日本人が社会運動に参加しない理由
社会運動に参加する人が少ない理由について、①60年・70年安保闘争の影響で「怖い」というイメージがある、②選挙以外で政治に介入すべきでないと考えている、という解説がある(【「コミュニティ・オーガナイジング」とは】日本人が社会運動に参加しない理由をひもとく!〈前編〉 | yoi(ヨイ) - 心・体・性のウェルネスメディア (shueisha.co.jp))。
しかし、投票率も高くはないから、そもそも一切政治に介入しないという人も少なくない(柴田淳「どれほど恥知らずなんだろう」政治に全く“無関心”の人気俳優に大あきれ(スポニチ) | 毎日新聞 (mainichi.jp))。
民主的な制度は、主権者が自ら統治する仕組みであり、人権を保障するためにある。ここが日本ではなかなか理解されない。自由主義社会では、自分の利益を守ることは正当な行為なのである(なぜ行政は人権を守れないのか?|precious time (note.com))。自分の利益を守るためには、政治に参加することが必要である。なぜなら、政治は、国民の生活のあらゆる場面に関わっているからである。
ところが、それを許さない人たちがいる。
第1に、政治のせいにするなという誤った自己責任論がある。民主主義の下では、政治に参加して自分の利益を守ることは正当な行為であるから、むしろ自分の利益を守ろうとしない人に対して責任を果たせというべきである。
第2に、将来世代に負担を残すなといわれることがある。現在、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができているのであれば(憲法25条1項)、状況によっては、支出を減らすということも考えられる(ただし、憲法25条2項は、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と規定する。)。しかし、現在、経済的に困窮している国民がいるのに将来世代のために現在の国民を救済しないのであれば、10年後の国民は20年の国民のために、20年後の国民が30年後の国民のために、救済されないことになり、未来永劫誰も救われないことになる。
第3に、第2と関連するが「バラマキ」論である。すべての国民に利益が分配されることを「バラマキ」と批判することで、大企業や富裕層等一部の者のみが利益を得らる状態を維持することに貢献している。
第4に、選挙によって選ばれた政府を信頼すべきであり、気に入らなければ選挙で変えればよいといわれることがある。しかし、選挙で投票権を行使して政権を変えられるからといって選挙まで黙っていなければならないということはない。政治活動は政治的な意思を表現する行為であるから、表現の自由(憲法21条)として保障されている。政治家とは、国民から政治という事業を委託された業者であるから(民主主義を理解しているかを試す問い|precious time (note.com))、委託者である国民が受託者である政府に様々な要求をするのは当然のことであり、受託者を変えるのは要求しても言うことを聞かない場合である。
「自己責任」「将来世代の負担」「バラマキ」「選挙で選ばれた政府を信頼すべき」といった一見民主主義的なワードで国民を政治から遠ざけている政治家、官僚、マスコミ、学者等がいる。この人たちが守ろうとしているのは、人権でも民主主義でもない。
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