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自薦と他薦

 自薦と他薦というものがあります。他薦は他者から推奨されることで、自薦は自分で自分を推奨すること。

 もっと具体的に言うと、他薦は「佐藤さんは、勉強もできて、スポーツ万能で、クラスの人気者なので学級委員長になれば良いと思います」「皆さんがそう言われるなら頑張らせていただきます」といった感じ。非常に奥ゆかしいし、みんなからの信頼も得やすい。

 では自薦の場合なんだけど「俺は勉強もできるし、人気ものだから、学級委員長になるのが相応しい!」って感じです。だいたい勘違いだし、なんとも厚かましい限り。『お前なんか、ザリガニ係でもやっとけ!』って思います。

 まあ、昔から自薦と他薦はあって、それぞれが補完しながら機能していたのだと思います。だた、古来から日本では、伝統的に他薦の方が尊く、価値があることとされてきたように思います。我を張ることは卑しいとされてきたし、そうだとすれば他者に自分を認めさせるより、他者から認めてもらった方がより美しいと感じられるのも当然です。

 そうであるにも関わらず、昨今の日本では自薦の方が尊ばれる傾向があるように思う。我先に手を挙げた者の方が、もてはやされている気がします。自ら勝利を掴み取れ!的な西洋資本主義的価値観の上に、日本社会が成り立とうとしているような気がする。

 ただ、その価値観が日本の社会に適しているかと言うと、それはまた別問題だと思います。

 数年前、僕の働いている会社で、人事評価のやり方が変わりました。それまでは、営業成績の良い者の中から上司が指名するって方法をとっていました。しかし、それでは上司から気に入られているかどうかが出世の基準になりかねないと言うことで、自分で出世したいと名乗りを挙げた者の中から、必要な成績を上げた者が出世していくシステムになりました。

 一見公平なシステムになったように見えますが、厚かましい人間が上にいき、徐々に社内全体がギスギスしてきたんですよね。自薦して出世した人間が自分の個人成績を伸ばすことばかりを考え、全体的な会社の営業成績は落ちていくばかりです。

 僕の会社の話は単なる一例ですし、自薦他薦の話しも大きな意味では一例にすぎません。ただ、日本のいろんなところで同じような価値観の崩壊が起こっているように思います。時代の変化って言い訳で思考放棄するのではなく、いま一度、日本の伝統的価値感の素晴らしさを発掘したいと思います。

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