安倍晋三を狙撃した真犯人が別にいたと疑う立場を謀略説に囚われていると非難するなかれ,再考の余地が大いにある現実的な問題
中田健二『安倍元首相を狙撃したのは本当に山上なのか?』2023年7月2日(アマゾン通販,書籍版)の問題提起,安倍暗殺事件の「裏舞台に控えている闇」をいま,あらためて究明する必要がある。「この日本国内外に潜んでいる〈魑魅魍魎〉ぶり」が解明されないでいい理由など,いっさいないはずである。
※-1 本ブログ筆者が2022年7月中に書いていた旧ブログ内の文章内から,本日のこの記述に関連する段落を「今日的に」補正しつつ部分復活させる
本ブログの1代前の旧ブログでは2022年7月24日の記述であったが,日本の首相はすでに安倍晋三から岸田文雄というやはり「世襲3代目の政治屋」--肝心なところではボンクラ総理大臣であった点はこの2人に共通していたが--に交代してはいたものの,
21世紀にいまごろになっても,基本的な日本政治の体質はまだ「疑似オカルト宗教的な政治体質のまま」にとどまっているし,おまけに『自民党の基本精神』は「明治懐古趣味でもその疑似形態でもなく,かつまた昭和的レトロ的でもありえなかった」くらい,実は「その旧套さ:前近代性(時代錯誤)」を露骨に披露してきた。そのなかでもとくにめだつのが,女性差別「丸出し」にしている「不自由・非民党(自民党のこと)」の問題となっていた。
ということで,以上の前口上は,なにやら大上段に時代がかった論点があるかのように語りたい口調に感じられるかもしれないが,問題の核心はそれほどむずかしいものではない。こういう事情があった。
a) まず,日本の戦後史(敗戦後史)に関連して,板垣英憲のつぎの見解を紹介しておく。
なお,安倍晋三の国葬は,2022年9月27日に日本武道館でおこなわれた。元内閣総理大臣であった安倍晋三の国葬が,日本における国葬としては1989年2月24日におこなわれた昭和天皇大喪の礼以来の約33年ぶりにであったという事実は,
そもそも,アホノミクス,ダメノミクスとも蔑称された程度の為政しかなしえなかったこの「世襲3代目のボンクラ政治屋・安倍晋三」については,いうまでもないことがらであったけれども,これまた当時においてさえ,その正統性に疑義が提起されていた「吉田 茂の国葬」が1967年10月31日におこなわれた事実とも,いちおうは比較対照しておく必要があった。
安倍晋三の国葬はある意味,おおげさではなく21世紀の今後に向けて,このヤマト国そのものを葬儀に出すかのような墜落感までわれわれに感得させたのは,この「世襲3代目の政治屋」の為政が内政・外交ともども「子どもの裸の王様」風の国家指導しかなしえなかったからであった。
一部には安倍晋三を祀った神社まで創建するといいはじめている者たちがおり,世迷いごとに近い発想が漂流しだした。この日本国をすっかり疲弊させ「政治4流・経済3流・社会2流」の実体にまで貶めてきた安倍晋三を,八百万の神々の「1名にする」というのは,血迷いごと……。
ともかく,21世紀のヤマト国を2010年代半ばから,すっかり根腐れさせ,亡国状態にまでダメにした元首相の安倍晋三や,敗戦直後史においてアメリカへの売国的な交渉ぶり基本信条とした首相吉田 茂が,国葬であの世に送るような「この国の民の〈精神的な民度〉」は大問題であった。だが,ここでは,ひとまず以上にようにきびしい一言添えただけで,以下の本論に進むことにしたい。
b) つぎは「安倍晋三射殺事件」の話題に関して,あらためて考えたい事項をとりあげてみる。
2022年7月8日午後11時半ころに発生した出来事であった。
参議院選挙運動期間中,奈良市に出向いて立候補者の応援演説に立った安倍晋三が,「統一教会・世界平和統一家庭連合」に恨みを抱いていた山上徹也容疑者によって,しかもそのさい,手製の散弾銃による狙撃を受け瀕死の重体となった。その場で心肺停止状態になっていた。
安倍晋三はただちに救急車とドクターヘリによって搬送されて奈良県立医科大学で手当・治療を受けたものの,現場で銃撃をうけた直後かららすでに心肺停止状態であったせいか,午後5時過ぎに死亡が確認された。
という経過になっていたとはいえ,実際に狙撃された安倍晋三の受傷状態--これは実質的に「狙撃によって即死状態に近い状態なっていた」けれども,その「心肺停止とみなされたまま状態」をもって,正午前から夕刻まで安倍の容体がなんとか生存しえていたという〈途中経過〉は,
本ブログ筆者のあくまで感想であるが,彼が狙撃によって受傷した部位の関係からみて(この点は後段で集中的に議論される問題となる),その間に5~6時間ものあいだ緊急救命の治療を受けていた経過は,ずいぶんと悠長に時間が刻まれていたという印象を回避できない。
安倍晋三は被弾後,橿原市に位置する奈良県立医科大学に搬送された。が,なぜ,すぐ近くにある奈良県総合医療センターに搬送先が選ばれなかったか,一定の疑問がもたれる。銃弾を受けた患者の治療についていえば,一般的に日本の病院では経験をたくさん積んだ医療関係者は,いるわけがない。この理由をもって奈良県立医科大学附属病院に安倍が,それも時間をかけて搬送されたとも解釈できる。
なお,奈良市から橿原市までは約20㎞である。奈良市の奈良県立総合医療センターには救命救急の窓口がないわけではない。2016年から開設された救急・集中治療センター(救命救急センター)がある。
同医療センターのホームページにはもちろん関連する解説があり,被弾して「瀕死の重体(?)」になっていた安倍晋三を,わざわざ時間をかけて奈良県立医科大学附属病院にまで搬送するという手順そのものに,疑問なしとはしえない。
もっとも,被弾して重体に陥っている人間を治療するという緊急の手術は,経験のあるなしにかかわらず,しかも元首相の場合でもあったゆえ,これを担当した医師は,相当精神的に重荷を感じていたものと推察する。
c) 要は,安倍晋三が奈良市内のかなり近い場所に位置していた奈良県医療センターの「救急・集中治療センター(救命救急センター)」に搬送されず,南方に約20㎞離れた奈良県立医科大学附属病院の高度救命救急センターに,救急車とドクターヘリを乗りつぐかっこうで搬送され,手当・治療を受けていた点は,
日本の場合だと,銃創による受傷を適切に治療できる医師が,はたして奈良県立医科大学で担当した同病院救命センター長の福島英賢教授で最善・最良であったかどうかについて,ここでは適切に判断する材料がない点も配慮したうえでも,まだ若干の疑念が残っていたといえなくはない。
むろん,福島英賢が安倍晋三の受傷をもっとも適切に治療に当たれる医師だとしても(だから奈良県立医科大学附属病院に搬送した手順が当然の判断だったとしても),現場ですでに心肺停止状態になっており,この発砲事件が発生した直後から瀕死の重傷になっていた安倍を,わざわざ20㎞はなれた奈良県立医科大学の救命センターにまで,しかもドクターヘリまで乗せかえさせて搬送した意味がよく理解できない。
また,事件の現場ではAEDを使用していたが,この器具で反応を示せるような安倍晋三の受傷状態ではなかったと推察される。奈良県立医科大学に移送されてから,救命センターで20リッターもの輸血をした点も,もしかすると救命が至難である状況を承知のうえで,妻の昭恵が駆けつけるまで単なる時間稼ぎのためにおこなったのか,という解釈もできそうである。
d) しかし,事件後の記者会見で福島英賢が,安倍が受けた傷の措置について語った説明は,素人のわれわれにはなんのことやら,ほとんど理解不能であった。ちまたのユーチューバーたちが当時,「他殺を疑う材料大あり」だとして,かまびすしくささやいた点には一理あったというほかない。しかも,福島の説明と奈良県警側の説明には看過しえない齟齬が残っていた。
本ブログ筆者は,安倍晋三が実際に被弾した場面を撮影した動画は,なんども観てみた。しかし,そのコマごとのこまかい画面では説明しにくい疑問の箇所もあった。この程度の疑問は素人でも観察可能である。事件発生直後から,何人ものユーチューバーたちが独自に繰り出す解釈には,ただちに却下できそうにはない重要な指摘がいくつも登場していた。
補注)ネット上にはすでに,以下のように指摘する声も挙がっている。この種の疑いを抱かせるほかない経緯が記録されていた点も,事実である。
★-1 左上腕部から,左鎖骨下の動脈を損傷,その後,方向を変え,心臓へと向かったとは考えにくいとのこと。
★-2 警察は,安倍さんの傷は盲管銃創(銃弾が突き抜けないで,体内にとどまっている傷)であり,射出口はないと明言していた。
ところが,解剖で銃弾はみつからず,頭を抱えていたという。治療か解剖のときに銃弾をなくしてしまったのか。
青山繁晴(国会議員)は,警察が嘘をいっているとは思えず,別の狙撃手がいた云々の陰謀論を支持するつもりはないといっていた。
そうはいっても,銃弾の有無は容疑者の裁判にもかかわってくる重要な問題なので,はっきりさせなければならない。この点は当然の手順である。
補注中の補注)その青山繁晴はこういって,「別の狙撃手がいたか否か」という問題が明確に否定しきれない点を,あえて「示唆していた」。
弾丸が溶けてなくなることはないので,治療にあたった奈良県立医科大学付属病院か,司法解剖をした警察のどちらかが,銃弾を摘出したことは間違いない。
どちらかが嘘をついている〔としか受けとれない〕。
ではなぜ銃弾を隠すのか。それは,一目みれば,山上容疑者ではなく,別の狙撃手が撃ったものであることが分かるからである。
注記)「【ぼくらの国会・第371回】 ニュースの尻尾『消えた銃弾 安倍元総理暗殺』」(青山繁晴チャンネル・ぼくらの国会 48分4秒 2022/7/21)https://www.youtube.com/watch?v=KU8IoN6VAfE なお文体は若干いじり,前後と統一した。〔 〕補足も本ブログ筆者。
※-2 孫崎 亨「〈日本外交と政治の正体 483〉安倍元首相を銃殺したのは山上なのか」『日刊ゲンダイ』2023年4月13日
この記事は,本ブログ内で「 岸 信介の外孫で統一教会と近しかった安倍晋三を狙撃した宗教2世山上徹也は真犯人か疑われる余地あり,事実に即する再検討を示唆した孫崎 享」2023年4月15日 10:28,https://note.com/brainy_turntable/n/n9b65d746df88 に,すでに公表していた記述のなかに引用したものである。ここで,もう一度,参照しておくのが便宜である。
孫崎 亨はこのように,安倍晋三が山上徹也に狙撃され死亡したという点に対して明確に,懐疑心を提示していた。このような見解はふつうであれば,つまり,日本のマスコミ・メディア(それも大手)がもう少しまともに頭を働かせて報道する気があれば,いくらでも登場させえた疑問一覧であった。
ところが,この孫崎が口にした疑問など簡単にいくらでも析出しているはずの点が,アベの問題になると,2010年代のアベ強権政治のせいですっかり萎縮しているせいか,いまではすっかり「死んだアベにまで忖度する」かのような報道ぶりになっていた。その風景は,世間に対して本当に恥ずかしい「〈第4の権力者〉陣の腰抜けぶり」になっていた。
それはともかく,本日のこの記述は最近,アマゾンの Kindle 版書籍からさらに,通常の書籍形態でもって販売された,中田健二『安倍元首相を狙撃したのは本当に山上なのか?』〔アマゾン通販でのみ購入可〕2023年7月2日が,
いう人にいわせると「それは謀略説」だと断言されたあげく,相手にもされない「山上徹也は安倍晋三の狙撃犯ではない」という「陰謀説呼ばわり」を克服すべく,相当の説得力がある,つまり,実証的な分析を重ねたうえで,核心に迫りうる解明をしていた。
その基本的な疑念は孫崎 亨が『日刊ゲンダイ』2023年4月23日に寄稿した「〈日本外交と政治の正体 483〉安倍元首相を銃殺したのは山上なのか」という内容とその疑問点の具体的な提示が,とくに奈良県警の捜査当局による説明では,素人判断でできる範囲内でもまったく納得がいかなかった不明な諸点を要領よくまとめていたものを,
さらに具体的に,その中田健二の本(Kindle 版もあった)は,警察庁奈良県警の捜査が〔まさかとは思えないのだが〕あえて無視していたかもしれない,それも通常であれば,いいかえると,まともな警察「捜査」当局であれば,たいして困難なく追求・解明できたはずの「科学的な調査」に,可及的に迫った分析・検討をおこなっていた。
※-3 中田健二『安倍元首相を狙撃したのは本当に山上なのか?』2023年7月2日
この本からは画像資料を中心に使い,つぎのように説明してみたい。
まず,中田健二のこの本が結論としてまとめている2頁分を画像資料として,以下にかかげておく。なおクリックすれば拡大・可である。
つぎに若干脇道的な話題にそれるが,つぎの点も指摘しておきたい。アマゾンの広告面を出しておき,これにあれこれと評言を記入した画像をかかげておく。
つぎの井上文二の「ポイント解説」は,そもそも山上徹也が安倍晋三を狙撃した手製の散弾銃は空砲を撃っていたという重大な指摘をしている。このまとめとなった5点は,中田の本がくわしく,それもできるかぎり科学的な分析にもとづいて,「第3のスナイパー(狙撃手)」が安倍晋三に対して連続して発射させた2弾を命中させたと結論するための理由・条件であった。
つぎの頁はキャンドル版であればカラー印刷なので,こう天然色の色あいになっているが,紙の本では白黒印刷ゆえ,この橙色の色調は「白黒の明度差」しか反映されないためかなりみにくい画像であった。
つぎに,Kindle 版書籍として公刊されている関連の本を挙げておく。
最後に Kindle 版で出版されている本には,前段でも触れたことがらであったが,この手の不備・手抜かりが多い事実をしるために,アマゾン通販の広告関係からこの画像を資料としてかかげておく。
中田健二は,このブログ(『note』のこと)につぎの記述を,2022年12月6日に公開していた。その後,アマゾン通販から,Kindle 版と書籍版をつづけて公表していた。
⇒ https://note.com/kenken2017/n/nf0b6d7251b34
以上,「安倍晋三狙撃事件」の真犯人は山上徹也ではないという実証的な主張をした見解を参照してみたが,最後に,さきにかかげてあった井上文二のユーチューブ動画を参照されることを勧めておきたい。この内容を全面的に否定できる人は,おそらくいないはずである。
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