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『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、ルーマニア語の小説家になった話』(済東鉄腸、2023年、左右社)を読んで

1.はじめに

 『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、ルーマニア語の小説家になった話』(済東鉄腸、2023年、左右社)を読んだ。

 作者の存在を知った最初のきっかけがあって、それは、僕の祖父がとっている地方紙に、作者へのインタビュー記事が載っていて、それを、僕の母が僕に紹介してきたことだ。

 どうして母が僕にそんなマニアックな記事を紹介してきたのか?

 それは、当時の僕が引きこもりのニートだったから。そして、作者同様、何もない自分に何かを持たせようと、できれば、華やかなものを持たせようと、小説を書いていたから。

 きっと母はこんな人もいると励ましたかったに違いない。

 でも、僕が思ったことは、「へぇ、こんな危篤で、変わった人も世の中にはいるんだな」ということ。とても冷めた反応をした覚えがある。

 そんな僕は、結局、「暇だから」という理由で、アルバイトを始めた。レジ業務をするだけの簡単なバイトで、パートのおばちゃんたちと仲良く働いている。

 心の中で、どうでもいいと思いながら。

 僕も、作者同様、図書館に通う習慣がある。熱心な本読みというわけではない。一人で、しかも、無料で時間を潰せるアイテム。それが、僕にとっての本の位置付けで、あまり積極的な意味合いはない。

 ただ、通い続けているのは、曲がりなりにも好奇心とやらがあるからかもいれない。曲がりなりにも。

 そんな僕は、図書館に新しく入荷した図書を見る癖がある。同じ図書館に通う誰かがリクエストしただろう本。今の時代を映しているだろう、新しい本。それで、他の誰かや社会を覗き見する。

 そして、この本を見つけた。

 いやはや、何の因縁があって、僕はこの本を見つけてしまったのだろう?
 そんなことを考えつつ、とりあえず手に取って、表紙を見る。「うげっ、何という、攻撃的でナルシスティックな自画像」と多少引く。

 でも、好奇心は止められない。珍しい体験をした人がその体験について語っているのだ。しかも、その珍しさは一級品。そして、僕の関心をあてこすっている。これは、読むしかない。

2.ハードパンチャー

 さて、熱心な本読みでもない僕は、少しずつ読んだ。ただ、僕が遅読なだけなんだけど、読んだ。そして、一週間ほどかけて、読み終わった。

 まず、感じたのは、作者の強烈なファイティングポーズ、そして、降り注がれるハードパンチ。読みながら、倒されそうだった。

「てめぇら、ぶっ殺してやる!」

 例えばね、ルーマニアを語る時の、情報の密度がえげつないんだ。それは、ルーマニア愛の単純な発露を超えているよ。ルーマニア初心者にはちときついね。

 それにね、所々の文章が知的に練られ過ぎていて、息苦しい。それは、僕のオツムが悪いかからなのか?少し風通しの悪い所がある。もっと軽やかに運んで欲しい。

 後、「俺はこうした」「俺はああした」って、自分がいかにすごい奴かをアピールするような事実を取り上げ過ぎ。しかも、野心的な発言を随所にしているし。

 野心。色々勝手に、役割だの、使命だの背負って、ごたいそうなもんだよ。そうして、意味や価値でがんじがらめにして、自分の存在証明をしなきゃいけないなんて、ちょっとした悲劇。

 なんで人って、存在証明とかってのに、こだわっちゃうんだろうね?

 でも、作者には自覚があるみたい。自己肯定感が低いんだ、作者は。だから、誇大な自己イメージを作り出して、自尊心を肥大させ、自己陶酔を起こすことによって、何とか自分を保ってる。

 それで、痛い目にも遭ったと書いてある。

 いやぁ、ちょっと批判的な語調で書いちゃったけど、これは、同族嫌悪。僕も似た所があるからね。何だか、ムズかゆくって、いけないんだよ。

 それでも、作者はすごい。

 僕はいつも冷めている。熱した瞬間に冷めるし、熱していた記憶さえ他人事のようになる。それは、資質もあるけど、自己防衛もある。何かに夢中になるって、結構、無防備だからね。

 そういう無防備になれる。それは、すごいと思う。

 そして、その真っ直ぐさに憧れる。

 僕は捻くれてしまっている。

 いや、作者にもそうした部分があって、それを、あえて書き出そうとはせずに、自分の総まとめと再出発を図ったのだと、そう思うと、何とも言えないけど。

 でも、僕もまた純粋に、真っ直ぐに、何かに突き進むことができたらいいなって、少し思った。僕自身、他人に感化されるのはちょっと癪だけど。作者と由来を同じくする自尊心故に。

3.視覚言語型?

 次に、思ったことがあって、作者の情報処理タイプが視覚言語型なのではないかということ。

 『なぜ日本の若者は自立できないのか?』(岡田尊司、2010年、小学館)を読んで、僕は、人間には大きく分けて、三つの情報処理のタイプがあるのを知った。

 それが、視覚空間型、聴覚言語型、視覚言語型。

 詳しくは、本書を読んで欲しいが、視覚言語型は、会話より文章で理解するのが得意なタイプ。言語への偏愛と作者の文章の処理能力の高さからまず疑った。

 他には、押しつけられる勉強はできないが、独学は好むとか。後、曖昧なコミュニケーションや雑談が苦手とか、興味の偏向だとか、本の虫だとか、分析的な理解が得意だとか。

 視覚言語型も、日本の教育はちとしんどいね。ずっと、耳から入ってくる言葉を頼りに、教師から学んで行かないといけない。

 これは、このタイプの子にとって、少し苦痛なんだ。

 独学の時間がなくて、自分の興味とペースに合わせた学習ができない。それに、この情報処理タイプの子にとって大事な、社会性スキルを身に付けるためのグループワークや討論が少ない。

 そして、日本語自体、曖昧な表現が多く、そして、文化として曖昧なコミュニケーション(暗黙の了解、忖度など)が好まれる。

 日本の学校や社会では、視覚言語型がサバイブするのが苦しい理由があるってわけだ。

 だから、作者は自己肯定感を上げていい。それは、それなりの必然性があって、低下したかもしれないからだ。

 自分を愛せない?それは、結局、他人からの決定的な拒絶を避けるための予防線では?一度、「世間」を解毒して、自分を好きなればいいのさ。

 作者みたいに。

 僕は何度でも口にしよう。作者はすごい。

 でも、葛藤がない人間なんてつまんない。ラノベの『天境のアルデラミン』シリーズで学んだ。「葛藤=才能」論だ。知ってる人には、相当な皮肉として響くだろうけどね。

4.情報環境

 はい、で、やっぱり気になるのは、情報環境だよね。作者が今の作者足り得たのは他でもない、現代の情報環境があったからだ。

 パソコン、タブレット、スマホなどの情報端末と、SNS、メール、webサイトなどのインターネット回線。

 映画の視聴も、SNSでの交流も、ルーマニア語の習得や使用も、執筆原稿の転送も、何もかも、そうした情報環境があったからだ。それを使い、生活しているわけだけど、作者のように、使いこなせているかどうか?

 考えるまでもなく、使いこなしているというよりかは、振り回されている人の方が多いだろうと思う。遠く離れた人と関わったり、何か新しいことを学習したり、僕たちはしているだろうか?

 そう、これだけの情報環境があっても、僕たちは極めてローカルな回線をぐるぐる回っているだけだったりする。

 何がインターネットの夢だ。皆、自分の居心地のいい蛸壺に入りこんで行っているだけだ。

 でも、改めて考えてみて欲しい。

 作者は、ある種、蛸壺に入り込んで行ったわけだけど、その奥に、新たな宇宙を見つけたとも考えられる。蛸壺を突き抜けたというより、蛸壺の奥にブラックホールを見つけたみたいな。

 今の時代の戦略論。

 僕は「なんかやっちゃう」法と、「あえてやっちゃう」法という、謎の戦略論を提唱している。誰かに話した覚えはあまりないけど。

 でも、最近耳にすると思う。

「意味とか、価値とか、知らねぇ。なんかやりたいから、やるだけ」
「何にもならないかもしれない。だけど、あえてやり続けるのが俺なんだ」

 これの、良い具体例だよ、ホント。

 それって何だかカッコイイ。だけど、中身は結構、ドロドロだったりすんだろうね。もはや中毒すれすれの嗜好性の追求だったり、独善的も良い所な美学やナルシズムだったり。

 でも、今の時代、そういう奴らが強いってこと。その社会的な背景について今くどくど書くつもりはないけど、ホント、作者はドハマりしていると思よ、マジで。

5.お前はどうなんだ?

 最後に、僕に絡めて、この本を語ろうと思う。いや、もはや本と僕の関係が逆になってると思うけど。

 批評には批評する本人の実存は不要なのか?僕はその命題を少し考えていたことがある。

 理論が使いこなせて、比較もお茶の子さいさい。概念を生み出して、何かと何かを繋ぎ合わせるのなんて、得意中の得意。さて、お手並み拝見と行きましょうか?

 そんな批評家像を持っている僕は、少し批評が嫌になる。

「そういう君はどうなんだね?」

 この辺りの感覚は、作者と同じだ。

 引っかかったのは、やはり作者からの激励のことだ。特に、かつての自分と同じような境遇にいる人たちへの激励と断っている、それだ。

「何が激励だい。こんちくしょうが。真似できっこないやい。僕はこれから先ふらふらフリーターやって、いつか下らない定職に就くのがオチさ。それで、人生を呪いながら、死んでいくんだ」

 そう思ってしまう。

 でもね、こうして、書評だか、レポートだか、感想文だか、よく分からない駄文をここに書きに来るくらいは感化されてるんだ。

 この馬鹿野郎が。

 ああ、そうとも、僕にも野心くらいあったさ。

「何が学問だ?真理の『し』の字も分かっちゃいない連中が偉そうに」
「村上春樹?あいつは絞めて、塩漬けだ」

 そんな哲学の、そんな文学の、野心が僕にだってあったさ。痛々しくって、思い出したくもない。そんな若き衝動だけを詰め込んだ、血肉湧き踊る獣じみた野心を。

 どうかしていた。

 でも、このどうかしているとしか思えない気持ちを抑えつけずにいられたらどれだけいいか。僕は考えてしまうんだ。

 作者の野心。先ほど僕は少し色眼鏡を使って見た。それを認めよう。だけど、それは、とても純粋なんだ。白い、とかじゃない。内蔵の暗褐色が一番近い。

 僕も純粋になりたい。

6.僕は過剰に

 ハハ。ちょっと詩でも載せて、今回は締めくくらせて頂こうか。

highエナ

ピントのずれた
ジャングルジムを
君の大腸にして

神様は僕一人
膵臓を潰してった

古い砂場の上
駆け抜ける子どもたち

バスは
行ってしまったよ

もう行ってしまったよ

だから、
戻れないから

だから…

ケモノ

除け者の讃歌!!

high gradeな
熱熱結晶!!

high gradeな
鉄鉄決闘!!

クジュウ
ギタイ
近視眼のゴカイ

クジュウ
ギタイ
近視眼のゴカイ

high gradeな
熱熱結晶!!

high gradeな
鉄鉄決闘!!

フユウ
キタイ
近未来のゴタイ

フユウ
キタイ
近未来のゴタイ!!

ピントのずれた
夕焼けの空と
君を抱き締めて

神様は僕一人
灰色に残してった

遠い時計塔に
昇ってった子どもたち

太陽は
行ってしまったよ

もう行ってしまったよ

あのね、
内緒にして

あのね…

ケモノ

除け者の讃歌!!

high gradeな
熱熱結晶!!

high gradeな
鉄鉄決闘!!

クジュウ
ギタイ
近視眼のゴカイ

クジュウ
ギタイ
近視眼のゴカイ

high gradeな
熱熱結晶!!

high gradeな
鉄鉄決闘!!

フユウ
キタイ
近未来のゴタイ

フユウ
キタイ
近未来のゴタイ!!

ハゼロ、神様!!
化けろ、俺様!!

君の喉もと!!
麗しの殺生!!


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