身売買により身体を拘束された女性たちが,借金を返すまでは解放されず性行為を強制されるシステムは性的奴隷制度であると指摘しているのに対して,秦は「親が売ったのが悪い」と親の責任にして,話を逸らしている。

 しかし,このあとで秦は朝鮮半島では「誘拐や人身売買」のケースが「大部分」だったことを認めており,そうであるなら貧困により生活が困窮し娘を売った親も,その多くは偽りの説明を告げられ騙されていたと推測してよい。

 ところで,ビルマでの尋問調書『日本人捕虜尋問報告 第49号』1944年10月1日には,つぎのように記述されている。

 註記)http://a777.ath.cx/ComfortWomen/proof_jp.html

 1942〔昭和17〕年5月初旬,日本の周旋業者たちが,日本軍によって新たに征服された東南アジア諸地域における「慰安役務」に就く朝鮮人女性を徴集するため,朝鮮に到着した。この「役務」の性格は明示されなかったが,それは病院にいる負傷兵を見舞い,包帯を巻いてやり,そして一般的にいえば,将兵を喜ばせることにかかわる仕事であると考えられていた。

 これらの周旋業者が用いる誘いのことばは,多額の金銭と,家族の負債を返済する好機,それに,楽な仕事と新天地--シンガポール--における新生活という将来性であった。このうな偽りの説明を信じて,多くの女性が海外勤務に応募し,2百~3百円の前渡金を受けとった。

 長くなるので,これ以上の文字起こしの引用は省略するが,YouTube の40分(http://youtu.be/3ANBEo8Ju14?t=40m)ごろから,秦は呆れたことに,上記のビルマでの捕虜尋問調書をもち出し,慰安婦がどれだけ楽だったかを力説している!

 しかし,吉見氏にその解釈の間違いをことごとく反論され,みごと撃沈されているが(その討論の文字起こしは,次段からの 5) に連続させて引用する。長くなるので,覚悟されたし……)。

 註記)以下の引用は,『ラジオ批評ブログ--僕のラジオに手を出すな!』の,
  http://radio-critique.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/4-vs-session-22.html  と
  http://radio-critique.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-78c7.html

 5) 慰安婦の生活状況ね「楽しく」「暮らし向きは良かった」か?

 ☆ 荻上チキ--この後ですね,強制連行や,あるいは河野談話をめぐる評価の話をしようかと思っているんですけれども,その前に,秦さんからさきほどの議論に対して補足があるということで,いかがでしょうか?

 秦 郁彦--最近,吉見さんがですねぇ,しばしば繰り返しておっしゃってることなんですけれども,強制連行があったかどうかっていうのは,たいした話じゃないと。

 荻上--ほう。

 秦--いまはね。現在は,4つの自由がなかった,慰安所における性奴隷という,こちらのほうがずっと重要なんだということを,なんどもいっておられるんで。

 私は強制連行はなかったと思いますけれども,これ議論するとね,橋下〔徹〕さんのような議論になっちゃいますんでね。

 その……いまの……慰安所の状況はそんなに酷いものであったのかどうかということをちょっと申し上げたいと思うんですけどもね。

 荻上--劣悪な環境で働かされた,だから性奴隷だっていうけど,そもそも劣悪だったのか疑問があると。

 秦--そういうことです。4つの自由ということは,これはね,吉見さんは,居住の自由・外出の自由・廃業の自由・接客拒否の自由がないというね,それは慰安所の女性たちは文字通りの性奴隷だというふうにね,述べておられるわけですよ。

 それで,吉見さんが編纂されたですね『従軍慰安婦資料集』っていうのがですね,これにですねぇ,1945年,北ビルマで捕えられた韓国人〔当時は朝鮮人と呼称〕の慰安婦20人に対する米軍の尋問書というのが入ってるわけですよ,訳されたものがね。

 (その文献資料は中略)

 秦--で,そのなかでどういう生活だったんだということを訊かれてですね,まぁ,こういう件があるんです:

 兵隊さんと一緒に運動会,ピクニック,演芸会,夕食会などに出席して楽しく過ごした。それからつぎにですね,お金はたっぷりもらっていたので,暮らし向きは良かった。

 荻上--慰安婦の当事者の発言ですか?

 秦--そうですね,20人のねぇ,証言です。それから,蓄音機ももち,都会では買い物に出かけることが許された,と。接客を断わる権利を認められた。それから,一部の慰安婦は朝鮮に帰ることを許された。

 兵隊さんから結婚申しこみの例はたくさんありました,というのがありましてね,なによりも,月の収入はですね750円,彼女たちのね。そのころ日本の兵隊さんはねぇ,命を的に戦ってるんですけど,月給は10円ぐらいなんですよ。

 荻上--ううん。

 秦--つまり75倍という高収入をえていたわけですね。

 荻上--高収入でかつ楽しかったという発言があるということですね。

 秦--日赤の看護婦さんの10倍です,この金額は。さらに,軍司令官や総理大臣より高いんですね,このとおりなら。だいたい似たり寄ったりだったと思うんで,私はこういう状況下にある女性たちがねぇ,性奴隷であったと思えませんねぇ。雇い主よりはるかに高い収入を得ている奴隷なんて,この世の中にいますか?

 荻上-- ……っていうのはいまの,吉見さんへの質問っていうことですね?

 秦--そういうことですね。

 〔荻上か⇒〕--いかがでしょう?

 6) 慰安婦の「高給」と外地のインフレ

  吉見義明--ええっとですね,あの,まず,これは女性たちがこういうふうにいったとおっしゃいましたけれども,この尋問調書はですね,2名の業者と20名の朝鮮人女性のヒアリングをアレックス・ヨリチという人が聞いてまとめてるわけです。どの部分が被害者の女性の証言であり,どの部分が加害者側の業者の証言かよく判らないっていう点があります。

 それからもうひとつはですね,「将兵と一緒にスポーツ行事に参加」したというふうなことがありますが,これはたぶんですね,戦地で女性がいないので慰安婦をそういう所に連れ出すとか,宴会に連れ出すとか,そういうようなことであったと思います。夕食会に出席するということもあると思うんですね。

 もうひとつは,高収入だということですけれども,当時のビルマのもの凄いインフレっていうことをですね考慮に入れておられないということは,非常におかしなことだと思います。

 荻上--インフレ?

 吉見--えぇ。ビルマはですねぇ,軍票を大量に徴発して,1943年ころからものすごいインフレになるわけですね。

 荻上--インフレというと,お金の価値が下がるということですね。

 吉見--1945年に入ると,もう軍票はほとんど無価値。それで,女性たちがなぜそれだけのお金をもっているかっていうと,慰安所に通う軍人がですね,もっててもなにも買えないのでチップとして女性たちに渡すわけですよね。

 南部広美(←引用では初めて登場した人)--「軍票」っていうのはなんでしょう?

 吉見--軍隊が占領地で発行する「軍用手票」っていう紙幣に代るものですね。

 南部--お金に代るもの。

 吉見--この時期は,南洋開発銀行というところが,そういうものを出してたわけです。

 荻上--のちほどお金に引き換えるっていう?

 吉見--そうですよ,まぁ,一応現地の,まぁ,たとえば1ルピーは日本円で1円ということになってたわけですけど,内地と比べてですね,もの凄いインフレになるので,外地金庫というのをつくってですね,そのインフレが内地に及ばないようにしてたわけですね。

 (中略)

 吉見--現地では軍票をもっててもほとんどなにも買えないので……。

 荻上--名目上の金額だけだったと。

 吉見--ほとんどそういう状態になってるわけです。それから,もうひとつはですねぇ,秦さんが引用されなかった所があるんですけれども,女性たちはそれだけのお金をもっているけれども,すぐに「生活困難に陥った」というようなことが書いてあるわけですね。

 荻上--同じ証言ですか?

 吉見--同じ証言です。で,もしそれが,その,高額であればですねぇ,どうして生活困難に陥ることが起こるんでしょうかね? これはまぁ,インフレっていうことを考えないと解らないんではないかと思うんです。

 それからもうひとつは,同じ引用された捕虜尋問報告のいちばん初めでですね,女性たちはどういうかたちでビルマに連れて来られたのかということを書いてる部分があるんですけれども,その部分をみますとですね,こういうふうにいっています。

 1942〔昭和17〕年5月に,日本の周旋業者たちが,朝鮮にやって来て女性たちを集めたわけですけども,〔また〕その「役務」の性格は明示されなかったけれども,それは病院にいる負傷兵を見舞い,包帯を巻いてやり,そして一般的にいえば,将兵を喜ばせることにかかわる仕事であると考えられていた。

 これは誘拐ですよね,騙していくわけですから。それから,これらの周旋業者が用いる誘いのことばは,多額の金銭と,家族の負債を返済する好機,それに,楽な仕事と新天地における新生活という将来性であった。

 これは甘言に該るので,これも誘拐罪を構成します。このような偽りの説明を信じて,多くの女性が海外勤務に応募し,2,3百円の前渡金を受け取った,というふうにありますんで,まぁ,人身売買でもあるわけです。

 こうして,現地で慰安所の生活に拘束されたというふうに書いているんですよね。

 7) 「日本の周旋業者」の「甘言」?

 荻上--はい。ちょっと,いまのを質問に変えますと,当時インフレだったことを考慮しないのかというのが1点と,それからその,いま読み上げていただいた方がたのそもそも来た理由というものが,そもそも甘言,騙されて来ている方々なので……

 秦--それを騙したって。

 荻上--誰が騙したんでしょう?

 秦--まず,ほとんど朝鮮人でしょうね。

 吉見--これ,「日本の周旋業者」って書いてありますよ。

 秦--え?

 吉見--「日本の周旋業者たちが朝鮮にやって来て」。

 秦--「日本人の」ですか?

 吉見--いやいや,「日本の」だから「日本人の」でしょう?

 補注)該当箇所の原文は,”Early in May of 1942 Japanese agents arrived in Korea for the purpose of enlisting Korean girls for “comfort service” in newly conquered Japanese territories in Southeast Asia.”  “Japanese agents” だけでは「日本の」か「日本人の」かは不明だが,“arrived in Korea” とあるので,少なくとも “Korea” の外から来た “agents” であると読める。

 秦--当時日本人なんですよ,朝鮮人はね。だいたいね。

 吉見--いや。

 秦--朝鮮に住んでた日本人でねぇ,朝鮮語で朝鮮人を騙せるほどねぇ,朝鮮語うまい人は,ほとんど1人もいなかったと思います,えぇ。

 吉見--元締めが日本の業者で,まぁ,手足としてですね地元の業者を使うってことはよくあることですよね。それから,この周旋業者っていうのは,軍に選定された人物であって,軍からいろいろ便宜を図ってもらって,まぁ,誘拐とか人身売買やってるわけですよね。

 しかし,これは犯罪なわけでしょう? それで連れてった元はどこにいるのかっていうと,軍の施設である慰安所に入れるわけですよね。そうすると,そこで軍の責任が発生しないんですか? どういうふうにお考えです?

 秦--そこは関係はないわけですよ。朝鮮総督府の管内でですよ——

 吉見--いやいや。

 秦--朝鮮人が騙したということね,で,それをね,ちゃんと旅行許可を出してるわけでしょ? そすると,朝鮮人の巡査もいたわけですなぁ。それで,どうしてそういう騙しを摘発しなかったんですか?

 荻上--ちょっと先ほどの話に戻って,気になったのが,さきほどそういう証言があって「楽しかった」という話があったということなんですけど,その他の慰安所でも同様に楽しかったということになるんでしょうか?

 秦--たとえば,こういうのがあります。文 玉珠(ムン・オクチュ)というねぇ慰安婦なんですがねぇ,彼女の一代記が本になってるんですよ。これは山川菊栄賞をねぇ,もらった。本当にねぇ。

 荻上--当事者の発言がということですか?

 秦--いやぁ,その,回想記です,一代記です,元慰安婦のね。で,なるほど,これは非常に良くできてる,読ませる本なんですけどもねぇ。

 で,彼女は色んな所を転々としたんですけど,最後はビルマにいってるんですね。で,ラングーンにいたんです,首都のね。「利口で陽気で面倒見のいい慰安婦」として将軍から兵隊までね,人気を集めチップが降るように集まったと。

 荻上--はい。

 秦--それで,5万円貯金が出来たと,2年余りでね。

 荻上--えぇ。

 秦--そのうち5千円を軍用郵便で下関郵便局へ送ったわけですねぇ。

 荻上--何年ごろの話ですか?

 秦--昭和18〔1943〕年。戦争中ですね。ですからね,これなんかもですね,非常に楽しかったというのが基調なんですよ。

 だからね,なかには悲惨な人もいたかもしれない。しかしねぇ,兵隊たちに良いサービスをしてもらうために,軍もそれなりに気を遣うわけです。それで,業者との間では,だいたい慰安婦側に立って有利になるようにしてやってる。ね。だからね,さっきの……要するに,米軍の尋問調書でねぇ,あれでも性奴隷とおっしゃるんですか?

 吉見--そうですね。

 秦--ほう。だって,4つの自由のうち3つの自由は完全にあったわけですよ。

 吉見--いやいや。

 秦--もうひとつ,居住の自由っていうのはねぇ,これはねぇ,居住の自由っていうのは看護婦さんもないですよ,居住の自由は。だってね,まさか,戦地でねぇ,バスで通勤なんていうねぇ,ね,アパートとか借りてなんていう,そんなことあり得ないでしょう?

 吉見--それは,看護婦さんと,それから慰安婦の女性たちがさせられている事柄って,まったく違うじゃないですか? その,看護をするというのはですね,本人にとってはそれは名誉なことですけれども,軍人たちの性の相手を毎日させられるっていうこととまったく性格が違うんじゃないですか?

 秦--それを論じたってしょうがないでしょう? 職業のひとつとして割り切ってんだから。その代りにね。

 吉見--職業だとおっしゃいますけども,誘拐で連れていかれた——

 秦--嫌な仕事かもしれないけどね,軍司令官よりも高い給与もらってんだからからねぇ。

 吉見--いや,それは。

 秦--みんなねぇ,なりたがるんですよ。

 吉見--それは幻想なわけでしょ?

 秦--騙されてっていうのは,おかしいですよ。

 荻上--いま,秦さんの話のなかでは,「なかでは」っていう話があったんですけど,なかでは困ってる人も,悲惨な例もあったけど。

 秦--そりゃ,あるでしょう。

 荻上--こういった豊かなケースもあったというお話があったんですが。

 あの,論点としては強制連行という所が残っているので,吉見さんのほうから伺っていきたいと思うんですけど。

 8) 続き(以下長い記述になるので,我慢して読んでほしい)。

 強制連行の有無など,秦と吉見のあいだで認識が共通している部分が多いのが判ります。番組の最後にそれぞれが発した一言に,両者の立場の違いが浮かび上がったと思います。

 荻上チキの名行司ぶりに感心。がっぷり4つに組んでいるときは気配を消し,ここぞという時に巧く両者を割る軍配さばきが絶妙。

 註記)「荻上チキ・Session-22」『TBSラジオ』2013年6月13日(木)22:00-23:55。
 
 a)「強制連行」-定義,軍の関与の有無-

 荻上チキ--あの,論点としては強制連行という所が残っているので,吉見さんのほうから伺っていきたいと思うんです。

 強制連行に軍が,あるいは政府が関与した証拠はみつけられなかったということはね,河野談話(『慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話』平成5〔1993〕年8月4日,外務省ウェブサイト)などでいわれたり,いまでもそういうことがいわれたりするわけです。

 では,その「強制連行」,つまり吉見さんがたとえば「甘言」とか「誘拐」とか,いろいろな話がありましたけれども,「強制連行」とはつまりなんで,そうした事例はあったのかなかったのか,そのことについて,もう一度吉見さん,いかがでしょうか?

 吉見義明--えぇっと,強制の問題はですね,やっぱり慰安所での強制があったかどうかがすべてだと思います。

 荻上--労働実態が?

 吉見--そうですね。労働というか,労働ではないですよね。

 荻上--労働ではない? 

 吉見--使役されるということですね。もうひとつは,連れていかれる過程でいろいろな問題が起こっているわけです。

 それについては,軍・官憲が直接やるかどうかはいちおう外しますと,さきほどいいましたように,略取とか誘拐とか人身売買で連れていくのがほとんどだったわけですよね。

 で,そして,朝鮮半島で誘拐や人身売買があったということは,秦さんも認めておられるわけですが。

 秦--当然ですよ。それが大部分ですよ。

 吉見--たとえ業者がそういうことをやったとしても,その業者は軍に選定された業者である。で,実際に被害が生じるのは慰安所ですけれど,慰安所というのは軍の施設である,軍が作った軍の施設であるわけですね。そこで,女性たちが誘拐とか人身売買で拘束をされているというわけですね。当然,軍に責任があるということになると思うんです。

 荻上--なるほど。

 吉見--もうひとつは,軍・官憲が暴行・脅迫を用いてですね,連行したケースがなかったかどうかということですけれども,これは現在ではもういろいろ出てきてると思うんです。

 荻上--えぇ。

 吉見--まぁ,いちばん典型的なのは,オランダ政府が1994年に白人女性の被害についての報告書を出しましたけれども,それをみますと,軍・官憲がかかわった暴行・脅迫による連行のケースは,未遂を含めて8件か9件ぐらいあると思います。スマラン事件とか,マゲラン事件とか,フローレス事件とかですね。

 (この間,文献資料,中略)

 吉見--で,たぶん,それは否定できないんじゃないかと思うんですね。

 秦--もちろん。

 荻上--秦さんも本のなかにそれは書かれてますしね。

 吉見--それから,中国では4件,元慰安婦のかたが提訴されて,裁判になっておりますけれども,まぁ,裁判では敗訴しますけれども,裁判所は事実認定をしてるわけですよね。その事実認定のなかで,いずれも,日本軍が暴行・脅迫を用いて連行したということを認定しているわけです。

 (この間,資料文献,中略)

 荻上--それは,官憲や軍人がおこなったもので。

 吉見--そうです。

 荻上--でも,その,秦さんからすると,たとえば,「それは,軍が命令したわけじゃないだろう?」っていうふうには。

 b) 裁判所による事実認定について

 秦--これはねぇ,非常に大きな錯覚があるんですよ。

 荻上--「錯覚」?

 秦--「裁判所が認定した」といわれますけどね,十数件そういう訴訟を起こしてるんですよね。全部,敗訴なんですよ。というよりね,最初から,訴訟を起こしてもね,これ,勝つみこみはゼロなんですよ。ね。

 じゃぁ,なぜ起こすのかっていうと,そういうことで運動を盛り上げて,たくさんのね,お仲間を集めて,募金もしてという一種の政治活動・経済活動なんですね。

 で,裁判所ではですね,これはなにかっていうと,戦前は国家無答責,国家は責任を負わない,過失についてね。それから,いちばん大事なのはね,時効なんですよ。

 荻上--時効?

 秦--えぇ。いちばん長い時効でも20年なんですよ。

 吉見--いや,いま問題になってるのは,そういう事実があったかどうかっていう事実認定の〔こと〕。

 秦--いや,だから,争わないんですよ,裁判所は。馬鹿馬鹿しいでしょう。もう,時効でダメだと判ってるのに。

 吉見--裁判所は争わないんじゃない。

 秦--裁判所は争わないんです。

 吉見--裁判所は事実認定をしてるわけでしょ?

 秦--しないんですよ!

 吉見--裁判所の判決に書いてあるわけでしょ。

 秦--だって,捜査にいってないから。こういうふうに陳述をしましたというだけで,それに対してですよ。

 吉見--いや,そういう事実があったという事実認定をしているわけですよね。

 秦--「これは違ってる」とかそういうことはいってないんですよ。

 これは非常にね,だから,法学会で論争になってるんですよね。どうして,そういうとき,検事側がですね,それに対して論戦を挑まないのかということなんだけれども,実際問題として,いまの中国の話のようにですね,じゃぁ中国から証人を呼んで来てくれったってですね,中国が応じるはずないでしょう?

 荻上--いま,あの,非常に議論が盛り上がっているんですけれども,残り時間が短くなって,というか,残り時間が1分になってしまったので,ホントはですね,今後どういう議論をしていくべきなのかとか,あるいはアジア女性基金などいろいろな経緯を踏まえて,どういったルートがありうるのかなど伺いたかったんですけど,まぁ,いろいろ激論がかさむふたりなので,最後一言ずつですね,この慰安婦問題について,若い世代を含めて,どういったところに注目してほしいか,一言お願いします。

 秦さんいかがでしょう?

 秦--もともと,この慰安婦問題というのは,後に支援勢力ということになりますけれども,日本と韓国の支援勢力がですね,やったことなんです,始めたことなんですね。

 ですから,韓国大統領が来てですね,2〜3年後に,それでいったことはね,この問題は,おたくの国の運動家とマスコミが一緒になってね,われわれを怒らせた。

 荻上--経緯をしれということが。

 秦--これは,おたくのほうで起こした。

 荻上--はい,時間が……一言だったので。残り30秒。吉見さん,お願いします。

 吉見--えぇ,慰安婦問題はいろんな事実が発掘されてきていますので,そういう事実をですね,ぜひしっていただきたいということだと思いますね。

 それから,国際的には,これは性奴隷制度であるという認識が定着しています。で,それはキチンと根拠があるものだと思います。

 で,日本政府としてはですね,この問題を解決するためには,戦時性的賠償法案というのができてますので,補償法案というのができてますので,それを通せば問題は解決すると。

 (文献資料,省略)

 9) 秦 郁彦の詭弁

 最後に秦の詭弁を批判しておこう。

 今回の討論では,秦は慰安婦の問題に直接からめて言及したわけではないが,このエントリーの冒頭部分の文字起こしにあるように,

 「秦:人身売買がなければ奴隷じゃないわけですか? 志願した人もいるわけでしょ。高い給料にひかれてね。」だとか,

 吉見氏の発言「人身売買であれば,それは弾劾されるべき」に対して,「秦:志願してる場合ですよ,自発的に。自発かね,その……どこで区別するんですか?」などと,「志願」や「自発的」な側面があれば,人身売買や奴隷に当たらないとの認識を披露している。

 そして,つい最近も産経新聞への寄稿で慰安婦募集の広告に「応募者は少なくなかったろう」などと述べているぐらいだから,「自発」や「志願」なら人身売買や奴隷とは呼べず,軍の責任も免責されると考えているのだろう。

 しかし,この「自発的」なのか「志願」なのか,といった問題設定じたいが,初めから問題を否認するための偽りの問題設定,あるいはすり替えといわざるをえない。

 日本政府も署名している国連の「人身取引(人身売買)補足議定書」の定義は,つぎのようになっている。

         =人身取引(人身売買)の定義=

 Protocol to prevent, suppress and punish trafficking in persons, especially women and children, supplementing the United Nations Convention against Transnational Organized Crime.

 和訳:国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約を補足する人,特に女性及び児童の取引を防止し,抑止し及び処罰するための議定書

 英語原文:http://www.unodc.org/documents/treaties/UNTOC/Publications/TOC%20Convention/TOCebook-e.pdf

 外務省 和文テキスト:http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/treaty162_1.html (なお,日本政府は trafficking を人身売買ではなく人身取引と和訳している。)
 
 第3条〔Article 3. Use of terms〕
  (a) “Trafficking in persons” shall mean the recruitment, transportation,transfer, harbouring or receipt of persons, by means of the threat or use of forceor other forms of coercion, of abduction, of fraud, of deception, of the abuse of power or of a position of vulnerability or of the giving or receiving of payments or benefits to achieve the consent of a person having control over another person, for the purpose of exploitation. Exploitation shall include, at a minimum, the exploitation of the prostitution of others or other forms of sexual exploitation, forced labour or services, slavery or practices similar to slavery, servitude or the removal of organs;

(a) 「人身取引」とは,搾取の目的で,暴力その他の形態の強制力による脅迫若しくはその行使,誘拐,詐欺,欺もう,権力の濫用若しくはぜい弱な立場に乗ずること又は他の者を支配下に置く者の同意を得る目的で行われる金銭若しくは利益の授受の手段を用いて,人を獲得(募集)し,輸送し,引き渡し,蔵匿し,又は収受することをいう。搾取には,少なくとも,他の者を売春させて搾取することその他の形態の性的搾取,強制的な労働若しくは役務(サービス)の提供,奴隷化若しくはこれに類する行為,隷属又は臓器の摘出を含める。

  (b) The consent of a victim of trafficking in persons to the intended exploitation set forth in subparagraph (a) of this article shall be irrelevant where any of the means set forth in subparagraph (a) have been used;
  (b) (a) に規定する手段が用いられた場合には,人身取引の被害者が (a) に規定する搾取について同意しているか否かを問わない。

  (c) The recruitment, transportation, transfer, harbouring or receipt of a child for the purpose of exploitation shall be considered “trafficking in persons” even if this does not involve any of the means set forth in subparagraph (a) of this article;

  (c) 搾取の目的で児童を獲得し,輸送し,引き渡し,蔵匿し,又は収受することは,(a) に規定するいずれの手段が用いられない場合であっても,人身取引とみなされる。

  (d) “Child” shall mean any person under eighteen years of age.

(d) 「児童」とは,18 歳未満のすべての者をいう。     

 一読してわかるように,搾取の目的で,暴力,誘拐や詐欺,同意をえる目的でおこなわれる金銭の授受,弱い立場に乗ずるなどの手段が用いられている場合,自発的どころか,たとえ本人が同意している場合であっても人身売買に該当(b 項)することに変わりはないのである。

 また,「自発的」や「志願」といった事実が一部にあったとしても,それによって女性たちが「慰安婦」になることを「同意」していたとみなすことはできない。なぜなら朝鮮半島からの動員では職種を偽ったり明かさずに甘言で騙して,国外へ連れていく誘拐や就業詐欺(人身売買を含む)といったケースが数多く報告されており,秦も朝鮮半島では「誘拐や人身売買」のケースが「大部分」だったことを認めているのだから。

 日本軍の場合,上記の人身売買の定義にある,獲得(募集),輸送,収受といった3つの過程すべてにおいて組織的に関与・介入しており,国家責任が問われないようみせかけるには,秦もこうした詭弁を弄するしか選択肢がないのだろう,とは思うが。
 

 ※-6 む す び

 秦 郁彦の口調は,従軍慰安婦をなるべく認めたくない立場・思想・信条・イデオロギーからのものならば,一貫していた。その特徴を十分に感得させる語り方であった。

 日中戦争が始まった昭和12〔1937〕年12月,南京虐殺事件が起きた。その犠牲者数の算出でもしかりであったが,秦は近現代史を学んだ学識を逆用するやり方でもって,その数値をできるかぎり少くなくするために懸命の努力を重ねていた。

 冒頭でも触れたように秦は,ネトウヨ・レベルや,あるいは一般教養すらこと欠くような敗戦後の国粋・右翼運動家たちとはまったく違い,元国家官僚から大学教員になった経歴(実力・能力)を存分に生かすやり方でもって,旧大日本帝国のアジア侵略・戦争にともなった加害の記録は,なるべく過小に見積もるように自身の学識を発揮・応用させてきた。

 ウィキペディアには,秦についてこう書かれた段落がある。2007年3月5日,当時の首相であった安倍晋三が参議院予算委員会において「狭義の意味においての強制性についていえば,これはそれを裏づける証言はなかったということを昨〔2006〕年の国会で申し上げたところでございます」と答弁した。

 だが,秦はこの答弁について,「現実には募集の段階から強制した例もわずかながらありますから,安倍総理の言葉は必らずしも正確な表現とはいえません。『狭義の強制は,きわめて少なかった』とでもいえばよかったのかもしれませんが,なまじ余計な知識があるから,結果的に舌足らずの表現になってしまったのかもしれません(苦笑)」とコメントしている。

 秦はまた,2014年,「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」の政府による検証チームのメンバーとなっていた(#,後段に関説あり)。

 つまり,従軍慰安婦問題の「犠牲者」がいなかったわけではないけれども,それには「わずかの強制の要因」しか働いていなかったに過ぎない,と断わっていた。

 すなわち,「狭義の強制」(=強制連行そのもの)をできるだけ排除したい考えの持主である。すなわち,強制連行を認めても,ごく限定的にしか認めない。これが学究であった秦の議論を方向付ける,つまり従軍慰安婦問題に偏向した議論を故意にもちこむ本来の動機になっていた。

 慰安婦も運動会に出たというが,刑務所にも運動会くらいはある。現地に囚われ状態になっている女性が,自分の足で逃亡できる力(戦地でありその大部分が移動する自由)もないなか,運動会に出て楽しくやったから……,といったたぐいの話題を出して議論するところからして,問題の肝心なありかに煙幕を張るための詐術(おためごかしの東大話法)でしかなかった。

 秦 郁彦も東京大学法学部政治学科の卒業生であった。そのせいか,前段のように東大話法の名手(!)かと思わせうる一端を,遺憾なく(?)披露していた。

 前段の(#)の役割は,安倍晋三のような無知・暴論筋だけの首相が,従軍慰安婦問題を頭から否定するといったヘマを犯さないように防波堤の立場あるいは指南役の機能を,秦が果たすことを期待されていた。そう解釈しておいてなんら不自然ではなく,ごく自然な解釈たりうる。

 しかし実際の場面では,安倍晋三のごとき「子どもの裸の王様」は,秦 郁彦のような人物の議論を助言的に受けとれる「精神的な余白」をもちあわせていなかった。

 最後に一言すると,以上の秦 郁彦と吉見義明との討論・対談を,この記述をおこないがら,〈ユーチューブ〉で実際に聴いてみた。

 補注)なお,このユーチューブによる当該放送番組は,現在削除されており,再見(視聴)できないのは残念である。

 吉見は極力,実証的に議論しているのに対して秦は,過去の現実を断片的にとりあげるだけで,おまけに,ひたすらまぜっかえすような発言が多かった。発言の仕方が粗雑に走る場面もたびたびあり,誠実さに関して疑問を抱かせていた。

 この秦は現在(当時),「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」(1993年8月4日)の政府による検証チームのメンバーであった。しかも,このメンバーのなかでは,慰安婦問題についての〈学識〉がまだまともにある人物であった。

 要は,その「チーム全体のお里」じたいはしれていたともいえる。なにを談話として出すにしても,初めから限界があった。とはいえ,21世紀になって従軍慰安婦問題を頭ごなしに全面否定したがっていた安倍晋三よりは,当時の河野洋平の内閣のほうがよほど誠実さは備えていた。

 ただし,安倍晋三の観念からみた前段の「談話」は癪の種であったゆえ,その第2次政権時になると,そのうっぷんを晴らす対象として朝日新聞社による「吉田清治問題」を奇貨として,従軍慰安婦問題のそのもの全体を否定しにしかかった。

 しかし,安倍晋三のその試図は「歴史の進展」に逆らうドンキホーテ的な感性を,ただ素朴に顕現させたに過ぎない。

 最後に,従軍慰安婦110番編集委員会編『従軍慰安婦 110番 電話の向こうから歴史の声が』明石書店,1992年という本を,筆者は最近になって読むことになった。

 この本の本文183頁のうちまだ84頁までしか読んでいないが,ここまですでに「騙されて慰安婦にされた:連れてこられた」という朝鮮人女性の意見聴取が10箇所も出ていた。読みこぼしがあるかもしれないとしても,8頁(本の大きさ:サイズはA5判)に1回の割合で,その種の「従軍慰安婦」による発言が登場していた。

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