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私たちの細菌毒素研究の歴史(1)

北海道オホーツクキャンパスでの細菌毒素研究の始まり

私たちの研究室では、研究テーマの一つとしてボツリヌス毒素に関する研究を行なっています。東京農業大学北海道オホーツクキャンパスでは、私たちの研究室「生物資源化学研究室」の前身である「生物化学研究室」を含め、1990年代から、30年以上この研究を行なっています。

日本で最初の2つのボツリヌス中毒事件

1951年5月、北海道岩内郡島野村(現在の岩内町)において、村に住む54歳の婦人が急死されました(当初は原因が不明)。この婦人の葬儀に参列した親戚や知人が、婦人宅の自家製の「ニシンのいずし」をもらって帰ります。これを食した人のうち、13名が中毒症状を発症し、3名が死亡する事件が発生しました。

 この事件の発生後、北海道立衛生研究所において調査が行われ、残りの「いずし」から、ボツリヌス毒素とボツリヌス菌が分離されたことから、最初に亡くなった婦人を含め、これらの事例が、ボツリヌス食中毒であったことが明らかにされました。これが、日本における最初のヒトに対するボツリヌス食中毒の報告です。

 以降、北海道立衛生研究所では、ボツリヌス中毒に対する抗毒素血清療法をはじめとする研究が精力的に進められ、北海道では散発的にボツリヌス中毒が起こっていますが、死者が出た報告はありません。

 一方、1961年、北海道余市町で発生したミンクの大量斃死事案についても、北海道立衛生研究所において、ボツリヌス毒素がその原因であることを突き止めます。こちらは我が国における初の家畜ボツリヌス症の報告となりました。

初代教授となられた井上勝弘先生

平成元年、北海道網走市に東京農業大学北海道オホーツクキャンパスが設置されました。キャンパスには、生物生産学科(現・北方圏農学科)、食品科学科(現・食香粧化学科)、産業経営学科(現・自然資源経営学科)を有する生物産業学部が設置されました。このうち、食品科学科において、生物化学研究室の初代教授として就任されたのが、井上勝弘先生です。

ボツリヌス菌における毒素変換ファージの発見

 昭和40年代、当時、北海道立衛生研究所の研究員をされていた井上勝弘先生は、ボツリヌス菌の継代培養を繰り返すと無毒株に変わっていく現象に着目します。そしてそのメカニズムを解明する研究を続けられ、1968年(昭和43年)に、C型ボツリヌス菌の培養液から巨大なファージ粒子を発見されます。

 そして、翌年には、ボツリヌスの毒素原性がファージによって変換されることを証明されました。つまり、C型ボツリヌス菌において神経毒素の遺伝子は、菌に特異的なファージ上に存在することが示されました(その後、D型菌も同様であることが明らかにされています)。

 井上先生のこの研究成果は、世界的にも認められた偉大な発見であり、国内外からボツリヌス菌毒素遺伝子研究のパイオニアと高く称賛されるようになられました。  

 そして、平成元年、東京農業大学の卒業生でもある井上勝弘先生は、東京農業大学北海道オホーツクキャンパスが設置されるにあたり、生物化学研究室の初代教授として就任されます。

(続きます)

参考資料
中村豊 他(1951)ボツリスムスの疑い濃き食中毒例について、北海道立衛生研究所報. 2, 29-34.
唐島田隆 他(1965)ミンクのボツリヌス中毒、北海道立衛生研究所報. 15, 17-23.
北海道立衛生研究所創立70周年記念誌
日本細菌学会北海道支部会報(2011年3月第18・19合併号)