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笑顔は崩れている

高校の卒業式で撮った一枚の写真が目の前にある。
クラスの女子とツーショットで撮った写真であるが、どこかぎこちない。理由は明白である。変にカッコつけようとしているからだ。たぶん写真を撮る前からそんな雰囲気が出ていたからかもしれないが、女子のほうもなんか固い。真顔とまではいかないが、キリっとしたかんじに見える。

もう一枚の写真を見ると、何か面白いことがあったのだろう。さっきの写真より笑顔になって写っている。くしゃくしゃに顔をゆがませて笑っているわけではないが、それでもやはりさきほどの写真よりは弛緩した表情である。

ふたつの写真を見比べて思うのが、顔のバランスとしては1枚目の真顔に近いきりっとした表情のほうがとれていて、笑顔のほうはバランスが崩れているのに、なぜ笑顔のほうが魅力を感じるのだろうかということだ。真顔とは、感情が表れていない顔。つまり、その人の基本形になる表情の状態だと思う。笑顔というのは、基本形である真顔の派生型であると考えることができる。

真顔のほうが整っており、笑顔のほうが崩れている。なのに人々は笑顔に素敵さを感じる。バランスが整っているほうが、被写体として美しいのではないか?

思うに、人々は、笑顔に魅力を感じる時、笑顔そのものの崩れた「形」というよりも、笑顔を見せてくれることに対する安心感について魅力を感じているということはないだろうか。笑顔が真顔の崩れた形であるという、やや否定的な意味合いで定義づけるのであれば、ということではあるが。

つまり、笑顔を見せるということは、「私はあなたに対して私の表情をくずしてもいい」つまり「私の弱いところを見せてもいい」というアピールであり、その心の許しや謙虚さが人々を安心させ魅力を感じさせるのではないかということだ。

つまりバランスを崩した形が、心理的な距離感に変化を与え、相手に対して「私はあなたを信頼している」「安心してもらっていい」といったメッセージを無意識に伝えたり、伝えられたりする。つまり笑顔の魅力というのは、笑顔という表情自体の造形に加えて、それを「かわいい」と感じさせる心の状態が大きく関わっていると、こう考えるのである。

それは心と心をつなげる糸の弛み、良い意味での和らぎだと考えることができる。つまり笑顔は単なる表情の変化以上の意味を持つ。目に見えない心情が具体的な形として表情に表れることを術語としては「表象」という。

笑顔を見せることが「弱いところを見せる」行為であるとすれば、それは相手に対して自分をさらけ出すことでもある。相手に「あえて」弱さや隙を見せることで、お互いの信頼関係が深まり、親しみを感じさせる効果が生まれる。特に、人間関係においては、完璧さよりも親しみやすさや共感を引き出すことが重要なことがある。この点で、笑顔が持つ力は非常に大きいと言える。

あるいはこのように言うこともできる。意識的に笑顔を「操作」できる人はいわゆる「人たらし」である。つまりは笑顔を操作し人間を操作できる人は少なからず「演技者」であるということである。演技者とは自分が演技をしていることを自覚している人である。さらに言えばその演技による周囲への影響を計算できる人は「環境」を操作している、と言えると考える。

つづきます。

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