「国民のための日本」か,その「象徴の天皇」の日本か,新天皇になる皇太子徳仁「誕生日」などの記事が溢れていた2019年2月23日『朝日新聞』朝刊の紙面構成(その1)
※-1 2024年正月の事件-1月1日能登半島地震と1月2日航機衝突炎上事件-
2024年1月1日午後4時過ぎであったが,新年早々からいきなり,自然現象だから人間の制御などいっさい効かない「震度 7.6の地震」が,能登半島で発生した。しかも,その直後にもつづいて,震度5程度の余震に相当する揺れが数十回も連続し,いままでわれわれがほとんど見聞きしたり経験もしたことのない地震の発生・揺れ方となっていた。
それら「震度5規模の地震」は,能登半島のだいたい北側のを東西に分布するかたちで,その間,頻繁に発生していた。能登半島という地理関係だと即座に,「それら震源地」のすぐそばに,北陸電力志賀原発の「現在は未稼働の状態である2基」が立地している事実を思いだした。
大きめの地震が起きた場合,その地域近くにある原発に関してとなると必らず,その地震のニュースのなかで関連させて「安全」〔ではなく本当は不安だが〕について,言及されるのがつねである。
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その報道はいつも,「なお,原発に異常はなく大丈夫です……」といった報道の仕方でもって併せてなされるが(上掲の『日本経済新聞』記事のこと),今回は北陸電力の志賀原発に異常が発生していた。
原発にかぎってはこのように,地震が発生するといつも「異常はないか,非常事態に相当するような現象が発生していないか」と逐一,注意が喚起され,あらためて点検作業を受けねばならない発電装置・機械であった。
それにしても,能登半島がある石川県の馳 宏知事は,1月1日だったからというわけか東京都に帰省中であった(県知事なら元旦でも現地の宿舎にいておかしくなく,当然であるといったほうが順当)。そこで,地震発生を受けて陸上自衛隊のヘリコプターで石川県庁に向かった〔出かけた?〕と報道されている。
石川県出身の元国会議員に森 喜朗がいるが,馳 浩をとりたてていた先輩政治屋として,馳の正月の過ごし方に注意をしてあげていなかったのか?
この森という政治屋は日本国をどのくらいダメしてきたか,いまどき安倍派の残兵たちに対して「院政」を敷いているつもりとなれば,日本の政治はもうダメづくし状態であった。
森 喜朗の件はさておき肝心の岸田文雄は,首相としてもちろん,能登半島地震に対して「防災服を着用した姿」で記者会見をしていた。しかし,その顔つき・口調ともに,自分らしさというかそれらしさが全然感じられず,やりたくない会見をさせられているような「丸出だめ夫」的な雰囲気しか伝わってこなかった。
もっとも,岸田文雄は1月2日の記者会見で,能登半島地震の対応に専念するため,4日に予定していた三重県伊勢市の伊勢神宮参拝を延期すると発表してもいた。
伊勢神宮への参拝はいわば「表の神社」(準国営神社?)に対する宗教的な行為である。また,その「裏の神社」(元は完全なる陸海軍の国営神社)に相当するそれが「靖国神社参拝」である事実関係は,いままで誰も指摘しようともしなかったその「裏と表の関係」として,つまり「日本の首相」の宗教的な動向にもかかわる宗教事情として止目しておく必要があった。
だが,いままでなにやかや批判を受けている「靖国神社参拝」に比較しての話題をすれば,「伊勢神宮参拝」といった「国家神道」的な含意は,宗教学の研究者ですら十全には問題にとりあげられ吟味されていない。専門家たちのあいだでもうかつにも取り残されたままである,つまり,国家神道風の神社的な信仰問題に関連した「研究領域」があったのではないか。
ところで,本日1月3日「朝刊の紙面」のことだが,本ブログ筆者の場合だと購読する『毎日新聞』と『日本経済新聞』の2紙のみの比較となるが,こういう対照的な1面の構成になっていた。余白の箇所に,筆者の感想を赤字で記入しておいた。
能登半島の左岸に立地する北陸電力の志賀原発もまた,このように地震が発生するといつも,「なにか異常はなかったか,非常事態に相当するような現象が発生していなかったか」と,「この原発としてなりに特別に注意,点検されるべき」発電装置・機械とみなされる。
「原子力発電所」という部類の発電装置・機械は,とりわけ大きな地震が発生したときになるや,そうした点検作業がただちに必須とされる。
つぎの文章は昨日も紹介していたが,本日も出しておくことになる。
1月2日の報道では,この能登半島地震については,つぎのような専門家の解説が披露されていた。下の図解(画像資料)の右下部分に「流体」ということばが記入されている。
今回のこの能登半島地震に関しては,いままでの大地震であればその原因だとされる「地球のマントルを覆う『地殻』に力がくわわり,年に数ミリから数センチ程度,ゆっくりと動く現象……」〔の結果だ〕という説明とはまた別様に,かなり異なった内容が説明されることになった。
この図解は,右側に「流体」という用語を記入している。この地殻内の出来事(物理的な現象)が今回の能登半島地震を起こす基因であって,従来,原発の安全にかかわって長年議論の対象であった「断層の部分そのもの」の動きではなかった。
この「流体」という用語で説明される地震の原因は,これまではほとんど注目されていなかった地殻内の「自然現象としての仕組」である。
以上,能登半島地震が元旦:1月1日に発生してしまい,おかげでお屠蘇気分もすっ飛んだと思ったら,翌日1月2日になるとこんどは,午後5時47分ころ発生したと報告されているが,羽田空港でつぎの航空機同士の衝突炎上事件が起きた(その火災の模様は前段の『日本経済新聞』に写真として出ていた)。
「札幌」発の日本航空の旅客機が羽田空港に着陸したさい,海上保安庁の6名が搭乗し,しかも能登半島地震の発生を受けて,近くの空港に向けて救援物資を届ける予定で,離陸を待って滑走路で待機してきた(というか誘導路からすでに滑走路にまで走行していたらしい)海上保安庁の航空機に接触,火災を発生させながらともかく着陸を終えた。この日航機の乗客・乗員からはけが人を出したものの死者はいなかった。
幸いにも日航の旅客機の乗客と乗員400名近くは1人も死者を出さなかったけれども,海上保安庁の航空機は大型機と接触したためか,おそらく機体そのものが突き飛ばされる結果となったと思われ,搭乗員は6名いたがそのうち機長が大やけどを負って脱出し重傷だが生存できたけれども,あとの5名は不幸にも死亡した。
以上,2024年の正月から大事件がつづいて起きたところで,それもとくに能登半島地震の発生を受けてということだが,新年になると恒例の皇室行事「新年の参賀」が中止になったというニュースが報道されていた。ここでは『産経新聞』の記事を紹介する。
皇室・皇族(宮内庁)は,天皇一族の評価・評判を常時,高い水準で堅持させていかねばならない義務というか責任があるせいか,この2024年正月の1月2日の恒例行事であった「新年参賀」を中止とする決定を下していた。
※-2 2019年2月に戻って「天皇家・皇族たちの話題」を正月的な気分のあるなかで議論する
この※-2の見出し(標題)は,以下の文章が「2019年2月23日の記述」であった点に関係があって,付けられていた。以下の記述において要点となる対象をさきに整理的に断わっておく。
こういう妄想も可能。過去にもまだ祝日に利用されていない「過去の天皇は100名以上いる」から(実在したと思われる天皇にかぎっても),これらも天皇の分も「国民の祝日」化に利用したら,1年のうちは平日よりも祝日が多くなるかも……。
2月11日は「建国記念の日」と呼ばれているが,架空の天皇である神武天皇のお誕生日(!?)のはずだが……。
※-3「『平成の多様性,寛容の精神で発展を」 皇太子さま,きょう59歳」『朝日新聞』2019年2月23日朝刊1面から
昨日〔ここでは2019年2月22日〕夕刻に歯医者にいき,待合室で診療の順番待ちをしている間であったが,待合室にあるテレビを視聴していると,安倍晋三首相が皇太子に対して「新年号」に関することがらを説明するために東宮御所に直接出向いていた,というニュースが放送されていた。
その事実はこの『朝日新聞』朝刊の場合,「首相と皇太子さま,異例の一対一で面会」(その4面「総合」の左下に配置された記事で「首相動静」22日の記事の真上に置かれてもいた)という〈横組みの記事〉で報道されていた。この異例という語感は「現天皇抜きでいきなり皇太子のところへいった」安倍晋三の行動を指してもいたはずである。
この記事に報道されている内容じたいからして,あれこれと問題を発散させる中身であった。だが,ここではいちいち議論はせず,この朝刊の2019年2月23日4面に掲載されていたこの記事を,ひとまずさきに引用しておいた。
安倍晋三が首相として,このような “異例の行動” を採ったという点が,今後においてなんらか,問題となる展開につながっていく可能性もなきにしにあらずである。
それもとくに「宮内庁の関係性」をすっ飛ばした(蹴飛ばした)みたいな「安倍によるこの行動」は,いわせる者にいわせれば,大いに問題含みであった。というしだいで,さらに天皇問題研究者の見解を訊きたい出来事でもある。
つまり,今回は安倍個人による「首相としての個人プレー」を敢行したという解釈もでき,対する宮内庁から一言も発言がないままであれば,結局,この宮内庁も安倍に「忖度する」官庁組織のひとつになったのかという疑問が浮かぶ。
補注)参考になる記事としてつぎを挙げておく。「秋篠宮さま苦言… 山本宮内庁長官は官邸子飼いのヒラメ官僚」『日刊ゲンダイ』2018/12/01 15:00,更新日:2018/12/01 15:00,https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/242869
さて,以下からの記述が,本記述の本論的な内容となる。『朝日新聞』2019年2月23日朝刊からの引用であった。
皇太子さまは〔2019年2月〕23日,59歳の誕生日を迎えた。この日に報道されることを前提に21日,東京・元赤坂の東宮御所で記者会見に臨んだ。平成という時代を「人びとの生活様式や価値観が多様化した時代」と回顧し,「この多様性を寛容の精神で受け入れ,おたがいを高め合い,さらにに発展させていくことが大切」と述べた。(36面に=皇太子さまの歩み,39面に=連載「新天皇と新皇后」)
付記)画像は,誕生日を前に記者会見する皇太子さま(2月21日),東京・元赤坂の東宮御所,代表撮影。
皇太子としては最後の会見。5月1日に即位を控え「これからのことを思うと,とても厳粛な気持」と心境を明かした。「国民につねに寄り添い,人びととともに喜び,ともに悲しみながら象徴としての務めを果たしてまいりたい」と新天皇になる決意も語った。
補注)この発言の意味はより本格的に掘り下げて考えてみる価値がある。本当にこのとおりに「国とこの民を統合する象徴である天皇」が,国民に対して「つねに寄り添い,人びととともに喜び,ともに悲しみながら象徴としての務め」る仕事・任務とは,いったいどのようなものたりうるか,真剣に考えてみるべきだからである。
政治家=首相としての安倍晋三は,前段のごとき課題を,それも本当にまじめに考えてきた政治家であったか? 安倍にかぎっていえば「完膚なきまでに〈否〉」であった。もっとも,天皇のほうで,それではなにが・どこまでできるかと問われたとき,ただちにこれに適切に答えられる人はいない。
天皇をとくに象徴の問題として研究する学究(政治学者)もいるが,小田原評定みたいな議論は意欲的に展開できても,天皇の問題として厳正に学問的な討究をおこなったり,真っ向からの批判をくわえられないでいる。
〔記事に戻る→〕 天皇陛下(ここでは父の明仁天皇のこと)がビデオメッセージで退位の意向をにじませた2016年8月以来,自身が担う重責に思いをめぐらせる機会が増えたという。天皇,皇后両陛下からさまざまな機会に話を聞いていることが「大きな道標(しるべ)となる」とし,過去の天皇の歩みと,天皇は象徴であるとの憲法の規定に思いをいたし「国民と苦楽をともにしながら国民の幸せを願い,象徴とはどうあるべきか,望ましいあり方を求め続けることが大切」と述べた。
補注)この段落は「国民⇒天皇」の方向性でもって,天皇のあり方を考えていきたいとする皇太子の希望である。「国民と苦楽をともに」というとき,なにを・どのくらい・どこまで「していくのか・やっていけるのか」といったふうな問われ方をさらに具体的されたら,天皇や皇太子であっても返答に詰まってしまい,困るはずである。平成の天皇が実際におこなってきて残された行跡は,端的にいってのければ「父・天皇の戦争責任」として残置されていた「大きな懺悔」問題に関連する「ひとつの行動録」であった。
しかし,日本のマスコミにせよ多くの天皇研究者にせよ,「そこまで突っこんだ分析や解明」までは,ほとんど手を着けたがらない。そのあたりは,同じ日本人(民族?)であれば,いいかえると “阿吽の呼吸” でいけば,きっと,いわないくとも分かってもらえはずだと信じこんでいる。
つまり,日本国内における「過去の歴史問題」に対して向けられるこの種の「解釈の仕方」は,どこまでの内政向けのものでしかありえず,外交面にかかわるより大きな「戦責問題」には届いていないし,もちろんまったく通用しない手法であった。前後に引用している皇太子誕生日関連の記事は,そうした問題意識とも絡めて読んでおく必要があった。
〔記事に戻る→〕 一方,「その時代時代で新しい風が吹くように」「時代に応じて求められる皇室の在り方を追い求めていきたい」とも語り,長年の水問題の研究でえた知見も,防災・減災を考えるさいに活かしたいと意欲をみせた。皇太子として活動するにあたり,皇室がなすべきことを的確に感じとれるよう,広く国民と接するようにしてきたといい,「今後も活動の大きな柱として大切にしていきたい」と語った。
補注)この段落は「時代が(⇒)天皇へ」という “歴史の脈絡関係” に沿って考えているらしい皇太子〔だった徳仁〕の意見であった。しかし,この意見をあえて敷衍・拡延させていくとなれば必然的に,「天皇から(⇒)時代へ」という意識的な政治性が,逆には「歴史の側から生じてくる操作」として,過去においてどのような問題を惹起させてきたかという「歴史の事実」に関する議論を不可避にする。
はたして,「国とこの民を統合する象徴である天皇」がこの概念の枠内に,いつまでもうまく収まりうる存在として留まっていられるかという点を,具体的に説明できている政治家も研究者もいなかった。つまり,理論的に厳密な問題意識を用意するまでもなく,そこにはきわめて曖昧かつ茫漠とした問題領域が潜在している。
〔記事に戻る→〕 療養中の雅子さまについては「快復の途上」とし,新皇后として公務が増えても「一朝一夕にすべてをこなせるようになるわけではない」と述べつつ,海外での経験をいかした国際的な活動への期待もにじませた。
補注)この「回復の途上」という表現が興味深い。皇太子の妻である雅子は,だいぶ以前から(結婚したのは1993年6月),この「途上」ということばを当てて表現されたところの,その「〈精神的な疾患〉と思われる症状に関する治療」が必要だといわれつづけてきたが,いまもなお,まったく同じ状態にでもあるかのように,それも夫:皇太子の口からじかに指摘(説明)されていた。
最近(2019年当時),テレビのニュースに登場する雅子の姿は,その様子を観るかぎりでは “心身ともにきわめて健康的” に映っているが,そうではなくて「まだ病的な因子」を完全に退治(根治)できていない,ということになるのか。正直な感想をいえば,どう観ても不可解だという印象は避けえない。
皇室に入った雅子は十数年間もかけても,「お世継ぎ問題(男子を誕生させねばならないという課題)に応えることができなかった。この事情を主軸にしつつ,実際には「皇居や東宮御所」のなかをのぞけない庶民の立場からは,いろいろとミーハー的な観察をするほかなく,これがまた「あちら」側のほうへ反響する関係性が生まれないわけでもなかった。
最近,こういう記事が最近書かれていた。「皇太子さまが再び立ち上がる日 雅子さま人格否定会見から15年」『@nifty ニュース』2019年01月24日 16時00分 女性自身,https://news.nifty.com/article/domestic/society/12268-172846/ から後半部分を引用する。
安倍晋三政権のなかでは,女性差別「発言」が隠然と平然とを問わず放ちつづけられてきた。しかもこの現象は,男性議員と女性議員とを問わず,なかでも自民党系の彼ら・彼女らが頻発させてきた。
だが,まずこの種の現在的な問題と,つぎに「男系天皇制」といった “明治以来において旧・皇室典範(と明治憲法)” をもって確定された「〈女性差別〉のための政治社会的価値観」とが,相たずさえたかっこうで,21世紀における現在に日本においても連綿と継承されている。
ちなみに,昨年(2018年)12月の時点で話題のニュースとなったのが,「世界における男女平等ランキング2018」で日本は110位,G7中ダントツ最下位」という事実であった。この事実が「天皇・天皇制」とはまったく “関係ありません” というわけにはいくまい。
日本の評価は,項目ごとに優劣がはっきりしている。読み書き能力,初等教育,中等教育(中学校・高校),出生率の分野では,男女間に不平等はみられないという評価で,昨〔2017〕年同様世界1位のランク。 一方,労働所得,政治家・経営管理職,教授・専門職,高等教育(大学・大学院),国会議員数では,男女間に差が大きいとの評価で世界ランクがいずれも100位以下。そのなかでも,もっとも低いのが国会議員数で世界130位(昨年は129位)。その他の項目でも50位を超えるランクは,男女賃金格差のみ。
註記)武田雄治「世界『男女平等ランキング2018』 日本は110位でG7ダントツ最下位」『BLOGOS』2018年12月19日 13:47,https://blogos.com/article/346250/ 天皇・天皇制の問題は王族・貴族制度の残っている諸国に固有の政治問題となるが,こうしたランキングのなかで比較し,順位づける対象とはしにくい。だが,いずれせよ,以上のごとき「男女ランキング」をさらに引き下げる要因となって,「日本の天皇・天皇制」が効いていることは確かである。
〔記事に戻る→〕 秋篠宮さまが公費支出に疑問を呈した「大嘗祭(だいじょうさい)」については,「前例を踏まえ,政府で十分な検討をおこなったうえで決定したものと理解をしている」と述べた。(引用終わり)
この最後に出てきた「秋篠宮」「が公費支出に疑問を呈した」「大嘗祭」の問題は,実は安倍晋三政権側からは完全に無視された “皇室側の希望” に終わっていた。この日本という国家における「民主主義の状態」の真価が問われる機会は,そうした体裁をとりながら皇族側からも「問題として提起されていた」ことになる。
秋篠宮の発言はもちろん「兄と父の立場」をまとめて代弁していたから,いうなれば皇族側の基本的な関心事であり,とりわけ彼らにとって非常に大事な利害状況を改善させるためのものであった。
※-4「〈真相深層〉韓国,収め所なき『反日』 知日派議長,天皇陛下に謝罪要求」『日本経済新聞』2019年2月21日朝刊2面「総合1」
日韓関係(2019年当時の話題であったが)が泥沼に陥っている。韓国国会の文 喜相(ムン・ヒサン)議長が従軍慰安婦問題で天皇陛下の謝罪を要求し,撤回を求める日本に「盗っ人たけだけしい」とも反発した。なぜここまでこじれるのか。背景には韓国の日本軽視が潜み,関係修復の意欲も乏しい。
「なぜあんなバカげたことをいったのか。日本をまったくしらない人ではないのに……」。韓国のある知日派知識人は文議長の発言にあきれる。文議長は米ブルームバーグとのインタビューで天皇陛下を「戦犯の主犯の息子」と表現。「そんな方が(元慰安婦の)おばあさんの手を握り『本当に済まなかった』と一言あれば(問題は)解決する」と語った。
2004年から4年間,韓日議員連盟の韓国側会長を務めた文議長。2017年に革新系の文 在寅(ムン・ジェイン)政権が発足すると,特使として日本を訪問した。文政権では代表的な日本とのパイプ役の1人だ。
元徴用工らへの損害賠償判決,自衛隊哨戒機への火器管制レーダー照射,慰安婦合意にもとづき設立した財団の解散。昨〔2018〕年来,日韓関係は悪化の一途だ。ここまで問題がこじれるのは,北朝鮮との南北融和を最優先する文 在寅政権にとって,日本の存在感が急速に低下していることがある。
1)「私たちが主役」
「私たちが朝鮮半島問題の主役になった」。文 在寅氏は〔2019〕1月の新年記者会見で胸を張った。北朝鮮の金 正恩(キム・ジョンウン)委員長を外交の舞台に引っぱりだし,米国との非核化交渉のテーブルに座らせたのは韓国だとの強い自負がある。
「南北と米国が休戦協定や非核化を話しあっており,日本の役割はなくならざるをえない」。『朝鮮日報』によると,文氏の外交ブレーンである文 正仁(ムン・ジョンイン)大統領統一外交安保特別補佐官は2月9日,東京でのシンポジウムで語った。「ジャパン・パッシング(日本外し)ではない」と否定したが,現政権の対日観を象徴する。
経済面でも日本に部品・素材を依存する構造は変わらないものの,輸出先としての日本は2000年2位から2018年には5位に低下。代わって中国の存在感が高まっている。文政権が日本に意図的にケンカを吹っかけているとは思えない。ただ日本への関心が下がっているために関係悪化を食い止めようとせず,収めどころを考えない対日批判になっている。
2013年までの保守系の李 明博(イ・ミョンバク)政権で駐日韓国大使を務めた申 珏秀(シン・ガクス)氏は「かつては関係が悪化しても水面下では改善に動いたが,いまはその努力がみられない。それが怖い」と語る。
大統領府には日本通がほとんどいない。数少ない知日派だった金 顕哲(キム・ヒョンチョル)経済補佐官が1月,経済政策をめぐる失言が問題視されて辞表を提出。文氏はかばうこともなくあっさり受理した。
2)「節目」目白押し
日本政府は島根県が〔2019年1月〕22日に松江市で開く「竹島の日」記念式典に内閣府政務官を派遣する。式典出席は7年連続で,韓国は毎回抗議している。
今〔2019〕年は「反日」の世論が高まりやすい節目が相次ぐ。3月1日は日本統治下で起きた最大の抗日独立運動「三・一運動」から100年となる。韓国政府は大規模な行事を計画中で,北朝鮮にも参加を呼びかける。
続く4月には韓国が日本統治時代に中国につくった「大韓民国臨時政府」の樹立100年も控える。韓国の外交筋は「今年は対日外交で安易な妥協は許されない」と語る。日本との関係改善を「口にしようものなら『積弊(積み重なった弊害)清算』の対象になりかねない。ものいえば唇寒しだ」。ある政府関係者は肩をすくめる。(引用終わり)
この『日本経済新聞』の解説記事は,日本側にいるはずの韓国通(?)の国会議員(主に自民党)の存在に明確には触れていない。日本のこちらの政治家たちがどのような姿勢で対応しようとするか,以上のごとき韓国側の動きをどうとらえているのか,ほとんど分からない。
韓国側の動きが以上のように急展開をみせているのに,日本側がただ「指をくわえて」,傍観者的に放置しておくわけにはいくまい。
※-5「韓日外務大臣『真実』巡り論争,文 喜相議長の『天皇謝罪発言』波紋」『統一日報』2019年2月20日
? 意図的に問題を引き起こし,揉め事を誘発か ?
韓日関係が悪化の一途をたどるなか,文 喜相国会議長の「天皇謝罪発言」が韓日政府間の距離をさらに広げてしまった。発言の主は,過去に韓日議員連盟の韓国側会長まで務めている,日本に対して一定の理解がある人物としてしられてきた政治家の発言ということもあり,波紋は広がりをみせ,事態は長期化の様相を呈している。
韓日の外交トップが〔2019年2月〕15日,ドイツ・ミュンヘンで会談した。文議長の発言も議題に上った。しかし,席を同じくしていたにもかかわらず,外務当局の発表は両国でまったく異なるものだった。日本の外務省は会談直後,河野太郎外務大臣が文議長の発言に対する日本の立場を伝えたと明らかにした。
しかし,韓国外交部は「『日本政府として謝罪と撤回を求めた』という日本のメディア報道について,会談では同件に対する日本側の言及はなかった」と反駁した。康 京和長官も同じく,河野外務大臣による抗議の有無を問う韓国記者に対し「なかった」と断言した。
まるでピンポンゲームかのごとく,日本側は再び反論した。河野外務大臣は17日,「(康長官に)大変驚き,残念に思うと伝え,韓国外交部にはしっかり対応するよう申し入れた」と語った。つづいて河野大臣は「韓国側はよく聞いてくれていたし,しっかりとメッセージは伝わっている。『しらない』ということにはならない」と述べた。
韓日の外交トップによるミュンヘン会談は,非公開で約50分間にわたりおこなわれた。当初予定していた30分を大幅に上回った。韓国最高裁判所の徴用工賠償問題,韓国の駆逐艦と日本の哨戒機との攻防など,最近火種が大きくなっている韓日の諸問題を考慮すると,50分でも短いだろう。それにくわえ「天皇タブー」を抱える日本の実情を無視した文議長の発言は火に油を注ぐものにほかならない。
補注)日本国側には「天皇タブー」が控えているからといって,外交関係上,この問題にはいっさい触れないほうがいいという論法は一理ある。だが,日韓関係の間柄においては,この天皇・天皇制問題が禁忌視されつづけていたら,永遠に解決できない,それも「なにか,プラス・アルファー以上」の論点が両国間には残っていくほかない,と考えたほうにも一理ある。
注意したいのは,日本国のタブーが他国でもタブーになるべき絶対的な事由はないことであり,ましてや日本側が独自に決めておける問題ではありえないことである。
〔記事に戻る→〕 両国の外交当局による「真実ゲーム」の様相は,現在の韓日政府間の関係をそのまま映し出している。問題をかかげ,たがいの立場の違いを確認し,それぞれいいたいことだけを説明するとの見方だ。相手がなにをいおうとはなから考慮の余地はなく,きわめて形式的な会談といえる。
補注)アベノポリティックスにおける最大の特徴は,「相手のいいぶんは完全に無視したまま」「自分のいいたいことだけを説明する」政治技法にあった。
日本の国会のなかでいままで,安倍晋三という政治家が浸透させえてきた「野党に対する不躾・不誠実な答弁の方法」が,こんどは外交関係面で伸してきたと受けとめるほかない。他国の政治内情への口出しができないこちら側の事情にも目線を向けた議論とする余地もある。
〔2019年2月〕8日,ブルームバーグ通信とのインタビューで,文議長が天皇に対し慰安婦問題に関する謝罪を求めたことを訝しむ声は韓国国内でも多い。「議長はいうべきことをいった」と評価するメディアもある。しかし,2012年に当時の李 明博大統領が言及した「天皇謝罪発言」よりも,文議長の発言をより深刻に受けとめる見方もある。
文議長は韓日議員連盟会長などを務め,日本の議員とも交流のある政治家だ。ある程度は日本の事情を理解しているという点を考慮すると,意図的に天皇問題をもち出し,もめごとを誘発したのではないかとの疑いがもたれている。
一方,文議長は騒動に対し「私が謝罪する案件ではない。10年前から変わらない私の持論だ。(戦犯の息子という表現については)戦争当時,日本国王の息子だったという意味であり,指導者として誠意ある謝罪を強調するという趣旨で出た表現」と述べた。(引用終わり)
以上の記事を紹介していると,現在の時点(2024年1月)では,いったいなにを日韓間ではいいあっていたのかと「いぶかしがる」以前に,これにはなにか〈大昔の因縁〉がからまりついてもいた「外交次元での意見の投げあい」だったかとまで,首をひねりながらでも推論をたくましくして考えてみるのもよい。両国間には,なかなか理解しにくい国際問題がある。
そこで,『朝日新聞』は日韓間の外交関係について参考になる解説記事を掲載していた。こちらを読めば前段の内容が少しは分かってくるかもしれない。
※-6「〈いちからわかる!〉朝鮮半島で起きた3・1独立運動って?」『朝日新聞』2019年2月23日朝刊2面
★ 日本統治下の100年前,学生の「独立宣言」から全土に拡大 ★
アウルさん 島根県などが〔2月〕22日,「竹島の日」記念式典を開いたんだね。
A 2006年から毎年開いているけど,今年は韓国がとくに反発している。
ア どうして?
A 元徴用工らへの損害賠償問題などで日韓関係が悪化しているからだ。なにより今年は「3・1独立運動」から100年に当たる。それが大きいよ。
ア なぜ独立なの?
A 大陸への進出を考えていた日本は1910年に大韓帝国を併合した。当時,朝鮮の人たちは言論や出版,集会の自由などの権利をうばわれていたんだ。
ア なにが起きたの?
A 1919年3月1日,いまのソウル中心部にある公園で,集まっていた群衆のなかから1人の学生が「独立宣言」を読みあげはじめ,呼応して人びとが「独立万歳」をさけんだ。その後,約2カ月間にわたって朝鮮半島全土で抗議活動が起き,日本側の取りしまりも激しかった。朝鮮側の記録によると,約7500人の犠牲者が出たとされる。
【参考史料】-1919年3月1日「独立宣言書」-
ア 韓国では3月1日は重要な日なんだね。
A そもそも元徴用工や元慰安婦の問題は,日本の統治がなければ起きなかったこと。当時を韓国では「日帝時代」と呼んで学校でしっかり教える。日本にとっては過去のことかもしれないけど,韓国の人たちはいまに続くことととらえる傾向が強い。韓国政府は全国で330余りの行事を計画し,文 在寅(ムン・ジェイン)大統領も3月1日午前に演説するよ。
ア 日本への批判は,さらに高まりそうなの?
A 釜山(プサン)では日本総領事館のそばで市民団体が徴用工像をもちこんで集会を開き,ソウルでも慰安婦問題をめぐる集会がある予定だ。日本批判が燃えさかる様子は両国のメディアなどで伝えられ,日韓関係はまた悪化に向かうとのイメージが強く出ることになりそうだ。(ソウル=牧野愛博)(引用終わり)
以上の説明のなかには,2023年中になってもまだ日韓間において解決に至っていない問題に関係する段落も登場していた。問題の焦点には日本側においてだが,あまりにも,韓国・朝鮮側の事情,歴史や伝統,文化に対する理解に関して欠落あるいは歪曲が多すぎた事実が映っている。
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