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なぜ日本は二大政党制にならないか?

 2024年の衆院選において日本で二大政党制が根付いていないことが改めてニュースになっている(衆議院選挙:[データで見る24衆院選]「2大政党」いまだ根付かず…野党分裂や第3極台頭 : 読売新聞)。

 二大政党制を実現するために野党連合という案が出されることがある。しかし、これは無理だ。なぜなら、日本の政治状況は、与党対野党という構図にはなっていないからだ。

 例えば、維新の代表は共産党に対し「日本からなくなったらいい政党」と発言している(維新・馬場代表「共産党は危険な政党」と二の矢 “日本からなくなっては暴論”との猛抗議に一歩も引かず|FNNプライムオンライン)。また、れいわの代表は立民に対し「民主党はほとんど自民党と変わらない。消費税の増税、武器輸出、国内での武器製造などの道を開いてきたのは民主党。過去の亡霊たちが絶賛活躍中で、代表選にも出てくる」と発言している(れいわ新選組 野田、枝野、安住…立憲大物に次々「刺客」…野党混乱を生みだす山本太郎代表の〝狙い〟 | 東スポWEB)。つまり、新しい野党は、自民党以上に既存の野党に対して批判的なのである。したがって、日本では、与党対野党よりも既存の野党と新しい野党の対立のほうが激しいのである。

 したがって、現状では野党連合は不可能であり、二大政党制になる可能性もない。

 ところで、自民党が政権を維持することができる理由について述べたことがある(自民党が政権を維持できる理由|precious time)、今回は二大政党制の実現という観点から検討してみる。

 自由主義社会では、多様な価値観が許容されるから複数の政党が存在するのは、むしろ当然といる。どんなに意見を集約しても一つにはならないであろう。したがって、二大政党制は、頑張ってまとめた結果、二つにまで絞ったということであろう。

 では、日本で政党が多いのは、多様性が認められているかであろうか。実は、その逆である。
 実際には、日本にも多様な価値観が存在する。しかし、日本は、長らく同質性の高い社会を志向してきた。そのため、画一化されて規格から外れる人は事実上排除され、ギリギリ規格に収まる人は、同調圧力に押しつぶされそうになりながら窮屈な生活を送ることで社会の同質性が維持されてきた。

 それでも多様な価値観が存在する以上、政治は右に行ったり左に行ったりするはずである。しかし、そうならなかったのは、戦後日本には保守が存在しなかったからである(日本の保守|precious time 2.5次元俳優の告白|precious time)。

 例えば、「国会での党首討論(9日)で日本共産党の田村智子委員長が最賃引き上げのため中小企業への直接支援を求めたのに対し、石破茂首相は『私どもは全体主義国家、社会主義国家ではないので、政府が主導して直接お金を支払うやり方が必ずしも正しいとは思っていません』という答弁をした(主張/中小企業の賃上げ/支援拒否の石破政権に審判を)。

 石破首相は、「全体主義、共産主義ではない」と反論しているが、市場経済においては、価格は需要と供給で決まるのであるから、政府が最低賃金を引き上げるというのは、元々共産主義的な発想である。しかも、共産党の労働者のみならず中小企業も支援すべきだという主張に対して、石破首相は労働者のみを支援すると答弁したのであるから、自民党のほうがよほど共産主義的であり、どちらかといえば共産党のほうが保守的である。

 この点については、経団連の会長からも「チャレンジングであってもいいんですが、到底不可能」だと批評されており、現実にはあり得ないような労働者保護を掲げている。ここまで来ると極左といってもいいかもしれない。

 つまり、自民党は、問題ごとに右に行ったり左に行ったり(そもそも右でも左でもなく空気を読んで決めているだけかもしれない。)することで、政権交代をせずに、かろうじて同質性を維持してきたと考えられる。

 しかし、SNSの普及により個人が発信することができる時代になると、日本にも多様な価値観が存在することは隠しようがなく、日本の同質的な社会で苦しんでいる人がいることも明らかになるから、今まで通りというわけにはいかない。

 今回の衆院選では与党の議席数が過半数を下回る可能性もあるといわれているが、たとえ過半数を維持できたとしても既に始まっている大きな流れを変えることはできないだろう。

 

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