矢部宏治『日本はなぜ,「基地」と「原発」を止められないのか』2014年を論評する
矢部宏治『日本はなぜ,「基地」と「原発」を止められないのか』2014年10月は「日本国」天皇・天皇制に対する『批判の書』であった。しかし,この「批判の見地」はその後,希薄化していき,雲散する。
付記)冒頭の画像資料は,「矢部宏治著 知ってはいけない-隠された日本支配の構造」『講談社BOOK倶楽部』
http://book-sp.kodansha.co.jp/topics/japan-taboo/ 2023年4月13日検索から借りた。
本記述の要点はつぎの3点にある。
要点:1 本書は,日本の知識人・識者にあっては,その双肩・頭上に亡霊のようにのしかかっている「天皇・天皇制」の現状を,真正面から批判し〔とりあげて議論し〕た本である
要点:2 ただし,結論部では天皇制度のなかに居る平成天皇夫婦をかばうかのような論旨にまとめている。この点では天皇制度に向けた批判をめぐり,そのつぎの矢を継ぐことにはならなかった。むしろとくに,平成天皇に対する擁護・支援のための論旨に立場を変異させた
要点:3 天皇という存在は,制度的な特性面から批判すべきであり,天皇個人に対する直接の批判でなくてよい
※-1 矢部宏治『日本はなぜ,「基地」と「原発」を止められないのか』集英社インターナショナル,2014年10月の意図
a) 本書の内容説明は,こういう疑問符のついた文章を並べている。
なぜ,戦後70年経っても,米軍が首都圏上空を支配しているのか?
なぜ,人類史上最悪の原発事故を起こした日本が,再稼働に踏みきろうとするのか?
なぜ,被爆した子どもの健康被害が,みてみぬふりをされてしまうのか?
なぜ,日本の首相は絶対に公約を守れないのか?
誰もがおかしいと思いながら,止められない。日本の戦後史に隠された「最大の秘密」とは?
本書の主な目次は,こうなっている。
1 沖縄の謎-基地と憲法-
2 福島の謎-日本はなぜ,原発を止められないのか-
3 安保村の謎1-昭和天皇と日本国憲法-
4 安保村の謎2-国連憲章と第2次大戦後の世界-
5 最後の謎-自発的隷従とその歴史的起源-
著者の矢部宏治(ヤベ・コウジ,1960年生まれ)は慶応大学文学部卒,(株) 博報堂マーケティング部を経て,1987年より書籍情報社代表。
本書は,戦後70年経つのに,なぜ米軍基地が日本中を支配しているのか。未曾有の大事故を起こした原発を,なぜ止められないのか。米国公文書の資料などの実証をもとに,戦後日本の「謎」を解きあかしている。
b) 本ブログ筆者は自身の問題意識にしたがい,たとえば,かつて「敗戦した帝国臣民と 終戦した昭和天皇」が,「日本帝国に勝利したアメリカ,敗戦したこの国の帝王となったマッカーサー」や,
「『終戦』観念に生きる民の国,その幻想性のまやかし」,「安倍晋三の『美しい国』には『あってはならない』のが,『過去の従軍慰安婦問題』」であるらしい」などいった論点について,議論したことがあった。
補注)以上の論旨を論じた記述は現在,未公表の状態である。近日中には再公開する予定である。
本ブログ筆者が「この国はいまだにアメリカ帝国の属国」であると言及したつもりの論点が,本書,矢部宏治『日本はなぜ,「基地」と「原発」を止められないのか』によって要領よく解明されている。
矢部が同書のなかで言及する中身には,いままで日本の政治学者たちが正面から触れるのを恐れて・避けてきた内容が,正直に語るかたちで盛られている。いわば,日本の《菊のタブー》を介したアメリカの《星の禁忌》にまでを標的に定めて,まとも挑戦する社会科学者が,いままでほとんどいなかった。
むろん,憲法学や国際政治学の専門研究者たちが,前段のごときに理解されてよい「米日服属・上下関係」の2国間政治現象を真正面からとりくんできており,専門研究書の公刊もけっこうな部数が蓄積されている。この点は,当該領域の研究者・学究であれば知悉する関連の学界事情であった。
しかし,われわれ素人筋にとってみれば,そうした学界次元における研究業績として公表されてきた著作をひもとき,これを読みこみ的確に理解するという知的作業は,精神的に相当しんどいものである。
c) 2010年代に前段のごとき日米関係論の問題領域に対して,もともとはその研究専門医者ではない矢部宏治が,出版業界出身の人間として自分なり学習・勉強したうえで参入してきた。
矢部宏治は出版業務にたずさわる職業人として,関連書物の発行を企画・刊行し,みずからも徐々に関係する問題について執筆するうちに,今回のごとき著書を公表することになっていた。矢部はこの著書を完成させるまでには,いろいろの驚くべき日本国の諸事情に気づいたと述べている。
矢部宏治はたとえば,『知ってはいけない-隠された日本支配の構造-』講談社,2017年8月を,つぎのような本だとみずから説明していた。
だが,そのように矢部宏治にいわせた背景事情に関して,実は,日本の諸学界側においても「なんらかの特定的である問題性」が伏在されていた。この学界側の事情もあって,矢部が日米国際政治論の領域にみずからの学習・勉強を重ねてうえで参入してきたその成果が,いままで公刊してきた著作となって表現されていた。
d) 本ブログ筆者は,日本におけるとくに社会科学諸学界に特有である「ある種の陋習・旧弊」が,依然,そこかしこにないわけではない内情をしらないわけではなかったゆえ,換言すると,理性以前の生活次元において「天皇神聖視」に直面・対峙させられるほかなかった「日本の知識人・学識者」たちが,
天皇・天皇制の問題領域に対してなにか専門的な立場からでも発言するときは,いつもいちいち躊躇したり必要もないのにうろたえたりしている様子をみてきただけに,2010年代に関連する問題領域に登場してきて,しかも教養書として簡明な論調でもって,当該問題を分析・説明してきた矢部宏治の貢献は,十分に評価されてよい。
もっとも,この矢部宏治の本の立場に明示されたはずの「主張の展開」が,その後も2010年代後半からは明確に変化した。この点は,本稿の記述で言及するところとなっているが,より詳しくは昨日(2023年4月12日)に公表していた本ブログの記述( ↓ )もあわせて参照してほしい。
※-2 矢部宏治『日本はなぜ,「基地」と「原発」を止められないのか』2014年の結論
a) 本書『日本はなぜ,「基地」と「原発」を止められないのか』2014年の最後部において矢部は,「昔もいまも日本社会のかわらぬ最大の欠点」は,「政府のあらゆる部門に対して,憲法によるコントロールが欠けており」,その結果,「国民の意思が政治に反映されず,国民の人権が守られない」ことが判る,といっていた。
そしてその最大の原因は,やはり天皇制という制度(システム)のなかに,憲法を超える(=オーバールールする)機能が内包されているからだとことも判るともいっている。
すなわち,戦前の日本では,裁判所(=司法)が「天皇の意思」の代理人である検察(=行政)によって支配され,立法も「天皇の命令(勅令)」という形式で官僚(=行政)が自由におこなえるようになっていた(大日本帝国憲法第9条)。
補注1)ここでは,以下の著作を参考書として挙げておきたい。
斎藤貴男『平成とは何だったのか-「アメリカの属州」化の完遂-』秀和システム,2019年。
金子 勝『平成経済-衰退の本質-』岩波書店,2019年。
白井 聡『永続敗戦論』太田出版,2013年。
瀬木比呂志『裁判所の正体-法服を着た役人たち-』新潮社,2017年。
瀬木比呂志『絶望の裁判所』講談社,2014年。
新藤宗幸『官僚制と公文書-改竄,ねつ造,忖度の背景-』筑摩書房,2019年
新藤宗幸『原子力規制委員会』岩波書店,2017年。
新藤宗幸『司法よ! おまえにも罪がある-原発訴訟と官僚裁判官-』講談社,2012年。
新藤宗幸『司法官僚-裁判所の権力者たち-』岩波書店,2009年。
安倍晴彦『犬になれなかった裁判官-司法官僚統制に抗して36年-』日本放送出版協会,2001年。
樋口英明『私が原発を止めた理由』旬報社,2021年。
補注2)大日本帝国憲法第1章の第9条は,天皇の命令に関する規定である。
「天皇ハ法律ヲ執行スル為ニ又ハ公共ノ安寧秩序ヲ保持シ及臣民ノ幸福ヲ増進スル為ニ必要ナル命令ヲ発シ又ハ発セシム但シ命令ヲ以テ法律ヲ変更スルコトヲ得ス」
b) しかも,そうした憲法よりも上位にあった「戦前の天皇」の位置には,敗戦後は「天皇+米軍」という新しい国家権力が,完全に入れ替わるかたちで,すっぽり収まった。
そして,1989年,昭和天皇が亡くなるとそこから「天皇」が自然に消えた結果,米軍と外務・法務官僚が一体化した「天皇なき天皇制」が完成したのである。
以上を図式に表現すると,「日本の国家権力構造の変遷」はこうなる。
そうした事実上の行政独裁体制は,短期間で大きな国家目標(明治期の富国強兵や昭和期の高度経済成長などのこと)を達成することができた。だが,その反面,環境の変化に応じて過去の利権構造を清算し,方向転換をすることができない。
外部要因によって瓦解するまでひたすら同じ方向に進みつづけていく。それが日本人全員に大きな苦しみをもたらした第2次世界大戦や,地震大国における原発再稼働という狂気の政策を生む原因となっている。
註記)以上,矢部『日本はなぜ,「基地」と「原発」を止められないのか』282-283頁。
補注)いまのこの日本,2013年4月段階になっているが,20世紀に最後の10年を残すころに発生した「バブル経済の破綻」以後,とくに21世紀中は「失われた10年」をすでに3周回反復してきた。まずいことにこれを阻止し,少しでもこの国の未来に期待なり希望なりをもたせられる政治家も官僚群も財界人も,さらには知識人も思想家・哲学者もいない国家になった。
その「居る者」たちとみたら,2010年代において日本の憲政史上「最悪のウソしかつかない安倍晋三政権」が,この国を幼児的(チャイルディッシュ)に,それも徹底的に破壊していた。このアベの祖父(母方の)は「昭和の妖怪」と異名をもらっていたが,その外孫のほうは「この国を破壊しまくってきた」だけの,単なる「世襲3代目の政治屋」の1人であった。
もっとも,「こんな人」しか国家の最高指導者を選ベない国民・有権者側にも特定の責任があった。それにしても,あの「世襲3代目の政治屋」の無策・無能なボンボン〔たち〕が順々に,この国の為政をいじくりまわしてきた。その結果が,政治の現実として荒涼たる風景しか眺望できない「この国」にした。
2022年に誕生した赤ちゃんの数がとうとう80万人を切った。あと5~6年もすれば,その出生数(および合計特殊出生率)はより顕著に低下する。そのころになったら,人口統計のこの減退ぶりが「国家の衰滅」を確実に呼びこませる基本要因になる。この人口減少問題についていえば,安倍晋三の第2次政権はいったいなにをやってきたか?
b) さて,上記に指摘した ◇-1・2・3,戦前から戦後における 「日本の国家権力構造の変遷」は,平成天皇の時期に進むと,この「天皇(明仁)」自身が外されていくといった図式的な表現を採っていた(2019年5月以降の令和天皇は徳仁)。
その点は,平成天皇のみならずその妻や長男〔徳仁〕たちが,たびあるごとに「憲法を守る」旨をしばしば表明してきた事実に注目して,観察したほうがよい事象といえる。
本(旧)ブログは,明仁天皇(現在は上皇の地位にある)だけでなくその息子や妻までが,現行の日本国憲法を守る旨を機会をとらえては婉曲ながらも明言してきた事実を,注意する必要があるとして指摘してきた。
以下はいずれも2014年中に記述されていた本ブログ論題であった。いずれ近いうちに復活させたいが,ここでは関連する記述として,備忘的に付記しておくに留める。
いまの天皇一家,とくに平成天皇の時期は《現憲法を守ります》と必死の思いをこめて唱えていた。とりわけ,彼ら1人ひとりが自分の誕生日を迎えたさい,恒例になって設けられている記者会見の場では必らず「憲法遵守の基本精神」を,わざわざ強調してきた。
なぜか?
「そうした彼らの態度表明・意見開陳」は,敗戦後の「日本国」を戦争責任問題も問われずに生き延びることできた「昭和天皇の時代」において,「日本の支配層が構想し実現させてきた」「戦後体制」(安倍晋三流に形容すれば「戦後レジーム」)を,「平成天皇の時代」になってからもなお,「日本の政治体制のあり方」として遵守すべき点を,国民・国家・体制側に対して必死に訴求しようとして試みられたものである。
昭和天皇がアメリカ側にみずから伝達した『沖縄メッセージ』(1947年9月19〔20〕日)が非常に重要な歴史的意味をもっていた。このメッセージについて本ブログは,つぎの記述で触れていた(この本ブログ内ではすでに,昨日,2023年4月12日の記述で簡単に触れてあった)。
※-3 矢部宏治の著書に対するブック・レビュー
筆者は,矢部宏治『日本はなぜ,「基地」と「原発」を止められないのか』をアマゾンから購入した。本書の発行日は2014年10月29日であった。その間,アマゾンのブック・レビュー欄には14件のレビューが寄せられていたる。
補注)2019年12月12日の「本日」になると,矢部宏治の本書に対しては,267件ものブック・レビューが寄せられている。その後,5年間が経過してきたが,1月あたり5件強のレビューが,本書について投稿されていたことになる。
補注の補注)さらに,あらためて2023年4月13日の「本日」になると,このブック・レビューは442件にまで増えていた。
さて,アマゾンのブックレビューからどれをとりあげるかについては,その評価の目安のうち「最高点:5つ☆」に注目してみた。
「2014/10/23」以来のまだ早い時期での話となる。筆者が矢部『日本はなぜ,「基地」と「原発」を止められないのか』を発注したのは2014年11月3日であったから,多分,翌日には自宅にこの本が届いていたはずである。
そのころにまで寄せられたレビューはまだ14件だけであった。この状況をもってする話ともなる。そのうち,13件が「☆☆☆☆☆(星5つ)」であり,1件のみが「☆(1つ)」であった。
そして,2019年12月12日時点なるとその☆による評価は,267件のうち「最高点の☆5つ」が70%,つぎの「☆4つ」が14%となっており,全体では相当に高い評価である。
しかし,それらのレビューを読むかぎりでは,昭和天皇が敗戦後史にかかわっていた「ことの重大性・深刻さ」に十分に注意を払っている評者がいなかった。
矢部宏治の本書で指摘されている「昭和天皇の〈敗戦後史〉形成者」としての,のっぴきならぬ関与については,これを不当に軽視する観方を採る矢吹 晋『敗戦・沖縄・天皇-尖閣衝突の遠景-』(花伝社,2014年8月)の見解もある。
だが,この矢吹の観点は,今回公刊された矢部の著作によっても批判されうるはずである。つぎの本ブログの記述も参照されたい。
ところで,白井 聡『永続敗戦論-戦後日本の核心-』(太田出版,2013年)は,「1945年以来,われわれはずっと『敗戦』状態にある。『侮辱のなかに生きる』ことを拒絶せよ」と主張した。
白井 聡によるこの表現が含意する歴史的な問題は, 本日とりあげた矢部宏治『日本はなぜ,「基地」と「原発」を止められないのか』集英社インターナショナル,2014年10月の意図と,相互に補完する間柄にあった。
本ブログは,白井 聡については,つぎの記述のなかで関説した。「☆-番号」の記述はいずれ近日中に本ブログで復活させ,公開する予定である。
以上,矢部宏治『日本はなぜ,「基地」と「原発」を止められないのか』の問題提起を受けて,本ブログにおける関連の記述を多く紹介もする論及となったところで,この記述はいったん終えることにしたい。
まだまだ,関連する議論が大いに必要であるゆえ,以上に紹介してみた本ブログ筆者の諸記述は,なるべく早めに順次「復活・公開」していくつもりである。それとともに,新たに記述を追加して書き下ろす用意もある。
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