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いのちの誕生に立ち会って改めて気が付いた愛情と、熱意について ー その5

当時の私の進学先の中学校は大いに荒れた中学で、地元のニュースになるほどの荒れぶりでした。
小学生ながら、中学に進学することは非常に恐怖でした。様々な怖い話は、小学生の私の耳にも毎日のように入ってきます。恐喝、暴力、その他、書かないほうがよいと思えることが一層私の心を曇らせました。

入学式のことはなぜかよく覚えています。当時、入学式が終わると、「儀式」として上級生による、新入生の「品定め」があると聞いていて、私だけではなく、ほとんどの同級生が恐れていました。入学式の最中に倒れたり、トイレに走ったりする生徒もちらほら。

しかし、入学式が終わり、下校時間になっても、その「儀式」は全く行われませんでした。数人の小学生からの同級生と一緒に、自転車で帰宅しましたが、一様に「よかったね。。。」と安堵したことを鮮明に覚えています。

部活動の入会はほぼ「義務」で、私は小学生から続けていた野球部に所属しました。当時、まだまだ精神論で乗り切るという、the.体育会系そのものでしたから、入部の初日もとても緊張したことを覚えています。
厳しい練習や体罰、理不尽ないじめがあるのではないか、と、小学生の時の辛い思い出がわっーと溢れました。が、それもなく、いわゆる「健全」な部活でした。(おそらく)

学区の違う小学校が一緒になるため、新しいクラスメートも増えましたが、ここで私は入学してすぐに最初のいじめに会うことになります。

当時の私は、なにをするにも出しゃばり、目立ちたがり屋でしたから、その噂もあっという間に広まるわけで、目立つやつを毛嫌いするやつも多少はいます。他の校区からの同級生で、日ごろから悪さをして地域では悪名高い子が、ことあるごとに突っかかってくるわけです。(因縁というのでしょうか)

軽い暴力も受け続けた日々、ある朝、いつものように意味不明な言いがかりをつけられ、少し強めに左のほほを殴られたときです。朝の学活の直前でしたからクラス中のみんなが見ていました。

普段は相手にしないように遠ざかっていた私は、その日はなぜか、とっさに左ストレートをお見舞いしたのでした。

腕っぷしにも自信はありませんし、基本的にインドア派の私が、つい怒りで
暴力返しをしてしまったのです。相手の顔面にヒット、今でも不思議ですが
その彼は2メートルほど体が吹っ飛んで倒れました。

それ以来、私にいたずらや言いがかりなど、いじわるをする同級生はいなくなりました。

しかし、ここからなのです。

日に日に、私と距離を置くようになる同級生が増えるのでした。
部活動が一緒の同級生も、日に日に、会話してくれなくなるという、理解しがたい状況が、ますます深刻になっていくのです。

もちろん、この状況を理解できませんでした。
そして私自身も、だんだんと友人たちから一定の距離を置くようになってしまいます。

もちろん、1年生のころはまだ、勉強、テスト成績はトップ。しかし、私の心の中ではすでに何かの軸がずれ始めていて、掴みどころのない靄が、少しづつ覆っていくのを感じていました。それは当然に、学習につながり、黒板の文字を追えなくなっていったのでした。

更に、というべきか、ついにと言うべきか、学校へ行けなくなりつつあり、週に1日は確実に不登校になっていました。これが1年生の3学期。

2年生になると、また新しい出来事、そして人生のターニングポイントの序章とも言うべき出会いがまっていました。

また、続きます。

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