皆様のためとささやいてきたが実質的に国営放送のNHKが「プロジェクトX」と称した番組の改訂版を再放送し,かつての「日本の努力・研鑽・栄光・名誉」をめぐる数々の物語を語ったこの番組については新しい話題も用意して,最近における「X」的な話題もとりあげ,いまどき郷愁しつつ讃頌する「衰退途上国」的事情,能登半島無情
※-1「プロジェクトX」というNHKのリバイバル的な番組
NHKの番組に関する広報いわく,「『新プロジェクトXから挑戦者たちから』は,人びとの生活を大きく変えた新製品の開発や,日本人の底力を示す巨大プロジェクトなどに焦点を当て,そこに関わった人々の挑戦とその陰にあったドラマを描いた番組です。2006年まで旧シリーズ『プロジェクトX』として放送され,2024年度に18年ぶりに新シリーズが復活しました」
この旧『プロジェクトX』でこの番組のテーマソングを歌ったのが中島みゆきであった。新しくなって再開されたこの番組でも同様に,みゆきの歌が朗々と流されその番組のつど,とくに「かつての日本の努力・研鑽・栄光・名誉」をめぐる数々の物語からは,誰にでも与えられる「気分の高揚」,さらには「国民・国家意識」にかかわる「時代精神そのものの充実」が,たっぷり満たされうるかのように企画されていた。
そのような『プロジェクトX』が新企画として再放送されるに至っては,今回の『新プロジェクトX』となったゆえ,新たに企画・制作された番組も登場させていた。
とりあえずここでは,この記述をするきっかけとなった事情に言及しておこう。
本ブログ筆者は先週の土曜日,2024年12月21日午後7時半から放送された「新プロジェクトX 能登輪島炊き出し10万食~地震と豪雨 地元を支えた食の力~ 」という報道番組を,たまたま視聴する機会があった。
その番組は,能登半島地震直後,この地震に被災した人びとのなかから自然発生的に生まれた「給食体制」の組織化,それも少人数による取り組みとしての動きであったものを,放送していた。
番組はさらに,2024年9月21日から23日にかけて発生した石川県の能登半島を襲った豪雨(能登半島豪雨)について実は,2024年の元日に発生した能登半島地震からの復旧が,依然ままならないでいた状態のなかで発生していたこと,いわば,あたかもそれまで捨て置かれてきたかのような実態のなかで,再度の災害にみまわれた「現地の状態」にも触れる内容であった。
※-2 国や地方自治体は能登半島をまともに救済せず復旧も手抜き態勢なら万全,まさに菅 義偉流の「自助最優先」「公助はあてにするな」の好例見本
a) さてまず,前世紀中の時期においてならばまだ,少年・少女であった人たちであれば記憶している大地震として,つぎの気象庁ホームページの解説を借りて思いだしてもらうとするが,1993年7月12日に発生した北海道南西沖地震があった。
そして,この地震のあとさらに,1995年1月17日に阪神淡路震災も発生したことは,われわれの記憶のなかにはもっと強い印象を残したはずである。この記述での議論の焦点は,日本における自然災害としてもっとも目立つ実例の大地震の発生事例に向けられる。
ここでひとまずさきに触れておきたい事実としては,北海道南西沖地震の被災者たちの場合,それはもちろんひどい目に遭ったのちでの話となるが,なんとか復興(復旧ではない水準にまで)を実現できていた。けれども,それ以降に発生したほかの大地震の被災者たちの場合になると,そうはいかなくなった実情が記録されてきた。この事実は格別に注意しておきたい点である。
b) 前世紀の終わり10年間に発生した自然災害「大地震」としては,北海道南西沖地震(1993年)や阪神淡路震災(1995年)があった。さらにとくに,21世紀になって,日本古代史まで視野に入れても最大級となった,東日本大震災が2021年3月11日に発生していた事実も併慮して気づくのは,日本政府の災害対策の貧困ないしは不備,そして,とくにそのやる気のなさが強く前面に出ていた事実である。
最近,天皇夫婦(徳仁と雅子夫妻)が輪島の避難所(9月の能登豪雨でいまだに避難生活を強いられている人びとが収容されている)を訪問したというニュースが報道されていた。
つぎの新聞報道は『日本経済新聞』の2024年12月18日朝刊42面「社会」に出ていた,関連の記事である。この写真と似た構図は,神戸淡路大震災や東日本大震災の事後においても,平成天皇夫婦がになってきた役割を思い出させる。
「2024年1月1日の能登,9月21~23日の能登豪雨,⇒ 12月17日の徳仁天皇夫婦の見舞い」という今年中の月日の流れのなかで,このような皇室側の行動がはたして,どのような政治的な意味あいをもちうるのか,国民・県民・市民の側からも,自分なりに冷静に考えてみる余地があった。
c) 安倍晋三の第2次政権以降,日本のメディア・マスコミは「第4の権力」として,最低限必須であった批判精神を完全に喪失した。本日議論の対象にとりあげている『新プロジェクトX』という番組を,旧『プロジェクトX』の再生・復活版として放送しだした国営用TV局NHKは,
能登半島で本年になって発生した大地震や豪雨を,その事象が起きた時点においてニュースとして報道するだけでなく,その後において「解説記事」的に追報(続報)してきた事実にも絡めて再考してみるに,
いったいどのようなつもりで,『新プロジェクトX』が能登半島地震そのものに関連した今回の話題を,「新プロジェクトX 能登輪島炊き出し10万食~地震と豪雨 地元を支えた食の力~ 」と題して,企画・制作・放送したのか,疑問しか残さなかった。
冒頭で紹介した文言を再度,引用するが,「『新プロジェクトXから挑戦者たちから』は,人びとの生活を大きく変えた新製品の開発や,日本人の底力を示す巨大プロジェクトなどに焦点を当て,そこに関わった人々の挑戦とその陰にあったドラマを描いた番組です。2006年まで旧シリーズ『プロジェクトX』として放送され,2024年度に18年ぶりに新シリーズが復活しました」と自信をこめて宣伝したさい,
2日前の2024年12月21日に放送した『新プロジェクトXから挑戦者たちから』は,「新プロジェクトX 能登輪島炊き出し10万食~地震と豪雨 地元を支えた食の力~」であったという標題は,これにしたがい「日本人たちはみな見習え!」とでもいう含意でもこめておきたかったのか?
c) 率直にいう。本ブログ筆者はこの放送を視聴した最中から,大きな「?」がずっと頭中をぐるぐるかけめぐっていた。そうではあるまい。そうであってはまずい,いけないと。
そもそも,12月21日に放送された「新プロジェクトX」のその番組は,「地震と豪雨 地元を支えた食の力」があった事実を,われわれに的確に伝える点そのものとして,有意義であったとはいえない。
だが,NHKであれば「国民たちのための放送局」であるならば,それよりさきに十二分にわれわれの側に伝えるべき,大地震や豪雨の災害の「その後の諸問題」があったのではないか?
もしかすると,そのような題材は「新プロジェクトX」ににつかわしくないという判断でもあったのか? この当たりの問題点を詮索しようと考えてみたが,実は『長周新聞』が「気になるキーワード:能登半島地震」という項目のもとに,後段(だいぶあとに付記するものとなるが)に,いちいち列挙するかたちで関連する記事を書いていた。
NHKの「新プロジェクトX」企画の担当者たちに聞きたいのは,なにゆえ「地震と豪雨 地元を支えた食の力」という話題で,この番組のひとつを企画・制作・放送したのか,という基本的な疑問が浮上するほかなかったことである。
d) この番組は端的にいえば,菅 義偉元首相が強調していた愚かな意見,すなわち,国民たちは政府・権力体制側に対して「公助」は期待するな,なるべく「自助」でやれ,それでも足りない部分は「共助」でやればいいといったごとき,いわば「貧困きわまりないの政治哲学・理念」にもとづく「大災害の被災者への救援態勢」は,まるで “われら(政府・内閣・与党は)関せず” を基本としたやり方になっていた。
政治の仕事は経世済民(経済)であり,このためにまつりごと(その政治)があった。ところが安倍晋三の第2次政権からは「いまだけ,金だけ,自分だけ」の私物化(私物化)政治が,しかも「世襲3代目の政治屋」を中心とする国会議員が,おまけに縁故行政ばかりをてんこ盛り的になすばかりの光景になっていた。
そんななかで,2024年は新年の元旦から能登半島地震が起こり,これへの支援・救済も積極的に進展させなかった,政府・地方自治体(とくに,石川県の「あのプロレスラー」の指導者としての采配ぶりがまったく体たらく同然であった)の動きは,まるでやる気がなく,あたかも能登半島は切り崩して日本海に流しこんでしまえ,とでも解釈できそうな「やる気のなさ」が非常に目立っていた。
こうした指摘はたとえば,冒頭で触れた「北海道南西沖地震の被災者たち」が,また「阪神淡路震災の被災者たち」(こられ以外にもいくつも大災害があった)が,大災害の発生後,どのように援助・救済され,市や町全体が復旧・復興ができていく道筋をたどっていったかを想起してみれば,今年2024年に石川県能登地域で発生した大地震や豪雨の被災者たちは,まことにひどい対照となる実例を提供させられた。
e) はっきりいえば,いままでにはみられなかったごとき《災害地の切り捨て》かといったふうに,けっして邪推ではなくて本当に政府はそののつもりだ,という国家側の意思までが透けてみえた。
確実にそのように「第3者のわれわれ居る場所」にまで伝導されてきたのが,今年1月1日から能登半島地域を襲った「大地震と豪雨の災害に遭わされた石川県能登地域の人びと」に対して,政府が実際にみせた「対応のひどい貧困ぶり」であった。
しかし,人ごとではない。いつかは自分の身にかかってくる問題かもしれないのである。なにせ相手は,自然災害が発生してくる種類の問題である。しかしまた,それが為政者が対応すべき問題になっている事実も,否定のしようがない前提である。
f) たとえば,つぎに材料を挙げて説明するのは,今年1月1日に発生した能登半島地震直後,国土交通省がこのような禁止令を発した事実があった点であるが,これは当時よくしられたるが,思えば奇妙なお触れであった。
能登半島地震が発生した直後から長期間,現地の主な交通機関である主要道路はほとんどが寸断されてしまい,現地の被災状況の把握がままならない状況になった。そのなかで,ただともかく民間人が私的にドローンを「飛行させることはならぬ」,「ならぬことはなりませぬ」みたいに,わけのわからぬ禁止令を国土交通省が発令した。
だが,現地の状況について情報がほとんど取れず,自衛隊3軍の出動態勢も,いまから振り返ってみるまでもなく,かなり手抜きであった災害対応姿勢に鑑みれば,民間人がドローンを飛ばすのをただ単に禁止にしておくのではなく,ただちに彼らのドローンを災害情報を収集させるために組織的に活用する指揮態勢をとれなかった,政府なり地方自治体の無為・無策のほうがむしろ大問題であった。
g) 要は,あれだけの大災害が発生し,現地についてはその被害状況さえろくに把握できなかった段階において,それこそ猫の手を借りてでも,なにか関連する情報を可能なかぎりえておきたいと必死になって努力するのは,当然のなりゆきである。
危機管理学を専門とする研究者もいたはずだし,政府・官邸内にもその危機管理担当者を置いていたが,彼らはなにを政府に対して助言ないし助力していたのか? 筆者の立場にはわかりえないことがらだが,それにしても存在感のない一群であった。
※-3『長周新聞』の記事や論説がいうことは「まっとうな意見」
この『長周新聞』2024年12月4日の記事,見出し「能登復旧遅らせる国行政の無策 いつまでも続く人手不足放置 住環境の整備と生業保護急げ 絶望感に抗い復興目指す生産者」https://www.chosyu-journal.jp/shakai/32937は,長い記事であるから,最初の段落のみ紹介しておく。(そのほかたくさんある関係の記事はそのあとにかかげる)
この記事には,11月27日に撮影した現地の様子が紹介してあった。解体作業をする業者が現地には集まりにくい「全国的な事情」があり,昨今の日本においては業者の深刻な不足があるとはいえ,被災地への対応をみると,災害発生後11月が経っても「木造の個人住宅すらまだ全部片づかない」でいるという状況は,異様である。
なお,本日のこの記述のとっかかりは,NHKの「新プロジェクトX」に関する話題にあった。だが,その番組に組まれた話題のひとつひとつが,とくと語る “日本・日本人の技術や文化のスゴさ” ではない問題,
つまり「『新プロジェクトXから挑戦者たちから』は,人びとの生活を大きく変えた新製品の開発や,日本人の底力を示す巨大プロジェクトなどに焦点を当て,そこに関わった人々の挑戦とその陰にあったドラマ」とはとうてい,いいえなかったたぐいの問題が,
2024年12月21日午後7時半から放送となった「新プロジェクトX 能登輪島炊き出し10万食~地震と豪雨 地元を支えた食の力~ 」には全面的に含まれていたという点に求められていた。
その番組は,地元の人びとが大地震直後からできるだけ多くの被災者たちに,暖かい食事を1日に一度でも提供したいと,飲食店経営者たちが組み(チーム)を作って必死になって,その試みを実際に立ち上げ,実現させた美談である。
だが,国家や地方の為政者たちのほうが,そこではなぜか,いっさい存在感がなかったどころか,最初からまったく無縁だったがごとき「体制・組織・連中」として完全に,疎遠かつ不在であった。
つまり,その番組制作の問題意識に上がるべき対象からは,完璧に抜け落ちていた。この点に最初からそもそものが疑問があった。
ところが,そのもっとも肝心な要所に気づかなかったのが,仮にでも番組を制作したNHKの制作・担当者たちの立場であった。そうだとしても,その立場から浮上していたはずの問題性そのものをめぐっては,視聴者側の立場のほうからでもいい,その重要な論点を欠落させた不可解さのかげんに気づいてもよかった。
『新プロジェクトX』なる番組のリバイバル版1作として制作・放送された,この「新プロジェクトX 能登輪島炊き出し10万食~地震と豪雨 地元を支えた食の力~ 」は,いったいなんのための,誰のためであったのか? 当事者たちを礼賛するためだったのか?
以上の記述に関連させては,『長周新聞』のつぎの記事に添えられた画像をよく観ておきたい。秋も深まりつつあったころの「輪島市内の姿の一例」である。
ここからは(ネット画面で)つぎの頁に進んでの各記事の紹介。
以上の諸記事以外にもさらに,関係して「以前の時期の日付になる諸記事」がまだあるが,きりないのでいったん,ここで切り上げておく。ともかく,いずれも長めの記事なので,読むぶんにはいくらか,それ相応に覚悟が必要となるかも・・・。
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