『日本経済新聞』は「原発安価」が定説であるかのように騙ってきたが,いまだに「安全神話」信仰にもとづいた「原子力村的な虚偽報道」は止めねばなるまい
※-0 日本経済新聞社の立場,その原発推進論の虚妄,21世紀のエネルギー問題の基本動向をみさだめられない論調
本記述は2018年7月3日に公表した文章であるが,最近までは未公表の状態にあった。
本日,この記述を復活させて再掲するには,とりわけAIが普及されるにともない,大量の電力消費が予測されている関係をもって,これを原発の「再稼働と新増設」の根拠とする論陣の一端を,必死になって果たすつもりである日本経済新聞社の立場が,
21世紀におけるエネルギー問題の基本動向をどこにみださめるかについて,いまもなお「目先の利益・利害しか念頭に置けない報道しかしない」この経済新聞の時代後れ,つまり時代錯誤性が重大な問題である事実は,これをみのがすわけにはいかない。
たとえば,九州電力や四国電力では,それも太陽光発電の出力が現状における電源構成の枠組のなかでは,とくに夏季を中心に余剰電力「化」している。
けれども,九電の場合に明らかであるが「原発の稼働」を優先させるがために,「四国エリアの再エネ発電所への出力制御指示回数(2024年度)」という公開されている文書にも指摘されているように,太陽光発電の活用を邪魔するために発電しているごとき「原発という電源」の融通性のなさ,つまり,その木偶の坊的な特性が問題になっていた。
ここでは九電における出力制御の実際については,たとえば,つぎの解説を聞いておくことにしたい。この解説文は図解を多く例示しており,分かりやすい説明を与えているけれども,肝心の原発との関係性は語っていない。問答無用なのである。
2024年4月26日補注)この記述は4月25日に書いていたが,翌日26日の『日本経済新聞』朝刊に,つぎのごときに「出力制御」を批判する内容の記事が掲載されていた。ただし,原発の関係に直接触れる文言はひとつもない。
〔本文に戻る→〕 いまから2年前の『日本経済新聞』2022年5月22日朝刊「経済教室」に大橋 弘東京大学教授が,「検証・電力システム改革(上) 平時の安定供給 不安払拭を」と題した寄稿をおこなっていたが,この文章は要点としてつぎの3点を挙げていた。記事本文からも該当する段落の文句を,「⇒ 以下」にそれぞれ添えておく
○-1 太陽光の余剰時に需要増やす仕組み必要
⇒ 第1は再生可能エネルギーの主力電源化に対応した安定供給を支える仕組みの再整備だ。
○-2 停止火力の稼働など追加供給力対策急げ
⇒ 第2は電源投資不足についてだ。
○-3 燃料調達長期化や脱炭素燃料の国産化を
⇒ 最後の論点が燃料調達についてだ。
またこの大橋の寄稿は,つぎのような一部理解しにくい図表を提示していた。
要は,日本の「1次エネルギー自給比率」の低さに注目しなければならない。原発といういわば「お邪魔虫」が,このエネルギー自給率を改善・向上させようにも,基本的に妨害要因になっており,まさに大きな邪魔を果たしている。
前述した九電(や四国電力)においてはすでに実施している,それもとくに太陽光発電を主眼として対応している「出力制御」は,原発がいわば再生可能エネルギーの発展・伸長を真っ向から抑制・圧迫する基本要因となっている。
日本は原子炉で焚く核燃料の性格を称して「準国産」だとか詭弁まがいの屁理屈を用意したうえで,自国産のエネルギーを原発は生産しているなどと奇妙な論理を披露してきた。
前段にもちだした大橋 弘は,その寄稿のなかでは「原発」の「ゲ」の発言すらしていなかった。すなわち原発なし(抜き?)で日本のエネルギー問題を討議していた〔ことになりうるはずである〕。
ところで,5年半ほど昔の話になる。北海道電力で大停電が発生する事件があった。以下の引用は,経済産業省エネルギー資源庁が残した関連の解説からとなる。
この文書はこう説明していた。
2018年9月6日の3時7分,北海道で最大震度7の地震が起こったがその18分後の3時25分,「日本で初めてとなるエリア全域におよぶ大規模停電(ブラックアウト)が発生した」
札幌管区気象台はこの「平成30年北海道胆振東部地震」と名づけた地震については,つぎの住所・リンク先が,くわしく解説していた。この解説のなかには,「この地震の影響で複数の発電所が停止したことにより,道内全域で大規模停電が発生しました」との言及もあった。
〔記事に戻る→〕 地震発生の直後,当時北海道で動いていた,もっとも大きな発電所である「苫東厚真火力発電所」が停止したことは,大きなニュースになりました。では,苫東厚真火力発電所が停止したから,ブラックアウトになったのかというと,それだけではありません。
実は,この17分の間に,水力発電所や,風力発電所も大量に停止してしまっているのです。大まかにいうと,以下のような順番で発電所が停止してしまいました。
① 苫東厚真火力発電所(2号機・4号機)の停止(116万kW)
② 風力発電所の停止(17万kW)
③ 水力発電所の停止(43万kW)
④ 苫東厚真火力発電所(1号機)の停止(30万kW)
⑤ ブラックアウトの発生
このように,供給力がだんだん失われていき,最後にはブラックアウトが起きてしまったのです。(引用終わり)
だが,ここでは,北電が2018年の「北海道東部胆振地震」の発生をめぐり,どうして原子力規制庁が「原発の存在に触れないで済ませられる」のかという疑問が抱かれてよかった。
ということで,ここでひとまずは,その「触れなかった作法」じたいについては,実は,それなりになんらかの含意があったと解釈しておく。
本日のこの記述の本論は,今日の時点(2024年4月25日)になったところで,以上のごとき追論をしてから,つぎの※-2以下の記述を復活させることになる。この,2018年7月3日に初出であった文章を復活させるに当たっては,つぎの要点3つをさきにかかげておきたい。
要点:1 『日本経済新聞』の「原発安価」が定説であるかのように騙る報道,原子力村構成員的な虚偽報道,性懲りもなく「原発神話」にしがみつく新聞社。つまり,原発神話などはいまや幻影でしかありえない。
要点:2 さりげなく「原発コスト」は「燃料が安い」と,気軽に「騙れる」日本経済新聞社の報道姿勢。原発のコスト論は廃炉会計の段階:過程を基本「度外視している」ゆえ,「コストが安いのが原子力だ」という電源観は,虚偽のイデオロギーの初歩的な発露に相当する。
要点:3 「原子力は火力にくらべて50%ほど多くの冷却水を必要とする」(電力中央研究所・和田 明「原子力発電所の温排水問題-拡散問題を中心として-」『日本原子力学会誌』第15巻第6号,28頁)という事実については,けっして言及すらしない「原発擁護論」としての「脱炭素貢献論」や「地球温暖化防止論」は,原発がこの種になる「擁護論・防止論」のために役立ち,有益だと述べてきた,つまり〈欺瞞的な虚説〉を許容してきた。
以下の記述は,『日本経済新聞』はいまどき,本気で「原発コストは安い」と信じているのか(?)という疑念を提示することにも,関連している。
※-1「石油火力2基,長期停止 福島で東電,再生エネ増加などで」『日本経済新聞』2018年7月3日朝刊15面「企業3」
東京電力ホールディングスが福島県にある広野火力発電所の3号機・4号機を7月から長期停止としたことが分かった。合計出力は原発2基分の200万キロワットで燃料は重油や原油を使う。
1989年と1993年に稼働した旧型のため老朽化しているうえ,再生可能エネルギーの需要増加で競争力が落ちている。国内の電力需要の先行きが不透明なことも背景にある。
補注)ここで注意したいのは,東電広野火力発電所は「1989年と1993年に稼働した旧型のため老朽化しているうえ,再生可能エネルギーの需要増加で競争力が落ちている」と説明されている点である。
つぎの図解を参照したい。2018年当時における原発の稼働状況に関して,その最新の情報が記入されていた。
ここでは「1990年を基準年」にしておき「原発の老朽化の問題」を判断するとしたら ,いいかえれば「2018年-1990年=28年」〔≒30年〕であるその基準を適用するとなれば,すでに廃炉にされた原発はさておき,30年以上を経過した原発がいったい何基あるかを考えてみればよいのである。
原発とて初めのころは「25~30年程度の耐用年数」を予定していた。ところが,いまでは40年を基本にした期間に,さらに足すこと20年で,合計60年にも延長されている。
考えてみればすぐに分かることだが,ほかの機械・装置と比較検討をしてみると,たとえば,旅客機(戦闘機になったらもっと短期になるが,こちらは軍事的な性能が絡む問題なのでひとまず除外する)が営業用の運行に耐えうる年数は,どのくらいか。
航空機の寿命は,きちんと整備すると半永久的に使用することができるとされている。だが,機体が古くなって(老朽化して)くると,徐々に整備コストがかさんでくる。
そのため新型機を購入し,入れかえたほうが経済的に有利になるという時期があって,各航空会社はそのタイミングで航空機を売却したりする。このことは経済寿命といい,一般的に旅客機で20年,貨物機で30年とされている。
高度1万メートルの上空を飛行中に墜落事故を起こしたら乗客全員が死ぬ旅客機の事故と,深刻・重大事故を起こしたら「1979年3月のスリーマイル島原発事故」⇒「1986年4月のチェルノブイリ原発事故」⇒「2011年3月の東電福島第1原発事故」などと比較するのは,ある意味では「比較のしにくい比較」であり,かつまた,関連する議論もかなりしにくい。
双方(航空機と原発)がそれぞれ事故を起こしたときの現象は,科学技術的に「異次元に属する中身」があった。そう断わっておかねばならぬほど,とくに後者「原発」にかぎっては「技術面に関して質的にみのがしがたい困難・災厄」が,放射性物質の問題としても発生してくる。
それでも,原発についてはまず40年寿命説(耐用年数の設定)があり,さらに20年を延長し,60年まで稼働させてもいい,といった「操業期間の設定方法」になっていた。アメリカではすでに,40年を超えて稼働されている原発も,10基以上存在する。だが,このアメリカではそもそも「40年ルールに根拠はない」と明言されていた。
原子力発電所の運転期間を原則40年間に制限していた,いわゆる “40年ルール” じたいからして,いまだに不確定的な・予測不能的な大きな問題をかかえていた。再び大事故を起こしたら,またもやあらためて,その問題を本気で考え,真剣にとり組むとでもいうのか? 冗談にもならない不謹慎の議論になっている。
原発の耐用年数については,日本のルールも米国のルールを参考にしたものとされている。だが, “40年” という数値には科学的根拠はなく,当の米国側がそういう見解を示していた。
註記)以上の3段落のみ,石川 和「科学的根拠なき『原発40年ルール』を変えるには,なにが必要か」『現代イズメディア』2015年9月11日,http://gendai.ismedia.jp/articles/-/45174 参照。
耐用年数(原発の操業年数)が延ばされれが延ばされるほど,この技術面に関する保守・管理の業務は,いかに努力をしつつ万全を追求していたとことで(実はそうはしてこなかったのが原発技術の管理状態であったが),事故が発生する確率は確実に増えていく。
その種の事実は〈信頼性工学〉の観点に照らしてもいうまでもないし,工学論的にも判りきった道理みたいな認識でもあり,初歩的な認識であったに過ぎない。
ところが,原発の場合はとくに日本では「3・11」を体験しても,「原発・安全神話」という虚構の上に立てられた仮想概念によって,40年を超えて操業しても大丈夫だという〈虚説そのものであった見解〉が,原子力村的な権柄尽くの概念形成:決定事項となって,大手を振ってまかり通った。
しかし,よりによって,本日『日本経済新聞』2018年7月3日朝刊15面「企業3」に掲載された原発関係の「石油火力2基,長期停止 福島で東電,再生エネ増加などで」という記事は,すでになんら確実な根拠がみいだせなかったどころか,現時点ではその虚偽性が明々白々である「原発コスト安価論」を,性懲りなくもちだしていた。
こうしたたぐいの記事・報道でもってする,『日本経済新聞』の読者に対する不躾な「洗脳」のしかたは,いまではかなり幼稚な方法だと裁断されてよい。
〔ここで日経の記事に戻る ↓ 〕
東電が火力発電設備の長期停止を決めるのは2016年の大井火力発電所(東京・品川)など以来で約2年ぶり。これで東電の石油火力は出力ベースで4割が減ることになる。稼働中は広野火力発電所の2号機(出力60万キロワット)と茨城県の鹿島火力発電所の5,6号機(同,200万キロワット)だけだ。
一般的に発電所はまず燃料代が安い原子力や石炭火力を最優先に稼働させて安定した電力供給源とする。そのうえで太陽光や風力による発電を使うが,再生可能エネルギーの発電量は天候などにより大きく変動するため,火力の稼働率を変えて調整する。
補注)ご覧のとおり,ここでは「燃料代が安い原子力や石炭火力」を「最優先に稼働させて安定した電力供給源とする」といっており,お決まりの〈原発安価論〉を反芻した記事が披露されていた。
「3・11」以前の時期であったならばともかく,いま〔2018年7月〕にまで来た時点で,まだなお「原発コスト安価」の「思想」を反芻できる『日本経済新聞』の基本的な立場が,しかもここまで執着したかっこうで唱えられるしたら,すでに「原発コスト」に関する「安価・狂信説」だと断罪してかまわない。
一言断わっておくが,「燃料代が安い」原発の発電コストの「結果としての全体原価」が,けっして安いモノになっていなかった事実は,すでに解明されている。
〔記事に戻る→〕 火力のなかでも石油を燃料に使う発電所は,液化天然ガス(LNG)に比べて効率が悪く燃料費がかさむうえ,二酸化炭素(CO2)排出量も多いため,稼働させる優先順位は低い。メンテナンスも滞りがちでトラブルが起きやすい。
2018年冬に大雪などで東電の電力供給エリア内の電力需要が急増したさい,広野の石油火力は設備トラブルで計画どおり稼働できず需給逼迫の一因になった。
欧州などに比べるとまだ少ないが,日本でも再生可能エネルギーの発電量は増えている。政府は再生エネを「主力電源」と位置付けることをエネルギー基本計画に明記する方針で,石油火力の出番は今後も減少が続く見通しだ。
電力の総需要も減少傾向だ。関東では東京ガスなどによるLNG火力発電所の新規建設計画もあり競争が激化するため,東電は維持コストのかかる老朽設備の長期停止に踏み切ったようだ。他電力では中部電力が石油を燃料とする三重県の尾鷲三田火力発電所を2018年度中に廃止する方針を決めている。(引用終わり)
※-2「大島堅一教授による原発コスト試算」,河野太郎『ごまめの歯ぎしり』2016年11月19日
安倍晋三政権のもとで,2017年8月3日外務大臣に就任する前における話題となっていたものだが,すでに,河野太郎自民党国会議員は,このブログ『ごまめの歯ぎしり』を閉鎖していた。というのは,こういう事情があったからである。
それはさておき,以下に引用する河野太郎『ごまめの歯ぎしり』における記述は(なおこの文章「大島堅一教授による原発コスト試算」は,他所に転載・保存されていたものである。⇒ https://www.taro.org/2016/11/大島堅一教授による原発コスト試算.php)
河野太郎は,2011年の「3・11」発生以後,世の中に広く理解・認知されるようになった立命館大学大島堅一教授による「原発コスト試算」に,賛同する立場に立っていた。
「原発最安価論」の虚説性は,いまでは常識的な認識にもなっているが,旧態依然たる原子力村利害集団の圏内にあっては,この大島堅一の意見はいっさい受けいれられていない。なぜか? 過去において河野太郎が指摘し,批判した関連する論点をを聞けば氷解する。
--2016年11月17日に開かれた第61回国会エネルギー調査会で基調提起された大島堅一立命館大学教授による「原発の発電コストへの影響」によると,つぎのようは数値が提示されていた。
大島教授によれば,同時期の火力発電コストは9.87円 / kWh,一般水力のコストは3.86円 / kWh となる。そして,大島教授による提案は,こうであった。
「現在の会計は,廃炉費用の中身がまったく分からなくなっている。一般廃炉費用,事故炉廃炉費用,損害賠償費用を区別して経理し,それぞれがいくらかかっているか,分かる会計制度を構築すべきである」
「託送料金は,国会のチェック機能が働かない。そのため,経費がいくらかも分からなくなるし,経費の膨張も避けられない」
「提案が制度化されれば,ほとんどあらゆる追加的費用が託送料金から回収されることになる。これは,原子力の後始末に使途を限定した一種の目的税と同じである」
「すでに国民は,原発事故賠償費用を実質的に負担していることからすれば,託送料金ではなく税で徴収すべきである」
「税にすると国民の反発を招く可能性があるが,いったいいくらかかるのか,かかっているのか,また,経費の使い方が適切か,といったことが国民の前に明らかになる」
「東京電力の法的整理は避けられない。法的整理すれば,資産を売却することで,その分国民負担額を減少させることができる」
「賠償主体がいなくなるとの懸念はあるが,特措法を制定し,厳しい規制を行わなかった国の責任を認め,国が変わって賠償支払いをすればよい」
補注)原発が大事故を起こしていたが,その後における後始末に関して,現在もなお発生しつづけている経費,そしてまた,通常における廃炉工程の具体的内容にかかわっても未来に関して予想すべき経費,また再生エネルギーの開発・利用にともなう送電線の利用状況などに関して,電力会社側はなるべく暗箱(black box)のなかに入れたまま隠しておこうとしてきた。
要は,電力体制の改革に対する反動勢力が電力会社じたいであった。
原発のコストが「最安価であった」どころか,各種普及してきた電源のなかでは,もはや滅相もなく高い水準方法にまで上がるみこみである。実際にも相当に高い原価になりつつある現状を,電力会社側は国家とグルになって極力隠蔽するための努力を続行中である。
古賀茂明は,負担の原則(それを優先させる順位)を,つぎの順位に表わしていた。
1 東電-経営陣-社員
2 株主にとって株は紙切れに
3 銀行などの債権を棒引きに
4 電力利用者(電力料金)
5 国民(税金)
ここでついでに触れておくと,河野太郎は,『科学』2012年5月号に掲載された「〈特集〉放射能汚染下の信頼 [座談会]原発の安全なたたみ方:資金・賠償・人材」に,大島堅一(立命館大学:環境経済学)と吉井英勝(日本共産党:衆議院議員)と3人で対談するかたちで登場していた。下掲画像資料はその1頁目の上部分。
吉井英勝は,京都大学で原子力工学(工学部原子核工学科卒業)を専攻した国会議員であり,あるとき,安倍晋三と議論したがそのとき示した安倍の態度の非常にひどかったこと(無知と傲慢と無礼),このうえなかった。
註記)上記の『科学』2012年5月号のは,つぎの住所・リンク先で読める。⇒ https://www.iwanami.co.jp/kagaku/Kagaku_201205_Oshima_etal.pdf
※-3「原発の発電コストが1番安かったのでは? 『新電力にも原発廃炉費用を』」『小坂正則の個人ブログ』2016年09月08日,https://nonukes.exblog.jp/23474874/
このブログは「これだけウソをいいつづけるのは『ミサイル実験を宇宙衛星』と〔強弁する近隣の某国が〕いうのと同じ」だと,最初に批判したうえで,つぎのように論じていた。
a) まず,後段に引用した『毎日新聞』の記事を踏まえての話となる。経産省・資源エネ庁の「総合資源エネルギー調査会」が「原発のコストを新電力に負担させる方法を導入させようとしている」といい,このさい「新電力へ乗りかえた一般家庭一軒で数十円から200円の負担」制度を導入する案を検討しているといっていた。
この話は想定されていて驚くには値しない話だった。だだ,よくよく考えねばならないのは,政府のいっていることに論理矛盾がある点である。2011年3月11日までは「原発の発電コストは1kwhあたり5.3円で一番安い」と,政府も電力会社もいっていた。
ところが,福島事故を起こした以降は,さすがに膨大な事故処理費用のコストを考えると,いくらなんでも5.3円とはいえなくなった。2015年には10.1円と跳ね上がっていた。
「なんだ原発は安くはなかったんだ」と思ったら,原発の発電コストを上げるのといっしょに,ほかの発電コストも軒並み上げておき,「やっぱり原発は一番安い」として,いまだにぬけぬけといいはっている。
「これはミサイルではなく,宇宙衛星だ」と,いいはるどこかの国の偉い者とあまったく同じ論理である。誰でもがしっていることを,いまだにウソを通しつづけようとしている。
b) 原発がコストが安いのであれば,そのツケを関係ない新電力に回すな。分かりきったことであるが,この国は資本主義の国である。市場原理で企業は競争しており,そこでは「社会的規制」(公害防止条例や大気汚染防止法)などの規制は受けるものの,「経済的規制」はできるかぎりなくす必要がある。
そうでなければ自由競争や市場原理が歪められる。唯一経済的な規制があるのは「独占禁止法」である。大企業と中小零細企業が対等に競争するときには,大企業へは市場開放のために規制が必要となる。
今回〔2016年4月にはじまった〕の電力自由化は,地域独占の既存の電力会社に対して新電力は零細企業で,そのシェアはわずか全国でも2.4%である。明らかにいまはまだ実質的に独占状態が続いている。
本来なら既存電力のシェアを落とすために新電力を応援する政策をとらなければならない。一定のシェアまでは無条件に強制的な方法で市場を開放させる政策を実施しなければ,電力市場の対等な競争など実現できない。
さて,この国は相変わらず国家官僚資本主義の国であり,呆れて開いた口がふさがらない状況が維持されている。いまだに,セッセと官僚と電力資本は,いわゆる「原発マフィア(原子力村利害集団)」の連中は,国民を騙して,なんとか原発を支える政策を導入しようと企んでいる。
c) こんなふざけた制度を入れさえないためにも新電力へ乗り換えよう。原発のコストが高いのなら,まずは国民に「実は原発の発電コストは一番高い」と本当にことをいって,謝るべきである。そして,その後どうするかは国会で話しあうべきである。
しかしも,国会に任せていたら民進党〔現在は存在しない政党だが,2016年に野党第一党であった民主党の後継政党として結成されていた〕は,電力会社の労組にあごで使われているので,まともな議論はできないからには,国民の判断を仰ぐべきである。
この問題だけでも衆院は解散して「原発選挙」をおこなうべきである。「高くても原発は続けるべきか,高いし危険だからやめるべきか」という争点で選挙をおこなえばよい。
ここまで国民を愚弄する政治をおこなう自民党と民進党の一部の議員は,辞任すべきほどの大きな責任がある問題になっている。こんな不当なことをやれば,「電力自由化」などまやかしでしかなく,新電力など育てられない。
補注)新電力に関する統計資料は各種あるが,ここでは「小売販売量の事業者別シェアはどうなっているのか?(2018年3月実績)」から,つぎの図表を借りておく。
d) アベノミクスの3番目の矢は「規制改革」といっておきながら8兆円の市場の活性化をみずから壊そうとしている。ここは「電力自由化」を支えるためにも,消費者と新電力企業が一緒に声を上げる必要がある。消費者側は,こんなふざけた制度を導入させないためにも「新電力への乗りかえを進んでおこなう」必要がある。
さらに引用するのは,以上に引用したブログが途中で紹介していた新聞記事である。これらの記事からはすでに1年と10カ月〔この更新した記述の時期からいえば8年近くもの〕時間が経っているものの,事態の本質はそれほど変化(進展?)していない。
※-4「原発コスト 新電力も負担,政府調整 料金に上乗せ」毎日新聞』2016年9月8日
政府が原発の廃炉や東京電力福島第1原発事故の賠償を進めるため,大手電力会社だけでなく,新電力にも費用負担を求める方向で調整に入ったことが〔2016年9月〕7日,分かった。
電力自由化で大手電力から新電力に契約を切り替える消費者が増えた場合,原発の廃炉や原発事故の賠償にかかる巨額の費用を賄えなくなる可能性があるためだ。だが,本来は大手電力が負担すべきコストを国民全体に求めることになり,議論を呼ぶのは必至だ。
現行制度で原発の廃炉は,原発を保有する大手電力が自社の電気料金から費用を回収することになっている。福島第1原発事故の賠償は,東電が国の認可法人「原子力損害賠償・廃炉等支援機構」から必要な資金の交付を受け,大手電力が負担金を同機構に納付している。
政府が導入を検討している新制度は,原発を保有する大手9社だけでなく,新電力にも廃炉や福島原発の賠償費用を負担させる仕組。新電力各社は電気料金に上乗せして回収するため,契約者の負担が増すことになる。
政府は事故を起こした福島第1原発のほか,全国の原発が廃炉になった場合の費用と,同機構を設立する前にかかった福島原発事故の賠償費用の合計を約8兆円と試算。家族3人の標準家庭モデルで月額数十円から200円程度の負担を想定している。
しかし,新電力の契約者に原発の廃炉や東電の賠償費用を負担させることは,大手電力と新電力との競争を促すことで料金引き下げにつなげる電力自由化の趣旨に反し,原発を抱える大手電力の事実上の救済策といえる。
政府は総合資源エネルギー調査会(経済産業相の諮問機関)のもとに小委員会を設け,新制度を議論し,年末までに一定の方向性を出したうえで,来〔2017〕年の通常国会に電気事業法の改正案を提出する。
※-5「大手の救済色濃く 利用者の反発必至」『毎日新聞』2016年9月8日
政府が原発の廃炉や東京電力福島第1原発事故の賠償を進めるため,大手電力会社だけでなく,新電力を含むすべての電力会社に費用負担を求める背景には,4月に始まった電力小売りの全面自由化がある。
電力自由化で大手から新電力に切り替える消費者が増えた場合,巨額の費用がかかる原発の廃炉や事故の賠償に支障をきたす可能性があるためだ。ただ,政府案は大手電力への救済策の色彩が強く,新電力各社や消費者から反発の声が上がりそうだ。
原発の廃炉にかかる費用は,110万キロワット級の原発で570億~770億円程度とされる。これは50万キロワット級の火力発電所の廃炉費用30億円程度と比べて15~20倍超と巨額で,電力会社の経営の重しとなっている。原発を保有する電力大手各社は,原発の廃炉に備え,必要な費用を「原子力発電施設解体引当金」として,電気料金に上乗せして徴収している。
補注)ここで説明されている廃炉のために発生する経費が,このような数値(価格)で済むと予想していたら,大きな間違いになる。とくに,イギリスやフランスですでに進められている廃炉工程は,その年数からして半世紀から1世紀を予定させられているし,これにともない発生してくる費用も莫大な金額になる。
いまとなっては,原発の建設費を上まわる解体・処理のための費用が,廃炉工程の進行とともに発生している。通常の建設工学的な観点から計算できる「前後の費用関係論」としては,破格というか完全に法外になっている。つまり,工学的な常識では考えられない「事後処理のための多額な経費」を発生させている。
〔記事に戻る→〕 経済産業省によると,国内の原発の廃炉に必要な見積額は電力10社(大手9社と日本原子力発電)の合計で2兆8200億円。このうち2013年3月末時点で10社が解体引当金として積んでいたのは1兆5800億円で,引当率は56%だった。その後も10社は引当金を積み増ししているものの,電力全面自由化で将来,徴収が進まない可能性もある。
大手電力から新電力に切り替えた契約数は7月末時点で約148万件と全体の約2.4%に過ぎないが,将来的には拡大するとみられている。そこで今回,政府が考えたのが,大手電力会社だけでなく,新電力を含めたすべての電力会社に廃炉や賠償の負担を求める案だ。
註記)この段落に関しては,関連する統計が,前掲した円グラフに記載されていた。
新電力に切り替えた消費者も,過去には大手電力が原発で発電した電力を使っており,「過去に大手電力の電気を利用した需要家(消費者)と,電力自由化後の需要家の間に負担の公平性が損なわれてはならない」というのが政府側のいいぶんだ。
しかし,福島の原発事故を教訓に,再生可能エネルギーによる発電比率の高い新電力を選んだ消費者もいる。すべての契約者に負担を求めるとなれば,原発のない沖縄県の消費者にも廃炉費用を負担してもらうことになる。制度的な矛盾は否めず,消費者から「原発のコストは大手電力が負担すべきで,すべての国民に転嫁するのはおかしい」などといった反発が強まる可能性がある。
電力全面自由化は,地域独占だった大手電力と新電力の競争を促し,電気料金を下げるのが目的だった。にもかかわらず,政府が原発の廃炉や賠償を優先せざるをえないのは,原発が潜在的にコスト高である現実も物語っている。
※-5「原発をめぐる政府の主張と問題点」
★-1 『政府』〔や電力業界〕の主張
1 電力自由化で大手電力は廃炉や福島原発事故の費用を回収できなくなる恐れがある
2 新電力に切り替えた消費者も,過去には大手電力が原発で発電した電力を使っている
3 原発の廃炉や事故の賠償を円滑に進めるには,新電力を含むすべての契約者に負担を求めるべきだ
★-2 『消費者や有識者』の主張
1 廃炉や賠償の費用は,大手電力が経営努力で電気料金から回収すべきだ
2 廃炉や賠償の費用を入れても原発は安いといっていた主張と矛盾するのではないか
3 原発のない新電力や沖縄県の契約者が費用を負担するのはおかしい。大手電力の救済ではないか
戦後日本の経済発展にともない発生し,大きな問題となった公害(環境破壊・人間被害)は,企業経営の責任圏域をはるかに超えていき,社会全体にまでその損害・危害を及ぼした点は,社会的費用を発生させた問題として議論されてきた。
原発事故に典型的に現象されてもいるように,いちどでも深刻・重大事故を起こしておきながら,その後始末は結局「国民・国家」全体に付けまわしして済まそうとする「昔もいまも同じ」でしかない「電力業界の体質」は,無責任きわまりない。しかも,本来の経営責任そのものはむろんのこと,社会的責任もろくに負おうともしない基本姿勢である。
「国策民営」として電力会社の原発導入がおこなわれてきたからだとはいっても,ひとたび,21世紀の歴史に記録されるような大事故を起こしたあと,またもや「国策的に国民全体にその負担(ツケ)を強いている」様子は,『日本における原発導入・発展史』の展開が大失敗であった事実を,否応なしに教えている。
『日本経済新聞』はそれでも,今日の朝刊記事のなかでは,こういっていた。「一般的に発電所はまず燃料代が安い原子力や石炭火力を最優先に稼働させて安定した電力供給源とする」と。
そこで使われていた修辞の「一般的に」という工夫点からして,どだいマヤカシ的な論法であった。また,原発の「燃料代が安い原子力(原発)」という表現は,『燃料』(だけ)のことに触れる限定的な意見だと聞こえるいいかたをしていた点で,よりいっそう,そのマヤカシ性は倍加されていた。要は,目くらましのような表現が,記事のなかで駆使されていた。
原発問題は廃炉(バックヤード)の問題にまで,延々と未来永劫的に続いていく。燃料の調達だけが問題であって(だから「発電コスト〔!〕が安くていいのが原発だ」といいたいのか?),それで議論が尽くせるような軽い・狭い・限られた論点ではなくなっている。原発問題全体を貫く総括的な困難は,廃炉工程において集約的に表出されている。
さて,日本エネルギー経済研究所専務理事・小山 堅は,『日本経済新聞』のなかで「原発擁護派」の識者としてしばしば登場し,原発擁護・推進派の立場を売りこんでいたが,
このたび「プーチンのロシア」によるウクライナ侵略戦争の発生を受けての話になっていたが,『日本経済新聞』2020年5月20日朝刊7面「オピニオン」には,小山 堅が「〈エコノミスト360° 視点〉安全前提に原発再稼働の議論を」と語る寄稿をしていた。
しかしながら,この意見の「議論の前提」=「安全」は,以前ならば「安全神話」に守護されつつ,大手を振って周囲を蹴散らかすように絶対観をもって語られていた性質のモノから,こんどは,かなりの程度変質させられたかっこうを装いつつ,このたびは謙虚に「安全前提に原発再稼働の議論を」などと語る,かえってンデモな発想をもちだしていた。
この程度に当たりまえだった「安全管理意識」ならば,どの会社・どの職場・どの職種でも守られるべき性質の課題に過ぎなかった。にもかかわらず,そこで「原発に対しても安全前提に」とわざわざ断わっていた。
安全運転に徹しているつもりの航空機でも,墜落する可能性が絶対にゼロではない。こちらの実際例と同じに具合に思考することにしたら,原発もまた大事故を起こす可能性が絶対にゼロではないと考えることが,合理的であり,かつまた,よりまともに筋の通った思考回路に依った説明になる。
原発事故のことを,しかも戦乱のなかで大事故が起こりうる可能性を全面的に否定しえない「自説の立場」を,それも,突如無謀にも開陳した小山 堅の発言は,最終的な地点までのその因果を突きつめて考えるいとまもないなかで,無責任のきわみを自白したことになる。
「安全前提に原発再稼働の議論を」といったふうに,いまとなっては,ただノンキだったとしてしか受けとれない発言は,原発だけを「格別(別格)な電源だ」と「エコヒイキした立場(そして,そのなんらかの利害状況)」を,正直に反映させた謬説そのものであった。
また小山 堅は,「安定的なベースロード電源の重要性を再確認し,その確保を進める政策」を強調したいらしく,そのさい当然に「ウクライナでは原発への武力攻撃という許されざる暴挙が発生しており,当然ながらこの『新しいリスク』への対応が必要である』との,まさに暴論(言論としての暴挙?)まで口にしていた。
こうなると「安全性を確保した原発の再稼働は……真剣に議論すべき段階にある」とまで断言した小山 堅の発言じたい,「戦争と原発のあいだにまで安全管理意識」を注入しようとした立論を展示したことになる。またそれ以上に,戦乱のせいで「原発が原爆に一変する可能性」を,あえて勇断的に許容した(前提として予測しておく)かごとき『破滅的な論旨』を披露したことになる。
その点こそがまさしく,「言論の世界での許されざる暴挙」にほかならないのではないか? 小山 堅みずからがこのように吐いた「原子力村」的に粗雑な暴論的な虚説は,度しがたいエセ・エネルギー「観」をかもし出していた。
たまたま本日,2024年4月25日の『日本経済新聞』朝刊が1面の冒頭記事として,つぎのごとき記事を充てて報道をしていた。ただし,ここでいわれている「安定電源化」とは,小山が主張したい「ベースロード電源」として原発を位置づけたがる「電源観」とは,基本的い相いれない異相の概念であった。
そもそもいまどきに,原発を前面に出してこれが「ベースロード電源」なのだからなどと弁論する識者は,「20世紀の遺物」としか形容のしようがない脳細胞の持主である。
【参考記事】-『毎日新聞』から-
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