無駄な空間
そう聞くと、ネガティブな印象を受けるだろうか。かつて建築家・篠原一男さんはこう語る。
「住宅には無駄な空間が必要である」
僕はこの言葉を聞いた時、とても嬉しい気持ちになった。
なぜなら、僕自身も住宅に携わる上で、この無駄な空間が必要だと感じていたからである。
篠原一男さん曰く、
「名前の無い空間、用途の指定されない空間が、生活のコアー(核)になる」
これはとてもロマンチックな表現だと思う。
自分なりに再解釈すると、それはオーバースケールと類義語であるようにも思う。
その空間はやはり何かの空間と隣接されるわけで、
無駄に広い玄関
無駄に広いリビング
無駄に広いキッチン
無駄に広い縁側
そのように捉えることも可能である。
その名もなき空間が、そこに住む人が入り込み、暮らしの魂みたいなものが宿った時、生活のコア、その住宅の最も香ばしい空間のようなものが香り出す。
この空間に名前はありませんが、私たちはここで朝のティータイムを過ごしています。とか、
趣味の楽器を演奏しています。とか、
家族で焚き火をしています。など。
その余剰な、一見無駄な空間が、そこに住む家族オリジナルの生活の魂が再発見されるような空間になり得るのだ。
機能主義で合理主義、忙しなく過ごすこの現代社会の中で、人間本来の喜びのようなものを再発見できるのと同時に、その家の佇まい、意匠性までが彩られてゆく。
限られたコストの中で、機能を詰め込んで成り立たせることも大事であるが、
自分たちの生活を再解釈し、ロマンチックな人生への一種の投資のような空間を与えることもまた、人生の喜びでは無いだろうか。
無駄な空間、それは私たちの常識を超えた豊かな暮らしへの希望なのである。