日本のエンタメの課題
韓国のエンタメと比較して日本が遅れているという記事があった(なぜ韓国エンタメは日本の遥か先を行くのか?〈前Amazon製作責任者が明かす「大きな違い」〉 | 文春オンライン)。
よりよい作品(製品)を作るには、より多くの資金が必要である。この点、日本では、障害となる考え方が二つある。
一つは、少ない予算で高い品質の製品を作ることはできるという考え方である。確かに、軽量級でも高度な技術を持つ者はいるであろう。しかし、重量級と軽量級では、軽量級の技がどれ程優れていても勝負にはならない。
もう一つは、失敗は許されないという考え方だ。特に多額の資金を投じるとすれば失敗は絶対に許されないとなる。よりよい作品を作るには、新しいことにチャレンジする必要があるが、失敗を恐れていてはチャレンジすることはできない。失敗したとき、リスクは承知していたはずだから失敗してもすべて自己責任になるということだと一度失敗したら二度とチャレンジできなくなる。実際には、成功するまで何回も失敗を繰り返しているだろう。また、成功するのは一握りかもしれない。失敗を恐れないことと失敗しても何度でもやり直せることが許される社会でなければ、よい作品はできない。
また、市場では、分業により専門化が進む。そのためには、様々な才能を持った人が社会に存在し、それを活かせる環境を整える必要がある。日本にも多種多様な才能を持った人がいるはずだ。しかし、日本はこれまで同質性を重視してきた(なぜ日本は二大政党制にならないか?|precious time)。それでは、社会に存在する多種多様な個人の才能を活かすことはできない。
多種多様な個人の才能を活かすには、人権保障を充実させ、多様な価値観がもっと尊重される社会を築くことが肝要だ。
さらに、分業により専門化が進むと、全体を見渡して細分化された作業の調整を図る職種も必要になる。それは交渉を経て実現される。しかし、同質性を重視する社会では、みな空気を読んで行動しているので、話し合いながら多くの人の仕事を調整していくのに適した人材も育たない。
優れた調整役を育てるには、様々な意見に耳を傾け、関係者の協力を得る訓練も社会の中で自然に行えるとよい。
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