ここではないどこかを求める
「どうしてわたしはあの子じゃないの」
寺地さんの本は少し生きづらいなと感じる孤独感の共有と、それを受け止めるために世間的な「正解」ではない思考の筋を示してくれる。
この物語では登場人物それぞれが誰かを羨ましく思っている。
自由に生きられる人、誰からも好かれる人、外見が整っているひと。
そのなかでも、私は「ここではないどこか」に行きたいと願う五十嵐の気持ちに共感した。
「帰りたいな。
ときどき、そう思うことがある。会社にいる時や自宅にいる時に、なぜか。他に変えるべき場所があるような気がしている。どこかに大切な自分の一部を置き忘れたような。」
「今いる場所が嫌なわけではないのに、今の自分は幸せだと知っているのに、なぜかそのどこかに自分のもう一つの人生が存在するような気がしてならない。」
私も人と違う経験をして、外に飛び出して、どこかに本当の自分を探そうとしている。そんなものは存在しないだろうとわかっているのに。
環境が変わったところで自分が根本的に変わるわけでは無い。
住む場所を変えても、私は私のままだ。
それでも、外に出ること、そのための努力を重ねることで少しずつ自分の輪郭がはっきりしてきた。
それに、
「環境の変化は自分を根本から変えるわけでは無い」
という本質を理解したところで、それに納得できるかわからない。
大事なことは、自分が行きたいと思うどこかを目指し続けるその過程だと思う。
その過程こそが自分を理解するのに必要な時間なのだと思う。