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学者は世間知らずか

 「学者は世間知らず」ということの意味を学者が解説している(「学者は世間知らず」とはどういう意味なのか 宮廷道化師たる学者が果たすべき3つの役割 | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン (toyokeizai.net))。

 学者が特に「世間知らず」といわれるのは、世間の常識に反するような発言をしたときであろう。
 真摯に研究した結果としての学者の発言は高度な論理に裏付けられているが、一般の人の常識は、主に経験によって裏付けられている。
 経験によって裏付けられた世間の常識は、研究によって理論的な裏付けが認められるものもあれば、理論的な根拠のない単なる思い込みである場合もある。
 しかし、例え思い込みであっても、多くの人が長い間信じてきたものであれば、難しくて一般の人には理解できない高度な理論よりも説得力を持つ。

 学者の発言が経験ではなく高度な理論に基づくものであり、それゆえに世間の人には理解しがたいという意味でなら、「学者は世間知らず」というのは正しい。

 つまり、学者の理解と世間一般の理解が食い違う場合には、それをかみ合わせることは難しい。
 それを可能にするためには、高度な理論を説明したり実生活に応用することができる人が別に必要になる。これは学者特に研究者とは異なる能力である。
 ところが、学者を世間知らずだという人も何か専門的なことを学ぼうとすると有名な学者の話を聞きたがる。学者を世間知らずという人は高度な理論が理解できないので、逆に理論よりも肩書をありがたがるという権威主義に陥って相反する行為をする。

 これでは双方とも不幸であるから、高度な理論をわかりやすく説明したり実生活に応用したりする人の評価を高めて、学者と世間との橋渡しをしてもらうことが望ましい。

 ただし、学者は学問を理解しない人を見下していないか、世間の人は謙虚に学ぼうとしているか、ということを改めて問う必要がある。

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