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『主戦場』2019年という映画に関連した従軍慰安婦問題の議論(その1)

※-1 2019年6月23日-安倍晋三がまだ首相在任時-

 従軍慰安婦問題に関する映画『主戦場』が2019年4月に封切られてから2ヵ月が経ったころ,実際にこの作品を観賞した人たちの感想をあれこれ聞きながら,この「旧大日本帝国軍」が付設していた従軍慰安婦問題を,今日的に再考することにしたい。本日の記述は「本稿(その1)」となる。

 最初に,2018年に製作されたこの映画『主戦場』 “SHUSENJO:The Main Battleground of The Comfort Women Issue” については,以下にひととおりの説明をしておく。

日系アメリカ人で漢字表記は「出崎 幹」か?

  監 督   ミキ・デザキ
  上映日   2019年4月20日,上映時間:122分
  製作国   アメリカ・日本・韓国
  ジャンル  ドキュメンタリー
  脚 本   ミキ・デザキ

 以下の記述は「『主戦場』に投稿されたネタバレ・内容・結末」(の紹介)という体裁を借りて,この映画実際に鑑賞した人たちが寄せた感想を紹介しつつ,これをめぐりさらなる議論を進める形式とになる。

 とくに,引用されるホームページは,https://filmarks.com/movies/83222/spoiler? であったが,現時点(2024年6月17日)となってみれば,このリンク先からただちには,以下に引照・紹介する文面が検索し(探し)にくい状態にある点を断わったうえで,記述をおこなうことになる。

 その https://filmarks.com/movies/83222/spoiler は,https://filmarks.com/movies/83222/spoiler?page=4 まで頁があったが,現時点ではその付近の関連する事情は委細かまわず,内容本位にきちんとそのまま引用する形式で参照していくことになる。

 以下に長々と数回の記述に分けて紹介していく。本ブログ筆者は,この作品『主戦場』を自身も劇場にいって鑑賞したうえで,これらの感想を読みなおしてみたことも断わっておく。

 

 ※-2 この記述内容をどのように理解・把握してもらうか?

 そこで,冒頭から本ブログ筆者なりに “先入観的な感想” を開陳する。従軍慰安婦問題のとりあつかいについていえば,つぎのような色分けがあえてだが,対比的に指摘できる。

 「左側(革新ないしはリベラル側)」の関係者たちは,なるべく事実の追究にもとづいて発言しようとする努力が観てとれるのに対して,「右側(保守ないしは国粋側)」の人士たちのいいぶんは,一様に,ただこの『美しく国』にあっては従軍慰安婦に関する「歴史の問題」など,けっして存在してはいけない〔するはずもない〕ものだと決めつけたい心情:思いこみを,正直に表出させていた。

 第2次大戦後になってからは,アメリカであっても韓国であっても,あちらこちらの戦争・戦場において,旧日本軍の慰安所に似た施設をもっていたではないかという「右側からの反論」は,特殊・具体的に強調できる歴史問題の実例であったが,それをあえて普遍・抽象の次元にまで引きずりこんでから,この問題の意味を可能なかぎり希薄化させようと必死の議論を試みている。

 補注)上で太字にした文字部分は,東京都知事の小池百合子が,関東大震災で虐殺された朝鮮人(最大数では6661人と調査・報告されていた)の犠牲者も,地震そのものやその後発生した2次的な犠牲者(日本人が大多数)も同じに犠牲者であるからとくに分別して対応する必要はないと答えた「屁理屈」と瓜二つである。

 小池百合子のリクツ展開は,論理学的な集合論理解において基礎的な誤謬を犯していた。そして社会学的な認識基盤においては,ゴマカシとすりかえを強行していた。詭弁と屁理屈の使い手としては一流であったこの東京都知事であっても,まともに整合性ある弁論を展開できる人物ではなかった。

 片やできるだけ歴史研究の成果・業績を武器に論じようとするが,片やもっぱら自分たちの理念・信条をもってのみ対峙(単なる対面だが)するのであるから,その議論がはじめから噛みあうわけもなく,後者は前者に圧倒的に位負けしていた。双方の立ち位置からして,またその研究内容の実績からして顕著に,根本的に「質的な重み」に差があった。

 補注)従軍慰安婦問題に関しては林 博史が最近公刊してきた著作が,もっとも説得力ある学術的な解明をおこなっている。「アマゾン通販」でとなるが途中でつぎの2冊を紹介しておきたい。

 本ブログ筆者はこうした林 博史の学術研究成果に関してとなると,従軍慰安婦問題の否定派がまともにとりあげ,真っ向から批判して論破しようと反論する発言を聞いたことがない。否定派の立場が学術的に関連する研究成果などみたくも聞きたくもなかったことだけは,確実に指摘できる。それはとても素朴な心情であった。

 とくに極右右側(ネトウヨ的な)陣営において隠しようのなかったその議論の粗雑さは,結局「歴史の判断」に耐えうる素性・組成を初めからそなえていなかった。それゆえ,問題の全体について発言するさいの彼らは,闇雲的かつ問答無用的にも一般論風の言論(屁理屈なのだが)で否定しつそうとする。その議論の方途は論理的であるよりも感情的に先走っている。

 反対派いわく,「日本人は間違ったことはちゃんと謝る」--『主戦場』が展開させる映像どおりにしたがった文句ではなく,その文意を汲みとって表現--が,某国(他国)の連中はそうではないのだといった具合に,相対的な違いでしかありえない相互間の「不確かな差」をもちだし,しかも絶対話法で語る「彼らの話法」は,信頼度の面からして最初から不信感を抱かせていた。

 相手との議論が真正面からまともに成立できたうえで,双方の対話が出発させえているのではなかった。一方からは,初めから否定するために話しているとなれば,この否定の立場が相手側の発言をのっけから完全に無視するといった,不毛の話しあいになるのは自然ななりゆきであった。

 しかもそれは,『バベルの塔』内に設けられていたごとき「彼らの専用階段」を上り下りするだけの作法になっていた。歴史観・世界観の差異をたがいに認めあって話しあうのではなく,まず相手をみくだすことを主眼とする右側(単細胞的ネトウヨの思考回路)の基本的な姿勢は,初めから,不毛を約束されたかのような「非生産的な雰囲気」を濃厚に漂わせていた。

 以下に『主戦場』に感想として投稿された文章・意見,ただし前段に紹介した個所から,当時〔2019年6月段階〕において参照しえたそのすべて紹介していき,必要な個所には本ブログ筆者の寸評も添える。

 なお,引用の順番は,直近の事項から振りはじめることしておいた。前段にも断わったが,★の付いた番号の感想(これは※-3の冒頭からの3件だけだが,登場させる順番は3⇒2⇒1と逆順)は,その後に新しくさらに投稿された感想であって,そのように順次冒頭にかかげる形式にしてある。


 ※-3 ミキ・デザキ監督『主戦場』2018年は日本の観衆からどのように評価されたか

 ★-3 pariparichiken 2019/06/24 00:33

 否定派と肯定派がバチバチにやりあってるなかでの,「日本を否定されたように感じるから慰安婦問題を否定した」と発した日砂恵・ケネディ氏が出てくるタイミングが絶妙。

 多くの日本人がこの発言に自分を重ねたように思う。これによって,ボコボコに殴りあうリングを場外で鑑賞する側から,急にリングに審判として引っ張り出されたように感じた。

 審判として場内に入ってからの教科書,報道などの身近な場所で政治的統制がかかっている問題からの,締めの怒涛の差別発言,自動記述マシーンおじさんこと加瀬英明氏をもってくるのは,鑑賞者に現在の政治に懐疑心をもたせるのに完璧なプロセス。

 あらためて文字だけではなく,映像にすることによって表情・声・視線・話す速度がくわわり,生々しく本音と建前が分かりやすく出ていてドキュメンタリー作品の楽しみ方を学べた。

櫻井よしこ女史

 他の否定者がどんどんボロを出しながら喋るなかで櫻井よしこ氏のガードの高さが笑い所。(でも笑えない) 2時間ずっと思考が止まらなくて,でもこの作業はあらためて政治をみるなかで大切なことだと気づきました。

 補注)櫻井よしこは時期的に判断するに当時はまだ,従軍慰安婦問題に関連する裁判の被告になっていたせいで,そう簡単には軽々に「自分のいいたいこと」を発言できない立場にあった。関係の日付は,つぎのように註記しておく。

 なお,『植村裁判資料室』https://sites.google.com/site/uemuraarchives/bouchou1 は,櫻井よしこを被告の1人にした裁判であるが,裁判が開始された時期に関しては【東京地裁 2015年4月27日】,そのホームページ(ブログ)における直近の報告については,「最終更新日 2019年5月14日」などと記していた。

 補注)現在となっては前段の補注1はわかりにくくなっているゆえ,ここではつぎの関連する文献を挙げておき,できれば参照を薦めたい。

 〔記事(感想)に戻る ↓ 〕
 ★-2 納豆まみれ 2019/06/23 21:26

 ドスンと衝撃を喰らうドキュメンタリーだった。従軍慰安婦という,センシティブなテーマを否定派,肯定派両者のインタビューをしっかりとり,組み立てられた映画だ。中立として撮られてはないが,否定派のインタビューにもしっかり時間を割りいる。

 映画は肯定派の意見を交えながら,否定派の意見に真摯に反証をおこなっていくんだけど,否定派の意見が結論ありきの証拠探しで出てきた脆いものが多い印象を受けた。

 なによりも否定派の発言には,過剰な日本美化や人種差別,女性差別は入りまじり,隠そうとすらしない人物もいて,こっちの人間の側にはいきたくないなと素直に思う。

杉田水脈

この国会議員はその後も日本国内の少数民族を
露骨に差別する発言を重ねている

こういう人物:差別主義者がなんら罰せられることもなく
大手を振ってまだ歩いている日本はまさに「差別の国」

 しかし,この映画の終盤に語られる安倍政権下で否定派の意見が尊重され,教育の現場から慰安婦等の戦時下の醜悪なおこないが消されていく過程はぞっとするものだった。もう慰安婦問題をほとんどしらない世代が親になってきている時代になっている。

 このままでは,日本は “美しい国” どころか周辺国からの評判を下げる一方だろう。

 ただ,この映画で1番インパクトを残すのは否定派,日本会議などをつなぐ元締めのような立場の爺さん。「私は人の書いた本は読まないんですよね」といい放ち,考証をいっさいおこなってないだろう自説を主張する。

差別意識の濃厚な人たちの面々

 あまりの反知性っぷりに度肝を抜かれた。いまの日本の現状がいかにヤバイことになっているか思いしらされた。

 補注)いささか大げさないい方になるが,安倍晋三の為政(内政・外交)の基本は「従軍慰安婦問題」の否定に観取できた。

 北朝鮮との国交回復ができないのは,拉致問題あるからではなく,この問題を前面に出して喧伝しまくり,国民たちの政治意識(感情)をたぶらかす政治手法しか採れなかった “安倍の限界” にその基本原因があった。

 例のブルーリボンバッチを上着につけている国会議員などが大勢,まだいつづけているが,北朝鮮側の政治的な感性などまったく理解できない「感覚の鈍さ」を象徴したその着用であった。これで北朝鮮との外交などそもそもまともに成立させうるわけがなかった。

 対米従属国家体制(いうところの『美しい国』?)に向かいみずから進んでいただけでなく,自国兵士(自衛隊3軍)の生命すらアメリカの〔当時の大統領〕トランプに捧げる気持を,「米国のためにこそ生きている忠犬」ではないかと思わせるほど馬鹿正直に表現していたのが,安倍晋三の第2次政権が正直に露呈させてきた為政全般であった。

 ミキ・デザキの今回における映画作品『主戦場』は,従軍慰安婦問題をとりあげたこの作品によって,日本国民の潜在意識に隠されていた安倍晋三的なモノをあぶりだし,徹底的に批判することによって,こちら側における危険な因子を派生的であったが,明確に引っぱり出したといえる。

 ★-1 tonzura 2019/06/22 19:37

 映画備忘録(不定期) 映画「主戦場」を観た。日本が戦時中に韓国や中国,フィリピンやインドネシアなどの女性を強制的に日本軍兵士達の “慰安婦” として性奴隷にしていた事実に対するさまざまな人たちの主張や認識を映し出した作品。

 とにかく,情報量がすごい。自分に都合の良いものだけを真実と呼び,都合の悪い事実をなかったことにする。「日本会議」に連なる “論客” たちの浅はかさがきわ立つ。恐ろしくもある。なにせ,その主張や思想をもつのがいまの安倍政権であるのだから。

 あったことをなかったことにする。いまの政権の得意技。そして,それは他者にも強制される。とくに教育とメディアへの介入があからさま。ここ数年で,その圧力はますます高まっている。順調にその介入がシステムとして構築されている事実が映画には映し出されている。

 人権意識は皆無の歴史修正主義者は,その思想的醜さにまったく気づいていない。映像の力を感じさせてくれるドキュメンタリーでした。これがゆくゆく地上波で流れたらいいのになぁ。あるわけないか…。

 1 ムラサキ 2019/06/21 00:06

 慰安婦問題は肯定派と否定派の人権感覚の差が出てるなと思う。否定派側の有識者として招かれてた著名人が,平気な顔をして 「人の本は読まない」「国家は過ちを認めてはならない」「第2次世界大戦でアメリカに勝利した」などいってたのには,乾いた笑いが出た。もっとましな人はいなかったのか疑問だったが,中枢にいる人たちがこれだから,いなさそうにも感じる

 2 しらす丸 2019/06/20 22:35

 編集の面白さよ。中立? そんなものは初めから期待すべきではない。さまざまなインタビューをどのようにみせるかで,ストーリーがミステリーがメッセージが浮かび上がる。ゾクゾクする絶望。どう考えたって狂っている。

 元ナショナリストにインタビューできたのが大きいんじゃないか。右派だの左派だのは関係なく「被害者を侮辱するな」ってことじゃないか,1番いわなきゃいけないことは。狂っているこの国は主戦場。どう戦えばいい?

 3 白 2019/06/19 00:08

 「後日感想」 自分で少し調べて,映画のことを再考してみた。

 1点目に,本作において論争は必らずしも公平に扱われてはいない。いわゆる慰安婦問題に強制性や性奴隷性があると主張する側は,歴史学者や政治法学の専門家らであるのに対して,極端で醜悪な否定的主張をする右派論壇側に学問の専門家はいない。こうした点で対等な論争構造にはなっていないことが分かる。

 2点目に,用語の意味や強制性などについての定義が共有されていない一方的な進行である。結局,両者はすれ違ったまま対立を終わらせ,結論は明確に完了せず,観る者には印象ばかりが残るだろう。

 補注)この指摘は適切だと思われる。ただし,『主戦場』という映画が制作された企図や経緯に対して無理強いをしている。このような感想で出る程度に “制約:特徴のある映画” としてありのままに仕上がっていれば,それはそれでよしであった。そして,この特性に即して鑑賞・評価すればさらによし,ではなかったか。

〔記事(感想)に戻る→〕 全体的に右派論壇の極端な主張の否定に留まっているものの,学術的な反論や正義を自称する両者の傲慢な部分についてしれるのは楽しい。ただやはり原因解明的ではない。「彼ら / 彼女ら」がなぜかくも明白に語りうるのかについてしりたかった。

 そしてふと思ったのだが「歴史修正」という言葉じたいを悪者扱いする必要はないと感じる。新しい史料や証拠が出たら歴史的記述を修正するのは当然では? 私たちが忌避するべきなのは「歴史捏造主義」だろう。自分が信じたい歴史だけを信じることが愚かなように,(上記の意味で学術的な)歴史の修正を忌避することも愚かだと思う。

 補注)この人に関しては,さきに「歴史の否定」があっての「修正と捏造」である点を,あらためてもっと意識してほしいところではなかったか。しかも,比較・考量しにくい同士の議論・対決であった。

 その否定が修正や捏造と意図的に同居させれている事情さえも,当該問題の中心部に介入してこざるをえない背景となっていた。それゆえ,この種の事情・背景も当然に関連する要因として,配慮しておく余地はあった。

 櫻井よしこは「私は Revisionist(修正主義者)ではありません」,「私が歴史を都合のいいように書きかえているとは全然思っていません」と強調していた。

 だが,元日本軍「慰安婦」証言記事を「捏造」と断じて,植村 隆・元『朝日新聞』記者から名誉毀損で訴えられた訴訟に関連させていうと,彼女はもともとジャーナリストの立場から従軍慰安婦問題をすなおに認める立場から報道した「過去」をもっていた。こうなると,いささか話の筋がねじれてこざるをえなかった。

この本の副題は「1991~1994」
ダイヤモンド社,1994年発行

櫻井よしこは従軍慰安婦問題を「オカシナこと」と
把握していた

 というのは,櫻井よしこが自分の立場のことを毅然と「Revisionist(修正主義者)ではありません」とか「私が歴史を都合のいいように書きかえているとは全然思っていません」といったのは,それなりに基本の立場においては間違えていながらも,なお表面的にはそれなりに筋が通っていないわけではなかった。すなわち,彼女なりにただ「歴史の解釈を修正(訂正したか,ないしは転向)させただけだ」と,いえなくはなかったのである。

 要は,櫻井よしこの「歴史の理解」に関する観察力・洞察力には不可避の絶対的な不足あるいは意図的な歪曲などがあって,以前は従軍慰安婦問題を「認めたことになるほかない言論活動をしていた」にもかかわらず,その後においてはそれを全面的に否定する方向に「思想・立場・方針など」を180度,変更していた。

 そうなったのであれば,それはそれで彼女がかかえていた「従軍慰安婦問題に関する歴史理解」の不十分さ・不徹底さが,あらためて反省されるべき材料として提示されていた点を明示した。しかし,この彼女自身における『転向問題』はどこかへ収納されてしまい,隠蔽状態になっていた。

 つまり,いまではその問題を忘却「箱」に放りこまれている事実は,彼女が健忘症でないかぎり,自身が一番よく承知する「人生行路のある地点に打刻された矛盾」であって,前掲した著作『櫻井よしこが取材する』1994年についていえば,この本をすべて焚書にでも措置しておかねば,その矛盾はいつになっても指摘されつづける余地を残している。

 いずれにせよ,櫻井よしこは「自分の立場に関して変更があったその事実」について,その後はともかく「都合のいいように」,すっかりほっかむりだけを決めこんでいた。それでいて櫻井は,自分を「Revisionist(修正主義者)ではない」といいはっていたとなれば,この人はもとより信頼に値しない。

 換言すると要は,「自説の立場が修正された事実を隠してきた」元ジャーナリストであって,しかも「融通:自己修正を正直に語れない,いってみればズルイ言論人」であったことになる。

 以上のごとき「櫻井よしこに関する議論」のありようについては,2世紀に跨がった二枚舌遣い,すなわち,かつてのリベラル的なニュースキャスターが,いまではネトウヨ風に国粋・保守・反動陣営のただのアイドル・オバさん」になりはてていた事実を,格別に強調しておく必要だけが残った。

 そうした批判点についてここでは,肝心な個所だけを指摘しておく。

 櫻井よしこは,1992年7月18日号の『週刊時事』時事通信社(発行)で,つぎのように書いていた。

 東京地方裁判所には,元従軍慰安婦だったという韓国人女性らが,補償を求めて訴えを起こした。強制的に旧日本軍に徴用されたという彼女らの生々しい訴えは,人間としても同性としても,心からの同情なしには聞けないものだ。

 売春という行為を戦時下の国策のひとつにして,戦地にまで組織的に女性達を連れていった日本政府の姿勢は,言語道断,恥ずべきであるが,背景にはそのような政策を支持する世論があった。とすれば,責任を痛感すべきは,むしろ,私たち1人ひとりである。

『週刊時事』1992年7月18日号

〔ここで再度,記事(感想)に戻る→〕 それにしても映画もやっぱり「メディア」なんだね。この恐ろしいまでの求心力に視る人はどれだけ自覚的でいられるだろうか。アルチュセールのイデオロギー装置としてのメディア。

 補注)アルチュセール(Louis Althusser,1918~1990)とはフランスの哲学者で,マルクス主義理論を構造主義的にとらえなおし,斬新な理論構築を企てた人物と説明されている。

 以上までで「3 白 2019/06/19 00:08」の引用は,いったん中断し,その残り部分と,さらに「4」以降からの引用は,※-4に移動させている。

 

 ※-4「当日の感想」- 〔政治〕色に囚われて二項対立的な議論に陥りがちな話題としての従軍慰安婦問題-

〔※-3から続く→〕 物事は「右は間違っている,ならば左のいっていることはすべて正しい」といったふうに,けっして単色では表わせない。数字やみずからの正義理念に足元を掬われて,グラデーション〔段々模様・縞模様〕の存在を皆忘れている。

 自称評論家やワイドショーがあまりにも馬鹿馬鹿しくみえるのは,彼ら・彼女らが弁証法を心がけていないからだ。そして映画やテレビというメディアに心を奪われ,思考停止寸前に立たされているのは,この映画を観る私たちである。

 しょせん,大衆なのだという自認の欠如は,言論に行動が先立つ反知性主義を生む。メディアを消費することによってしか語ることができない人びとは,この映画を観てもなお居丈高でいるだろう。それではダメだったんだと,この映画は叫んでいる。〔※-3からの続きはここで終わり〕

 補注)この映画『主戦場』のなかで,このように「それではダメだったんだと」いわれているのは,もっぱら右側(保守・反動)の側だったと解釈してよい。

 4 D 2019/06/15 19:18

 この映画でさえ情報の偏りはある。問題の本質は誰が間違ってるとか正しいとかではなく,本当の史実はどうだったかでもなく,なにもしらないことだ。これは政治の問題でもあるし,教育の問題でもあるという意見に反対しないが,それよりも個人の問題であると考えるのが大事なんだと思う。1人1人の考える力が大事なんだと思う。なにも考えない人には否定派の人たちを笑うことさえも許されない。

 5 よこやま 2019/06/14 23:40

 インタビューの背景が,右派は黒や会議室,強い照明が使われているのに対し,左派は本棚や賞状(?)なのが,意見の論理性を操作している感あった。話の作りも右派の主張に対して左派が論破する構造で,監督の主張がそこに現われていると思った。

 右派の人達に流れる差別意識に困惑する。「LGBTは生産性がない」発言の杉田水脈は昔からずっとそういう人なんだなと思ったし,国会での麻生太郎はほぼ寝てる。(編集の仕業かもだけど)

 映画も教科書みたいに国家で規制かかっちゃったらどうしようとか心配になった。

 6 いけだ 2019/06/13 17:10

 どちらが正しいとかはいっさい書くつもりにならないけど,主張と論拠が整理されていて観やすい映画だった。自分の考え方をひとつもつために観ておきたい作品。ただ右派は皆極端な考え方の人ばかり出していて,違和感ある。

 これ(というかドキュメンタリー)をみて分かった気になったり,自分は誘導されてないと思ったりするのは危なすぎる。取材や検証,撮影,編集を経たらどうしても作者の主観的な要素が入ってしまうから,ドキュメンタリーに完全に客観的な部分もノンフィクションな部分もない,てことは留めておきたい。

 7 Kanta 2019/06/12 21:14

 原 一男の『ゆきゆきて,神軍』を明らかに意識した,バチバチにキマッたオープニングから始まり,日本人こそがアジアの神といわんばかりに傲慢で無知な発言を繰り返す右寄りのおっさんの語りで幕が降りる。

奥崎謙三『ヤマザキ,天皇を撃て!』二月書房,1974年がある

 なにが良くてなにが悪いか,正しいか悪いかは置いといて,というか,自分自身それを語るだけの器量も知識もないから語れないんだけど,あんな馬鹿げた発言を世界に向けて発信してしまった人たちがこの国を動かしていることに恥ずかしくなった。

 補注)本ブログ内で関連する記述は,つぎのものがあった。主題のみ挙げておく。リンクも張ってある。2015年01月25日「昭和天皇-奥崎謙三-靖国神社」。

 8 みさと 2019/06/09 18:28

 やっっばい〔やばい〕)。意外にも若い人がたくさん観にきてた。某生産性の議員や,黒幕さんインタビューのとこで劇場内クスクス笑い起きてて,でも彼らは大真面目なんだわな。

 その辺のホラーより怖い!! プロパガンダ映画かどうかは全編みたうえで判断すると良いかもです,,,!!

 最後の方で「なんでみんな慰安婦に関心もつんですか? 一種の〇〇的関心だと思うんですよね」の言葉が,鑑賞以降たまにフラッシュバックして泣いてしまう。

 最後に,「数字のデカさや悲惨にところにばかり気をとられて足元救われるなよ」って肯定派への助言が良かった。

 もはや右とか左とかじゃない。日本 vs 韓国じゃない。人権があるかないかなんだな。という感想。

 95歳もと少年兵の人の「天皇と聞いただけで背筋が伸びる,上官の命令は絶対」「あのころの日本は女の人格なんて認められてなかった」という言葉が重い。

 すごいものを観た。胸糞発言を大スクリーンで浴びまくる胃もたれ,必須ムービー!

 9 マリちゃん 2019/06/07 10:43

 慰安婦問題を題材に,歴史修正主義の説明を介して,政権の向かう方向を明快に描いた痛快作!

 10 ミ ハ 2019/06/05 23:40

 吉祥寺アップリンクの青いトンネルを抜けながら,心がすっと落ち着いて,じわじわと頭のチャンネルが切り替わる。たいていはいつも,映画本編がはじまって導入の映像からアナログ式にゆっくりと映画世界へ入りこんでいくのだ,が,今回は違う。はじまるとすぐスイッチオン・Youtube の再生スイッチをすでに押したかのようにミキ・デザキのナレーションが流れ出す。

 韓国における慰安婦問題について,さまざまな論客や関係者にインタビューするこの映画。あたかも彼ら同士がディベートするふうな緊張感ある映像づくりと編集により映し出されるのは,右派,リベラルを超えた 顔 顔 顔 とその声。情報量と速いテンポ感によりつぎつぎと展開されるこの映像を,単なる映像ではなく映画たらしめているのは彼らの表情だ。

 慰安婦にまつわる議論の食い違いに注目し,真相に迫るインタビューの流れは,デザキ〔監督〕のスタンスを示すとともに,観客が最初から感情的にならないようにうまくしかけられている。しかし会場でも終盤になると,いくつかの発言には思わず苦笑いが漏れ聞こえてくる。

 実際,こんなふうに映画として編集されていなければ,こんなに落ちついた気持で彼らの言葉にゆっくりと耳を傾け,その表情をみつめることなんでできないだろう。貴重な経験だった。だって単純にその人たちの言葉の端に怒ることだけでは,もうつぎにはつながらないことは明白じゃないか。映画でもそういっている。

 国際的報道では,第2次世界大戦にて日本が韓国でおこなったことは「20万人の女性を強制的に性奴隷とした」ことがスタンダードである。それぞれの論客が,「奴隷」や「強制連行」という単語の解釈,「20万」という数字の根拠についておのおの意見を述べるシーンは核心をつく。

 「奴隷」状態とは,女を縄で縛って牢屋にぶちこむことではなく,女に休暇を与えたとしてもその自由意志を奪い精神的あるいは肉体的に従属させることである(こう思うと奴隷状態とはすぐに起こりうることである)。

 「強制」連行というのは,無理やり力づくによるものだけでなく,国際法上,詐欺や甘言も含む。さらに,「20万」という数字の根拠は不確かであるのにかかわらず,人権団体などはその単純な数の多さから好んで用いるようだ。言葉も数字も,1人歩きさせればいくら主張してもそれだけで,なんの議論にもならない。

 たとえ意見の立場が違っても,こういった態度を同じようにとることが往々にしてある。言葉という事実そのものをこえた「態度」に,その人のいいたいことがある。それは自分がいいたいことを通すための主張なのか? なにをみすえてその人は,主張しているのか? これは逆もいえる。なにをしりたくて私は,その人の言葉に耳を傾けるのだろうか?

 『主戦場』の最後では,被害者の言葉で締められる。これまでニュースの点と点が,人物の表情をみせていくことで線になっていく映画だった。これからのニュースの点を結んでいくのに,確実に土台となるだろう。逆にいえば,これからのニュースの点を負わなければ〔←追わなければ?〕ほとんど意味がない。

 個人的に気になったのは,慰安婦像の問題だ。本編では,最後さらっと肯定されていたが,わたしには,慰安婦像には,なにか英雄的記念碑像としての強さのような雰囲気を感じて違和感が少し残る。

 もちろん,慰安婦像によってその事実を周知し,考えることは大切だ。だけど,この違和感はなんだろう。卒論で書いたマリノ・マリーニからも続く彫刻というテーマにおいて,このことについて考えながら読書を進めたい。

 最後に印象的だった当時日本兵であった松本さんの言葉を。「終戦までの日本は,女性の人権はなかった。おかしいといわれても事実そうだった。」(※「原文註記」→ 原文ママではないと思います)

 対立的な議論が多く検証されてきたなかで,この言葉が飛びぬけて目立っていた。それまでの論客による議論があったから重みがあったともいえる。この発言は,日本を韓国と置きかえることもできる。東アジアにおける儒教的家父長制が今回の問題と深く関係することが本編でも示唆されているように。そしてきっと世界をみれば,アジアだけのお話じゃないだろう。

 当時,日本兵もそういう社会に生きていたし,女性もそういう社会に生きていた。問題は複雑だ。そして,わたしがこの社会に生きていることはやっぱり必然的ではないし,わたしの状態も必然ではない。だからこそ,ようやくいろんなことが認められはじめた社会で生きるからには,やることはたくさんある。

 11 Reo 2019/06/04 00:10

 最終的な主張があるとはいえ,限られた時間のなかである程度は両論に真摯に向きあっていた気はするし,もちろん切りとられてはいるだろうけど,2時間ですべてをしった気になろうという方が傲慢なので,これは慰安婦論争の現在地をしるうえで貴重な資料なんだと思います。

 それにしても “保守” をかかげて現われるのが,こういう人たちっていうのが保守側の致命的に良くないところなんじゃないか。

 12 Xxxzzy 2019/06/03 21:24

 おもしろかたー! オノ・ヨーコのいとこやばすぎいい〔ヤバすぎる〕。95歳のおじいちゃんしっかりしすぎいい〔しっかりしすぎている〕。安定の日本会議と岸〔信介〕の孫安倍すぎいい〔すごい〕。日本の問題,ここに帰結しすぎいい。ほんと日本出ようかなという気持が高まりますね。1億円もらっても性奴隷は性奴隷という言葉響いた。

 13 つるぎたけし 2019/06/01 08:11

 2019年6月1日〈ほとり座にて鑑賞〉 たびたび報道される慰安婦問題を題材にしたドキュメンタリーだが,日韓それぞれの視点にくわえ,さまざまな立場からの歴史検証にもとづく証言をみれるのはおもしろい。

 しかし,映画作品である以上は,監督による演出で個性がみてとれるのは当然だとしても,監督みずからがナレーションをおこない,編集も自分でおこなった「監督の自分が思う主張はこうです!」という押しつけな部分を感じてしまうのは,いただけないと思った

 主義一貫としていない発言を聞いていたり,まったく的外れに感じる主張をみている分には十分面白いし,あまりしらなかった一面を伝えている点は素晴らしいと思う。今後,いままでの印象とは異なった見方になりうる某ジャーナリストとか,政治家とか,不利益と思える人びとからの糾弾も辞さない〔ひるまない?〕作り手の心意気には敬意を表したい

 14 shurin 2019/05/29 23:32

 サンフランシスコと大阪市が慰安婦像の設置をめぐり,姉妹都市連携を解消した問題…,徴用工が日本に補償金を迫っている問題…,日本人的には蒸し返したくない問題が噴出し,右じゃなくても日本を擁護したくなっていたこの時期に,この映画を観れたことは幸運だった。

 日本や韓国の若者たちへの街頭インタビューは多少編集されてはいるだろうが,日本の慰安婦に対する歴史認識は甘い。私も平和記念資料館などではみたが,中高の教科書でしっかり学んだ記憶はない気がする。それは本編の新しい教科書をつくる会の話にもつながってくるのだが…。

 1965年に精算したじゃん,って私も思ってたんだけど,日本が慰安婦問題を認めたのは1992年で明らかに矛盾が生じているっていうのはしらなかった。でもやっぱり,ここからどうするかっていうのは,また別問題…。

 補注)「〈私の履歴書〉石原信雄 22,PKO協力法 自衛隊の海外派遣に道 天皇の訪中,初めて実現」(『日本経済新聞』2019年6月23日朝刊)でたまたま,石原は1992年当時における従軍慰安婦問題関連の事情を,つぎのように語っている。ここで石原が語った中身は,今回の作品『主戦場』なかにも「録音された音声」をもって紹介されている。

 外交を重視する宮沢〔喜一〕内閣は中国,韓国と関係改善を進めた。天安門事件で孤立していた中国とは天皇陛下の訪中が浮上していた。1992年4月,江 沢民総書記が来日し正式に招請。自民党では藤尾正行元文部大臣ら保守派が朝貢外交だと反発していた。総理は「中国の要請を握りつぶしたら悔いが残る」と考えていた。  

 宮内庁からは「政府が決めるなら将来のためによいことだ」という陛下のご意向が伝わってきた。総理の指示で私は福田赳夫先生を訪ね,派閥の子分だった藤尾さんを抑えてもらった。10月,初の天皇訪中が実現する。最初は表情に硬さのあった中国の人たちが両陛下の人柄に触れるにつれ,心から歓迎するようになったのが伝わってきた。  

 韓国には従軍慰安婦問題で悩まされた。総理は1992年1月の訪韓で謝罪したが,韓国は「強制性を認めていない」と納得しない。慰安所設置などに軍が関与した通達は残るが,慰安婦の募集については民間業者に任せ「強制」を裏づける資料はない*)。そこで元慰安婦に聞き取り調査をし,その心証をもとに出したのが「河野談話」である。

 補注)以上のうち*)のくだりは,根拠のない発言であった。従軍慰安婦問題に関する初歩的な理解に関して不足があった。

 談話の原案は外政審議室が作成し,河野官房長官が強制のあった印象を強めるよう筆を入れた。たとえば「本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり,さらに,官憲等が直接これに加担したこともあった」とのくだりの「数多く」などだ。河野官房長官は総理に代わり,この問題を収束させようと最後まで心を配っていた。

 左派が「2000万人の被害者」とか誇張して民衆を煽るのも違うし,日本に都合のいい箇所しか採用せずにナショナリズムを掲揚して人びとを洗脳するのも違うのは明らかなのに,なんで気がつけないんだろう…。

 補注)この「2000万人の被害者」(左派のいいぶん?)という数字は,第2次大戦(大東亜戦争,広くはアジア・太平洋戦争)の期間における戦争犠牲者(死者たち)のことか? この数字を誇張だとか形容して非難するほうが,実は「煽り運転」にも似た,つまり扇動的な発言でしかありえない。

 つぎの図表を参照しておく。

日本は兵士と民間人で310万人の犠牲者を出した

 徴用工の問題にしても私が読んでいる新聞は,日本は韓国に対して確固とした態度をとるべきだ派だけど,そういう問題じゃないんだなぁと思ったよ…。

 安部さんなぁ…。岸 信介なぁ…。友達と政治の話とかしないから周りの人がどう思ってるのか分かんないんだけど(それじたいかなり問題だと思ってるんだけど),正直,この映画を観て初めて反アベの気持が分かった…。

 いままで本気で考えてもわからなくて,でも周りの大人はみんな反アベで,わからない自分が嫌で泣いてたんだけど,岸 信介までしっかり遡ればその体質が浮き彫りになるんだね…。

 補注)その後,こういう事実も安倍晋三君に関してはバレていた。

下段真ん中のマスク姿の男が安倍晋三を銃撃したとされる山上徹也

 ま~,ちょっとトランプを手厚くもてなしすぎだよね。私もそう思ったらデモでもすればいいのにね。しないのよ。そして気づいたら手遅れかもしれないね。本編に出てきた女性で,昔は右派だったけど思想が転回した方の言葉,「日本の過ちに気がついたら敵がいなくなって,自由になった」が印象的だった。

 私が小さいころから慰安婦問題のニュースは絶えなくて,それこそラスボスの「なんでそんなに興味をもつの」なんて思ってたけど,映像のパワーはすごいね。すんごいバカそうだったもんね。無知だったことは否めなくて,でももうしれたので,明日から世の中の見方を変えられそうです。多くの若者に観てほしい。

 15 もこぴよ 2019/05/29 14:38

 ドキュメンタリー映画としては,すごくテンポ感が良くて,編集も秀逸だと思った。おもしろい! 無知ながら興味はあって,それをいろんな立場・見解の論客の話に聞いて,個人的には修正派のそれぞれの意見が非論理的にしか思えなかった,,。

 イライラしたし,呆れて思わず笑ってしまったし,一般的にざっと聞いて筋が通っていそうな話し方をするけど,内容がペラペラだと感じた。そして,なによりそれに対しての恐ろしさを感じた。

 レビューで「ブラック・クランズマン」との共通点に触れている方がいらっしゃり,私も同じようなことを感じた瞬間があった。正直なところどうすべきなのか,いまこの作品を観ただけの私には分からない。

 補注)「ブラック・クランズマン」とは,別の映画の題名である(劇場公開日 2019年3月22日)。黒人刑事が白人至上主義団体「KKK(クー・クラックス・クラン)」に潜入捜査した実話をつづったノンフィクション小説を,「マルコムX」のスパイク・リー監督が映画化した作品。

 でも,確実に興味をもつきっかけとして心を動かされたのは事実。同世代の人たちにも観て欲しいな。(引用・紹介終わり)

 以上の『新戦場』を鑑賞した人たちの感想であった。これらを通読して感じられる核心は,日本側の,日本人たちがあまりにも従軍慰安婦問題という「歴史の事実」をしらなさすぎたという点にみいだせる。

 日本の教育体系においては近現代史をまともに教えたがらない。旧大日本帝国時代の歴史内容は,故安倍晋三風にとらえれば「戦後レジームからの脱却」をとげて,再び取りもどすべきそれであったはずだが,まるで歴史の歯車を逆回転させたかった晋三は,むしろ対米従属国家体制をより完全にするための役割しか果たせなかった。

 安倍晋三は従軍慰安婦問題を蛇蝎のように嫌った。だから,2014年の夏ごろからは,朝日新聞社をその問題を材料に悪用し,猛攻撃していた。だが,安倍自身は,前掲した山上徹也が登場していた図解からも分かるように,その戦後レジームのなかに,なんとがんじがらめになっていた。

 安倍晋三が祖父の代からの伝統として,統一教会の文 鮮明やその妻の韓 鶴子と仲良し,友誼の間柄にあったという歴史的な事実は,従軍慰安婦問題の「歴史的な事実」を,まずもって否定などできるはずもない立場を意味していたゆえ,安倍の言動は支離滅裂どころか,ハチャメチャも無限大的に広がるほかない様相を呈していた。

 岸 信介という祖父の衣鉢を継いだかのようなこの「世襲3代目の政治屋」安倍晋三の基本的立場は,ある意味(別様の含意)でみるに,まさに亡国への招待人であり,あるいは,国賊の範疇から1歩も出ることがなかった「世襲3代目の政治屋」でしかありえなかった。

 安倍晋三亡きあとすでに2年近くが経つ現時点になっている。安倍晋三の第2次政権が幕を閉じたのは2020年9月16日であったが,その後にこの国がたどっていた道程は,いよいよ亡国=滅国へと加速しつつあるかのような時代の流れになっている。

 安倍晋三とは同じ「世襲3代目の政治屋」である岸田文雄の為政もまた,国民・市民・庶民たちが望む政治・経済の路線とはかけ離れており,まさしく「異次元の愚政」を進行させてきた。

 現状における日本政治:自民党体制のなかでは,従軍慰安婦問題など,まともに処理できる方途は永久に開削できない。北朝鮮との国交回復? 岸田文雄君よ,冗談はもっと早起きしてから少しだけなら口に出してもいいが,しょせん,君には無理難題……。

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【未 完】 「本稿(1)」はここで終わるが,次稿「本稿(2)」はつぎのリンク先・住所となる。

  ⇒ https://note.com/brainy_turntable/n/n2521e6580eae

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