安倍晋三が靖国神社参拝にこだわった理由・事情に,本当に純粋な国家神道への信仰心があったかは疑問
※-1 教義も信条も確たる「心棒がない神道」への疑似宗教的なこだわりをいだいていたらしい「故・安倍晋三」
a) いまは亡き安倍晋三元首相が「靖国神社に参拝した記録」を思いだしてみたい。ここではまず,安倍が2012年12月26日に第2次政権を発足させてからの話題となる。
安倍晋三は首相になってからちょうど1年が経った2013年12月26日,第1次政権の時期も含めた事実に関してとなるが,在任中としては自身が初めてする参拝を,アメリカおよび中国に外交ルートを通じてその旨の連絡をしたうえで,靖国神社に出向いていた。
第2次政権を組んでからとなったが,その靖国神社参拝に対しては早速
以下のような反応が,アメリカ側から起きていた。たとえば,大前研一の解説を借りると,こういったアメリカの反撥が起きていた。
アメリカ側のこの反応は,当時,さらに,ほかにもこう報道されていた。
安倍晋三はその後,首相在任中に靖国神社に参拝することはせず,いちおうアメリカの意向にしたがい,その行為は控えて自重した。
b) 以上のごとき推移した脈絡のなかで2020年9月19日,安倍晋三は「首相辞任後」における「靖国参拝」をおこなうことで,それなりに世間に話題を提供したが,首相在任中は1回限りであった靖国神社参拝を,7年ぶりに再びおこなっていた。
安倍晋三はさらに,その1ヶ月後の10月19日にも,靖国神社への参拝をおこなっていた。
要は,安倍晋三が第2次政権以降,首相在任中に靖国神社に参拝にいけなくなったのは,アメリカのきびしい指導があり,これに否応なしに応じざるをえなかったからである。
安倍晋三の唱えた「戦後レジームからの脱却」とは,口先ばかりの念仏であって,対米服属路線を自分自身でより深めてきた事実の前では,ヘリウムガスの抜けた風船になったかのようにへこまされる屈従を,甘んじて受け入れざるをえなかった。
安倍晋三は前述のように,首相を辞めてからただちに靖国参拝にいっていものの(2020年9月19日,そして追って10月19日にも),この元首相の「矜持・自尊の証し」であったはずの国家神道精神が,はたして本物なのかどうか,あらためて尋ねてみる余地があった。
なかんずく彼は,神道上のまともな宗教心をもっていて,はたして靖国神社に参拝していたのか? 教義・信条に相当する宗教的な精神・思想のない神道ゆえ,安倍晋三という「世襲3代目の政治屋」が,自分の神道に関する独自の認識・矜持をもっていたか,かなり怪しいと踏んだうえでする議論が必要であった。
c) という問題意識を断わっておき,安倍晋三が2020年9月19日にようやく再起動させえた “靖国神社参拝の行動” を受けて,さらに掘り下げて考えてみたい。
▲-1 2020年8月15日については,安倍晋三は首相としてはまたもや,靖国神社に参拝できなかったが,玉串料の奉納で済ますかっこうで「国家神道的とみなせるその〈宗教的な行為〉」は重ねてきた。
▲-2 もっとも,対米服属路線からまったく脱却できていない,すなわち「戦後レジームからの脱却」など全然できるわけもなかった「当時の安倍晋三の立場を囲繞していたヘンテコな政治環境」は,
アメリカ側の意向に屈服するほかなかった政治意識を強いられていたゆえ,安倍の心中では歯ぎしりするほど悔しかったが,いかんせん,逆らえない相手だったので「歯が立たない」でいた。
▲-3 前段で触れた点,いまから10年も前になる2013年10月3日,ケリー国務長官とヘーゲル国防長官がそろって来日したさい,この2人はまず皇居近くの千鳥ケ淵戦没者墓苑を訪れ,献花していた。
このアメリカ側の意向は「 “日本国首相である安倍晋三” に対して,オマエはこうしなければダメだぞという『直接的な指導』」であった。
d) 以上のごとき,本日のこの記述にからまっている「米日間の服属上下関係」の問題が「議論の前提」として念頭に置かれるとすれば,つぎのふたつが要点として挙げられる。
以上の要点2点は,安倍晋三が靖国神社に参拝に出向いたという “宗教的な行動の含意” に関して指摘することがらとなるが,しごく簡単には「基本的に矛盾する」「彼自身内に控えていた政治社会的意識」の問題だと表現してよい。
※-2 安倍晋三の第2次政権が「本当に無能・無策であった政治屋」の為政となって展開された結果,この国には悲惨な顛末=「衰退途上国」という汚名をもたらされた
安倍晋三という「世襲3代目の政治屋」がこの日本国を破壊し,溶融させてきた結果,2023年12月の時点となったところでは,もう完全に「国家そのものがダメになっってしまった」
本日の問題に即していえば,安倍晋三がなぜ,そこまでこだわってわざわざ靖国神社に参拝にいきたがったのか,という点が関心を呼ぶ。
安倍晋三や,そのほか自民党でも極右・反動である政治屋〔たち〕の深層心理(とはいってもその表層:上っ面の気分を意味するだけだが)は,国民・庶民の側からも見逃すことなく,的確に把握しておく必要がある。
安倍晋三の「政治屋である立場」に関していえば,彼の精神構造において本物だといえるような宗教心があると,とてもいえなかった。「嘘つきは安倍晋三の始まり」とまでいわれてしまっていた。
「ウソの,ウソによる,ウソのための」,それも「いまだけ,カネだけ,自分だけ」の為政を得意とした,この国の「内政と外交」を担当してきた安倍晋三は,2012年12月26日に発足させた第2次政権以降,7年と8ヵ月もの長期間,自民党政権を運営してきた結果,
この日本の政治・経済・社会・文化・歴史・伝統などが,一気に悪質化,低劣化させられてしまい,どん底にまで突き落とされた体になった。つまり,安倍の采配は,いわば超特級というほかない「負の貢献」を,国民生活のすみずみまで浸透させてきた。
大手紙のコラムの書き手のなかには,無闇にアベノミクスを褒めそやす提灯持ちもいた。だが,最終的に安倍晋三の為政7年と8ヵ月は,まさしく「日本の経済基盤が破壊されつつ,国家の政体も弱体化させられた」期間としてしか認知されえない。
安倍晋三君のやってきたことといったら,内政はめちゃくちゃ,お土産外交は繁盛していたけれども,その成果がなかったどころか逆効果ばかりが目立っていた。
とりわけロシアのプーチンには,経済開発協力のための援助金をひたすらぼったくられるばかりであった。それでいて,北方領土の1島さえ「絶対に返さない」というロシアの態度(そのように憲法を改正までしていた)を固めさせてしまった。
やはり「裸の〈子どもの王様〉」であり,「初老の小学生・ペテン総理」(『くろねこの短語』命名)=「世襲3代目のお▼カ政治屋」さんには,もとより,一国の最高指導者がなすべき仕事は向いていなかった。
結局,内政も外交も大失敗に終わっていたという “事実の証明” についてならば,確実に材料を提供できたが……。
安倍晋三の丁稚奉公先であるアメリカ国のトランプ大統領に対しては,自分のいい子ぶりを示して褒めてもらいたかったのか,アメリカからは超高額な兵器・武器を爆買いするしか能がなかった。安倍が,アメリカに対してそのための残したツケは,2019年度までですでに5兆円以上もあって,これから月賦ならぬ年賦的なそのリボ(?)払いだけが残された。
補注)2021年10月4日から菅 義偉のあとを襲ってこの国の首相になった岸田文雄は,その安倍晋三の爆買い路線を「倍増させる」ための,「アメリカからの兵器・武器」爆買い路線を,忠実に継承した。なお,安倍晋三と岸田文雄の共通項はともに「世襲3代目の政治屋」であること。
以上のごときに,体たらくぶりに満ち満ちた安倍晋三君の為政(内政と外交)の実績が披露されていた。そのくせ,2020年になって襲来してきたコロナ禍に対する国内での対応ぶりといったら,後進国並みかそれ以下とみなされた不備ばかりがめだっていた。
安倍晋三の親しい・近しい「オトモダチ」たちだとみなされない者たちは,自国民であっても,つまりは「私物化・死物化政治」の蚊帳の外に追いやられてきた。これが,彼の政権下では当然の待遇だとされてきた。
コロナ禍の襲来に対しては2020年5月25日,安倍は「日本モデル」〔的な医療体制の対応のことか(?)〕によって,新型コロナウイルス感染症に勝利することできた,終息させることができたなどと,うっかりともいえない,ひどく見当違いの雄叫びを挙げていた。
だが,事後,長梅雨のせいで7月一杯までは関東地区の場合,低温の時期が続いたのちには,8月になると第2波のコロナ禍が本格的に発生していた。その後も冬にかけては第3波以降の襲来が反復していた。
補注)2023年の12月時点でいうと,後者の新型コロナウイルス感染症の問題はまだ完全に治まっていない。また,アメリカ政府からの兵器・武器の爆買いは,現首相である岸田文雄もそのまま継承してきた。
※-3 要するに「バカをいい,やるのも休み休みにしてほしい」と痛切に感じさせてきた安倍晋三君の為政は,成立の当初と終焉の直後において,「靖国神社に参拝する・しない」という問題で世間を騒がせてきた
この※-3では,つぎの2点の報道を引用して,議論したい。※-2で関説していた対象であるが,こちらでもさらに詮索しつつ,吟味することになる。
1)「安倍首相の靖国参拝に『失望している』,米大使館が声明」『AFP BB NEWS』2013年12月26日 16:01,https://www.afpbb.com/articles/-/3005688
【2013年12月26日 AFP】 安倍晋三(Shinzo Abe)首相が〔2013年12月〕26日午前に靖国神社(Yasukuni Shrine)を参拝したことについて,在日米国大使館は同日午後,「米国は失望している」とする声明を発表した。
安倍首相の参拝から数時間後に発表された声明文には,「日本は大切な同盟国であり友人だ。それでも米国は日本の指導者が日本の近隣諸国との緊張を悪化させる行動を取ったことに失望している」と書かれていた。
また声明文は,「米国は,日本とその近隣諸国が,関係を改善し,地域の平和と安定というわれわれの間で共有されている目標に向けた協力を促進するため,過去からのセンシティブな諸問題を処理する建設的な方法をみいだすことを希望する」「われわれは,安倍首相が過去への反省を表明し,日本が平和に関与していくと再確認したことに注目する」としていた。
これ以降,安倍晋三はアメリカ側の指示に忠実にしたがうほかなくなり,靖国神社に直接参拝に出向くことができなくなっていた。ただしその間は,真榊の奉納という形式をとってその参拝に代わる気持を表現してきた。もっとも,実質でいえばこの奉納は参拝と同意であった。この点は靖国側も基本的に認めている「重要な神道的な意味」があった。
つまり,安倍晋三と靖国神社側は,直接参拝できなくなったこの首相が真榊の奉納という代替の宗教行為を当てて,参拝相当とみなせる国家神道的な含意をもたせることができていた。
ありていにいえば,アメリカ側の指示に対して “あかんべー” (相手に向かって下まぶたを引き下げ,赤い部分を出して侮蔑の意をあらわす身体表現)をし,やり返している気分になれたつもりであった。
昭和天皇,この息子の平成天皇,そしておそらくその孫の令和天皇も今後において,東條英機以下のA級戦犯が合祀されている靖国神社を訪れることはないはずである。
東條英機たちも『死刑囚の〈英霊〉』として祭壇に祀られている靖国神社に,裕仁以後の歴代天皇が親拝にいくといった宗教的な行為は,天皇家のそれも「天皇直系の者たち」にとっては絶対にありえない。
ところが安倍晋三は,いまの時代,この靖国神社:「敗戦神社=賊軍神社」に,それも東條英機らA級戦犯が合祀されていようがいまいが,首相の立場で参拝にいくといった行為じたいが,現代日本史の舞台においてとなれば,腸捻転的な意味の混沌をもちこむかについてすら,まったく無知であった。
だからこそ「国のために尊い命を捧げた旧日帝の兵士たちの〈御霊〉が収められている」と信じこんでいるつもりなって,靖国神社に,勇んで出向くことになっていた。
ところで,靖国神社の現状(一民間宗教法人)としての経営状況はかんばしくなくなっている。その衰退・消滅を危惧する同神社の関係者もいるくらいである。
それはともかく,『朝日新聞』2020年9月19日夕刊6面「社会」には,こういう記事が出ていた。
ここで注意しなければならない点があった。現在は,敗戦神社・賊軍神社になった靖国神社であっても,節目の機会をとらえては参拝にいくという行為は,安倍晋三が「国家神道としての靖国神社」神道を「自国の為政」と同次元でもって,自分の精神内において認識しようとした事実を教えている。「政教分離の原則」など無関係に,その種の宗教行為が実践されていたことになる。
ただし,安倍晋三は自分の靖国神社参拝が国際政治に悪影響を与えるほかない点を,いやいやであってもアメリカ側からいちどきびしく教導された。それに対しては渋々であってもしたがうほかなかった「日本国総理大臣としての自分の立場」は,少なくとも在任中は守るように努力していた。その意味で安倍晋三は,日本の最高指導者として「アメリカへの服属体制関係」を認定・受容しており,これに逆らうことはけっしてしなかった。
だから,首相を辞めてからの2020年9月19日になってからだと,ようやく靖国神社に「参拝できた事実」を,SNSを介して世間に公表していた。とはいっても,この公表の主な相手はもちろん,日本会議など安倍晋三を極右・反動の政治的な立場から支持する人びとや団体・組織に対する報告(実はおもねりだが)を意味していた。
もともと安倍晋三という政治屋においては,どのような宗教であれ,まともな信心そのものを,宗教的な信仰心として抱いていた,とみなせるような確たる行動履歴はみつからなかった。ただ,自分が政治屋としての支持基盤を確保しておく便法としてならば,「靖国神社への参拝という行為」を大いに利用していたに過ぎない。
要するに,安倍晋三は政治「家」として,自分なりに抱くなんらかの政治理念を支えるべき「宗教精神的な基礎」をもちあわせていなかった。靖国神社はその点では,あくまで自分の政治的な立場に都合のよい,つまり役に立つ宗教社会的な組織要因として利用されるに過ぎなかった。
2)「安倍前首相が靖国神社参拝,2013年以来」『AFP BB NEWS』2020年9月19日 16:00,https://www.afpbb.com/articles/-/3305492
さて,2013年からは7年後となってのこの報道は,安倍晋三が首相を辞めてから靖国神社の参拝にいった,という記事であった。安倍晋三は,アメリカ側から下された「靖国にはいくなよ」という指図に忠実したがってきたけれども,いまは首相を辞めた立場であるから,もう自分の意思で靖国にいけることになった。
一国の最高指導者が元・国営だった「敗戦神社・賊軍神社」にいくのに,アメリカの目線を全面的に意識した範囲でしか行動できなかったというのも,実に情けない事情ではないか。ともかくこの『AFP BB NEWS』の報道を引用する。
靖国神社に合祀されている「東條英機らA級戦犯の〈御霊〉」も,その英霊の列にくわわっているのだから,安倍晋三は東京裁判史観に反対だとかいう以前に,大東亜・太平洋戦争じたいに旧大日本帝国が敗北したという事実も認めたくはない。
そもそも,靖国神社は,自社が「賊軍神社にまで変転する運命(旧日帝の敗戦)」など予測・予定など,その戦争が終わる以前までは,まったく考慮していなかった由来・事情をもつ。
かつては,明治政府にとって賊軍とみなされた旧藩の関係者たちは,徹底的に排除され,合祀の対象からは排除してきたのが,この靖国神社である。
ところが,敗戦後における事情の経過は,昭和天皇の立場(命運:サバイバル)と引きかえる条件に利用されていた。それは,東京裁判の結果として絞首刑にされた(「賊軍」とみなされた)「旧日帝軍部の最高指導者たち」の〈御霊〉が,その後になにゆえにだったのか,わざわざそこに「合祀されていた」。
となれば,靖国神社にA級戦犯が合祀されてから(その日付は1978年10月17日だった)というもの,昭和天皇自身がこの神社にいけなくなる,という事情が生まれた。
敗戦後において延命できてきた「日本の天皇の立場そのもの」が「彼ら:A級戦犯の犠牲」を踏み台(交換条件)にして成立していた事実を,ほかの誰よりも彼(裕仁)自身が深く承知していたからには,その踏み台を誰かに蹴飛ばされたりして外されたら,これはたまらない。
しかし,その「たまらない靖国境内の状況」は,なんと靖国神社側の宮司が作り出してくれたのだから,天皇裕仁の気持ちのほうは,とうていやりきれなかった。
敗戦後「占領」史における靖国神社が置かれた位置(地位)は,この神社じたいの国家神道的な存在形態に歴史的な問題(難点)があったとはいえ,そのまま存続を許されたかたちになっていた。
また,A級戦犯とは無縁でありえたかぎりで,ひとまず「〈英霊〉を天皇が慰撫する」ための神社として存在しえてきた。ところが,A級戦犯が合祀されたとたん,この神社は一挙に「戦犯神社」「賊軍神社」となるほかない立場を,より正直に表象させられるハメになった。
靖国神社において昭和天皇が親拝の形式を採り,実質的にそこの祭壇で執りおこなう祭祀は「天皇の立場からかかわるもの」になる。それゆえ,そのA級戦犯に向かい頭を垂れる行為,それも国家神道式の宗教行為を意味するのだとなれば,
この状況は天皇・天皇家にとっては,トンデモナない行為であるどころか,天皇一族全体の立場にとってみれば「国家宗教としての神道関係の〈存在的な全意義〉」が,全面否定される事態となるほかない事態を迎えていた。
以上のごとき天皇・天皇家・一族側の事情(感情や気分にまでかかわる経緯)などおかまいなしに,またくわえて,靖国神社に21世紀のいまどきにあってもしも参拝にいくような行為が,いったいどのような宗教精神的な含蓄を有するのかといった論点すらよく理解できていない安倍晋三が,
それでも,いかにも宗教心が厚いかのように演技してその神社に参拝する風景は,明治以来,国家神道にまで衣替えできたつもりである日本の神道という宗教全体〔の実はその一部分にしかすぎないが〕に対する冒涜になっていた。
古代史において国家神道に相当するものが,なんらかの「原始的な形態」をまとって存在しえていなかったとはいえない。しかし,靖国神社はあくまで〈明治謹製〉であって,敗戦前にまでしか通用しえない,それも国家全体主義のための神道に悪用された施設として,その範囲内での存在価値しかもちえなかった宗教施設である。
※-4 島田裕巳の意見
1)「神社にして神社に非ず,宮司が好き勝手にできる」-「靖国神社・元ナンバー3が告発した『靖国が消える日』」の真意」『現代ビジネス』2017.08.03,https://gendai.ismedia.jp/articles/-/52443?page=3 から
靖国神社は,単立の宗教法人で,神社界の総元締めである神社本庁の傘下にはない。徳川〔康久〕宮司は宮司経験があるが,A級戦犯を合祀したとき〔1975年11月21日〕の松平永芳のように “神職の経験がない人物” が宮司になることが多いのも,それが関係するだろう。名家の一員であるかどうかがひとつの基準になっているように思われる。
そのため,靖国神社の側は,国の意向や神社界の意向をくむことなく,その方針を独自に決定することができる。しかも,靖国神社を支える崇敬奉讃会は,戦争を経験した人間はもちろん,戦没者の遺族さえ少なくなり,その分,発言力を失ってきているようにもみえる。
靖国神社が現在のままなら,首相の参拝も,天皇の参拝もむずかしい。そして,戦争を直接しる人間も消滅し,靖国神社への関心も年々薄れていく可能性がある。安倍首相が退任すれば,それに拍車をかけることになる。
靖国神社の前身,東京招魂社の創建は1869〔明治2〕年のことで,再来〔2019〕年,創立150周年を迎える。これを,靖国神社の将来の姿についてあらためて考えなおす契機にするしかないのではないだろうか。
2)「首相参拝よりはるかに深刻,靖国神社『天皇御親拝ゼロ』の衝撃」『iRONNA』2019/03/18,https://ironna.jp/article/12143?p=3 から
戦前の靖国神社は,内務省や陸軍,海軍両省が共同で管理する国の機関だった。その点で,靖国神社のあり方は国が決定した。しかし,戦後,靖国神社は民間の一宗教法人となった。しかも,その特殊な性格から,神社本庁には包括されなかった。それは,靖国神社のあり方は,神社側が決められるということを意味する。
国の機関であった靖国神社が民間の機関になったことに最大の問題があり,また矛盾がある。靖国神社の国家護持の運動が盛り上がりをみせたとき,それを実現するには「非宗教化」が必要だとされた。内閣法制局も,非宗教化にはなにが必要か,具体的な指針も示した。
靖国神社のことを国民全体で考え,そのうえで将来の方向性を定めるには,あらためて,非宗教化によって国の機関に戻す道を模索する必要もあるのではないだろうか。(引用終わり)
島田裕巳はこのように発言しているが,これは産経新聞社系のネット記事に投稿した内容だからか,奇妙な意見となってもいた。
「靖国神社の国家護持の運動が盛り上がりをみせたとき,それを実現するには『非宗教化』が必要だ」という指摘は,戦前体制における国営の靖国神社が「帝国臣民」に強いた宗教精神として,つまり,けっして非宗教では絶対にありえなかった「国家神道としての靖国神社の〈宗教的な役目〉」を彷彿させる。
国家神道は非宗教なのであり,「国民の道徳・倫理」に関する教えだとして強制してきた,換言すれば,国家的次元における神道宗教を帝国臣民たちに強制してきた「歴史の事実」を,島田裕巳はまさか,いまの時代に再興させろというわけではあるまい。この「非宗教化」の問題を靖国神社に対して想定するのは,宗教学専攻者からの発想とも思えない意見である。
千鳥ヶ淵戦没者墓苑がある。靖国神社を非宗教化したら,その墓苑との区別が可能か? 靖国神社は国家神道の担い手であったからこそ,明治維新以来のその存在意義があったのであり,なんといってもそれ以外に用途はなかった。
1945年8月15日以降は「敗戦神社」になってしまい,しかも,国際政治の次元では「賊軍神社」の位置づけになりはてた。これを東京裁判史観の結果だといって排除しようとしても,地球上に日本国しか存在しないのではないかぎり,無理を叫んでいることにしかならなかった。
靖国神社は本来,敗戦を機に廃社にしておけばよい神社であった。しかし,昭和天皇はそうは考えておらず,できれば心底では必死になってその存続を願い,しかも実現していた。
靖国神社はもともと,帝国日本が海外(東アジア)侵略路線のために「尊い命」を奪われた(失った)臣民たちの魂を収納させておき,その荒ぶった怒りを鎮めるためでなく,現に生ける若者たちを兵士として勇気を抱かせつつ,さらに侵略戦争のために動員させるためのの施設であった。しかし,その侵略戦争は敗戦によって終焉させられた。
結局,その侵略路線は破綻した。だから,靖国神社も,そのために生じてきた犠牲者を祀ろうとする国家神道的な施設として有していた「本来の役目」は,ほとんど果たせなくなっていた。だからまた,その存在はなんといっても,その必要性を根本から喪失したと判断されていい。
ところが,1945年までの侵略戦争がもたらしてきた「負の成果」である「臣民たちの犠牲者」--実質では「尊い命」などとはけっしてあつかわれなくなった者たち--の「神道的な概念で表現される〈御霊〉というもの」は,表面的には手厚く収納する国家神道的な宗教施設であった靖国神社が,それじたいとして完全に不要になっていたのではなかった。ともかく,敗戦後もそのまま,一民間宗教法人としてだが,この靖国神社は存置されてきた。
安倍晋三は首相を「退任した報告」を,いわば246万余柱の戦争犠牲者が合祀されるというその靖国神社に参拝しておこなったというのである。だが,この前首相は戦争犠牲者だけを有権者であるとみなして拝むためにその神社に出向いたのか?
「生きている・自分を首相にしてくれたはずの国民たち」よりも,九段下の「敗戦した賊軍用の幽霊神社」に合祀されている〈英霊〉たちのほうが,よほど大事だったとみうける。以上は,遺族会の存在はさておきの話題である。
『朝日新聞』2020年9月19日朝刊24面「読書」で本田由紀が,「『あの日』はどう語られてきたか」という題目を付した文章のなかで,安倍晋三に関連してつぎのように語っていた。
〔2020年8月の〕平和式典における前首相のやる気のないスピーチである。国際政治のなかで宙づりにされ,フクシマの事故を経てなお原子力の脅威から目を背けようとする,欺瞞の言葉,形骸化した祈念がそこにはある。
補注)靖国神社に英霊として合祀されている戦争犠牲者にしても,広島・長崎に投下された原爆で殺された市民たちにしでも,「尊い命」を奪われた事実に違いはなにもない。日本の兵士は戦わずしてその尊い命をうしなった者:餓死者が6割もいたと分析されてもいる。(なお,その比率は4割ほどだったと混ぜっ返した秦 郁彦のごとき官製派の学究もいたが,6割が4割だったとしても,旧日本軍の本質理解に変質が生じる事由にはなるまい)
そのようにして死んでいった兵士たちも,靖国神社は〈英霊〉として合祀しているけれども,原爆で爆死した市民たちとは〈戦争の過程のなかで死んだ・殺された〉という1点に関して,なんら違いはない。
英霊となった兵士たちの御霊だけが「尊い命」をもつとはいえない。誰もがその尊い命はもっている。靖国神社の,そうした選別の論理に悪乗りした「21世紀における督戦:好戦」を意欲する安倍晋三は,軍国主義者,それも無知蒙昧なその信奉者であった。
この前首相は「戦後レジームからの脱却」を盛んに口にしていたが,その時代錯誤性が「対米服属路線」に組みふせられていながらの主張であっただけに,まったく実質をともなわない「口だけ・いまだけ・ウソだけ」の提唱にとどまっていた。在日米軍基地などは,戦前においては,国内にはひとつもなかったはずが……。
敗戦直後の昭和天皇は,旧・大日本帝国軍の代わりに在日米軍が自分を守ってくれることになって,日本国内の「戦後的な軍事秩序」を甘受せざるをえない政治意識のほうに,自分の気持を即座に適応させ転換していた。その変わり身の早さはみごとであった。
それなのに,安倍晋三は「戦後レジームからの脱却」などと,21世紀になっていても,詮ない標語をかかげていた。いまの自衛隊3軍は実質,アメリカ軍の傭兵であり,しかもただ働きさせられるだけの軍隊組織になりつつある。昭和天皇が生きていたら,なんというか? 喜ぶか? それとも,昭和20年代史に抱くことになった本望だといってくれるか?
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