明るい貧乏を目指して

今日の日記。

明日から仕事復帰でまたうつっぽくなっていたんだけど、先輩ママさんと話す機会があって、根掘り葉掘り尋ねたり、自分をさらけ出させてもらったりして、とても気持ちが軽くなった。

キーワードで「明るい貧乏」が出てきて、面白かったので記しておく。

私は正職(常勤)の公務員、幼少期からの心の癖で「(自分のやりたいことを差し置いて)人の役に立たねば」「安定した職に就かねば」とだけ自分にプレッシャーを掛けて、この職に就いた。

片や夫は非正規社員で、好きなことやその時求められていることをして生きていこう、その際に経済的な安定は一切(本当に一切)気にならず、お金があるならある・ないならないで生きていこうというスタンス。


私の価値観はいま思うとすごく古くて、「一家の大黒柱」を無意識に求めてきた。それが夫でないのなら、私だと、決めつけて今日までやってきた。

病気休職を経験したことで、自分が降りることも出来るとは思ったけど、夫を大切に思っているからこそ、しんどいことを夫に押し付けたくないという気持ちや、自分が今までやってきたことのプライドもあり、復職に踏み切った。

でもそこにはやっぱり不安もあって、そんな時に先輩ママさんが会社員を辞めてNPO法人を立ち上げて活動しているという経験をお聞きして、そこを一対一で根掘り葉掘りさせてもらった。


先輩ママさんは、

「自分も安定思考だったけど、会社に求められるままがんばって身体を壊して、残りの人生で自分のやりたいことをやろうと思った。

その時に収入が減ったり、支援に頼ったりしたこともあるけど、その時も開き直って明るく暮らせた。貧乏でも明るく暮らせるって分かった。」

と仰っていて、私が自分を振り返ると

「暗い隠れ貧乏(貧乏を恐れている)」。


私は浪費家なのだ。貧乏が怖くて「安定思考」なのに、お金があるだけ遣ってしまう。「ない」ことを見つめるのが怖くて、たとえ借金してでも見栄を張ろうとする。ストレスの解消や、好きなことや欲しいものへの執着が激しくて、先のことを考えずに遣ってしまう。そして後から不安になり、不安を見つめる勇気がなくて、また目を瞑って浪費する。だから貯金が無い。本当に無い。

(夫曰く「結局お金が『ある』から遣ってるんやろうね」とのこと。)


でも避けてても行き詰まってしまうことが今回分かり、立ち行かなくなってきたからそろそろ変えようと思う。やっと。

そこで出てくるのが「明るい貧乏」である。

復帰後の私は、明るい貧乏を目指して、見栄を張らず、一人で抱え込んで目を瞑らず、浪費を避けようと思う。

そして、来たる日の「やりたいこと」を支えてくれる(その時収入が下がっても、大事な家族を守る分を確保しておく)お金をコツコツ貯めていこうと思う。

その時はまた次の人生のステージが待ってるような気がする。

それを見るのが楽しみになってきた。

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