安倍晋三風「美しい日本国」はいまいずこ?「世襲3代目の政治屋」が思う存分に破壊してきた結果(続編)
※-1「新聞,テレビが報じない『木原事件』全ての疑問に答える 現役刑事も告白,捜査メモ独占入手【週刊文春 目次】」『文春オンライン』2023年8月3日〔8月10日号発売〕,https://bunshun.jp/articles/-/64765
このところ連続して『週刊文春』が記事にとりあげ報道している「木原(誠二)事件」は,安倍晋三「政治」の『悪の権化(邪悪の濃縮体一例)』だと解釈するのが,「現在の日本政治の立ち位置」を判断するための材料としてもっとも適切である。
※-1のこの記事は「新聞,テレビが報じない」けれども,「木原事件」のすべての疑問に答えるとして,このところ『週刊文春』が毎週連続するかたちで,木原誠二官房副長官の妻がなんらかのかたちで関係していたと疑われている「殺人事件」を追究する記事を書いていた。
ところが,どういうわけがあったのか(もともとこの事件を基本的に取材できていないという基本的な制約があって),また政権への忖度が “骨がらみに体質化していた” 大手メディア・マスコミの腰抜けぶりが原因して,文春以外の報道機関は,まったく無能ではないかと思えるほど,完全に打つ手がなく,ひたすら傍観をつづけるだけといった体たらくを,ひたすらさらしてきた。
もっとも,文春側へ「警察側の捜査資料」など「関連する情報」を提供したと思われる「特定の政治勢力」(多分,二階俊博と菅 義偉だと推理されている)がいた指摘されてもいる。それゆえ,裏舞台で暗躍している彼らたちの動きは,政権=政界の暗部における〈政治的な綱引きの材料〉にもなっていた,今回の「木原事件」を裏で糸を引いていると推理されても,なんらおかしくはない。
一方で,その殺人事件では担当刑事として責任者になっていた佐藤 誠氏が,昨年中に退職したばかりの元警察官〔元警部補〕だったという事情を鑑みるに,あえて公務員に課せられている守秘義務を超克するつもりもあってか,そうした暴露をする記者会見を敢行していた。
警察庁の基本姿勢として表明されたものであったが,その捜査結果には事件性がないと公式見解を公表したのが,当局側の「警察庁の露木康浩長官」であった。また,政府・内閣の松野博一官房長官による同様な発言は,「木原副長官からは一連の報道に関し,私が調査捜査に圧力をくわえたとのご指摘は事実無根です(と報告を受けた)」と表明していた。
それら政権(権力)側の見解が,警察の現場で働いてきた捜査官が現場で実感してきた体験をまっこうから否定する記者会見として発表されたとなれば,いま「木原事件」として騒がれている関連での「今回の殺人事件」は,現政権側においては当然のこと,どうしても隠さねばならない深い闇を後景に控えているとしか観るほかない。
さらに前述のなかで示唆したつもりであるが,自民党内の派閥闘争的な軋轢関係が「木原事件」として現象させられている事情もあったゆえ,この事件をかこむ様相は三つ巴的に複雑な側面もある。
いずれにせよ,この種の殺人事件は安倍晋三の第2次政権以来の悪影響があって,本来であれば大手メディア・マスコミがこぞって大々的に報道する話題満載の出来事であるはずのものが,なぜか,文春だけ孤軍奮闘する布陣でもって,つまり文藝春秋社が独走するかっこうで報道しつづけている。
日本における報道の自由度が安倍晋三が第2次政権を持続している期間からそうであったが,いまもなお70位近くの「60台後半」に低迷させられている。その数値を付けさせる基本の要因はいうまでもなく,安倍の為政がこの日本国の中身を徹底的にグタグタというか完全にクタクタにしてしまい,いいかえれば民主主義国家体制を完全に溶融させてしまった点にみいだせる。
この日本は現状,形式だけは民主主義国家体制を採ってはいるものの,実態ときたら専制的な強権(狂犬的な)政治になっていた。民主党が政権を奪回した2019年の当初,報道の自由度が11位にまで高まっていた事実に比較すれば,
現状の岸田文雄政権の民主政に反した腐敗・堕落の度合とみたら,「安倍晋三の悪政・ウソの為政」をそのまま継承しているだけであって,非常にたちの悪い症状を提示している。
この岸田文雄の実質的な後ろ盾(知恵袋)である木原誠二官房副長官が,最近のように「殺人事件がらみの話題」で取り沙汰されている状況は,自民党政権の全体的な腐敗・堕落状況の深刻さを,無限拡大的につまりどうしようもなく表出させている。
本ブログ筆者は「木原事件」の今後における推移・展開も重要な関心事ではあるとはいえ,それと同時に,現状における日本の政治・経済がきわめて深刻な状況,つまり沈滞・凋落の傾向に嵌りこんでいる実情は等閑視できない,と考える。
ということで,本日は昨日(2023年8月2日)の記述の分量が増えてしまったために,そちらに収めることを諦めた,それも金子 勝がユーチューブ動画サイトで示していた「現状における日本の惨状」の説明を,その動画そのものではなくて,
そのなか紙芝居的な紹介になるが,「動画全体の流れから特定の諸画像の場面」を逐一取りだしてみては,並べる体裁をもって,現状日本の「政治・経済」が当面している非常に重大な課題,
いいかえると,安倍晋三政権以来,依然続く『国家体制の溶解』『その破綻への一途』が明瞭に視覚化もされている様子を,説明する材料に生かしたい。
※-2 ユーチューブ動画サイトを早送りにしてもけっこうな時間がかかるので,この紙芝居的に切りとった画像の連続を,それぞれに関して,必要ならばじっくり眺めて,しっかり理解するように努力するのもまたあり,ということで,以下にそれら画像資料をならべてみる
なおそれぞれの画像に関しては必要なものについては,真下の註記欄に記入しておく。以下の紙芝居的な引用ではまだ判りにくいという人は,ユーチューブ動画サイトそのものをじっくり視聴して,さらに理解を確実なものにしてほしい。
いまのところ,この金子 勝の解説が一番理解に納得がいくものである。
【この画面( ↑ )に関する関連記事】
⇒ https://johosokuhou.com/2023/08/03/69003/
※-3 2011年「3・11」の東電福島第1原発事故をとらえて「第2の敗戦」と理解した基本的理解
『茨城県』のホームページに「『第2の敗戦』を考える」という短文だが要をえた文章が掲載されていた。途中になるが,ぜひ一読してほしい文章である。⇒ https://www.pref.ibaraki.jp › tokei0302-01(この住所ではもとのウェブ・頁が開かないので,以下にその現物を引用しておく)
この文章であるが,いまの2023年にも通用するとなれば,なんともみじめな気分に落ちこむほかない。
「いまから7年前の戦後50年を機に,バブル崩壊後の経済の低迷,社会不安, 行政不信等日本の経済・ 社会のいわば劣化状況を表わすのに, その「第2の敗戦」という表現が用いられていたという「この一文」は,つまり,2002年に書かれていたものであった。なんとほぼ20年前のこの文章の中身がなお「現時点にもそのままそっくり妥当する」ことを,ここでみとめざるをえない
その間,この日本は「失われた10年」をすでに21世紀の2010年代まで3周回も反復させてきた。まるで発展というか進化の実質がみつからない国になりさがってしまった。
その2010年代の2年目であった2011年3月11日の「午後2時46分,東日本大震災が発生し,東電福島第1原発事故が誘発され,日本は大混乱になり,一時期は東日本が沈没状態になるのではないかとまで心配された。小松左京のSFが現実になりそうな様相が現出していたのである。
この原発事故は日本が「失われた10年」を2周回終えたところで発生していた。しかも,2010年代に登場した安倍晋三の第2次政権は「子どもの裸の王様」による為政であったがゆえに,この国を美しくするどころか,すっかり「嘘と偽り」ばかりの,そして「今だけ,金だけ,自分だけ」の私物化(私物化:汚物化)政治しか,その内実がない国家にしてしまった。
金子 勝に前段のごとく,現状の日本経済・社会にいくら「活を入れてもらった」ところで,もう間に合わない,もう手遅れだという感が強い。それではどうしたらよいのか? 今日のこの記述ではそれに対する答えは出せないまま終えるほかない。
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