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1986年代にヨーロッパ演奏旅行で友達になった、我が親友のドイツ人から、今日温かい手紙を受け取った
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もう37−8年になってしまうが、ドイツの、ワインで有名な、美しい町で、合唱団を引き連れてのコンサートが開催出来た。その世話役で全てを準備して下さったのがK夫人で、最終的には生涯の友達になった。
現地では、非常に厳しい方だとの噂を耳にしてたが、私は自分を見ている様で、直ぐ意気投合した。私は表面的には喜怒哀楽を余り出さないが、小心者なのか、時間やルールを固く守る事が、最も重要な自分に対する戒めであった。それは皆が持つべき当然の厳しさであると信じている。理由のない、暴力的な、差別的な行動等は彼女には一切無かった。
不器用な私には、とても心地が良かった。
私は、お互いを知る為にホームステイを望んだ。
彼女はドイツ語を学ぶ外国人の若者を自宅で預かる、ホストファミリーをしており、Goetheインスティテュートの中心的なメンバーだった。その配慮や厳しさは的確で、学ぶところが多かった。
私も指揮者の立場ながら、パーティでは皿運びや、装飾の花の調達に、近くの原っぱを走り回ったのを思い出す。
結局その後も3ー4回、ヨーロッパを訪れる度にお世話になった。彼女の家族はとても優秀でご主人は温厚な銀行マンであり、博士の称号を持っていた。息子も法律家で、驚いたことに、成績2番では絶対自分を許せない程の、負けず嫌いだった。私と会った時も、庭のベランダで、ビール片手の談笑、いえ、その筈だったのだが。ドイツと日本の議会制度の相違について、意見交換をしたいと言い出した。彼女の[却下!]の一言で救われたが、冷や汗ものだった。
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その後何故か、急旋回し、質問を替えてきた。[日本航空のドイツ日本間の直行便は週に何便有る?]と聞いて来た。私は、これにも答えられず、しばし沈黙の重苦しい時間が過ぎた。
こいつとは、一緒に居られないなと、そそくさと、その場を逃げ出した。
彼はその後、幸せな家庭を築いた。 と、ずーっと思っていた。🤬😱🥵😰
私が70歳になる頃、人生を振り返る禊に、お世話になった場所を訪れ、清めの時間を持つ決意をした。
家内と2人で渡欧し、彼女のお宅に伺った時に、驚きの言葉を耳にした。
[息子は自殺した] ええーっ!
何故あんな幸せな、優秀な若者が死なねばならなかったのか!親を残して死ぬのは最も厳しい親不孝だ!
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ご主人も心痛の為か、自分が分からなくなり、弱い声で、会う人、会う人に、[ありがとう、ありがとう]の言葉だけを繰り返していた。何故かズボンを履いておらず、私はその姿に安堵の気持ちを持った。彼に深い感謝と愛情の表現が出来た。生きていてくれてありがとうと。彼女の夫を見る目がとても優しかった。
その2年後 訃報が届いた。
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