見出し画像

ポケモンって、デジモンだと思う

こんばんは。3日連続投稿できて、われながら続いているなあと思います。体調的には、夏バテしてきました。暑いのが苦手なんですよね。家で扇風機を抱きしめているときが至福です。外に出たくない。

それはおいておいて、今日は、最近、というか1年前ぐらいから?思っていることを書いてみようと思いました。それは、「ポケモンって、デジモンじゃない?」ということ。

実はわたくし、初代ポケモン世代で、赤緑ポケモン時代にすごくはまりました。今でもポケモン好きです。ただ、赤緑の後の金銀からなんだか離れてしまって、その時からなんとなくしか知らないんですが、当時小学生の自分にとって、あのゲームボーイの小さな画面の中のマップをてくてく旅していくのは、非日常な冒険というかんじで、本当に興奮するものでした。友達のマンションの広場で通信ケーブルを使ってポケモンを交換したり、対戦したり、懐かしいなあ。

中学生からサッカーにはまって、部活の練習、週末は試合と、がんばっている中で、ゲームのことはすっかり忘れて運動に夢中になっていました。それ以降、ポケモンが海外でも人気になったり、新しく様々に展開していっていることは知っていましたが、自分の中のポケモンの世界は赤緑で完結し満足していたので、それ以上踏み込むことはありませんでした。

それから長い年月を経て、この間、本当にたまたま、パソコンを開いている時に、ポケモンのことを思い出して、なにげなくgoogleで検索してみたんです。画像検索で、昔の赤緑のゲーム画面をわ~っと見ていました(画像検索で画像をずら~っと並べて眺めていくのが好きです)。その時、ふと謎の違和感を覚えました。

ポケモンって、ポケモンの世界で、生身の生き物として生活しています。よく考えたら、野生の生物を強引に捕獲して、別の生物と瀕死になるまで戦わせるというのは、虐待極まりない行為です。「瀕死」とあくまでも「死ではない」と断っていますが、まっとうな生き物なら何度も瀕死状態になればそのうち本当に死んでしまうでしょう。一度瀕死になった者を、再度瀕死状態に追い込むまで戦わせ続ける。どう考えても異常です。

しかもその瀕死状態のポケモンときたら、HPがあと1しかないのに、体力MAX状態の攻撃時と同じダメージを相手に与えることができるのです。体力MAXの時の技の威力が、あと1で死ぬ時の威力と同じってこと、生き物でありえますか?

さらに、「野生」生物なのに、捕獲すると、一瞬で能力値が表示され、視覚的に数値的データとして情報が得られます。そんな、何のテストもしていないので、そんなことがわかるわけありません。その人の性質は、おそらく何回も繰り返しその人と対話したり、試験したり、審査することで、決まっていくものであるはずです。なのに、一回戦わせて捕まえただけで、その人の「数値」を固定してしまうなんて、偏見以外の何ものでもないと思いませんか?

また、ポケモンは、進化する時、一瞬で進化します。これもおかしな話です。見た目明らかに生物なのに、一秒もかからない、まばたきする間に目の前の生き物が全く別の形になるなんて。生き物の自然な成長はどう考えてもなだらかです。

以上、まだまだあると思いますが、思いつくままに書いてみました。つまり僕が言いたいことは、ポケモンって、明らかに生き物として生活し、人々も親しみの持てる有機性をもった存在として自然に接しているはずなのに、実際はものすごく機械的、つまりデジタルだったんだなということです。今はその違和感の理由や、ゲームとしてのシステム上の都合について、幅広く思考をめぐらせることができますが、当時小学生だった僕は、そんなこと考えられるはずもなく、ゲームの世界の虚構だとは勿論前提として知ってはいますが、純粋に「生き物」のキャラクターとして遊んでいたと思います。数値化や進化の違和感を特別に気にすることもなく。

そして、中学、高校時代を今になってふりかえると、人の性質や能力、関係などを、ポケモンのような「数値」で見ていた自分がいたような気がしてなりません。当時から論理性はおそらく他の生徒よりは高かったことも災いして、さまざまな「ナマモノ」を機械的に、デジタルに見ていたような気がします。自分はよくまわりから「何を考えているかわからない人」と言われていました。それによって特別嫌われていたわけでもなかった(表面的には?)ので、自分の中では、「クールでミステリアスな自分」とでも解釈していました。…恥ずかしくてリアルではとても言えません。

今になって思うことは、幼い時って、周りからの影響をすごく受けるんだということ。それがハマっていることであればなおさらです。そして、「生き物」は、デジタルではない、ということ。大人になると、仕事の成績を数値化されたり、今ではコミュニケーションの方法形式も数値化される部分があって、わたしたちの社会は数値化できないものを数値化してわかったことにしていることが本当に多いと思います。

なので、自分の中で、数値化することにつかれた時、「ポケモンは、デジタル。生き物ではない。生き物はデジタルではない」そう思うようにしています。

余談ですが、デジタルモンスターというのもありますよね。実はこちらはよく知りません。確かたまごっちみたいな手持ちできる媒体だったと思います。ポケットモンスターは、モンスターボールでモンスターを捕まえてポケットに入れて持ち運べるレベルだからポケモンなんでしょうけど、それはゲームの中の話。現実のポケットに入れて持ち運べるデジモンのほうが、よっぽどポケモンだと思うのですが。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?