数学を勉強して社会で役に立つのか?国語の主人公はどう思ったでしょう? と、言う問は成立しているのか?
学生時代に、もしくは、現在、学生の人。
数学の勉強をして世の中に出てから役に立つのか?
といった疑問や、国語のテストで、主人公は、どう思ったでしょう?
などと言う問に、「人それぞれ感じ方があるし解るわけない。」
などと、思ったことはありませんか?
なぜ人は、教育を受けるのか?
そこに意味はあるのか?
そういった疑問の答えになれば幸いです。
数学を勉強すると言う事はどういう効果を持っているのか?
図形や方程式、何の目的でやらないといけないのか?
目指す大学や職業が、早くからある人はいいですよね。
テストでいい点を取るために時間を割いて勉強する。
しかし、目標が定まっていない人。
親や教師に聞いても、自分に合った答えが返ってこないとき。
しんどいですよね。
何のためになるかも分からない事に時間を使う。
でも、騙されたと思ってやってみてください。
社会に出てから、出る前からきっと役に立ちます。
結論から言いますが、数学は、脳の活性、考え方、思考力の訓練です。
脳の活性について
以前、知り合いに、50代でくも膜下出血で倒れ、重度の半身不随になった人がいました。
そして、しばらくぶりに会った時、彼はもう足を引きづっていないし、手もきちんと動くし、健常者と変わらないように見えました。
「凄いですねぇ。どうやって治したんですか?」
と聞くと、彼は嬉しそうに笑って、
『僕はねぇ、医者から元の状態には戻らん言われてね。悔しかったから、見返そうと思って、朝から晩まで算数のドリルをやったらね、徐々に徐々に回復してきてね。』
と言ってました。
また、JAXA(ジャクサ)宇宙航空研究開発機構(日本の宇宙開発機関)で、宇宙飛行士の訓練の中に、ランニングマシーンなどで運動している人に、側にいる人が、36+45とか、次から次に問題を出し、運動している人は瞬時に暗算し答えていくという訓練があります、適度に動きながら脳を使うと血流が良くなり、脳への酸素供給率が上がり、血流のよくなった脳は、発想力、想像力、記憶力が向上し脳が活性化されるという研究結果から取り入れられたようです。
また、そろばんやドリルをやることによって右脳が活性化する事、アルツハイマーにも効果があると言われています。
こんな風に、実例として数学をやることによって脳は活性化していきます。
私の弟が、塾で高校生を相手に、教鞭をとっていますが、彼と数学ができない子供はどうして数学ができないのか?
話した時、数学ができない子は基本的なことを言うと、暗算力が非常に低いです。
問題を理解する前に計算でエネルギーを使いすぎています。
考え方、思考力の訓練
数学では与えられた条件の中から、論理的に答えをみちびきだしていきます。
論点がどこにあるのかを考え、文章題、図形、証明等にしても在る条件から、こうだから、こうであってこうなる。と、条件の中から答えを導き出していきます。
例えば、背理法。
背理法とは答えからその問が正しいのかどうか?
考えていきます。
あみだくじを作るときに、縦線に適当に横線を引いていく。
しかし、どのスタート地点を選んでも当たりに行きつかない。
もしくは、二人、三人と当たりに行きついてしまう。
だったら、当たりからスタートして横線を引いていく。
ミステリーなんかでも、アリバイ。
事件が起きた現場があって、容疑者がいます。
その容疑者が事件が起きた場所に、行けるのか?
事件発生時刻は、19時。
その1時間前に容疑者はスポーツジムで目撃されています。
スポーツジムから1時間で犯行現場に行けるのか?
現場まで、どの交通機関を使ったとしても1時間以上かかる。
よって、容疑者は、犯人ではない。
ゲーム理論なんかも面白いですよ。
利害から物を考えていく。
例えば、男女4対4の飲み会があって。
女の子を仮に、A子、B子、C子、D子として、
A子が一番人気、全員がA子狙い。
このままいけばA子に4人とも振られるか、1人はうまくいくかもしれない状況です。
全体の利害を考えた時に、だったら、全員がA子を外して、分散して他の女の子を狙っていく。
そうしたほうが全体として得になる。
こういう風に、視点を変えて答えからものを考えてみたり、利害関係から考えていく。
面白くないですか?
また、普段しゃべる事も、数学で訓練されています。
何を言いたいのか分からない人、論点がずれている人。
きちんと問題をとらえて、こうだから、こうであって、こうなる。
と喋るとわかりやすいですね。
数学では着眼点を間違うと答えにたどりつけません。
数学をやることによって考える視点、どこに着眼して思考するのかが磨かれます。
また、しゃべる時に視点を変えて相手の興味を引けるような喋り方をすると、
おもしろいなぁ。
解りやすいなぁ。と言われるかもしれませんね。
実生活において、自分の収入を考えず無理なローンを組む人。
いっぱい喋るけど何が言いたいのかわからない人。
本質をとらえられずチンプンカンプンな人。
利害争い。
数学を勉強すると、こう言う場面が減るかもしれません。
また、国家の品格と言う、数学者の藤原教授が書かれた書籍の中で、
異職種の交流会で講演をして、
美しいと言う事がわからない人間は大成しない。
と言うと、いろんな職業の人から本当にその通りだ!と、絶賛の嵐なんだ。
と書かれていました。
また、天才は美しいモニュメントや自然の近くで生まれ育ち、時を過ごしているという確信があるようで、インドの天才数学者ラマヌジャンの生家を訪ねた際も生家の近くに、美しい寺院を発見し、ラマヌジャンが幼いころそこで遊んで、その美に触れながら成長した事を知り、
美しいものがわからない人間は大成しない。
という持論に確信を持たれたようです。
そして、数学は、美の塊です。
公式、方程式、解。
数学的な美しさとは、シンプルで無駄のない事。
0、1+1=2等々、実は美の塊なんです。
幼少期から、美しいものに触れること。
料理人修業は早ければ早いほどいいなんて言いますが、これは、おいしいという基準の問題だと思います。
味覚が完成する前に、美味しいという基準を舌に覚えさせる。
これと同じで、黄金比に溢れた自然や構造物等、こういうものに幼少期から触れることで、美しいと言う事の基準ができていくのかもしれません。
さかな君や牧野富太郎先生、彼らの書いたスケッチは素晴らしいです。
神は細部に宿る。
自然の中には黄金比があふれています。
さかな君が魚の絵を描く様子をテレビで見たことがありますが、鱗の一枚一枚、魚の斑点の数。その一つ一つを実際の魚を見て数えて描いていきます。
牧野富太郎先生も、葉脈の一本一本、花弁のしわの数。
現物にどこまでも忠実に精密に描かれています。
また、藤原教授は、その国の数学のレベルを見れば,
その国のこれからの発展度合いが分かるとも書かれていました。
言い換えれば、その子の数学のレベルを見ればその子の発展度合いも見えてくるのではないでしょうか。
数学で悩んでいる人はまずは計算力を高めてください。
きっと明日へとつながると思います。
国語を学ぶ意味
まず、国語とは人間を学ぶ学問です。
主人公はどう思ったのでしょうか?
こういった問いに関しては、成り立ちます。
じゃないと、問題にする意味がないでしょう。
人には、いろんな感じ方があるし分かるわけがない。
それは、読解力の問題です。
文章の中に、主人公がどう思ったのか推測できる箇所が何箇所もあったはずです。
読解力とは、主観でありながらできうる限り、その人の立場に立って客観的に、ものを考える事。そこからひも解いて、答えを探さなければいけません。
例えば、三人の仲良しグループにあなたが居て、
文章と言う名前の失恋した友人がいて、
あなたに、もう一人の友人が、
文章の事どうしたらいいかな?
と、あなたは聞かれて、今まで友達として文章の色んなことを見て、聞いてきて、
人にはいろんな感じ方があるから分からねぇ。
と答えますか?
そばで相談を受けて見てきたんですよ。
今までいろんな布石があったはずです。
設問はそういう個所から出されています。
国語を勉強すると人の気持ちの分かる、人から好かれる人間になれるかもしれませんね。
また、幼児はどうして幼児なのか?
これはもちろん成長の段階で体ができていないからではありますが、思考が幼いんです。
どうして、思考が幼いのか?
英語を喋れる人が、複雑な思考をしようとした時に、日本語で考えないと複雑な思考ができない。と言う人が結構います。
どうしてか考えると、扱える言葉の数と、一つ一つの言葉に対する理解力の問題だと思います。
真剣に本を読み、あつかえる言葉の数、本当に意味を知っている言葉の数を増やしてください。
なぜかいい年をして幼稚な人がいます。
後先考えられずに、周りに迷惑をかけ警察のお世話になる人。
そして、出てきてから気付いて反省を述べる人。
しかし、普通の人はやる前からどうなるか分かっています。
愚か者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。
という言葉があります。
本は人です。
岡潔と言う、日本が誇る天才数学者が居ました。
彼は読書に関して、作者がその姿を現すまで読むんだ。みたいな事を言っています。
私は、ある作家を集中的に読みます。
読んでいると、その内、その作家の人間像が見えてきます。
それが普通の事だと思っていました。
言葉を発することは自己説明でしかないから。
岡潔の言葉を読んでから、国立大学の文学部を卒業した人に、作者の人物像は見えるのか?と、聞いてみたら、
見えないと言っていました。
万能の天才と言われたレオナルドダヴィンチ。
あらゆる面で天才である彼が、
目からは、あらゆる情報が入ってくる。
しかし、人間が得られる情報とは、一つしかないんだ。
情報をとらえることと、理解することは別の話なのだ。
人間は、一度に一つの事しか理解できないのだ。
例えば、紙に書かれたものをすべて見ることはできる。
でも、そこに書かれている事や、そこに含まれている意味を瞬時に理解することは、出来ないはずだ。
何かを学ぶためには、一行づつ、じっくり読む姿勢が大事だ。
と、言っています。
だから、速読なんかしないで、じっくり取り組んでください。
国立大学の文学部を卒業した人と私の差はおそらく、真剣さ。
私は本を読むことに、常に考え、なぜ人は喜び悲しみ憎しみ愛し合うのだろうか?
真剣に考えて一つの物語を終えていました。
答えが出なくても、5年10年経った時ふとした瞬間に、あぁ、そうか...。
と、思える瞬間がありました。
じっくりと読むこと。
また、本を読む人間は脳の構造が変わってくるらしいです。
友人に、本を勧めて、感想を聞いたら。
「良く分からなかった。」
そんな答えが返った来る時があります。
どうしてかなぁ。
と、考えた時、私も疲れている時、本を読んでも頭に入ってこないときがあります。
文字は頭に入ってくるけど、情景を想像できないんです。
おそらく、本を読んできていない人は文章から情景描写する能力が発達していないから、良く分からないんだと思います。
他にも、いろんなことを書きたいのですが、理系科目、国語は必ず人生の橋渡しになります。
頑張ってください。
最後に、努力をするとはどういうことなのか?
自分を信じると言う事です。
そして、本当に最後に、
力のある者は、力を使って力の弱い人を助け。
知恵のある者は、知恵を使って社会をよくする。
力とは人の役に立つ架け橋です。
社会に出てから仕事すると言う事は、人の為にならないと成立しません。
力が強いから、人をいじめますか?
勉強ができるから、人を馬鹿にしますか?
勉強の本当の意味は人間形成です。