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従軍慰安婦問題の本質(8)

 ※-1「本稿(8)」が注視する問題から説明しておきたい

 従軍慰安婦問題と公娼制度とを意図して混同させ,軍・性的奴隷問題をボカしておきたい論者のマヤカシ的理屈は,軍隊における「性の問題」というものの「歴史と本質」の,その「展開と現実」に疎い無識ぶりをおのずと暴露していた。

 付記)本稿の初出は2014年8月5日,更新は2021年9月25日,そして本日2023年8月24日に改訂した。
 付記)冒頭の画像資料は千田夏光『従軍慰安婦問題 正篇・続篇』三一書房,1982年の表紙カバーに借りた。

  要点・1 従軍慰安婦:軍性的奴隷という「歴史の事実」を否定したい日本の国粋・右翼言論の破廉恥度だけは高度の水準にまで到達

  要点・2 旧大日本帝国軍「付設の慰安所」というものを全面的に否定したかった安倍晋三などは,感情的な反発だけで従軍慰安婦の実在を否定しようとした。

 すなわち,無論理の情感的な印象によってのみ,そのように強硬に反発だけしてきた歴史理解は,無教養のきわみを露呈した。

 それだけでなく,逆説的な意味においては「国恥的政治屋」,重ねていえば「逆立ちした国辱者」であった事実を,あらためてみずから白日のもとにさらした

 最初に『朝日新聞』投書欄へ寄稿された,つぎの高齢者の意見から紹介したい。

          ★ 戦争時代想起させる憲法改正 ★
   =『朝日新聞』2013年7月12日朝刊14面「オピニオン」=
     △ 書道教師 黒川シツエ(神奈川県藤沢市 90歳)△

 変遷の激しい時代を生きてきた私は,憲法改正と聞くと,どうしても戦争時代が思い出されてなりません。赤紙という1枚の令状で召集され,尊い命を自ら弾丸として敵陣に突撃した人をはじめ,戦争の犠牲になった300万人の国民のことが脳裏に浮かんできます。

 亡夫も2度召集され,機関銃隊として中国戦線で戦ったことが心の傷となり,戦後,劇作家として戯曲を発表するなど戦争反対の意志を貫きました。平和憲法のもとで生きていることを実感しているので,多少気になることがあっても改正には反対したいと思います。

 従軍慰安婦問題では,男尊女卑の公娼制度が実在するなかで「戦線では公然とおこなわれていた」と夫は話していました。権力者は侵略の定義など歴史的事実をあいまいにしているようです。神風が吹き必らず必勝のはずだった戦争に敗れ,再び安全神話の原発に裏切られた私たち。憲法改正で愛国心のもとに統率されるのではとの危惧をぬぐいえないのは,私だけではないと思います。

 経済優先の風潮のなかで,いちばん大切な命を守る政策が後回しで,原発再稼働・輸出へと進んでいる現状を憂えています。昔のように自然に生を終える日々を懐かしく思う私です。

 補注)高齢だったこの投書主がいまも存命しているとしたら,今年で100歳になる。夫がかつて日中戦争に狩り出され,戦場を渡り歩いていく過程で受けざるをえなかったPTSD(Post Traumatic Stress Disorder ,心的外傷後ストレス障害)は,当時の旧日本軍がおこなっていた〈三光作戦〉--「殺しつくし,焼きつくし,奪いつくす」など--を,もしかしたら彼も,現場で体験させられていたかもしれない戦争体験の後遺症であった。

『朝日新聞』声欄「投書」

 この投書主は,「従軍慰安婦の存在」が軍隊内では「制度的なものであった」という話をした〈夫の記憶〉にも触れていた。1937年7月7日にはじまり,その途中の12月段階に日本軍が南京を攻略し,占拠したさい(その時,日本国内では臣民たちが盛大にお祝いをしていた),現地軍が中国兵や中国人たちに対して暴虐のかぎりをつくした記録のなかには,日本軍の兵士たちが「女をみつけた時」は必らずレイプしていた事実も含まれている。      
 --まだ冒頭の段落なので,いきなりあれこれ記述するのはなんであるが,上段の「投書主の夫」も確かに,またつぎの記述に表現されていたごとき「兵士としての立場」に置かれていたことは事実であった。そうした戦争体験のごく一面にしか触れえなかった歴史体験ではあっても,ひとまず聞いておく価値はある。

 ところで次段に,「南京事件から何を学ぶか~なぜ,兵士が?」との話題に関したその記述を引用するが,自分たちが実は,

  「加害者」+「被害者」=『(⇒ ! ? )』

であったという「歴史の事情:内幕」に至るまでの議論はない。

 その点ではまだ「吟味の余地」を残した議論のままであっても,往事:戦時体制期(1937年7月7日から1945年8月15日〔9月2日)まで時代の進行を考えるための材料としては有用とみなし,ともかく紹介してみる。

 やったのは「残虐な一部の人のことだ」といったりします。「日本人が残虐だから」と,いわれる場合もあります。しかし,そのようないい方でよいのでしょうか。この行為をおこなったのは,ぼくのお父さんやおじさんの世代,きみたちにとってはお祖父さんやひいお祖父さんたちです。

 たしかに危ない人もいたかもしれませんが,多くは普通の人でした。そんな人がおこなった,おこなわされたというのが南京事件に象徴される残虐な出来事です。残虐行為がなぜ起こったのか,その構造をしっかりとみつめるほうが大切だと思います。

 残虐な行為をやった,やってしまった兵士たちはたしかに加害者です。しかし,同時にそのようなことをやらされた被害者でもあるのです。

 註記)「兵士たちの日中戦争~上海での戦闘と南京攻略戦」『日本近現代史の授業中継』http://jugyo-jh.com/nihonsi/jha_menu-2-2/兵士たちの日中戦争~上海での戦闘と南京攻略戦

南京攻略の話

 補注)つぎの画像資料は,旧・日本軍が1937年12月13日に南京を攻略できた直後,東京市中心街のあるビルの道路側「窓一面に多数かかげられた日章旗」である。現地,南京での様子を撮影した一葉も併せてかかげておく。

 仮にでもこれと逆の関係で,つまり南京市が東京市に入れかわって,こういう光景が出現したと想定するとき,日本の国民側はどう感じるか? 敗戦直後,日本に舞い降りたマッカーサーが,厚木飛行場から都心へ向かうとき,どのような印象を,ある意味,その逆の立場になっていた日本人側は,受けたか?

南京陥落を祝う大量の日章旗
日本軍,南京侵出

 本ブログの前回記述,「本稿(その7)」で指摘しなおしてみた点であったが,安倍晋三は「慰安婦問題で首相『謝罪の意』,米大統領〔ブッシュ〕は受け入れを表明 - 米国」『AFP BB News』2007年4月28日 1:13,https://www.afpbb.com/articles/-/2217454 という発言を当時,アメリカの大統領に向かいすなお語った記録を残している。

 だがどうやら,そのすぐ直後からであったが,日付変更線のこちら側では「存在しなかったその発言」にしておくようなそれであったらしく,第2次政権を組んでからの安倍晋三は,従軍慰安婦問題に関しては絶対に認めたくない態度を堅持していた。
 

 ※-2 本日〔2014年8月5日から2023年8月23日〕の記述に当たっての前置き

 本(旧々)ブログは,2014年8月4日と5日に,「本物の▲ソが目く▲・鼻く▲を笑う,コッケイにもならない軍性的奴隷(従軍慰安婦)否定論の倒錯感覚」と題した記述を,「同・続編」とに分けて公表していた。

 補注)それらのうち2014年8月4日の旧々ブログの記述は,本ブログの2021年9月24日『従軍慰安婦問題の本質(その7)』に復活・再掲してあった。そして本日さらに,その更新を重ねたかたちであらためて公表することになった。

 安倍晋三は,2007年4月時点では確かにみずから認めていた従軍慰安婦問題の存在を,2014年夏以降にしかけた「朝日新聞社の従軍慰安婦」をめぐる吉田清治関連の「誤報問題」を奇貨としてだったのか,あたかも “無存在であってほしい” かのように騒ぎはじめた。

 すなわち,その問題に引っかけたかたちになっていたが,同社を批判するために権柄尽く(権力濫用)になる猛攻撃を開始していた。

 ちなみに,ジョージ・W・ブッシュは1946年7月6日生まれであった。その後における安倍晋三の食言ぶりについて,ブッシュ側がその事実をしってか,しらぬかかは当方ではしらぬが,安倍晋三のそうした前後して矛盾したデタラメ発言(従軍慰安婦問題に関したそれ)は,いまとなってはもう,どうでもよいことがらなのかもしれない。

 アメリカの大統領のなかには,北朝鮮による日本人拉致問題の関係で,その家族たちを会見させる機会を設けた者もいたが,これはあくまで自分たちの人気とりのためであった。つまり,日本国や日本人向けの演技であった。だがまた,安倍晋三がブッシュ(息子)の前で告白した「従軍慰安婦問題」に関する「謝罪の気持ち表明」も,この2人の世襲政治屋「間」の迷演技であったとみなせる。

 さて,旧大日本帝国が「軍隊内での〈公娼〉制度」「慰安所」で,それも朝鮮人女性を中心に「従軍慰安婦」として調達し,使役する形態で運営・管理させる実態にあった「歴史の事実」は,これをどのように受けとめるにせよ,否定のしようもない「過去における出来事」であった。

 だが,日本の反動右翼・保守国粋の立場にある盲目的な似非愛国主義者たちは,その「歴史の事実」をすなおに認められない精神構造(歴史修正主義イデオロギー)の持ち主たちでもあるから,その過去の記録から一目散に逃げ出すのでなければ,闇雲に否定するしか能がない〈卑怯な根性〉を披露してきた。

 かといって,日本側の学究のなかではけっこうな人数が,この従軍慰安婦(軍性的奴隷)という歴史的な研究課題にとりくんできている。本日はそのなかでも,倉橋正直の業績・成果に依って議論をおこなってみたい。
 

 ※-3 従軍慰安婦は商売人であって,金儲けをしていたのか?

 2010年8月に,倉橋正直『従軍慰安婦と公娼制度-従軍慰安婦問題再論-』共栄書房,が公刊されていた。本書は,主に朝鮮人女性が旧日本帝国軍隊において性的奴隷として使役させられていた「売春問題」を,通常の売春問題=公娼などとかかわらせて討究した著作である。

 補注)本(旧・々)ブログはだいぶ以前,「2010.10.27」に「昭和天皇とヒロシマ・ナガサキへの原爆投下」「天皇ヒロヒトの戦争責任」(この記述は後日,復活したい)で言及したように,この朝鮮人女性「従軍慰安婦」問題をとりあげていけば,論旨はただちに日本帝国の天皇裕仁の戦争責任問題に鋭角的に向かわざるをえない。

 問題が本来から深刻である性格上,日本の保守右翼陣営や自民党政治家たちは21世紀になった現在でも,朝鮮人慰安婦問題が日本社会のなかでとりざたされることをひどく恐れ,極端に嫌う。

 なかには,いうにこと欠き,俗耳に響きやすい〈反発の意見〉,すなわち,旧日本軍組織のなかで「彼女らは単に商売で肉体を売っていた」のであり,職業だから「金儲けをしていた」に過ぎないと反論する。

 しかし,売春問題に関する社会学的の立場からする〈歴史的な理解のイロハ〉も,そして,従軍慰安婦問題の旧日帝に固有であった歴史的な事情や経緯をまったくもわきまえないこの種の錯説は,当初から検討違いの方向を向いた妄論にしかなりえなかった。

倉橋正直

 冒頭に氏名の挙がった倉橋正直は1994年に『従軍慰安婦問題の歴史的研究-売春婦型と性的奴隷型-』(共栄書房)を公刊し,前段のような保守・反動の右翼・自民党政治家たちによる「〈反論〉の根拠のなさ」を批判している。

 同書の副題にも記されているとおり,1945年敗戦までの日本帝国における売春問題は〈公娼型〉と〈性的奴隷型〉に2分してあつかうのが適切である。

 その核心の論点は,倉橋が同書のなかに用意したつぎの図表が理解しやすく描いているので,参照しておく(53頁)。なお,図中の解説で〈灰色〉とは,右下側部分の「アミをかけたその色合い」のことである。

従軍慰安婦の分類

 戦争という事態においては古今東西,いつの時代でも〈軍・性的奴隷〉のような女性たちが存在したのだから,その種の「売春」問題にいちいち目くじらを立てて批判・追究することはない,と反目する日本人識者もいる。

 だが,従軍慰安婦と呼ばれる〈軍隊の性的奴隷〉にされた女性たちは,倉橋が制作した上掲の図表からも分かるように,旧日本軍が介在して設営させた〈直属的な売春組織〉に組みこまれる関係のなかで,性奴隷の労働に従事させられていた。

 つまり,従軍慰安婦は,軍隊組織に密着して併設された売春宿において性的労働を強要させられていた。

 このような〈戦時に独特の売春制度〉に組み敷かれていた「異国・他民族〉女性集団」の実在については,その歴史:軍事史に絡む特殊事情に対して,噛みあった問題意識や分析方法を準備して解明する必要がある。
 

 ※-4 売春制度の歴史

 倉橋正直『従軍慰安婦と公娼制度-従軍慰安婦問題再論-』共栄書房,2010年は,別の箇所でさらに図表的な説明を与えている(100頁)ので,こちらは文章に引きなおして引用する。日本における売春問題に関する,こういう時代区分である。

 ☆-1「江戸時代」--本来の公娼制度 〔女郎屋-(廓に監禁)-娼妓,封建的な性格〕

 ☆-2「1872-1958年」--近代公娼制度 〔貸座敷業者-(前借金で縛る)-娼妓,半封建的な性格〕(→全体としては資本主義であるが封建的な要素が強く残存)

 ☆-3「売春防止法以降」--現代の売春〔ソープランド業者-(相互に独立)-売春婦,資本主義にふさわしい性格〕

 従軍慰安婦問題については,いま〔ここでは2014年のこと〕から35年以上まえに公刊されていた,千田夏光『従軍慰安婦- “声なき女” 八万人の告発-』双葉社,1973年10月,『従軍慰安婦〈続〉』双葉社 (1974年7月以来,関連の文献は相当数が刊行されてきた。

 補注)千田夏光のこの正・続2編はいくつかの出版社から公刊されてきたが,その後,講談社から文庫として1984年・1985年に再刻されている。

 旧日本軍が全面的に関与するかたちで成立していた陸海軍における売春制度」の維持・運営であったがために,敗戦直後,軍内部においては証拠の焼却・隠滅が徹底的になされた。そのせいで,その全体像を完全に想像・復元させることは,非常に困難である。

 それでも1992年の段階ですでに,吉見義明編『従軍慰安婦資料集』(大月書店)などが公刊されている。本書は,従軍慰安婦に関する旧日本軍の関係資料の「最初の資料発見者」となった「吉見教授が,防衛庁所蔵資料にくわえて,外務省・米軍・オーストラリア軍の資料をも合わせて集大成した話題の書」である。本書の構成は,こうなっていた。

 従軍慰安婦と日本国家-解説にかえて-

 〈資料篇〉
  第1部 前史-第1次上海事変以降
  第2部 日本・朝鮮・台湾における従軍慰安婦の徴集と渡航
  第3部 陸軍省の軍紀維持・性病対策
  第4部 中国における慰安婦・慰安所
  第5部 香港における慰安婦・慰安所
  第6部 フィリピンにおける慰安婦・慰安所
  第7部 マラヤ,シンガポールにおける慰安婦・慰安所
  第8部 インドネシア地域における慰安婦・慰安所
  第9部 日本内地における慰安婦・慰安所
  第10部 小笠原諸島における慰安婦・慰安所
  第11部 沖縄における慰安婦・慰安所
  第12部 復員関係
  第13部 連合国軍による調査報告・指令

吉見義明編『従軍慰安婦資料集』構成

 従軍慰安婦問題の研究に従事する学者か,あるいは市井の人ではよほど関心を抱いている人以外は,この吉見義明編『従軍慰安婦資料集』を蔵書にしている人はいない。

 ということであり,ここではつぎの「補注)にあるホームページ」などを参照してもらえば,従軍慰安婦の問題概要が手っとり早く理解できるはずである。 

 補注)http://www.geocities.jp/forever_omegatribe/ianfu.html この題名は『従軍慰安婦資料集』。これ以外にも,http://ianhu.g.hatena.ne.jp/kmiura/19000101 が従軍慰安婦問題に関する「諸記述・諸資料」を「リンク」に案内,紹介している。

 補注の補注:2023年8月24日)残念ながら上記の住所(リンク先)2箇所はいずれも現在は削除されている。その代わりとしてひとまず,つぎの関連するホームページのリンク,2点を紹介しておく。

 ★-1 永井 和(京都大学文学研究科教授)「日本軍の慰安所政策について」『永井 和のホームページ』http://nagaikazu.la.coocan.jp/works/guniansyo.html
 
 ★-2 永井 和:「陸軍慰安所の設置と慰安婦募集に関する警察史料」『永井 和のホームページ』http://nagaikazu.la.coocan.jp/2semi/nagai.html

「補注」と「補注の補注」

 つづけてここからは,倉橋正直『従軍慰安婦と公娼制度-従軍慰安婦問題再論-』の議論に聞くことにしたい。

 倉橋の基本的な見地は〈前掲の図表〉などに明らかにされていた。昔から「存在してきた売春問題」であるとの観点からみれば,あの戦争の時代に日本軍将兵を相手にさせられていた日本人慰安婦は,公娼と似てはいたとしても,実際においては,金銭に行動を縛られた「人身売買の対象」であった。

 したがって,日本人女性の従軍慰安婦も基本的には,奴隷制の問題として歴史的に扱われるべき対象である。「戦時における従軍慰安婦」と「平時における公娼」とがどういう関係にあるか問うたとしても実は,前者が「性奴隷」ないしは「それ以下の人間存在」であった点では,後者との差がない。

 置屋が〈民間の業者〉であるか〈軍隊に従属し,寄生する組織〉であるかの違いしかない。もちろん,後者のほうには戦争の問題がからみつき,重しとなってくわわるゆえ,問題は別様により深刻な様相を呈していた。
 

 ※-5 倉橋正直『従軍慰安婦と公娼制度-従軍慰安婦問題再論-』の主要論点

 ※-2と※-3以外に,そちらで紹介した倉橋正直は,別著『従軍慰安婦と公娼制度-従軍慰安婦問題再論-』も公刊しており,こちらが論及している主要な論点をとりあげ,少し議論しておきたい。

 1) 売春婦型と性的奴隷型

 戦時体制期〔1937:昭和12年7月7日,日中戦争開始〕に入ってから翌年の1938年1月,中国山西省の大同には「30人の芸妓,60人は酌婦,40人は女給で計130人。尚その中には半島人酌婦53人,女給1人であるとのこと」であったが,「その大部分の実態は,前借金でしばられた娼妓であったと私〔倉橋〕は推測する。朝鮮人の比率が高く,4割を占めている。朝鮮人は酌婦35人,女給1人であった。なぜか,たった1人だけ,女給がいる。彼女だけが実質的にも私娼であった可能性が強い」(34頁。〔 〕補足は本ブログ筆者)。

 前段の内容は,戦地中国における朝鮮人慰安婦と目される女性集団の一例である。倉橋は当時,中国戦線には200もの日本人町が「売春婦型の従軍慰安婦」を一般的に提供しており,さらに「性的奴隷型の従軍慰安婦」も特殊的には一部存在していたと判断する(47-48頁)。とくに,後者「性的奴隷型は1940年頃になって,朝鮮人女性の間だけに出てくる」「タイプである」とも主張する(50頁)。

 補注)ここで冒頭に引用した「新聞への投書主」(女性)の発言一部分を再度紹介しつつ,以下の付言をくわえておく。

 「従軍慰安婦問題では,男尊女卑の公娼制度が実在するなかで『戦線では公然とおこなわれていた』と夫は話していました」というくだりがその箇所であった。

 おそらく,彼女の夫は「慰安婦」とは関係しない軍隊生活をしていたと推理される。だから妻(投書主)に対してそのように,戦線近くに張りつくかたちで後方支援物資のように配置されていた「従軍慰安婦」の存在を,正直に話していたと思われる。

 倉橋正直が,旧日本軍に付いてまわっていた「売春婦型の従軍慰安婦」の出現は,「他国の軍隊の兵士に比べ,いっそう,劣悪な環境に苦しまねばならなかった」,「日本の軍隊の兵士に対する福利厚生の弱さが,結果的に民間人の承認を多数,駐留部隊の近くに引き寄せる」原因であったと分析する(75頁)。

 そこへ日中戦争の泥沼化が進展した戦局のなかで,朝鮮人の従軍慰安婦も登場したと関連づけている。

 繰りかえせば「伝統的に兵士1人1人を大事にせず,彼らの福利厚生をなおざりにした日本軍の軍事思想」が「日本の軍隊のもつ特殊性であった」。「従軍慰安婦問題を考察するとき」はまず,戦線の「駐留部隊を在留日本人商人との『共生』関係の存在が前提になる」(78頁)。

 つぎに,「従軍慰安婦」の問題は「売春型」と「奴隷型」とを問わず,日本軍にまとわりついた「近代公娼制度」なのである。はたして,従軍慰安婦の問題は「公権力によって公認された売春」という要素と「封建的要素が残存する売春のしくみ」という要素とが結合されていたところにみいだせる(92頁)。

 いずれにせよ,「売春」という職業に従事せざるをえない「彼女たちは,むしろ社会の犠牲者である」。「売春廃絶の本道は女性の地位の全般的な向上である」(103頁,102頁)。

 さて,戦時体制期の「戦場における売春婦の問題」は,日本帝国の植民地になっていた朝鮮の女性たちが,中国戦線などにどのくらいの数,「性的奴隷型の売春婦」として駆りだされていたか。これが次段での論点となる。

 2)  荒舩清十郎の発言

 いまから半世紀近くも前の1965年11月20日,荒舩清十郎という埼玉県選出の政治家が,選挙区の集会「埼玉県秩父郡市軍恩連盟招待会」で,朝鮮の「慰安婦」が14万2000人死んでいる。日本の軍人がやり殺してしまった,と発言した。

 そのことは,すでに本ブログ内で関説してみた話題である。荒舩のこの発言は「単なる放言」であって,歴史の真実を語ったものではないと否定する者もいる。けれども,朝鮮人慰安婦の存在そのものを否定できる者はいない。関連する事実(真実)に関してなんらかの記憶・知識・情報などがなければ,とうていできるような放言ではなかった。

 戦時体制期における従軍慰安婦の問題を論じるとき,その焦点はどこにみいだせばよいのか。荒舩清十郎が「やり殺した」という,日本人女性ではなかった「軍・性的奴隷型の朝鮮人慰安婦」を,「売春婦型の日本人慰安婦」とはどのように比較考量し,関係づけ・位置づけ・価値づけて検討すればよいのか。これがその焦点になるはずである。

 倉橋正直『従軍慰安婦問題の歴史的研究-売春婦型と性的奴隷型-』共栄書房,1994年のほうでは,朝鮮人従軍慰安婦について「8万から20万人もの朝鮮人女性を苦労して,かき集めてきた」(98頁)と言及するさい,さらにこうもいっていた。この発言は,従軍慰安婦は職業として金を設けていたという〈妄論〉を支持できるかどうか,という観点から読んでみたい記述でもある。

 「要するに,古代の女奴隷と同様に,ムチでおどかされて(もちろん,象徴的な表現であるが),無理やりセックスをさせられたのである。それは,まさに性的奴隷の境遇であった」。

 「はたして,こんなもの〔朝鮮人女性〕で,〔日本軍〕兵士たちの心身は『慰安』され,消耗した戦闘力が回復されるのであろうか。私〔倉橋〕は無理だと思う」(97頁)。

 補注)たとえば,水木しげる『敗走記』講談社,2010年(初版は,ホルプ出版,1983年)は,倉橋がこのように「無理だと思う」ほかないと感想を述べた,多数の兵士たちに対して「少人数であった慰安婦たちとの性交渉」の場面を,みずからが実際に観察した場面として回想していた。

 すでに一度紹介したことがあるが,水木の同上書からつぎの見開き頁の部分を紹介しておく。

水木しげるの見た従軍慰安婦

 結局のところ,「日本の敗戦の結果,彼女たちがおのれの命と引き替えに貯えた,大事な大事な軍票は,むなしく紙切れになってしま」い ,「懐かしい故郷・朝鮮にいる父母のところに帰る」という「彼女たちの唯一の希望」が「かなえられなかった」(96-97頁)。

 3)  伊藤桂一『兵隊達の陸軍史』新潮社,平成20年〔番町書房,昭和44年〕の記述

 日本軍慰安婦,朝鮮人慰安婦をめぐる「詐欺」と「強制」については,戦争中に動員されていた日本軍将兵たちが残した「自分の記録-戦記・日誌・日記本-」のなかに,その体験と観察を書いていた。

 たとえば,伊藤桂一『兵隊達の陸軍史』番町書房,昭和44年は,従軍慰安婦の事実をこう語っていた。

 兵隊と,なんらかの意味で接する女性は,慰安婦のほかには,中国民衆(つまりその土地の住民),在留邦人,慰問団,それに看護婦くらいなものだろう。このうち,慰安婦がいちばん兵隊の役に立ってくれていることは事実だが,慰安婦も多くは,騙されて連れてこられたのである(246頁)。

私は靖国神社の境内にでも,従軍看護婦を戦場慰安婦の忠霊塔ぐらいは建ててもいいのではないか,と思っている。ことに慰安婦の場合は,兵隊なみに生命をけずっている。直後の “博愛衆ニ及ボシ” という教えを,戦場でおこなったといわねばならない(254頁)。

 この伊藤桂一の従軍慰安婦「観」は,同情心に溢れた観方を披露している。だが,論旨の根幹においては,その実態を美化する工夫を不可避に想念していた。いうなれば,慰安婦を戦友あつかいし過ぎていたし,歴史の理解に関する見当外れの脱線を,みずから他者にもうながす発想をしていた。

 とりわけ,靖国神社に従軍慰安婦も合祀したらよいなどといった提唱は,この靖国神社の基本精神とは無縁(無知?)の発想であり,なおかつ,それを甘くみすぎた意見である。

 そもそも従軍慰安婦たちの〈御霊〉を合祀して,いったいなんになる? 霊界でまた慰安婦役を彼女らにさせるともいいたのか? このような問い方をしていたら,話題が奇妙な小路に入りこまざるをえなくなる。

 過去における日本帝国の犯してきた暴虐や残酷に関した思い出を,なぜか,甘美の思い出でもってつつみこんでおきたいかのような「表相的な歴史理解」はいただけない。要は,従軍慰安婦のごとき存在の再登場を否定しきれない甘言になっていた。

 ※-6 従軍慰安婦の類型

 1) 従軍慰安婦の3分類

 倉橋正直の議論に聞くまでもなく,旧日本軍における従軍慰安婦には3種類があった。それは,こう分類できる。ただし,従軍慰安婦は朝鮮人と日本人だけではなかった点も考慮するとしたら,これは絶対に揺るぎない分類基準ではない。あくまで,朝鮮人と日本人の従軍慰安婦に限ってならば基本的に妥当する類型である。

  イ) 将校を相手にする日本人従軍慰安婦

  ロ) 兵士を相手にする日本人従軍慰安婦

  ハ) 兵士を相手にする朝鮮人従軍慰安婦

 イ) は,日本人売春婦でも,もともと〈その出自・職業〉がより高級な芸妓などに従事していた女性,あるいは美醜の面で現実的に判断してこちらに入ることができた女性などである。

 ロ) は,イ) 以外の日本人女性売春婦であり,ハ) はいうまでもなく朝鮮人女性で売春婦とされた者であった。イ) のような日本人売春婦でも芸妓として才能・教養のある女性はともかくも,ロ) の日本人女性は,ハ) の朝鮮人女性と同じように,戦場に設けられた慰安所施設で「1日に数十人もの兵士」を相手にしなければならなかった。

 倉橋『従軍慰安婦問題の歴史的研究-売春婦型と性的奴隷型-』(140頁)も挙げていた関連の文献,広田和子『証言記録 従軍慰安婦・看護婦』新人物往来社,1975年・2009年は,日本軍の将校かあるいは兵卒かを相手にする日本人慰安婦と,兵卒だけを相手にする朝鮮人慰安婦との違いを,「日本人売春婦」の聞き取り調査を介して明確に説明している。

 広田はさらに,「従軍慰安婦=軍・性的奴隷」という存在に関する本質的な分析・観察と並行させて,売春という〈職業〉に従事せざるをえなかった女性たちが受けざるをえない〈経済的搾取・社会的疎外・政治的抑圧〉など,その背景事情の深刻さ・残酷さも説明している。

 また,日中戦争・大東亜戦争中に従軍慰安婦として戦場に出ていった日本人女性にかぎっていうならば,もとの廓(置屋)から足抜きができるくらいに稼ぎがあった,というような〈特殊事情〉も生まれていた。

 2) やり殺された朝鮮人慰安婦:「性的奴隷型」従軍慰安婦

 広田和子『証言記録従軍慰安婦・看護婦』に登場する菊丸という美貌の芸妓上がり日本人の従軍慰安婦は,「あたしたちは将校用だったため」に「慰安婦としては恵まれていた」「1日1人の相手をすればいい」。しかし他方で,鈴本という日本人慰安婦は「1日,何人もの相手をしなければならない,いわゆる回しをとらなければならなかった」立場に置かれていた(51-52頁)。

 朝鮮人慰安婦の場合は,鈴本と同じ立場であった。彼女らのあいだで同じでなかったのは,朝鮮人慰安婦が日本語が不自由であり上手でなかったこと,そしてなによりも朝鮮人だという事実に対する差別があったことである。

 荒舩清十郎は前述のように,従軍慰安婦として戦場に駆りだされた朝鮮人女性14万数千人を,日本の将兵が「やり殺した」と発言していた。

 それが事実を指していったものだとすれば,しかも,敗戦後における “彼女らの生存率が約25%” といわれている経緯に鑑みれば,倉橋が朝鮮人女性の慰安婦が《8万人から20万人》にもなると推測していた点に一定の信憑性が出てくる。

 補注)このへんの話題は,ほぼ,「人間」=「モノ」あつかいである。

 なおこの《数字》は,千田夏光『従軍慰安婦- “声なき女” 八万人の告発-』1973年ならびに荒舩清十郎の関連発言〔20万人までも示唆か?〕を採用したものと思われる。

 従軍慰安婦の実数に関する議論は,ブログ『永井 和の日記』も参照してほしい。とくにつぎの日付を読んでもらいたい。永井は歴史学を専攻する京大教授。

 補注)この連続ものの記述では,永井 和の主張は「本稿(その5)」2021年9月22日で言及していた。ただし,この記述を掲載していたブログサイトはすでに廃止されているので,この点を少しでも補うために,★-3をあげておくことにした。

 ☆-1 2008-04-02 「秦 郁彦氏の慰安婦数推計法の誤謬について (1)」   
 ☆-2 2008-04-05 「秦 郁彦氏の慰安婦数推計法の誤謬について (2)」

 ★-3 「従軍慰安婦の推計において,産経新聞記事にある疑問・矛盾の数々」『法華狼の日記』2013年10月30日,https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20131030/1383151380

 あの戦争にかかわって日本国政府が国民に対する補償問題においては,原爆や空襲で国民が受けた被害までが国家賠償請求の対象になる時代である(しかし,その後に審理の結果が出たのは「否」であったが)。

 原爆にしても空襲にしてもその被害者(犠牲者・負傷者)のなかには,5万~10万人単位(範囲)で朝鮮人(韓国人)が含まれている。朝鮮人の軍人には将官から特攻隊員までいた。軍属にも多くの朝鮮人が動員され,使い捨てられていた。

 従軍慰安婦の問題は,社会学的な論点のみならず,倫理学的な,そして政治学的な論点にも深く広く関係するほかない。朝鮮人慰安婦問題は,日本国が対アジア諸国・諸民族に対して背負いつづけねばならない重荷,その戦争責任の重大な1件である。いまだに清算されていない国際社会問題といえる。
 
 --前掲してあったが,本(旧)ブログ「2010.10.27」「昭和天皇とヒロシマ・ナガサキへの原爆投下」「天皇ヒロヒトの戦争責任」は,原爆の問題に論及していたが,これに関連して最近公表された文献に,岡井 敏『「原爆は日本人には使っていいな」』早稲田出版,2010年7月」)があった。

 この書名をまねたセリフをいいまわせば,「朝鮮人女性は奴隷的な軍の性的労働にこき使い,ヤリ殺してもいいな(よかったのだな)」という方針が,日本軍の戦時体制期における植民地出身女性に対する基本姿勢であった。基本的には一兵卒の命に似通ったあつかいであったが,実態としては基本,兵站物資の一部とみなされていた。

 3) 2010年10月25日,新聞報道「被爆者補償 政官の壁」

 第2次大戦を終わらせるためだとして,アメリカが日本の広島と長崎に投下した原子爆弾2発にかかわっては,2010年10月25日『朝日新聞』朝刊に,以下の引用に示すような記事が報道された。国家財政の問題と絡むものとはいえ,国家というものが国民(人民)を,いかに恣意的にあつかうか,踏みつけにすることなどなんとも思わぬかがよく理解できる。

    ☆ 被爆者補償阻止,旧厚生省が議論誘導 30年前議事録 ☆

 被爆者援護のあり方を検討するため,1979~80年に非公開で開かれた厚相(当時)の諮問機関「原爆被爆者対策基本問題懇談会」(基本懇)で,民間の戦争被害者全体に国家補償が拡大しないよう,厚生省側が議論を導いていたことが,議事録や関係者の証言からわかった。基本懇の報告書は被爆者への国家補償に歯止めをかける内容となり,この報告書をもとにできた現行の被爆者援護法に国家補償は明記されなかった。  

 「被爆者対策を国家補償でやるとなると,額が大きくなるだけでなく,シベリア抑留者や一般戦災者の要求が強まり,甘くできない」といったのは,その諮問機関「原爆被爆者対策基本問題懇談会」を担当・運営した厚生省高級官僚の方針であった。この基本的な方針に沿って,1980年の政府当局(厚生省)見解:「戦争による一般の犠牲は)国民が等しく受忍しなければならない」という見解が提示された。

国家の無責任

 21世紀になってもまだ,日本国民とかつてこの帝国の臣民であった人びとが,戦争によって生じた被害に関して損害賠償請求の裁判を日本政府に対して起こしている現状は,とくに踏みこんで述べるまでもなく,しごくまっとうな時代風景といえる。

 さらにその間においては,従軍慰安婦問題が単に日本と韓国(朝鮮)の2国間に関する国際政治問題にとどまらず,女性をめぐる人権意識の高まりのなかでは,世界中が日本側の言動や対処に注目するようになっている。

 だが,日本政府側など関係組織が,その世界的な人権問題の一環として「過去の問題のひとつ」としてであっても,この「従軍慰安婦問題」が重視されている現況を軽視してはいけない。

 日本国内外における「この問題に関した認識水準」に顕著な差異(断層)が生まれている点は,要警戒である。日本国自身のためにならない「海外側の視座」が形成されている。この事実に日本人は鈍感であってはならない。

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