安倍晋三第2次政権がこの日本を徹底的に破壊してきた惨状,2015年ころにまで回帰して再考する(前編)
※-1 本記述の目的はこの「美しいはずの大日本国」を徹底的にぶっ壊してしまい,結局ダメしただけの安倍晋三君を,10年前:2015年前後を問題の結節時期とみなし議論する
a) いまは亡き人となっているが,「世襲政治屋3世」であった安倍晋三君は,2010年代に7年と8ヶ月もの長期間,それも明治以来の総理大臣として最長を誇るその経歴をもつことになった。
この安倍晋三君がその第1次と第2次の政権担当者となって,自分のその仕事に就いていた任期は,それぞれ2006年9月26日~2007年9月26日と2012年12月26日~2020年9月16日という長さであったから,たいそう長い期間にわたっていた。
けれども,21世紀の2010年代において彼が残した「政治屋としての業績:結果⇒負の遺産」は,これを現在において総括するとなれば,まるで「衰退途上国」を造るために存在していた「世襲政治屋3世」であった姿として以外,どうにも描きようがないものであった。
そのように,他者の立場からはひどく揶揄されたり,あるいは当然の顛末(なりゆき)だひややかに酷評されたりする彼の政治屋としての生き方は,そのいずれだったしてもそれぞれなりに,この国を決定的に「ドウシヨウモナク」転落させてきた。
安倍晋三君が2020年9月16日,ようやく日本の首相の座を降りるさい,その辞職をする理由にもちだした「自身の病気」に関しては,つぎのように,もっともな批判だとみなされてよい指摘が提示されていた。
安倍晋三が実際に首相を辞めてから1年も経ったあとに,それゆえか,このような,けっして「ゲスの勘ぐり」ではない,ほぼ的確と受けとられる指摘が町山智浩からなされていた。なお町山は在米日本人の編集者で,映画評論家・コラムニストを仕事とする人物である。
要するに,この「世襲政治屋3世」は,自分の職分(国家最高指導者の地位であるはずの首相の立場)を辞去するさい,まるでその地位を弊履のあつかいでもしたかのように,つまり一気にかなぐり捨てたかのようなそぶりをみせた。総理大臣という地位から突如,唐突に去る(逃げる?)という,トンデモ以前の不躾・無礼(国民たちに対したその不埒な演技)を平然と犯していた。
事情通の専門家に解説させる。昨年(2024年)中,日本の政治社会を大騒ぎさせてきた「政治パーティ券・裏金」問題が,当時,検察当局から摘発される可能性大になったらしい雰囲気を,当時(2020年内)までにはすでに感づいていた安倍晋三側が「ボク,そうりだいじん,もう辞めるから,その件は事件化させないでね」という合図を,明確に発信させておくためだったからだといわれる。
b) 安倍晋三に対する大学時代の恩師がいったことには・・・。
『天木直人のブログ』があったが,本日の時点において,SNSの世界からすでに削除されていた。このブログは,元外交官であった天木直人が退官後,書き連ねてきたが,いまから「9年半ほど前」の記述としてつぎに引用する文章があった。これを引用する。
註記)その『天木直人のブログ』のリンク先住所は,http://天木直人.com/2016/05/13/post-4530/ 13May2016 であった。本ブログ筆者はこの天木直人がブログに書いてきた文章は一時期,そのすべてを複写・保存していたことを思いだしながら,以下を紹介する。
日本一きびしく,的確な安倍批判をみつけた。安倍首相に対する批判や罵詈雑言は数々ある。私も安倍批判においてはいいたい放題,書きたい放題だ。しかし,これほどきびしく,なおかつ,的確な安倍批判は,あとにもさきにもないだろう。そう私が思う,いわば「日本一の安倍批判」をみつけたので紹介したい。まず黙ってつぎの文章をお読みいただきたい。
〔以下からの引用は( ↓ )枠から出して進める〕
これほどきびしく,それでいて,罵詈雑言ではなく,これほど的確な批判があるだろうか。しかもこの批判をした人物はただの批判者ではない。大学の名誉教授である。しかもただの名誉教授ではない。
安倍首相の政治思想史の恩師である加藤 節・成蹊大学名誉教授なのだ。
恩師からこのような批判を受けるようでは,もはや安倍首相は,まともな神経の持ち主なら,日本の首相にとどまるわけにはいかないだろう。いくら野党が不在でやりたい放題出来るとしても,首相にとどまることじたいが恥だ。
それにしても,このような批判を,身分を明かして公言した加藤節名誉教授の勇気はすごい。今日(5月13日)発売の『週刊フライデー』(〔2016年〕5月27日号)は国民必読である。(引照終わり)
その『週刊フライデー』の該当号の記事はいますぐにはみつからないので,その代わりに『毎日新聞』からつぎの記事を参照することにした。
c)「〈特集ワイド〉この国はどこへ これだけは言いたい 安倍首相 “恩師” 成蹊大名誉教授・加藤節さん・75歳」『毎日新聞』2020年3月31日夕刊,https://mainichi.jp/articles/20200331/dde/012/040/038000c から
★「緊急事態」は国民の権利の危機 ★
東京・吉祥寺郊外の緑豊かなキャンパスに、春の風が吹いていた。だが,白いマスク姿で現れた成蹊大名誉教授(政治哲学)加藤 節さん(75歳)の表情は晴れない。
同大出身の “教え子” 安倍晋三首相が,新型コロナウイルスの感染拡大を防ごうと,全国の小中高校に一斉休校を求めた対応に,警戒感をあらわにする。
「この措置が改憲に向けた『実験』の可能性もある。緊急事態を宣言したら国民はどう動くのかを確かめるためのね」
その疑念を裏付けるかのように,新型コロナ対策と改憲論を結び付けた自民党重鎮の発言が続いた。伊吹文明元衆院議長は「緊急事態の一つの例。憲法改正の大きな実験台と考えた方がいい」と語り,物議を醸した。
ヒトラーは1933年,国会議事堂放火事件を共産主義者の仕業と決めつけ,政敵の共産党国会議員を一斉逮捕。国家防衛を口実に国民の基本的人権を停止する「大統領令」を出させ,表現の自由や議会の多様性を奪い,ホロコースト(ユダヤ人らの大量虐殺)につながった。
今回は特措法だが,〔2020年3月〕26日には同法に基づき政府対策本部を設置。首相が国会承認なしに「緊急事態宣言」を出せる。「後講釈での批判とか不安をあおる発言はできるだけバラエティー番組も含めて自粛すべきだ」とけん制したのは先の伊吹氏だった。
加藤さんは「国民の生命が危殆に瀕し,不安が高まるなか,真実を伝える報道の役割は非常に重要です。国民は黙っていろといわんばかりの対応はどうか」と憤る。
それにしても,だ。安倍首相が成蹊大法学部政治学科に在学した当時、必修科目「政治学史」講義を担当した加藤さんは “恩師” であるはず。にもかかわらず,まるで遠慮のない論評ではないか。
「恩師の南原繁先生から『学者は分析だけしていてはダメだよ。宣言しないと』といわれた言葉を鮮明に覚えています。どんなに精緻な議論をしても批判的精神が宿らなければ政治学は意味をなさない。政治学とは権力とどう距離をとるかによってしかばるたない学問なのです」
さてここで紹介してみたいのがつぎの画像である。この画像の出所には不明な点があると指摘されているが,それでも,ここに書かれている安倍晋三「像」の基本特性指摘は的中していた。
d)「安倍晋三について後藤田正晴が言った言葉!」『半歩前へ』2018年7月5日,13:30,http://85280384.at.webry.info/201807/article_45.html から
こんな情報がネット上に氾濫している〔していた!〕 岸 信介は戦前の官僚。のちに甘粕正彦と組んで,帝国陸軍が中国東北部を植民地にし,そこに建設した傀儡国家「満州国」を牛耳った男だ。
岸 信介は,東条英機内閣の商工大臣を務めた軍国主義者。A級戦犯として逮捕されたが,米国の ”操り人形” になることを条件に釈放された。その孫が安倍晋三である。
甘粕正彦は陸軍憲兵大尉の時に,無政府主義者の大杉栄らを殺害したことで知られている。世にいう甘粕事件である。その後,甘粕は突然,日本を離れて満州に渡り,関東軍の特務工作を陣頭指揮。その時,岸としりあい意気投合。いわく因縁の「闇のつながり」である。
後藤田正晴は内務官僚だが長年,岸信介を垣間見て来ただけに,本性をしりつくしている。その人物が岸 信介の「汚れ,ただれた血」を語ったというのだから,まんざらデマでもなかろう。私はさもありなん,と思う。
安倍晋三の血も涙もない「国民に冷たい政治」は,〔首相在任中〕6月の沖縄の慰霊の日や8月の広島,長崎での平和記念式典でのあいさつを聞けば一目瞭然だ。人びとの琴線に触れる文言など,どこにも見当たらない。
不戦の誓いを削除し,爺さんの岸 信介が果たせなかった「改憲の実現」に邁進するのが安倍晋三だ。(引用・終わり)
以上の『半歩前へ』と名乗ったブログの書いていた前段のごとき文章は,今日・現在ではそのブログサイトじたいがなくなっているので,じかには参照できない。
ただ,後藤田正晴が前段で「安倍晋三を難詰・批判した文言」が「事実であったかどうか」については,疑問を呈する人がいないわけではないけれども,その中身が事実である以上に「真実を突いていた」点は否定のしようがない「事実」として認定できた。
ともかく,2025年にもなった現時点である。安倍晋三「研究」関連の著作はたくさん公刊されており,この「世襲政治屋3世のボンボン」がそのように批評的に描写されてき事実は,まっとうな見解として,そのまま・ありのままに受容できる。
以上ここまでは,本日,2025年1月2日に記述した段落となる。ここからほぼ10年前に既述であった文章(しかも一度,改訂していたそれ)を復活・再掲させる体裁で,以下に連結する内容となる。なお,以下の再述では補正や加筆もなされている。
※-2 安倍晋三は「日本をとり戻す」と叫んでいたはずだ,はて,いったいなにをそうしたいと力んでいたのか?
以下に記述していく文章はたまたまであるが,2015年の1月2日に書かれていた。もとの記録による同時の午前8時45分ちょうどに公表されていた。そのときにこの文章に付けられていた副題の文句は,つぎにようにクダクダしく断わっていた。
〔※ 断わり〕 本稿のもともとといえば,2013年7月17日に記述されていた。それを2025年1月2日に転載するに当たっては,補正と加筆をおこなっていた。画像については削除や交換もなされている。
さらに,その記述から1年半近くが経過した2015年1月2日の改訂においては,上記【副題】象は,2014年12月14日に実施された衆議院解散総選挙においても,自民党と公明党とで3分の2の圧倒的多数の議席を獲得したために,その文句はますます現実的な様相を呈してきていた。
※-3「〈2013 参院選〉日本の現在地:-木村三浩-」
木村三浩(きむら・みつひろ;1956年生まれ)は,1981年「反米愛国・自主独立」をかかげた新右翼「統一戦線義勇軍」を結成し,2000年からこの議長を務めている人物である。
著書として,『憂国論-新パトリオティズムの展開-』彩流社,2007年,『「男気」とは何か-軟弱なる時代に学ぶべきこと-』宝島社,2007年などがある。
以下にまず最初に紹介するのは,本日〔2013年7月16日〕の『朝日新聞』朝刊「オピニオン」欄に登場した,この木村三浩に対するインタビュー記事からである。
最近まで,右翼の立場から「正義」を,左翼の立場から「公正」を追求してきた2人〔ここで,もう1人登場するは太田昌国だが,本日はとりあげない〕はともに,この日本社会の現状に呆然とさせられていた。でも,誰かのせいにはしない。自分の責任として引き受け,考えつづける2人に聞いた「日本の現在地」
この2人が呆然とする日本社会の政治指導者は,いうまでもなく安倍晋三である。この首相,みたところ,絶好調であり,調子に乗っているようにも感じられる。さて「一水会」代表木村三浩は,現状の,いったいなにを憂いているのか?
1) お手軽な愛国主義に席巻され
「和をもって貴しとなす」。これこそが日本の伝統であり,私たち右翼がめざしてきた日本のあるべき姿です。国や民族や文化や考えが違っても,相手を尊重するのが「大和」の国,日本です。しかし,どうですか,いまの日本は。
嫌韓国,嫌中国を語ることで〈日本人の劣化〉から目を背け,みせかけの自信をえようとしています。お手軽で,非歴史的で検証に耐えない。日本は右傾化したといわれていますが,民族派右翼である私はむしろ,暗然たる気持でこの社会をみています。
ソ連崩壊と,それに伴う左翼の失墜にあぐらをかいてしまっているのではないでしょうか。左翼とは理想を語る人たちです。その理想は強力でしたから,私たちも彼らに対抗できるようマルクスやエンゲルスを読んで勉強したし,彼らと議論することによって,みずからの思想を深めました。
しかし,日本の左翼思想は外来であるがゆえに脆弱で効力を失い,それに伴い右翼も理想を語らなくなった。代わりに出て来たのが,他人をさげすんでみずからを慰撫する,夜郎自大なお手軽ナショナリズムです。
2)「惰性の米国追従」
戦後自民党はもともと,反共産主義,つまり理想ではなく「反」に立脚した政党だと考えた方がいいと思います。アメリカの要請,時代の要請だったのでその是非を問うてもしかたありませんが,少なくとも冷戦終結後は,「反」を超えて,世界のなかでどういう日本をめざすのか自分の頭で考えなければならなかった。
ところが結局,アメリカについていけばいいんだという惰性に流れてしまいました。損か得か,ごく短い時間軸でしか物事を考えられない定見を欠いた国。それが,いまの日本です。
「アメリカと仲良くすることが日本の国益につながる」という政治家や官僚の言説がまかり通っていますが,国益は,目先の損得とはまったく違う次元で構想されるべきでしょう。
大国の陰に隠れてものをいうような国が,他国から尊敬されるはずがありません。決定的だったのは,イラク戦争への加担です。真っ先に開戦を支持し,協力した。
そこには日本独自の判断なんかみじんもないし,その判断が妥当だったかの検証すらいまだにおこなわれていません。こんな現状を放置したまま憲法を改正したら,集団的自衛権の旗印のもと,アメリカの下請けとして,どこまでも引きずられていくことになる。ゆえに現時点では,憲法改正には反対せざるをえません。
補注)2015年度において安保関連法案が国会を通過,成立したが,この事実経過は,アベノミクスとアベノポリティックスのうち,とくに後者の両域にかかわって,それまでは定まっていて国家路線が,あたかも脱輪したがごとくに基本から変質させられた。
3)「なにを『とり戻す』?」
TPP(環太平洋経済連携協定)もそうです。日本をアメリカに売り渡すことになると,右翼の立場から反対しています。だけど安倍晋三首相は,東京都議選告示前の街頭演説で遭遇した反対派の人たちを「左翼の人達」「恥ずかしい大人の代表」とフェイスブックで批判しました。
日の丸をもっている人もいたのに,自分のいうことに反対する人間はみんな左翼だとレッテル張りをして攻撃する。お手軽な時代にふさわしい,お手軽な政治手法です。
なによりも許せないのは,アメリカに付き従っている代償行為として,お手軽ナショナリズムを政治がくすぐっていることです。その典型が,今年4月28日の「主権回復の日」。沖縄を例にとるまでもなく,主権なんて回復されていないじゃないですか。
あまりにも腹が立ったので,「羊頭狗肉の戦後レジームからの脱却を許すな」という横断幕をかかげ,記念式典の開催に合わせて3日間,初めて国会前で座りこみをしました。
自民党は「日本を取り戻す」と盛んにいっていますが,どこからなにをとり戻すつもりなのでしょうか。政治の言葉にくすぐられ,踊らされたらロクなことにならない。「とり戻す」の内実はきちんと検証されなければなりません。
成田空港の建設に反対する三里塚闘争のような異議申し立てが社会から消え,人びとがいきり立たずに生きていける社会になったことは喜ぶべきかもしれません。
しかしその結果,思想の力が弱まり,みんな自分の生活さえ守れればいいとなって,問題が起きたときに,なにが「正義」か問うことすらできなくなっている。お手軽に生きているツケは,いつかきっと払わなければならないでしょう。(引用終わり)
--以上のごとき木村三浩の意見は,左翼陣営が1990年ころを境にへたれ始めてしまい,それもとくに21世紀に入ると「左翼はいるのか・いないのか」ということさえ「よく分からないな」,とでもいっていいような勢力分布になっていった,その後における日本国内の思想的な実相をめぐって吐かれている。
左翼衰退の歴史的原因がそちら側における「組織の政治的・反動的」な一党独裁体質にあった事実は,いうまでもない。だが,それよりもさらに問題なのは「その歴史に対する真摯な反省もなにもないまま」,事後,関係者たちが一斉にどこかに雲隠れ〔トンズラ(遁走)〕したことである。
これは,社会科学の学問分野でも同じにいえることであって,自分たちが記録してきた「20世紀的な学問の過去」を,21世紀になっても「反省どころか」「自分の〈頭隠して・尻隠さず〉」のような態度で,いままでを過ごしてきた。
となれば,木村三浩も指摘しているような,「問題はあり過ぎたけれども,それなりに果たしていた反体制的な政治勢力としての左翼の存在価値」が,いまとなってはいっそう褪せてみえるほかなくなる。
右翼の木村三浩がいまや,「左翼のだらしない分」まで「ガンバラネバならない」と嘆いているのは,けっして笑うわけにはいかない,まことに情けない「『日本の左・右』にまたがる思想的な状況」であった。
4) 本日〔ここでは2013年7月17日〕の『日本経済新聞』朝刊は,「自民党,過半数大きく超す 参院選 終盤情勢,自民60台後半,民主20割れも,維・み,都市部で追う」という見出しの記事を,1面冒頭にかかげていた。
この『日本経済新聞』は,自民党にはぜひとも勝ってほしいと,根っから願っているように感じられる『新聞社(財界の意思を最優先する新聞紙)』であったから,読むほうとしてしては,この記事はなにかしら,うれしそうに報道しているなと,多少ひねくれた気分で読まざるをえないことになった。この記事の最初の部分のみ紹介しておく。
自民党総裁・日本国首相の安倍晋三は,5日あとになっていた当時の,7月21日の参議院選挙投票日を控えて,事前からもう「ウハ,ウハ」とうれしいそうに笑いながら,自民が圧倒的に有利であった情勢を満喫できていた。また,事前に予想されていたこの勝算の強い選挙に挑んでは「あまり喜んだり浮かれたりしないように注意している」とのことであった。
その参議院において自民党単独で過半数をとれるような議席数になれば,衆議院とのねじれが解消すると,自民党〔プラス小判鮫の某政党からなる〕政権は,期待しているというわけであった。
補注)2013年7月21日の参議院選挙の結果は,ここに記述されているとおりの結果になっていた。これにつづいて,2014年12月14日に実施された衆議院選挙も,自民・公明の与党が圧倒的な勝利をえていた。
それゆえ,安倍晋三がますます慢心し驕慢になる条件だけは,十二分にととのったといえるし,実際にもそうした暗愚・傲慢の政治路線が定着したかのような日本の政治社会になっていったことにもなる。
白川勝彦は,現状の日本政治をこう危惧している。「安倍・自公 “合体” 体制は,もうファッショ体制である」と認識している。そう認識しておかないと,私たちは大きな誤りを犯すような気がするのである(『永田町徒然草』2014年12月8日,No.1718 「選挙監視団を組織せよ」)。
なお,前段の記述に関しては,本日:2025年1月2日に検索してみたところ,ホームページのプラットフォームは残されていた。ところが,文章およびそのほかの部品はいっさいはずされており,なぜか,カラッポの状態に措置されていた。
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【付 記】「本稿(前編)」続きとなる「後編」はできしだい,ここにリンク先住所を指示する。
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