俳句を読む 65 炭太祇 うつす手に光る蛍や指のまた

うつす手に光る蛍や指のまた    炭 太祇

たしか暑い盛りだったと思います。日記をめくってみたら2006年7月16日の日曜日でした。腕で汗をぬぐいながら歩いていると、前方を歩く八木幹夫さんの姿を見つけたのです。後を追って、神田神保町の学士会館で開かれた「増俳記念会の日」に参加したのでした。その日の兼題が「蛍」でした。掲句を読んでそれを思い出したのです。あの日、選ばれた「蛍」の句を、清水哲男さんが紹介されていた姿を思い出します。さて、「うつす」は「移す」と書くのでしょうか。しずかにそっと壊さないで移動することを言っているのでしょう。それでも、わざわざひらがなで書かれているので、「映す」という文字も思い浮かびます。手のひらに蛍がその光で、姿を反映している様です。つかまえた蛍を両手で囲えば、「指のまた」が、人の透ける場所として目の前に現れます。こんなに薄い部位をわたしたちの肉体は持っていたのかと、あらためて気付きます。句はあくまでもひっそりと輝いています。思わずからだを乗り出して目を凝らしたくなるようです。蛍をつかまえたことのないわたしにも近しく感じるのは、この句が蛍だけではなく、蛍に照らし返された人のあやうさをも詠んでいるからなのです。『俳句鑑賞歳時記』(2000・角川書店)所載。(松下育男)

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