日記2023/12/02 モネの連作見に行った
高校時代の後輩二人と上野の森美術館で開催されているモネ展を見に行く。事前に友人に作ってもらったモネに関する参考資料を電車の中で読み込み上野駅に向かう。
朝10時半に上野駅で集合する予定だったが、いつものことながら、僕は20分遅刻してしまい、後輩達を待たせてしまった。最近、時間がプロセスに従い連続的に流れるのではなく、非連続的に流れている。内の世界が様々な角度から絶えず交渉をしてくるから、一瞬一瞬の離散的な自由意志によって生活をするほかない。(いろいろ言い訳いってますけど、努力不足です。すみません。)
美術館に着いて、モネの絵の前で立ち止まり、解説を読んだ。そこにはモネの作品がエミール・ゾラに高く評価されたと書かれていた。「ほー、ゾラに評価されたのか」と思いながら、モネの作品を眺めていると、彼の絵画がどれも劇的な展開によるストーリーを次々に描くのではなく、事物や風景を丹念に描き、何気ない日常生活の中を自然なドラマと捉えるスタイルであると感じた。たしかにその点はゾライズムに沿っている。
さらに絵を眺めていると、モンテカルロスケッチという絵が目についた。「モンテカルロスケッチ?なんだそれ?」と思いつつ、その絵をじっくりと観察してみる。絵の具が無造作に塗られている。まるでモンテカルロシミュレーションされているかのようだった。モンテカルロスケッチは初めての経験だったが、それが物理学におけるブラウン運動の世界観を思わせるものだと解釈した。のちに調べた結果、モンテカルロシミュレーションは関係ないらしい。モンテカルロの風景画らしいが、僕には絵の具がブラウン運動しているようにしか見えない。
そして、ロンドンのウォータルー橋の絵に目を移すと、ふと疑問が浮かんだ。「ウォータルー大学はカナダにあるけど、ウォータルーの戦いはベルギーで起きた。なんでイギリスにウォータルー橋があるんだろう?」と。よく考えてみれば、イギリスがウォータルーの戦いに勝利したから、その名を橋につけたのかもしれない。トラファルガー広場もトラファルガーの海戦にちなんで名づけられたと聞いたことがある。「戦争で勝つと橋や広場に名前をつけるのか、うん趣味が悪いな」とぼんやりと思った。
美術館の一室にて、モネの絵画と対峙した際、情報の洪水が内の世界に絶え間なく流れ込み、一瞬一瞬の自由意志による、離散的な時間の感覚が、より重く、より強く自己を主張した。それは俗に多動症と言うらしいが。
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