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学術論文の執筆に関するある疑問

 ※-1 論文の執筆に関して感じた疑問

 最近たまたまにであったが,工藤剛治という千葉商科大学の先生が書いた論文(「論説」)をネット上でみつけ,これを読んでみた。読後感というよりは,論文の執筆作法に関してとなるのだが,どうしても払拭できない,ある意味,後味の悪い印象を抱いた点をめぐり,述べることにしたい。

 ここでとりあげるその「論説」は,工藤剛治「戦前・戦時期の日本における経営学」『千葉商大論叢』第46巻第4号,2009年3月である。この( ↑ )題名にはリンクが張りついているので,興味をもつ人はひとまずこれを開いて,できればひととおりでも目を通してもられば好都合である。以下の記述の意図がより理解してもらいやすくなるはずである。

 

 ※-2 工藤剛治という姓名の学究は,ネット上にはこう解説されている

「工藤剛治 プロフィール」『HMV&BOOKS online』https://www.hmv.co.jp/artist_工藤剛治_200000000296549/biography/ という人物案内があった。

 千葉商科大学助教授。北海道大学文学部哲学科(西洋哲学)卒業後,有限会社ニチイ工機を経て現職。北海道大学経済学部経済学研究科博士後期過程修了。

 この履歴紹介は,著書の『社会的組織学習-市民社会と企業社会の共創的知識創造に向けて-』白桃書房,2003年から拾った情報に依拠していた。それゆえかなり以前の内容であった。

 また「工藤剛治 KUDO Koji」『KAKEN』https://nrid.nii.ac.jp/ja/nrid/1000070281780/ によると,こういう説明が記述されていた。「研究分野」は「経営学」である。

  2001年度 千葉商科大学, 商経学部, 助教授
  1998年度-2000年度 千葉商科大学, 商経学部, 専任講師
  1997年度 北海道大学 経済学部 助手 

 さらに「工藤剛治 プロフィール」『HMV&BOOKS online』https://www.hmv.co.jp/artist_工藤剛治_200000000296549/biography/ によれば,つぎの人物案内が出ていた。

 千葉商科大学助教授。北海道大学文学部哲学科(西洋哲学)卒業後,有限会社ニチイ工機を経て現職。北海道大学経済学部経済学研究科博士後期過程修了。

 くわえて「工藤剛治 KUDO Koji」『KAKEN』https://nrid.nii.ac.jp/ja/nrid/1000070281780/ によると,こういう説明が記述されていた。研究分野は経営学である。

  2001年度 千葉商科大学, 商経学部, 助教授
  1998年度-2000年度 千葉商科大学, 商経学部, 専任講師
  1997年度 北海道大学 経済学部 助手 

 もう1点触れておくと,工藤剛治の指導教授(大学院時代)であった教員は,北海道大学教授小島廣光であり,その「門下生(研究者として活躍している人)」の1人として「工藤剛治 千葉商科大学商経学部 教授(故人)」と記載もみつかった。

 しかし,この正確な時期(工藤が故人となった年月日)はよくわからないが,ともかくすでに他界していた事実と,教授にまでなっていた履歴(職歴)は判った。

 なお『千葉商大論叢』第56巻第3号,2019年3月が「人間関係の物象化と西欧文化」と題した「論説」を掲載していたので,当時はまた健在だったことになる(冒頭にかかげた画像はこの研究紀要の表紙である)けれども,現在だと工藤剛治は故人になっているので,できたら,訊ねてみたかった以下の疑問点を直接もちかけることができず残念である。

 なにを訊きたかったというと,工藤剛治「戦前・戦時期の日本における経営学」『千葉商大論叢』第46巻第4号,2009年3月という「論説」(ふつうは論文,論稿とも表わす)の執筆作法に,ある基本的な疑問を感じたからであった。

 本文中において「引用された文献」の「表記の仕方」に関してだが,被引用者の「姓名,発行年」はこのように,句読点をはさんだかたちで,それぞれが 丸括弧内 に囲まれる体裁で表記されていた。

 補注)この「表記の仕方」に関する説明は判りにくいと思うが,末尾に工藤剛治「論文:本文」の現物を,部分的にだが複写して提示してあるので,そちらでも確認してほしい。

 そして,引用された文献は末尾に一覧されているが,「あいうえお順」になる,その「〈被引用者〉の姓名」および「文献名」の記載はあるものの,要は「引用した(された)その頁」の明記が,いっさいない。

 なによりも,本文中におけるその「他者からの引用」が,執筆者自身の文章と完全に融合,一体化している。この点が「学術論文の執筆法」として問題にならざるをえない点は,詳説する余地もあるまい。

 どの学術団体(大学,学会,各種研究機関など)でもよいのだが,たとえば,論文執筆にさいして基本的に要請されるつぎのような留意事項は,当然のように指示されている。

 以下に例示として紹介してみるその注意事項は,「日本科学教育学会誌『科学教育研究』へ投稿する論文を執筆する際に,厳守していただきたい事項をまとめたものです」という実例から抽出した該当部分の段落である。

 註記)「論文執筆要項(2020. 7. 1)」,日本科学教育学会誌『科学教育研究』 https://jsse.jp/15-2/33-2

 以下の引用(紹介)では,一部の符号はわかりやすいものに代替してみた。さらに分類もわかりやすくするために,必要に応じて適宜に符号を振った。

  ◆ 文献の記載事項 ◆

 論文,単行本,編著本の場合,それぞれの記載事項は次のとおりである。
 
  a) 論文の場合は,「著者(発行西暦年):論文題目,誌名,巻,号,始ページ~終ページ。」

  b) 単行本の場合は,「著者(発行西暦年):書名,発行所名。」

  c) 編著本の場合は,「著者(発行西暦年):題名,編者名編「書名」,始ページ~終ページ,発行所名。」である。

 和文著者は,姓と名を表記する。欧文著者は,姓を記載後,名の頭文字を表記する。姓の後のカンマと名の頭文字との間は半角のスペースを入れる。

 なお,著者が複数の場合は,カンマで区切って並べる。3名以上の場合は筆頭著者「ほか ○名」(欧文著者の場合は et al. )と,略しても良い。

 欧文雑誌名は,ULRICH 等で慣用的な省略名が確定している場合にはそれを使用する。

  Web サイトの場合,「著者(発行西暦年) : 資料・サイト名,URL(取得日)。」である。

 文献の記載順序。文献は,和文と欧文を区別しないで,次のように並べる。

  イ) 著者(共著の場合は先頭の著者)の姓の欧文表記に基づいて,アルファベット順に配列する。

  ロ) 同一著者による論文が二つ以上ある時は,以下のようにする。

   単著論文を発表年代順に配列する。

  ハ) 共著論文は,著者全員の欧文表記に基づいて,アルファベット順に配列する。

   同じ共著者による論文で,著者の順序も同じものが二つ以上あるときは,発表年代順に配列する。

文献の記載要領

 工藤剛治の「論説(論文)」にあって,どのようなことが気にならざるをえなかったかというと,要は,一貫して引用文献からの引用頁の指示(明記)がなかったのである。この事実が,論文執筆にかかわってどのような問題を惹起させるかについては,くわしく説明するまでもなく,自明に過ぎた点である。

 なかんずく,疑念を強く感じ,問題になるほかない註記の「表記」を「おこなっていた」。というよりは,最低限必要は不可欠である註記作業のひとつが完全に欠落させていた。当該の人物はすでに故人であるゆえ,その事実を当人には伝えられない。

 以上のように指摘した点は,たとえばつぎの画像資料同士を突きあわせてもらうまでなく明快であったはずであるが,あえてその見本としてかかげておく。

 まず「戦前・戦時期における日本の経営学」の本文から。上田貞次郎,岡崎哲二,大河内一男,柳沢 治が出ていた。

この4頁は1行目からこの途中までを切りとるかたちで紹介してある

 以上の本文箇所に該当する引用文献が出ている頁の段落を,以下に切り出してみた。本文中に引用された被引用者たちの「文献」は,いちおう,このように出てはいるけれども,「肝心の引用頁」がこちらの引用文献一覧のほうにおいては,いっさい記載されていない。 

同上のとおりである
同上のとおりである

 結局,本文の記述において,「著者の文章」と「引用されたはずの文章」ないしは「参照された文章」の該当部分とが,まったく区別・分別・識別できず,完全に混濁させられている。これではまずいと解釈するほかない「一例」だと判定せざるをえなかった。

 

 ※-3 二松学舎前学長の論文盗用問題-参考記事として参照し,若干議論する-

 2日前,2024年2月23日であったが,『毎日新聞』朝刊に「論文の盗用」疑義に関した報道がなされていた。ともかく,この記事の全文を紹介しておく。

   ▼ 二松学舎大前学長の論文盗用認定 他の著書「存在に疑義」▼
      =『毎日新聞』2024年2月23日朝刊25面「社会」=

 二松学舎大(東京都千代田区)は〔2月〕22日,前学長の中山政義教授が発表した論文1点に,他の研究者の論文からの盗用があったとする調査結果を公表した。さらに,他の著書や論文についても「存在しない可能性がきわめて高い」などと疑義を指摘した。大学側は中山氏の処分を検討する。

 中山氏が研究業績としていた複数の論文や著作について「他の論文と酷似している」「存在が疑わしい」などと学内から疑義が寄せられていた。大学側は調査委員会を設置し,2023年9月から論文・著作計7点を対象に調査した。

 盗用が認定されたのは中山氏が1988年に執筆した「アメリカ会社法における自己株式取得に関する考察」。他の研究者が70年に発表した論文と複数箇所で酷似しており,調査委は引用について明示しないまま流用したと認めた。

 また,中山氏が2001年に出版したと研究業績に記していた共著書や,1987年の論文については存在の裏付けが取れず,調査委は「存在しない可能性がきわめて高い」などと指摘した。

 一方,盗用が指摘された他の論文や著作は「多くは一般的ないいまわしや表現であり,明らかな盗用には該当しない」と結論付けた。

 中山氏は国際政治経済学部長や副学長を経て,2023年4月に学長に就任。調査が始まった同9月,「調査結果の公平性を確保する」との理由でみずから辞任した。

 二松学舎大は調査結果を受け,「信頼の回復をめざし,研究倫理の徹底と再発防止に努める」とのコメントを出した。

二松学舎大前学長の論文盗用問題

 この記事の「話題⇒論点」は,盗用とはいえない内容にまでも言及があった。それは,盗用だとは「疑えない」事例についてであり,ただ,文献の引照にさいして守るべき,最低限の手順に関して「決定的な不備・手抜かりがある」と指摘されていた。

 本ブログ筆者が工藤剛治の「論説」についてとりあげたのは,その種の指摘にまったく反論できない「学術論文の執筆作法」が,※-2において講評してみたごとくになされていた,としかいいようがなかったからである。

 思うに,まるで大学院の修士課程院生が論文の執筆法であらためて,指導教授から具体的に教えを受けるがごとき「種類」ないしは「程度」の「問題点の指示」となっていた。

 それゆえ,ここでの議論のなりゆきとしては,いささかならず愕然ともさせられた。いい方にもよるが,学部学生の卒論でも問題として指摘されるごとき「手抜かり(もしくは手抜き?)」があったともいえそうである。

 しかし,いずれにせよ工藤剛治「本人」はいまでは故人である。直接,以上のような議論を聞いてもらうことはできない。あとは,教員として所属していた千葉商科大学の『千葉商科大学論叢』の発行主体である「千葉商科大学国府台学会」に対してとなるが,ここまで議論してみた問題性を受けとめてもらうほかない。

 さて,本ブログにおいて筆者は別途,原 朗(元東京大学経済学部教授)の業績(基本構想・理論設計図)が,かつて「若い時代」には研究仲間であった小林英夫(元早稲田大学教授)の剽窃被害を受けたと判定されて「当然の事件」であったにもかかわらず,しかも,このうちの小林のほうがなんと原を民事訴訟したところ,

 その裁判所の審判においては,そもそもにおいて判事たちが,この提訴された事案に即してそれなりに「社会科学的な審理力の発揮に努力する」どころか,その「完全なる無知蒙昧性の次元に自分たちを待避させていた」がために,「原のほうだけが一方的に踏んだり蹴ったりされる」,つまり,完全なる敗訴の目に遭わせられる顛末が結果していた。

東京都立大学経済学部卒

小林英夫が1997年から2014年まで所属した早稲田大学は
2020年2月25日付の

「アジア太平洋研究科における研究不正事案(盗用)に関する調査報告書」によって
小林の盗作を認めている

 つまり,民事とはいえ「学問の構想問題」をめぐっては,基本から小林英夫側においてこそ完全に疑われるべき剽窃問題が発生していにもかかわらず,この小林側に勝訴させるという大誤判を下していた裁判所・判事たちの不勉強ぶりは,その誠実味を完全に欠いた「審理の〈怠惰な過程〉」を記録したことまで世にしらしめた。

 原 朗『創作か 盗作か 「大東亜共栄圏」論をめぐって』同時代社,2020年2月の公刊が意味する学問のあり方,小林英夫における学術作法「逸脱の問題」,そして「日本的に絶望の裁判所(1)(2)」

 記述日は,2023年月22日と23日。住所・リンク先は以下である。

(1) ⇒ https://note.com/brainy_turntable/n/n21c321fc33d9
(2) ⇒ https://note.com/brainy_turntable/n/nd3f99ccc667f

小林英夫・剽窃問題

 その記述の「本ブログ内の住所」は上記のとおりであるが,今回,この記述でとりあげ詮議した工藤剛治の場合は,そこまで深刻かつ高尚な次元における話題ではありえなかった。

 とはいえ,それでも論文の執筆要領に関して観過できない,それも意図的な手抜きではなかったけれども,すなわち,単に「論文の書き方」の訓練不足(?)のため現象させていた,学術的な執筆の作業にまつわる「必要かつ十分な手順の一部欠落」という問題を残していた。

こういう出来事・事件はたびたび起きている
これからも絶えることはないはずである

 上の画像資料は,当該問題をユーチューブ動画サイトが別にまた報じていた記事から,ここまで論述してきた内容との関係を配慮し,参照に値する画面を3幕拾い,結合させて表示したものである。

 二松学舎大学前学長の「論文の盗用」とは,かなり次元を異にする問題になっていたとはいえ,前段のごときに結合させてみた「ユーチューブ動画サイトの画像資料」のなかにそれぞれ挿入されていた「下部の文句」は,実は「工藤剛治が残した学術面の作法」にも,大約妥当するものであったとみなしてもいい。

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