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北朝鮮による「日本人拉致問題」は解決に向かう展望が期待できるか(?)安倍晋三政権時は「ヤルヤル詐欺」同然の対応ばかりで「拉致問題の政治悪用」に終始した実状はいまもなんら変わりなし(その2)

 ※-1 この「その(2)」で前記しておくべき関連事項

 本ブログ内ではだいぶ前になるが,つぎの2つ記述を連続ものとして公表してあった。その意図したところは,この標題どおりであった。これらの記述を踏まえてもらえれば,本日のこの記述はきっとより理解してもらいやすくなるものと確信している。

 ◆-1「北朝鮮拉致問題(1)- 蓮池 薫は拉致加害者でもあったのか」2023年5月30日,https://note.com/brainy_turntable/n/nc044c90f3a0f

 ◆-2「北朝鮮拉致問題(2)-蓮池 透の問題認識が変化した事情など」2023年5月31日,https://note.com/brainy_turntable/n/nadb33fa3abdc

 また,本稿(本日のこの記述)の前編となる「その1」のリンク先住所は,こちらである。


 いうまでもないが,蓮池 薫の実兄の氏名は蓮池 透であるが,この人も北朝鮮による日本人拉致被害者の肉親としてたいそう苦労をさせられてきたすえ,弟の薫が妻と子どもたちとともに日本に帰還できた事情もからんでいたが,その後,「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」事務局長の立場から去っていた。

 蓮池 透(1955年1月3日生まれ)に関してはウィキペディアに要領よくまとめられた関連する事情の経過が記述されている。要は,透の実弟:薫(1957年9月29日生まれ)がさきに日本に帰国できた点にかかわっていたが,家族連絡会のなかにおいて透の占める位置づけが顕著に変質した。

和田春樹は後段の記述に登場する

 ウィキペディアの解説からは,透が,月刊誌『世界』2008年7月号のなかで,拉致問題をめぐって,つぎのように語っていた点のみ紹介しておく。項目にして列記しておく。

 ▼-1 日本政府は少なくとも4度,北朝鮮を騙した。

 ▼-2 地村(保志)さんは「国交がないことが拉致の背景にある」という。

 ▼-3 国交正常化には拉致解決が先だとは思わない。それは一方的な主張。

 ▼-4 圧力だけでは拉致問題の解決は不可能であり,対話を併用すべき。 
 
 ▼-5 拉致問題により,狭いナショナリズムが醸成された。

 ▼-6 日本は植民地時代のことなど,歴史教育がよくされていない。

 ▼-7 過去の清算を怠ってきた日本政府の責任で弟(蓮池 薫)は拉致されたという論理も,なりたつかもしれない。

 ▼-8 弟は「歴史の闇に葬り去られたことはいっぱいある」といっている。

 ▼-9 過去の清算をきちんとして朝鮮のほうが納得するようにやったらどうかといいたい。

 ▼-10 以前,横田(滋)さんの訪朝を止めたことについて謝罪したい。ウンギョンちゃんに会いに行っていただきたい。

蓮池透の見解

 以上の10項目のうち▼-10はひとまずのぞき,あとの9項目は,少なくとも過去の歴史を踏まえて,「北朝鮮による日本人拉致問題」の解決をめざすべき諸要件に言及していた。

 とくに「▼-8」の「弟は『歴史の闇に葬り去られたことはいっぱいある』といっている。」と語った兄の指摘は,

 前段に挙げておいた本ブログ内の,別の記述「北朝鮮拉致問題(1)(2)」,2023年5月30日・31日でとりあげ議論してみた話題と,密に関係があっただけでなく,さらには

 「薫の北朝鮮抑留期間」が,1978年7月31日,のちに北朝鮮で妻となる祐木子と海岸でデート中に北朝鮮工作員によって拉致されてから,2002年10月15日に帰国できるまでの24年と3ヵ月近くもの長い間,かの地で囚われの身に置かれた事実そのものに関しても,たいそう深い関係があった。

 さて,冒頭に挙げてみた本ブログ内の別のその記述「(1)(2)」は,四半世紀もの長期間,北朝鮮に抑留されていた蓮池 薫の,その居留中の人生模様に関してとなっていたが,

 その間において実は,薫が日本に「入国しており」「なんらかの活動に従事していた」「姿」に,実際に遭遇させられたという「亀井邦彦」の存在をとりあげた書物が,第三書館から公刊されていたこの本であった。

 この本,古川利明『〈さるぐつわ〉の祖国』の副題には,「北朝鮮拉致被害者たちはなぜ日本で『何もしゃべれない』のか?」と疑問を提示する文句が付けられていたが,これを即座に全面否定することはできない。

 こういうことであった。なんとその間,日本に「入国していて活動していた蓮池 薫」に,しかも亀井邦彦という人物が誘拐されそうな目(←拉致目的があったらしく,薫以外に北朝鮮の工作員らしき数名の人物も同道していたと説明されている)に遭った出来事を,同書は解説していた。

右側頁の人物が亀井邦彦

 この古川利明『〈さるぐつわ〉の祖国』第三書館,2011年9月は,以下の諸項目を中心に論じた本であった。

 ●-1 彼らは日本政府にも「家族会」にも「救う会」にも真実を語っていない。

 ●-2 横田めぐみ「拉致完了」の暗号無線を傍受していた日本の公安警察

 ●-3 「蓮池 薫は私を拉致しに北から来た」と証言の愛知県元小学校教員。

 ●-4 「金 大中拉致は角栄が “殺さぬ” という前提で事前了承」と韓国高官。

 ●-5 「北で起きたことを話すと,残留被害者が戻れない」は本当なのか?

古川利明『〈さるぐつわ〉の祖国』の指摘

 したがって,同書の宣伝文句どおりに受け売りするとしたら,「拉致問題タブーに挑戦,万人の疑問を解明する話題の1冊!」だということになる。

 この古川利明の本の論旨は,前段に紹介した蓮池 透が『世界』2008年7月の記事のなかで話していた10項目のうち,▼-8の「弟は『歴史の闇に葬り去られたことはいっぱいある』といっている」点にかかわらせて考えおくべき問題を示唆していた。

 実は,薫自身にかかわる重大な問題がそこには控えているゆえ,たとえ自分が死んだあとになっても絶対に話題になってほしくない,つまり,絶対的にその種の関心が世間において浮上することなどあってほしくない,という具合に指摘したらよいような特定の秘密が,まったくないとはいえない。

 その点(多分,事実であるはずの点)は,兄の透が日本に生きて帰れた直後からしばらくの間,弟の薫が保持していた精神状況をめぐって「兄弟間の葛藤:論争」となったのが,20歳のときから四半世紀もの長期間,北朝鮮という生き地獄なかで薫が生き抜いてきたからこそ,

 自分なりの工夫と努力で習得してきた「人生語録」ならぬ,非常に「辛い思いを重ねつつ習得した生存維持策(サバイバル術)」が,その「『洗脳』されつつもかつ能動的に『学習』してきた結果であった」ならば,自分の頭脳細胞のなかに意図的に刷りこんできた「北朝鮮生活」の濃厚な残滓は「日本帰国後に過ごしていった日常生活の過程」のなかで,即座に解消できるわけがなかった。

 その点は兄の透がだいぶ時間をかけてだが,弟の脳細胞のなかで解凍状態になっていた北朝鮮風の政治意識に特有であった「認識体系の土台部分」を解融させていくことになった。だが,この事実に関しては透が当時,その困難さについて言及していた。

 なお,薫といっしょに帰国できた「地村保志・富貴恵夫妻」は,韓国語(朝鮮語)の語感もあるので日本語で表現すると誤解が生じる余地を完全には塞げないが,北朝鮮で暮らしていたとき,近くでいっしょに暮らしたことがある蓮池 薫のことを「先生」と呼んでいた。これはおそらく,前段に触れた薫の脳細胞のなかで発生していた「北朝鮮現象のありよう:結果」にも深く関係していたと,勘ぐることも可能であった。

 ともかく薫は北朝鮮在留中に徹底的に朝鮮語を学習し,日本に帰国後は大学で朝鮮語の教授・講義を担当できるくらいの能力を着けた。同時に韓国語の著作を日本語に翻訳する作業もできる能力も備えるまでになっていた。北朝鮮にいたときはそれこそ,「生き抜くためにこそ懸命にその勉強をしてきたもの」と推察する。

 北朝鮮による日本人拉致問題は関しては,蓮池 透が「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」の事務局長を務めていたけれども,実弟の薫が帰国できた関係もあってその後,同会とはしだいに齟齬を来す経緯が生まれていた。ウィキペディアの解説を参照すると,そのあたりは,つぎのように説明している。

 蓮池 透(1955年1月3日新潟県柏崎市に生まれる)は,新潟県立柏崎高等学校を経て東京理科大学工学部電気工学科を卒業した1977年,東京電力に入社。2002年,日本原燃出向し,同社燃料製造部副部長として核廃棄物再処理(MOX燃料)プロジェクトを担当。2006年,東京電力原子燃料サイクル部部長(サイクル技術担当)となり,2009年夏に退社。

 透は,北朝鮮による日本人拉致問題について初めのころは,「拉致は国家テロ」であり,「北朝鮮への経済制裁をおこなえ」「これは戦争ですよ。アメリカならそうするでしょう」といった発言を繰り返していた。

 また,制裁要請のために横田 滋・早紀江夫妻とともに渡米するなど強硬派と目されていたが,2003年暮ころから,以前に比べて柔軟な発言が目立つようになった。翌年の第2次訪朝を機に,家族会や北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)の主流派との間で考えの違いが顕著となり,その年4月には,事務局長から外れる。

 2008年以降は,北朝鮮への「圧力」に重きを置く路線の効果に疑問を呈し,政府間の直接交渉による帰国実現を主張し,北朝鮮との「対話」に重きを置く路線に理解を示している。

 以上のごときに透なりにたどってきた,北朝鮮による日本人拉致問題に対する基本姿勢の変質は,当初,拉致被害者の家族たちの1人であった強引な立場から,この拉致事件をみつめる角度を順次変容させていかざるをえなかった事情を反映させていた。

 透の場合はほかの拉致被害者の家族たちとは異なり,弟の薫が一番に帰国できていた経緯も絡んではいたものの,時間の経過とともに,とくにこの薫が北朝鮮で四半世紀も生きていくためであったとはいえ,ほぼ完全にといってほど「洗脳されていた事実」とも闘いぬくほかない立場に置かれていた。

 その事実は,ほかにも帰国できた拉致被害者たちに対してはもちろんのこと,一般には口に出すことじたいが憚れる性質であったから,その意味で特殊な状況のなかに置かれてきた立場からして,北朝鮮による日本人拉致問題をみつめる視点に映ったこの「国際政治的な事件の本質」を考えていかざるをえない立場に逢着した,という具合にとらえることもできる。

 もちろん,北朝鮮抑留中に多分,ほぼ完全に近い洗脳状態に追いこまれた弟の頭脳を解凍するためだったから,非常な苦労と困惑を覚えたはずの透であったと推察する。

 また,当時においてはすでに「朝鮮事情の事件屋」として典型的な人物であった佐藤勝巳などに,いいように引きまわされる状態になっていた「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」事務局長の立場から,のちに退くことになったのは,ある意味で必然の結果だったかもしれない。

 

 ※-2 最近における拉致問題の動向など

 1)『毎日新聞』2024年9月28日朝刊コラム「余禄」が指摘した,いまだに「安倍晋三的に」ダメな自民党政権に,はたして「拉致被害者の家族たち」の希望・期待はかなえられるか?

 この「余禄」を引用する前に,「北朝鮮拉致被害者蓮池 薫さん 帰国21年 “最後のタイミング”」だという見出しで報道していた,いまから1年前の『NHK NEWS WEB』2023年10月15日 5時04分,https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231015/k10014225631000.html は,もうすぐ首相ではなくなる岸田文雄に関連させてだったが,こう報じていた。

 岸田総理大臣が日朝首脳会談を実現させるため,みずからが直轄するハイレベル協議を始めたいという考えを示していることに触れ,「米朝の状況が動きそうもないなかで,日本が独自に北朝鮮と進めるしかないと覚悟をもたれたのだと思うし,そういった動きに出たことは幸いだと思う。

 いまこそ,拉致問題の解決や進展のために,日本が具体的にどういうことができるかを,どんどん北朝鮮の指導者に刷りこんでいく重要なタイミングだ。親御さんが存命の間に帰国させるという期限は日本にとっても大事だが,北朝鮮にとっても解決の最後のタイミングだ」と述べ,日本政府の具体的な取り組みと世論の後押しを求めました。

「北朝鮮拉致被害者蓮池 薫さん 帰国21年 “最後のタイミング”」

 しかし,この報道の内容はかなり手前味噌というか,主観を先走りさせた語感を剥き出しにしていた。拉致被害者たちの「親御さんが存命の間に帰国させるという期限は日本にとっても大事だが,北朝鮮にとっても解決の最後のタイミングだ」と,このニュースを介して伝えられた意見は,実は蓮池 薫の発言であった。

 薫はそもそも「北朝鮮側が『拉致問題は解決済み』だとする姿勢を崩すことはありえない」といったごとき,しかも既成事実に近い認識事項をまさか薫がしらないとは思えない。薫自身がいま(2023年10月の時点)となってだが,このように焦点をぼかした発言をしていたことは,正直いって理解に苦しむ。

 さてつぎに,上に『毎日新聞』余禄を紙面(画面)で紹介する。このなかに「安倍氏的なもの」という表現があったが,これについては,つぎの蓮池 透の「本の題名」が,なんといってもまず参考になる。

簡単にいっておくが,日本国内の「政治の舞台」では,有権者の好感度を高める好材料としてならば,「北朝鮮による日本人拉致問題」は大いに有効に利用されつづけてきた。

「安倍氏的なもの」になにかよいものがあったか?

つぎの「参考文献の紹介」は「アマゾン通販」を借りているが

蓮池透が披露してきた拉致問題の議論については
この本のなかにあれこれ書かれている
 

 だから,つぎには,こちらも新聞紙から切り抜いた画像資料として紹介するものだが,拉致被害者の家族たちの立場にせよ,この問題に同情してきた一般庶民の立場にせよ,結局は「政治の利害」にしたがい,いいように利用(悪用?)されつづけてきた一点にこそ,北朝鮮による拉致問題の「真価」ないしは「骨頂」があったといえなくはない。

この種の記事は21世紀中
ともかくずっと同工異曲のかたちで
反復して報道されてきた
「ブルーリボンバッチ」は確かにファッションであった


 そもそも「アベの外交」という文句は「皮肉満載の世界」における,彼個人のための「催事」として進行してきただけであった。つまり,彼のためのお遊戯会の一幕として利用されてきたに過ぎなかった。

 国民たちが切実に感じているはずの「政治次元におけるもろもろの必要」から観るに,もとより,先方様とはまともな接点すらたぐりえなかったのが,つまり「アベ的に悪用されつづけてきた拉致問題」の悲しい帰結。

 岸田文雄も首相在任中に北朝鮮との接触に努力はしたらしいが,なにせこの「世襲3代目の政治屋」にできることといったら,上着に付ける「ブルーリボンバッチ」を正しい位置に定めて着けることぐらいであった。

 新首相になる予定の石破 茂も2世の世襲議員であったが,どこまで軍事オタクのこの人物が本領を発揮するかは,これからの「お楽しみ的な不安要因」でしかありえない。ともかく,岸田文雄が日本政治における不安要因であった事実だけはなくなるので,これだけは当面,せめてもの救い。

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