見出し画像

謝罪の流儀

 謝罪とは、自分の非を認めて相手に許しを請うことである。我が国では、思想良心の自由(憲法19条)が保障されているので、他人が謝罪を強要すれば、強要罪(刑法223条)になる可能性がある。しかし、名誉毀損の場合に判決で謝罪広告を命じることはできる。この判決に対しても思想良心の自由の侵害ではないかという疑問もあるが、判例は、この程度は思想良心の侵害には当たらないとしている(裁判例結果詳細 | 裁判所 - Courts in Japan)。

 謝罪が、個人の良心の問題であるとすると、どのような内容が期待されるであろうか。
 謝罪のポイントは、①自白、②反省、③贖罪、である。
 自白とは、自分の犯した過ちを包み隠さずにいうことである(なお、訴訟上の概念とは異なる。)。
 反省とは、自分の良くなかった点を認めて、改めようと考えることである。
 贖罪とは、過ちを償うことである。

 松本氏は訴え取り下げ後コメントを発表している(松本人志さんが訴えを取り下げ、文春側も同意 「性加害」めぐる報道:朝日新聞デジタル)。

 同氏は、「松本が訴えている内容等に関し、強制性の有無を直接に示す物的証拠はないこと等を含めて確認いたしました。」と述べている。つまり、自白が存在しない。
 また、「松本において、かつて女性らが参加する会合に出席しておりました。参加された女性の中で不快な思いをされたり、心を痛められた方々がいらっしゃったのであれば、率直にお詫び申し上げます。」と述べている。「いらっしゃったのであれば」ということは、同氏は「いない」と考えているということであるから、反省もない。
 さらに、「相手方との間において、金銭の授受は一切ありませんし、それ以外の方々との間においても同様です。」と述べている。したがって、贖罪もない(なお、この点は、松本氏の観点からは、金銭の授受があったとすると他の方からも請求される可能性があることを危惧したものと考えられる。文春側の観点からは、金銭目的ではないことを明らかにしたといえる。)。
 以上から、同氏は、性行為の強要について謝罪はしていない。

 玉木氏は不倫報道の後会見を開いている(元グラドルと“密会”は「おおむね事実」…国民民主党・玉木雄一郎代表(55)が“不倫報道”に謝罪|FNNプライムオンライン)。

 同氏は、「報道された内容については、おおむね事実です。」と述べている。したがって、自白がある。
 また、「謝罪しても謝罪しても許されるものではないと思っておりますが、謝罪を続けたいと思います。」と述べている。したがって、反省もある。
 さらに、「今回のこうした騒動を挽回するためにも、全力で103万円の引き上げをやってこいと、妻からも息子からも言われました。」と述べている。したがって、贖罪もある。
 反省と贖罪については、この内容で十分かどうか疑問がなくもないが、①②③すべてのポイントを押さている。したがって、同氏は、謝罪しているといえる。

 松本氏はそもそも謝罪していないので、これ以上の言うことはないが、玉木氏については、政治家としての評価が問題となる。

 人間は誰しも過ちを犯すものであり、政治家も人間であるから過ちを犯すこともある。まして、真摯に謝罪しているのであれば、その点も考慮して評価すべきではあろう。

 ただし、週刊誌によると「『警戒しているのか、いつも小泉さんがホテル近辺のコンビニなどに長時間滞在し、玉木氏がホテル内に入ると、時間差で小泉さんも入るという行動を見せていました。私も2022年後半以降にその様子を2回、目撃しています』
 たしかに、この日も小泉は午後4時過ぎにホテルに到着してもチェックインせずに、ホテルのトイレに1時間半滞在するなどして、時間を潰していた様子だった。
 すると午後5時半に、玉木氏が同ホテルに姿を見せ、すぐにフロントでチェックイン。エレベーターで「14階」に上がり、客室に入室した。
 その直後、小泉も動き出した。なぜかチェックインをせずにエレベーターに乗り込み、玉木氏と同じ「14階」で降り、客室へ。2人とも、この日は同ホテルに宿泊したのだった。
 その後も本誌は、たびたび玉木氏と小泉の“交流”を確認している。」と報道されている(【独占スクープ】玉木雄一郎氏「高松観光大使」元グラドルと隠密不倫デート&地元ホテルで逢瀬…取材には「家族との話し合いが終わっていない」 | Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌])。

 この内容からすると、用意周到に逢瀬を重ねており、魔が差したわけではなさそうだ。どうやら玉木氏には表の顔と裏の顔がありそうだ。
 もっとも、この点についても、政治家は善人では務まらないという考えの人もいるだろう。
 また、プライベートな問題と公務を遂行する能力は別だという考えもあるだろう。
 他方で、プライベートか公務かでジキルとハイドのように全く別の人格になるとは考えられないともいえる。
 また、必ずしも善人である必要はないとしても誠実さに欠ける人物では信用できないという見方もあろう。

 いずれの見方を取るかについては、元々信頼関係があったかどうかにもよる。
 芸能人の不祥事に対しコアなファンから擁護論が出ることがあるが、玉木氏についても事件前から熱心に支持していた有権者は、今回の件で直ちに支持しなくなるということはないであろう。
 しかし、元々同氏に批判的だった有権者のみならず、まだ同氏に対する評価が固まっていない有権者にとっては、こうしたスキャンダルは非常に印象的なので、支持できないと考える方が多いのではなかろうか。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?