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牧歌的という言葉
牧歌的という言葉は、好きな言葉だ。意味は、端的に言えば、のどかな様子。のどかであるということを、のどかであるとあえて言わずに、牧歌的と表現するわけだ。そのほうがのどかさが伝わる、ということとして用いるのである。
そして牧歌的とは不思議な言葉である。全然行ったこともなのに、いわゆる「アルプスの少女ハイジ」的な風景いがすぐに浮かぶ。上が青、下が緑、その世界に白がまばらに点在している。牛だ。雲もある。行ったこともないのに、風景からのどかなんだろうなということが伝わってくる。争いなんて起きやしないような。
そして牧歌的とはあくまでも歌である。言葉の語感、響きの感触として、歌が流れていないといけない。ハイジが歌ってくれる歌は、気分をほがらかにする歌である。実際に経験したことがない要素を多く持っていたとしても、それでもなんとなくイメージすることができるのが面白い。
そしてこの言葉がノスタルジックな印象を抱かせるのは、童話や子ども向けの話でよく用いられ、大人になって出会う話にあまり登場してこないからなのかもしれない。子どものころは、芋ほり、いちご狩り、水あそび、自然に触れる機会は多い。大人も子どもに自然に触れさせたいと思う人は多いが、大人の側は積極的に自然の中で遊ばなくなり、それを仕方ないと思ったりする。できない理由を考えることは大人のほうがうまいのだ。
そしてこの言葉の特徴的なところは、「特定の状況」、まさにピンポイントな風景を、定着した言葉として成り立たせていることだ。だいたい「〇〇的」と表現するとき、それはある性質を表しているわけであるが、たとえば民主的とか自動的とか、イメージを言語化するときに用いられることが多いため、どうしても抽象的になっていく。ピンポイントの状況を「〇〇的」と表していたとしても、それは作者の造語であることが多く、その文脈では機能したとしても、定着とまではいえない。
ゆえにこの「牧歌的」という言葉は、「〇〇的」界隈では異端の存在である。それがのどかな様子を表している、ということも気に入っている。まさにこのピンポイントの風景は、人々の心の中に忘れてはいけないものとして刻み込まれていると思いたい。